はてなキーワード: スーパー銭湯とは
沖縄の話で何か気の利いたことを、思い出したいと思ったのだが。
日常生活的に、地元のスーパーで買い物するとドルと円の表記が並んで書いてあったりした。特に不便は、1人暮らしだと感じない。
やっぱり、米軍と共存しているのかっていう。ちょっと車の運転の荒い人もいるようだけど。
スーパー銭湯的な温泉から見る夕日がきれいだったな。モノレールの切符がQRコードみたいなタイプだったなぁとか。
きれいな海とマリンスポーツが出来れば、それで十分だったかなー。
海に潜ると、魚がいて。ダイビングも行ったなあ。
やっぱり沖縄海洋博から平成時代からは、だいぶ海が汚れてしまってサンゴも離島の宮古島とか石垣の方にいかないと立派なのは見れないようになったらしい。
ナースにコスプレしたお姉さん(年齢不詳)に、注射器からお酒(泡盛)そそいで貰うようなこともあったなぁ。
(そういうのが目当てだったら、別に都会のコンセプトカフェへ行けば、やってもらえるようなので、どうでもいいが。)
それで、深夜に満ち潮になって、お酒ででき上がっているのに椅子を移動しないと行けなくなったとか。なんか、海に慣れている人が多いようだったんだが、計画性は、どうなんだろうって思った。
夫に今年の誕生日プレゼントを何もしてなかったので、スーパー銭湯であかすりエステの長いコースをおごってあげようと。
夫はあかすりに最近目覚めて、月イチ行くか行かないかなんだけど、「トッポみたいのが出るんだわ」と喜んでいる。そんな溜めてんのかと思うんだけど。
フェイシャルもやりたいと言うので、付けな付けな、ヘッドスパも付けなと。
なんか感心したんだけど、そこのスーパー銭湯のリラクゼーションメニューはまったく男女差ないのね。男性のお客さんも多いからだと思う。
エステ写真というと、なにかと女性モデルが施術を受けてる印象だけど、パンフレットも男女モデルがそれぞれフェイシャル受けたりしている。
やはり男性でも同性モデルがリラックスした表情を見せているほうが、サービスを受けたくなるのではないかと思う。
で、コース決めて、いざ予約しようとしたら、最速で2時間待ちと言われて、なんか私のほうががっかりした。
平日昼間だと思って油断した。
じゃあ次はコース予約してから来ないとだね…と、それぞれの風呂へ。
泥パックが無料で置いてあったのでやってみた。なんかピリピリした。
風呂から上がって合流したら、顔を10回洗ってみたと夫。たしかに肌が明るくなっている気がする。くすみが取れたと思うとのこと。
泥パックは男湯に置いてあったか? やったか? と聞いたら、「そういや高校生がスケキヨみたいになってた、それか」と。
見つけられなかったらしい。入ったすぐ前にボウルが置いてあるはずだと伝えた。
そこから角川映画の話になり、意外と今見てもおもしろいが海外に比べるとA級感があと一歩足りない、逮捕されたし、などと言いながら帰った。
誰かに話したくなってきた。
まだ二十歳ほどの頃、地元の広島で特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。
福山駅の付近にある繁華街だった。福山といったら知名度はほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパートで暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。
地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めのスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。
すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。
ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?
正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。
幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校の先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。
官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。
それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。
なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校の先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。
当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後の世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。
親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力や暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈りや洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼての見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。
ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。
というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。
当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式で特攻服を着る者や……。学校のトイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。
先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あんな中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。
それで、ついにある時、新築に近い状態の体育館がタバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。
中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。
昼休みのチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師(しかも部活の顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。
荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。
しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。
昼休憩の中頃、体育館のステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館に突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初のカーテンが燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。
担任の先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞の記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。
なんか、ここまで書いただけで精神力のほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。
火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所で審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいったか。
その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。
俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師に暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京卍リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。
当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子にモテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって。
俺の父親は会社の経営者だった。祖父は地元市役所の偉い人で、曾祖父は町長だった。親戚だって、職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。
彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校の先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。
法律も慣習も、常識も非常識も、論理的な思考も人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。
あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。
なんか投資はいいぞ派とギャンブル派でバトルしてっけど、オラも混ぜてくれよな!
https://anond.hatelabo.jp/20220825233050
株主優待をもらうためにいくつか個別株を持ってるので、「優待投資も面白いぞ」と言うために
自分に何の得もないが、持ってて役立ってるのをいくつか書いてみる。みんなもよければおすすめの優待株書いてくれよな!
