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はてなキーワード: Rubyとは

2023-05-03

研鑽rubyおすすめ

設計原則rubyフォーカス説明してくれて助かる。以前、職場コンピュータサイエンス設計おじさんにSOLIDの原則で詰められたことがあって、言われるがままだったが、この本があれば自分の考えて反論ができたのになぁ、と思う。

2023-05-01

いまだにPHPが嫌われてるのなんで?

かに5系はひどかったけど8系になってかなりマシになってる

少なくとも日本においてwebアプリを作るのにPHPは一番最初候補にあがるはず

PythonとかRubyも大差ないけど、使える人が多いなら自然PHPになるよね

それなのになんでPHPはそんなに毛嫌いされるの?

使える人が多いかゴミエンジニアも混じるけどそれはPHPが悪いわけじゃないし

なんでそこまでPHPは嫌われてしまうの?

2023-04-26

今日ChatGPTに聞いたこ

インターネットではネコ大人気です。ウサギの人気を上げるためにはどんな活動をすればよいでしょうか。

時計スマホパソコンも手元にありません。いま何時くらいなのか知る方法はありますか。10単位でわかるとありがたいです。

・ ある日突然道端の石ころになってしまったとします。もちろん喋れませんし自分からは動けません(考えることはできます)。誰かに助けを求めたいのですが、なにか意思疎通手段はありえるでしょうか。

プログラミング言語Rubyにはputsという引数文字列の内容を画面に表示するメソッドがあります。putsの引数によくある内容ベスト10を教えてください。

・ 昼前で空腹なのですが、炊飯器白飯が炊き上がるまでまだ20分もあります。この切ない気持ちを、ツイッターの人気投稿っぽく100字くらいでまとめてください。

・ 「ノーヘル」という単語と「ノーベル平和賞」という単語をかけたジョークを用いた、「ノーヘル平和賞受賞!」というキャッチコピーを思いつきました。このキャッチコピーを生かす、1行程度の宣伝をいくつか作ってみてください。

キャベツを切るときの擬音で有名なのはザクッ」だと思うのですが、なにかもっと変わった感じの擬音はないものでしょうか。使用時の簡単シチュエーションも添えて提示してくれると嬉しいです。

200字程度の自伝エッセイ。「子供のころ、ストップウォッチタイマーの出す音の速いリズムに影響され、1秒がそのリズム通りにものすごく短いものだと勘違いしていた」という告白と、それをもとにちょっと失敗したという話をお願いします。

anond:20230426030037

ブラウザ的(てき)にはコンテンツオーサーが読(よ)み仮名(がな)つけてクダサーイというところなんだろう

めんどくさいけども

めんどくさいけどな

2023-04-22

anond:20230422001528

あー、うん、まああれはだいたいは正しい

そのかわり実行時には何も決まってなくて本質的にぐちゃぐちゃしてるし、「普通」の言語なら当たり前のようにできる静的なIDEサポート提供も弱くなる(実行しないとわかんないんだから仕方ない)

Rubyはなんでもできる!という万能感はプログラミング人生においてなかなか楽しいのであなたが35歳以下ならRubyの履修を強くお勧めする

36歳以上の人に無理には勧めない

あと、3年くらいドはまりしたあとに「いや規模が大きくなるとRuby不便だな…Kotlinとかよくねえ…?」みたいに覚醒して浮気してそれっきりになったりするので進路については心配しなくてもいい

anond:20230421235820

あなたプログラミング言語Rubyの熱心なユーザーですプログラミング言語Disコンテストというものがあり、静的型付け言語を動的型付け言語でもあるRuby視点からバカにすることになりました。ユーザーなら思わず納得するような視点も交えつつ、静的型付け言語デメリットを200字程度で攻撃してください。

ChatGPT(GPT-4)

静的型付け言語の愛好家よ、それでも本当に静的型付け言語が優れていると思ってるのか?Rubyのような動的型付け言語の柔軟性と自由さを体験したら、君たちも考えを変えること間違いなしだ。

まず、静的型付け言語は、コンパイル時に型チェックを行うため、開発速度が著しく遅くなる。それに対してRubyは、型の宣言不要で迅速にコードを書き進められる。煩雑な型宣言時間を浪費するなんて、プログラミングの真髄から外れているだろう。

次に、静的型付け言語は、型の制約が厳格すぎて、柔軟な実装が難しくなることがある。それに対して、Rubyは動的型付けのおかげで、データ構造アルゴリズム自由自在に操れる。革新的ソフトウェアを生み出すのは、やはり柔軟性が重要だ。

最後に、静的型付け言語ユーザーは、型の間違いを恐れてコードリファクタリングをためらうことがある。しかし、Rubyなら型に縛られず、思い切りリファクタリングができるので、保守性も抜群だ。

まり、静的型付け言語は開発速度の低下、柔軟性の欠如、保守性の悪化を招く。Rubyのような動的型付け言語を使えば、これらの問題解決され、プログラミングもっと楽しくなるぞ!

