はてなキーワード: 自虐史観とは
2.LGBT平等法の制定/同性婚を可能とする法制度の実現を目指す
3.DV対策や性暴力被害者支援など、困難を抱える女性への支援を充実
4.インターネット上の誹謗中傷を含む、性別・部落・民族・障がい・国籍、あらゆる差別の解消を目指すとともに、差別を防止し、差別に対応するため国内人権機関を設置
5.入国管理・難民認定制度を改善・透明化するとともに、入国管理制度を抜本的に見直し、多文化共生の取り組みを進める
第一弾
1.補正予算の編成
こんな感じの、コアな信者にはウケはいいけど大多数の国民の生活にはまっっっったく影響ない政策を選挙前の目玉政策としてババーーーン!って一番目立つところで大々的に発表してるもんだよね?
もしかして枝野さんというお方は選挙の仕組みが多数決であることを存じ上げてないのだろうか?
もはやこれわざとだろ、勝っちゃったらまた地獄の政権とか言って叩かれるから責任持たないで済む範囲で負けるようにバランス調整してるんと違うのか。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 82 | 14956 | 182.4 | 51 |
01 | 56 | 7152 | 127.7 | 53.5 |
02 | 48 | 9080 | 189.2 | 49 |
03 | 56 | 10740 | 191.8 | 39.5 |
04 | 24 | 1265 | 52.7 | 34 |
05 | 19 | 1283 | 67.5 | 35 |
06 | 31 | 2408 | 77.7 | 42 |
07 | 99 | 6483 | 65.5 | 45 |
08 | 52 | 14615 | 281.1 | 51 |
09 | 152 | 17400 | 114.5 | 41.5 |
10 | 136 | 13228 | 97.3 | 46 |
11 | 248 | 27752 | 111.9 | 38 |
12 | 214 | 11911 | 55.7 | 28 |
13 | 193 | 14761 | 76.5 | 36 |
14 | 228 | 14399 | 63.2 | 30.5 |
15 | 202 | 17503 | 86.6 | 43 |
16 | 302 | 21166 | 70.1 | 38 |
17 | 287 | 21215 | 73.9 | 38 |
18 | 221 | 26421 | 119.6 | 35 |
19 | 194 | 12971 | 66.9 | 39 |
20 | 287 | 16051 | 55.9 | 29 |
21 | 219 | 15503 | 70.8 | 35 |
22 | 269 | 24432 | 90.8 | 30 |
23 | 205 | 22795 | 111.2 | 36 |
1日 | 3824 | 345490 | 90.3 | 36 |
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東大出身者ってこういう「気づき」がワイら凡人よりワンランク上なんだよね。
たしかに戦後の自虐史観をひきづってたというか、まあGHQの遠謀かもしれんけど、たしかになあ。
そういうメンタリティの発展はあるだろうね。
現在の20代以下が中年になる20年後の日本の国力の伸長が楽しみだ。
中国はそのころ高齢化や独裁の行き詰まりで面白いことになってそう。
ホリエモン「そりゃ勝てんわ」 日本選手団の最多メダル獲得要因…自分たち世代との差に私見
実業家の堀江貴文氏(48)が9日、自身のツイッターに連続投稿。8日に閉幕した東京五輪で日本勢がメダルラッシュとなった要因について私見をつづった。
堀江氏はまず「なんか私たちの世代のアスリートは世界に一歩及ばない感じがしてたけど今の若い世代は全然そんなことない理由を考えてたんだけど、我々世代は指導者による体罰当たり前、セクハラパワハラなんでもござれで真夏に水を飲ませてもらえなかったの思い出した」と投稿。
さらに「それを乗り越えた根性で勝てるとか言ってたの太平洋戦争の竹槍で勝てる説と同じだな。そりゃ勝てんわ」「俺も小学生六年間やらされてた柔道が嫌いだったのも指導者(地元の警察官)が、練習中に欠伸をしたり喋っただけでボコボコにされて、砂利の上で足に竹刀を挟まれて一時間座れとかいう謎の拷問をさせられたりしたからだからなぁ」と続け、3本連続投稿となった。
