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はてなキーワード: テキストとは

2020-08-12

無題

リモートワークしてもう半年位たつ。

ほぼ毎日オンラインMTGで、画面越しに会話する生活

こんな生活になると個人思考とかエゴとかがよく見えてくる。

他人の足を引っ張ろうとするやつ。

自分の成果はおいといて批判ばっかりのやつ。

べき論を振りかざして何もしないやつ。

反面、

こんなときからこそ、うまくリードしようと苦戦してるやつ。

テキストだけじゃなくて積極的テレカしかけてくるやつ。

雑談してくるやつ。

ここで思うんだが、他人の足を引っ張る奴は何が目的かね。

承認欲求かもしれないが、その振る舞いをみて認められる可能性はゼロよ。

2020-08-10

スマホゲームおかしくない?

代わり映えのないUIテキストイラスト程度なのにコンシューマよりデータ量多かったりって…

2020-08-09

anond:20200809084050

JRPG的な見せ方をするシナリオにこだわらなければ、ソシャゲテキストベースシナリオでも優れたものは山ほどある。

だいたい美少女ゲーム乙女ゲーム系の出自を持つシナリオライターがいるところは強い。

2020-08-08

はてなは女に甘すぎる

理系男子性的な意味で好きすぎて工学部に…」に対して「かしこそう!」「好き!」「いいと思う!」「増田の正しい使い方」みてえなコメントが集まってるの見て驚愕してしまった

文系女子性的な意味で好きすぎて英文学科に…」だったらぜってえキモい・手は出すな・最低・増田からと言ってこんなキモい文を書くなの大合唱だろ

なんつうか、はてなは女に寄り添いすぎなんだよな

Twitterにいるミサンドリストみたいな感じの人もいるし、チンポ騎士団みたいな感じの人もいる 「女は無謬」と思ってんじゃねえか?と疑いたくなるようなブコメ欄に顔をしかたことも多数

女が社会的に抑圧されてるのはある程度事実だろうけど、でも人格評価の軸は男女平等にしてくれやと思う

 

かといって、ほかのとこ見ると今度は女性蔑視が酷いんだよな なんJなんて女への基本の呼び方が「まんさん」だし、5chは全体に男社会すぎる

Twitterはまあフォローする人次第だけど、全体に大袈裟な気がする 極端な意見が良くも悪くもバズるもんだから、バズに魂を売り渡した心無きバズ人形みたいなやつらが男叩き・女叩きを全力でやってて気分が悪くなってくる

インスタか?インスタに行けばいいのか でもあの光の空気は俺には無理だ つかテキストベースがいい テキストベースで各種ニュースにいろんな人が反応してるのをリアルタイムにみられるようなサービスがいい

やっぱ5chかはてなTwitterか、…ヤフコメは酷いって聞くから嫌だなあ NewsPick?みたいなのはそういえば見たことないな

どうなんだろう 男女で意見が偏ってないサービスってどっかにいかなあ

(追記)

これあるある探検隊リズムだなあ…と思ってたらブコメ欄に同士がいて嬉しかった

2020-08-07

こんなになるはずじゃなかった、高3の夏

気持ちを整理するために書きます

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僕は高校3年生(男)だ。

今日も、昨日も、一昨日も、ここのところずっと、自発的勉強ほとんどしていない。

代わりに、大量のネット上の記事ブログ無料音楽漫画ヤフコメはてなブックマーク増田摂取してはひり出し、少し休んで親のいる時だけ勉強のふりをし、摂取してはひり出ししてどうにか生きている。何の知識も身につかず、自分関係ない人や物を消費していく毎日。正直、虚無感しかない。

僕は普通に大学受験をするつもりで、今のところ京大理系学部を目指している(という事になっている)。しかし、現在体たらくを続ければ、京大どころかどの大学にも落ちるレベルだ。自分の現状とその先にある未来は見えているが、理想との間にある暗い穴から僕は顔を背けている。その逃避の一環としてネットサーフィンがあり、というか増田に書いている時点でこの行為もまた逃避だろう。

起きて朝飯を食べて親が仕事に出かけたらソファーChromeを開いてネットを漁りオナニーして親が帰ってきたら夜飯を食べて寝る日々。こんな状態を望んでいない自分ネットを見る以外に何もしたくない自分綱引きをしていて、多少の誤差はあれど後者が常に勝っている状態現実からの逃避。