(株主優待って何?って人はこれでも読んどいて:https://www.matsui.co.jp/study/incentives/about/)
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・コシダカHD(https://www.koshidakaholdings.co.jp/ir/stockholder.php)
日本一の店舗数を誇るカラオケ「まねきねこ」や温浴施設を運営するグループ。
カラオケ店舗と温浴施設で使える利用券がもらえるのでカラオケ好きの増田にうれしい。
事業のスピードが速くコロナからの業績も回復しつつあり、株価も伸びてきている。
なお、今日29日が今年の優待権利を得るための最終日だったので、明日買っても来年8月末の権利確定になる。
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・オリックス(https://www.orix.co.jp/grp/company/ir/individual/investment/index.html)
野球以外何をしているか分からない会社で有名だが、総合金融グループとしてリース、銀行、不動産、事業投資など幅広い分野で活躍。
北海道から沖縄まで日本全国の営業拠点がセレクトした「ふるさと優待」カタログギフトと、
野球、宿泊施設、水族館、人間ドックなどの割引が得られる「株主カード」がもらえる。
なお、株主優待制度自体が再来年で廃止になってしまうので、今から買ったとしたら再来年分の優待で打ち止め。
何の前触れもなくいきなり廃止する会社が多い中、再来年まではやると言ってくれてるのはありがたいけど。
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・極楽湯HD(https://www.gokurakuyu-holdings.co.jp/ir/shareholders.html)
店舗で使える入浴券が株数に応じてもらえるので温泉好きの自分にうれしい。
(ラクスパなど大型店は一度に2枚必要なのと、一部FC店については使用不可なので注意)
中国事業の停滞とコロナの影響で財務がクソ気味なので、買うかどうかはそれを織り込んで検討した方がいい。
(追記:これを書いた後に債務超過で上場猶予期間に入った発表があり、自他ともに認めるクソ財務になった。)
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・はるやまHD(http://www.haruyama.co.jp/ir/stc_reception.php)
紳士服のはるやま。
15%割引券に加えて、ネクタイまたはワイシャツ1枚贈呈券がもらえる。
はるやまのiシャツは異常に長持ちするので、コロナもあってここ数年新しいワイシャツをお金出して買ってない。
コロナ禍からの脱出においてAOKI(快活クラブ事業がプラス)や青山(ビジネスウェア以外の多角化経営で復活)の後塵を拝しており、
かつ直近3年ぐらいずっと創業家のお家騒動をやっていて株価もクソ気味なので、これも事情を織り込んで検討した方がいい。
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○盗撮マーシー → のぞき本舗中村屋 → のぞき本舗真中村屋
○偉大なる盗撮師 透兵衛(su-XX) → PEEPFOX(盗撮狐)
透兵衛の「ここは天国極楽漫遊記Vol.81(su2919)」の中身はなにわの「ニューバージョン女銭湯ギャル編8」
○1919お風呂のプニョ (シリーズで纏められた作品名が付けられている)
主になにわ解散後の紀州作品の未流出含む素材の再編集品?とでも言うのか、PHで言うところのgensen辺りの素材と思われる
○坐盗市 → 怪盗ジョーカー → 盗流悶(=Premier Peep Selection) (dns-XX)(sdh-XX)
裏にアクアが関わっていたこともあり本格的なオリジナル盗撮集団
坐盗市は例の芋づる逮捕の影響で関係者が逮捕→閉鎖はされたが、現在までにその後サイト名を変えては何度も立ち上がる
咲乱美女温泉・夜行露天盗撮漁火に輝く女体などの露天望遠はアクア提供、マルッと追い撮り!女撮師 スーパー銭湯など優秀な撮り師を育てる
○peeping-holes 閉鎖→不明(マスターテープは今どこ、それとも処分しちゃったのだろうか)
メインはなにわ作品の再編集作品だが、ほか買い取ったのか転売かなにわ以外の作品も再編集されて売られていた
またホールズのオリジナル作品にハイビがある、supa系のはなにわというより紀州辺りからの編集版?
