仕事でも日常でもテレビの中でもどこにでも「すみません」が先にあって、
と思わずにいられない。そしてそもそもそんなに他人に謝罪を表明する必要性そのものに疑問を感じる。
疑問というか、不健全さといったほうが近い。
「お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願い致します」
「この度はお手数おかけして、大変申し訳ありませんでした」
すみませんじゃないけど、どうも謝罪ワードで締めくくられる。
これが「お忙しいところありがとうございました! 大変助かりました」
ではダメだろうか? と思うのだ。
こう言われたほうが、嬉しくないだろうか?
実際、俺はありがとうと言われたほうがうれしい。
「どうもすみません」
と言われるよりも
「助かりました、ありがとうございます」
と言われたほうが、やっぱり嬉しい。
どうもすみません、て言われるともしかしたら自分一人でできたのかな?
俺のしたことは余計だったかな? なんて気持ちも湧いてしまう。
……この違いって何だんだろうか?
そしてそれらの不足を補ってくれた誰かに対してお詫びを表明している、
だから言った方も言われた方もすっきりしないのだろうと思うのだ。
例えばベビーカーだったら、
(一人でベビーカーの乗り入れができなくて申し訳ない)
(もっと器用だったら一人で乗せられるかもしれのに)
とこんな具合だ。「すみません」ということで、暗黙のうちに自分の不出来さと
相手に迷惑をかけたことを詫びているのだ。
それなのに常に「すみません」が先行する社会って肩がこらないだろうか?
完璧にこなす人間なんてごくわずかだし、そういう人を基準に社会が作られても
みんながみんな「すみません」の旗のもと、疲弊するだけだ。
「すみません」は個人が完璧であることを前提に使われる言葉という感じがしないかな?
ありがとうという言葉が暗黙のうちに示している空気はどんなものだろうか?
と、こんな具合にポジティブで助けれてくれた相手を認めてくれている雰囲気を感じる。
だから「ありがとう」って言われるを気持ちが良いのだと思う(NHK的な表現だが)
「すみません」に比べると、言った方の能力/配慮不足をあまり気にしていないというか
それらの不足を前提にしない言葉の使われ方に思える。
こっちのほうが神経すり減らない気がする。
(1)ググれ
(2)よく読んでください
(いちいち人に聞かないでよ)
(文章読んで自分で判断してよ)
「すみません」とは言われる状況や方向が違うけど、
弱っている相手に配慮を求める点では非常に似ていると思う。
ポポポポーン
なんだこの記事。主張は分かるし、日本語はほめる言葉少ないとよく言われるし、日本人は無言でサービス受けとるしな。 けど、何この臭い記事。ブクマ狙いなのかしらんが、はてなが...