はてなキーワード: 内田樹とは
>あのほら吹きおじさんやほら吹きおじさんの陰謀論ど真ん中論説やそんなもんを載せる朝日新聞についても批判精神を持て
内田樹がほらを吹いているようには僕には思えなかったが。どうしてほらを吹いていると思っているのか具体的に説明できますか?
>せっかく大学に居ながら見つけた先賢が内田たつるでは学費払う親もいい面の皮だ。
ではあなたはどのような先賢を見つけているのでしょう?内田たつるごときというが、ではあなたはどれほど立派な人なのか。自省を欠き説教している気分になっているのは誰なのか。
あなたが何歳なのか知らないが、年上の先賢を見つめ続け必死に追いすがってもそんなことしか言えないのなら、そんな大人はあまり眼中にない
このまえ朝日新聞オピニオンで内田樹が“「国民国家としての日本」の解体過程”について述べていた。
それによるなら現代のこの傾向はアメリカの機嫌をとる政治家たちによる
排外主義的なナショナリズムを亢進させるためのマインドコントロールに国民がかかっているということになろうか。
あのほら吹きおじさんやほら吹きおじさんの陰謀論ど真ん中論説やそんなもんを載せる朝日新聞についても批判精神を持て
うちだたつるの意見ごときを自分の意見として丸呑みするのは滑稽だ。
「あれ?おかしいぞおれ」と思うようになれ。条件反射をつけろ。
その反射が一生君を助ける。
なんであんなに偉そうかつ間抜けで頭が悪いのかと言うと
もっとも、ネット上の軽挙妄動は未だ考えが熟してない中高生が主だろう。彼らはきっとノリで言っているのだろうが、知らず知らず自身の使用する言葉が、せっかくの鋭敏で豊かな感受性をも害してしまうことがあることは知ってほしい。
君は多分大学1年生ぐらいだろうが
君ぐらいの都市でやるべきことは年上の先賢を見つめ続け必死に追いすがることで、年下の連中を眺めて馬鹿にすることではない。
たとえば2chとかニコ動とかで相手を貶したり蔑んだりする時に「おまえ韓国人(中国人)か?」という発言をする人がいる。
僕はそんな軽薄なことを容易に発言するその人の人格や品格を疑い軽蔑する。
半世紀以上前にテレビが普及して一億総白痴化という言葉が流行ったそうだけど、その傾向は現代になっても加速度的に進行している気がする。
このまえ朝日新聞オピニオンで内田樹が“「国民国家としての日本」の解体過程”について述べていた。それによるなら現代のこの傾向はアメリカの機嫌をとる政治家たちによる排外主義的なナショナリズムを亢進させるためのマインドコントロールに国民がかかっているということになろうか。
ネットや大衆の意見を自分の意見としてすり替えるのは危険だ。誰も自分のことを少し反省すれば、そういう危険に陥ることは少なくなるだろう。たとえば自分の過去を思い出してみれば、昔でも最近でもいいが、自分には実際に韓国人や中国人の友達や知り合いがいたことを思い出すだろう。その時の彼らは具体的な人間であって、抽象的な言語ではない。
もっとも、ネット上の軽挙妄動は未だ考えが熟してない中高生が主だろう。彼らはきっとノリで言っているのだろうが、知らず知らず自身の使用する言葉が、せっかくの鋭敏で豊かな感受性をも害してしまうことがあることは知ってほしい。
・ソ連と北方領土返還交渉をしていたのはサンフランシスコ講和条約締結(1951)後の1955年から。
・連合国占領下でも「統治権」は日本政府にあったというのが一般的な認識。
・アメリカから「国後択捉を放棄するな」と強く言われた話は「ダレス恫喝」として今でこそ知られるようになったが、公式には明らかにされていない。
…まあ、自民党の古い方々にとっては当然の前提なのだろうけれども、たとえば内田樹とかが「日本はアメリカの植民地だ」と言うのと、元総理が「冷戦下の日本の統治権はアメリカにあったからね-」と言うのとでは、全然重みも意味合いも違うよね。