コロナ禍に見舞われ、1年延期後に開催された東京五輪だが、日本選手団は史上最多の金メダル27個を獲得。銀14、銅17を合わせた総メダル数58個も過去最多となった。
前半はこちら↓
https://anond.hatelabo.jp/20210306213555
結局のところ、このイシグロ氏のインタビューの浅さ、つまらなさは、インテリ向けの文学芸術業界という自分の属する世界を世界全体であるかのように錯覚して語っているところにある。
その上で、あくまでもそういうインテリ業界や文学芸術業界への提言、また自戒としてイシグロ氏の発言を読むなら、部分的に同意できないこともない。イシグロ氏は「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術も必要です」と言う。必要かどうかはわからないが、非リベラルの人が思想や感情を表現した芸術があってもいいというのはその通りだろう。リベラルの原則からしても、非リベラルの人の表現の自由を制限するのは筋が通らない。ただしその表現を批判する自由もあり、表現する以上は批判を受けるリスクは負うべきだというだけだ。
しかしここでもやはりイシグロ氏との現状認識の断絶は感じる。イシグロ氏から見ると世界はリベラルが作った芸術ばかりらしいが、少なくとも私は日本に生まれ育って、「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術」の方を圧倒的に多く目にしてきたと思う。そもそもポリティカルコレクトネスなどが日本で多少とも意識され始めたのはごく最近のことであり、それ以前の言論にせよ芸術にせよ、今の視点で見れば差別と偏見にあふれているものが普通だ。
たとえばイシグロ氏と同じくノーベル文学賞を受賞した川端康成という作家がいて、日本ではいまだに高く評価され、小さな書店にも文庫本の数冊くらいは置いてあるだろう。私も過去にいくつも作品を読んできたが、同時に忘れられない言葉がある。ある時私の母親が言った「若い時に川端康成を読んで、女は芸者しか出てこんのかと思った、芸者にならにゃいけんのかと思った」というものだ。私は芸者という職業は否定しないが、ここで問題なのは芸者の側ではなく、女性を極度に美化しつつあくまでも鑑賞される客体として描きがちだった川端康成の視線の方である。現在の目で見て、こういう川端康成の視線が女性蔑視的要素を含まないということは難しい。
また私は十代の頃に太宰治を読み、貧しく教育のない芸妓を買い取るようにして妻にした挙げ句、その妻が他の男と寝ていたというので絶望し、何やら自分が裏切られたかのように荒れている主人公(これは作者自身の体験に基づく)の思考回路がよくわからないと感じたことがある。しかし当時の私はまだ、そんなものはわからなくていいと突き放すことができなかった。そこであれこれ想像力を駆使しつつ、そういう「苦悩」に何とか共感できないかと努めた記憶がある。ずいぶんと「理解しがたい他者」に耳を傾けようとしたものだ。その後フェミニストの批評に触れたりする中で、共感できなくて当然だったといつしか思うようになったが。『男流文学論』や『妊娠小説』を笑いつつ興奮しつつ読んだ日を思い出す。
私の世代には、そういうフェミニスト批評のように、また女性自身による新しい表現のように、男性作家の視点を相対化してくれるだけの「他者の声」が辛うじてあった。その他の多様なマイノリティの視点から作られる芸術も探せばそれなりにあった。しかし古典とされるようなものは言うまでもなく、世間で人気のあるもの、話題になっているものは多くがリベラルでも何でもなく、機械的に「差別語」を排除したりする他はポリティカルコレクトネスにも多様性にも無配慮なのが普通だった。それにもかかわらず、「逆差別」だの「自虐史観」だのとリベラル側の価値観を攻撃する言説は早々と巷にあふれていた。私は左翼だが、小林よしのりの作品をいくつか読んだことがある。周りで流行っていたからだ。小林よしのりは「じいちゃんの死は無駄だったというのか」といったまさに感情に訴える手法で保守派の戦争観を広め、当時の若い世代にかなり影響を与えた。
