はてなキーワード: 内田樹とは
内田先生の被害者の呪い (内田樹の研究室)を読んでid:hashigotanを即連想した自分の村民度が鬱。
とはいえ、id:hashigotanを事例として据えると、ダンコーガイのエントリ404 Blog Not Found:被害者メソッドがうまく行くための三つの条件には、被害者ポジションを確保して「俺の苦しみがわかるか!?※」と吠え続けること、それよって人々の関心を引きつけることそのものが報酬となっているケースが欠けてることだと即わかってお得ではある。で、引きつけることに成功したとしてもそのうち飽きられるから、要求はますますエスカレートし(償われてしまうと困るから)、「俺の(ry」叫びはますます過激な、粗野なものになっていき、結局のところ「償いを受けた」という実感なしに対象がフリップする毎に悪質さを増して行く、と。
もし、性犯罪常習者があらゆるリスクを冒しても性犯罪に執着するように(cf.手鏡)、被害者メソッドを振り回すことに淫している者にとりつかれたら、通常の謝罪や償いをしてもまともに通りはしないわけで、チャンスがあれば被害者/加害者ポジションをひっくり返してマウントポジションを取る(cf.池内ひろ美脅迫事件)、飽きてよそにいくまで耐える、絡まれた側が撤退する、くらいの対応しかないのが怖い。
しかも、ただ淡々と他者を害する気など毛頭なく日常を綴っていたらば、ある日襲われたりするのがさらに怖い。
そう簡単に切り替えできない人間関係の中にこのタイプがいたら、さらにさらに怖い。
ところでid:hashigotanの件に話を戻すと、彼女あるいは彼の被ブクマ、被言及は、今までの諸々の騒動に対して明らかに減ってきている。
自分のマークを残さなくなった人たちは、「単に飽きた」とか「言及することでアカウント汚したくない(この増田)」とか色々理由はあるとは思うが、もしかしたら、コメントを残すことで彼女/彼の援助者となってしまうことを回避するために、読みはしても残さないメソッドが広がっているのかも。倫理としてのディスアテンション・エコノミーが発生しているというか。
空気読まずにモロに言及しちゃってごめん。
※「お前らにはわからない俺の苦しみ」なんだから、わかるかと言われても、わかりようがない。ここが「被害者ポジション」の話法の要諦。
内田樹って人のとこに書いてある記事を見て思った。
「私はあなたのために何ができるのですか?」
そうまっすぐに問いかける人だけが他者とのコラボレーションに入ることができる。
異性に対してこれができない。だから私は独身なんだなー。
自分の本性であるとか、自分の能力であるとかいうものは自己評価するものではなく、「まわりが決めてくれること」なのであるから、それに任せておけばよろしい。
繰り返し申し上げているように、キャリア・パスのドアのこちら側には「ノブ」が付いていない。
ドアは向こう側からしか開かないのである。
http://blog.tatsuru.com/2008/04/30_1630.php
今は、違う。今はかつてないほど、何が有用で何が無用なのかわかりにくい時代だ。私は生化学者になろうとして落ちこぼれ、ハードウェア技術者になろうとして落ちこぼれた。その結果がソフトウェア技術者だったのだが、たまたまこれが「当たった」わけだ。たしかに「今後はソフトウェアが伸びる」というヤマ勘がなかったといえば嘘にはなるが、私はソフトウェア技術者は生産性が高くて高給が狙えるから、という積極的な理由ではなく、他の分野の才能が食って行けるほどなかったから、というどちらかというと消極的な理由だ。
404 Blog Not Found:あなたの生産性は誰が決めるか:
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51043091.html
なんか似てんじゃね?
http://www.dan.co.jp/~dankogai/ldr-hbc/ より
内田樹さんのプリンスホテルの議論(http://blog.tatsuru.com/2008/04/03_1313.php)だが、http://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんの議論は、結論は正しいが過程が間違っていると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんによる内田さんの議論の再構成はこういうものだ。つまり、内田さんが
A. ルワンダのような極限状態で人助けをするには超人的な勇気が必要で、それを要求するのは無法。
と述べていることから、以下のように組み立てる。
(1) 極限状態で客を助けないのは、卑劣ではない(Aから)
(2) プリンスホテルは、極限状態で客を助けないだろう。(B)
この再構成がおかしいのは、Aの翻訳である(1)だ。Aが述べているのは「ある人が極限状態で客を助けないからといって、その人が卑怯だとはいえない」ということである。つまり
(1') 極限状態で客を助けない人の中には、卑怯な人もいるかもしれないが、そうでない人もいる
ということ。したがって(4)のような結論は出てこない。
(「私は別にこのような超人的な勇気をグランドプリンスホテル新高輪のマネージャーも持つべきだというような無法なことは申し上げない。」とあるので、本当に内田さんが「助けないなら卑怯」といっているかどうかには疑問があるが、一応議論の流れに乗っておく)
しかし(1')と(2)を組み合わせると、
(*) プリンスホテルは、卑怯かもしれないが、そうでないかもしれない。
という命題が出てくる。おそらく内田さんはこういうことを言いたいわけではないだろうが、これは内田さんの議論がちょっとずさんだから。というのは、内田さんは次のようなことを書いているが
もしグランドプリンスホテル新高輪のマネージャーが内戦時代のルワンダでホテルのマネージャーをしていたら、彼はためらうことなくツチ族の顧客全員を政府軍に差し出しただろうということである。
...
