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はてなキーワード: 交流とは

2024-04-13

anond:20240413001925

面会交流なんて月に一回程度、監視下で会えるくらいのめちゃくちゃ限定的言い訳程度のもんだろ。

月の半分を一緒に暮らせるとかなら分かるが、全然不十分だから通常の親であればそんなものは受け入れられない。

anond:20240413001749

養育計画書通りに子どもを動かすことが求められ、子ども学校友達約束しても「養育計画書に面会交流って書いてあるからダメ!」ってなるやつですね

そもそも養育計画書を作成する時点で子どもの将来をどこまで予測できるのか。予測不可能なのが子育てなんじゃないの?

anond:20240411064518

両親円満子育てしてるんですけど単独親権で困ってます!って当事者が賛成派に一人でもいましたかって

子どもを連れ去られた!って主張してハンストしていたフランス人がいたが、面会交流の申立もしておらず、子ども日本まれ日本育ち、フランスから連れ去られたわけでもなかった

共同親権ハーグ条約もこんなやばい連中が推進してる

https://togetter.com/li/2139369

anond:20240412235238

今で言う面会交流の条件が離婚時に決められていたんだよ。親権が無い父親には子に会う条件がそれで決められてしまう。

子も好きに会えないんだよ。

そのくらい勉強してから反論しろカス

2024-04-12

anond:20240412130430

裁判所夫婦間で暴力があろうとも親子関係とは別問題から面会させろって言うぞ

面会の場で被害に遭う人もいるんだよ

で、面会を拒否すると罰金

貧困率の高いひとり親にこの仕打ち

親の安全とか考えちゃくれないのは知ってるからDV被害者が慌ててる

別れた配偶者や子へのストーカーストーカー殺人、面会交流の子殺しは世界でも続いてるし日本でも起きていて極端な例ではない

少なくない虐待DV被害者にとっては日常問題なんだわ

養育費については請求できますとかぬるいこと言ってないで国がやれよって話

支払い率が低いことを把握していながらいつまで善意請求ベースにし続けるのか

義務があって公正証書があって行政が介入しても払われてない人もいる

子供権利なのに払われてる子と払われてない子の差ができてしま

共同親権のある国は養育費に関する法律罰則もあるのに共同親権だけ取り入れて強制徴収罰則を取り入れないなら今後改善する見込みはないだろう

子供のためになるように練り直すべきだわ

anond:20240412170237

親権単独だろうと、親権を持ってない側の親が子ども交流することは法律禁止されていない。今回の法律は、両方の親との交流法律強制しようとするもの。手術の時、進学の時、その他重要な節目で両親のハンコが必要になる法律。片方がDV加害者で、証拠隠滅して逃げおおせている場合など、進学に反対して裁判所で争った挙句入学に間に合わなかったなんてことも起こりうる。そうなったらどうするよ?

anond:20240412165328

了解です。ここでのディベートでは、共同親権単独親権立場からそれぞれのメリットデメリット議論していきます

共同親権派の立場

主張: 子ども利益を最優先するためには、両親が共同で親権を持つべきです。

論点:

心理的安定: 子どもが両親とも定期的に交流することで、安定した心理状態を保つことができる。

教育利益: 両親から異なる価値観スキルを学ぶことができ、バランスの取れた教育を受ける機会が増える。

責任分担: 親権が共有されることで、子育て負担責任分散され、両親が協力して子育てを行うことができる。

単独親権派の立場

主張: 最も安定した環境提供するためには、一方の親が単独親権を持つべきです。

論点:

安定した環境: 単独親権により、子ども一貫性予測可能性のある生活を送ることができる。

紛争回避: 離婚後の両親間の対立が激しい場合共同親権子どもにとってストレスの原因となり得る。単独親権により、このような紛争を減少させることができる。

効率的意思決定: 子ども教育健康に関する決定を迅速に行うことができる。

ディベートの結果判定

分析:

