はてなキーワード: 十倍とは
「それは差別だ」と言われたとき、多くの人はまず怒る。悪意が無く、人に対して悪いことを基本的にはしたくないと思っているから、あなたは人を傷つけていると言われると、傷つくのだ。だからそうであって欲しくないし、指摘した人の主張が間違っていればいいと思う。
社会的に NG なっていれば、自分の主義主張に関わらずある程度配慮する人が多いが、そのラインは微妙だし常に変化している。指摘されるまで差別かもしれないと思ったこともないことも多々ある。
だからこそ、指摘する側は慎重に行うべきだと思う。遠慮すべきとは思わない。人を傷つける行為だから、相手に伝わるためには、できるだけ傷つけない方が聞いてもらえるだろう。根拠はあった方がいい。ただ多すぎても相手を追い詰める。相手に悪意が無いことを信じること、差別はそれでも存在してしまうことを認めること、まずはそこからだ。
最近の話題が多岐に広がりすぎるのは、明確に差別と言うには微妙なものだからだ。初めてそれを差別かもしれないと思った人もいるだろう。指摘としては、そういう人が少しでもいたら大成功である。結論は今は出ない。「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今後継続して考える」を落とし所にするのを目標に行ってはどうだろうか。一部の人間による一時のヒステリーと思われては、今後の成果に繋がらない。
被差別者だと感じるからと、人を殴っていいわけではない。大人数で取り囲んで罵声を浴びせるのは暴力であり、暴力行為は差別と同じくやってはいけないことである。責めたいわけではないが、自分の言動を立ち止まって振り返ってみてはどうだろう。その暴力を何十倍も浴びて戦おうとしていることに敬意はあるが、度が過ぎている。
Twitter不毛すぎんか〜〜〜〜! と思って何か書こうとしたが、調べてみるとこんな良記事(https://blogos.com/article/413806/)があった。これを読め! 解散!
しかし他にいくつか思うことがあるので書く。
一に、この議論に関わらず、何と戦っているのか不明な人が多すぎるので議論の種類について整理してみたい。おおよそSNSやブログで議論/主張を行うときの目的は僕には三つくらい考えられる。1.問題を周知/提起すること・2.相手の意見を変えること・3.相手に社会的制裁を加えること、だ(いま考えただけなので他にあってもおかしくないが)。「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」というのは主に1.である。今まで問題とされていなかったことを取り上げて、これはおかしいぞ、みんな見てくれ、というわけだ。それに対して個人的に「いやその論はこれこれの部分が間違っているようだからポスターは置いても構わないんじゃないですか」というのが2.である。考え直してください、ということ。最後に「これこれの部分が間違っているからこいつはバカだ。バーカ」というのが3.で、ポスターを置くことの是非はもはや二の次、相手を排除することを主眼に置く手合い。相手のアカウントが凍結されるとか、相手が恥をかくとかそういうことを願っている。
1.と2.をはっきり区別しておきたいのだが、同じ主張であっても最終的に何らかの問題解決を目標とする場合は1.、議論自体を目的とするものを2.と(ここでは)定める。例えば、フォロワー数の少ない二人がお互いに意見を戦わせて二人なりの結論を得るのは後者。有名人同士が引用ツイートで以ってお互いの主張を戦わせ、結論には至らないまでもそれぞれのフォロワーにアピールするというのが前者だ。もちろんグラデーションは存在する。
また、2.と3.も実は区別が難しい。2.の人も、相手との対話を諦めた時点で3.になりうる。あるいは、罵詈雑言を投げながら、当の本人としては「相手に改心して欲しかった」などと2.のつもりでいる人もあると思う。これもグラデーションで考えるのが良い。1.と3.も同じ。