今はてブのホッテントリに内田樹のブログ記事が並んでるのを見て読んでみた。
内容はいつもどおり、「突き詰めるとグローバリズムとか新自由主義が悪い!」というような感じである。
ああ、なるほどなぁ……と思うところもあるのだけど、それを言われたところでどうしようもないじゃんという落胆が大きい。
今回の記事だとはっきりと「手のうちようがない」と書かれていてまだ潔いなと思うわけだが、物によってはただ問題を指摘してはいお終いということも少なくない。
それがおおよそ個人の内面的な部分に起因する問題であるとかいう指摘ならまだ読者としても手の施しようがあるものの、大体の場合は極めて大きな構造上の問題なのである。
それもだいたい今回のエントリ同様グローバリズム批判に終始する場合がほとんどであるように感じられる。
別にその指摘自体が全く意味のない無駄なものであるとか言っているわけではない。
ただ、そこで得た見識を用いて次に活かすということが出来そうもないものばかりであるという点で釈然としない。
言ってみれば希望が持てないのが嫌なのだ。得られるのは絶望感だけ。
もちろん大半の問題はそうやすやすと解決出来るものではないし、一冊の本に仕上がる程の大きな問題なら尚更そうであろうことも分かる。
だからといって「どうしようもないし、俺は知らない」と匙を放り投げてしまうのは如何なものかと。
という風なことを、彼の文章を読むといつも思ってしまうのだけど、そういう時はどうすればいいんだろう。
某ピースボートクルー経験のあるLife系社会学者の人が出してるような、いかにも希望を出汁にお前ら社会的弱者を釣り上げてやろうと言わんばかりの本とかに当ってみると良いのだろうか。
藤原正彦。
内田樹。
ここ数年くらい「とりあえず一躍脚光を浴びた」感のある人間を見てきたけど、
この3人だけは「なんだかなあ」という感じでいつも見ていた。
一躍脚光を浴びたけど、いつの間にかフェードアウトしてった藤原先生と内田先生。
そして、なんか読者の失笑を一身に浴びつつ、フェードアウトしつつあるイケハヤ師。
本についてはもう色んなところから突っ込みを受けた挙句、気付いたら保守の論客みたいな感じで持ちあげられたのはいいけど、
あの人今どうしてんだろうみたいな感じの人。
品格本以降、全ての段落に突っ込みどころを搭載したクラスター爆弾を投下してくれていた。
たぶん割と高位の老害。
内田樹。代表作はたぶん「ハシズムを許すな」だと思われる。自称思想家兼武道家の本業翻訳家兼実業家。チラシの人や精神科医のお友達。
橋下選挙のときにちょこっと出てきて喧嘩を売ってきたけど土俵に出てこないままフェードアウトした感がある元大学教授。
やまもといちろう曰く、「専門から外れた物事でゴミすぎる論説をしては物笑いの種にされる」
池田信夫曰く、「彼の頭が悪いのはしょうがないが、せめて知らないことには口を出さないほうがいい」
深沢明人曰く、「現実に立脚した話ではなく、何か気の利いたこと、一風変わったことを口にして、商品にしてやろうというだけ」
そして我等がイケハヤ師である。
最早説明不要な感じになってきてるが、最近の尊師のエントリーがびっくりするほど酷い。
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アンチのみなさん、今日もせっせとありがとうございます - ihayato.書店 | ihayato.書店
どのくらい酷いかというと、顔を真っ赤にしながら自転車操業やってんだけど肝心の自転車は1ナノも進んでいない。
そんな感じである。
とりあえずこの2つのエントリーの間のブクマ数を調べてみた。(2月25日時点)
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安易な謝罪がモンスター消費者を助長させる - ihayato.書店 | ihayato.書店 5
