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はてなキーワード: 京太郎とは

2024-02-13

anond:20240213130312

京太郎身長こそチビだけど、顔立ちは整ってるのでは?

一応、中学受験に失敗して卑屈になったって形で設定を補っているけど、

現実なら陽キャイケメン集団の中に混じってても違和感ないと思う

本当の陰キャは、多分、あなたの視界に映ったことがないんだろう

(視界内にいても生ゴミしか認識できないアレ)

2023-08-18

名作ラブコメの条件

主人公の男が動く作品面白い

多くのラブコメ複数女子に言い寄られて男がオロオロするという話で、そういうのが作り手としても無難なんだろうけど、男のキャラクターが良くて積極的に動く作品のほうが面白い

最近作品だと僕の心のヤバいつの京太郎なんかがそうで、山田にふさわしい男になろうと奮闘してる姿が良い。

2022-12-06

市川京太郎は、中学デビューに失敗しただけの、優しくて格好いい男で

山田杏奈は、それにいち早く気づいて猛アプローチしていた、見る目のある女で

オタクの願望垂れ流しで共感性羞恥」とか言ってたやつは本当に的外れだった

anond:20221206122924

現実だと京太郎がこじらせてヤリチン化する確率のほうが高いんだと思うんだよねぼくは

2021-11-16

はてなー勝手誤読するな

 anond:20211116100901 「温泉むすめの件含め、なぜ最初から攻撃する必要があるの」

 というのは、ただの誤読だ。そこには、攻撃言葉は一つも書いてない。 https://tny.im/gBKIV を再掲すると、こうだ。

出張先で「温泉むすめ」のパネルを見て、なんでこんなものを置いているの😩💢と思って調べたらひどい。スカートめくりキャラ夜這いを期待、肉感がありセクシーワインを飲む中学生、「癒し看護キャラセクシーな「大人の女性」に憧れる中学生など。性差別性搾取https://onsen-musume.jp/character/

 ここには、「性差別性搾取」という言葉はあるが、「差別者」という言葉はない。

 そもそも話の全体が、特定相手に向けられた文章ではない。

 「攻撃」ならば、攻撃された相手がいるはずだが、ここでは攻撃された「相手」などはいない。

 しいていえば、「温泉むすめに携わる関係者全体」が攻撃対象かもしれないが、それが誰であるかは知られていないので、特定の人が「自分攻撃された」と思うこともない。被害を感じることもない。

 

 結局、これは誰かが攻撃された案件ではなくて、あるプロジェクト批判されただけである。人が攻撃されたのではなく、プロジェクト批判されただけだ。

 なのに、これをもって「誰かが攻撃された」と感じるのは、ただの被害妄想である

 

 この件で、「攻撃された」と思っているはてなーは、頭が被害妄想になっている。神経症一種だ。プリントアウトして、神経科に行くべし。

 

 ――

 p.s.

 勘違いしている人が多いが、本記事は、仁藤夢乃の言っていることが正しいと述べているのではない。仁藤夢乃の言っていることは攻撃ではないと述べている。混同するべからず。

 仁藤夢乃が(市川京太郎みたいに)ヤバい奴だということには同意する。ただし今回のツイート別に、誰かへの攻撃ではない。それだけのことだ。

2020-07-20

シーライオニングはアシカ強者弱者かによって善悪が変わるなら、その強弱をどう決めるかが問題

京太郎っつー人が、シーライオニングというのは修辞疑問文による悪質な攻撃のことであり、問題視するに値する、みたいなブログを書いて、それに対してブコメ賛否がよせられてる。

まあ七割くらいが否かな。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/tatsumi-kyotaro.hatenablog.com/entry/2020/07/18/231036

たださぁ、このブクマカから京太郎への批判が、なんかズレてんのが多いんだよな。

ヘイトを口にしてる婦人が悪いだろ」とか、「『修辞疑問文攻撃性があるからダメ』は、普段キミらが批判する、トーンポリシングによる対抗言論封殺だろ」とかが多いしスターも集めてるけど、そこじゃなくない?

記事を読めば、京太郎はこの辺の批判は既に想定済みだろうことがわかる。

以下の部分だ。

無論、シーライオニングをしたからと言って即座に倫理的批判されるべきだというわけでもないのでここに関しては注意しなければならない。シーライオニングを行うことそれ自体は如何なる場合においても正当化できない行為というわけではない。

これは例えばシーライオニングを行う者が社会的マイノリティ被差別者だった場合を考えれば十分だろう。あの漫画で描かれていたのがアシカではなく黒人だった場合婦人発言は単なる個人的趣味趣向の域から逸脱してしまう。

言葉は常にそれが発せられた文脈と共に理解されるからだ。

その場合シーライオニングは正当化不可能と言い切れないだろう

念のため、別の言葉でも言い換えよう。(言い換えが間違っていると京太郎氏に指摘されれば撤回する)

