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はてなキーワード: 内田樹とは

2012-01-12

内田樹ってもう大学教授じゃないよね?

橋下大阪市長内田樹についてつぶやいているんだけど、個人を攻撃すればいいのに「これだから大学教授は!」という文脈で攻撃してんだよな。でもこの人、もう大学教授としては「あがった」人なんだよね。変な話だなあ。それとも、橋下氏の目の届く範囲で、内田氏が高等教育現場に復帰することを阻みたいがために言ってるんだろうか。

ていうかさ、橋下氏のとこで政策の手伝いをしてる人の中に大学教授はいないんですかね? よくあんな乱暴な物言いを許してるなあ。

呪い」はツールで封じるべき

前記事

■なぜはてな敬遠されるようになったのか

http://anond.hatelabo.jp/20120108211250

一応、真面目にちゃんと反応してくれた人もいるので、もう少し突っ込んだ話を。

内田樹呪い時代に」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28694

自分も先の記事は内田先生のこの記事と概ね同じ感覚で書いたつもりなんですが、「呪い」と表現するとはさすが巧いなぁと思うんですが、結局、これは過去と比べて人がそのように攻撃的に変わった、という話ではなくて、ツールの出現によって人のどうしようもない部分が顕在化され、増長されている、ということなわけで、本来はツールによってコントロールして抑制されて然るべきだと思うんですよ。人を罵ったり、嫌味な人間が悔い改めていきなり消えるわけないですからね。ありがたい説法も馬耳東風であります

こういったネガコメというか罵倒や中傷への対応については、4~5年前からはてなは度々指摘され、はてなが抱える課題であったはずなんですが、はてなはやる気がなかったのか、まったく効果的な解決策を見出せなかったんですね。もちろん、コメントの非公開であるとか、はてなスターであるとかで対応しようとしたんですが、如何せん効果がなかった。そりゃそうです。匿名ならまだしも、投票した側のidがわかるスターなんて使う人はヘビーユーザーに限定されます。すでに腐りかけているところに記名制の投票制度なんか設けても、大きな流れを変えるような発言は封殺され、内容そっちのけで内輪の笑いを取りにいくだけです。まともな批判であればいいんですが、それすら目立たなくなってしまうんですね。

こうなってしまうと、良識ある企業なんかは、自社のページにはてブボタンなんか置くはずがないんですよ。現に自分仕事制作した企業サイトには、いいね!ボタンツイートボタンmixiチェックは置いても、はてブボタンなんか置いたことないです。そしてどんどん日陰者になっていってしまう。別に2chを目指すのであれば、それでいいんでしょうがはてなの目指すところはそこだったの?ということを言いたかったわけです。

次記事

はてブAmazonを見習えばいい

http://anond.hatelabo.jp/20120114200332

2011-11-12

内田樹って何で人気あるの?

言ってることがゴミしか見えないんだが。

マジで疑問。

2011-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20111028122623

ちきりんはともかく、内田樹小田嶋隆は「根拠は無いが腑に落ちる話」を書ける人だな。

ちきりんと、

内田樹と、

小田嶋隆と。

いい事を書いてるな~という気がして読むんだけど、

なにか読んだ後に違和感がある。

なんだろう。

なにか共通点でもあるのかな?

2011-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20110918224904

なんだこの記事。主張は分かるし、日本語はほめる言葉少ないとよく言われるし、日本人は無言でサービス受けとるしな。

けど、何この無内容で焼き回しものを丁寧に包装してみただけの記事。

ブクマ狙いなのかしらんが、はてなブサヨ巣窟だみたいにレッテル張られるのも仕方なく思えるわ。

社会」だからキリッって、20世紀前半のフランス思想をさも自分発見のように語る内田樹並に寒いわ。道徳教科書かって音読してろ

2011-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20110822235608

内田樹社会学素人だし、学者としてどうかと思うけど、どっちにしろ大学やめたんでしょ

2011-08-20

サブ・カルチャーが力(power)をもつこと、教養のはなし

浅田彰Wikipediaページを読んでいた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E5%BD%B0

長いけど引用

人文知の現在については、『表象』no.01(2007)における松浦寿輝との対談において、「プラグマティック工学知とそれによる利潤追求がすべてだ」(テクノキャピタリズム)という発想の全面化により、「人文知の成立する余地が失われた」。「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」。残っているのは、「日本における動物スノッブあるいはスノビッシュな動物としてのオタク、その幼児的倒錯」しかないように見え、実際、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしま」う。「2000年前後に、ドラスティックな変化があった。それまでは近代文学というものが辛うじて生きていた。しかしいまやそういう意味での文学とは違うところ、いわゆるライトノベルケータイ小説アニメゲームのほうが、主流になってしまった。文学もそういうふきさらしの荒野に出てしまったと言う感じははっきりする」

しかし「素直に言って、僕はそういうものは最悪だ」と思うし、「市場論理がすべてだとは絶対に思わない」。とはいえ、それらへの「反動として、ヨーロッパ的(あるいは東洋的)な古きよき教養に戻るというのも望ましくもなければ可能でもない。亡命知識人の体現するヨーロッパアメリカ臨界に、20世紀の人文知の最大の可能性があった。それを21世紀にどうやって取り戻せるのかというのが、ひとつモチーフになる」と述べている。

この鋭さはやはりすごい。

これについこの前の内田樹の話がかぶってくる。

http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php

こちらは引用しないけど、ネット上の言論が暴力的になってきているという彼の印象と、それについての言説。

で、

サブ・カルチャー社会において力を持つということは社会教養レヴェルが(全体的に)落ちたということではないのか?

教養の不足、というのは、他者との距離感を錯誤する。わたし、と、あなた、の違いが曖昧しか感じられなくなってくる。

総理大臣に『バカッ!』ということが、冗談でなくて本気で彼に伝わる、そんな感覚さえもつようになるのでは?

そして政治家もまたひとしく教養を欠き、彼らの十八番であった言葉遊びができなくなって、記者会見で泣き出す?