二に、議論をする際には目的を明確に意識すべきと言いたい。概ね文字というのは対面に比べて趣旨も気遣いも汲み取りにくい。緻密なコミュニケーションは望めないのだから、目的外のところに関しては互いに譲歩すべきである。例えば、「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」という主張と「ポスターを規制するのは表現の自由の侵害だ」という主張をお互いに問題提起として戦わせるときには、前者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを公の場から取り除くべきである」後者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを規制するという事態を避けるべきである」という問題を周知するのが第一義だと考えられるので、それ以外の主張の些事に関しては無視するか、好意的に解釈するか、あるいは互いを気遣いながら齟齬を埋めるのがよい。「論点をずらした」などと言って人格攻撃をするのは最悪手である。論点をずらすのはもとよりよくない。しかしその論点はそれとして別に議論すべき大切なものかもしれないし、相手には同じ論点だと見えているのかもしれない。意見が違うからと言って、そのような点で攻撃するのは礼のないことだ。「論点がずれているかどうか」などと言う最もどうでもいい議論に目的を失することのないようにするためにも、相手が論点をずらしたと思うようなときにこそ丁寧に接するべきである。さらに言えば、相手が無礼であるときに激昂するのもやめるべきだ。誰が得をするだろうか。
三に、あまり論理的に複雑なことを言うのもよくない。主張のぶつかるのは感情的な原因によることが多く、それがゆえに是非を問いにくいことも多い。是非を問いにくいので、論理的な正しさで決着をつけようとする。しかし、多くの主張にはどうとでも理屈をつけることができるのだ。なるべく大元の感情から離れぬ方が、また自分の主張が感情から生まれていることに自覚的な方が良い。例えば道路で立ち小便をする人間は不快である。彼を批判しようというときに、それが軽犯罪法に抵触するなどと言うことができる。法律があるからにはそれが成立する法学理論的基礎があるはずである。また、社会の秩序を守る上で立ち小便の位置を論じた統計的資料があるかもしれない。しかし、それらはどうしてもその論点で戦わざるを得なくなる場合以外武器とするべきでない。立ち小便が不快であるという一事から離れずともこと済むからである。だいたい、ルールと言うものはより多数の人間が良い気持ちで生きることのできるようにと作られることが多いのに、個人的感情を論理に劣ったつまらないことのように扱うのは解せないことだ。
もちろん、全く理屈を使わず議論することはできず、そんなことをすれば子供の喧嘩である。ここで言いたいのは、Aという理屈、Bという理屈を戦わせているときに、Aの些細な欠点を発展させて別の論理的戦場を作るようなことをなるべく避けるべきだということだ。立ち小便は法に触れると言った時に法治国家の是非を問う類のもの。
だいたい、論理が複雑になれば間違う箇所も増え、それが本来の主張の欠点のように見えてしまう。益のないことだ。
四に、我々はそろそろ相手のことを思いやるということを覚えるべきである。これは特に、相手の意見を変えようと思って議論する際に必要である。世に問題を提起しようとするときは、なるべくフォロワーの感情に訴えるべく強い言葉を使うことが多い。これは喜ばしくはないがある程度仕方ないことである。一方、個人的議論において強い言葉を使う必要は皆無と言っていい。主張が対立するとき、その双方が「自分は被害者であり、相手は加害者である」と思っていることは多い。宇崎問題でも「女性の権利が侵害されている」と思う人と「表現規制がなされようとしている」という人が対立する図をよく見る。被害者Aは毅然と加害者Bに立ち向かう。これを逆から見るとBは被害者であるにも関わらずAから無闇に攻撃されていると感じる。Bはさらに頑なになる。「あなたは議論のできない人なんですね」「あなたこそ話のわからない人ですね、さようなら」などという風景は見飽きてしまった。
