はてなキーワード: 高校デビューとは
さっき魔法少女リリカルなのはvivid見てたけど、なのはさん20過ぎてるけど魔法少女名乗ってるのよね。
老け顔のマミさんは中学生なんだっけ?東郷さんも鷲尾須美時代から数えたら充分BBAなんだよな。
個人的見解で申し訳ないけど、魔法少女って奥様は魔法少女とかもう既に少女じゃねえよって年齢も昔は許容されてたと思う。
元ネタは奥様は魔女とか麗しのサブリナだった気がしなくもないから、あえて海外ドラマを参考にした魔法少女は除外しといて、
日本のアニメでは魔法少女って言うと、おジャ魔女どれみシリーズでも小学校までだったような気がする。今は文庫版か続編かで高校生でも魔法少女やってるけどね。
そういえば純潔のマリアで見た魔法少女は、マリアの年齢が16歳位(アルテミスがマリアの10年後の設定らしいので勝手に想像)で自ら魔女と名乗ってたから、
魔法少女は多分15歳未満を言うんだと思う。
魔女が16歳以上だと仮定してみただけだけど。
リアルでは、魔女とされ処刑された聖女ジャンヌ・ダルクが19歳没なので少なくとも20歳未満はほぼ確定だろう。
ともすれば高町なのはさんは必然的にBBAはお呼びじゃねえんだよという事になる。
もしかしなくてもマミさんや東郷さんは辛うじて魔法少女と呼べる年齢だ。やったね、たえちゃん!
さて、赦されなかった高町なのはさんは当然として、同じ年齢と思われるフェイトさんや八神はやてさんも当然BBA無理すんな!枠で固定。
魔法少女は結局の所未成年でかつ、処女でないとおかしいのかなと思われる。
純潔のマリアでは処女でなくなれば魔女でなくなるらしいから、この設定もとい魔法少女もまた処女でなくては可笑しいわけだ。
20歳過ぎても処女のなのはさん達は多分今後生き遅れる事間違いなしだから、この先BBAは羊水腐るまで夢でも見てろ(なのはファンのおっさん方ごめんなさい)。
ともかく、魔法少女が赦されるのは20歳未満、厳密に言うと高校生未満限定だと思う。
燃えあがってますね!アンビバレント女々さんのブログエントリー「私はビッチ。@オチューンとセックスして振られてきた件」(http://mememememiti.hatenablog.com/entry/2014/11/09/054205)を発端にする炎上につぐ炎上。この話題の少しでも燃料の足しになればと思い、今後の見どころをまとめてみました。
メメさんネタで久谷女子が9号で寄稿と座談会を掲載→メメさんの知るところとなる→抗議メール→返信、ネットでの謝罪→メメさんの追撃に返信なし ←イマココ のようですが。
id:topisyu さんが「久谷女子の炎上」(http://topisyu.hatenablog.com/entry/flaming_on_school_caste)という記事の中で
id:mememememitiさんは、匿名専門卒無職実家暮らし過去被DV経験ありの離婚経験済みの独身アラサーの個人
久谷女子の皆さんは、ほぼ実名大卒で、会社社長・テレビコメンテーター・出版関係者とキラキラした感じでほぼ既婚者の集団
こんな感じです。圧倒的にid:mememememitiさんが弱者です。
と書いているのですが、これ本当にそうかなと。何をもって強者・弱者としてるのかなって思うんですよね。
久谷女子のことを「イケてる女子たち」ってどうにも認識出来ない。だって女子高育ちな上に高学歴っていうのは学生時代の一時期はガリ勉してた訳で、モテの香りは一切しないじゃないですか。それでインターネットが好きで同人誌つくってるとか、女子高カースト内でも中の下な感じがすごくするじゃないですか。
一方メメさんって本人はめいろま似っておっしゃってますけどかわいいとか書かれてるし、はてな村では割と新参だし。女子は最初が一番ちやほやされますからね。オフ会で一回会っていいなと思ったおじさんともっかい会おうって流れになるあたりとか、割と「女子力(笑)」してるじゃないですか。「そんなんモテでも女子でもねーよ、ただのビッチだよ」って声も聞こえてきそうですが。本人もどこかで小学生のときはカースト下位だったけど高校デビュー出来たみたいなこと書いてました。