政治家でない私が政治家と違うのは、互いの囲まれた環境(circumstance)が違うのだから当然で、彼の言葉を理解できないから『理解しようとする』。

今そういうことを皆できなくなってきてるのではないか

『おマエ氏ね』と書き込むひとは、案外以前より一層、本気で書くようになってきたのではないか

二人のコトを読んでそんなことをぐるぐる、もやもや、考えた。

2011-05-29

アルファブロガー(笑)を分類してみた

http://alphabloggers.com/

2010だけトップにない。あと知らんの多すぎ。

いいんじゃない

どうでもいい、知らん

ゴミ

2011-03-19

内田樹先生はもうちょっとましな人間だと思っていた

http://www.asahi.com/national/update/0317/OSK201103160089.html

 

 しょうがないから、僕はネットで安全な西日本などへの「疎開」を呼びかけている。とりあえず、妊婦幼児病人児童生徒たちは、用がなければ被災地と救援の活動拠点となる都市部を避けた方がいい。

 政府可能な人には「疎開」を呼びかけるべきだろう。東北関東から100万でも200万でも人口が少なくなれば、資源への負荷も軽くなり、救援の資材や人員の搬送も円滑になる。

100万人をどうやって運ぶのか、どこに住まわすのか、親と子供が離れると言うこと、それぞれその現実的な姿を想像したことがあるのだろうか。

その上で、お友達の『大阪市長が市営住宅500戸を提供する』と。

500戸に何人住めるか知ってるんだろうか。

 

ほんと、冷静に考えろよ。

疎開アイディア自体は否定しないが、万単位限界だろう。

100万人が動くことが冷静に想像できない程度の人間だったのか。

内田樹先生になにかを期待した私がバカだったのだろうと思うが、宮台・東レベルとはね。

2011-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20110206190916

お返事ありがとうございます

http://anond.hatelabo.jp/20101111151244増田です

とってもお返事遅くなりましたすみません

いただいたお返事,ちょっといろいろ話が入っているので,

ひとまずある側面だけ取り出してまとめると以下のような話でいいでしょうか.

上記の解釈が正しいとすると,

解雇規制緩和の是非や,実現方法について議論をしたいわけではなく,

たくさんいるであろう解雇規制緩和反対派の方を説得したいわけなんですかね.

正社員職が(契約社員派遣フリーターなどの非正規雇用職に比べて)特権的なものであると薄々自分でもわかっているからこそ、解雇規制に反対する。まさか、自分の今の地位的経済的な裕福さが、非正規雇用の人の”犠牲”の上になりたっているという厳然たる事実を、正社員の人は明示的にでないにしてもわかっている。無意識的に理解はしていても、それを事実であるとは(口に出して、明示的に)認めたがらない。「自分が、他人の“犠牲”によって成り立たせるような”悪い”人間はない」と思い込みたがるというバイアスがかかっているから。

実際に、民間企業正社員として勤めてる友達に話そうとしても、仲がこじれそうで気軽に言えないわけですよ。理解力ある人ならいいけど、そうでない人に関しては絶交されるのも覚悟するくらいの意気込みで(それくらいの強い意志をもって)話さなきゃいけないのは辛いです。

ううむ,絶交を覚悟してまで友達にその話をする意味があるでしょうか.

そもそも元増田も納得してくれたように,

3.ロジカルに正しいかどうかではなく,既得権層が納得できる(合理的に選択しうる)シナリオの提示が解雇規制緩和には必須

なわけなので,真正面から解雇規制緩和論を,

しか解雇規制下の既得権層の不道徳を指摘しながら言えば,

そりゃまぁ誰だって気を悪くしてしまうのでは.

先進国の裕福さは途上国犠牲によって成り立っている!有り金すべて寄付しろ!」とか,

人間の裕福さは他の生物犠牲によって成り立っている!霞を食って生きろ!」とか,

頭ごなしに言われたら誰だって気を悪くするでしょう.

元増田が挙げた内田樹氏の話(http://blog.tatsuru.com/2010/04/02_1243.php)の中にもあるように,

解雇規制問題に無理解なバッドガイ」を安易に設定して議論するのはあんまり得策ではないと思います.

むしろ典型的反対派である友人の話に耳を傾け,前述の説得シナリオのヒントを得ようとする方が建設的では.

法的な問題は詳しくないので、あくまでも、一人の法律に関する素人として、日本社会の一人の市民としての意見として読んでください。

えーと,整理するとこんな感じでしょうか.

問1については納得です

問2の「安易な正義感に私たちが乗っからないこと」というのも,なるほど.

ただ,元増田も同意してくれたように,

>つっこみを入れる人は意見を言うだけにとどまって具体的なアクションにつながっていないので変化が見えない,

これはまさにそのとおりだと思います。リアルにしてもネット上にしても。

突破するためにも,問2についてもう少し踏み込んだ話がほしいですね.

もちろん私も元増田素人なので,私たちだけじゃあんまり実のある議論になりませんが.

ということで,ぜひどなたか燃料投下をお願いしたく.

こちらの増田への返信でも可ですhttp://anond.hatelabo.jp/20110201001407

あと,話がまた説得モードに飛んでいますが,

解雇規制問題点について整理するとこんな感じですか.

個人的にはいずれも納得ですが,

問題となるとすると「解雇規制緩和格差拡大は本当に防げるのか?」という点,

一歩踏み込んで解雇規制緩和ありきで考えると,

格差拡大を防げる解雇規制緩和とはどのようなものか?」でしょうか.

結局のところさっきの「踏み込んだ話がほしい」になるわけですが.

2011-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20110216165623

今回は日記の反応を見て思い浮かんだことを述べていきます

(そもそも私は「鹿島茂(2003)『勝つための論文の書き方』(文藝春秋)」を踏まえてこの日記を描いています。)

まず、先日の日記(◕‿‿◕)ラノべえ「そんなことより僕をテーマにして研究生になってよ!」に対して

意図に反して論文に対する、あり方や手法という点で反響してしまった

というのが全体的に見て思ったことです

論文のあり方については多様でいいと思うので、ここでは問題としません。

前回の日記も「テーマの意義」についてでしたので、テーマを決めた時の「どこまで問題点着眼点を絞るのか」に対する考察しかありませんでした。(問題と目的(序文)、手法、結果考察(本文)、今後の課題、といった論文段取りの全ての「前提」としてテーマを取り巻く要素から研究意義」を考察しただけです。要するに自分テーマのみを考えるだけでは社会的な前提や研究意義にはならない可能性が高い、あえてテーマの外部にあるであろう要素から迫る方がテーマ本質は見やすい、ということでした。)

無論、このことは研究に対してのモチベーション維持に関係するだけではなく、実際に調査をする上での注意点や考察を書く上での前提になりえます

また、よくありがちな「結局何が言いたかったのかがわからなくなる」のを防ぐ役割があると思います。

論点がブレないための論文の前提としての考察に、引用が多すぎることは、深く考えるだけ無駄でしょう。

今回、論文を書く上で問題だと思ったのは「引用の多さが恥に思える」点です

 この考え方の背景には、論文を書く上での前提が「前人未踏であることによる自分らしさ」となっているということだと思います。

なるほど、たしか自分の考えを誰の考えも前提とせずに書けることは素晴らしいと思います。そんなことをしてのける天才になってみたいものです

しかし、私は賢い人が論文を書くのではなく、疑問に思った人が論文を書くべきだと思います。

それに、仮に体裁を気にして、できるかぎり自分で考えた結果を主張をしたものの、「それって〇〇といってること同じだよね、どう違うの?」なんて聞かれたら(○○について知っていても、知らなくても)終了してしまうようなシビア世界でもあります