何かを伝えたいがためにわざわざ議論を始めたはずである。努力の無駄ではつまらない。なんとか議論を成立させようというという意志をもう少し堅固に持ちたいものだ。
議論をする上は、いくら自分が被害者のように思われようと、相手に心理的負担を与えている。相手も被害者なのだという認識を持っても良いと思う。相手は怯えた獣なのだ、まずは相手の理屈を受け入れ、主張を聞いてやってもよかろう。主張を聞いて、「聞いてやったがここがおかしいだろう」という態度も問題である。こういう理解をしましたがあっていますか、私はこう考えるのですがあなたはどうですか、という謙虚さを常に持つべきだ。これは、相手がたとえ似非科学や陰謀論や人種差別といった是非もなく間違いであるように思われる主張をしている場合にもそうだ。そんな思想信条を持とうと相手は人間であり、どんな思想信条であろうと批判されるのは不快に決まっている。
なお蛇足ながら、冒頭に挙げたブログはかなり中立的に論点を示していて素晴らしいのだが、やや「フェミ」を攻撃者、「オタク」を被攻撃者と捉えているきらいがある。「フェミ」の攻撃性(のように感じられる部分、すなわち規制しろ! という主張)は根本において女性の権利が侵害されていて守らなければいけないという価値観から出たものである。さらに言えば、「フェミニスト」として一貫性のある活動をしている人々(つまり、具体的に何を規制しどんな社会改革があればいいのかに関して基準がある人)もいる一方で、単に「女性は社会の中で立場が弱くて/損をすることが多いからそれを変えたいな」くらいの感覚でフェミニストに同調している男女も少なくないように思う。前者に比べて後者はさらに攻撃に対して敏感であろうと思う。攻撃の理由に関して無知だからだ。また、立場が曖昧であること自体を批判するのは間違っている。誰でも自分の/自分に近しい人の権利は守りたいからだ。
それを考慮せずに、初めから「あなた達の攻撃は...」というとなかなか議論がかみ合わないだろう。「あなた方はこれを守りたいんですね、我々はこれを守りたいんです、利害が対立している部分を明確にしていきましょう」という立場でなけれななかなか建設的にならないのではないだろうか。
特に、一部の「オタク」は「フェミ」を十把一絡げに罵詈雑言を浴びせるし、それが被害者意識を生む。同様に、一部の「フェミ」は「オタク」(時には「男性」)を十把一絡げにして罵詈雑言を浴びせる。真面目に議論をしようとしているあらゆる立場の人に迷惑なことだ。
五に、もちろん相手が議論するに足るかどうかは別の問題である。議論すべきでないと感じた場合は直ちに議論をやめ、可能ならブロックするのが良い。ブロックするのが負けのように感じるのは愚かな感覚だ。また、ブロックした後に相手の発言を覗きにいっていちいちスクリーンショットで揚げ足をとるような行為も君子の仕業ではない。そのような卑劣な行為をするくらいならきちんと自分の心理的安全性を犠牲にしてでも相手と対等な議論を行うべきである。相手に社会的制裁を加えようとする行為は言うまでもない。
六に、この文書はSNSなどでの議論に特殊の意見であった。ディベートや日常での議論についても適用されるとは必ずしも考えない。むしろ、ディベートや日常での議論の延長線上でSNSでの議論があるような感覚の人が多いのでこのような惨状があるように思う。短い文面での主張は言い足りないことが多く、普段耳にする意見に比べて拙く見えることがある。しかしそれはコミュニケーションの不備であり、相手の不備ではない。自分の意見を相手が理解できないように感じるのも同じ。普段の十倍、百倍に相手への思いやりと好意的な解釈を必要とする。
色んな人の考えを聞いてみたい。
そうよ?
数千人がね。
逆にこんなのにすら君は勝てないの?
君にいくら払われているんだい?