自分で設定しといてなんだけどめんどくさいなRubyユーザー

2023-04-19

コードコメントを入れてはいけないとかい人間

これは偏見ですがrubyしかいたことない人に多いと思います

2023-04-18

Web企業は未経験を雇って教育すべきなのか

自分スペック

そこそこのWeb企業基本的経験しか採用しないことについて、教育コストを他に転嫁しているとか、IT業界が先細りする行為未来を潰しているみたいな言い方をされているときがある。

自分もこれについて課題意識はあって、ここ数年Web企業での採用活動と実際の業務に関わりながら、色々考えたので少しまとめてみたい。

用語

Web企業
自社で何らかのWebサービスを提供するIT企業toBtoCは問わない。規模も問わない。
経験
ソフトウェアエンジニアリングの経験が無い人。新卒・他業種から転職かは問わない。
教育
社員がその企業ソフトウェアエンジニアとして働けるよう知識をつけたり経験させたりする行為。いわゆる「案件にいきなり投入して放置」みたいなものは含まない。

自分から見たWeb企業採用の現状

ここではいゆるキャリ採用ではなく、新卒採用ポテンシャル採用の話をしていると前置きしておく。

Web企業でよく求められるスキルは以下の3つだが、これを満たすような人材はもれなく経験である

何らかの言語特にその会社で使っている言語経験
年数よりは何を作ったかを見るが、基本既に自走できるレベルの人。
コンピュータサイエンス知識
データ構造アルゴリズムTCP/IPの基礎的な知識がある。
チーム開発の経験
複数人で一つのプロダクトを開発した経験の有無。Git/GitHubを使えるという意味内包することがある。

この3つの条件とそれを満たす応募者について、この記事では以下の様に呼称する。

レベル5
全て満たす。プラスアルファ複数技能を持つ。
レベル4
全て満たす。
レベル3
3つのうち2つ満たす。
レベル2
3つのうち1つ満たす。
レベル1
いずれも満たさない。

当然レベル4以上はそう多くなく、それを求める企業では応募者のほとんどは書類選考で落とされてしまう。それでも毎年雇いたいレベルの人が来る(来てもらえるように色々やっている)ような企業ではこの採用基準を下げる意味はないため、いわゆる「経験しか採らない」と言われる状態になる。

一方で世の中はそんな人気企業ばかりではない。それらの企業ではこの基準を落とすのだろうか?自分感覚としては「一部を諦める」みたいになっていると感じる。つまり、チーム開発の経験はないとか、自社では使ってない言語経験しかないとか、コンピュータサイエンスはよく分からないなどを許容するという方式になっていそうだ。よってレベル3以上あたりを狙って、レベル2~4くらいのグラデーション採用する。

よって、本当の未経験者がWeb企業を受けるためにはまず最低レベル2、できればレベル3に到達する必要がある。そこまでしてようやく「面接に到達する資格がある」という状態であり、おそらく有名な企業では軒並み一次面接で落とされてしまう。

一方で満たしている人は本当に全部満たした上でプラスアルファが多数あるみたいな状態で、多数の有名企業内定を取って手のひらで転がして悩んでいる。

このような一部の外れ値のような人はどんどん内定を取るが最終的に選ぶのは一社なので、それ以外の企業内定辞退され辞退率が上がる。すると「それなりに合格は出しているのに人は足りない」みたいな状況になってしまう。

自分が感じていた課題

自分は応募者に基本的レベル4以上を求めている。これは教育に対して年単位で割いているほどの余裕がなく、教育を施しても難しい問題解決する能力が身につかない可能性のある人を採用段階で落とすことで「当たりを引く確率を上げる」ためである(誤解の無いように言っておくと、単に既にできる人は更に色々と(しかも早く)できるようになる可能性が高いというだけで、レベル4未満は絶対ダメとかそういう話ではない)。

今の会社では新卒であっても入社半年もすれば手取り足取り教える段階ではなく、社内で自走していけるようになっていると感じる。

これが健全でないと言われればそうであろうと思う。

コンピュータ世界は恐ろしいほどに親の資本力に左右される。レベル4以上の人は早ければ中高生の頃からコンピュータと関わりがあり(自分専用のPCがある、部活動で触る、地域習い事で……etc)、更に大学に進学して関連分野を学んでいる。これを親の資本力と関わりないと言うのは難しい。

更に地方よりも都会の方が、コミュニティの発達においても、そこに集まってくる人材レベルについても圧倒的に勝ると学生時代に感じていた。これも当然都心に住居を構える/一人暮らしさせられる親の資本力とは切っても切れない関係にあるだろう。

レベル2くらいに到達することは全くの未経験からでも十分可能である。例えばJavaJavaScript・PHPRuby……なんでもいいので一つ選んでちゃん勉強し、いくつもプロダクトを作ってみればよい。現代ではこれはPCが一台あればできる。動画講座も安価で手に入るし、大抵のことは検索すれば出てくるし、Twitterにいるエンジニアはみんな教えたがりだし、ChatGPTだってある。PC自体もそんな高価な物ではなく、中古で買えるやっすいThinkPadで十分できる。