未踏であることは前提ではありますが、自分らしくあることに前人がいてはいけないということはないと思います。

というのも、時代によって物事のあり方は変化していくので様々な観点での検証の余地がでてくるものだからです

例えば、「既存の手法を別の目的転用する」というブリコラージュという手法もあります。(横井軍平さん風に言うと枯れた技術の水平思考ですね。)

「こんな考え方が認知されているんだから最新の研究である、私のテーマでも適用してみます。」は研究の観点的に未踏なのです

ところで、内田樹自分らしさについてこんなことを言っています。

自分らしく」ふるまうということは、「他人の模倣をしない」ということである。ところが脳科学の知見が教えるとおり、人間というのは他者の模倣を通じて固有性を形成し、他人の思考や感情を模倣することによって人間的な厚みを増してゆくものである

階層化する社会について (内田樹研究室)(http://blog.tatsuru.com/2010/11/10_1216.php)

また、欲望とは他者の欲望の模倣であるとする「欲望の三角形」というルネ・ジラール理論もあります

つまり、「○○好きな自分」は別の「○○好きな誰か」たちを模倣し、複合した結果になります

模倣したことを恥ずかしく思うよりは、模倣することによって何か一つでも自分の観点に自分だけの結論が見いだせるならば、

それだけで素晴らしいことではないでしょうか。

そのプロセスを隠すかどうかは、正直馬鹿しい事のようにさえ思えます

(◕‿‿◕)ラノべえ「そんなことより僕を研究にして発表してよ!」http://masuda.livedoor.biz/archives/51603662.html

まとめサイト考察に関する批判をいだだきました

・読者にとっても作り手にとってもクソの役にも立たない研究ってくだらない

→あくまで、役に立つか、ではな真剣な問いがあるかで研究は考えるべきだと思います。好きだからでは駄目です。役に立つかどうかは考え方で決まります

・読者を楽しませようとする=読者にないもの提供するという一面は当たり前だけどラノベ萌えに限った話じゃなくすべて外部性

セカイ系というジャンルに言及出来ていない点で不完全でしたセカイ系というジャンル考察定義を踏まえるとラノベ萌え包含する範疇です

引用したかっただけ・文脈で引っ張らずに個別に切り貼りしてんじゃねー

→少しでも「女性という存在外部性とを遊戯的につなげている文学メディア媒介装置)」であることをまず認識して欲しかったという点で細かな引用しました引用があまりにも細部に及んだ場合拡大解釈に繋がりかねないことは度外視しています。web以外で探せるならば文脈で引用ができますね。その点で浅はかな引用した。ただし、書籍引用デリダの読解(「ハイデガーニーチェを読解したものの」デリダの読解)はフェミニズムという点でデリダの中で一貫していると本人が発言した書籍内にもありましたので問題ない部分です

モテない男は女性性の代償行為としてラノベを読む。代償行為はラノベに限った話ではないが、じゃあラノベを取り上げるのはなぜか。どう違うのか。どう意味が、時代性が。

マクロ社会を語りたいの? 現代オタク内面を切り分けたいの?

→まさに批判された指摘部分に焦点を当てて意義を捉え、調査すべきですね。つまりマクロ現代社会の延長としてのオタク内面を切り分けていくべきだと思います。

2011-02-06

[]正社員既得権ってまだタブー視されてるの?(´・ω・`)

正社員既得権ってまだタブー視されてるの?(´・ω・`)

http://anond.hatelabo.jp/20101111151244

中の人です

結構多くの人に読んでもらえたようで嬉しいです

トラックバックの中の内、http://anond.hatelabo.jp/20110202044044に対して、自分の分かる範囲で答えたいと思います。

自分もすべての事に関して詳しいわけではないので、わからないところもあります。その点はご容赦頂きたい

http://anond.hatelabo.jp/20110202044044

ということで,

と言えると思いますが,どうですか.

まさにその通りだと思います。

正社員職が(契約社員派遣フリーターなどの非正規雇用職に比べて)特権的なものであると薄々自分でもわかっているからこそ、解雇規制に反対する。まさか、自分の今の地位的経済的な裕福さが、非正規雇用の人の”犠牲”の上になりたっているという厳然たる事実を、正社員の人は明示的にでないにしてもわかっている。無意識的に理解はしていても、それを事実であるとは(口に出して、明示的に)認めたがらない。「自分が、他人の“犠牲”によって成り立たせるような”悪い”人間はない」と思い込みたがるというバイアスがかかっているから。

実際に、民間企業正社員として勤めてる友達に話そうとしても、仲がこじれそうで気軽に言えないわけですよ。理解力ある人ならいいけど、そうでない人に関しては絶交されるのも覚悟するくらいの意気込みで(それくらいの強い意志をもって)話さなきゃいけないのは辛いです。

ということで,

と言えると思いますが,どうですか.

的確にまとまっていると思います。私にこれだけキレイにまとめるだけの文章力はないですw

5.については、あまり深刻に考える必要はないと思います。

解雇比較的自由な理想的な労働市場想像してみればわかると思うけど、今の正社員職と非正規職の垣根がなくなるわけです。つまり、(理想的な市場であれば)全員が正社員といってもいいし、全員が非正規雇用者になるようなものだと思います。解雇されやすい代わりに再就職もしやすい、そんな環境です

解雇規制緩和脊髄反射的に反対している人は、「会社に必要とされていない」と本人が一番感じているから反対するのかもしれない。解雇規制が緩和されたとして、会社労働者解雇しだすのかどうかというと実際はそんなことはないと思うのですだって企業が、その企業に固有の慣れ(職場人間関係や慣習)を身につけている人をわざわざ解雇して失われる利益と、新しい人間を雇ってその企業に慣れさせるコスト比較したら、手間をかけて解雇して手間をかけて新たに雇うのはバカバカしくなるだろう。

だとしても、「自分解雇されてしまう」と思う人は、「自分のやっている仕事は誰にでもできる仕事だ」ということに薄々感づいていて、言ってみればその会社に見切られたときに、他に行くあてがないということが分かっているのだと思う。つまり、その会社にしがみついていて、放り出されるのが怖い。クビにされたら再就職もままらいから怖い。それは労働市場において自分価値が低い、と自分でもなんとなくわかっている人だと思う。

日本雇用終身雇用年功序列新卒採用- を撤廃させるには、つまり雇用が流動化されるには少なからず混乱が起きるだろし、 落ち着きを取り戻したとしても決して全員の給料が良かった時代には戻れないだろう。 雇用流動化によって損をするのは既得権をもった人★29だ。誰も損をしない革命★30なんかありえない。 彼ら、いやあなた自身が血を流さなければ状況は全く変わらない★1-10

「彼ら,いやあなた自身が」というのは誰なんでしょ?

解雇規制により恩恵を受けている人(既得権を持った人)ということなですかね.