それが君の現実なんだろ笑
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185511859912237056
そもそも、それが「汚い」という感覚な時点で稼げる経営者からしたら
「お察し」
なんだよね〜
まぁ、そんな人達が多いから稼げる人達は稼いでいってそういう人達を上手く使って経済回しているわけでね
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185514209477480449
金に疎いバカばっかだな笑
一生やってろよ笑
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185528580618375168
ごめん、頭にウジ沸いてるのに君より数十倍良い生活しちゃってるわ、、
なんでなんだろうね、、
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185537197505531905
いや、君ら頭の弱い人々に自慢したいなと思ってさ笑
ロールスもベンツのS63longもあるよ〜
ごめん、何が効いてるのかはよく分からない、、
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185763795613806592
どうすればここまでアレになれるのか、まったく完全にわからない。
嘘でそれを演じようと思っても、無意識に常識とか良識が邪魔をして、ここまで下品にはなれない気がする。
ネトウヨとかツイフェミとか、自分(これを書いている俺)から見て不思議な人種はネットにたくさんいるけど、なんとなく「その人がなぜそうなってしまったか」みたいなのはうっすら想像がつく。
けどこの人。どうすればこうなるんだ。
5ちゃんねるのまとめサイトで痛いやつとしてまとめられそうな文句ばかりじゃないか……高級外車自慢とか……。
ウェブカツとかいうサービスの質とか経営者や技術者としての倫理観とかはハッキリ言ってどうでもいい。
「かずきち」氏というひとりの大人の人間性がここまでねじ曲がってしまったその過程がすごく知りたい。
当人は「ブランディングとしてあえてやっていた」などとうそぶいているけれど、こんなもん、「ウェブカツ」で検索したらそのうちこの人の悪評ばかりがヒットするようになることは目に見えていて、ブランド価値をただ一方的に毀損しかしていないと思う。上場企業だったら株価が下がるくらいのできごとだと思う。
「イキったヤンキーメンタルの成金ヤカラがやってるスクール」というブランドに魅力を感じる層がもしかしたらいるのかもしれないが数は多くないだろうと思う。
前後のツイートにも(私のような善良な小市民の目から見ると)不道徳なものが多いのだけれど、とにかく徹底しているのは「カネを持っているからエライ」というゆがんだ価値観で、わずかな教養があれば少なくとも口に出しただけで軽蔑されるたぐいの言説だとわかるはずなのだけれど。
ホリエモンも独特の放言で物議を醸すことが多いが、あれは自己責任論を少々履き違えて「貧乏なのは全部お前の責任」という極論を言っているだけで、「だからカネを持っている俺のほうがお前より立派な人物である」とまでは言っていない。内心もしかしたら思っているのかもしれないが、少なくとも、それを言わない程度の良識か、口に出すのは間違いだという常識はわきまえている。
「かずきち」氏はそのホリエモンの履き違えをさらに履き違えて、「金持ちの自分が貧乏人を小馬鹿にするのはかっこいいこと」と思っているようにみえる。それをブランディングだと考えているくらいだから、なにかポジティヴな効果が期待できると思っていそうではある。
こんな人間(しかもそれを隠そうともしない人間)ができあがる仕組みが本当に不思議で、ちょっと色んな人の考えを聞いてみたい。
親類に居てびびった。
高額商品とか定価がはっきりしてるタバコのカートン買いとかならまだ理解できる。