しかレベル2~レベル4までの間の壁があまりにも高い。コンピュータサイエンスの広範な知識を身につけるには基本的大学に行くのが一番コスパが良いと思っているが、誰しもが大学に通える経済力を持つわけではない。チーム開発はやはりどこかのコミュニティに参入できないと難しい。手っ取り早いのは企業バイトで雇われることだが、これは鶏と卵問題だ。

本来ここの教育企業が担うべきではなかったか?そういう意識学生時代から漠然自分の中にあった。これをやらずに、レベル4以上しか採用しませんというのは他のどこかに教育コスト押し付けていたり、更なる格差拡大に繋がっているのではないかという後ろめたさを感じていた。

企業教育への投資

企業に入ってもまだしばらくは上記意識を引きずっていたが、最近は別の考えになってきつつある。

まず、Web企業の使う技術は割とオープンになっていることが多く、隠すインセンティブがあまりないため、企業間での教育はおそらくかなり共通化できる。企業内に囲い込んでから教育を施す意味があまりなく、入る前から知っているという人も多い(Web企業研修が知っていることばかりでつまらないと思った人も多いのでは無いか)。

これを実現する一つの手段として、入社前の広い母集団に対して何かしらの形で援助を行っていることが多い。例えば以下の様なものだ。

これらは広義の教育であると考え始めた。それらの中で企業スポンサーセッションなどを通して採用枠をアピールするし、実際それ経由で就職する人も居る。

もちろん支援企業就職しない人の方が多いが、最終的にどこかWeb企業に入ってくれるなら、これはWeb業界全体で人材教育を行っていると言えないだろうか。

次に、大変残念な現状として「学生時代から触れているのにいまいち地力が伸びていない人」とか「そもそも触れていない人」がその後ぐっと伸びるという事例はかなりレアだと感じる。つまり、未経験ですが頑張りたいです!という人を雇っても伸びず、「これくらいやっています」という人は更に伸びるという(ある意味当たり前の)現実がそこにある。

故に先に挙げた広い範囲での教育を進めていくと、選考よりも前の段階でたくさんの機会をどんどん与えていくことになり、自然と「やったがあまりうまく行かなかった人」とか「機会はあったがやらなかった人」がどんどん可視化されていく。すると選考の段階では今後も投資価値がある可能性の高い人材が自ずと絞れてしまい、経験者のみが採用されていく状態になるのではないだろうか。

自分はこういったことを考えているうちに、積極的に未経験を雇って教育するよりも、選考よりずっと前の段階から様々な教育機会を提供していく方がお互いにとって幸せなのではないだろうかと思うようになった。

学生自分の興味ある方向にスキルを伸ばしてそれがマッチする企業を選べば良いし、企業はある程度既存社員を使った教育コストを下げつつ優秀な社員を雇えるようになる。そもそも選考前の段階でエンジニアリング楽しくないなと思う人は素直に向いていないので、参入するのを辞めたほうがよい。

足りていないところ

さっき言ったような教育への投資はまだまだ経済的に豊かでない層に届きづらい現実があるように感じている。

実際に自分大学時代奨学金を探すと、地方メーカーが自社への就職を前提に出している奨学金などが多く、国から借りる以外にはあまり選択肢がなかった。

もっと広く機会を提供できると良いなと思っているし、奨学金とかは(下手な条件を付けなければ)かなりフラット教育への投資であると思うので、企業給付型奨学金実施することに対してもっと何らかのインセンティブを付けられないだろうか。

また、イベントコミュニティはどうしても都心に偏りがちで、地方では開催されなかったりWeb企業の影が薄かったりする。これも年に1回とか2回とかでいいので地方コミュニティと何かやって、細々とした縁を持てるようにしていけないだろうか。

教育に関して皆さんの企業でやっていることが何かあれば、参考にしてみたいので教えてほしい。

2023-04-06

anond:20230406181913

もうとうの昔に使うのやめてますよ。使ってたのはrubyオワコンじゃなかった時代ですね。

Rubyは実際オワコン

年齢層が高い人々はその年代で固まってるからからないんだろうが、書いてる若者を本当に見ない。大抵PythonGoJavascript書いてる。

まあ、企業採用に関わってる人間は気づいてるんだろうけど。

日本からといって丁重に扱ってるといつものガラパゴスになると思う。オワコンという言葉拒否反応を示さず、言葉尻をとらえることもせず、現実をしっかり見て、少なくとも新規採用はやめるべき。

2023-03-28

anond:20230327194840

Perlを洗練させたようなRubyの登場、Ruby on Railsが爆発的に流行Perlは開発におけるデファクトスタンダードWEBフレームワークを用意出来ずに失墜

PerlOSSとか日本人作者のがわりと有名だったと思うんだけど、その作者はよりインフラに近いところに移動していってブームを牽引することが出来なくなってしまったようにも見える

2023-03-26

アメリカ教会リーダー臨死体験イエスの生涯を目撃する話

https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/1989/10/the-sacrament-and-the-sacrifice?lang=eng

The Sacrament—and the Sacrifice

By Elder David B. Haight

Of the Quorum of the Twelve Apostles

I pray for your faith and prayers that my utterances will be received and understood “by the Spirit of truth” and that my expressions will be given “by the Spirit of truth” so that we might all be “edified and rejoice together.” (See D&C 50:21–22.)