イシグロ氏の周りはどうなのか知らないが(と皮肉を込めて言うが)、日本の書店というのはいまだに「嫌韓本」が山積みにされたり、保守論客の歴史本がベストセラーになったりしている。イシグロ氏の小説を読むようなインテリ層の一部はそれに眉をひそめるかもしれないが、現実として、日本にはずっと「リベラル以外の人」の表現があふれ、どこにでもいる「リベラル以外の人」がそれをのびのびと享受している。「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許」である社会などいったいどこにあるのだろうか。私は見た覚えがない。
「小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラルや進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思います。」そう思うのかもしれない。「私は人生の大半を進歩自由主義的な考えのもとで心地よく過ごしてきた」と言えてしまうような人は。この言葉が移民であり民族的マイノリティであるイシグロ氏の口から語られることは、イギリス社会の成熟を示すものでもあるだろう。
しかしあいにく、私の住んでいる世界はイシグロ氏の世界とは違う。イシグロ氏の世界にしても、単にイシグロ氏に見えていないだけで、リベラル的価値観の過剰ではなくその不足に苦しんでいる人がまだたくさんいるだろうと私は思う。私はリベラルとして非リベラルの発言権を奪えとは言わないし、またその声に耳を傾ける人がいてもいいと思うが、私が日本社会でより多く耳を傾けたい声は、やはり非リベラル的社会が長らく抑圧してきた、今も抑圧している声の方である。
ところで、私は川端康成や太宰治の作品に差別的な要素があると言ったが、かれらの本を絶版にしろとも、教材に入れるなとも、子どもに読ませるなとも思わない。差別的要素があるからといって作品全体が否定されるべきだとも思わない。私は川端康成の文章の美しさも、太宰治の小説の面白さも理解することができる。それに価値がないとは言わない。
「キャンセルカルチャー」という言葉が指す状況を私は詳しく知っているわけではないが、作者がある場面で「政治的に正しくない」言動をしたからといってその作品を全否定したり、市場から完全に追放したりすることは私は支持しない。差別思想の公的な表明は批判されるべきだが、芸術表現を直接的に規制したり、作品を抹消したりすることは慎重であるべきだと思っている。
この点はおそらくイシグロ氏の考えと私の考えは近いだろう。芸術を総体として愛するならば、自分の嫌いな作品、理解しがたい作品が生まれてくる可能性も含めて愛さなければならない。私は現在の視点で川端康成や太宰治の表現の一部に批判をもっているが、その批判を表明する方法は作品を焼いたり隠したりすることでは決してなく、批評や新たな作品で相対化していくこと、注釈を書き加えていくことだと思っている。
ただし同時に、かれらの作品にも行動にも現在から見て許しがたい要素があること、それは当時には自覚も変更も難しかったかもしれないが、今後の社会に引き継ぐべきではないこと、そこを否認するつもりもない。作品は消さないが、今後も読まれ続けるのなら、そういう観点からの批判も作品自体と同じくらいに読まれ、語られるべきだと思う。もし川端康成を教室で読むのであれば、教師にはその美しさだけでなく、その女性の描き方が一方的であったり一面的であったりすること、フェミニズムを通過した視点でどう見えるかというようなことにも学生の注意を促してほしいと思う。これが過剰な要求であるとは私は思わない。
最後に、イシグロ氏が述べている「感情」というものについて少し違う角度から見ておきたい。最初に書いたように、私は政策決定などにおいて事実や科学的根拠より感情が優先されるような事態は望まない。この点ではイシグロ氏に同意する。
しかし人間の感情というものが社会のあらゆる場面で抑えられるべきとも、それが可能とも思えない。イシグロ氏の主張を大きくまとめると、現在の世界(実際はイシグロ氏の属するインテリ業界)はリベラル側の感情を優先しすぎるものになっているので、感情優先を抑えると同時に非リベラルにももっと発言の場を与えるべきだ、と読める。私はこれには同意できない。