御用聞きの酒屋に醤油や料理酒を大量注文する老人、(NMYやAHPに)ベビー用品を買いに行く主婦。
増税後に値段どうなるかわからんし、なんだったら今は小売業してたら下手に割引しないほうが良いと考えられないんだろうな。
40万ぐらい手取りあったとして、一か月分を2%OFFで買っても精々8000円だし、そこまで買い溜めしないから、浮いて精々数百円だろう。
駆け込み需要ってんが今回はあんまりニュースになってないけど刷り込まれてる人多いんだなーって思った。
アナニーをやってみたいという気持ちがあっても、浣腸やローション挿入など面倒くさいし、腸を傷つけるのは怖いという思いから、なかなか実践出来ない人も多いだろう。今回は、面倒な事をせずとも、誰にでも簡単に、安全にアナニーの世界を覗く方法を教えよう。この記事は、全くのアナニー初心者向けのレクチャーである。
ペニスの快感をアナルに伝える初心者向け、ペニアナオナニーである。
ちまたでは(前立腺)は男の最高の快感である!等と言われていて、アナニーの根拠となっているのだが、それは間違いだ! 腸は元々性的快感を感じる場所ではない。繊細で傷つきやすい場所。だから、ペニスの様にディルド等で上下に刺激しても快感が出てくる事は有り得ない。そこをまず理解してくれ。だから闇雲にアナルを刺激するのは止めてくれ。大事な肛門と腸を傷つける事になる。
ではアナニーで快感を得るようになる秘密は何か?それは、ペニスの快感をアナルに(覚えさせる)事で、アナルを(性感帯)に変身させる!という事なのだ! アナル大変身である! ケツマンコの由来でもある。
その変身のテクニックを教えよう。
風呂場が最適な場所だ。用意するのはローションだけでいい。無ければ石鹸でも代用してくれ。片手はペニス、片手はアナル周辺を、両手、同じ動きになるようにマッサージしてくれ。恐らく最初はアナル周辺は全く何の快感も覚えないだろう。もし、最初から強烈な快感が湧き上がるとしたら、君は、選ばれたアナニストだったのだ。この記事を読む必要は無い。好きにしてくれ。
しかし、そうでない殆どの諸君は、ペニスの快感がゆっくりと高まるように、マッサージを続けてくれ。アナル表面の周辺も同じ様に刺激するのを忘れないでくれ。大事なのは、決して激しく動かさない事だ。あくまでも、ソフトに柔らかくペニスとアナルを刺激してくれ。 するとペニスの快感とアナルが一緒になる様な電気が流れる様な瞬間が訪れるだろう。これが訪れる時期は個人差があるのだが、ポイントは(ゆっくり、やさしく)刺激していくという事だ。それを忘れないでくれ。そして、ペニスとアナルの快感が一致した瞬間、ペニアナオナニーの超快感がやってくる!まず、初心者の君達はこのペニアナ感覚をマスターする様にしてくれ。
しばらくは、ペニスとアナル同時に刺激しなければ感じないだろうが、やがて、ペニスを少し触っただけで、アナルが反応する様になる。そして、ペニスの快感をだんだんアナルが覚えてくると、ペニスを刺激しなくても、アナルだけでペニスが勃起してくる様になる。しかし、ここまですらはたして何人のチャレンジャーが辿り着けるだろうか。
この先にも更なる快感のレベルがあるのを忘れないでくれ。究極には、このアナニーは、アナニーすら超越して、エナジーエクスタシーにまで辿り着くのである。しかし、今は、ペニアナオナニーを楽しんでくれ。これだけでも、普通のオナニーの何十倍もいいぞ。テンガなんて比べ物にならないよ。それでは諸君、頑張ってくれたまえ。
移民に対して低賃金で働かせていたり、女の子の性を買うことを搾取と呼んでる奴多いけど、いずれも「搾取」の拡大解釈だからな。
狭義の搾取は、無賃労働のことだ。移民労働も性労働はいずれも無賃労働ではない。
広義の搾取は「労働が産み出す価値に見合わない低賃金労働」になるが、まず性労働は当てはまらない。JKを1時間500円で奉仕させるのなら流石に当てはまるが、相場はこれの数十倍高い。これを搾取と言われても、バックネットを越えた投球をストライク判定するくらい的はずれな指摘だ。