As I stand here today—a well manwords of gratitude and acknowledgment of divine intervention are so very inadequate in expressing the feelings in my soul.

Six months ago at the April general conference, I was excused from speaking as I was convalescing from a serious operation. My life has been spared, and I now have the pleasant opportunity of acknowledging the blessings, comfort, and ready aid of my Brethren in the First Presidency and Quorum of the Twelve, and other wonderful associates and friends to whom I owe so much and who surrounded my dear wife, Ruby, and my family with their time, attention, and prayers. For the inspired doctors and thoughtful nurses I express my deepest gratitude, and for the thoughtful letters and messages of faith and hope received from many places in the world, many expressing, “You have been in our prayers” or “We have been asking our Heavenly Father to spare your life.” Your prayers and mine, thankfully, have been answered.

One unusual card caused me to ponder upon the majesty of it all. It is an original painting by Arta Romney Ballif of the heavens at night with its myriad golden stars. Her caption, taken from Psalms, reads:

“Praise ye the Lord: …

“He healeth the broken in heart, and bindeth up their wounds.

“He telleth the number of the stars; he calleth them all by their names.

“… His understanding is infinite.” (Ps. 147:1, 3–5.)

As I lay in the hospital bed, I meditated on all that had happened to me and studied the contemplative painting by President Marion G. Romney’s sister and the lines from Psalms: “He telleth the number of the stars; he calleth them all by their names.” I was then—and continue to be—awed by the goodness and majesty of the Creator, who knows not only the names of the stars but knows your name and my name—each of us as His sons and daughters.

The psalmist, David, wrote:

“When I consider thy heavens, the work of thy fingers, the moon and the stars, which thou hast ordained;

“What is man, that thou art mindful of him? …

“For thou hast made him a little lower than the angels, and hast crowned him with glory and honour.” (Ps. 8:3–5.)

To be remembered is a wonderful thing.

The evening of my health crisis, I knew something very serious had happened to me. Events happened so swiftly—the pain striking with such intensity, my dear Ruby phoning the doctor and our family, and I on my knees leaning over the bathtub for support and some comfort and hoped relief from the pain. I was pleading to my Heavenly Father to spare my life a while longer to give me a little more time to do His work, if it was His will.

While still praying, I began to lose consciousness. The siren of the paramedic truck was the last that I remembered before unconsciousness overtook me, which would last for the next several days.

The terrible pain and commotion of people ceased. I was now in a calm, peaceful setting; all was serene and quiet. I was conscious of two persons in the distance on a hillside, one standing on a higher level than the other. Detailed features were not discernible. The person on the higher level was pointing to something I could not see.

I heard no voices but was conscious of being in a holy presence and atmosphere. During the hours and days that followed, there was impressed again and again upon my mind the eternal mission and exalted position of the Son of Man. I witness to you that He is Jesus the Christ, the Son of God, Savior to all, Redeemer of all mankind, Bestower of infinite love, mercy, and forgiveness, the Light and Life of the world. I knew this truth before—I had never doubted nor wondered. But now I knew, because of the impressions of the Spirit upon my heart and soul, these divine truths in a most unusual way.

I was shown a panoramic view of His earthly ministry: His baptism, His teaching, His healing the sick and lame, the mock trial, His crucifixion, His resurrection and ascension. There followed scenes of His earthly ministry to my mind in impressive detail, confirming scriptural eyewitness accounts. I was being taught, and the eyes of my understanding were opened by the Holy Spirit of God so as to behold many things.

The first scene was of the Savior and His Apostles in the upper chamber on the eve of His betrayal. Following the Passover supper, He instructed and prepared the sacrament of the Lord’s Supper for His dearest friends as a remembrance of His coming sacrifice. It was so impressively portrayed to me—the overwhelming love of the Savior for each. I witnessed His thoughtful concern for significant details—the washing of the dusty feet of each Apostle, His breaking and blessing of the loaf of dark bread and blessing of the wine, then His dreadful disclosure that one would betray Him.

He explained Judas’s departure and told the others of the events soon to take place.

Then followed the Savior’s solemn discourse when He said to the Eleven: “These things I have spoken unto you, that in me ye might have peace. In the world ye shall have tribulation: but be of good cheer; I have overcome the world.” (John 16:33.)

Our Savior prayed to His Father and acknowledged the Father as the source of His authority and powereven to the extending of eternal life to all who are worthy.