解雇規制により恩恵を受けている人(既得権を持った人)

そういうつもりで書きました

上にも書いたとおり、労働者の大半をしめる正社員職の人にこそ、むしろ読んで欲しい、考えて欲しいと思って、先のエントリを書きました

ちなみに http://anond.hatelabo.jp/20110130114254 のつっこみによると,

解雇規制や法の問題ではなく,企業労働者ルールの問題らしいですね.

その辺の「具体的に何を変えるべきか」も明らかにしていかないといけないですよね.

法的な問題は詳しくないので、あくまでも、一人の法律に関する素人として、日本社会の一人の市民としての意見として読んでください。

http://twitter.com/theophil21/status/26808239597289472#

(1)同感です。周知のように日本の法制度は、ドイツなどと異なり「正当な理由がない解雇違法」というルールを設けてはいません。先進国ならどこでも違法である差別解雇や、期間を定めたにも関わらず期間途中で解雇する場合規制しているほかは、労契法16条があるだけです

労働契約法に関してです

解雇)第16条: 労働契約

http://roudoukeiyakuho.seesaa.net/article/89148150.html

◆ 定年制 ◆

 就業規則に定めた定年制が、労働者の定年に達した日の翌日をもって、その雇用契約自動的に終了する旨を定めたことが明らかであり、かつ、従来この規定に基づいて定年に達した場合は、当然雇用関係が消滅する慣行となっていって、それが労働者にも徹底している限り、解雇の問題は生じない。    

しかし気を付けなければならいのは、定年後引き続き継続雇用されるという慣行があり、特定の労働者だけを継続雇用しないということになったら、定年による退職はなく、解雇の問題が発生してきます。☆   

まさにこの法律が反映された司法判決に関して城繁幸氏が指摘したことがある

http://twitter.com/joshigeyuki/status/8467969965297664

これ結構キツイかも。ますます内定率が落ちていく様子が目に浮かぶ。:定年後の雇い止めは無効「雇用継続期待できる」 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/policy/467815/

http://twitter.com/joshigeyuki/status/8483360695394304

裁判官コメント意訳「業績悪いか嘱託雇い止めしたいっていうけど、新卒採っちゃダメでしょ。まず新卒採用から中止しないと」 もう無茶苦茶http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/policy/467815/

http://twitter.com/joshigeyuki/status/8629180774227969

問題の企業、従業員46人の中小企業なんだな。よく中小はクビ切り放題って言う人がいるが、だいたいはこういう風に法律守ってる。つまり、この判例はそういった多くの中小企業にも「負の影響」を与えるということ。

定年後の人を解雇できずに、新卒採用が絞られる。

この司法判決一つで、数百、数千の新卒採用の枠が狭まっていく。

それはつまり世代間格差を助長させる。

http://twitter.com/theophil21/status/26813074828697600#

(8)わかりやすく言えば、「雇用は保障するから企業に服従せよ」という使用者側の提示に労働者側も応じていた、というのが実態でしたしたがって、それにもかかわらず使用者が「めったなこと」も生じていないのに解雇することは、約束違反になるので、裁判所はこれを「裏切り」と判断してきました

終身雇用年功序列賃金とは、若い時の給料を不当に安くされるかわりに、ある程度年をとってからその分を貰うという後払いのことだ。

今までなんとなくは分かっていたのだが認めたくなかった。

それはつまり、今まで(バブル以前まで)の経済発展はある意味虚構だったのだ。

それはつまり、使用者は本来支払うべき賃金を後回しにして、その分を設備価格競争投資して業務拡大してきた。それが通用したのは団塊世代が40を超えるころになる1990年ごろまでだった(下記の画像参照)。1990年代バブルの後処理でおわれたのでなんとなくやり過ごした気になっていたかもしれないが、団塊世代が高年齢化していくにつれ構造的に人件費が膨らんでしまう。

そして、そのツケは先の氷河期世代が負ったわけだ。なぜ、1990年以前はそれが通用したのかというと、すべての人、低所得者も含めての人の賃金があがっていったからだ(少なくともそういう幻想を抱けた)。それができなくなったのは、先の構造的欠陥もあるのだろうが、一番大きいのは物価が上がらないことだろう。そういう意味財務省日銀が(インフレ目的した)大胆な財政金融緩和を打たないのかが皆目わからない。

団塊世代が引退していく2006-2008年だけは特に景気が良く新卒採用も活発だったが、2010年から次の就職氷河期がツケを払っている最中だ。

今、画面の目の前で「んなモン、今の大学生勉強してなくて馬鹿なだけで自己責任だろ」なんて思ってるそこのアナタに朗報!

そもそも、いつの時代も8割の大学生勉強なんかしてないでしょう。団塊の世代学生運動ばっかだったし、バブル期入社の人も研修旅行と称した拘束旅行に行ってたわけで。ちゃんと勉強している2割の人はいつの時代でもちゃんと就職出来てるわけで。ダメ人間で何もしない2割の大学生はいつの時代でも就職できないわけで。で、俺が問題にしているのは、遊んでいたとしても6割の普通の人は昔は就職できたのに、今の時代に生まれちゃっただけで就職できないっていうのは可笑しな話でしょう?

百歩譲って、そのことは認めたとしよう。それでも、この上下世代間格差と同一世代内の格差をどうにか吸収できるシステムを構築しないと、勝ち組アナタも結局不幸になるんですよ?え、だって、今の30代(=氷河期第一世代)って、世代内でものすごく格差があるでしょ?(参考→格差世代 - Chikirinの日記 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080421)

これ、ほっとくと危ないですよ。まだ、30代で派遣だったら今のところ問題がないように見えるかもしれないけど、20年後、30年後は間違いなく社会に負担が掛かる。それは生活保護受給者の激増という形に現れてくるだろう(予言)。正直、今の生活保護制度が問題ありすぎるから、そのころまで今のままの制度っていうのはありえないと思うけど、それに変わるセーフティネットに負担がものすごく掛かるだろう。それを負担するのは「自己責任だ!」と叫ぶ我々自身だろう。

この国の労働構造を変えないで子ども手当も何もあったもんじゃない。

そもそも定職につけなければ子供を生もうなんて思えやしない。

それが大半の人の思うところだろう。

日本GDP画像http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04122001/013/image/001_002_01.gif

(ソース)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/04122001/013/001.htm

http://twitter.com/theophil21/status/26814303956897793#

10)これに対して、濱口桂一郎先生が強く指摘されているように、中小零細企業では、「解雇の自由」という原則がずっと定着しており、国際的にみてもそれほど日本が異質なわけではありません。 他方で労働者の移動も頻繁であり、雇用保障と絶対的人事権の取引関係は希薄です

中小企業にとっての解雇規制大企業にとっての解雇規制は大きく異なる。

大企業は、裁判沙汰になって信用が失墜するのを恐れて今の法制度(法律司法判断、省令等)では整理解雇をできない。事実上倒産したJALですら整理解雇違法であるとして元従業員から訴えられている。普通に考えればそこまでリスクを取って整理解雇しようと思わない。