メメさんの場合「匿名」であることも強みだと思うんですよね。さみしいとは思いますが、最悪アカウント消したら色々なかったことに出来るんだから。久谷女子の方々は本名や職業がインターネットの活動と紐づいている方も多いので、今頃会社で「ネットで炎上してる人」扱いを同僚から受けてると思ったら胸が熱くなりますね。
メメさんの久谷女子に求めるものは明確で、ファイティングポーズはバッチリとれてる。メンタルの不調を訴えてらっしゃる点は心配ですが、可能な限り頑張って頂きたい所存です。
今回の久谷女子の対応の遅さと手際の悪さから想像するに、特に代表も定めていないようですし、内部の統制ってあんまりとれていないと想像されます。女がグループでつるむとき、「私達仲良しだよねー☆」と表面的には見せてても必ずつきまとうのがグループ内での序列。また今回は同人誌という媒体での情報発信ということですが、メンバーそれぞれのアルファ力もそれぞれなんですよね。
@hatoco 鳩岡桃子さん
@kansai_takako 閑歳孝子さん
@kobeni こべにさん
@kaorumba かとうかおるさん
@koeda こへださん
@negimiso YuriYamamotoさん
@okadaic 岡田育さん
@sisiodoc いがやちかさん
@the_makio まっきーさん
よーこさん
とのこと。
だれだよ「@the_makio まっきーさん」て。「よーこさん」とか全然ダメージないじゃん。それにひきかえ「岡田育さん」や「閑歳孝子さん」なんてその名前で写真付きでメディアに出ていたりもするし、ダメージは段違いかと思われます。
立場もアルファ力も違う中、どう対処するとベストかってそれぞれで違うと思うんですよね。てゆーかそもそも、2014年に最も「はてな村界隈」を騒がせたあの人のスペシャルアノニマスダイアリーを掲載させようぜ!って誰が言い出したのかだとか、座談会誰が記事起こししたのだとか、いいじゃんいいじゃんって誰がいっただとか。魔女達が魔女同士で魔女狩りしてるんじゃないかと想像されます。
なんだかネットを見ていると岡田育さんが中心的に叩かれているようですが、そこらへん久谷女子の皆さん薄々気付きながら気付かないフリをしつつそれぞれが今後の対応についてポジショントークしていることでしょう。
この2人に関しては、どっちもミスったなーって印象です。メメさんはですね、やって付き合うのを濁されたからっていってフラれたんだわーん!ネットに書いちゃえ!って何がしたいんだっていう。付き合いたいなら頑張れよ、全然ひっくり返せる範囲だったと思うのに泥試合にひきこんじゃって…って印象です。それにしても好きだと思っていた相手に対してここまでやれちゃうのがちょっと不思議です。
id:otsune に関しては、正直気の毒だなーとも思います。なんか色々予想外ですもん。ネット民のオフラインでの暗黙のルール、全然守られてないですからね。時代は変わりましたね。とはいえオチューンさん、ネットウォッチャーなら時代が変わっていることも含めて色々見抜けなかったのかと。「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」とか懐かしいですね。ウォッチャーがヲチられているというこの事態に胸熱です。
には笑いました。
ひたすら無言でブクマは続けるおおつねさんと要求を突きつけるメメさん、今後のそれぞれの動向が気になります。
久谷女子から寄稿を持ちかけられたときおおつねさんはノリノリだった気がするんですよね。女子グループに誘われて舞い上がって浮かれちゃってキャッキャウフフだったからこそこんな落ち着いてきていたメメさんをヒートアップさせるという簡単に想像つく失態をおかしてしまったのかなと。もちろん紙だからっていう油断もあったかとは思いますが。
しかしこのような事態になって、オチューンさんと久谷女子の間ではどのようなやり取りが行われているのでしょうか。メメさんのブログには
・寄稿者と直接連絡をとりたいということであれば、連絡先(メールアドレス)を教えることは可能(相手は許諾済)。
と久谷女子から伝えられたということが書かれていましたが、久谷女子とオチューンの今後の関係性も気になります。
というわけで長々と書きましたが、おおつねさんや久谷女子からは沈黙で乗り切ろうという意思を感じますが今後を気にしてるウォッチャーもいますよってことです!!