He prayed, “And this is life eternal, that they might know thee the only true God, and Jesus Christ, whom thou hast sent.”

Jesus then reverently added:

“I have glorified thee on the earth: I have finished the work which thou gavest me to do.

“And now, O Father, glorify thou me with thine own self with the glory which I had with thee before the world was.” (John 17:3–5.)

He pled not only for the disciples called out from the world who had been true to their testimony of Him, “but for them also which shall believe on me through their word.” (John 17:20.)

When they had sung a hymn, Jesus and the Eleven went out to the Mount of Olives. There, in the garden, in some manner beyond our comprehension, the Savior took upon Himself the burden of the sins of mankind from Adam to the end of the world. His agony in the garden, Luke tells us, was so intense “his sweat was as … great drops of blood falling … to the ground.” (Luke 22:44.) He suffered an agony and a burden the like of which no human person would be able to bear. In that hour of anguish our Savior overcame all the power of Satan.

The glorified Lord revealed to Joseph Smith this admonition to all mankind:

“Therefore I command you to repent …

“For … I, God, … suffered … for all, that they might not suffer if they would repent; …

“Which suffering caused myself, even God, the greatest of all, to tremble because of pain, and to bleed at every pore, …

“Wherefore, I command you again to repent, lest I humble you with my almighty power; and that you confess your sins, lest you suffer these punishments.” (D&C 19:15–16, 18, 20.)

During those days of unconsciousness I was given, by the gift and power of the Holy Ghost, a more perfect knowledge of His mission. I was also given a more complete understanding of what it means to exercise, in His name, the authority to unlock the mysteries of the kingdom of heaven for the salvation of all who are faithful. My soul was taught over and over again the events of the betrayal, the mock trial, the scourging of the flesh of even one of the Godhead. I witnessed His struggling up the hill in His weakened condition carrying the cross and His being stretched upon it as it lay on the ground, that the crude spikes could be driven with a mallet into His hands and wrists and feet to secure His body as it hung on the cross for public display.

Crucifixion—the horrible and painful death which He suffered—was chosen from the beginning. By that excruciating death, He descended below all things, as is recorded, that through His resurrection He would ascend above all things. (See D&C 88:6.)

Jesus Christ died in the literal sense in which we will all die. His body lay in the tomb. The immortal spirit of Jesus, chosen as the Savior of mankind, went to those myriads of spirits who had departed mortal life with varying degrees of righteousness to God’s laws. He taught them the “glorious tidings of redemption from the bondage of death, and of possible salvation, … [which was] part of [our] Savior’s foreappointed and unique service to the human family.” (James E. Talmage, Jesus the Christ, Salt Lake City: Deseret Book Co., 1977, p. 671.)

I cannot begin to convey to you the deep impact that these scenes have confirmed upon my soul. I sense their eternal meaning and realize thatnothing in the entire plan of salvation compares in any way in importance with that most transcendent of all events, the atoning sacrifice of our Lord. It is the most important single thing that has ever occurred in the entire history of created things; it is the rock foundation upon which the gospel and all other things rest,” as has been declared. (Bruce R. McConkie, Mormon Doctrine, Salt Lake City: Bookcraft, 1966, p. 60.)

Father Lehi taught his son Jacob and us today:

“Wherefore, redemption cometh in and through the Holy Messiah; for he is full of grace and truth.

“Behold, he offereth himself a sacrifice for sin, to answer the ends of the law, unto all those who have a broken heart and a contrite spirit; and unto none else can the ends of the law be answered.

“Wherefore, how great the importance to make these things known unto the inhabitants of the earth, that they may know that there is no flesh that can dwell in the presence of God, save it be through the merits, and mercy, and grace of the Holy Messiah, who layeth down his life according to the flesh, and taketh it again by the power of the Spirit, that he may bring to pass the resurrection of the dead, being the first that should rise.

“Wherefore, he is the firstfruits unto God, inasmuch as he shall make intercession for all the children of men; and they that believe in him shall be saved.” (2 Ne. 2:6–9.)

Our most valuable worship experience in the sacrament meeting is the sacred ordinance of the sacrament, for it provides the opportunity to focus our minds and hearts upon the Savior and His sacrifice.

The Apostle Paul warned the early Saints against eating this bread and drinking this cup of the Lord unworthily. (See 1 Cor. 11:27–30.)

Our Savior Himself instructed the Nephites, “Whoso eateth and drinketh my flesh and blood unworthily [brings] damnation to his soul.” (3 Ne. 18:29.)

Worthy partakers of the sacrament are in harmony with the Lord and put themselves under covenant with Him to always remember His sacrifice for the sins of the world, to take upon them the name of Christ and to always remember Him, and to keep His commandments. The Savior covenants that we who do so shall have His spirit to be with us and that, if faithful to the end, we may inherit eternal life.

