はてなキーワード: ビックリとは
喫茶店でオッサンと若者が喧嘩、古い価値観のオッサンを若者が言い負かす!
と、それを聞いていた女子高生が若者の無意識な男性中心主義を鋭く指摘、店内は拍手に包まれた…
後日、その話を会社でしていると、同僚(東大卒)がその女子高生の指摘には論理的な誤ちがあることをさらりと論証、さすがに東大は違うわ
と思いきや、ちょうど出張してきていたドイツ人の同僚が世界的な思潮に基づいた意見を述べてきた!東大スゲーなんて言ってる場合じゃない、日本って遅れてるな、海外に追いつかなきゃ…
と、ここまでの話をパートナー(黒人、男性、ゲイ、google勤務)にすると、議論の根底を覆すようなスゴイ発想が出てきて仰天!この発想に至れていれば、そもそもケンカなんてしなくてよかったのになあ。世界を引っ張るGoogleの力はさすがだね。
帰省したとき、こんなことがあったんだよと父親(退役軍人)に話してみた。すると長い沈黙のあとボソッとひとこと。そのひとことに含まれた含蓄といったら、これまでの全てを吹き飛ばすパワーがあったんだ。亀の甲より年の功…あながち間違いじゃないのかもね。
そう思った矢先に現れたのは6歳の姪っ子。なんの話してるのー?と好奇心を見せるので、ここまでの話をかいつまんで伝えた。それに対する答えにビックリ!子供の柔軟な発想こそが次世代を作るのかもなあ。
意味が広すぎてただの悪口なのに「わかる~!」みたいに共通認識としてあって、伝わっていってしまうやつほんっっっとタチ悪いから大嫌いなんだけど、だんだんその正体が見えてきたから書こうと思う。
自分語りから始まるが、私は客商売の自営の家に生まれた。店舗の上が住居のタイプの地元密着系だったので、小さいときから「◯◯さんところの娘さん」というような感じで近所の人に認識されていた。
そして親は「多少勉強ができなくても女の子なら愛想よく感じよくしなさい。人に迷惑をかけるな。挨拶は欠かすな。礼も欠かすな。」系の昭和っぽい女子教育をモットーに私を育てていたように思う。
だから急いでいようが天候が雨だろうが真夏だろうが真冬だろうが、近所の人が「あ、◯◯ちゃんやないの!」と声をかけられれば雑談に付き合った。
子供的にはうざくてしかたない「前みたときは乳母車にのってグズってた子がこんな大きなって~~!」という気恥ずかしいようなちょっとムッとして「知らんがな…」と言いたくなるような話もクソほどされたがすべて「ありがとうございます」と流した。
うちのお客さんには老若男女いて、まぁ近所はもちろん大体の人には親切に接してきたと思う。誰がうちの客で、また客になってくれるかわらないので、丁重に扱う以外選択肢がないとも言える。
うちの実家の店の利用メイン層はいわゆる「おっちゃん・おばちゃん」である。
前述したように大体の大人を丁重に扱う(ようにあしらってもいる)事に小学校4・5年にでもなれば否が応でも慣れ始める。
受付係モードみたいなものを幼くして会得できてしまうのだ。これは客商売の家に生まれた子供さんならなんとなく理解してくれるんじゃないかと思う。
中学校に上がって、スクールカースト上位女子グループに「男に媚びてる」と陰口を叩かれるようになった。
正直ビックリした。私はそういう恋愛どうこうというような成長が人より遅かったので「男に媚びる」という事の意味さえまだわかっていなかったからだ。
なんでそういわれるのか全く検討もつかなかったので大変悩んだ。
今ならわかる。私がいわゆる「男に媚びてる」ように見える訳が。
普通この頃になると異性に対してなんらかの壁を感じているのが「正常」と考えられているのだろう。だから私がクラスメートの男子やら男の先生に人懐こい感じで接するのは変に映ったのだろう。ただ私がいつも通り受付係モードで接しているのが「気持ち悪い」と。