そして移民労働は、産み出す価値自体はかなり低い。今治タオルもそうだが最終製品を購入する側があまり金を出さないので、価値はどうしても低くなる。つまり移民労働は産み出す価値に対しては適切な賃金になるから、これも搾取には当てはまらない。
ある年の政府による研究科学投資は、その5年後、10年後のGDPと強い相関がある。
別のいいかたすりゃ、競争力があるテーマなんて、その前の儲かると断言できないながーい科学技術の積立期間の末にできるもの。
iPSなんかだいぶ早い部類だが、それでも臨床研究まで10年かかってるし、
免疫チェックポイント阻害剤は30年かかってる。最近話題の全固体電池でも最初に取り掛かってから20年だな。
だけど、選択と集中で、すぐに実用化できるテーマばかりに国の金を集中したら、そりゃ新しいテーマも生まれんよって話。
小泉自民党の悪夢、民主党の悪夢。後、維新に政権取らせたら維新の悪夢によってさらに傷は深まるな。つーか、政府が何もしないほうが良い+すぐに成果が出るもの以外するな+不景気だろうが何だろうが財政均衡だ!の新自由主義の悪夢。
ついでに言うと、特許は20年たつと切れる。20年の間にコモディティに近い状況にしないと、海外のぽっと出のベンチャーがまずは特許切れの技術で金を大量に集め安かろう悪かろうで食い込み、売れ出したらその金でさらに研究開発をしてあっという間に市場をかっさらう。
3Dプリンタは一気に大量の新しい応用が生まれ(ただし日本は除く)、太陽電池もそれでだめになったし、リチウムイオン電池も今や世界トップは中国の会社。もう日本勢ダメだろうね。
唯一可能性があるのは、パナソニックとか、GSユアサとかが、リチウムイオン専用会社を作って、子会社から外れるのを覚悟で、専用会社として出資を募って、様々な研究に邁進することぐらいか。
リチウムイオン電池、太陽電池で市場を席巻した韓国中国メーカーみたいにね。
なので、まずは大学周り締め付けたらいいものができるってのをやめて、小泉自民の悪夢、民主党の悪夢由来のものを全部取り払い、大学の基礎研究を立て直すことだな。
ついでに、何か勝負する技術があるとしたら、専用会社にして、出資をどんどん募って邁進すること。
シャープの太陽電池と、ディスプレイも方向は正しかったけど、借金でやったがために資金が詰まってシャープ自体つぶれてしまった。
借金は返す必要がある。出資は返す必要がない。その代わりに、出資は出した金の何十倍の価値の会社にしないとならない。
これが、太陽電池専用会社、ディスプレイ専用会社を作って、その会社がシャープ子会社から外れること、かつつぶれることを覚悟して出資で金を募っていたら、案外、シャープの太陽電池、ディスプレイが世界を制覇していたのかもしれない。
京アニ事件、あれ、青葉真司容疑者は明らかに統合失調症だよね。
統合失調症は、人口の約1%が生涯の間に一回はかかる、非常に患者が多い病気。日本全体で100万人近くいる。遺伝や環境の影響は確かにあるが、可能性のある遺伝や環境要因を全部取り除いても、発症率は大きくは下がらない。つまり、予防はできない。
定期的な投薬で症状を寛解させるしかない。これも個人差が多く、投薬ですぐになおって一生再発しない人もいれば、投薬すれば症状は緩和されるものの薬止めたらすぐ再発とかいうケースもある。
だが、薬を飲めば多くの人が一時的に症状はよくなる(良くならない人もいる)。
厄介なのは、個人差が大きく、原因も治療法もとにかくハッキリしない病気だってこと。理解するのに科学リテラシーを要求される疾患。
遺伝や環境の影響はあるが、完全に遺伝や環境だけが原因ではない。遺伝や環境があると発症率が何倍・何十倍になるとかいう報告はあるんだけど、「これがそろったらほぼ確実に統合失調症になる」みたいな原因もない。以前、統合失調症は「遺伝にあまり影響しない」と書いたら、「あまり」って書いてて影響することはあるということをにおわせてるのに、「遺伝は関係するぞ!!!嘘をつくな!!!」みたいに粘着されたことがある。
