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はてなキーワード: fireとは

2023-10-16

anond:20231016103024

残業地獄フルタイムで神経擦り減らしながら働くのを止めたって感じだろ

セミFIREじゃん

そんな字義にこだわるなよアスペじゃないんだから

意図を汲み取ろうよ

小姑みたいなこと言ってるからお前は女に嫌われるんだよ

anond:20231016102502

10万が不労所得ならわかるが

結局働いてるならFIREしてないじゃん、というツッコミはしたくなる

資産5000万越えでFIREして炎上

アベマTVで、資産5000万越えで、日雇とブログで月10万円稼いで支出も月10万で暮らしてる人を「ゆるFIRE」と紹介したらしい。

それを金持ちインフルエンサーが「ただの貧乏じゃん」と火をつけて「メディアはこんな胡散臭いやつを取り上げるな」とか炎上したとか。

金持ちインフルエンサーは、金持ちぶりをアピールして、こうすれば俺みたいになれるぞって注目を集めるのがお仕事から「ゆるFIRE」みたいな価値観否定しなきゃならないんだろうけど。

2023-10-15

anond:20231015103418

それはそう。みんなFIRE目指しとるしな

 

でもみんな親がいてみんなやがて老人になるので

まさか庶民があたおか上級国民社会保障費を削る口実作りの手助けするのはやめよう

それから親や祖父母虐待(殴る蹴るだけでなく、先回り甘やかしすぎも虐待)されて

育ったのかなぁって印象を他人に与えてる自覚あっていいぞ

2023-10-13

FIREしたいわけじゃないけど、定年後再雇用回避したいどす

2023-10-12

anond:20231012112848

FIREできるくらいの金が貯まったんじゃね?

🔥🔥🧔🔥🔥

Fireしてる

2023-10-11

bioでモラDV離婚転職活動するも失敗した希望のないアラ4非正規派遣労働者とか見ると

結婚FIREキメたと思いきや寄生失敗で社会に再戻りかとニコニコちゃう

anond:20231011104446

FIREとか聞こえはいいけど限られた金で特にやることもなくしょぼい生活死ぬまでしなきゃいけないの精神病みそうだもんな・・・

増田で「俺はFIREしてる」って言ってるやつって

Financial Independence, Retire Earlyじゃなくて解雇されて無職とか、生活保護のやつだろ。

anond:20231011103809

FIREしてやることが増田は夢がなさすぎるッピ

2023-10-10

パヨク大学検閲主義

個人権利表現財団FIRE)の2023年大学言論自由ランキングでは、ハーバード大学が最悪の学校(0-100)、ミシガン工科大学が最高の学校(78.01-100)と採点された。

この調査では、学生の26%が定期的に自分自身検閲していると回答し、72%が保守派の講演者キャンパスに招くことに反対し、43%がリベラルな講演者を招待することに反対していることも判明した。

ハーバード大学FIREの最低評価に分類されたが、中絶反対の講演者を支持すると答えた学生の数は近年11%増加した。

ペンシルベニア大学11ポイント差をつけられているハーバード大学では、これまでに9人の教授研究者が、発言書き込みに対して処罰解雇要求に直面している。

ハーバード大学ペンシルベニア大学ジョージタウン大学公式広報部門はこの件についてコメントしていない。しかし、ハーバード大学学校紙「ハーバードクリムゾン」は、FIRE報道部分的しか正しくないと主張し、学生入学許可を取り消すという学校の決定は言論自由ではなくヘイトスピーチに基づいていると主張した。

https://www.thefire.org/news/harvard-gets-worst-score-ever-fires-college-free-speech-rankings?ref=orwell.org

2023-10-05

anond:20231005142134

軽く調べてみた。半数近くは元ネタが分からず、分かったのも「これが元ネタかな?」程度で、確実にこれだと断言できるほどではなかった。

  • 読んだことをすべて信じるなら、一切読むな。

悉く書を信ずれば則ち書無きに如かず

  • 教えることは学ぶこと。

教うるは学ぶの半ば

  • 人の中に茶がなければ、その人は真理と美を理解することができない。

不明

不明。「沈黙は金、雄弁は銀」「親しき中にも礼儀あり」「己の欲せざる所、人に施すことなかれ」とかの合成?