そして過去を整理するために記事にすることも、自分への治癒に繋がると信じて書くことにする。
とても長いです、すみません。
最初はちょっとしたハブりとかくらいだったんだけど、陰湿になっていったのは小学校3年制くらいからで、学校に行けばなにもしていないのに笑われる、嫌がられるという扱いを受けた。
私に非があったんだろうという輩が湧いて出てくるような気がするから先に述べるけど、私はガリガリで色黒で身なりがダサくて大人しいという典型的な地味な子どもだっただけだ。
苛められていることを学校の作文に小学校4年生くらいで書いたときは、担任に呼び出されて、詳細を聞かれたけど、いじめられているという事実が恥ずかしくてうまく答えられなかったせいなのか、まったく対処してくれてなかったように思う。
小学校高学年になったとき、苛められはしていたものの、とある女子グループにしがみ付いていた。苛められるとは分かっていても、それ以外に一緒にいる人がいなかったし、そのグループの数人は幼稚園も一緒で、近所だったこともある。帰宅グループだった。
けどある日、学校の近くで働いている父親が、私が友だちの軽い感覚でぶたれたところを偶然見つけ、私を怒った。その友だちと一緒にいるんじゃないって、だいぶ怒鳴られた。
私は、まぁ苛められてはいたものの、その女の子は幼稚園からの付き合いで、別に本気でぶたれたわけではなかったし、からかいはするけど一緒には帰ってくれるから、その子のことは好きだったから、まったく理解できなかった。
まぁ一方的に怒鳴られる状況下でそんなことが説明できるわけもなく、それ以降、恐縮した私は怯えながらその道を通ることになった。このあたりから父親への苦手視が始まったように思う。その通りを歩くとき、いつも父親がいるんじゃないかと怯えていた。いつも逃げるように歩いていた。
その子のグループから距離を取らざるを得なくなったあと、私は苛められっこのグループに混ざることになった。なんというか、嫌な視線は前よりも多かったし、高学年になるにつれて、わりと堂々となにか嫌なことを言われるようになっていった。
中学生になっても、その環境はもちろん変わらなかった。メンバーがほとんど一緒で、そこに他地区から3校分ほど加わったんだけど、苛められていた寝クラになりつつあった私が新しく中学校で再スタートできるわけなく、鬱気味になっていった。
中学校1年生のときはまだマシだったけれど、それでも徐々にやっぱり苛められキャラというのは定着するもので、ジャニーズが好きだったことなんかを理由に気持ち悪がられていた。
この頃から、自律神経失調症になった。朝起きると気持ち悪い、ご飯が食べれない、頭痛がする、だから学校に行きたくない。
3年生にあがったころは、学校に行っても終始寝ていた。朝遅れて授業に行き、英語の時間以外は昼まで休み時間もぶっ通しで寝ていた。英語だけは好きだったし、英語の科目の先生がとても英語のできる人で尊敬していたので、起きていた。成績は普通だったけど。
文化部に所属していたので、上下関係に揉まれることはなかった。
高校受験のとき、希望していた高校は当然だけど全部落ちた。美術科高校を目指して画塾に通っていたとはいえ、基礎の勉強していなかったから当たり前である。今でも当時、試験のために描いた白菜はよくできていたと自負してるけど、実際はどうなんだろう。分かんないや。
興味のない勉強を真面目にし続ける自信も体力もないと感じ、さらに同じ中学校の人がいない学校へ進学したいと考えた私は、定時制に入学することにした。
定時制で、ある意味高校デビューを果たしたけれど、間違った方向にすすんだ。
夜間学校なだけあって、ヤンチャしている生徒が多く、そんな子たちに混ざって遊びを覚えたため、高校1年生から夜遊びを繰り返していた。朝帰ることも多かった。
ただ美術科受験を失敗した私は、自分の美術に対する自信を完全に失っていて、挫折を強く感じていたため明るくなれたわけではなかったし、中二病も混ざって鬱はより悪化していった。
勉強もできない、絵の才能もない、コミュニケーション能力もない自分自身に対して、ただひたすら絶望していた。
中学校の先生に勧められたメンタルクリニックに行き、薬を服用し始めると、薬が効かないことへのいら立ちが増えた。飲む量だけは増えていくのに、精神的な落ち着きはまったく得られなかった。
1回だけオーバードーズを試みたこともあった。当時の私は死にたいとずっと考えていた。
鬱で泣いてばかりの私を、父親と祖母はよく思っていなかった。泣いていると怒られて、怒られたことに泣くと、さらに怒られるという悪循環だけがあった。
家族の恥のような扱いをされているふうにしか思えなくて、私は家族にいるべき人間じゃないと思っていた。