だが、私の経験が教えるのは、平時に卑劣なふるまいができる人々は、軍国主義の時代や恐怖政治の時代にも同じ種類のふるまいを(もっと葛藤なしに)できるということである。
これは結局
ということであって、(1')と矛盾してしまう。ということで、わたしはhttp://anond.hatelabo.jp/20080404073011さんの結論
この人ほんとに学者?
には同意してしまうのである。
たぶん内田さんがやるべきだったのは、戦時中であればプリンスホテルの中の人がやりそうな------しかしそれをしないには超人的な勇気を必要としないような------卑怯なこと(しかし、彼らはそんなことは人道上しないといいそうなこと)の例を挙げることで、そうすると、プリンスホテルの中の人がいかにひどいかと言うことを描写できたのだが、例を出すのをケチってしまったので、こんなことになってしまったのである。
http://anond.hatelabo.jp/20080404073011 の続きで、内田樹教授のプリンスホテル批判について。
http://blog.tatsuru.com/2008/04/03_1313.php
プリンスホテルの例にしても、靖国の映画の件にしても、言論の自由が脅かされたのは事実。
何故? 右翼だか国粋主義者だかが騒いで、それによって損害を蒙ることが予想されたから。
なぜヤクザまがいの連中の圧力を恐れなければならないか? 彼らが騒いでも警察が摘発できないからだ。
何故摘発できないか? 今の彼らの行動が現行法に照らして違法とはいえないから。
何故法整備をしない? 彼らの行動が政治活動として分類される(されうる)以上、その摘発には慎重を期さざるをえないからだ。
内容を聞いてれば分かる? そうは言っても警察が「政治活動」の内容を勝手に判断して差別できるわけがない。
言論の自由が脅かされたのは社会の問題だ。彼らの行動を掣肘できないのにはそれなりの訳があり、そのせいで日教組もプリンスホテルも迷惑している。で、そこでなんでプリンスホテルが非難されるのかがさっぱり分からない。いつから一営利企業は自らの損害も省みず言論やら集会やらの自由のために戦わないといけなくなったんだ?誰が、どんな資格で彼らにそれを強制できる?もし法人にそんな義務があるなら、我々個人も目の前で街宣車が軍歌を鳴らしていたら敢然と立ち向かわないといけないのか?
刃物を持ったバカが目の前に現れたら一目散に逃げるのが正解。もしかしたらそのせいで逃げ後れた別の人が怪我をしたり殺されたりするかもしれない。でも悪いのは逃げた彼じゃない。そういうバカを放置し、適切なタイミングで排除できなかった警察の責任。それが出来るだけの予算と権限を警察に与えなかった政府の責任。そしてそんな政府を選んだ我々の責任だ。それを、"刃物を持ったバカを放置してはいけません。社会のために敢然と立ち向かいましょう"などと臆面もなくいえる人間の神経は理解を超える。
前から思ってたけど、日本人は社会の問題を一個人(法人)に還元し過ぎる。そうして社会問題への対処がどんどん遅れていく。医療崩壊なんていい例だろ?明らかに個人の努力で解決可能な水準を越えてしまっているのに、この後に及んでも"医者がもっと頑張らないといけない"などと言っている人間がどれだけいるか。そうやって社会全体のマクロな問題から目をそらし続けるから、問題がどんどん悪化するんだろうが。
今社会問題として考えなければならないのは、声ばかり大きくておつむの小さい国粋主義者のせいで日本全体の言論の自由が脅かされているという問題をどう解決するか、だ。主義主張にかかわらず、騒音を出す輩はまとめてブタ箱、でいいのか?(選挙カーや辻立ちの政治家だって例外じゃない。個人的には、日本の政治家一般の出す騒音は他国と比べて度を越して大きいので、この際一律規制しろと思うのだが)。それとも、警察が恣意的に"いい騒音と悪い騒音"を判別して良いのか?バカを速やかに確保できるだけの警察予算、そのための増税を甘受できるのか?