一方で、中小企業社会的信用はそこまで気にしなくてもよいので、バシバ解雇してしまう。

下でも言うように法律による解雇規制はそこまで厳しくないが、規制を頑なに守って身動きがとれない大企業規制を建前として遵守しようとしないブラック中小企業に二分化されている。

参考↓

規制”と“規制監視監督”の違い - Chikirinの日記

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090112

世代間格差若者犠牲者!? 老人天国ニッポン~」 - BLOGOS編集部 - BLOGOS(ブロゴス) - livedoor ニュース

http://news.livedoor.com/article/detail/5061847/?p=7

一方で、解雇規制の緩和方向に法律を変えたら、状況も変わると言う人が多いけれど、もっと根深い問題ですよね。実は法律上の解雇規制はそんなに厳しくない。大部分は司法でやっています。しかも、その司法判断を支えているのが、マスコミ正義感です労働弁護士とか、昔ながらの左翼的な人がたくさんいますよね。現在日弁連会長を含めて、正義の味方でメシ食っている人がいっぱいる。そういう人たちがマスコミは大好きなんですよ。

解雇規制に関しては、法律による規制が問題・なんじゃなくて、それの法律を元にした(城繁幸氏が指摘したような)司法判断が問題になっている。

このことは池田信夫氏が言うように非常に根深い。そして、私自身は(法律に疎いので)法律をいじれば解決するのかどうかはわからない。解雇規制法律上の問題ではなくて、司法判断の問題だとしたら、そしてそれがマスコミ正義感(つまり日弁連社民党共産党のように、正義を実践しれいるつもりなのだがそのことによって構造的に不幸を作り出している偽善的な正義感)に支えているとしたマスメディアの問題でもあるし、そのマスメディア情報を無批判に受け取っている我々自身の知性の問題であると思う。

参考↓

マスメディアの凋落 (内田樹研究室)

http://blog.tatsuru.com/2010/04/02_1243.php

正社員既得権ってまだタブー視されてるの?」というタイトルだけど,

個人的には別にタブー視なんてされていないけど,それでメリットを受けている人がたくさんいるのでつっこまない,

つっこみを入れる人は意見を言うだけにとどまって具体的なアクションにつながっていないので変化が見えない,

>個人的には別にタブー視なんてされていないけど,それでメリットを受けている人がたくさんいるのでつっこまない

私は、上にも書いたように、頭の硬い友人には「話せない」わけですよ。

別に本人は自分幸せならいいのかもしれないけど、彼は社会がどうあるべきか、という理念がない(ようにみえる)。

で、鋭い友人は先のエントリとこのエントリくらいのことなら大体分かっている。

で、大半の人(私の周りの友人含めて)は前者なわけであって、リアルではカンタンに話せることじゃない。

それを、私は「タブー」といっただけです

>つっこみを入れる人は意見を言うだけにとどまって具体的なアクションにつながっていないので変化が見えない,

これはまさにそのとおりだと思います。リアルにしてもネット上にしても。

2011-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20110203192042

それに加えて相手の意見を絶対に認めないのも好きじゃないなー、ネットって。

自称東大生が増田に多いのってなんでだろうね。

本物もけっこういるんだろうけどさ。

やっぱり匿名って、やなこと多いよね。

すかして批判するのがステータスって思ってる人も多いしねえ。

はてブたいに、責任がはっきりする言説ならもうちょっとまともになるのかねえ。

「俺、東大卒だけど」のかわりに「俺、内田樹だけど」「俺、東浩紀だけど」っていうのはやらせようかな。


まあ、増田なんかやめてみんなで前田になれってことだね。

おにいちゃん。

2010-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20100913170250

福沢諭吉の「立国は私なり、公に非ざるなり」という言葉をおくります

参考: http://blog.tatsuru.com/2010/10/11_1212.php (内田樹, 公共性と痩我慢について)

2010-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20100704232915

所有欲によるところも大きいと思う。

自分のもの”にしたい。

今の若者レンタル世代だ、と言ったのは内田樹だったかな?

所有していなくても平気、という人も増えてきている。

けれども僕はクルマが好きだから持ちたい。しかし、感情の問題だけじゃないだろ。利便性とか経済性とか。

毎日クルマ通勤する人にとっては、レンタカーよりカーシェアリングより、クルマを持っていたのほうが便利だろうから。それに都心部であればクルマがなくても、レンタカーで済ませても平気だろうけれど、地方へ行けば自分クルマがないと暮らしていけないぞ。

2010-06-12

2010/6/12 内田樹

内田樹の著作が好きなんだが、左翼なところは嫌い。

右翼内田樹風な著作を出している人はいないだろうか?

2010-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20100322004622

アニメを見る → オタクになる」じゃなくて、「社会とうまく接することが出来ない → アニメに逃避する → 「オタク」と称される」って因果関係だと思うんだけど。

それに、金銭的な、内田樹が言うような「絶対的貧困(だっけ?)」だけが社会的弱者だったら、はてこさんふくむ女性も、共産党ビラまいて逮捕された人も、朝鮮学校通ってる人も社会的弱者じゃなくなるし、救う必要もないんじゃないの?

そこらへんの境界線がよくわからない。元増田です。

2010-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20100301023202

まーそーです。でも我々の場合、民主主義っつっても立憲民主主義なので、憲法の部分でなんか粘らないと、本当にダメ民主主義になってしまいます。


構造主義内田樹の解説本くらいしか知らないんですよね。構造と(差異で一個一個区別される)要素は一体で切り離せないということと、「作者がどう思ってるかではなく、どう読者に読まれるかが重要だ」という理解しか持ってないのです。

私が読んだことのある哲学者といったらベンサムミル功利主義系)とカントヘーゲルドイツ観念論系)とフッサールハイデガーレヴィナス現象学系)で、構造主義とはつながってないんですね。済みません。(そういやこの前大学の頃の『全体性と無限』のメモ書きをはてなダイアリーに要約しました。大変でした)

構造主義に批判されている実存主義もよく分からない世界です。(wikipediaにはハイデガーには実存主義に大きな影響を与えたと書いてあるが、現存在のくだりだろうか)