Our Lord revealed to Joseph Smith that “there is no gift greater than the gift of salvation,” which plan includes the ordinance of the sacrament as a continuous reminder of the Savior’s atoning sacrifice. He gave instructions thatit is expedient that the church meet together often to partake of bread and wine in the remembrance of the Lord Jesus.” (D&C 6:13; D&C 20:75.)

Immortality comes to us all as a free gift by the grace of God alone, without works of righteousness. Eternal life, however, is the reward for obedience to the laws and ordinances of His gospel.

I testify to all of you that our Heavenly Father does answer our righteous pleadings. The added knowledge which has come to me has made a great impact upon my life. The gift of the Holy Ghost is a priceless possession and opens the door to our ongoing knowledge of God and eternal joy. Of this I bear witness, in the holy name of Jesus Christ, amen.

2023-03-22

Winny包丁?嘘つけよ

Ruby開発者まつもとゆきひろが語る、「Winny事件理不尽逮捕劇「プログラミングを奪われることほど残酷なことはない」

https://moviewalker.jp/news/article/1128767

ざっくり読んだ

読んだ感想は「なんだかなぁ」って感じ


このさ、なんていうかさ

例の逮捕劇を批判する文脈で出てくる

金子逮捕現場が委縮」って奴

ねぇよ

あの界隈を知ってる人間は、みんな「とうとう捕まったか」みたいなもんだったよ

明らかに著作権侵害してる場で、それをやり易くするツール提供して

ポエムを共有するツール

嘘つけよ


WinMXでの侵害行為を知ってなお、改善版をWinnyとして作った

mxの次だからそれぞれ一文字進めてny

当時すでにさして特異でも高度でもない技術について

匿名性に特化してツールつくりゃ、そりゃそうなるって末路が当時の日本の状況


あれ、例えばだけどさ

マスターツールでは匿名性なんかなく見え見えだった

マスターツールでは放流されたソフト駆逐できた

自分でも「知らずに」放流はしてしまっていた

とかなら、法律的なアレコレはともかく、民として擁護する方向もなくはなかったけど

実際には

IT研究者高木浩光は、金子本人が、自らファイル送信を一切行わなかったことを「本人の内心、どういうつもりでやっていたかということの傍証として効いてくる」と批判した。

高木Winnyについて合法目的では使用困難なツールであると主張しており、善用悪用もできる価値中立な道具ではないとする。

また、最高裁無罪判決が確定した後に金子が出演した生放送番組の中で「Winny適法に使ってくださいと皆さんに訴えかけたけれども、ではどうやったら適法に使えるのですか」と質問したところ、金子からの答えはなかったというエピソードを話した。

みたいな感じだから

これ、よく包丁に例えられるが

違うぞ?

善用悪用もできる価値中立な道具ではない」

なんで合法目的使用し辛いか

放流したものを消すことはできないし、どこまで届くかも制御できない

放流したら最後万民にばら撒かれるが、それがばら撒かれている事をWinny使用者は知れない

「知っていないと」ファイルアクセスできないが

「それを知れる」なら、そこで情報を告知すりゃいいだろ

けどこれらは、悪用を考えた場合、途端に効いてくる

放流したものは残り続け

世間が知らなければ秘匿と変わらず

落したい連中には「符丁」でやり取りできる

知らないマヌケにはファイル名をそれらしく作ったウイルスをばら撒ける

そういうツール




で、例によってブコメ香ばしい

ブコメ見てもわかるように日本人ってのはちょっとの過ちも許さない細かい人間があまりにも多い。 木を見て森を見ずって感じで全体で判断しないから、才能ある人間が引きずり降ろされる。

無罪確定してんのにこんだけグチグチ言う奴らが、普段日本はもうだめだとか言ってんだから笑わせる。お前等がだめにしてんだよ/新たな技術が旧来の法制度とぶつかるのは当たり前。変わるべきは上部構造である制度

プロダクトによって間接的に金銭的な被害が発生したとして、その制作者が逮捕される理由にはならないというのが主題なのでは…?

なんだかなぁ

2023-02-23

会社勤めのよくわかんないとこ

1年ほど前、フリーランスから会社勤めになった。

俺はRubyを使って効率化、割と成績が良かった。

あるとき、同僚に「入社したばかりなのにすごいね」って言われて「自作アプリ使ってます」と正直に答えてしまった。

そしたら1か月ぐらいしたあと上司からそのアプリを社内に撒いてほしいっていわれた。無料で。

いくらですか?」「みんなに撒いたら私の優位性が損なわれますよね?」みたいな話をしたら、

今まで割とちやほやされてたのに、その日以来、みんなすっごく冷たくなってワロタ

あー明日仕事だ鬱

ふざけんなよなんだお前ら

2023-02-21

ブクマカって、ChatGPTのこと分かってるの?