どうしてこうなったのか、時間を遡ってみる。

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僕が中学受験の末に今いる男子校に入ったのはだいたい6年前だった。(本命には落ちたが)東京男子御三家の一つに入れたのは嬉しく、自分の中では今でもある種の成功体験的な地位を占めている。

それから5年間やりたい放題好きに過ごしてきたのだが、特に高校生になってから、学年が上がるにつれ同級生大学受験意識する様子が目立ってきた。

高2の後半になると、東大合格を至上とし進学校の生徒のみが入れる中規模のカルト的人気を誇る塾に学年の1/4以上が入塾し、授業を聞かずに塾のテキスト自習する奴の割合も増え、英単語帳やら青チャやら重問がクラスに溢れるようになった。つまりみんな勉強を始めていた。

ここら辺から勉強していない自分と、みんな勉強しててヤバい俺も勉強しなきゃという規範齟齬が生じてきて、その齟齬を上手く埋めることができず、長じて今の状態に至るのかなあと推測したりもする。でもこの頃はその規範通り、効率が悪いにせよちゃん勉強していた。

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そうしているうちにコロナ流行りだし、安倍(どう表記するのが適当かわからない)によって休校宣言が出された。3/1くらいか

学校休校になっても、春休みが終わるまでは塾の春期講習に行ったりで勉強モチベはわりあい高く保てていた。実際に一日6~9時間くらいは勉強していたと思う。

しかし、そこからが辛かった。学校では友人と愚痴を言い合ったり馬鹿話をしたりバトミントンをしたりして、ある程度勉強ストレスが和らげられたと思うのだが、コロナの巣籠もり下では誰も話し相手がいない。

日中誰とも喋れず家で勉強をするのは、精神衛生上かなりキツかった。ちょくちょく友人とはLINEしたり電話したりしていたが、それも焼け石に水だった。

学校Google Classroomを使い始め、zoom配信動画を見ることで出席をつける形式になり、ここを先途とばかりに大量の数学演習やら長文読解やら共通テスト対策問題やらの課題を出すようになったのもキツかった。

ネット上の課題は対面で「この課題、やっとけよ~」と言われるよりも課題やらなきゃという義務感が生じにくく、タブを一つ消すだけで存在ごと消えてしまうため、期限を忘れた課題が大量に溜まり、その多さを見てやる気がなくなるという悪循環が際限なく生じてしまった。

更に、zoomGoogleClassroomを使うためにパソコンスマホを手に取る機会が増えた。それは僕の場合ネットを開きはてブ増田やアルなどの他のサイトを見る機会の増加に繋がってしまった。

こうなるともう爆発の一歩手前だった。ただし、それでも5月の初めまでは自制してなんとか勉強できていた。

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5月6日から8日の間、僕は虚無の中にいた。勉強ブッチし、カーテンを閉めて照明を一つだけ灯した薄暗い部屋の中パソコンでひたすらソク読みはてブ増田とpornhubを巡回していた三日間。それまでも週一くらいで勉強サボる日はあったが、三日連続でのそれは初めてだった。仕事をしていて日中家にいない親には特にバレず、小言を言われることもなく、要するに僕は手軽に快楽に浸って現実逃避する道を知ってしまった。

この三日間がぶち抜いた綻びから生活が徐々に崩れてきた感覚がある。

最初勉強をしないことに対する罪悪感もあったが、ネットに頭を占領されていくにつれて、頭の奥が靄がかかったようにぼんやりとしてきて物事を深く考えるのが辛くなり、そういった感情も段々と消えていった。

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6月になってリアルの登校が始まったが、コロナ前の登校に比べて頻度も授業のコマ数も内容も悪い方向に変化してしまったので、状況は大きく変わらなかった。

かに久しぶりにする生身の友人との会話は話すネタも尽きずめちゃんこ楽しかったし、3時間くらいしかない授業が終わった後は勉強モチベも高まった。

しかし、長期の家籠りで重度の出不精コミュニケーション不精と化していた僕にとっては、登校日は楽しいであると同時に疲れる日でもあり、その疲れと怠さはだいたい翌日以降も続き、勉強のやる気を阻害した。

登校日は月に数えるほどしかなかったので、リアル登校の再開によって逆に僕は勉強ができなくなっていた。

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6月後半~7月に入ると、本当に幸運なことに、友人の一人が学校のない日に一緒に勉強しようと誘ってくれるようになった。彼は通っていた中規模塾の自習室がコロナのため空かず、かといって家で勉強はできないから一緒に外でやろう、そしたらお互い良いんじゃね?とLINEしてきた。これは絶好のチャンスと思った僕はホイホイ乗っかり、感染防止対策を取った上で一緒に自習する日々が続いた。

