はてなキーワード: 成果主義とは
基本的に、安心して子供が大人になり、生涯安全に暮らせる保証がなければ産みたくないという人が多い
子供のうちだけどんなに厚遇して特別扱いしたところでその後の大人になってからの扱いがゴミ以下なんだから完全に無駄
仕事で多少の失敗をしても首にならないし、万が一病気したり死んだりしても家族に遺産を遺せる
問題は年功序列と終身雇用には別に新卒至上主義をセットにする必要はないのに何故か新卒至上主義にしてしまった事で
そのせいで入口で一度躓くと一生取り戻せないという就職氷河期問題が生じた
さらに非正規化を進め、名ばかりの成果主義で雇用を不安定化したから結婚出来ず子供も産めない女性が増えた
「産む人を賛美しはじめるし産まない人をボロカス言い始めると思うしみんなそれに洗脳されていく」なんてやり方で、産む人が増えると本気で思っているなら何も分かってないね
産まない人がボロカスに言われるようになったりしたら、
我が子がそうなるのを恐れて産むのを躊躇する人が増加するに決まっている
ていうか既にそうなってるけれど、その結果少子化はますます加速してる現実を見なよ
そうじゃなくて、「産まない人が尊重されて豊かに暮らしていけるような社会になれば」みんな心配するのをやめて、安心して子供を産めるようになるんだよ
自分が見返りを求めてしまったから余計に虚しい気持ちを抱いたという理由は棚にぶち上げて
自分が以前作ったまとめ資料を、後続で出してきた奴がいたとき、後続の奴らだけ褒められてたら多少はやさぐれるのも多めに見て欲しい
自分と後続、互いが作った成果物は見てない状態だからお互いマネとか一切できなくて。故に尚更フラットな評価を下されていると自覚して苦しくなる
自分がまとめた時は時間がタイトだったからExcel1枚にペラっとまとめ上げたけど、
後続は1ヶ月くらい余裕あるからそりゃゆっくり目次作って表題デザインつけてリンク貼ってって出来るよ。
イクメンムーヴメントも来て、最近は男性の育児への参加率が増加してきているが、まだ「しなければならない」という義務感が先行している人、企業の成果主義のような感覚で「親としての評価」だけを求めてしまう人が多く、育児を楽しむところまではなかなかいけていないようだ。
父親が積極的に子育てすれば、これまで見えなかったことが見えてくる。子どもの成長はもちろん、家族や夫婦の絆が強まったり、男性が家事に勤しむことで生活力が磨かれるので、将来もし妻や親が介護になったり、一人で暮らすことになっても安心だ。また家庭という枠を越えて学校PTAや地域活動へ参画すれば、会社では味わえない仕事の達成感を得たり、一生付き合える隣人ネットワークも持てる。それによって父親自身の世界も広がり、人間の幅が出来てそれが本業の仕事や老後の人生にも活かされてくるのではないだろうか。
子育てに主体的に関わることがこんなに「いいことづくめ」なのに、残念なことにまったく興味がない男性はまだ多い。そもそも「父親を楽しもう」「地域で父性を発揮しよう」なんて発想すらない。「育児は母親の仕事。男は外で働き稼いで家族を養うのが父親の役割だ」と、思いこんでいる男性はまだ少なからずいるのだ。
そういう僕も20代の頃は仕事に没頭し子どもは特に好きでもなく、そんな考え方だったと思う。でも35歳で娘が生まれたとき、直感的に「育児は義務ではなく楽しい権利なのではないか」と思った。子どものいる暮らしを自分なりに目いっぱい楽しみたい。「手伝い」ではなく主体的に子育てに関わることで、ひょっとしたら親として、大人として、地域社会の一員として自分が成長していけるのではという予感があったのだ。
そのためには、独身の頃と同じことをしていてはダメだ。まずは「男は仕事。女は家事・育児」といった古い価値観をアンインストールする。つまり自分の中のOS(オペレーション・システム)を入れ替えねばと悟った。実際に始めてみると子育てではいろいろなソフト(寝かしつけアプリ、お風呂入れアプリ、絵本読みアプリなど)が必要でそれを円滑に稼働させ育児を楽しむためには、古くて堅い父親像を追い出し、新しい時代に必要な父親OSのインストール(意識改革)が必要だったのだ。
またOSが古いと「ワーク・ライフバランス」という言葉も捉え方を間違える。子育てをしてみて僕も分かったのだが、「仕事か生活か」のどちらかを取る二者択一ではなく、自分なりのハッピーバランスを考えそれらが融合して人生を形作ると考えることが大事なのだ。仕事も子育ても自分の人生と捉えるならば、毎日双方がスムースに運ぶようマネジメントすることが大事で、そうすれば段々と楽しめるようになってくる。ただし大概にして子どもの幼少期と仕事の責任が増す時期は重なるもの。僕だってそうだった。子どもが生まれたって仕事は面白いし、熱血マンガを読んできた世代なので「男のロマン」的なものあるのだが、そればかりを追いかけて家庭を放ったらかしにして仕事一筋では家族は幸せになれず、結局自分の人生も楽しくないのだということに何回かの失敗で思い至った。幸い、大事にならずに修正できてよかったのだが、危ないところだったと過去を述懐して思う。
セミナーや講演で全国を歩いていると「子育てが始まって妻と不和に陥った」という男性が多いのだけれど、そういう笑顔のない男性には「それはあなたの能力や向き不向きの問題ではない。OSの問題なのだ」と伝えている。
これからは父親になったらOSを入れ替えて、自身の働き方や子育ての仕方を見直し、子どものいる暮らしを楽しむことで男性だって楽しい人生を送ることができるのだと考えよう。そして自分の人生を肯定する父親の笑顔こそが、夫婦間パートナーシップや子どもの自尊心を育むのだということ認識して、父親であることを明日からもっと楽しんでいこう。