薬で多くが寛解すると書いたら、これも「多く」って書いてあるのが読めないのか、「寛解する奴の比率はそんなに多くないぞ!嘘をつくな!!!」と粘着されたこともある。症状で薬を飲まなくなってしまう人の比率が非常に多い病気なので、薬を飲んだことが確認できた場合に症状がどれだけ寛解するか、の話をしているのか、薬飲まなくなってしまう場合も含めてどれだけ症状が寛解するのかという話をしているのかで、全然意味が違う。
青葉真司容疑者が定期的に投薬治療を受けていれば、あんな凄惨な事件は起こさなかったかどうか…は分からない。分からないし、医者は「分からない」としか答えたくないだろう。だが、その可能性は相当に高い。おそらく、適切な投薬治療の管理下にさえあれば、95%ぐらいの確率で、あの事件は防げたのではないか、と個人的には思っている。だが、この国の行政システムや医療システムは、統合失調症患者に投薬治療を施すサービスがとにかく弱い。彼は生活保護などの経済的なサービスは享受できたが、せっかく薬があるのに、投薬治療のサービスを国は彼に提供できなかった。そして、事件が起きた。
今回の事件で、ちゃんと統合失調症の患者に投薬治療を届けるような仕組みが出来上がればいいが、これも95%ぐらいの確度で、日本は真逆の方向に進むだろう。「真面目な青年が突然アニメやゲームで豹変」とか「幼少期の家庭環境が悪くて豹変」「被害者・被害者遺族の感情」というストーリーが大好きで、ちゃんとした科学的な原因分析をしないメディアの食い物にされ、全く有効でない対策しかとられないだろう。そして、統合失調症患者を丸ごと悪者にする自己責任論が跋扈して、「あんな凄惨な事件を引き起こす人間に、タダで薬をあげて甘やかすとは何事か!」みたいな意見が通り、統合失調症患者に薬は届けられなくなるのではないか…と思っている。
そして、5年後~10年後に、第二の京アニ事件がきっと起きて、またメディアが非科学的なストーリーを垂れ流して、世論が統合失調症患者全体に敵意を向ける…その繰り返しになるのが目に見える。
特許が切れると、どの企業が参加しても良くなるし、成熟した技術を元に大量に投資して、一貫量産でコストを一気に下げにかかる企業が現れる。
無論儲かりそうなら投資をするのが世の常なので、そういう企業が複数現れる。その企業間の競争で一層価格が低下する。
また、価格が低下すると、大量に売れ始める。売上も上がるので、更に技術が洗練される。競争が一気に激化することもあって、開発競争が強くなり性能が上がる。
そうなる前に、最初強かった企業が特許保持の20年のうちに大量生産、量産で価格を一気に下げて強くしておかないとならない。なお、各種電子部品ではそれができている。
3Dプリンタ、太陽電池で起きてきた流れだ。リチウムイオン電池もそうなるかもなと思っていた。案の定、テスラだとか、トヨタですら中国メーカーCATLと組むという流れになっている。
いま、リチウムイオン蓄電池の世界トップはその中国メーカーCATLだ。
出資環境が活発な場所で、ターゲットにする商品一本に絞って、どんどん出資を募って、蠱毒のように争い、最後の一匹になれた会社が勝つ。
今思えば、シャープも、ディスプレイ、太陽電池を専門企業として分社して、シャープの出資比率がどんどん減って、子会社から外れようが、「増資」で資金調達したら勝てたのじゃないかと思う。
シャープ本体と一体で「借金」で賄ったがために、返済の問題がおきて、本体も傾いてしまった。
増資は返す必要はない。その代わりにうまく行けば投資した金が何十倍になる。借金は返す必要があるが、うまく行っても、ちょこっとの金利分しか帰ってこない。
蓄電池はこれから大幅に価格が低下する。残念ながら、日本メーカーは勝者の立場にはいないだろう。
蓄電池だけ別会社にして、その会社を潰す覚悟+元会社の出資比率を下げ、子会社から外れるつもりでバンバン増資をつのればワンちゃんあるが、そこまで出来ると思えない。
ああ、ついでに、。反原発、親原発というが、太陽電池が上記の量産低価格競争にすでに突入している以上、蓄電池があれば基幹電源になる。
その蓄電池が安くなれば、原発は純粋にコストの面で使われるようになると思えない。今のままでは、蓄電池でも勝者に日本企業はいないだろうが。