友人と一緒にいるときは(体面を良くしたいというのもあって)だいたい6時間くらいは集中して勉強できた。そんなこんなで最初順風満帆だと思っていたのだが、段々と状況は悪化してきた。

7月2日のことだった。前日の7月1日もその友人と勉強していて、明日も午後から勉強しようぜ!と話していた。しかし、2日の朝起きると体がだるく、親が出て行った後に心の中で言い訳をしながらソファーに寝転んで午前中いっぱいスマホブログやら何やらを見てしまった。

当然ずっと寝ていると体が重く、長時間ネットを見たとき特有の頭がぼうっとする感じにもやられ、僕の頭はどこからともなく湧いてきた「今日だるいから外出は無理だな・・・」という考えに完全に支配された。まあ、事前に連絡をしておけば別に一日くらい行けない日があっても問題はないだろう。

・・・・・・問題なのは、僕が友人に夜8時まで連絡しなかったことだった。早めに「すまん。ちょっと今日は無理そうだ・・・」とLINEしておけば良かったのに、僕は夜までそれを意図的にサボってしまった。連絡しなければいけないことはわかってる、連絡せねば、という思いは強くあるのに、なぜかLINEを開いて連絡するのがひどく億劫で、僕はそれよりもソファーで丸まって現実逃避することを選んだ。

罪悪感はすごかったが、一方でなぜか「ああ、こんなもんなのか」と思っている自分もいた。

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そこから堕落は早かった。いや、その前から堕落していたのかもしれないが、もうよくわからない。友人との勉強約束は3回に1回くらいすっぽかすようになり、昼飯でも奢ってちゃんと謝ろう、と決意した頃には友人の塾の自習室が解放され、結局うやむやなまま僕と彼の勉強は終わってしまった。学校が再開したらきちんと謝りたい。

その他、自分やらかしたことを列挙してみる。

学校の登校日を2回サボる

学校課題を大量にやり残し、入学してから初めてある科目の学期成績で白点をとる

▼塾の一学期通常授業の最終講をサボる

▼塾の夏期講習(5日間)のうち3日サボる

▼親と交わした「勉強する」という約束を守らない

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こうやって家に籠って自堕落生活をある程度の期間続けていると、だんだん自分思考言い訳の仕方がわかってくる。僕の場合、「○○からやるぞ症候群」が顕著に表れた。

今日はだらけていてもしょうがないが、明日から毎日10時間勉強するぞ。そしたら受験にも間に合う。・・・から、今スマホを見てもいいんだよ」

みたいな感じだ。○○には「明日」が入ったり、「6月」とか「7月」、はては「15時」が入ったりする。

言うまでもなくこれは未来責任押し付け現実から逃避するだけで、実際に実行できるなら良いが、実行できないのなら全く意味がない。

僕は、ほとんど実行できなかった。5月には「6月からちゃん勉強する」と言い、6月には「だらけすぎた。7月からマジでやるぞ」と言い、7月には「たるんでる。8月から毎日10時間やろう」と言った。

8月7日の今も、勉強は全くしていない。

あとは、ネット断ち・スマホ断ち・ゲーム断ちも考えたが、これもほとんど続かなかった。昨年12月アンインストールしたみんはやはついこないだインストールしてしまった(またアンインストールした)し、同じく12月に押し入れに封印した3DS今日開けてしまった。マリオテニス楽しい~~~~~~~~~~~~~~~

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こんな感じで酷い暮らしをここ3ヶ月くらい送っています。高3の夏をこんな風に過ごすとは去年には考えもしなかった。こうなった要因の一つは間違いなくコロナがあって、確かに休校がなく毎日登校していたら精神もっと健全勉強ももっとできていただろう。でも、どんどん堕落の坂を転げ落ちていったのは間違いなく自分の弱い性格のせいだと思うので、あんまり環境のせいにしないようにしたい。

他にも気が滅入るようなことは沢山あって、けん玉のこととか昭和42年まれ司法浪人さんのこととかオナニーのこととか書きたいことも色々あるんだけど、疲れたのでここらで止めておきます

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よくわかんねえものを垂れ流してしまってすみません。やや自分気持ちの整理ができた気はします。「勉強しなきゃな」と。何だかんだ自分はやればできるという妙な自信はあるので、それを現実にすべく明日からコツコツと勉強を始めたいです。要するにこれも「○○からやるぞ症候群」の一種ですが、劇的な物を望みすぎると失敗するということは身に染みたので、あんまり負荷をかけないように少しづつ少しづ

やっていきたいです。どれだけの人に読まれるかわかりませんが、もう投稿したら入試終了まで見ないことにするのでブコメトラバも返せません。入試が終わったら(たぶん3月下旬)結果を書くかもしれないです。

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これ時間が経って読み返したら自意識まみれでバイアスかかりまくりで恥ずかしくなるやつだろうな。まあいいや。

頑張りますさようなら

2020-08-05

anond:20200805112034

横だけどフリーフォーム吹き出しってテキストが使いづらくない?