結局は人件費を下げる・抑えるためのいあたわけでしかないんだけど
不景気や高齢化が深刻で昇給なんてムリ、って中小零細では導入が進んでんだよね
そのシステムを売り付けたり、社員に説明したりするのがコンサル会社で
憎まれ役としての面もあり、会社から金貰って会社のために社員を懐柔するわけね
したら、成果出し続けて、会社に服従しないとまともに賃金貰えないってなるの
利益出ないから給与額維持できないって本来は経営陣の責任なんだけど、逆に会社がお前ら社員の生産性が低いからだー!って詰めながら賃金カットできんだよね
使えない社員は低賃金で働くならヨシ、自発的に辞めるならそれでヨシ、って感じ
穴埋めはパートとかやとったりすんだけど、優秀な社員は自発的にサビ残とかしてくれるから結構なんとかなったりする
でもさ、利益のため、会社のため、自分のため、って不正もやっちゃうんだよね。大義名分もあるし、ノルマや評価のためならやらざるを得ない。で、嵐の中出港したり、車にワザと傷付けたりして、バレて大事故になるワケ。
低コスト故の低価格で同業他社駆逐したりするけど、客の安全や社員の健康保護のコストを違法に抜いてる訳で、そんで事故や病気が発生したら社会全体のリスクになんのな。
でもコンサルはそーゆーとこ無視して、滅私奉公で会社のために働くのが社会のためになるっつーのよ。で、大真面目にそれを実行する社員のおかげで会社とコンサルは儲かる。そんなん続けてたら社会は悪くなってくよねぇ
Q:ジュディス・バトラーの主張と批判について教えてください。
A:ジュディス・バトラー (Judith Butler) は、ジェンダー、アイデンティティ、権力の問題に焦点を当てた哲学者、ジェンダー理論家である。彼女の主な主張は、ジェンダーは固定的で自然なカテゴリーではなく、むしろ私たちの日々の行動や相互作用を通じて継続的に生産され強化される社会的構成物であるという考えに基づいている。彼女はクィア理論の発展に影響力を持ち、フェミニズム、異規範性、伝統的なジェンダーの概念に対する批判を行ってきた。
バトラーの主な主張の1つは、ジェンダーは遂行的であり、それは単に生得的または既存のアイデンティティを表現する問題ではなく、むしろ私たちが行動や行動を通じて創造し、実行するものであるということである。彼女は、ジェンダーは私たちが学び、内面化する文化的なスクリプトであり、私たちの日常的な他者との交流を通じて常に再生産されていると主張している。つまり、ジェンダーは私たちから独立して存在するものではなく、私たちが積極的に生み出し、参加しているものであるということです。
バトラーの研究のもう一つの重要な側面は、本質主義に対する彼女の批判である。本質主義とは、特定の特徴や性質が個人や集団に固有のものであり、これらの特徴がそのアイデンティティを定義するという信念である。バトラーは、本質主義は抑圧の一形態であると主張する。それは、アイデンティティには固定的で自然なカテゴリーがあり、それが差別や排除につながる可能性があるという考えを強化するからである。代わりに彼女は、複数の変化する表現形式を可能にする、より流動的で柔軟なアイデンティティの概念を提唱している。
ジュディス・バトラーに対する最も一般的な批判の1つは、あまりに抽象的で理論的であり、彼女のアイデアを現実世界でどのように実践できるかが必ずしも明確ではないということである。批判者は、ジェンダーのパフォーマンス的な性質とアイデンティティの流動性に焦点を当てることは、具体的な政治的または社会的行動に変換することは困難であり、彼女の仕事は不平等と抑圧の問題に対処するための明確な戦略を提供していないと主張している。
バトラーの研究に向けられたもう一つの批判は、個人のアイデンティティと主体性に焦点を当てすぎており、より大きな社会的・制度的構造が私たちの経験を形作る方法を十分に説明していないということである。一部の批評家は、彼女が成果主義とジェンダーの社会的構築を強調していることは、家父長制、資本主義、人種差別のような制度的システムを通じて権力が機能する方法に十分に対応していないと主張している。
最後に、フェミニストの学者や活動家の中には、生物学的な性と女性の経験の重要性を損なうとしてバトラーを批判する者もいる。彼らは、ジェンダーの流動性とアイデンティティの社会的構築を強調することで、バトラーは女性の身体の物質的な現実と、性に基づいて歴史的に抑圧されてきた方法を消し去ると主張している。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.ryuzee.com/contents/blog/14581
っていうエントリがあるんだけど、
内容は会社の組織目標を上手に設定しましょうね、と当たり前のことを簡単に書いてあるだけだ。
そこに、成果主義の弊害とか無駄無駄無駄アッみたいなコメント一杯ついている。
いまどき、よほどの同族会社とか独裁ブラック企業とかでない限り、
今年はこれをここまで達成します。出来たら評価4/5をください。出来たという判定はこれこれを基準でいいですよね?
もしそれ以上あそこまで登れたらよく出来ましたとして評価5/5をください
みたいな話を上司としておかないでどうやって上司からイジメをうけたり仕事しているのに社長の甥に業績をあつめたしわ寄せで降格減給されたり、
みたいな状況に対処できるのか?
プロとして請け負う仕事の範囲や成果を会社側と事前に合意しておかずになんで会社側でそんな管理しろや、とか言えるのかわからん