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もうめんどいので調べるのをやめますが、炎上系エントリーを挟んだエントリーがあんまりブックマークを稼げていない。
というか、炎上系エントリーと、それ以外のエントリーの落差が酷すぎる。
「プロブロガー」なのに大丈夫なんだろうか。本来このあたりのエントリーでPVなりアフィ収入なり稼がないといけない筈なのに。
これで月収なのか売上なのかよく分からないけど月間52万(以上)稼ごうというのだろうか。
やまもといちろうとのブログでのやりとりのほうが圧倒的に面白かったし、
現在進行形でイケハヤ師の株価がどんどん下落、というか暴落していっているので、
対談をやる頃にはもうイケハヤ師自身が賞味期限切れになってフェードアウトしている可能性大である。
フェードアウトしていった2名と、これからフェードアウトしていくであろうイケハヤ師、
この一連のサイクル、特に3において主張されるものが過激であればあるほど、炎上すればするほど、有名になる。
一部の人間に尻尾を振りまいている内容ならなおよい。(保守、反TPP、脱原発、脱貨幣経済など)
しかし毎回違った燃料が投下され続けなければ周りからは飽きられてしまう。
なおかつ1(専門知識がないこと)が露見しないように注意しなければならない。簡単なように見えて実は結構難しい事なのだ。
FUJIWARA先生と、内田先生は、専門知識がないことが露呈してしまったために、フェードアウトしてしまった。
今、イケハヤ尊師も、周りの失笑を買いながら、専門知識が皆無なことを露呈している。
彼らの言論に共通しているのは、「賛否両論ではなく、ただの間違い探しである」ことだ。
間違い探しになりはじめたら、もう終わりだと思う。
イケハヤ師が、「オピニオンリーダー」のようなものを目指しているのは間違いないだろう。
奴のサイトに行けば、「賛否両論?オピニオン」なるコーナーがあるし、
内田樹大先生からもお墨付きを頂いているわけだから(どのつぶやきか忘れたが、内田大先生はイケダ師のことをえらく褒めていた)、
奴がそういう方向を目指そうとしているのは分かる。
だが、奴がオピニオンリーダーになるのは無理だろう。
たとえば、ホリエモン、大前研一、(知名度は低いが)佐々木俊尚なんかは「オピニオンリーダー」と呼ばれるに相応しい人物であろう。
異論は認める。異論のある人は、是非自分にとっての「オピニオンリーダー」的な人物を思い浮かべてほしいわけだが、
所謂オピニオンリーダーと呼ばれる人間に必要なものは、2つあると考えている。それは、誰もが認める経歴と、リサーチ能力である。
先に挙げた人物にはこの2つがある程度備わっているが、イケハヤ師にはこの2つが致命的に、ない。
学生の時分にまとめサイトでそこそこの収入を得たという話だが、それだけではかなり弱い。
2009年にルネサステクノロジに入社するも、入社した月に合併が決定。いきなり沈み行く船に乗ってしまいました…。
ブログをきっかけに知り合ったトライバルメディアハウスの代表、池田紀行さんに誘われ、2010年3月に転職。ソーシャルメディアコンサル事業を立ち上げ。
2011年4月、NPO支援、ライター活動により多くの時間を割きたくなり、フリーランスに転向。「テントセン」という名前でNPOマーケティングを支援するプロボノ集団も作っています。
2012年4月からは、育児に時間を割くべく「プロブロガー」というキャリアを歩んでいます。広告収入、アフィリエイト収入で生きてます、もとい皆さんに生かされています。
とまあ、別にそこらへんの意識高い()系の学生と大差ない経歴なのである。というか、億単位稼いでいるよざわつばさ(よながつばさと間違えそうだ)に比べると
アフィリエイターとしてもポンコツ…
ここに「年商数億の社長」とか、「MITの博士号を取得」とかそういう経歴が要るのだ、オピニオンリーダーというものになるには。