この記事 https://zenn.dev/the_exile/articles/fec77cdbfc5fc4 についてるコメント https://b.hatena.ne.jp/entry/s/zenn.dev/the_exile/articles/fec77cdbfc5fc4 がひどいものだったので思わず増田を書く

MzdA0w73tg chatGPT本人に聞いたらページは読めるが理解を誤ることがあるとのこと。でも確かにURLが一切内容と関係無いモノ与えると頓珍漢な回答しか返ってこない。 試しにこの記事渡したらRubyについて書かれてるとか回答してきた。

はてなブックマークでは、ChatGPTの仕組みについて質問する人が絶えずいますしかし、仕組みを理解している人であれば、この質問意味のなさがすぐに分かるでしょう

shields-pikes ChatGPTは、回答をマークダウン形式でも書いてくれるのか! これは、めちゃくちゃ可能性が広がるぞ……。/ちなみにWeb読める。「このページを要約して。 hoge.com」みたいにURLを渡すとリンク先の情報も読んでくれるぞ。

「ChatGPTは純粋言語モデルであり、Webアクセスする機能は備えていません。自信満々に誤った情報を述べることは避けるべきです

shunkeen ひゃー。ChatGPTはWebを見れないけど、ユーザーブラウザWebを見れる。そして、ChatGPTは勘でURLMarkdownを生成できて、MarkdownHTMLに変換されるからimgタグも作れる。つまり画像を表示できる。すんげー。

特に誤ったことは言っていないので、問題ないと思いますが、驚きのポイントが分からないトップブコメ

n2sz markdownが使えるのか。スクリプトが動かされちゃったりする危険はないのかな。どこまで出来るんだろ。

このようなレベルの人々が話しているということからはてなブックマーク技術的にまったく信頼できないことがわかる

sukarukatamade すげえ。しかもなんかF5でページ更新すると写真次々と変わるぞ

それUnsplashAPIの機能です

2023-01-30

入門書ほぼいらなくね?

デザインパターンについて学習しているんだが、

「この説明、よくわからないな」と感じたときにふとChatGPTを使ってみるかと思い

"プログラミングデザインパターンであるBridgeパターンサンプルコードRubyで書いてください”

入力してみると、なんと購入した技術書と同じくらいのコードが返ってきた。

しか言語までこちらの都合に合わせてくれる。

ただ、理屈がまだわからいか文章説明してもらうことにした。

入力中に先程の回答の文章部分が英語だったことを思い出したので

"プログラミングデザインパターンであるBridgeパターンについて教えてください

日本語で"

最後適当要求をつけて送信

するとわからない部分が腑に落ちるような回答が返ってくるではないか

この体験からふと入門書必要ないのではと思った。

もう少し詳細に指定するならば

入門書レベルの、知らないことを知ってる事柄理解に関してはChatGPTで十分に学習可能

ではないだろうか。

このデザインパターンにしても

例えばFacadeやらBridgeやら名前だけは知ってるが

詳細についてはつかめている気がしないという状態人間は多く存在すると思う。

これらの名前についてはデザインパターンググるか、ChatGPTあたりにでも確認すると

恐らくすべて確認することができるだろう。

そんな中で「デザインパターンを猫でもわかるように解説するぜ!」

みたいないわゆる入門レベル書籍記事はそういった情報が欲しい人にとって必要だろうか。

私はそうは思わない。

とはいえ技術について語り合える友人は少ないし、ほぼ独学でデザインパターンも学び始めたばかりで

視野が狭い状態でもあると思っているので自分の中でこれが覆るまでは自分入門書の購入は止めるようにしようと思った。

2023-01-09

SESって正直ありでは?

自分は中堅私大文系卒の新卒1年目。

SES就職して現在独立系ソフトハウスに常駐している。

月収24万。ボーナスあり(2か月)

言語Javaを使っている。

まったくの未経験で入ったけど3か月の研修現場での実務経験でそこそこちゃんとしたコード書けるようになった。

今のプロジェクトはうちの会社からは俺の他にもう1人いて、他のSESの人とプロパーで合わせて8人のチームだけど、

今まで下請けいじめみたいなのもされたことない。

みんな優しい。

質問すると快く答えてくれる。

残業も月にせいぜい20時間超えるかどうかってくらいだし何も不満がない。

なんでこんなことを書いたのかというと、ネットで言われてるほどSESは悪くないって言いたかたから。

ネットSESはクソって聞いてたから実際に入ってみて落差にびっくりした。

web系でハードな働き方をして急激に成長するよりもSESまったり技術を身に着けていった方が向いてると自分は思うし、

経験からプレッシャーなく成長するにはSESもありだと思った。

もう3年くらい働いたらフリーランスになるのも良いかなと思っている。(現状不満はないけど、中抜きされているのは気に食わないから)

あとフルリモートで働きたいかRubyとかも勉強したい。

2022-12-28

anond:20221228164232

CS至上主義者のエンジニアです。俺も同じような経歴だし、あの頃のマニア界隈の楽しさを覚えてるし、DOOMで衝撃を覚えて以来カーマックは尊敬してるから増田の言いたいことはわかる。でもここ最近Rubyやらwebフレームワークやらいじってアプリ作ってみましたって感じの未経験エンジニアは本っ当に使い物にならなくてひどいのよ。CS至上主義者になりたくてなったんじゃないんだ。許してくれ。