社会にはバカが一定数混ざる。それをすべて取り除こうとすればさまざまなコストがかかる(犯罪者を確実にとらえようとすれば、監視カメラを随所に設置する必要だって出てくるし、監視カメラがいやならマンパワーに頼らないといけない=人件費ウナギ登り)。今問題とすべきは、言論の自由を守るために"我々が"どれだけのコストを呑めるか、であって、プリンスホテルがどれだけの頑張るべきか、じゃない。プリンスホテルを非難して事足れりとしている人間が入るなら、自分の行為がただの責任転嫁に過ぎないことを自覚すべきだ。
http://blog.tatsuru.com/2007/11/06_1021.php
現実を知らない人に勝手にかわいそうな人扱いされるのでむかついたので書くが、こっちはマッチングなんて求めてない。求めてるのは企業、特に人事部。就職活動をしたが、現状では自分の適性にあった仕事であるように見せかける必要がある。だって企業の人事が自分の適性にあった仕事をしなさいというから、立場の弱いこっちとしては面接なんかで自分の適性にあっているというしかない。これは戦略であって、ロマン主義ではない。企業の人事部が勝手に自分の適性にあった仕事をしろといってるだけで、現場の人間はそう思ってないのかもしれない。しかしそれがわからない以上リスク回避の観点から、自分の適性にあっていると思ったからその企業を受けているというストーリを書かなくてはならない。裏ではしっかり有価証券報告書なんかみたり、OB訪問とかしてきちんと残業の度合いや将来性なんかを考えて極めて現実的に企業を選んでいる。ほとんどみんな表と裏をわけて就職活動をしている。裏ではあまりのくだらなさにため息をついて企業とそんなことをしている自分をバカにしてるよ。「研究者」としてはどうかしらないが、学生から本音を聞けない時点で「教師」としては失格だな。
まず最初にd:id:ululun乙。元増田はもっと乙。
嫁のマ○コでもしゃぶってろ。お幸せに。
f/x
興味ねー
興味ねー
DIGITAL DJ
良く訓練されたヲタ
教育のヒント
興味ねー。人の親になれば気になるのかね。
大学を考える
同上。ただ出身大学のことはちょっと気になる。
新小児科医のつぶやき
医師がんばれ超がんばれ。老人二人抱える身分としては切実だわ。
俺たちの起業
知らんがな。まぁ頑張れ。
おっさん照れるなよ。まぁほんとに嬉しくないのかもしれんが。
Rauru Blog
多分あんまり自分でも理解出来ていない事柄を整理しつつ吐き出してる印象。
わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
売れそうな/た本を紹介している。
暇潰しになる本探す位なら役に立つかもわからんね。
俺と100冊の成功本
読んでるとひしひしと頭が悪くなっていくのを感じられる稀有でもないブログ。
まぁFPN界隈なんてこんなもんでしょ。
お休みしてもいいんじゃない
うん、ずっと休んでるといいよ。
バグで行こう
興味ねー
住みたいところに住める俺
日記。それ以上でも以下でもない。
美しさの中を歩め
誰が推薦してるの?essaか、納得。
shiology
興味ねー
犬にかぶらせろ!
活きがいいのがこの人位なんだよね、正直。
でも今更感が漂うよな。
天漢日乗
2ch好き過ぎる。
頭がいい人はそれはそれで大変なんだねぇと思わざるを得ない。
犬鍋の韓国便り
Sasayama’s Weblog
農業関連問題は面白い。
が、食品業界なんて農民に毛が生えた程度のものだし気にしても仕方がないのも事実。
ヲチしながら義憤でプルプルしちゃう人には向かない。
まぁ、興味ある人は既に読んでるよね。
会社法であそぼ。
同上。
信託大好きおばちゃんのブログ
名前は知りつつ読んでなかったブログ。
割と硬い話題に手を出しているようなので読んでみることにする。
貞子ちゃんの連れ連れ日記
出来るだけ避けるようにしている人種。
katolerのマーケティング言論
今更。
FPN臭
Day by Day / Ycaster2.0
今更
正直興味がある人ならほぼ読んでる。
てか興味ない人にはまったく理解できないブログを推薦するのはどうよ。
RSSでたまにあがってくるとまだ生きてたかと思い出す。
いちカイにヤリ
がんばって金稼いでくれ。以上。
興味ねー
きっこ関連。以上。
なごなぐ雑記
あー。懐かしいよねこのノリ。
日刊ゲンダイ臭が素敵。嫌味でなく。
ちゅら海をまもれ!