奴のエントリーがよくブログとかTwitterで突っ込みを受けるのは「自分が優秀で有能で、周りはそれをやっかんでる」と勘違いしている節がありますが、
たとえば、
厄介なのは、正義を執行する彼らには罪悪感が微塵もないことです。本気で世の中にいいことをしていると思って、気に入らない人間を「在日」と罵るわけです。歴史を振り返れば、こういう「正義漢」たちが魔女狩りをし、ホロコーストを行ったのでしょう。
魔女狩り、ホロコースト、在日…非常にデリケートな事柄を、「正義感の仕業」と何の根拠もなく断言しているあたり、
リサーチ能力の低さが滲み出てしまっているわけですが、どうなんですかね。
こういうのって根拠もなく主張してもいいんですかね。
もっと言うと、「のでしょう」「たぶん」がやたら多い。数えたことないけど。
そういえば、残業してまで高収入なら低収入でも残業せずに家族との時間を大切にしたいって仰ってましたねぇ。
嫁は残業しているのに。
というわけでイケハヤ師はオピニオンリーダーになるには大変御愁傷様な素質しか持ち合わせていないわけだが、
http://anond.hatelabo.jp/20130112143201を書いた者ですが。
hokusyu
Apeman
原則として増田は相手にしないんだけど、「はてサ」って言いたがるやつが実のところはてサの主張なんて全然フォローしてないことを如実に示す資料として。内田樹を「深イイ話」? バカか? 2013/01/13
他にも「内田樹は左翼じゃない」「むしろ右翼」みたいな反応が多くて正直驚きましたね。
護憲、労働者保護、反グローバリズム、脱原発、教育基本法改正反対、米軍基地反対、死刑制度反対、反自民・維新、生活保護強化、等々、彼の主張ってほぼすべて左翼的じゃないですか。
これってすごくないですか?
何かニュアンスの違いや言い回しの違いで「あんなの左翼じゃないから」とか「うちらとは違う」とか。
それで本気で社会を変える気があるの?
すごくよくわかる。
否定ばかりされてると、消耗してしまう。自分では悪いことをしてるつもりがないのに否定されるなら、なおさら。それに加えて、自分でも自分を否定していくようになると、地獄だよね。自分が生きていることに価値を感じないのに、それでも毎日生きないといけないなんて辛い。それでも精神のバランスを取るために、「どうでもいいんだ」と感受性を麻痺させざるをえない面もあると思う。
でも、世の中みんなが芸能人や恋愛やテレビ番組にもともと興味があるから、それらについて話しているとは限らないと思う。個人差はあるけど(そもそも、「自分が関心ない話題を振られる、だから何? 楽しんでるフリしてテキトーに合わせちゃう」というのが苦にならない人もいる)。
「普通」っていう枠におさまることを重要視する人々にとって、テレビなどのメディアが提示する「恋愛は楽しいからどんどんするべきだよー」とか、「こういうアイドルが流行りだから知っておくべきだよー」というメッセージは、普通に生きるための道標なんじゃないかな。だから、そういう話題になりがちだし、無意識のうちに相手にも、そのメッセージを押し付けてしまう。本当は、そういうメッセージを他人にぶつけて傷付けていいなんて正当性はないと思う。まあ、単純に、当たり障りのない話題だからついつい振っちゃうこともあると思うけど。
特に大学では、同じ学年でも年齢が違う、出身地が違う、と共同体的な個人間の紐帯が弱まるぶん、普通であることで人とのつながりを維持しようとする働きが強くなるような気がする。そうでなくても、「普通」に属して安心していたいという感情は、程度の差こそあれ多くの人が持つと思う。
で、みんな集団から浮かないように、心から納得してアイドルの話とかしていられたらいいんだけど、そうじゃないから元増田に対する風当たりが強くなるのではないかな。