私にしてみれば生家やその近所と追随する商工コミュニティである種の自己防衛の一種で身につけた対人スキルが、次は教室のようなセオリー通りに空気読んで自分の立ち位置をつぶさに確立していかなければならない場所では悪手となる。
初手で悪手を打ってしまったのもあって中学校のスクールカースト上位者には卒業するまで塩対応され続けた。
一度、私の事が一等嫌いなNさんが塾友達だという部活が同じのYちゃんに探りをいれてもらったことがある。
私が嫌いな最大の理由は「男へのアプローチが顔に合ってない」であった。
いや~たまげたね。確かに私はどう見積もってもブスカテゴリーの顔だ。
だからこそ親も愛想よく感じよく育てていただろう。
要するに「嫌われもんのブスは嫌われもんのブスらしく小さくなって黙ってな!」ということだ。
今となっては物凄い暴論だが、そういうとんでもない暴論が許されて放置されて継承されていく地獄の空間の中学校だからさもありなん。(でもめっちゃ傷付いた)
昨今「ステレオタイプに当てはめないで!一人一人事情がある!」ってのも人権解放のムーブメントだと捉えているが、いまだにこのステレオタイプという概念は一部のコミュニティの中で「キャラ」という言葉で現役で生きている。
結局多くの人が理解しやすい人ステレオタイプ的な人の方がいろいろやりやすいし、特にカースト構造ができやすいコミュニティの中では上位者は下位者を分かりやすく蔑みたいので下位者がこの想像通りじゃなかった場合の上位者の残酷さったらない。
気持ちよく見下すつもりがなんなのあいつ!とでも言うのだろうか、無能で冴えないやつがコミュ障じゃなくてもイラつかれるし、マイノリティのくせにめちゃくちゃオシャレにこだわりあったりしてもキモがられたりするのおかしくないか?今はこの人権解放ムーブで減っていると嬉しいのだが、ニュースやバラエティーを見ていると私が中学生だったほぼ20年前と変わらないように思う。
やっと主題に戻るが、結局「媚びてる」というのは見下してる側(もしくは元々タイプの違う合わない人間への)の言いがかりでしかないのではないか?と私は思う。
実際媚びていたとしても違う方法を取ってる人間へのただの個人的な違和感に過ぎない。
「気取ってる」というのも構造は同じだ。
結局はコミュニティ内でキャラじゃないと勝手に感じられて勝手に違和感をもたれているだけなのではないか?
若者言葉やネットスラングを使わないとかくだらないことでコミュニティ内で気取ってると異物扱いされたことがあるが、そんな事でコミュニティのバランスが崩れるんならどっちにしろそのコミュニティは長続きしない。
「気取ってる・媚びてる」ワードのユーザーよ、帰属意識からの勝手な崩壊恐怖でしょうもない言いがかりつけてんじゃないのか。
そのくせTwitterなんかで人権解放系ツイートリツイートしたりしてる人は、あなたの回りの媚びてるやつを見下して勝手にイラついてないか考えてみてほしい。
人権解放とかにまるで興味なくいつも誰かを意識的にいじめていたいってひとはそれはそれでヤバイけどまだ理解はできる。割とそういうド悪人は「媚びてる・気取ってる」とかフワッとしたワードを愛用してる感じはしない。これも私のステレオタイプからくる偏見だといわれるとまぁそうなのだが。
このフワッとワード愛用者は大体常識人っぽいのがまた厄介なのだ。コミュニティの中で自分の思い通りになってる人や、目上の人には優しいことが多いように思う。だからこそその帰属意識から過剰に反応するとも言えるし、嫌われた時の衝撃もでかい。
媚びてる気取ってるやつがウザい、コミュニティの異物と感じてしまうあなた、それはあなたの感性の問題であって、媚びてる気取ってるやつの性格なり人との関わり方の問題なのか?ほんとうに?見下したい相手が思い通りじゃなかったからイラついてるんじゃないの?そういうのってすごい失礼じゃないすか?