人生もなにもかもうまくいっている妹と比べるととても惨めで、その妹は私のことなんか気にせずのびのび生きていたし、母親だけは唯一鬱への理解を示してくれようとはしていたけど、基本的には小学生のころと同じように放置主義だったように思う。
問題を抱え続けていたわけだけど、こういうわけで、家族の中に頼る人間がいなかったし、頼れる友人関係を高校で築き上げたわけでもなかったので、中学からこの頃まではずっと孤独だった。
高校3年生の夏、ようやく打ち解けあえる友だちができ始めた。ようやく仲間と呼べる友だちに出会えて、今でもこのグループの人たちとは交流が続いていて、のちのち精神的に助けてくれる人となる。
高校4年生のとき、頼りにしていた母方の祖母が亡くなった。父親や家族と揉めるといつも、この祖母の家へプチ家出を繰り返していた私にとって、これは大きなダメージだった。ちなみにそんな家出を繰り返しては家族に嫌いとかそんな暴言を吐いていたため、父方の祖母は「あっちの家のほうがいいんだろうねぇ」なんてよく言ってきた。
母方の祖母が亡くなった日、私は唯一の身内で頼れる存在だった人を失ったこともあり、葬式中は泣きとおしていた。親戚一同が集まる食事会では、母方の祖母側の兄弟たちと、祖母の話をして気を紛らわせた。田舎の人たちなので、宴会になっていて、楽しかったから。
けど父親からは「葬式にきていた父親側の人間のそばにいなかった」ということでキレられて、それがショックだった私は2週間ほど、亡くなった祖母の家で、祖父と一緒に暮らした。どうしても父親の理論を理解することができず、頭ごなしに一方的に怒鳴られることにも嫌気がさし、この頃から本格的に父親嫌いとなった。
父親嫌い、父親側の祖母嫌いは、このあと数年続くんだけれど、このとき、高校の友だちが私に理解を示してくれたおかげでどうにかたちなおれた。だから高校の友だちには本当に感謝してる。ちなみに父親を嫌うエピソードとしては「お前なんかが大学に行けるわけがない」と言われたこともある。
父親の言葉を見返すつもりで、必死に勉強をし、第二志望だったけれど希望の大学に入学することができた。美術は諦めていたから、その次に好きな英語科へ入学した。
私の人生は大学入学と同時に、ようやく明るくなってきたように思う。
今まで女子の仲良しグループに属したことがなかったけど(高校のときは男友達に囲まれていた)、それが実現したり、定時制から入学したにも関わらず成績は中の上ということで、自信にもつながった。
家族とは距離を取りつつ、揉めつつ、という微妙な関係が続くも、大学2年生のとき、反対を押し切って1年間の留学をした。
嫌いな父親からの出資ではあるけれど、家族から距離を置けたのはよかった。今まで家にいても落着けないというか、父親と同じ空間にいると緊張して耳鳴りがするくらいだったので、ストレスから開放されたように感じた。
父親とのコミュニケーションがまったく取れない私とは違い、妹と父親は仲が良く2人で旅行もするくらいだったので、その差に絶望したり、自分の不適合っぷりに悲しくなったりもしたけれど、距離を置くことでどうにか凌いだ。
帰国日が近づき、電話先で父親が口頭一番に発した「帰ってくるなよ」みたいな冗談?をきっかけに、乱れ始めてたので、カウンセリングのお世話になった。話を聞いてもらうことでどうにか落ち着き、まぁ金銭的な援助だけはあるのでその辺の感謝はしつつ帰国した。
留学後の関係は以前よりもずっとマシだったけれど、どうしても距離は縮まりにくかったので、やっぱり何度か揉めた。
でも大学4年生のとある大規模な英語スピーチ大会でスピーチを行い、英語が理解できないのでいいやと思い両親を招待することで、なんとか今までの成果を見せることができた。まぁ特に褒められはしなかったけど。
今は教育を学ぶために自分で奨学金を借りて、二度目の留学をしている。
父親に対して批判的になる大きな理由の一つ、それを助長する理由の一つとして、大学に入ってから教職を取り、先生や親、大人の在り方について考えるようになったからというのがある。
子どもにどう接するのが理想なのか、自分の過去と照らし合わせて、教育論について考えている。そんなわけでより一層、父親は間違っていると認識してしまうため、寄り添うことはできなかった。多分、今もそんなにできてない。耳鳴りなんかはなくなったけど、あまり喋れないし。家では基本的に口数が少ないと思う。
感情豊かではない。
それに気づいたのは、つい最近、教育実習先の学校からのコメントについて大学の先生に触れられたのがきっかけだった。私は自分の気持ちを表すことや、人に頼ることが苦手なんだろうと先生に言われた。
過去を振り返ってみると、そうなんだろうと納得できるし、きっとこれまでのことが原因なんだろうと、教育について勉強してきた分、自分をそう判断することができる。