厳選、極選、旧SC、HSC、supa系、けしからん、ぎりon-na辺りが良く語られ、他にシリーズ化された作品は他にも多数あるが影は相当薄い
友人に誘われてピンサロに行った。そこはスーパー銭湯の様な外観で、国道沿いのドラッグストアの前にあり、かなりオープンだった。
自分についたのはポニーテールに眼鏡の女性でとてもかわいかった。千と千尋の神隠しに出てくる大浴場の中にすりガラスで仕切られた大きめの浴槽があり、皆そこで楽しんでいた。
自分もそこに入った。もじもじしているとその女性に脱がされ、2人で浴槽へ。
後ろから女性に抱きしめられ、耳を舌でレロレロレロレロとリズミカルに舐められ、右手で息子をしごかれた。
夢とは思えない気持ち良さだったが、なんとそこに服を着た友人と、制服を着たEXITの様な店員2人が乱入してきて、「ちょっとお客さん!本当に困りますよぉ」と店員2人が心底困った様子でこちらに訴えかけたきた。
今取り込み中だからとはいえない雰囲気で、自分は渋々服を着た。女性は出て行った。
どうしたのかと聞くと、「困りますよぉ」としかいわないEXIT店員。何回か聞いてようやく理由を話してくれた。昔のドラッグストアの入口に車を駐車されたら困るというのだ。
「いや、自分の車はちゃんと駐車場に止めた」と主張しても、店員はあそこに車を止められては困ると一歩も引かなかった。しょうがないので国道沿いのドラッグストアの入口に行ってみると、確かに大きな車は止まっていたが、自分の車ではなかった。
自分は怒りに肩を震わせながら店に戻り、再び入口から入り、着物にハンチング帽をかぶったBEGINのボーカルの様な店長にクレームをいった。
店長は大変申し訳ございませんと丁寧に謝罪をしてくれた。その途中お店に電話が入り、別の店員が店長に「店長!主人が亡くなりました!」と伝えて涙する一幕もあった。
自分は今後この様なことが無い様オペレーションをきちんとしてほしいと伝え、「で、どうするの?」という雰囲気を出した。
もう1回あの女性と楽しませてくれるのか?無料で?どうなの?と店長の口から言わせようとしている所で目が覚めた。
ここ2~3年サウナに行くのが週末の楽しみになった。
けれど疲れた時や大きな風呂に入りたいなという気分の時に、近所のスーパー銭湯に行く程度だった。
生活圏内の地名をそのサイトの検索ボックスに入力しては、訪問するのが毎週末の習慣になった。
1軒は都内で最も温度の高いサウナを持ち、1時間1000円で入れるサウナ
もう1軒は3時間2000円かかるが、プールのように大きく冷たい水風呂のあるサウナだ
両店ともサウナとは店によって個性があって人気のお店には理由があるのだと、サウナ初心者を感動させてくれた。
しかし錦糸町とは千葉県民の自分にとって遠く、年に何度かは行くが訪問のレギュラーにはなれなかった。
所要を終えると、時刻は17時頃になっていた。
夏のはじめ頃だったので周りはまだ明るく、家に帰るには何となく早い気がした。
新しくもう一つできたという情報をレビューサイトで読んでいたからだ。
受付に行くと以前何度か訪問した時のおじさんと同じ人がいた。
受付のおじさんに目を合わせずに最も安いコースを注文する。
料金を支払い、ロッカーのカギを受け取ると、1階奥の更衣室で指定された番号のロッカーに荷物を押し込み、
館内着に着替え2階の浴室に向かった。
浴室は改装したとの評判だったが以前と景色は変わらないように見えた。
だが奥のサウナに向かって歩くと垢すりのコーナーだった場所にサウナが設置されていた。
早速そのサウナに入る。
サウナの中には先客がいて神経質そうなおじさんが一人で大汗をかいていた
私はおじさんと反対側に座ることにした。
サウナは高温で湿度がないタイプで、体力を奪いそうな熱の中でFMラジオが小さな音で流れている。
湿度のないカラカラ系のサウナだと汗が出ずらい私は、しっかり汗を出せるか不安になった。
私のサウナルーティンは12分サウナに入り水風呂に体が冷え切るまでつかり、浴室のベンチなりなんなりに座り休憩をする。
経験的にこの12分間で汗が出れば出るほど水風呂は気持ちよくなる。
カラカラ系のサウナだと、相性が悪いと体がきつくなるばかりで、汗が少ししか出ないことがあるのだ。