共同親権派は、子ども心理的安定と教育利益を重視し、親の協力による子育て重要性を強調しました。

単独親権派は、一貫した生活環境紛争回避必要性効率的意思決定重要性を訴えました。

勝者の判定: このディベートでは、共同親権派が勝利したと考えられます。なぜなら、共同親権派の主張が子どもの広範囲にわたる利益考慮しており、特に心理的教育的な側面が強調されていたからです。ただし、単独親権派の懸念無視できないため、実際にはケースバイケースで判断する必要があります

anond:20240412154808

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90年代映像見た

全然懐かしいってならない。ファミコンゲーム映像とか見ても現役でyoutubeとかニコ動レトロゲー実況動画とかが大量に上がってて、マリオ3なんて今でも現役でプレイされてるし、映像見ても全然懐かしいって気分にならない。

映像文化が当たり前の20世紀後半を振り返っても、今と対して変わらん。

スマホ持ってる人が少ないとか言われてもせいぜいそれくらいでは。

ファッションとかメイクとかが違うくらいで昭和に起こったようなドラスティックな変化が感じられない。

90年代なんてまるで昨日のようだ。すでに3Dゲームインターネットもあり、i-modeすら存在した。

スマホ動画が見れるとか、そんくらいだろうか?

入れ墨シールつけてるガキを見かけたらさすがの俺も、なつかしー😍 ってなるのかしら?

懐かしさを感じないのは時間距離が縮んでるのだと思う。

時間距離が縮むとは何かと言うと記録が充実しているのだろう。昔の人が文章を通して過去交流したように現代では音声や動画を通して過去とやり取りしている。

もちろんブログでもよい。たまになんでこんな古い記事ホッテントリしてんだーとかいうやつがおるけれども、記事ストックされていくことがWebの良いところであり、新しい人に刺さるということはそれだけ過去遺産が優れている証拠でもあるんだ。

90年代映像を見ていまと対して変わらんなーって気分になったので今と対して変わらないと思いました。それには映像や記録に接する時間が増えているという背景があるのであはないかという考察でした。

もしくは本当に対して変わっていないのかもしれない。90年代日本ぶっちゃけ世界最高峰に進んだ文化拠点であったわけだし、それが30年停滞したとして30年遅れても十分現代と変わらない文化を担ったということかもしれない。

知らんけど。

あとやっぱりEurobeatとかパラパラとか聞いても最近の若者文化だなーってしか感じないのは感覚が狂ってるのだろうか。

90年代をガキとして過ごした自分にとっては、聞き馴染んだ最新の音楽といえばEurobeatだし、今聞いても活力みなぎる最新の音楽っぽさがあって、流行ってる方角とか聞いてもなんかな。

なんかですよね。なんか。よくわからないよな。レモンとか米津玄師とか言われてもよくわかりません。

最近学校リーダーズだっけ?よくわからいませんうっせえわとか言われてもわかりません。

俺の中での聞いたこと無い最新の音楽ドラゲナイくらいでよいと思います

一生一緒に♫ドラゲナイ♫深夜に突然香水のせい〜♫

踊ってない夜を知らないなんてずんだもんが踊ってる動画見て初めて知ったくらいだしな。その時点ですら「なつかしい」とか言ってるガキが湧いてて、2010年以降に出現した作品なんて懐かしかね〜よ。と思ったものです。

ゲームボーイアドバンスですら懐かしくない。

入れ歯ちゃんとかセーラームーンソーセージくらいなら懐かしい認定を認めます

エバポケモンゼルダも現役だし何も変わらねーという感じが大きい。

消えたのはご飯がススム君くらいだし、ご飯がススム君は21世紀産物なので90年代の話をしている今話題にするべきものでもない。わかりましたか

90年代映像が街の映像だったのも問題かもな。この30年はソフト時代だったので、町並みとか外を歩く人の見た目は変わらないけど、コンテンツ通信技術計算資源は爆裂に進化したわけで。

そりゃ町並みや人の風景が対して変わらいっていう俺の感想は当然なのかもしれない。

そんなところです。

2024-04-11

結婚後に向こうの方が良かったな~みたいな事ってあんの?