これから努力して少しずつ練習して変えていくつもりなんだけどね。
これを書いている最中、辛かった日々を思い出して泣いた。
けど、泣いても書き続けることで、辛かったあとにやってきた楽しい人生を振り返ることで、自分の成長を確かめることで、自己治癒に繋がったと思う。
ここまで長々と読んでくれた人はどうもありがとう。
愚痴です。
中学校くらいの時にWebサイト作ってた。しょーもないサイトだったけど、それなりにアクセス数増えてカウンタが1000万超えた。
掲示板CGIとか設置する過程で、perlを覚えた。楽しくて、自作で掲示板とかチャットとか色々作った。
暇さえあればperlの情報集めてたし、Socketモジュールだけで簡単なWebサーバー作ったりしてたし、
でもプログラミングに対する周囲の印象は「オタク臭い」だった。中学ではよくいじめられてた。
だから高校進学を期に高校デビューした。おかげで友達いっぱいできた。
でも模試の成績は偏差値30くらいだったし、perlはまったく触らなくなった。
文系らしくテストだけ出席して単位を取り、あとはバイトとサークル活動で大学生活を浪費した。
就職活動では金融を志望した。もう僕は文系の人生を歩むんだと思ってた。
もともと人との会話なんて大嫌いだったのに、大学時代に頑張ったことなんてコミュニケーションくらいしかなかったから
コミュニケーションの話を面接でアピールしまくった。実は辛かった。
ほんのとあるきっかけで、ドワンゴの面接に行った。楽しかった。
もう僕がperlを辞めてから5年くらい経ってたし、今思い返せば稚拙なことしかアピールしてなかったけど、とにかく面接は楽しかった。
perlが好きだったからWeb系のベンチャー受けまくったけど、当然のように落ちまくった。
結局、中小企業のSEだかPGだか職種がわからない開発系の会社に内定もらった。
内定はもらったけど実は行きたくなかったし、転職してでもWeb系開発に行きたいから今めちゃくちゃに勉強してる。
僕がプログラミングをやっていた中学時代から、本当に世界は変わってしまっていた。
javascriptはただのオモチャみたいな存在から、ajaxだとかフレームワークだとか、今最も熱い言語になってしまってるし、
perlはいつの間にか没落してて、サーバーサイドは主にphpが主流らしい。
一つの事を学べば、さらに三つくらい新しく学ぶべき分野が増える。時間がいくらあっても足りない。
おかげ様で、今まで付き合ってきた人間とまったく話が合わなくなってしまった。
大学の友人は、ウェイウェイしか言わないので連絡を取らなくなった。多分、陰口叩かれてる。
内定した会社の同期は、勉強してる様子がまったくうかがえない。
いまどきのSEらしく、技術より顧客との折衝能力の方が、大事だと思ってるんだろうか。
内定した会社の先輩社員からは、勉強意欲があまり見えてこない。
オブジェクト指向がわからない人間が役職についている事には驚いた。
もしかして、今後私はずっと、こうした技術に対する意欲の低い人間たちにまみれながら、
一人勉強を続けなければいけないのだろうか。
それは、出る杭で在り続けるということであり、大変ツライことなのではないだろうか。
文系の学部に入学し、ウェイしか言わない友達を作ってきたのは自己責任だから
仕方ないことだけれど、最近自分のやっている事が周囲に理解されない事があまりにも辛くなってきた。
環境のせいにするのは良くないことなのだけれど、なぜ中学の当時、誰も私がプログラミングをやっていたことを
応援してくれなかったのか。応援してくれてさえいれば、今頃、それなりに技術に関して積み重ねてこれたのではないか、
技術に興味を持つ友人を作れたのではないかと恨む言葉が出てくる。
KA・・・こいつらアホか
KB・・・狂ったボウリング場
KD・・・高校デビュー
KE・・・これはエロイ
KF・・・クソみたいな回だったな今回の古畑任三郎は
KG・・・カラテガール
KH・・・これはヒドイ
KI・・・2の10乗
KL・・・
KM・・・
KN・・・木の実ナナ
KP・・・かっぱえびせん
KQ・・・京急久里浜行き
KR・・・
KS・・・
KU・・・空気薄くなってる
KV・・・
KW・・・
KZ・・・
追記:
6/5KE追加しました。KN、KP、KU、KX、追加しました。KB、KF、KO、KQ変更しました。
皆々様、クソみたいな暇つぶしのお付き合い、ありがとうございます。
今のとこ一番おもろかったのは「空気薄くなってる」です。多分、アルピニストの野口健が山頂付近でツイートした時に使うのでしょう。
野口健 @kennoguchi0821
でも、もう飽きかけてるし、データが全部飛んで暇じゃなくなったので更新しないかもしれません。死ぬ。