吹き出しの根元を左にずらすと、テキストの左端もそこにずれて、吹き出しからはみ出ちゃう

2020-08-03

anond:20200802221046

ボッタクリなのは公務員給料だろ

自分らは市価の3倍の給料を受け取っておきながら、平均的なテキスト代金や平均的な民間の受講料に文句をつけるな

まず自分たち教師年収300万円で働いてから言えよ

桃山商事いいこと言うわー」「考えさせられるわー」と思ったアナタ

 

自身のチョロさを恥じてください。

桃山商事をどういう人たちか知っていますか?

wikipediaではこうまとめられています

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%B1%B1%E5%95%86%E4%BA%8B

桃山商事

複数男子で「女子チヤホヤする会」を開催したことが評判になり、以降恋の悩みや失恋での傷心を癒す「失恋ホスト」としての活動現在まで行っている。

女子にとって耳障りが良く、男子にとっては耳が痛いこと言って当然なんですよ。

なんせ「女子チヤホヤ」しようとしてしてる「失恋ホスト」なんですから

 

ではなぜ彼らがそんな活動をしているかというと、

失恋ホスト

恋に悩める人々の話をメンバーが聞いたり、一緒に遊んだりするサービス桃山商事結成当初より提供している。「失恋とあるが実際には恋に悩む人であれば誰でもよい。

料金は無料で、実費についてはメンバーと均等に支払う。その代わり、聞いたエピソードを代金として、後述の二軍ラジオや各種コラム等で紹介している。

エピソードを集めてお披露目するためですね。

まり彼らは、いわば「男性性の自虐史観」を売り物にして商売にしている人たちですよ。

 

これは欲望の根源こそ違えど、「どしたん?話聞こうか?」や「チンポ騎士団」と一緒です。

性欲で動く「どしたん?」や「騎士団」に対して、自己顕示欲社会的欲求で動くのが桃山商事です。

 

弱り目の女子をヨシヨシして、その子経験した酷い男の酷い話を集めて公開して見物料取っているわけです。

ただし、そのこと自体は決して悪いことではありません。需要供給があって成り立つ商売なんですから

 

しかし、彼らのテキスト感情を煽るためのある種の「ポルノ」ですから、これは「商売」ではあっても「社会活動」にはなり得ません。

そういうところが「異性間の問題解決したい」「社会をより良く是正したい」と日々考え、行動しているまっとうなフェミニストから桃山商事イマイチ相手にされていない理由なんだろうと思うわけです。

 

 

アナタが「いいこと言うわー」「考えさせられるわー」と思ったとき、どういう理由でその思いに至りましたか

 自分にとって都合良く慰めてもらえたからではないですか?

 そんな奴許せないという義憤があったからではないですか?

自身個人的感情を、社会問題すり替えないでください。

 

桃山商事は「失恋ホスト」を名乗り活動している点でまだ誠実です。(昨今の社会情勢的にそろそろこの設定はどうにかした方がいいと思いますが)

あなたコントロールするために、あなたの味方のふりをする人たちもいることをどうか忘れないでほしいです。

 

冒頭、ご自身のチョロさを恥じてください、と書いたのは、そういう理由です。

2020-08-01

反転可能テスト

いわゆる「おじさん構文」のテキストプリントされたガチャガチャがあるらしいのだけども、

シリーズ次回作はクソファミおばさん構文なのカナ?💦(汗(^^;

「それセクハラですよ」

女性蔑視を許さない」

マンスプレイニング

「それって抑圧ですよね」

一人一派

社会学を専攻した新卒みたいな構文になってしまっっちゃったカナ・・(;^_^A汗

2020-07-31

anond:20200731010237

婚活フェミクラスタってどのテキスト使ってフェミニズム活動婚活を両立させているんだろう。

結婚制度は許容するけどその中で平等を目指すタイプ理論に従ってやっているんだろうか。

2020-07-30

アイマスカバーして荒れてるVがいるって

そんな事ある?