2022-11-19

GoとかRubyを避ける理由

プログラマネトウヨからTwitter見てみ)

日本Goユーザはなんか強情でGenericsないのは正しい!!!と何年も言い続けてきたけど結局公式採用されちゃってホンマ。Genericsをアベに言い換えられるところがミソなのだ

2022-11-05

「【初心者向け】第2回 クソコードを書かないためのテクニック4選」という動画の内容がひどい

https://www.youtube.com/watch?v=yhDLmGpjdms

これよりもっとひどい動画ごまんとあるが、ここまでタイトルで煽っている以上指摘するわ。

全体を通じて

個別

プロフィール見るとCTOを経て独立してプログラミングスクール会社やっているっぽいけど、すごい時代だな。

晒しなっちゃったけど、他にも有名(と思われる)プログラミングYouTuberが実際にコードを書いている場合でひどいのはザクザク見つけられるから、見つけてため息をつくといいと思います

2022-10-21

SEになりたくて転職したらRPAやらされてる話

RPAで疲れ果てた方の日記と、それを見て書きたくなった人の日記を見て書きたくなったので。

 

一般事務職で数年社会人やってメンタル壊した為に鬱になり、

しばらくフリーターして社会復帰プログラミングやりたくてIT業界転職した。

学生時代特に情報系の勉強してたわけでは全くなく、

社会復帰タイミング職業訓練校でJavaScript勉強しながら就活入社RPA現場に単身で放り込まれて今に至る。

 

客先常駐システム開発してる会社だと聞いていて(Java,C+,Rubyあたりとか)、

3回くらいあった面接で一度もRPAのRの字も出てこなかったが、

内定が決まり入社までの待機期間中勝手にセッティングされた客先との面接で初めてRPAの話を聞かされた。

(今思うとここで断れればよかったのかもしれないが...)

 

入社後即放り込まれ、仕方なしに頑張るかと思って向き合ったらとんでもなかった。

  部署ごとに決まりがある、とかなら理解できたが

  RPAエンジニアとして雇われてる数人の中ですら共通ルール存在しなかった。

  各エンジニアが作ったもの非エンジニアの客先社員が作ったもの過去在籍していた人が作ったもの等々...

  何を基準にしていいかもわからないし、というかそもそも基準がない。

  • 誰も詳細を知らないシナリオがとりあえずで使われている

  過去にいたエンジニアが、過去にいた担当者と作ったRPA

  現担当者RPAごと業務を引き継がれたけど、RPAの中身は知らない。その業務マニュアル存在しない。

  みたいな状態なのに実行され続けているものが多すぎる。

  エラーが出ても何が正しいのかわからない、けど「エラーが出ました」と問合せが来る。まず正しい挙動を教えてくれないと修正もできん。

  私が担当することになった部署RPAを作っていた前任エンジニア画像マッチング大好きマンで、

  WindowsバージョンアップIE終了に伴う改修が地獄のような作業だった。

  部署によって端末環境がかなり違うという客先環境も相まって、画像マッチングが多用されているシナリオ拒否反応が出そうになる。

  それぞれがどんなRPA作っててどういうエラー対応たか、みたいな話をする機会がない。

  故におそらく似たようなRPA作ってるけど、それぞれが各自で作ってるからすごい無駄

  多分展開できたものいっぱいある。

 

等々、正直まだまだ書けるけど書き出したところで別に何も変わらないので割愛するとして。

 

単身で放り込まれたもんだからまともなフォローもなくかなりしんどかったけど、

なんとかこなしてやっと慣れてきたところで、今後のキャリアを考えたら鬱々としてきた。

 

今後長いスパンで見たときRPAエンジニア必要かと言われるとそうでもないだろうし、

かといってRPAエンジニアの数が少ないっぽい今、即戦力なら欲しいところは多分あるわけで。

RPAから抜け出せずにずるずるとRPAエンジニアやり続けて、

取り返しのつかない年齢になってRPAが廃れて...とか考えただけで怖い。

でも職業訓練レベルコードしか書いてなくて、業務コード書かなくなってしまった今

HTML/CSSですら書けるか怪しいみたいなレベルになってきてるのに

RPAから抜け出せるのかという不安も強いし、今後どの方向に舵を取ればいいのかわからなくなってきた。

 

それにしても、職業訓練校やら独学やらで一通りHTML/CSS触ってJSに触れてたからなんとかRPAしてこれたと思ってるけど、

これを「通常業務やりながらRPA担当してね」とかって振られたらと思うとゾッとする。

なにがプログラミングできない人でも業務自動化できる!だよ、めちゃくちゃ難しいよ...。

急にRPA担当にされてしまった世の一般職員の皆様方を心底尊敬する。日々お疲れ様です。

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