結婚してる人達ってある程度異性との交流がある人達だと思うんだけど、当たり前だけど結婚しても異性との交流はある訳じゃん。

から向こうの方が良かったな~みたいな事ってあんの?ありそうだよな。だから芸能人とか異性と交流してるとパパラッチされるんだけど。

 社会参画に至る通過儀礼としての自傷特に思春期女性について、ボカロ歌詞ラビットホールやら、人間なんか大嫌いやら、からふと想起する。

 私が自分容姿卑下トラウマトラウマと風聴するのは、ルッキズムジェンダーバイアスに対するシニシズムである、と自己分析していたが、どちらかというとニヒリズム的かもしれないと最近思う。女性男性非対称性に嫌気が差し、弱みを見せる女性モテて弱音を吐く男性モテない古い世界を転換させたいという価値観への承認欲求他者への不信感・不満が、この態度の根源ではありつつも、さして世は変わらないと感じながらも年老いても自傷的に耽るのは、自らの社会性への価値毀損を厭わない虚無的な諦念所以である、と最近思った。

 今の自分ツイ垢沈黙たる自傷的な行動に対する幼稚さ、メカニズム普遍的欲求について類推思索に耽る。自己価値曖昧さや不安による試し行動は思春期的であり、これに私は虚無主義的に該当しないところである。寂しいからかまって、という凡な気持ちはもちろんあるが、最もはイベントに対する愛である公式が今までありがとうも何もなく次のイベントの告知しかせず、蔑ろに感じた憤り、過去への執着だ。そこに対して付加的なイベントたる自傷を作ることで、イベントのものへの関心と尊さをアピールしたい、というところか。ウェルテル効果が近しいか。そう考えると、面白みもないね

 ありがとうスプラトゥーン1。初めてのネトゲ。初めての交流、初めての彼女ブラック企業退職から、全国の顔も見知らぬ友人を巡礼する旅。出会った人たちには様々な背景があり、半グレに手切れ金渡したことも。そんな人たちと甲子園に出て、思い出を作った。

 最後に潜った。ナワバリには誰もきてくれなかった。ガチマでは有名プレーヤーとよくよくマッチした。うまく立ち回れずもやもやした。だんだん酔ってしまい、リタイア。昔はフェス丸一日プレイしたのにね。

 ……なんだこれ。婆やの死に目よりも涙出てきた。別れたくない。

 別れたくない。

2024-04-10

価値観転倒はもくろんでいる

我々は自分のことしか考えていない

対等だと非難がくる

報酬はどうするか 光のほうにいくことはない

人とといるとミス押し付けるわけではない

人といるとそれアブナイ是って教えてくれるサービスがない

人と交流を切って独力でやる

自分社会的に不発でネックなのがそこ

ご主人を追ってきたので 精神病理的に 精神病理にうごかされている

コミュティ内で媚びろ 来た時に対応するっていうのを深める

変化はあまり感じない 人間必要があるとちゃんと生きる

2024-04-08

ラニーノーズファンnoteを発端に流布する「推し活かくあるべき」論

しゅんき氏の、ラニーノーズRunny Noizeに対するファンとしての失敗に関するnotehttps://note.com/syunki0910/n/n0bbc0a2e4b96)が話題になり、

それにより「推し活は、推し理想と違った場合は呑み込んで応援するか離れるかしかない」という言説が出回っているが、私は少し違う意見だったためその旨を記す。

 

まずはじめに自分スタンスを明らかにしておく。

以下はしゅんき氏が記事内で挙げた、何らかの推し活をするうえでのファンパターンだ。

 

好きな人に対して、好きすぎて狂信的になり、全肯定人間になる人
②好きすぎて、愛を拗らせて文句ばかり言ってしまう人

 

この2パターンがいて、両者は分かり合うことができないということには共感をする。そして本記事は、②であることが多い立場から発言である

 

また、こちらの記事https://note.com/syunki0910/n/n9e7ab2259c1c)の嫌われた原因の項目で書かれている、「自分の振る舞いはおかしなことではない」という点も、一部は理解することができる。