荒れそうな要素はある気はするけどそんな特筆して荒れるほど?

気になったので調べてみました!

まあ荒れるな。どちらかのファン人種がどうこうの話じゃないなこれは

星街すいせいちゃん

なるほどこの子はすごく頑張っている子だ。きっとアイマスの事が本当に好きなんだろう

アイマスの人にはなれなかったのでVという敗者復活戦に本気で挑んでいる並々ならぬ執念は感じるし実際に歌もうまい

いいんじゃないだろうか。そのままがんばってほしい

ここから先はキライなものキライという話で、それは非常にリスクが高いので匿名で書くことにしたけど

すいせいちゃん好きな人はなんとか自己防衛につとめてほしい

うわーやばい

すいせいちゃん本人はよほど好きで歌ってるんだろうけど運営クリエイター陣にまったく敬意がないんだな

ツイッターもつべでもこの曲についての紹介が二の次。この書き方はアライブファクターを知ってる人から星街すいせいというコンテンツリーチしてほしいけど逆はどうでもいいという根本が透けて見える

ツイートした文章の一つ目にタイトル以外の情報がもう少しあればここまでの嫌悪感は無かったんじゃないだろうか

そして動画の質

Vのカバー曲は大部分が少ない立ち絵歌詞テキストを如何にかっこよく流すかという競技だが

そこでミスを犯すのは嫌われても仕方がない

重箱の隅をつつくような小さな事を言うなよ、ではなくカバー曲は1ナノミリのスキも見せない完成度を求められて然るべきもの

微に入り細を穿てない程度の人が手掛けてしまったのだ、なんて不幸なことだろう

そのへんがどうでもいい人達がすいせいちゃんを取り巻いているのだ 根が深い

ここまでぶっちゃけクソ穿った憶測どころかただの汚い妄想しかなかったのに

ホロライ勢がゲーム配信で広範囲にトラブっている話が駆け巡っており

矢面にいる彼らはともかくその裏で管理運営をしている人間の質は少なくとも

”彼らを売り出すために使っている他社が作り上げたエンタテイメントにひとかけらの敬意も持っていない”

という方向で裏付けられつつある

最近どっかの委員長シャニマスを取り上げてはちゃめちゃに愛欲に溢れている様が話題になったのに対して

ある程度の深度まで知らないとカバー歌ったのに私はアイマスが好きだー!がまるで伝わってこないVとの差はそんな運営によって醸し出されてるのではないだろうか

っていうかVがアイマスカバーを発表する、なんて事象別にこれが初めてとかそんな事ないんじゃない?知らんけど

それがやたら燃えるのはたまたまとかでなくそれなりに多くの層が嫌悪感を覚える要素が今回はあったんだなというのは想像に難くない

日本人なら誰でも知ってるあの名曲カバー!とはわけが違う話だ

ミリ界隈に古くからいる人間の多くはアイマスシリーズの中で唯一、この世界はいつ終わっても不思議ではないことの具体的恐怖をもって知っておりそしていつも脅かされている

そのため基本的新規層の取り込みチャンスにはセンシティブになる人間が多い

故に、お気持ち勢は新規ミリシタに触れて欲しいという願いがまったく見受けられない事に壮絶な嫌悪を催すし

お気持ちお気持ちを表明する側のPは新規開拓すれば儲けものなのに否定するなよ!って事のみのお気持ちに終始している

アライブファクターや贐の鳥が持つ背景がどうこうだからカバーすんなとか平和お気持ちを垂れてるPはただのバカなので好きなだけ叩かれてもかまわないんだけど

お気持ちお気持ちさんたちもホロのカバーぐらい好きにさせろよバーカ!って言ってる人間かそれをオブラートに包んで冷静な俺を表現したいけどあんま隠せてない人間しかいなくて本当に地獄だな

そんな無駄時間つかってないですいせいちゃんの歌がよかったみなさん!この曲はね!っていうRT0のツイートの一つも拡散してあげればいいのに

今回行われたカバーの内情に渦巻いているものはきっと「すいせいちゃんからこの曲を知ってミリシタを初めて課金までしました!」という新たなPが生まれて初めて浄化されるものなのだろう