婦人強者アシカ弱者である場合は、婦人発言は同じでもヘイト差別となるので、ヘイトへの弱者抵抗として、アシカ修辞疑問文戦法をとることは正しい行いとなる」と書かれてるわけだ。

はい、こう言い換えれば、ポリコレ疑義を持つはてブァーのみなさんは猛烈に反論が浮かんだだろう。

とかが浮かんだだろう。

ブコメ批判するなら、それを書いてくれや……。

少なくとも京太郎は、状況や文脈によるという条件付きだが、婦人発言ヘイトになることもあるとわかってるし、シーライオニングすんなって言うのはトーンポリシングによる弱者黙らせになることもあると、わかって書いているわけでね。

まるで京太郎がそこにノータッチかのような批判はピントがズレててほとんど無駄からさ、貴重な100字を大切にしてくれ。

2020-06-09

僕ヤバ:3巻まとめ

3巻のテーマ

1巻は市川山田を好きになる物語

2巻は山田市川を好きになる物語

3巻は山田が求め続けて、市川が応えるまでの物語だった。

2巻までの二人はただ相手が好きで、それだけで良かった。

3巻での山田市川を求めているし、市川に求められる事を望んでいる。

しかし当の市川自分本心から目を背けているせいで望みはかなわないのだ。

からこそ karte.43 で市川が絞り出した本心尊い

不器用で臆病だが精一杯山田を求める気持ちがこもっていて、ようやく山田は互いに求めあう事の充足を得た。

3巻の山田杏奈

3巻は全体的に、山田の心が市川でわちゃわちゃする様を愛でる話が多かった。

単話ごとで見ると、山田が初めての恋に振り回される様はとても微笑ましい。

一方で3巻全体を通して見ると、すこしずつ山田不安定になっていく様子がうかがえる。

求めるにつれ自制が失われ、年相応の性欲が芽生え、不安が募り、ついにはナンパ彼女というストレス要因によって弾けてしまう。

この不安定さは最終盤、仲直りのハグ(2回目)とLINE交換によって肉体・精神の両面から満たされる事で一旦解消。

幸せの中で4巻に続いている。

3巻の市川京太郎

市川は2巻中盤以降から相変わらずで、山田ほど恋に振り回されてはいない。

自分の恋心を「病気」と断じて未来への希望排除しているため、より親密になりたいという欲求自体抑制されているのだろう。

これはもちろん欺瞞であり、ポーカーフェイスの裏で溜りに溜まった歪みが終盤ついに吹き出し初恋破たん寸前まで追い詰めた。

市川が歪みの正体に気付き乗り越えた事で二人の関係は一歩前進できたが、まだまだ色々な事(欺瞞のものとか)から目をそらしている事は変わりなく前途は多難だ。


以下、各話あらすじおよび個人的解釈


karte.31:僕はLINEをやっている

市川とのつながりが欲しい山田LINEの交換を持ちかけるが失敗。

逆に成り行きで萌子市川LINE交換することになり激しく嫉妬する。

自分市川に妬かせるためにクラスの石室君とLINE交換せざるを得なくなるが、すんでのところで市川が(意図的ではないが)阻止。

市川のやきもちがうれしい山田だった。

karte.32:僕は距離を取れない

持久走の授業は市川山田もついでに原さんも苦手。

図書室以外での接触を避けたい市川距離を取ろうとするが山田は一緒に走りたい。

なんだかんだ山田が気になってほぼ一緒に走り、結果はビリだった。

ヘトヘトの山田市川の方に手を伸ばし、立たせてと甘える。

授業終わりでみんな教室に帰っているし、まぁいいかと手を貸す市川

クソイベントの持久走すら山田と一緒だと悪くないのだった。

途中で預かったジャージ上着山田に返して教室に戻ると、

返したと思ったのは市川ジャージで二人のジャージが入れ替わっていた。

karte.33:僕らは入れ替わってる

市川の名札が付いたジャージ山田が着てしまう事を危惧する市川

授業中に入れ替わりに気付かず(?)着てしま山田

市川は挙手して黒板前に進み出ると、問題を解きつつ山田に「名札みろ」とジェスチャーを送る。

が、山田は二人だけの秘密を楽しんでいるかの様に受け流すのだった。

ようやくの昼休み図書室に市川が入ると山田は先に来ており、山田から返されたジャージの襟元にはご飯粒。

市川はいもの食べこぼしだと思ったが、それは口元にご飯粒を付けた山田市川ジャージに顔をうずめた痕跡なのだった。

karte.34:僕は視聴した

市川一方的山田を観察する初期のテイストの話。

ネット山田がEテレ「コロンブス学園」なる番組に出演している事を知った市川

丁度放送日だった事もあり気になって視聴する。

山田が皆に知られてしまう事を危惧する市川だったが、実際のところ山田はひな壇のその他大勢に埋もれ、しかも出番はほぼカット