2010-02-14

狂人失格』を読んでみようかなと思った理由。

 友人に中村うさぎが大好きな人がいた。

 本が好きと言っていたけど、たぶん生き方とかも、あれこれ気にしていた気がする。

 なれるものならきっと中村うさぎになりたかったぐらい、好きだったんじゃないかと思う。

 中村うさぎの本は、当時角川スニーカー文庫で『ロードス島戦記』を読んでいた流れで、その系列は片っ端から読んでいた。

ゴクドーくん漫遊記』にはそれほど大きな思い入れはないけれど、いまにして思うと人によってはもっと違った映像が見えたのかも知れない。

 友人はもういない。

 もっといろいろ、話したいことがあった。


 友人には「よく君、生きてられるよね」と言われたことがあった。

 ひどいとは思わなかった。

 いまも大してかわっていないけれど、仕事が無く、当然お金もない私を、ご飯に誘ってくれたりお菓子をくれたり。

 人には決してなつかない、野良犬気質の私に、よくまあ興味が続くものだと不思議に思ったぐらいである。

 死にたくならないかという話だったのだろうけど、それはもちろんある。

 でもどういうわけか、薬を用意したり、高いところに登ったりとか、そういう気分になったことがない。

 だからそういう思いにとらわれる人と私とは、なにか根っこの部分が違うのかも知れないと感じたものである。

 この先もそうと言えるかは、ちょっと自信がない。


 中村うさぎの新作インタビューに気がついたのはたまたまだった。

「これまでで一番醜悪な作品」。

 うわっ、と思う。

 でもなぜそうなのかがインタビューの中で説明されていて、ついふむと頷いてしまった。

「女の世界では自虐する者こそ王になる」。

 そう考えて行動しているのなら、中村うさぎ王道を走っていると言える。

 まあ考えて行動しているからといって、それが本当に王道であるかは確かではないけれど。

 信心の一種だと思う。

 その中にあった、優花ひらりの説明に、「自己顕示欲がありながら、あんなに自意識のない人もいないんだよ」というのがあって、ああそれは私のことだと思った。

 それにしても優花ひらり誰だよ、と思って調べても出てこない。渚水帆? やっぱりよくわからない。


 内田樹先生が『Twitter自殺について』で言う、「寒い、暗い、ひもじい」上に「信仰もなく孤独」であるので自殺リスクは相当高い。

 実はここのところ歩きながらやるぐらいツイッターにはまっていて、これまで何日携帯を放っておいても電池が切れないと、鳴らない電話をもてあましていた状態が、一日で電池が切れかけてビックリしている。

 ツイッターは鬱改善いいんじゃないか、そういう事を言っているのかなと思って内田先生の記事を読んだのだけれど、全然関係がなかった。 

 ツイッターと事と自殺の事を書いてるだけだった。

 でも自意識の発散にはなっている気がする。

 ひどく苦しんでいた友人に、ツイッターがあったらと。そんなことを思った。


 にしても『狂人失格』、高い。

 買うにはいろいろ動員しないと。


※ご指摘がありまして、タイトル間違えてました。申し訳ございません。『狂人日記』ではなく『狂人失格』です。滝本竜彦の『超人計画』とどっかまざってしまって。これもなぜか『超人日記』と覚えてました。『超人日記』は山本貴嗣

2010-02-06

こうして君たちはまた、インテリに騙される

橋下知事に直言】(上)「政治手法は『いじめ型』」 神戸女学院教授内田樹さん

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100204/lcl1002040807000-n1.htm

学力」のとらえ方を間違えている。学力は文字通り「学ぶ力」であり、学びへの欲求が活発に動いているかどうか。テストの点はその一部にすぎない。

確かに良い事を言っているように聞こえるが、これは昔からよくあるインテリごまかしである。学力テストの点数だけでは測れないにしても、それと「テストで点数を取れなくても良い」というのでは話が別だ。

ホンネとタテマエの日本

日本の現状を見てみよう。「テストの点数では測れない学ぶ力」がどれだけ進学に影響を与えているのか。最近ではAOなども増えてきたとはいえ、依然大多数のテストではその点数により選抜が行われている。そして、こうした競争を勝ち抜いた者たちの多くが、難関国家試験合格したり一流企業就職したりして高給を得ている一方で、偏差値の低い大学に進学した者はFランと馬鹿にされ、中学、高校までしか出ていない者は中卒、高卒としてバカにされる。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言った福沢諭吉の時代と同様、現代もテストによって評価される学力によってその本人の地位が規定されている。

「学ぶ力」が本来の学力ならば、「自主的に学ぶ姿勢」を重視した総合的な学習時間がなぜ問題となったのか。それは日本人が「学ぶ力」の重要さを頭では知りながら、本当のところは豊かな生活をしたければ「テストで測られる点数」がなければどうしようもないということを理解しているからである。

すぐに数値で成果を求める姿勢は、ひと昔前に流行った成果主義能力主義的発想であり、知事自身の成功体験から導かれたものだろうが、成功体験に固執すると他のさまざまな教育実践の方法に対して非寛容になる。いろんなタイプ子供がいて、いろんな能力の発現の仕方があるということを認識する必要がある。

こうしたタテマエが教育現場でまかり通り、社会の現状とはとかけ離れている状態こそが、橋下知事の指摘している問題なのではないか。

「それぞれに得意なことがある」というドイツ

この点はドイツ比較してみるとより一層明らかになる。

西洋における平等の概念は、決して「あらゆる人間は平等だ」という認識に立つのではない。人間は肉体的な条件はもとより、知能的にも情操的にも一人一人が違うのだし、それはごく当然のことである。こうした彼らにとっての平等とは「機会の平等」に他ならない。だからその平等は「優勝劣敗」という厳しい現実を前提としている。

ドイツでは比較的早い段階で進路が決定し、(いわゆる)勉強の得意なものはギムナジウムへ、不得意なものは専門学校へと進学する。そして自らの専門をじっくりと勉強し、自分の得意なことを身につけ、優勝劣敗の社会の中で生き残るためのスキルを身につけている。ドイツマイスターが称賛される事情の裏には、こうした機会の平等に基づく優勝劣敗の原則と、そうした競争の中で名を上げてきた者に対する尊敬があるのである。

格差の拡大

日本人はこうした教育制度を見て「一度落ちこぼれたら二度と戻って来られない制度」だと批難するが、本当にそうだろうか。社会流動性が高く「一億総中流」と言われた時代は今は昔。所得格差は広がる一方で、政治家も二世三世が当たり前だし、医者の息子が病院を引き継ぐという話も珍しくない。このような状況で公教育

学力は文字通り「学ぶ力」であり、学びへの欲求が活発に動いているかどうか。テストの点はその一部にすぎない。

という考えに走ったらどうなるか。金持ちは自費で子供により一層の勉強をさせ進学の機会を拡大させる一方で、経済的に苦しい家庭の子どもたちは、例え才能を持っていたとしても一生進学することはできなくなる。すると社会流動性はより一層失われ、より一層の社会的格差を生む事になる。これこそ機会の平等の損失であり、本来的意味での不平等である。

Fラン叩き

現代の日本では、教育現場でタテマエとして身分も職業も超えた無差別平等が成立している。それにより全ての者が平等という原点からスタートし、努力さえすれば受験という競争を好成績で突破することが出来るようになっているという。すなわち「みんな平等なのだから受験勉強が出来無いヤツは努力が足りないだけなのだ」ということである。