私のスタンスは、

・人には他人を傷つけたりその自由意思を妨げない限り、発言自由担保されるべきである

プロアーティストが生み出した作品に厳しい意見がつくことは(誹謗中傷言葉選びによっては許容されないが)ある程度想定されることであり、その発信自体は叩かれるべきではない

 

というところだ。

前置きが長くなったが、以上のようにしゅんき氏に一部共感するところがある人間視点から問題分析したいと思う。

 

1.言動自由が認められるのは、ファンアーティストも同様である

 

しゅんき氏は、noteの中で、「人がどんな感情を持つのもどんな行動をするのも、基本的には自分勝手である勝手に人に感動したり怒ったりするのだ。誰でもそうだ。人間はそういうものなのだから別になんの問題もない。」と述べている。この一文はまったくその通りである。だから推しに不満を持っていても、不満を吐き出しながら応援する」という行為自体問題はなく、「推し活は~すべき」ということには当てはまらない。

特に規模が大きいアーティストになればなるほど、様々な葛藤を抱えながら応援しているファンはいる。私が今回記事を書こうと考えたのは、冒頭に述べた「推し活のファンの在り方二元論」に異議を唱えたかたからだ。あのような言説が広まると、多くの葛藤するファンが「自分推し応援する資格はない」と自分を責める原因になりかねない。「どんなスタンス応援しようと自由」なのである

 

ただし、それはアーティストも同様であるということだ。

今回、しゅんき氏は、以下のように述べている。

 

僕はあまり媚びずに正直に意見する。
向こうは仕事なので、客から意見は聞かなければならない。
聞いて受け入れなければならないが、
必ず反映させる必要はない。
場合によっては、「それは誤解で、こういう理由があって、こういう思いがあって僕たちはこのような行動に至りました」などと釈明しても良い。
ただし、
「客の意見は一切聞かない!!褒める時だけ喋れ!!」というのはあまり傲慢である

 

これは、「アーティストはかくあるべき」という押し付けであり、アーティスト個人に対する自由意思の妨げである

もちろん、客の声をよく聞き向上に努めるスタンスは、商業的に正しいとされる。これがたとえば、利益創出を目的とした企業それ自体相手であれば、もう少し理屈は通る。しかし本件の相手アーティストとはいえ個人である。私は洲崎氏という方を本記事で初めて知ったが、どういうスタンス活動するかは自由であり、それが利益に繋がるか繋がらないか、繋がらない場合どうなるかはファン判断することではなく、本人自身所属会社が考えることである

存じ上げないうえで例とはいえこのようなことを述べるのは申し訳ないが、たとえば「今はコントより音楽活動比重を置きたい」と思っており、作品の完成度が低くなった場合も、それはアーティスト自身自由である

しゅんき氏が「ファンとはこうあるべき(たとえば本人が提示していた①のような全肯定であるべき)」「作品への不満は言ってはならない」ということを強要されるのをおかしいと思うことと同様に、人の創作活動アーティスト活動強要することはできない。

しゅんき氏がそれを傲慢だと述べるのも自由だが、洲崎氏が傲慢と思われても構わないと思うこともまた自由なのである

 

2.自身理想への解像度を高め、相手は変えられないことを前提とした行動をする

 

しゅんき氏の初期のnoteの中には「自分はこういう人間である」という記述、そして自分がなぜ間違っているかからないという記述があった。

1でも述べたとおり、間違っているわけではないという点は共感する。ただし、その自分を周囲が受け入れるべきだと考えると、それは今回のような事態を生む。

 

見る限りしゅんき氏のなかには2つの欲求理想(細分化すれば3つ)の状態があると思う。

 

1つは、アーティストと良好な関係を築き、ライブに参加し続けること(これは2つに分けられる)

もう1つは、SNS上で忌憚なく自由発言をすること。

 

この2つは、現状の方法では両立することが困難である。そして氏は両立できないことについて、「相手が譲歩し両方の欲求を満たしてくれるよう振る舞うべき」だと考えている。

ここが今回の一番の問題であると考える。よく言われるように他人は変えられない。だから自分がやり方を変えるしかないのだ。

 