媚びてる気取ってると言われてそんなことないのにと傷付いてるあなた、多分あなたはそのコミュニティにおいて異物なのであろう。しかしそれはコミュニティや当該人物の未熟さから来ていることが多い。愛想がいいこと、言葉や振る舞いが丁寧なことは基本的にいいことだ。
上から目線で他人に指導とかしてない限りあなたに非はない。残念だがそのコミュニティを出るまであなたのよさを隠すしかない。
コミュニティに合わなかっただけだから自尊心を失わないでほしい。
媚びてると言われ、つまんない中学時代を送り、で、内気ぶってると「ノリ悪いね」と言われあるコミュニティでどの世代にもわかるように丁寧に喋っていると「気取ってる」と言われた経験から、書かせてもらった。
残念ながらこの媚びてるとかいう悪口は30越えてもあるが、ここ最近ある程度仕組みがわかったのでやっと傷付かなくなってきた。
個人個人いろいろあるんだから勝手に型にはめてキャラじゃないだの、下に見てたのに思い通りに見下せないからって言いがかりつけるのは大体不快に感じてる側のセンサーの問題だから私はどうしょうもないで、という開き直りの境地とも言える。
窓を開けた覚えがないのに
虫が嫌いすぎて、名前が分からない。ゴキブリみたいに黒い色をしていた。
寝室の隣の部屋にいた。天井付近の壁が格子状になっているので、隣の部屋の天井が見えるのだ。
気づいたら、虫から目が離せなかった。
どこかに行くのも嫌だったので、ずっと見た。
虫がとんだ瞬間、ブーンと言う気色悪い音がしたので、思わず「うわっ!」と言った。
断じて、叫んでない。小声だった。
なのに旦那は「なんだようるせーなぁ!何もできねぇくせによぉ!嫌ならみるな!!うるせー!!」と言ってきた。
私が何かにびっくりすると、毎回こういってくる。
声に出さなくても「俺のほうがビックリするからやめろ!!」と言ってくる。
その後、怒りが沸いてきたので旦那をおいて先に駅に向かった。
虫とり網でも買おうかな。
端的に言ってめんどくさくなってしまった。何故かはわからない。
特別、何か揉めたとかじゃなく、突然、別にこれはなくても良いなと思って、
その日のうちに削除する、ということが、ここ半年くらいの間に5件くらいあった。
学生時代の友人とだけ繋がっていたアカウントも全部消したので、
まあ、今友人らしきものは誰もいないことになる。連絡の取りようがないからだ。
長年ウェブ上で会話してきて、なんなら何度も会って話した人も
たくさんいた。けど、今振り返ると、別に自分にとっても、相手にとっても、
いなくても何も困らないし一月もしたらみんな忘れてるだろうな、ってぐらい。
驚くくらい何も残らなくて自分でもビックリする。何して生きてきたんだろう。
早く死んで終わりにしたい
汚部屋って何か食べた後のゴミとか放置してるっぽいのをイメージしちゃうけど、自分の場合はそれはない。とにかくモノが多くって、全部床に置いているタイプのやつ。
そのうち続きが書けるよう頑張って気付いていこうと思う。
1. 世間の人の「○○以外何もできなかった」は、家事が除外されていることが多い
例えば「ソシャゲ以外何もできなかった」とツイートしている人間を考えてみる。ベッドの上で、起きている17時間のうち、食事を1度取って随時トイレに行く以外すべてソシャゲをしている人間は、その中でも少数派だってこと。普通の人は掃除やって、食事を作って摂って、風呂入って、もしかしたら買い出しまでしているかもしれない、それくらいやって、余暇の部分でソシャゲばっかりやっている。
もちろん自分は少数派。モンハンが最盛期を迎えている頃マジでこんなだったなー。
2. 部屋のキャパシティを超えた場合は、広い部屋に住めるよう年収を上げるか、捨てる
さすがに床が見えるようにしよう、と思って色々やってみたら、なんと現実世界にもアイテムの所持上限は存在しているのに気付いた。愛だのなんだの美しいことはどうでもよく、そのエンタメコンテンツの生存のために何も考えずに大量のグッズを買うと、床が埋まるのである。これにはマジでビックリ。
一人暮らしなので、部屋のキャパシティを超えた場合は捨てるか引っ越すかしかない。ぶっちゃけ、コンテンツ生存のためには「グッズの購入」は大事だけれど「グッズの所持」は必要じゃない。犯罪により過去の作品を販売停止する文化がなくならない限りは、CDとかブルーレイは必要かもしれない。
今まで気付かなかったのにめっちゃ気になるようになった。なんで?掃除しない方がよかった?