そうすると不思議なもので水風呂での気持ちよさは半減し冷え切るまで冷水の温度に耐えられなくなる。
そんな不安を覚えながら、サウナで流れているFMラジオに耳を傾けていると、滝のように汗が出てきた。
ほう、ここはどういう具合かわからないが、かなりの発汗を誘発するタイプなのだな、カラカラ系にしては珍しいな
そんなことを考えていると、おじさんがもう耐えられないという表情を浮かべサウナから出て行った。
そして入れ替わりにサウナハットをかぶった青年が一人で入ってきた。
青年は私の反対側の正面に座った。
痩せ型の優しそうな顔つきの男だった。
なんとなくだが深夜ラジオとか好きそうだな思った。
そんなことを考えているうちに滝のように出ている汗は勢いを増し、我慢の限界に近付いているような気がした。
まだ半分なのか、そんな絶望感を感じた時だった。
「このサウナすごいですね」
私はそう正面座る男に話しかけた。
知らない人としゃべるということが億劫になってぞんざいにその会話に返答してしまう
私の経験上きっと青年はめんどくさそうに思うだろう、そして場を取り繕うような返答をしてくるのだろう。
もしかしたら返答すらしない、そんな残酷なことを平気でするかもしれない。
優しそうな顔つきの男というのは、優しいのは自分の周りに対してで「他人」に対しては平気で残酷なことをするのだ。
「いやここは本当にすごいですね」
そう私にむけて嬉しそうに言った。
そしてさらに
「ここよく来るんですか?」
と聞いてきた。
私は自分のことを棚に上げて友達のいなさそうなやつだなと思った。
それからサウナを出ると青年と水風呂でも、2周目のサウナでも同じになった。
けれどサウナを出た後青年に話しかけるのは気恥ずかしく、できるだけ遠くに座った。
サウナに満足した私は風呂上りに、かき氷を食べようと食堂に行くとまた青年がいた
せっかくだから話しかけてビールでも同伴すればいいじゃないか、
そんなことが頭をよぎったがすぐにそれはとても無粋だと思いなおした。
注文したかき氷は予想よりも大きく、シロップがたくさんかかっていた。
そして食べるのに大変難儀した。
青年の遠くでかき氷を食べ終え食堂を出て、サウナをチェックアウトする
派手なネオンで装飾した看板の中華屋さんの間に挟まるようにチェーンの居酒屋が軒を連ねている
そのビルの地下でガールズバーや性的なマッサージをしてくれるお店がうごめいている。
呼び込みキャッチをよけながら、空を見上げるとあたりはもう暗くなり始めていた。
2年前ぐらいから移動手段として原2のスクーターに乗り始めた。
1回目の緊急事態宣言が解除になった翌日に自動車学校で小型AT二輪の免許教習を申し込みして、8時間の教習を終えた後、輸入新車という発展途上国向けのバイクを輸入して売っているショップで一番人気の車両を買った。
その時に買ったバイクの売り文句はインドスズキが贈るラグジュアリーモデルスクーターだった。
けれど当時は国産のスクーター1台分の値段でこの高級バイクを3台購入することができた。今はもう少し高くなったけれど。
原2という移動手段を手にいれて郊外のスーパー銭湯巡りが趣味になった。
今までたまに通っていた自転車で行けるスーパー銭湯ではなくて、
1時間かけてたどり着く露天風呂から海が見える、スタッフロウリュのサービスが1日3回あるサウナや
都内の水風呂が大きくてプールのようになっている有名サウナに行くようになった。
(余談だが近所にあるスーパー銭湯はサウナは残念だったけれどかき氷は本当に美味しかった。あのお店を超える大きさ美味しさのかき氷には出会ったことがない。)
2~3か月に1回ぐらいだけれど
一人で日常生活用のバイクを走らせて観光スポットに行って一人で帰ってくる。
しっかりめの異常者だし、ちゃんと友達のいない孤独な無趣味おじさんの奇行だと思う
SNSにそんな写真を載せればやっぱりあいつ異常者だったんだなと再確認されてしまうし、
いつか何か凶行に入るのではないかと心配させるのも申し訳ない。
だが大型バイクで駐車場がいっぱいのハンバーガー屋さんは美味しかったし、バイクでずっと峠を走るのは楽しい。