KX・・・狂ったミスターXに「猿君、紅蜂さんは実はヤリマンだよ」と聞きたくない情報をムリヤリ与えられる罰ゲーム、はめっちゃ面白かったけど俺にとっても罰なんで不採用です。
29歳女。
何か才能があったわけでもないし、
容姿に至っては人並み以下だ(った)し、
仕事人間でもないし、
家庭的でもない。
どうやって満足できる人生を手にいれられたの?と聞かれたら、
ほんとつまらない答えだけれど
「色々な要素がちょっとずつ作用してちょっとずつ変わっていった」としかいえない。
その「色々な要素」は端からみれば悪いことだと思う。
要素1.いじめられてた
不細工と暗さとセンスの無さが理由だった(と思う)のでうふふであははな青春とは無縁だったが、
だからこそ別の魅力(武器)を見つけなきゃなと漠然と小学生のころから思ってた。
↓
頭いいと不細工でもイケるかなとは思ったけど特に必死に勉強せず。
とにかく頭よさそうな有名大なら何学部でもいいやと思って適当に受験して合格。
留学から帰ってきて、とりあえず一番頭良さそうな大学院にいこうかなと思ってたら願書の期限忘れてて不戦敗。
恩師の教授に推薦してもらったり大学院の教授と会わせてもらったりしてたのに我ながらアホすぎ。
合格間違いなしだと言われて浮かれてた親に縁切られそうになる。
4年の冬なので就活もできず、とりあえずボランティアと称してお金かからない方法で海外にしばらく逃げる。
要素3.就職失敗
新卒でもないし、二か国語の資格をもっているだけでは箸にも棒にもかからず。
↓
居易かったし時給も悪くなかったけど、やはり就職したかったので
今度は中堅どころで応募。
↓
「君はここじゃなくてもっといい大手に行くべき。絶対採用するとこあるから」
と力説される。
大手大好きな親からも
と説得されていたので結局3ヶ月待ってもらったのに失礼ながら採用を断る。
名刺作って待っててくれたのにごめんなさい。
↓
また派遣に戻る。
今度は語学いかしたいなぁと思って大手の緩そうな翻訳と通訳の派遣に切り替える。
↓
↓
《現在》
総合職になったら全くユルくない&出張づくし&厳しくて時に泣きそうだが、
やりがいあって福利厚生悪くなくて年収600万以上もらってるので文句いえないかなと思う。
要素4.不細工
整形後も別にもてなかった。
↓
別にもてなかったが、徐々に自信がでてきて大学卒業時にはそこそこもてるようになった。
帰国してから仕事の合間みて整形をくりかえす(顔4ヶ所計10回)。
↓
《現在》
だいたいの初対面の人に「美人ですね」と言われる様になった。
綺麗になったからもてるようになったのではなく、
綺麗になって自信がでたからもてるようになったのだと思う。
要素5.出会いがなかった
↓
べったりされすぎてめんどくさくなり1カ月で別れる。
↓
↓
付き合いたい人が見つからず高校時代の悪友とつるんでたらそのうちの一人となんとなく付き合うことに。
↓
付き合って一年後、結婚願望が全くないのに勢いで6000万の港区マンションを購入したついでに結婚。
(わたしの収入だけでは買えなかったので)
↓
結婚してみたらこの上なく相性が良いことに気付き、年月がたてばたつほどバカップル化。現在結婚三年目。
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毎日仕事やら接待やらで帰ってくるのが遅くてろくに家事できない。
仕事はそれなりに頑張ってるけど「のぼりつめてやろう!」とか思ってない。
そこそこでいい。さっさと帰って夫とイチャイチャしたい派。
振り返えれば振り返るほど、悪い要素が良い人生を作ったのだなと思う。
誰もいない狭い寂しい部屋に戻ってくる人生でもちっともおかしくなかったと思う。
結婚は30過ぎるまでしたくないとか恋人いないときから豪語していたくせに、
してみたら早く結婚して本当に良かったなと思ってる。
(寂しがり過ぎてメンタルが弱いため)
大学まで仲が悪かった両親とも仲良くなり、
わたしのことを凄く誇りに思ってくれている。
(ふたりとも私がきっとひどい人生を送るものだと半分諦めてた。
両親はずっと職に恵まれず貧乏だったので今の私の人生を羨ましいといってくれる。)
タナシュンこと田中〇くんのおかげで
この機会にOB(修正)の僕が青山学院について紹介したりアピールしたりしたい。
ちなみに運動部の掛け声は「あおがく~ファイ!」。
「あおがく~」は可能な限り低い声で唸り、「ファイ!」は甲高く叫びます。
叫び方に迷ったら知能〇〇者がテンションあがったときの感じで。
いや、ひょっとするとまあまあな私立大学の中でも一番熱が無いんじゃないのかな。
泥臭さとか熱血とかやる気とか変人とかとも無縁。
なんていうか、スマートじゃない人は来ないほうがいい。
間違って青学なんかにくると死んだ目で4年間過ごすことになります。