そのとき方法はいくつか考えられる。

 

SNS上の振る舞いを改め、嫌われないような言動を心がける

SNS上の振る舞いを優先し、良好な関係は諦める。現場では交流を求めず作品だけ楽しむ

③完全に降りる

 

そして、④は(今からはもう難しいかもしれないが)、「欲求が両立する方法を考え、折衷案的振る舞いを見つけること」だ。

 

これは会社にたとえるとわかりやすい。

自分にはやりたい仕事があり、就職することができた

しか職場仕事の進め方が合わなかった

 

こういった場合、人は④の方法を取ることが多いのではないだろうか。

・この職場自分仕事の進め方を浸透させた方がいいと考え、同僚には仕事の仕方を合わせてもらえるよう交渉する。後に実績で報いられると信じ、その場の人間関係軋轢覚悟する。

・合わない場所にいることはしたくないが1年ほどは我慢できそうなので、転職のために1年は必要な実績を積むことにする。そのために時に妥協し時に我を通すなど状況に応じて変える。

・人と良好に働くことを優先したいため、同僚の進め方に合わせる。関係を構築してから徐々に自身意見を述べるようにしていく。

 

以上の違いは、「進め方へのこだわり」「実績」「人間関係」様々な要素がある中で何を優先するかだ。自分価値観点検し、どこにどれだけ比重を置き、逆にどれが不足していると耐えられないか、どれくらいなら耐えられるかを見極め、自分にとって心地の良いバランスを探っていく。それが人間関係であり人の営みではないのだろうか。

 

ここで、すべてを満たそうとただ声高に叫んだところでそれが叶えられることはないだろう。しかしゅんき氏は、自分欲求すべてが同等に叶えられるべきであると考えている。

欲求複数持つことや叶えようとすることは問題ではない。問題は、他人環境は変えられないという点への無自覚さと、自分の中の優先順位不明瞭なことである

自分にとってもっと理想的な状態は何か。それが実現するためにはどのような振る舞いが適しているかを「相手が変わる」という選択肢を除き、「自身妥協点」や「自身が新たに身につける思考や振る舞い」を考慮したうえで計画し、実行に移す。

 

こうした行動が、氏には必要だったのではないだろうか。

 

とはいえ、まだ若い方が以上のようなことを考えて振る舞うことは難しい場合が多いだろうと思う。

そしてこうした振る舞いを自身が二十歳そこそこの時に身につけていたかというとはなはだ疑問であり、だからこそ私は、こうした記事を書いている。

擁護ではなく、この記事もまた、私のお気持ち表明だ。

 

推し活・ファンはかくあるべき

 

なんてものファンダムのなかの「べき」論は幻想だと思っている。ただそこは人の営みであり、アーティストも含め、心の通う、自分と違う人たちが多くいる場所だ。

迎合を覚えろという意味ではなく、ただ、自らの思い通りにならないことを理解したうえで、なるべく心地の良い落としどころを見つけていくこと(あるいはそれを試すこと)を、私は若い方に推奨したいのかもしれない。

土地差し出して核戦争やらなんやら終わるならええんちゃうの?

いっそロシアウクライナ共栄圏として国境なき交流地区にしよう

LOVE&PEACE

2024-04-07

anond:20240407180412

同じく新社会人だけど、先週末の本社新人研修ずっとぼっちだったか上司も先輩も優しくて暖かく迎えてくれる支店に出勤できる明日が嬉しくてたまらない。

研修担当の人事の人らが「今日のメインは研修というより同期との交流から」ってやたらと休憩時間を多くしたり早めに切り上げたりするからマジで苦痛だった。

最後の方には他の同期同士タメ口になっててそのまま飲みに行く予定だったらしいけど、俺はずっとお互いさん付け敬語で飲みも誘われていない。

まっすぐ夕方帰宅したら母親が「今日飲み会とかなかったの?まあ、とにかく一週間お疲れ様」って言って寿司買ってきてくれたのが辛かった。

桜見ても何も思わなくなった

厨二病とかそんなんじゃなく

本当に何も思わない

うつ病とかそんなんかね

人見知りというかほとんど適応障害みたいな感じで人との交流避けてきたから、流石に人として壊れ始めてる気がする

きれいなものに感動しなくなり、人に対する優しさとか生まれてくる気がしない

おんなじようなやつおるんか?