高橋源一郎さんが書いてましたけど、「誰にも言えない私の秘密」というお題で作文を書いてもらったところ、学生さんたちの40%が「友だちのふりをしているけれど、ほんとは好きじゃない」が「絶対に口にできない秘密」だったそうです。あら~。
このツイートを読んで、思ったんだけど、テレビ番組とかお笑い芸人とか、そういう話題にノリノリになって話してるように傍目には見えても、「実はあんまり興味ない。でも周囲から浮かないためにはこういう内容を話すべき」と勝手に義務感を感じて自分でも知らないうちにフラストレーションを抱える人も結構いるのでは。そういう人にとって、元増田のように「その話題、どうでもいい」と意思表示する人の存在は、「みんな実はこういう話題に興味がないけど、義務感から話をあわせている」と気づかせる危険人物となりうる。その結果、無意識下で「俺だって浮かないように周囲の話題に乗ってんのに何KYなことぬかしてんだ」という苛立ちが生まれ、アドバイスをかましてきたり、批判をしてきたりする人々が現れることもあると思う。アドバイスする本人は親切心からのアドバイスだと信じていてもね。
つまり、「人間は普通であるべきだ」と強く思いこんでいる、そういう人たちにとって、「普通じゃなくてもいいんじゃない?」って提案してくる人は己の根本を揺るがす脅威になりうる。
何を言いたいのかというと、「こういう話題に乗らない君っておかしいよ」って指摘してくる人たちも、積極的な興味があって芸能人とか好きなタイプについて話してるとは必ずしも言えない、場合によっては嫌悪感を感じてるんじゃないかなーということ。だから、そういう話題に興味が持てないからといって、負い目とかコンプレックスを感じる必要はないと思う。そう思うと、ほんのちょっと気が楽にならないかな。自分に対して否定的になると、よけいな感情によって円滑なコミュニケーションを取りづらくなるし、相手と自分を比較してしまって人といるのが辛くなる。だから、自己卑下につながるような種は除いたほうがいいと思う。その点、対人関係を絶っていない元増田はすごいよ。
「本当に心を許せる人と出会い、関係をつくるにはどうしたらいいか?」という点については、ブコメまとめの方が親身になってくださっているので、興味という面から書いてみた。全体的に推測の域を出ないので、あくまでも「いくつかある見方のうちのひとつ」ということで。直接話聞いてくれる人ほしいなー、という時は大学の学生相談室という手もあるよ。
http://blog.tatsuru.com/2013/01/12_0952.php
本当は、若者の手助けを求めている職場はいくらでもあるんです。中小企業もうそうですし、農業林業漁業のような第一次産業、武道でも能楽でも伝統文化も継承者を求めている。
でも、翻訳の下訳したり、ラジオドラマの台本書いたり、家庭教師をしたり、友だちが持ち込む仕事だけでけっこう愉快に過ごしていました。
僕に仕事を頼んでくる人の方が僕の能力や適性について僕以上によくわかっているということ。向こうは僕にならそれができると思うから頼んでくるわけです。
とりあえず『猫の手も借りたいくらいに人手を求めています』という現場を探して、そこで働いてみてください。とりあえず呼び声が聞こえない就活生は全員被災地のボランティアに行けばいいんじゃないですか。
無責任極まりない呆れた言説。時代錯誤の自分探しのススメ、大企業に選り好みするなというネオリベ強者論、景況感がまったく違う時代で物を語る三丁目の夕日ロマン、日本電産永守ばりの十年泥思想、ブラック労働礼賛、挙げ句の果てには被災地を自己実現の道具扱い・・・
追記
nighter13
この人の中では、右翼=橋本と対立するので、内田=左翼となってるんだろう。人間で価値判断し、意見そのものを価値判断できない。ま、みんなそうだが。
あのさあ。もし橋下や石原や竹中が「就活に失敗した学生は被災地でボランティアでもして人間力をつけろ」なーんて発言したら、即はてサのみなさんがやってきて大炎上ですよ。