無趣味で友人の少ない自分に趣味ができたということは日々の暮らしがすごく豊かになったし、
週末が本当に楽しみになった。
雨と寒さだ。
バイクが本当に好きな人は雨の中でのツーリングこそ至高と言っていたけどカッパを着て体を濡らしながらの運転は疲れる
だが雨の日に家にこもってやれる趣味というのも残念ながら持ち合わせていない。
だが孤独で無趣味なおじさんは大体貧しい。もちろん自分もそうだ。
職場にせよ、学校にせよ、ストレスが溜まる世の中。そんなとき「逃げてもいい」………とはよく言うが、逃げた先に何があるのか?逃げ続けても大丈夫なのか?そんな不安を抱える方も多いだろう。職場で環境が変化してストレスが溜まるが、就活はもっと地獄と思うと、辞められない方も多いだろう。
そこで考えたのが、「小逃げ」という概念である。大逃げというのは、職場や学校を辞めてしまうこと、何なら二度と会わないであろうと上司に辞表を投げつけることである。そんなことをしてしまえば、その職場には二度と戻れなくなる。そこで私は、職場や学校に結び付きながら逃げる方法を提案するためにこの記事を書いた。それが「小逃げ」である。「小逃げ」とは具体的に何か。それは、「仮病」である。
「仮病」というのはもちろんいいことではない。しかし、無理をしすぎて精神的に爆発して本当の病になって数か月休み、何もできなくなるくらいなら、数日くらい風邪を引いたフリでもしていたほうがいい。これは、本人にとっても、職場や学校にとっても「いい」はずである。「仮病」は職場や学校にとってもいいことを「してあげている」のである。
ということで、「仮病」の具体的な方法をQ&A方式で教えよう。
Q:どうやって仮病をするの?
A:当日の朝、普段起きるくらいの時間に「すみません、熱が38.n℃あって頭が痛いので休ませていただきます…」と弱った声で電話する。これだけ。咳は想定外に電話が長尺になったら1~2発かますくらいでいいし、頭が痛いからと言って「イタイイタイイタイ…」などというと演技がクサくなるので要注意。
A:いったん無視しましょう。寝込んでいるので、すぐに電話に出れないのが当たり前。というのもありますが、周囲の音が入った結果足がついてしまう可能性もあります。だから、慌てて出ないことが重要です。
A:症状が出ている人はドラッグストアなどでの無料PCRができません。医療機関で受けたフリをしておきましょう。証明書は自分の場合は要求されませんでした。されたとしても、もらい忘れたことにしておきましょう。
Q:いつ仮病をするの?
A:職場での大イベントのときに休むと急激に怪しくなるので、極力そこで仮病カードを切らないようにしましょう。逆に何でもないような日こそ休むようにしましょう。コンサートなど職場と無関係な大イベントで休むのは大いにアリです。
どうしても大イベントで休むときは、大イベント当日ではなく1~2日前に休むとよいです。
Q:仮病したときの過ごし方は?
A:当然ですが、「職場には近づかないこと」これと、「通勤時間に同僚の通勤経路に近づかないこと」の2つを守れれば、出かけてもいいでしょう。このため、同僚の通勤時間(シフト)と大まかな住所は把握しておきましょう。ちなみに、偉い人ほど車通勤がちなので、こっちが電車を使えば偉い人に出くわすリスクは格段に下がります。
ちなみに、「趣味活動」以外で、仮病した時の過ごし方で個人的にオススメなのは「スーパー銭湯」ですね。800円くらいでかなり体が休まるので、調子こいていると2000円くらいになるところまでワンセットです。
Q:仮病のテンポは?
A:あまり多く行うわけにはいかないでしょう。多く見積もっても半年に一度とかではないでしょうか?その分、一度の仮病で2~4日休みましょう。元々ある2連休とドッキングさせて勝手にGWを作ってしまうのも手でしょう。また、仮病をいつまでするかはしっかり決めておいて、その期間が終わったら職場や会社に行くようにしましょう。初動が一番重い。ということは初動してしまえば重くない、はず。
どうしても、仮病のテンポがかさんでしまう、仮病のテンポが早すぎて職場をクビになった、ということであれば大逃げせざるを得ないのではないでしょうか?