まず現状認識が違い、芸術の世界がリベラルに席巻されているようには到底見えない、というのが上に書いたことだが、それとはまた別に、文学や芸術の世界でまで政策議論の場合のように感情を排除する必要はないだろうと思う。イシグロ氏は小説家として、感情を重視する文学がトランプ支持のような不合理に加担した可能性を反省しているのかもしれない。しかし思うに、それはそれで文学の買いかぶりというものだ。感情に訴え、感情を揺さぶるものは文学や芸術の他にもいくらでもある。むしろ現実の生活が多様な感情を強く喚起するからこそ、それを芸術に表現し直すことが対象化や客観視の手段になりうるのだ。そして文学芸術は、合理性を追求する世界からこぼれ落ちる感情や思想の避難所としての役割をもっている。人間が完全に「合理的」な存在に変化しない限り、この役割がなくなることはないだろう。科学的エビデンスに基づいてワクチン政策を決めるように自分の人生を生きられる人はいない。そんなことを個人に求めるべきだとも思わない。
また、イシグロ氏の言う「リベラル」に人種的、民族的、性的その他の抑圧されてきたマイノリティが含まれるのだとしたら、かれらが時に強い攻撃性をもってその感情、蓄積されてきた恨みや怒りの感情を表現することを私は一律に非難したくない。被差別者の表現が時に復讐的な攻撃性をもっていたり、「逆差別」と見えるような偏見を含んでいたりすることはある。それ自体はたしかに「良いこと」とは言いがたい。しかしこれもまた現状認識の問題になるが、今の社会でマイノリティがマジョリティを攻撃するような表現を公然と行えば、より危険にさらされるのはマイノリティの方である。だから圧倒的多数のマイノリティはそんなことをせず、むしろ感情の抑制に非常に長けている。
BLMを暴力的だと言って眉をひそめる人を数多く見たが、私が以前から思っているのは、もし黒人たちがその何世代にもわたる奴隷制の怨恨を復讐としてそのまま投げ返したなら、アメリカの白人社会はすでに何度廃墟になっているかわからないということだ。しかし現実はそうなっていない。現実のマイノリティは、時に攻撃的に見えることがあるとしても、総体として恐ろしく理性的で自制的で、そして寛容なのだ。何一つ復讐も、感情を表現することもできずに埋もれていった膨大な被抑圧者の忍耐の上に今の社会は維持されている。多くの被差別者は、深い痛みを抱えながらも、求めるのは復讐ではなく次世代が幸せになることだと穏やかに語る。その中から時に感情的な表現が投げかけられたとして、それを感情的だと単純に排除することを私はためらう。
ずいぶんと長くなってしまったが、ふと書く気になったので書いた。まだいくつか書き残している気もするが、土曜も一日つぶれたことだしこのへんで。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%B1%B1%E5%95%86%E4%BA%8B
複数の男子で「女子をチヤホヤする会」を開催したことが評判になり、以降恋の悩みや失恋での傷心を癒す「失恋ホスト」としての活動を現在まで行っている。
女子にとって耳障りが良く、男子にとっては耳が痛いこと言って当然なんですよ。
なんせ「女子をチヤホヤ」しようとしてしてる「失恋ホスト」なんですから。
恋に悩める人々の話をメンバーが聞いたり、一緒に遊んだりするサービス。桃山商事結成当初より提供している。「失恋」とあるが実際には恋に悩む人であれば誰でもよい。
料金は無料で、実費についてはメンバーと均等に支払う。その代わり、聞いたエピソードを代金として、後述の二軍ラジオや各種コラム等で紹介している。
つまり彼らは、いわば「男性性の自虐史観」を売り物にして商売にしている人たちですよ。
これは欲望の根源こそ違えど、「どしたん?話聞こうか?」や「チンポ騎士団」と一緒です。
性欲で動く「どしたん?」や「騎士団」に対して、自己顕示欲や社会的欲求で動くのが桃山商事です。
弱り目の女子をヨシヨシして、その子が経験した酷い男の酷い話を集めて公開して見物料取っているわけです。
ただし、そのこと自体は決して悪いことではありません。需要と供給があって成り立つ商売なんですから。
しかし、彼らのテキストは感情を煽るためのある種の「ポルノ」ですから、これは「商売」ではあっても「社会活動」にはなり得ません。
そういうところが「異性間の問題を解決したい」「社会をより良く是正したい」と日々考え、行動しているまっとうなフェミニストから、桃山商事がイマイチ相手にされていない理由なんだろうと思うわけです。
アナタが「いいこと言うわー」「考えさせられるわー」と思ったとき、どういう理由でその思いに至りましたか?