4. 人間が触るだけで、物は汚くなる
自分が人間であることがつらくなってきてる。一度拭いたら3か月はきれいであってほしい。
5. 生ごみは、めんどいけど一回ビニール袋に入れて縛ってから捨てる
きれいになって調子こいて自炊なんてしたら、コバエが沸いた。マジでうざかった。まだいるけど今はだいぶマシ。
でも一番怖かったのはめんつゆ+食器用洗剤で作るコバエトラップ。効きすぎ。
6. 「モノの置き場をきめる」は、そのモノの最大積載量を決めるってこと
面倒じゃん、「置き場を決める」って行為が。自然に決まるもんだよ(キリッ)と思ってたけど、自然に任せた結果が床の見えない部屋だった。
上に書いたけど場所を決めるってよりは、その時の部屋の所持上限をカテゴリごとに決めるってことなんだな。
そう思ったらだいぶ前に買ったCDとかをある程度売れた。とりあえず何を送るとか一切考えず、ダン箱に要らんもん詰めて送れば売れるとこに任せたんだけど、何かとんでもない値段で売れちゃった。どれが高かったのかだけでも教えて欲しい。
ちなみに床はまだ見えない。
7.「何か決まってない物置場」は、よくない
置いてあるモノがカオス過ぎてどうすることもできない。エジプト土産のピラミッド文鎮とアウトドア用の折りたたみ椅子を同時に見せられても頭が動かない。でもそういうのが積み重なって、一人暮らし歴の分だけ溜まっちゃってるんだよなあ……。ピラミッド、どうすりゃいいんだろうなあ……。
あれ読んで朝鮮人め!という気持ちになる人おるんだろな、多分。まじかよ、とは思うが。
一郎さんの阿南陸相の自決への怒りのツイートを今の政治に結びつけて一緒に怒ってる人は見たし。
自分は一連の東へ向かうツイートは、敗戦の混乱を感じることができてよかったと思う。なんもかんもカツカツでみんな余裕がないから、不寛容。優しい人は優しいけども、みんながそうはできない。でも起きた出来事はショッキングで記憶に残りやすい。
全く存在しない出来事を新たに作り出す事は無いと思うので、多分日記以外の根拠があるか、インタビューとか取材した結果のツイートだろう。
いや、軍関係の奉仕に行った先で日本は負けるって煽ってきた朝鮮人と口喧嘩して負けた事ゼロから作らないでしょ、普通。創作ならすごいよ。私だったら、ひよって苛烈な環境で働いていた人達への連帯感とか哀れみのエピソードにしちゃいそうだもん。
自分が広島市の義務教育課程を卒業して20年近く経ってるから参考にはならないかもだけど、急に教育が右翼化したとかじゃない限り、ダム建設に徴用された朝鮮人など差別の話、日本が植民地へしてきた事への反省教育はされてるはず。
さすがに君が代の代わりにアリランの歌を教えられるとかはもう無いとは思いたいけど。
だから安易にヘイト創作しないと思うんだよなあ。悪い印象与える位なら存在無視しろ、って事なら分かるけど、一郎さんややすこさんの日記に朝鮮の人が出てこないので、透明な存在のままだったろう。戦争孤児の浮浪者集団も強烈に印象づけられたけど、その集団に弁当強奪された旨のツイートへ、彼らは可哀想な存在だからと諭す反応があったな。
シュンちゃんも一郎さんもやすこさんも、聖人ではないし、ただの一個人の感想だと思って見ている。日記に他人が色々肉付けしてるから、そこが嫌な人はいるんだろう。わたしは映像作品を見るより受容しやすかった。
個人的には三者三様の視点で終戦期のやり取りを見ることが出来るのはありがたいと思う。終戦後にやすこさんが小磯元首相の血縁者と分かるツイート、ビックリしたのと同時に米軍がやってくる事への強い不安感や玉音放送聞いた後の悔しがりに納得がいった。
自分が読んだ事のある戦中の日記、その子が原爆にあって5日で終わってたのでこのまま年末まで読めるなら読みたい。(やすこさんは9月中旬、シュンちゃんと一郎さんは年末まで日記が続く予定)
Vtuber事務所カバー所属のホロライブ4期生姫森ルーナちゃんが以下のツイートをしファンが騒然としている
姫森ルーナ🍬お姫様👑ホロライブ4期生(@himemoriluna)さんがツイートしました: レントゲン撮って骨に異常はなかったけど首の靭帯を痛めてしまったみたいなのら…😭