内部進学組が多いのは慶応とかとも一緒なんですが
なんでしょう、青学の内部進学組は慶応のそれより一段二段、品が落ちる気がします。慶応に夢見すぎか。
青山学院の初等部というのはちょこちょこキナ臭い噂も涌く所でして
おっかないから僕は知らないですけど、部長の権力闘争とかどうとかが
週刊誌に載ったりhttp://www.asyura2.com/08/bd52/msg/300.htmlしちゃったりなんかもするんです。
で、これは僕は知らん、幼稚園からの内部進学組が言ってたことですが、
一時はすごくその、芸能人の子弟とかを積極的に受け入れたりしてた、らしいんですね。
躾の悪いボンボンや勉強が全く出来ない奴が多い、みたいな認識は学内にあったと思います。
はっきり「馬鹿組」と呼ぶこともありましたし、彼ら自身も自嘲していました。
中等部から高等部、高等部から大学へ、エスカレーター内部進学するときに
青学歴が長い人ほど成績が悪い傾向があるので、幼稚園上がりが一番落ちます。彼等が一番お金持ちなんですけど。
落ちる奴等はどうするかと言うと、お金持ちの子弟なので海外留学に旅立ちます。
これは「海外逃亡」とか呼ばれていました。
渋谷のどまんなかにあることと関係あるのか無いのか、高校デビューが多かったです。
内部進学組じゃなくて受験で高等部から入ってきた人、この一部がものすごい変貌をとげる。
入学当初は朴訥とした可愛らしい田舎もんみたいな感じだったボーイズガールズが、
彼等は大抵、内部進学組のバカボンとくっついて遊びを覚えるんですね。
バカボンが大学進学の際に落っこちない限り、この付き合いは大学でも続きます。
大学以外は体育会系の部活動も全部弱小で、ジョックス的な存在が居ません。
メイン体育会系としてはラグビー部、通称「ビー部(語尾が上がる)」がありますが、
その競技の特殊さから幼稚園や初等部上がりが多く、彼等は年度が上がるにつれ学業的に苦しんでいるので
高等部までくると一面哀れな感じの不思議なオーラをまとっています。
中等部の頃はそれなりに恐ろしいジョックスだったのに、この頃になると愛嬌が出てきている。
むしろこのあたりになるとバスケ部やサッカー部などのほうがたちが悪くなっていたりする。
文化部もパッとしないんだけど。
今はどうなのかな。
タナシュンくんがどうも周囲の友達に売られまくってるみたいですが
あれはすごく「ああ、青学だなあ」と、感慨深いものがありました。
そうです、青学の特性として、腐った人間関係の温床みたいな部分は割とありました。
なんていうか、仲良くしてる風の間でも実は仲悪い、みたいな。
だいたい長い奴等は15年ぐらいの風通し悪い付き合いを続けてるわけで
流れる空気も淀みきってるんですよね。
ほんとお受験とかエスカレーターもいいことばかりじゃないと思います。
そういう淀んだバカボンとつるむのはいきがった高校デビュー組なわけで、
まあなんか、若人らしいサッパリした感じや素朴さとは無縁な人間関係が現れます。
タナシュンくんがあそこまで嫌われてるのは彼個人の特殊な人徳でしょうが、
「仲間だから」「同じ青学生だから」みたいに庇い合わない傾向が青学生にはあると思います。
社会に出てからも青学学閥って見たことねえ。 まあ学閥作るほどたいした偏差値の学校じゃないんだけど。
社会で同窓生に会っても「へえ…」みたいな。よそ大学出身の同窓の仲良さに比べるとどうしても温度の差がある気がします。
受験で言うと、青学受かるぐらいの偏差値の人は本命別にあることが多い。
青学が本命だったよ、っていうのは中学受験でも高校受験でも大学受験でも少なめ。
力いっぱい馬鹿なことやって打ち解けると言う機会も無い。
青学の文化祭は寒いです。高校も大学も。すごい出し物って見たこと無い。
アレ見ただけで熱量の低さとかわかってもらえると思う。
早稲田祭とかすごいよね。
先生は全体的にいい人ばかりですよ。
大学の講師かなんかで狂った発言しまくってた不届き女が居たらしいですがあれはマジで例外です。
ああいう先生達から、青学独特の熱の無い半腐れ学生が産出されるのは不思議といえば不思議。
長々書いて結局何を言いたいかっていうと
タナシュンくんてすごく青学生らしいなあ…っていう。
イーゴ(青学のマスコットである鷹の化けもん)と一緒に飾っとけ。
http://anond.hatelabo.jp/20170606005748
一般大女子大生が本当に羨ましくなった。美大のイケイケより一般大の地味子の方が確実に飲み会行ってるし遊んでる
っていう事実が辛い。青学生になって渋谷のスイーツ毎日食べたい。そういう女子欲が芽生えてきたの、高3秋の美大に進路確定した辺りからで辛い。
別に青学に対して深い恨みなんかないけど評価せよといわれたらまあろくでもねーなと