ジョージワシントン名言の「正直は常に最善の策である」?

BL漫画囀る鳥は羽ばたかない? キジも鳴かずは撃たれまい、かと思ったけど、原文ママのほうを優先。

  • 目を引く釘、魅力的な場所
  • 原文::出る釘は打たれる。

出る杭は打たれる。

  • 高速で走っている車は横転する。

シェイクスピア賢明に、そしてゆっくりと。速く走るやつは転ぶ。? 「急がば回れ」や「急いては事をしそんじる」あたりの意訳?

  • 本は心の糧である
  • 盲目乞食でも花の匂いくらいは嗅ぐことができる。
  • 米の中の黒い石を恐れるな、白い石を恐れよ。
  • 魂の薬は本である
  • 戦争を知らない者は平和を知らない。
  • 霧は団扇では散らない。

不明。本系の言葉は、ことわざというより、個々人の格言な気がする。

  • 三手は一火に値する。

三本の矢

追記:元増田ブクマコメントからベンジャミン・フランクリンの"Three removes are as bad as a fire."。

  • 嘘は疾走する。真実は一歩一歩歩み、それでも時間通りに到着する。

不明

2023-10-03

申し遅れてすみません、「毎月28万5000円」です

どうもはじめまして

増田増夫(35歳)です

実は私独身一人暮らしなんです

そんなある日インターネット出会ったのが「FIRE

もともと労働が嫌で嫌で仕方なくて定年まで働き続ける人生想像できなかったんですよね

ところが起業投資ギャンブルで一発当てたわけでもないのに

サラリーマンからコツコツお金貯めて働かずに生きていく人生を実現した人がいるなんて衝撃でしたよ

そこからは完全にFIREしか目に入らない人生ですね

転職年収を上げる、ポイ活でポイント稼ぎ、インデックス投資で貯蓄上乗せ

そんなこんなで貯蓄が現在4300万円まで増えました

あと5年くらいで念願のFIREですかね

それまで無理なくコツコツやっていきます

毎月の予定表

S&P500(つみたてNISA) 33333円

S&P500(特定口座) 170000円

先進国株(DC年金) 27500円

自社株 55000円

2023-10-01

社会人5年目だけど手取り45万円もらってる

anond:20220116222541 を書いた者。引き続き近況を書いてみる。

新卒入社した会社で4年ちょっと働いて、今年転職をした。転職先も大手web企業

月の手取りは37万円ぐらいから45万円ぐらいにに増えた。

出費は新卒1年目からまり変わらず16万円ぐらいだから、月30万円近く貯まっていく。

物価が上がって以前に比べると出費がちょっと増えた。

業務内容は基本的に変わらず。職場雰囲気もあまり変わらず。転職先の仕事に慣れてきたらまたのんびり楽しく働けそう。

投資を始めたので、生活防衛資金を残してインデックスファンドに突っ込んでる。ボーナスも含めれば来年からの新NISAは月30万円突っ込むことが出来そう。

いつかFIREできると嬉しいなぁ。まぁ実際にFIREすると暇になりそうなのでバイトとかやってそうだけど。

近況としてはこんなところ。

そういうわけで相変わらず大手web企業はいいぞ。(テンプレ

anond:20231001225842

10%で安定して回せる人なんていないので出来るならFireどころか日本でも有数の億万長者になれます

40歳独身資産8000万円でFIRE生活してる俺が既婚に抱いてる気持ちがついにわかった。

塾帰りの中学生が帰り道でたむろしてるヤンキー見て楽しそうで羨ましいがかといってああはなりたくねえなぁという気持ち

35年ローン組んだり子供学費に頭悩ませたりパート妻を養ったりで定年迎えても死ぬまで労働し続ける地獄には足を踏み入れたくないなと。

そもそも出会いが無さすぎてモテるとかモテないとか以前の問題

35歳独身彼女いない歴=年齢。

兄弟男子校理系大•修士技術職という人生で周りに女が存在しない。

20代後半の頃に何回か街コン行ったけど、第1希望マッチングできるのは皆無で第2希望とか第3希望の人としかマッチングできなかった。

ただ、そういう第2希望第3希望人達って正直俺の好みからいくらかズレるような人達だったので結局1回会ってお互いにサヨナラがほとんどだったな。

こんな人生だし趣味ほとんど金かからいから金は貯まったよね。

40〜45歳には1億円貯まってFIREできるくらい。

そんなこんなで彼女は欲しいけど結婚はいいかなと。

子供いらないし、結婚できてもどうせ自分より年収低いだろうから金銭的にメリットないし、離婚して財産分与なんて絶対嫌なので。

というわけでワンチャン彼女出来たら結婚を前提とせずに付き合って生涯独身を前提に人生設計していくのがいいかなと。

2023-09-30

そもそも出会いが無さすぎてモテるとかモテないとか以前の問題

35歳独身彼女いない歴=年齢。

兄弟男子校理系大•修士技術職という人生で周りに女が存在しない。

20代後半の頃に何回か街コン行ったけど、第1希望マッチングできるのは皆無で第2希望とか第3希望の人としかマッチングできなかった。

ただ、そういう第2希望第3希望人達って正直俺の好みからいくらかズレるような人達だったので結局1回会ってお互いにサヨナラがほとんどだったな。

こんな人生だし趣味ほとんど金かからいから金は貯まったよね。

40〜45歳には1億円貯まってFIREできるくらい。

そんなこんなで彼女は欲しいけど結婚はいいかなと。

子供いらないし、結婚できてもどうせ自分より年収低いだろうから金銭的にメリットないし、離婚して財産分与なんて絶対嫌なので。

というわけでワンチャン彼女出来たら結婚を前提とせずに付き合って生涯独身を前提に人生設計していくのがいいかなと。

2023-09-26

そもそも出会いが無さすぎてモテるとかモテないとか以前の問題

35歳独身彼女いない歴=年齢。

兄弟男子校理系大•修士技術職という人生で周りに女が存在しない。

20代後半の頃に何回か街コン行ったけど、第1希望マッチングできるのは皆無で第2希望とか第3希望の人としかマッチングできなかった。

ただ、そういう第2希望第3希望人達って正直俺の好みからいくらかズレるような人達だったので結局1回会ってお互いにサヨナラがほとんどだったな。