それが観測できる気配は

いまのところ まったく ないのだ ……

このアライブファクター歌ってるVは誰?見たい!っていうミリPはけっこうみた

よかったね カバーした甲斐があったね 次はOnly One Secondとかききたいです

これからもがんばって すいせいちゃんご本人のことは応援しています

2020-07-29

anond:20200729194637

そうなんだ珍しいね

外人が入っても日本人だけでもビデオおーーーんよ

別にテキストだけで事足りるんだけどなぁ

anond:20200729140056

でも Teams などのテキストベースのやり取りでビデオONにしとらんやん

会議でも不要だろって思うけど外資でもビデオONだよ

2020-07-27

長生きしたい願望はさほどないけど

2080年の音楽史テキストを見て、すぎやまこういち植松伸夫伊藤賢治ZUN初音ミクがどう書かれているかは見てみたい

anond:20200727025028

この短いテキストからでもわかる興味を惹かなさはすごい

2020-07-26

おっさんになると読点増えるでしょ

最近、やたらと、文章中に読点が多いものが、気になるようになってしまった。自分も、そういうのやりがちだな、って思うので。

ちょっと前に流行った、オジサン構文みたいなのは、流石にネタでしょ?自分は使わなそう…って思ってたんだけど、こっちは「リアル」を感じてしまって、恐怖を感じる。

からTwitterかに投稿する時は恐怖との闘いですよ。

自分と同世代友達とかが、そういう感じの文章投稿していると、すごいゾッとするのね。

何でなんだろうね。メールかに不慣れな世代については、「口頭で喋る時の息遣いと同じ感覚に近いから、読点が多くなりがち」なんて説明を見たこともあるんだけど。

中学高校の時からガラケーを使っていた我々の世代でも、読点にまみれているやつというのがいる。

ビジネス文書とか社内に投稿するものは分かりやすさ優先なので別として。

というか段落構成とかその他で読みやすさを担保するわな、真面目に書く文章だったり目的を伴うものについては。

そうではない気軽な文章にこそ「マジ」を感じてしま・・・

SNS投稿するような内容の時は、多少崩れてでも「読点を外す」という必死抵抗をする毎日

テキストから加齢臭」を避けたいお年頃になってしまった。洒落にならん。

2020-07-25

note.com」はテキストYouTuberサイト

Twitterトレンドバズワードについて、「note」で小言をチョロチョロ執筆するスタイルをよく見かける。

今だとおパ島論とか?


かに似た湧き方だなと思ってたが、最近気づいた。

バズってる話題に物申す系の動画をアップする数多の駆け出しYouTuberだ。


有料記事も作れるので『Youtuberみたいなことしたいけど動画コンテンツ作れない』人にぴったり。

英語キーボードのEnter・Returnキーは小さすぎ。押し間違える

英語キーボードに変えてから早5年。

いまだにEnter/Returnを間違えて押してしまう。

特にカッコ・スラッシュシフトバックスペースキーあたりを押そうとして、Enterキーを押してしまう。

HHKBだとDeleteキーとEnterキーを押し間違える。

 

日本語キーボードの巨大なEnterキーの方が、分かりやすくて安全ではないか

テキストボックス入力中にEnterキーを押してしまい、間違えて実行してしまうこと多数。

 

やはり自作沼か・・

2020-07-22

ライザのアトリエ精巧青春の再演だ

 君の青春時代を思い出してほしい。部活動サークル活動に明け暮れ、あるいはそうでなくとも仲の良い友人たちと過ごした日々を。同年代の仲間たちが集まって、同じ目標に向かって努力し、でも皆個性的バラバラだった。得意分野も違えば、目標を目指す理由も違って、かける熱意も時間も、家庭環境物事価値観だって違う。ただ同じ場所にいる、同じ目標を持つ、同年代なだけの子供たちが集まった歪な空間青春譚はそんな中で紡がれる。皆バラバラからいつも仲良くというわけにもいかず、時には激しく争ったりして、仲間が去ることもあったろう。対立の末に互いを尊重するようになることもあったろう。決して順風満帆ではないその起伏に溢れる日々は、フィクションの中にとどまらない、現実物語として青春時代支配する。