むしろ君のように金持ちの子女でなんかもさい、みたいな子がおおかった
学年に2名しかいないギャルは珍獣枠(嫌われてるのでも好かれてるのでもない)だったし
高3でなんか突然色気づいた女子でスカートやたら短くしたのが居て
パンツが見えるので「ワカメちゃん」てあだ名がついてた(嫌われてるのでも好かれてるのでもないが欲情もされてなかった)
それが大学へ行くと
内部進学モサお嬢と貧乏な田舎女子が合流して、それで別にどうなるわけでもなく
すごい顔に自信があるとウェイ系のサークル入って取り巻き作ってミスコンに売って出てアナウンサー目指すわけだが
そんな人はほとんどの男子学生からも女子学生からも隔絶している
青学に通ってる女子のほとんどはもう渋谷スイーツなんかくってないし
クッソへたなフライヤーとか作ったりしょもないダンスをガラスの前で練習したりしてたりな
あと青学は1,2年はとんでもないド田舎に飛ばされるので(今は相模原だからまだマシか)
男が女にある質問するだけで、自分のモテ度・非モテ度がわかるという優れたテストがある。
質問はいたって簡単。
「精子飲める?」
たったこれだけ。
モテ度80~100%
好奇心旺盛で何に対してもチャレンジしてみるあなたは間違いなくモテ男です。
しかも相手から「飲めるよ」の答えを引き出すのですからコミュニケーション能力も相当高いと言えるでしょう。
モテ度50~80%
女性に対し、このような際どい下ネタをサラリと言えるだけでもモテる部類に入るでしょう。
「相手による」という答えは、軽く拒否られている可能性が高いですが、基本的にはモテ度は高いと言えます。
モテ度30~50%
女性から強烈に拒否られたあなたはあまりモテるタイプではないかもしれませんのでご注意下さい。
相手に与える自分の印象と発言のギャップに驚いている可能性が高いです。
高校デビュー、大学デビュー、社会人デビューのような遅咲きデビューの男性に対し多く見られる女性の反応です。
勘違いにご注意を。
モテ度0~50%
そういう頭のいい人を好きな女性はいますので、必ずしもモテないわけではありません。
リア充グループの中に入っているのであれば、意外と隠れモテキャラの可能性あり。
コミュニケーション能力を磨いて仲間を作る努力をすべきでしょう。
努力によりまだ健常者になれる可能性あり。
「こいつこそ非モテに決まってる」「文章が気持ち悪い」「まったく意味が分らない」「論理的におかしい」「頭悪そう」
等、黙って見過ごすことが出来ない痛いあなたはかなりヤバいです。
とにかく何かツッコミどころを探して一言言わなきゃ気がすまないのが非モテの特徴。
ネットの世界で批判することでリアル世界での惨めさを穴埋めする可哀そうな奴ら。まさに人間のクズ。
リアルでは、コミュニティの数だけキャラが作れ、ネットでは名前やアカウントの数だけキャラが作れる。
たとえば、中学時代は暗かった奴が、高校入学と同時にオシャレになって「高校デビュー」したりする。中学時代のキャラは暗いやつ、でも高校ではオシャレなやつ。バイト先ではすごくマジメやけど、サークルではいじられキャラ……。どうやら、コミュニティが変われば違うキャラになることがあるみたいです。というか、望みさえすれば自分で設定することもできるみたいです。
ネットでは、複数のTwitterアカウントを使い分けたり、掲示板で名前を変えればすぐに別人になれる。ここ増田なんて記事ごとにキャラ作れちゃうぜ。
これ誰かが言ってたかどこかで読んだか忘れたけど、リアルでは、良くも悪くも「誰の発言か」が影響力をもつ。医者に「酒を控えなさい」と言われたら従うだろうが、見知らぬオッサンに言われて従う人って、たぶんいない。これは無くすように努力すべきやと思ってるねんけど、あまり好きじゃない人の意見って批判したくなるものです。意見を聞く前に「誰の発言か」で先入観が入ってしまっています。同じことを言っても、誰が言うかで感じ方も変わってくる。
ネットでは、簡単にキャラを作り出し、消すこともできる。その特長を活かし、誰の考えも平等に、世界中に発信することができる。人には言いにくい意見もあるだろうし、先入観のない自由な意見が飛び交うのを歓迎する人はいるはず。
mixiは、本人の承諾なくそのキャラとキャラをメールアドレスというキーで結びつけてしまった。ネットで援交を募集している人のメールアドレスからmixiのアカウントを特定し、友人や彼氏へのコンタクトすら容易にしてしまった。
リアルとネット、キャラ間は、本人のみその境界をひくことができ、消すことができるようにすべきである。本人の承諾なしに別のキャラを一致させてしまったことは大量のセンシティブな個人情報を扱う組織としてどうなのかな? ちなみにほかのSNSでは、同様の機能があっても検索されていいか設定できたりするようです。