「最低賃金制度がなくなればいいのにと思っている法人がいるなんて考えるのは陰謀論」だというブコメがあってかなり驚いた(支持はされていないけれども)。内田樹はレヴィナス哲学の権威であり、フランス現代思想、特に構造主義に精通している知的エスタブリッシュメントであることを知らずに「根拠無く対象を誹謗するために詭弁を繰り出す人」というレッテル貼りに情熱を傾ける知的劣等感の権化のような人がはてな村に多いのは残念だ。
内田老師は構造主義的知見から本質直感した事象の構造を「わかりやすい届く言葉でつたえる」ことを使命だと自覚している哲学者である。原語で読んでも難解の極地であるレヴィナスやラカンの思想を「街場」に流布するために努力している人である。
内田樹の揚げ足をとることに情熱を傾けているのが池田信夫というアジテーターである。論理的整合性と数学的裏付けだけで「諸事全般の正しさ」がわかるという妄想に取り憑かれた、知の本質が判っていない底の浅い権威主義者である。彼のロジックに好意を示す橋下徹市長が(今天下に恥をさらしているように)知的に極めて浅薄であることは現在進行形で証明されている。このことに異論がある人はいないと思う。
毎週末、妻と一緒にアメリカドラマだったり映画だったりをみている。
この週末は某アメリカドラマ(その回のタイトルは「2つのBAU」)が、あまりにもつまらなかったので、お口直しに、マクロスFの劇場版を前後編両方借りてきて、一気にみた。
自分はテレビシリーズを放送当時みていて、妻はテレビシリーズはみていないので、アニメの内容は知らないが、どこで知ったのかランカ・リーの「星間飛行」がお気に入りでカラオケでも歌っている。ちなみに「キラッ☆」は機嫌がよくないとしてくれない。
一応、みる前に、「マクロスは歌と戦闘と三角関係がセットなんだよ」という話はしておいた。
この劇場版では、ライブシーンは満足気にみていたので、当初のお口直しという目的は果たせたように思う。
それから、ライブシーンだけみてたのかと思ってた、そうでもなかったようだ。
自分が「テレビ版だと、どっちつかずで終わったんだけどね」と説明すると
妻は「この内容だったら、絶対ピンクのほうが選ばれるでしょ」と返した。
「なんで?」と訊いた。幼少期の出会いの話を持ってくるのかなと思ったが違った。
「だって、ピンクの子はひとりぼっちじゃん。ランカちゃんには仲間がいるけど」
「男も女も他に恋人ができて別れ話切り出すときによく言うでしょ?『あなたには他にいい人がいるけど、あの人には自分しかいない』って」
これは、腑に落ちる説明だった。
自分も、この展開ならシェリルが選ばれるよねって思ってたけど、そういうことだったのかと。
「シェリルにはアルトしかいないってことを、アルト自身が一番知っていた」ということなのだ。
で、このようにすんなり納得したのは、以前、内田樹のブログ「配偶者の条件」を読んでいたからだ。
配偶者の「才能」「美貌」「情愛」などについて世間に知られることが少なければ少ないほど、「この人のほんとうの人間的価値を知っているのはこの世で私ひとりだ」という確信は深まる。
内田樹のこの文は能力を例にあげて説明をしているが、その意を汲んで劇場版マクロスFにあてはめるこうなるだろう。
アルトは、シェリルの美貌や歌唱力といった「銀河の妖精」として誰もが知っている価値ではなく、素の姿や抱えている痛みといった「情愛」の部分に触れた、たったひとりの存在である。
片方にとって特別であるということは、それはもう片方にとっても特別なのだから、二人がくっつくのは、もはや義務みたいなものである。
考えてみれば、「身分や立場といったものにとらわれず、ありのままの自分を愛してくれた」なんて話がよくあるように、恋や愛に関しては、この「たったひとり」説ってよく当てはまっていると思う。