こんな人生だし趣味ほとんど金かからいから金は貯まったよね。

40〜45歳には1億円貯まってFIREできるくらい。

そんなこんなで彼女は欲しいけど結婚はいいかなと。

子供いらないし、結婚できてもどうせ自分より年収低いだろうから金銭的にメリットないし、離婚して財産分与なんて絶対嫌なので。

というわけでワンチャン彼女出来たら結婚を前提とせずに付き合って生涯独身を前提に人生設計していくのがいいかなと。

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続きの続き

国家に反対すること

フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級無視している。これは彼らがアナーキストからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級権力を同時に重視することができる。

しかし、『万物黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。

著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国領主爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。

インダス

インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等国家もなく暮らしていた。

そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等容認できるということである[11]。

ナチェス

彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王権力凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人プランター奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。

人間犠牲

グレーバーとウェングローは、残酷人身御供祭り世界中の初期の州で見られるという重要事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜若い女性、貧しい人々であった。

彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である残酷地方国家臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。

実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。

集会

集会のもの重要最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミア王国国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。

しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動集会に似ていると指摘する。

古代メソポタミアでは、参加型民主主義いかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主支配していた。ローマ元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会有権者富裕層に限られていた。

この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たち王国国家を、不平等社会における支配階級ルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物黎明』では、そのプロセスは目に見えない。

* *

グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等絶望し、グローバル・エリート政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。

多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解必要である

脚注

[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.

[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.

[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.

[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.

[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.

[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.

[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.

[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.

[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.

[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.

[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.

[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

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