桃山商事は「失恋ホスト」を名乗り活動している点でまだ誠実です。(昨今の社会情勢的にそろそろこの設定はどうにかした方がいいと思いますが)
あなたをコントロールするために、あなたの味方のふりをする人たちもいることをどうか忘れないでほしいです。
政治の左右について、今まで自分は以下のような変遷を辿ってきた。
②ネットのまとめサイトなどで韓国中国の反日について知り、洗脳から解放された気持ちで右寄りになる
※世の中的には2002年の韓国八百長などで気づいて、右寄りの思想になった人が多そう
③極端に右寄りな人たちの歴史修正主義に疑問を持ち、左寄りになる(特に韓国とは距離をおきたいのはそのままに)
自分は③で気づいたから、今の政権のおかしさを糾弾する主張も冷静に見ることができている気がする。
ただ、世の中的には②で止まっている人が多いのではないか。
そう言う人は、多少の事は目をつぶっても(というか、普段は政治にあまり興味がないので)もう自民で、安倍政権で良いと思っているのでは。
一度洗脳から解放されたと思っているから、自分が逆方向に再洗脳されていることに気づけない。
気づくタイミングもない。
そう言う人でも、今回の「検察庁法改正案に抗議します」のネット抗議活動に接して、
このコロナ渦で火事場泥棒するような、ちょっと現実感がないくらいのやばい政権なのだということに、
気づいてくれるんじゃないかと言う淡い期待がある。
ターニングポイントとしては、やっぱり2002年の サッカーワールドカップだったとおもう。
これに前後してヘンな韓国人の話がネット(インターネットだけでなくNiftyとかもあったとおもう)で話題になってきた。やたらと韓国人を嫌う人も見かけるようになってきた。
自分が最初に触れたのはKG名雪だった。2003年くらいだったかな?
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それ以前の「日本スゴイ!」論は小林よしのりさんのゴーマニズム宣言くらいで、決してメインストリームじゃなくて、面白いことを言い始めたひとがいる、程度だった。
テレビとか雑誌とかは自虐史観全盛で、日本がすごいとかいう話はまったくなかった印象。
とにかく海外(西洋)はすごい、日本はぜんぜんイケてないって。
バブルとかでカネはあったが、なんでもカネで解決しようとしていてあさましい。もっと血の通った貢献をしてかないと日本は世界からおいてかれる、つまはじきにされるって。
1990年代に中東で湾岸戦争ってのがあって、そこで日本は突出した金額の資金を出したが部隊は出さなかった。戦後、クウェート政府から発表されたお礼のメッセージには日本の名前は載ってなかった、なんて事件もあった。
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それが2005/6/7年くらいから風潮が変わってきて。小林よしのりさんのゴーマニズム宣言とか すごい支持を集めるようになってきた。
テレビでもそういった番組が散見しだした。和風総本家の開始が2008年2月だったようなので、やっぱこのあたりかな。
2008年くらいの 毎日新聞の英文サイトの日本人女性を変態扱いする記事問題、
2014年くらいの 朝日新聞の従軍慰安婦記事の取消・謝罪など経て、
いまの日本スゴイ全盛に至ると。