もしかしたら痛みで配信出来ない日もあるかも…( ; ; )ゴメンなのらね💦 https://twitter.com/himemoriluna/status/1296607744997257216?s=20
ルーナちゃんはホラー表現にビックリし椅子から何度も転げ落ちていたのだ
このように何度も椅子から落ちており首の靭帯損傷までいってしまった
この配信ではスタジオスタッフがいたはずなのに誰も安全措置を取らなかったのだろうか
俺が首の事故では覚えているのはアナウンサーの田んぼでの事故だ
男子アナ、尻相撲で首骨折し全身麻痺…テレビ宮崎・柳田アナ20080614.flv
このようにルーナちゃんも首の靭帯損傷ではなく首の骨折でまひになる可能性があったわけで一回目以降に立たせたりマットレスをひくなど対策は必要であったと言わざるを得ない
今回は、ここ1・2年で一番に課金してきた推しについて書きたいと思う。
いや、書きたいというか、この胸で悶々とした思いを吐き出したい。
まだこの思いをちゃんと言語化出来ていないのと、あまり文を書くことに慣れていない為、読み辛さなど有るだろうが御容赦願いたい。
結論から言うと冷めてしまったのである。もう自分でもビックリな位。
私の推しは若手俳優で、とある役を演じていたのをきっかけに推すようになった。
ファンクラブにも入り、他のファンの方々とも細々と交流しながら楽しくやっていた。
のだが。
段々と推しのアラが見えるようになってきたのだ。
詳しくは書かないが、まあうっかり推し本人が色々やらかしたりとか。
事務所の仕事の粗さに溜息をつく事が多くなっていった。取り敢えず、ファンクラブはちゃんと動かそうな?事務所よ。
それでも仕事はそんなに切れずに有ったから、ファン仲間もいたし愚痴をこぼしあいながらだが、まあまだ推すテンションはそんなに下がらないでいられたのだ。
推しを観る機会はドンドン奪われていった。返金の嵐に荒んでいくヲタ心。グッバイ超神席。
ポシャった仕事の隙間を埋める様に、色んな芸能人が動画配信をする様になり、我が推しもコンスタントに配信をする様になっていった。のだが。
ここで、まあ割と塩対応であった推しが「ファンクラブの皆さん大好きです。」と分かりやすくファンクラブ配信でファンサを連発。どうしたの貴方、今までそんな事言った事なかったじゃない。
ファンクラブのバースデーメッセージだって、ほぼ番宣だった貴方がどうしたのよ?!
しかし、このファンクラブ配信も数回やってパッタリと行われなくなった。うん!そういうところだよ!仕事が粗い!
事務所本当に仕事粗すぎるんだよ。取り敢えず、釣った魚には餌をやらんと逃げるという事をいい加減学べ。
そう、ファンクラブが会費泥棒と言って良いほど動かなかったのだ。
バースデーメッセージはほぼ番宣、動画も更新は亀、グッズ販売はうま味が少ない(あと梱包がマジで雑。私は運良くなかったが、商品に傷がついて届いた人もいた)
今まで何となく隠れていたというか、供給が有ったから押し流す事ができていた推しや事務所に対する不満が、
このコロナ禍という異常事態ではっきりと認識出来てしまったのだ。
いままでは「ああ、顔がいい」等思いながらニヤニヤする事ができた。
しかし、その時は「あれ?何で好きなんだろう?」という思いしか浮かばなかった。
全てが急にどうでも良くなって行った。
良いところが見えてこない。
見ないようにしてきた、古株と新参者の溝というか対立もしらけさせるには充分で。
文句を言うな、変えさせようとするな、と古株さんグループは言う。
「そのままの君が好き」と、何でもヨシヨシ。
私は、古株さんの様に何でも手放しで喜べないし、ヨシヨシ出来ねえな、と。
「可愛い!カッコいい!天使かな?!」とTLは盛り上がっている。
何となく悲しくなって、推しが演じたキャラクターの動画を観る。
物凄いときめく。もう何十回と観てる動画なのにアホみたいにときめく。
推し本人より、推しが演じたキャラクターが大好きで推すようになったので
引け目を感じていた部分がもとより有ったのだがはっきりと認識出来てしまった。
この推しは、わたしの一番の推しの依代で、推しではなかったのだ。と。
私のTwitterアカウントはこの推し仲間がほぼ全てのフォロワーである。
そんな所で、これをぶちまける勇気は私にはなかった。