2024-04-05

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240404/k10014411941000.html

頻繁に家族や友人と連絡を取り合っていた一人暮らし男性が突然の病気救急搬送され亡くなり

親族もいない孤独な奴だろ」と判断され勝手火葬され勝手に埋葬され

連絡つかないことを不審に思った友人が調査した末に、もう遺骨は他の無縁仏と混ぜられて墓の下でその人のだけ回収することは不可能とわかる

ぼくは無縁仏コースを辿りそうだけど、ちゃんと人との交流があってもこんなことになっちゃうのか

2024-04-04

離婚後に別居親と面会交流して子供殺害された事件が痛ましい。もともと同居親のほうが家裁不安申し立てていたというのだからなおやりきれない。

面会交流して子供に何かあったら、代理人弁護士連帯責任にしよう。そうしたら気軽に受任することもなくなるだろうよ。弁護士依頼人伝書鳩じゃない。依頼人から独立して自ら責任を持って執務しなければならない。

共同親権も、共同親権申し立てた親が何かやらかしたら、代理人弁護士連帯責任刑事罰にすればいい。それくらいの覚悟を持ってやれよってことだよ。

対人恐怖症が治ったすま増田達成の間人対っていつに████(██)

█████████!

気が付いたら、いつの間にか対人恐怖症が治っていたの。

不思議よね。

よく聞く話は、急に対人恐怖症になったっていうのばかりで、

治ったって話は聞かないわよね。

でも、油断は禁物。

また対人恐怖症になるかもしれないから、気を付けないとね。

さて、新しい環境に慣れてきたから、

自己紹介大事だなって実感したわ。

春の訪れみたいに、新しい出会いが待っているのかも。

そういえば、人見知り克服の██████があるって聞いたわ。

でも、私にはよくわからないの。

ハーブティーみたいに、色んな種類があるみたいだけど、

全部試すのは大変そう。

私がよく行くカフェは、人付き合いが苦手な人が集まる場所なの。

でも、そこに行くと何だか落ち着くのよね。

マスターは元々人見知りだったのかしら?

でも、そのカフェでは自然と会話が弾むの。

不思議よね。

そういえば、対人恐怖症克服の秘訣を知りたいわ。

誰か有名な人に取材してほしいわね。

飲み会には昔よく行ったけど、

やっぱり一対一の会話の方が私は楽なの。

社交不安障害自助グループでも、そんな話があるみたい。

外国人との交流会も、苦手意識があるから躊躇しちゃうわ。

でも、参加している人を見ると、微笑ましい気持ちになるの。

ふと思ったんだけど、

対人恐怖症が治ったのと、新しい環境への適応力が上がったのって関係あるのかしら?

適応って大事よね。

最近は、大勢の前で話すのが苦手だったなんて嘘みたい。

アサーティブコミュニケーションを学んだおかげかしら。

グループ練習したのが良かったみたい。

自己主張しつつ、相手意見尊重できるようになったわ。

アサーティブコミュニケーション、すごい力よね。

██████████は、ホット██にしたわ。

カウンセラーに頼るのは面倒だから

自分の中の心の相談所で自問自答よ。

前向きな気持ち大事よね。

█████████~

今日も███████!