ところが、現実には優勝劣敗という厳しい結果が待ち受けている。環境的にも肉体的にも異なったものを持って生まれてきた我々に、個人差がないはずはないからだ。そこで、タテマエとは逆に自由競争であるはずの受験に敗れたものは劣等者と見られ、その人たちは一段低く見られることになる。

そしてそれがまた、競争の激化を生む。こうして優越者たるインテリは現状を変える事なく偽善的に「競争」を批難し、劣等者は「平等」という正義仮面を被ってお互いの足を引っ張りあう。ネットでは自分の方が多少でも有能であるということを確信したいばかりに、他人をFランとバカにし、こき下ろす。

色々なタイプ子供がいて、色々な能力の発現の仕方があるのならば、なぜ勉強の出来る子はもっと勉強をさせ、勉強の苦手な子供からは別の才能を伸ばしてあげるという教育が出来無いのだろうか。その為には、子どもたちを「みんな平等」だから「やればできる」と誤魔化し続けた挙句、就職活動で無残に放り出すのではなく、早い内から自分の才能を確認出来る場を与えることが必要なのではないか。その意味では、橋下が教育に対して言っていることは少なくとも評価出来ると思う。

しかし、内田さんがなぜ「いろんなタイプ子供」や「いろんな能力の発現の仕方」を認める一方で「学問に携わる」という能力だけは認ないのか、謎である。なるほど、全ての人間には等しく教育を受ける権利がある。しかし、義務教育を負えてもなお、大学まで行かなければ一国民としてきちんとした教育が受けられないというのであれば、それは教育制度の欠陥でしかない。中学や高校を卒業した後、専門知識をじっくりと習得していれば世界的なレベルになっていてもおかしくない若者たちの未来を、グダクダと学校に拘束し続けることで奪っているのである。「大学全入時代」が持つことの意味を、もう一度考えた方がいいのかもしれない。

2010-01-28

[]最高に弱まった無職が薦める百冊より少なめの本

http://anond.hatelabo.jp/20100127001517

さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。

差し替え
  1. 『私とハルマゲドン竹熊健太郎
  2. 『檻の中のダンス鶴見済
  3. 『翔太と猫のインサイト夏休み永井均
  4. 『アストモモンガ橋本治
  5. 因果鉄道の旅』根本敬
  6. 超芸術トマソン赤瀬川原平
  7. 自転車旅行主義』 香山リカ
  8. 天使王国浅羽通明
追加
  1. 『立志・苦学・出世受験生社会史』竹内洋
  2. 1968年スガ秀実
  3. 日本の思想』丸山眞男
  4. 現代詩の鑑賞101』大岡信
  5. 『「知」の欺瞞』アラン・ソーカル
  6. アナロジーの罠』ジャック・ブーヴレス
  7. 『「世間」とは何か』阿部 謹也
  8. 『一九七二』坪内祐三
  9. ストリートの思想』毛利嘉孝
  10. 数学ガール結城浩
  11. 虚数情緒吉田
  12. 『無産大衆神髄』矢部史郎山の手
  13. スカートの中の劇場上野千鶴子
  14. 日本文学史序説』加藤周一
  15. リベラリズムの存在証明稲葉振一郎
  16. 自我起源真木悠介
  17. 『知恵の樹』ウンベルト・マトゥラーナフランシスコバレーラ
  18. イスラーム思想史井筒俊彦
  19. トンデモ本世界と学会
  20. 自殺直前日記山田花子
  21. 東京いい店やれる店』ホイチョイ・プロダクションズ
  22. マクロ経済学スティグリッツ
  23. ミクロ経済学スティグリッツ
  24. 社会学』ギデンズ
  25. 文学とは何か』イーグルトン
  26. 日本史山川出版社
  27. 世界史山川出版社
  28. 『辞典・哲学の木』
  29. 岩波文庫解説総目録
  30. 社会学文献事典』
  31. 『BOOKMAPPLUS』
  32. 学問がわかる500冊』
  33. 『「テクノ歌謡ディスクガイド
  34. ミニコミ魂』串田努
  35. 山崎浩一世紀末ブックファイル山崎浩一
  36. 『いかにして問題を解くか』G. ポリア
  37. ゲーデルエッシャーバッハ - あるいは不思議の環』ダグラス・ホフスタッター
  38. 四次元冒険』ルディ・ラッカー
  39. 論理学をつくる』戸田山和久
  40. 倫理問題101問』マーティン コーエン
  41. 想像博物館荒俣宏
  42. 魔法使いの丘』ソーサリー
  43. 『変体少女文字の研究山根一眞
  44. 『グラモフォン フィルム タイプライター』キットラー
  45. フラジャイル松岡正剛
  46. アメリカン・コミックス大全』 小野耕世
  47. 東京大学ノイズ文化論」講義宮沢章夫
  48. 文学賞メッタ斬り!大森望豊崎由美
  49. ライトノベル「超」入門新城カズマ
  50. 現代思想1997年5月号『特集・ストリートカルチャー
  51. ユリイカ2007年6月号『特集・腐女子マンガ大系』
  52. モダンガール論』斎藤美奈子
  53. 『今月のフェミ的』あくまで実践 獣フェミニスト集団FROG
  54. 利己的な遺伝子リチャード・ドーキンス
  55. 『100台のコンピュータスタパ斉藤船田戦闘機
  56. 死刑全書』マルタン・モネスティエ
  57. エロスの涙』バタイユ
  58. 流行人類学クロニクル武田徹
  59. プログラムはなぜ動くのか』矢沢久雄
  60. エミュレータのしくみ』某吉
残しておく本
  1. ゲーム的リアリズムの誕生東浩紀
  2. 『逃走論』 浅田彰
  3. 『寝ながら学べる構造主義内田樹
  4. ゼロ年代の想像力宇野常寛
  5. 『ぼくたちの洗脳社会岡田斗司夫
  6. おたく精神史』 大塚英志
  7. 『よいこの君主論』 架神恭介
  8. 戦前少年犯罪管賀江留郎
  9. おまえが若者を語るな!』 後藤和智
  10. 『現代マンガの全体像』 呉智英
  11. カノッサの屈辱小山薫堂
  12. 『生き延びるためのラカン斎藤環
  13. ニッポンの思想』 佐々木敦
  14. 洗脳原論』 苫米地英人
  15. 『青いムーブメント外山恒一
  16. チベットモーツァルト中沢新一
  17. 自分探しが止まらない』 速水健朗
  18. 教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書ばるぼら
  19. 電波男本田透
  20. 貧乏人の逆襲!』 松本哉
  21. サブカルチャー神話解体宮台真司
  22. 趣都の誕生森川嘉一郎
  23. 『たかがバロウズ本。』 山形浩生
  24. 『超クソゲー箭本進一
  25. 日本映画史100年』 四方田犬彦
  26. 『シミュレーショニズム』 椹木野衣
  27. 恋愛小説ふいんき語り』 米光一成
  28. 戦後ギャグマンガ史』 米沢嘉博
  29. 日本の10大新宗教島田裕巳
  30. 『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』 ブルボン小林
  31. 映画の見方がわかる本』 町山智浩
  32. アダルトビデオ革命史』 藤木TDC