ああ、これがただの推し変で有ったなら、あっけらかんと呟けただろうか。
芸能人と会えるイベントに参加するなんて、大昔にいいともの観覧席に座ったとき以来だった。
チケット代が安いことにビックリした。アイドルのコンサートや演劇舞台とかと違って芸人のイベントはコストが安いのかなと思った
私が好きな芸人は定期的にイベントをやっており、簡単に直接生で拝むことができる。今回はメインイベントのあと推しの著作のサイン会があり目の前で推しにサインを書いてもらって会話もできて、「こんなに簡単に推しと会えてしかも直接話していいの?この人人気者なのに、こんなに簡単に接触していいの?」と畏怖と驚きと興奮で胸がいっぱい
推しは本の中には書けなかった裏話を私に話してくれて誰も知らない推しと私だけの会話が成立していることにびっくりした
あぁ、こんなことをしても許されるんだ…って思った
TVで拝むんじゃなくて人と人として推しと会話することが許されるんだ
しかも、推しは私が推しの本を熟読していることを知ると喜んでくれてお礼を言われた。すごい
サイン会のあと打ち上げがあり、希望したファンは打ち上げに参加できる。私は家に小さい子どもがいるから打ち上げには参加できなかったが、人気芸能人とファンが接触できる打ち上げというイベントが存在することにびっくりした
今までアニメや漫画オタクとして活動してきて、最近芸人オタクとしての活動をやりはじめたから初めての感覚、初めてのことづくし
しかも今月末また推しのイベントに参加するからまた推しと会えるし
月に二回推しと会えるってすごい
なんかこの所、シスヘテロ女性の方がゲイやトランス女性よりマイノリティで弱者だと思ってそうな女性やフェミニストを見かける事が度々あり、ビックリする
ツイフェミは兎も角、学問としてのフェミニズムでは当然この辺りもちゃんと議論されていると思うけど、どういう議論になってるんだろうね、全然情報出てこないから分からん、誰か教えて専門家
まぁ流石にその比較で女性がマイノリティで弱者という結論には成らないと思うから、そうなると例の「非対称性」という概念が出てくる訳で、女性側の譲歩や配慮は必要になると思うけどね、マジョリティで強者なんだし
割と有名なフェミニスト団体のサイトでTERFの主張が無批判に垂れ流されていてビックリしちゃった。
https://wan.or.jp/article/show/9075
トランスジェンダーの人たちに対する悪質な差別煽動だと思うけど、これって次の2つの理路のどちらかでしか正当化できないよね……
1を選んだ場合、まあ自殺だよね。お疲れ様です。今後WANやその周囲の人たちがどんなに女性差別を訴えようとも聞き入れる価値はゼロということですね。
2を選んだ場合、これはかなり強硬な表現の自由を主張しているということになるよね。
表現の自由を掲げてヘイトスピーチの法規制に反対する人は一定数いるけど、彼らの主流派は「ヘイトスピーチはけしからんかもしれないが公権力によって取り締まられるべきではない」と言っているのであって、ヘイトスピーチを積極的に議論の場に乗せてやろうと主張する人は、強烈な差別主義者以外はあんまりいない。
ところが、今回のWANは、ヘイトスピーチに積極的な議論の場を提供してあげたに等しい。これは、「表現の自由戦士」なんて揶揄される人たちとは比べ物にならないほど強硬な表現の自由主義だ。
当然、これを選んだ場合、WANおよびその周囲の人たちは、今後他人の表現に口を出す資格がなくなる。混じりっけなしの本物の差別主義に場を与えておいて、ジェンダーバイアスを強化する表現はいかがなものかとか空想上の性暴力コンテンツはけしからんとか他人に言う資格があるとはとても思えない。
WANはどちらの理路を貫き通すのだろうか。
1を選んで差別主義者であることを開き直るのか、2を選んで表現の自由戦士過激派に転向するのか。それともTERFの主張を肯定的に載せてごめんなさいと謝罪するのか。
どう転んでもフェミニズム界隈は大変なことになりそうですね。まあ頑張ってください。増田はWANのフェミニズム自爆活動を応援しています。
Not All Feministsってやつですよね、わかります。一部の変な人たちのせいで全体に悪い印象がつくのは不当なレッテル貼りですよね!