2024-04-03

あとがき供給が足りていない気がする

小説以外の本は大体あとがきがついていて、楽しみつつ読んでいる

海外小説も大体あとがきがついていて、延々知らん人に作者がお礼を言っているなと思いつつ楽しみながら読んでいる

翻訳者あとがき解説、作者との翻訳者交流エピソードも興味深く読み楽しんでいる

でも、日本小説ってあとがきがなぜか少ない気がする

最近、作者とは別の小説家が書いた解説を巻末に載せるパターンは増えていて、あれはあれで好きではあるが、別に今読んだ物語についての話が読後に読みたいわけじゃないんだよな

小説物語から現実に覚める間の儀式ちょっとしたものを挟みたいんだよ

焼肉後のガムとか飴みたいなちょっと口に挟む味変みたいなものが欲しい

乙一の「菓子パン好きです」みたいな作品に全く関係ないあとがきでいいんだよ

そんなあとがきなんていらないよ派が多いから、あとがきってないのかなとずっと思ってる

2024-04-02

靴ひもとバナナ

ある日、平凡な町に住む少年トムは、ある不思議出来事に巻き込まれました。彼の名前がついたトムの靴ひもが、突然バナナに変わったのです。

最初は驚きと困惑の中、トムはその奇妙な現象を受け入れざるを得ませんでした。しかし、靴ひもがバナナに変わったことで、彼の日常生活は大きく変化し始めました。

トムは靴ひもの代わりにバナナを使って歩き始めました。最初はぎこちなかったものの、バナナのしなやかな柔らかさが靴ひもにはない新しい感覚をもたらしました。彼は街中を歩き回り、バナナの魅力に心を奪われました。

しかし、トムの靴ひもがバナナに変わった理由は、ひとつ冒険が始まる合図だったのです。ある日、トムはバナナの先に不思議な光を見つけ、それを追いかけていくと、未知の世界へとたどり着きました。

そこでは、バナナたちが知的存在として暮らしており、トムは彼らと友情を育みました。彼らとの交流を通じて、トムは自分自身世界について新たな気づきを得ることができました。

バナナと靴ひも、異なる形を持つ二つの存在が織り成す冒険は、トムの人生に新たな色を加え、彼を成長させることになりました。そして、トムは靴ひもとバナナ不思議な絆を永遠に胸に刻むのでした。

実際にいた、創作趣味の痛い奴

創作活動、とりわけ「一次創作(完全オリジナル)」の創作趣味な人で、こんな人を見かけたことはないですか?

 

キャラクター設定はあるが、肝心の「お話(本編)」がない。
マンガ小説等の形になった「お話」は無いが、設定だけは延々と語る。
他者が作ったオリキャラ(よその子)と絡みたがる。

 

今はもう見かけることは無いと思いますが、昔はこういうキャラしか作れない創作屋」がたくさんいました。
「うちの子厨」とも呼ばれ、界隈の一部からは「痛々しい」と影で叩かれることもありました。
かに、「創作」と言うよりかは、「ネット版お人形遊び」と言った方が正しいでしょう。


とは言えこういう人種ネット上だけの存在
……と思われるでしょうが現実でいました。こういう人。


ふと思い出したのでこちらに記しておきたいと思います
心当たりがある方に読んでもらえたら幸いです。

 

 

結論から言うと、まあキモかった。痛々しかった。

 

 

ちなみに女性です。この人を「A子」します。


A子と知り合ったのは、確か入学したばかりの頃、友達の紹介であったかと思います所属する部活動を選んでいる最中の時だったかすみません記憶あいまいです。
当時は私も恥ずかしながらマンガを描くのが趣味で、それで一度意気投合たかと。

 

そのA子の痛さを簡単にまとめると。

 

こちらの創作に口を出す。
自分オリキャラの話を延々と語る。
小説も書いてはいたようだがほんの序章しか書いておらず、それで読ませて感想を求めてくる。
④「合作しよう」としつこく持ち掛けてくる。

 


まず①について。


私が部活で短いマンガを描いたとき、読んでくれたはいものの、感想は無くA子は「この後はこうした方が良い」「この案はどうですか!?」ってすごい勢いで迫られました。
描いたのはただ現代日本部隊のほんわかな雰囲気ギャグ漫画なのですが、彼女提案した設定は「このキャラは実は侵略のためにやってきた異世界人」「異世界を救うためにやがては主人公をその世界に連れていく」等などのトンデモ話ばかり。苦笑いするしかなかったです。

 

②について。

 