まぁ頑張れ。頑張ったという免罪符が欲しいんだろうし。
まぁこっちとしても金を出すという免罪符を手に入れるわけだしお相子ですな。
愛・蔵太の少し調べて書く日記
今更
ハコフグマン
自分でも言ってるけど最近つまらんよね。
雑種路線でいこう
日記。
興味ねー
基本アレげだけどたまに面白いよね。
忍之閻魔帳
良く訓練されたヲタ
これも興味ある人ならほぼ読んでるんじゃないかな。
Native Heart
一歩間違えばスピリチュアル系の胡散臭さが漂いかねないギリギリ感が素敵。
まだやってたのか。
興味ねー
興味ねー
でも、内田先生の記事を読んで、どうなのかなー、って思ったことをひとつふたつ、あるいはもっと。
「地球温暖化の原因は二酸化炭素の排出」と学生さんたちはすらすら言うけれど、温暖化と二酸化炭素のあいだの因果関係はまだ科学的には証明されていない。
スノーボールアースだって、過去にこういうことがあったと推測はできても、同じ条件で同じことが起きると科学的に証明はできないですよね。
地球温暖化の原因は二酸化炭素の排出が原因のひとつとする仮説が有力視されているってことじゃないですか?
因果関係が100%の相関性をもって証明されないからといって、有力視されている仮説を無視するってのもどうなのかしら。
それに二酸化炭素に温室効果があることははっきりしているわけだから、温暖化の原因がなんであれ、二酸化炭素排出を抑えることは、温暖化対策として有力なのでしょう?
平成不況の原因は、公定歩合の高金利が原因じゃないので、低金利政策は不況対策にならない、っていうのと同じくらい、ナンセンスだと思うわ、内田先生のご意見は。
この記事だけを読めば、内田先生ってものすごいトンデモに見えるわ。
池田清彦さんによると、二酸化炭素の排出が急激に増加したのは、1940年から70年までであるが、この時期に気温は低下している。
温暖化の原因がさまざまなら寒冷化の原因だってさまざまよね。
二酸化炭素が排出されて温室効果が強まったとしても、他の原因で寒冷化が進めば、全体としては寒冷になることもあるのよね、それこそ太陽活動の影響なんかで。
二酸化炭素が排出されて、年々、その割合が高まってゆけば、ある時期までは一年あたりの排出量が大きくても、全体の割合としては許容範囲、でも許容範囲を越えれば、排出量がわずかでも許容範囲を越えているのよね、全体の割合では。
私も環境問題はよく分からないからとんちんかんなことを言っているかもかも。
anond:20071004100809 に書いた者ですが
おれの書いたことのどこがトリガになったんでしょうか…。
とりあえず、
書く自由があるなら、それに対して批判的なコメントを付ける自由もあると思うんだが
まぁ確かにそう。
でもそれは「そうだね、仕方ないね」という意味の肯定であって、
積極的に肯定するようなものじゃないと思いますよ。
*
上の増田の人の話からちょっと逸れますが、
はてブにかぎらず、よくあの
「私は勝手なことを書いているから、批判されても仕方ない」
みたいなことを書く人がいますよね。
それは、自由を保証してるんじゃなくて、
「他人の自由の行使に対する我慢」
という貨幣をやりとりしてるだけだと思うんですよね。
(内田樹が確か、そういうことを言ってたので真似して言ってみる)
見た目、自由をうたっているように見えるけど、
実際には単なる「自己責任論」でしかないような。
どこにも辿り着かないことが多いと思います。
格差は年収のばらつきを指しているわけではない。
メディアの論を徴する限りでは、
メディア(マスコミ)が言う格差の話である。あなたの話がどこの業界の話なのかは分からないが、少なくともマスコミは「格差=年収の差」といった話をしている。
「金さえあればとりあえずすべての問題は解決できる」ことに罪を着せても
イデオロギー、つまり事実ではなく思想であり、「したい」という思想ではなく「できる」という思想が駄目だと言っている。今現在が「金さえあればとりあえずすべての問題は解決できる」社会だとは言っておらず、問題にしていない。問題にしているのは「金があってもすべての問題が解決できるわけではない」という前提の元、「できない」のに「できる」という間違った思想が広がっている事である。
能力(生産価値)とは
能力=生産価値ではない
元増田はそれを「能力」と呼んでいる
彼らの遺伝子が優れているからだ
能力=遺伝子ではない
その格差が固定的で貧困層からなかなか抜け出せない
親が市場に出ていないから
「労働は時間を消費することだけでは発生しえない」→「労働力が正当な価値を効率良く生産できない」→「労働力が正当な対価に効率良く変換できない」
「漁師は海と魚がなければ、価値を生み出せない」→「漁師は価値を生み出す労働力がない」→「漁師は価値を生み出す能力がない」
「漁師は海と魚がなければ、価値を生み出せない」→「金さえあればとりあえず価値を生み出せると言う思想」→「価値を生み出せないのは金がないからだ」