2010-01-27

強くなりたい新大学生が本当に読むべき本100冊

この時期になると大学生向けに読むべき100冊みたいなリストが出回る。

あんなリストを真に受ける人も少ないだろうが……はっきり言って悲しくなるくらいお粗末だ。

ずらっと並べられた古典名著。あまりに埃の被ったラインナップにがっかりする。

こういった学問には「原書病」とでも言うべき、くだらない風習が根強く残っている。

原典や本文を極度に重視するのは不健全だ。それ自体は面白いとしても、その後発展と整理を経て洗練されている。

歴史的興味以外であえて出発点に戻る価値はすごく小さい。そんなところに本当の「教養」は存在しない。

難解で時代遅れな文章と格闘したって、趣味以上のものにはならないし、考える力は湧いてこない。絶対誤読するし。

そこで本当に頭を強くしたい人が読むべき書籍リストというものを作った。

これは単なる学問という空気に浸ってみたい人が読むものじゃなくて、日常に根ざした本物の力を分けてくれるものだ。

この100冊さえ読めば考える素材に困らないだけでなく、コミュニケーションの強者にもなれる。

飲み会で古臭い古典の話をしたって煙たがれるだけだが、この100冊をネタにすればそんなことにはならないし、

黙考はずいぶんと深くなるし、ブログネタに応用すれば必ず一目置かれる。

選んだのは現代的で網羅的、そして極めて平易なもの。どの分野にも精通できるように色んなジャンルのものを配置した。

この100冊を大学生活のうちに読み切れば、必ずや一生の財産になるだろう。

ここに挙げられた本が、現代最新型にアップデートされた真の「教養」だ!

新大学生が本当に読むべき100冊

存在論的、郵便的東浩紀

動物化するポストモダン東浩紀

ゲーム的リアリズムの誕生東浩紀

アナーキズム浅羽通明

ナショナリズム浅羽通明

右翼左翼浅羽通明

構造と力浅田彰

『逃走論』 浅田彰

『反芸術アンパン赤瀬川原平

東京ミキサー計画』 赤瀬川原平

ギャルギャル男文化人類学荒井悠介

ディズニー魔法有馬哲夫

テヅカ・イズ・デッド伊藤剛

マンガは変わる伊藤剛

ヤンキー文化論序説』 五十嵐太郎

オカルト帝国1970年代日本を読む』 一柳廣孝

『寝ながら学べる構造主義内田樹

ゼロ年代の想像力宇野常寛

『二〇世紀の批評を読む』 大谷能生

『ぼくたちの洗脳社会岡田斗司夫

オタクはすでに死んでいる岡田斗司夫

アメリカン・コミックス大全』 小野耕世

教養としての〈まんが・アニメ〉大塚英志

おたく精神史』 大塚英志

サンデーマガジン大野

キャラクターとは何か』 小田切博

『よいこの君主論』 架神恭介

『完全教マニュアル』 架神恭介

映画は撮ったことがない』 神山健治

『ポケットは80年代がいっぱい』 香山リカ

戦前少年犯罪管賀江留郎

スペイン宇宙食菊地成孔

東京大学のアルバート・テイラー』 菊地成孔

おまえが若者を語るな!』 後藤和智

封建主義者かく語りき』 呉智英

賢者の誘惑』 呉智英

『現代マンガの全体像』 呉智英

『定本日本の喜劇人小林信彦

カノッサの屈辱小山薫堂

お厚いのがお好き?小山薫堂

虚人のすすめ』 康芳夫

『生き延びるためのラカン斎藤環

ニッポンの思想』 佐々木敦

『シミュレーショニズム』 椹木野衣

ロックミュージック進化論渋谷陽一

日本の10大新宗教島田裕巳

ヒーロー正義白倉伸一郎

『箆棒な人々』 竹熊健太郎

『定本気分は歌謡曲近田春夫

完全自殺マニュアル鶴見済

洗脳原論』 苫米地英人

スピリチュアリズム苫米地英人

苫米地英人宇宙を語る』 苫米地英人

『青いムーブメント外山恒一

マンガ哲学する』 永井均

チベットモーツァルト中沢新一

ベストセラー構造中島梓

嫌オタク流中原昌也

『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書西寺郷太

前衛の道』 根本敬

『花咲く乙女のキンピラゴボウ橋本治

アーキテクチャ生態系濱野智史

タイアップ歌謡史』 速水健朗

自分探しが止まらない』 速水健朗

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書ばるぼら

NYLON100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流』 ばるぼら

ロマンポルノと実録やくざ映画樋口尚文

70年代日本の超大作映画樋口尚文

アダルトビデオ革命史』 藤木TDC

ワンダゾーン』 福本博文

『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』 ブルボン小林

ゲームホニャララブルボン小林

電波男本田透

喪男の哲学史本田透

世界電波男本田透

セカイ系とは何か』 前島賢

映画の見方がわかる本』 町山智浩

ブレードランナーの未来世紀町山智浩

『なぜ宇宙人地球に来ない?』 松尾貴史

貧乏人の逆襲!』 松本哉

サブカルチャー神話解体宮台真司

『14歳からの社会学宮台真司

『定本アニメーションギャグ世界森卓也

放送禁止歌森達也

職業欄はエスパー森達也

趣都の誕生森川嘉一郎

『興行師たちの映画史柳下毅一郎

殺人マニア宣言』 柳下毅一郎

『新教養主義宣言』 山形浩生

『たかがバロウズ本。』 山形浩生

訳者解説』 山形浩生

『超クソゲー箭本進一

戦後SFマンガ史』 米沢嘉博

戦後少女マンガ史』 米沢嘉博

戦後ギャグマンガ史』 米沢嘉博

漫画原論』 四方田犬彦

日本映画史100年』 四方田犬彦

日本文学ふいんき語り』 米光一成

恋愛小説ふいんき語り』 米光一成

2009-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20091122074856

「他人の金」使って何かするのにそういう認識の方がよっぽどガキに見える。

「他人の金」なんだぜ。「他人の金」。

例えば銀行から金借りて商売するのに、適当な説明して、金貸してくれなかったら銀行員はこの業種に素人のくせにちっともわかろうともしない。みたいなさ。

銀行員からしたら、別に私たちがガキでも何でもいです。そんなら他行ってくださいで終わり。

内田樹だかの例が明らかに不適当なのはさ、金の話になると全ては別、どんな大義名分もすっとぶ、金で友情は終わる、金で人柄は変わる、ってことがスッポリ抜けてることなんだよな。

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