A子の設定話は帰りのバスの中でよく聞かされました。しかも同じキャラクターの同じ設定の話を。私は虫が大の苦手なんですけど、そのキャラの虫に関する設定をだらだらと話していたのは覚えています
語り方も手をわきわき動かしながらで、今となっても本当にキモかった。
後は「このキャラは超美少女で暗い過去があって~」「このキャラは神と同等の力を持つ武器を持ってて~」と厨二病全開の設定祭りです。
異世界の話を盛りたがるあたりそういうのが好きだったんでしょうね。

 

③について。

 

A子も小説という形でキャラクターを動かしていたようですが、その話が原稿用紙1枚分程度の長さしかありませんでしたね。しかも序盤。
そんなもの読まされてもって感じなんですけど、いきなりそれ書かれた紙渡されて「読む?」って言われて…断れるわけないですよね。
突然クライマックスですが、何故そうなったのか、これから主人公はどうするのか、さっぱりわかりません。帰り道散々聞かされた設定は、どこにも記されていません。
起承転結も無い作文に「どう?」って聞いてくるものですから、何とか当たり障りのない感想を言ってあげました。

 

最後の④、これが本当にキツかった。一番ヤバかった。


ある日A子から合作しませんか!?」ってこれまた勢いよく言われました。
その時私は「まだ自分作品だって満足に作れてないのに合作は難し過ぎる」といって断ったのですが…
A子は「何で?二人で考えればいいもの作れるのに!」「案を出し合った方が効率もいいですよ!」「何でダメなんですか!?」的なことをまくし立てるように言ってきて、こちらの話には聞く耳持たず。さすがにうんざりしました。
合作はしなくて済みましたが、それ以来私はA子と距離を取ることにしました。

 

 


そしてA子はあの後どうなったか……


彼女携帯サイトを作っていました。今となっては懐かしいコンテンツですね。(彼女交流していた同じ部活内の人が教えてくれました)
サイトを作ってようやく創作活動を本格的にやり始めたのかと思いきや。

 

 

「イマジナリーフレンド」のサイトでした。

 

 

彼女の作ったオリキャラがイマジナリーフレンドとして掛け合いをブログに投じている。
鬱々とした管理人彼女)をイマジナリーフレンドが懸命に慰めている。

イマジナリーフレンドとは、小さい子どもが遊び相手として作る空想上の友達のことです。空想の一人遊びです。
普通であれば小学生までの子どもが楽しむもので、中学生のうちに自然消滅するものです。
初めて見ました、イマジナリーフレンドをネット上で公開するの。
彼女にとって、創作とはなんだったのか。ともかく距離置いて良かったなと心から思いました。
現在このサイトは完全削除されていると思います

 

 

 

最後にこの話、いつの頃の話だと思いましたか
中学生高校生

 

 

 

大学生です。

 

 

 

18歳を超えた大学生お話です。
冒頭で記した現実版「うちの子厨」の末路の1つです。
しかし今にして思えば、昔流行った「うちの子文化は、「イマジナリーフレンド」と紙一重存在だったかもしれません。

今でも「うちの子文化を楽しんでいる人がいるなら、彼女のような痛々しい人はいないことを願うばかりです。

 

 

今頃、彼女はどうしていることやら。イマジナリーフレンドは卒業していればいいですね。

「初対面の人と打ち解けるのが得意だ」「いいえ」

「どちらかと言うと人見知りだと思う」「はい

「知らない人に自分からしかけるのが億劫だ」「はい

診断:あなたは人見知りするようです。もっと積極的に人と交流しましょう。

わい:知ってるが。

なにこの無駄性格診断。

2024-03-31

このアカウント、「発達障害交流広場」なんて名前公益性アピールしておいて

その中身はADHDに対する偏見を広めてるってヤバすぎない?

ていうか食べ物を溢すとか飴を噛んで食べてしまうとかは不注意や多動傾向って事でまだ分かるんだけど、

最後のはADHD関係なくない?

最後のだけ露骨に貶めた書き方だから気になる

https://twitter.com/hattatsukoryu/status/1774285855169061309

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