 青春譚の世界は狭い。子供たちは自分たちの目に見えて手の届く範囲世界を生きる。仲間たちを見て、この先いつか出会う他の集団を思い、自分たちのこれから歩む道を見据える中で、その下に埋もれた大勢に思いを馳せることはない。自分たちと同じくらい努力して、けれど自分たちと今後出会う事のない別の子供たちに対して、仲間意識や同情が芽生えることもない。だからいつも青春譚の主人公は「自分」になる。青春の熱気が、自分こそが物語主人公かのような錯覚に溺れさせる。だから青春時代に、例えば「僕はこんなに頑張っているのに!」とほかの仲間たちも同じくらい、あるいはそれ以上頑張っていることを知っていたとしても、つい思ってしまうのだ。クラスメートGでも部員その16でもない、自分こそが主人公なのだから、その主人公というまやかしアイデンティティにすがってしまう。子供たちにとっての青春譚は、自分自分たらしめるアイデンティティを探し求め、特別になろうとする物語とも言えるだろう。

 しかしずっと青春謳歌しているわけにもいかない。歳を重ねるごとに見なければならない世界は広がりをみせ、将来という現実が重くのしかかり、広い世界の中で自分いかにありきたりで普通な存在なのかを自覚せねばならない時が来る。受験就職勉強スポーツの成績、資格試験引っ越し失恋、身内の不幸、怪我もっとささいな下らない会話かもしれない、そのきっかけは様々だろう。子供たちは転機を迎える。そうして子供たちは青春を過ごした集団から引退する。「成長」して「大人」になって、青春譚は終わりを告げるのだ。

 けれどそんな期間限定青春譚をずっと紡ぎ続ける者も中にはいる。青春を捨てることな集団から去って「大人」のひしめく社会へ赴く彼らは、その「子供」的な部分をあるときは称賛され、ある時は幼稚だと批判され、けれどそのどちらであれ特別存在であることには変わりない。大半の子供たちが普通大人になる中で、普通ではない者だけが特別存在として「子供」であり続けることができる。選ばれし者だけが終わらない青春譚を謳歌する。

 ライザのアトリエ青春であるしかしライザのアトリエ青春譚として異質な部分がある。

 青春譚の多くは主人公物語の中心に据えつつも、仲間たちにまつわるエピソードを描く。例えば青春を題材にした傑作部活もの響け!ユーフォニアム」はアニメ化成功しており知る人も多いと思うが、この作品主人公久美子を通して物語が進むものの、個々のエピソードの中心には様々なサブキャラクターが据えられていて、彼女たちの問題にぶつかりながら、彼女たちの力で先に進むつくりになっていることが分かるだろう。「響け」ではある種記号的な主体性のないひとたらし主人公を設定することで、疑似的に吹奏楽部全体を主人公として描き、仲間たちの物語を繰り広げる。青春譚は仲間たち「みんなの物語」だからこそ、多くの作品は幅広いキャラクターの幅広い問題を描くことになる。

 けれどライザのアトリエにはサブキャラクターイベントほとんど存在しない。したがって仲間たちの物語ほとんど描かれず、物語の節々からその成果だけが見え隠れするにとどまる。そんな主人公だけにフォーカスした青春譚は、いつのまにか、まるで主人公ひとりの英雄譚かのような様相を呈してくる。そう、青春譚が「みんなの物語なのはあくま大人目線の客観的ものにすぎず、そのさなかに居る子供たちにとってはそれが「自分主人公英雄譚」かのように錯覚してしまうのだ。ライザのアトリエ青春譚だが、ただの青春譚ではない。青春の熱に浮かれた主人公ライザの視点から見た、錯覚英雄譚なのである

 ライザのアトリエはライザの英雄譚だ。自身こそが主人公である錯覚に溺れるライザは、仲間たちにも同じように物語があることに気づけない。例えばタオはどうだろうか。勉強を頑張っている場面が何度かあったかと思えば、いつのまにか遺跡古代文字をそらんじて見せた。他にも、例えばライザとの確執を乗り越えたボオスはあっという間にライザをも超える決断力と行動力を見せるようになった。彼らの成長はそれだけでひとつ物語になりうるほど大きいものに違いなく、彼らは全員が物語主人公たりうるのだ。けれどライザはそのことに気づけない。気づけたとしても気にしない。青春の熱気で仲間たちへの関心さえも浮ついてしまったライザは、自身英雄譚に溺れていく。

 ライザのアトリエファンタジーRPGであり、プレイヤー主人公ライザを操作してゲームを進めていく。走り回り、素材を採取し、アイテムを調合し、依頼をこなし、戦闘をし、そしてテキストボックスをおくって物語を進めていく。そんなゲームとして当たり前な行動に対して、ライザのアトリエもまたゲームとして当たり前の快感プレイヤーに与える。素材採取の爽快感、調合の楽しさと達成感、報奨金を得てうれしく思い、戦闘では調合の成果に一喜一憂する。RPGにおいてプレイヤーゲームシステムから特別感や万能感といった快感享受することになる。

 そしてライザのアトリエでこの快感享受するときプレイヤーは気付かぬまま物語に没入してしまうのである。ライザの英雄譚を進める中で、ライザ本人は自分特別さや万能さといった錯覚を抱えて自分物語主人公だと信じており、一方プレイヤーゲームシステムから特別感や万能感といった快感を与えられながら「ライザが主人公ゲーム物語」を進めることになる。ライザの描く錯覚物語プレイヤーの受け取るゲーム快感はゆるやかに、けれど確実にシンクロしていく。プレイヤーは気付かぬうちにライザの錯覚英雄譚の支持者となってしまう。プレイヤーもまたライザと同じように青春に溺れてゆき、サブキャラクターにも物語があることを重要視できなくなってしまう。タオ古代言語研究も、ボオスの精神的成長も、レントもクラウディアもアンペルもリラのことも、しっかり評価しているつもりでもどこか軽視してしまう。青春譚がみんなの物語であることをつい忘れてしまう。だってライザのアトリエはライザの英雄なのだから

 ライザのアトリエは、誰もが英雄ではないからこそ面白い青春譚を、英雄譚を語るためのフォーマットであるRPGを用いて語った時いったい何を表現できるのかという問いに対して、ひとつ面白い答えを示せているだろう。

 やがて夏が終わり物語エンディングを迎える。けれどそこに訪れたのは英雄凱旋というハッピーエンドではなく、別れだった。自分の将来という現実、親の都合という現実、これから生活という現実、ライザがそれまで見て見ぬふりをしてきた様々な現実が、仲間たちとの別れとともに押し寄せる。英雄譚を共にした大切な仲間たちが「大人」としてライザの前に立つ。青春譚を経て特別になれなかった子供たちが「大人」としてライザに別れを告げる。ここでライザははじめて、仲間たちにも同じように物語があったことを理解する。ライザが青春の熱に浮かれて目の前のことだけに躍起になって満足している間に、仲間たちはもっと広い世界を見つめていたのだ。このひと夏の出来事は、決して英雄譚なんかではなく、仲間たちみんなの物語だったという現実がライザを襲う。自分が見て体験してきたひと夏が一気にひっくり返されて、言葉を失うほどのショックを受ける。

 けれどライザも特別存在でないのなら、現実とは向き合わねばならない。ライザは「大人」になることを決める。皆を引き留めない。隠れ家は解散。遠く離れてもまたいつか会おう。そんなありきたりな結末を選ぶ。ライザは特別にはなれなかった。子供のままではいられなかった。「なんでもない」ライザは青春の夢に生まれ、そしてなんでもないまま「成長」という名の死を迎えた。青春を生きたライザというキャラクターは、青春の終わりとともに消える。ライザは「大人」になっていく。

 ライザが「大人」になることを選んだように、プレイヤーもまた青春の夢から覚めなければならない。ずっとこつこつ積み上げてきた錯覚英雄譚は、エンディングの場にきて一気に崩される。プレイヤーの支持した英雄譚なんて最初からなかったのだ。エンディングプレイヤーに、ゲームシステムからもたらされる特別感や万能感を物語解釈にまで持ち込んでいないか咎めてくる。ライザ視点しか見てないのに物語全体を理解した気になっていないかと冷酷に突き放される。ずっとおだててきたくせにエンディングにきて突然「なんでもない」の世界に突き落としてくる。プレイヤーも「大人」にならなければならない。

 平和後日談もなく物語ピーから急に始まる決してハッピーではないエンディング。いつか訪れることを知っていた仲間たちとの別れ。その別れを祝福したい気持ち。けれど自分だけ取り残された焦燥感もある。どうにかハッピーエンドには行けないのかと歯がゆく思う気持ち自分特別さを否定された時の居心地の悪さ。

 そんな複雑に絡み合ってモヤモヤした、けれど無性に懐かしいあの青春喪失感を、「ああ、明日からこの部室に来ることは無いんだ」と思うあの青春残響追体験したいなら、これほど適したゲームは他にないだろう。

 ひと夏の濃密な時間を過ごして、結局特別にはなれず「なんでもない」まま青春時代を終えた少女、ライザリン・シュタウト。そんな少女に、3年の年月を経て、2度目の夏が訪れるという。

 「ライザのアトリエ2 ~失われた伝承秘密妖精~」は今冬発売予定。アトリエシリーズをよろしくお願いします。

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