市川はホッとしつつも山田の傷心を思い「コロ学」の話は避ける事にした。

が、当の山田は少ない画面映りにも満足で自慢げなのだった。

karte.35:僕は勉強を教える

最近山田は昼休み宿題している事を知ったちい(小林)が図書室を訪れ、なりゆき市川問題の解き方を教えることに。

素直で裏表のないちいが市川とも距離なく話す様に、親友とはいえ嫉妬が隠しきれない山田

市川の方でも「山田とだけは普通にしゃべれる」事をちいに指摘されて動揺。

その日の昼休みは終始かき乱される二人だった。

結局ちいは進研ゼミを始めたため図書室に来たのは1日だけ。

代わりに山田市川勉強を教わる事にして、図書室の二人は並んで座るようになった。

karte.36:僕は母親と似ていない

三者面談学校母親接触したくない市川面談室前の様子を隠れ見る。

順番が山田家の次だったようで、廊下椅子には山田母・山田市川母が。

美人で凛々しい山田母に納得の市川

隣に座るのが市川の母と気付いた事から緊張しつつも軽く談笑する山田市川母。

市川市川母の共通点を見つけ出してほっこりする山田だった。

面談終了後、玄関に向かう市川親子を見つけて後ろから駆け寄る山田

そのとき面談前にすごく綺麗な子とアメを交換しちゃった」との市川母の言葉に、一部始終を隠れ見ていた市川「山田」と即答。

すごく綺麗な子=山田という市川の答えに顔が赤くなった山田はまともに話しかける事ができず、「ば、バイバーイ」とそのまま駆け去った。

karte.38:僕は接触を試みた

ちいが風邪でお休み

萌子にちいの代役(椅子)を頼んだ山田だが、椅子萌子山田の乳を揉んだだめ憤慨。

それなら、と黒板に「山田触っていい場所マップ」を書かせることに。

山田書き込み、それをのぞき見市川

その日の図書室、市川マップを見たと知っている山田は触って良いよとばかりに距離が近い。たじろぐ市川

三者面談の話をしているところに司書先生が入室し、慌てて距離を開けた。

ふと見ると山田宿題ノートの端にアメを出しっぱなしにしていて、市川マップ上「触って良い」になっていた肩を軽くたたき「アメ、隠せ」と耳打ち。

突然のささやきに山田は耳をおさえて赤面、超絶動揺してしまう。

後日、山田マップには耳が「触るのNG」として追加されたのだった。

karte.38:僕はホントにずぶ濡れた

小雨かと思ったらドシャ降り。

冬の冷雨に打たれながら自転車家路を走る市川コンビニを出た山田と鉢合せした。

市川の濡れた髪と面貌に見とれて思わず手を伸ばしてしま山田、たじろぐ市川に気付いてギリギリ未遂

後ろで傘を持って2人乗りしようとの山田提案もあったが、仕事の予定もあって結局断念。その場で解散となった。

ようやく家の前まで帰り着いた市川は、自転車の前かごに山田コンビニ袋が入ったままになっている事に気付く。

袋の中にはお菓子の他に生理用品もあり、慌てた市川は再び雨の中を駅へと急ぐ。

何とか間に合った市川、大声で山田を呼び改札越しに袋を渡そうとする。

山田はわざわざ改札を出ると、袋を受け取りながら濡れた市川の髪を拭いた。

市川が慌てていた訳に気付いた山田は顔を赤らめつつも市川の耳にそっと顔を近づけて

「これ、生理のやつじゃないから」と耳打ちリベンジ

なんだかよくわからない市川

続く「ママに頼まれた」という言い訳市川は「あのキレイママがなぁ・・・」とキモい妄想にふけってしまい、それと知らない山田はここぞとばかりにハンカチ市川を撫で続けるのだった。

karte.39:僕は夢を見た

前回の雨で風邪をひいた市川学校休み、平日昼間の一人の家を満喫

そこに給食イチゴババロアをもった山田がお見舞いでインターホンを鳴らす。

玄関先で少し言葉を交わした後、体調を気遣っておとなしく帰ろうとする山田を、市川咄嗟に「あ、お、お茶でも、飲んでいっ、たら・・・?」と引き留める。

表情を明るくする山田

自宅に山田がいるという緊急事態テンパる市川お茶の用意をしかけたところで汗まみれの寝間着が気になり着替えることに。

が、熱と緊張のせいか着替えの途中で気を失ってしまう。

半裸で倒れている市川を見つけた山田は慌てて駆け寄る。

朦朧とした意識の中で「大丈夫大丈夫」と答える市川だったが、上着を着せようとする山田の腕の中で再び気を失った。

熱のこもった裸の上半身山田に預け、荒い息を吐く市川

まりの状況に思考が追いつかない山田

熱に浮かされる市川は、山田に抱き寄せられるやけにリアルな夢を見ていた・・・

頬を撫でる手の感触市川が目を覚ますと、手の主は山田ではなく姉。

外はもう夜で、寝間着は不器用だが上下とも着替えていた。

市川にはどこまでが夢なのか分からなかったが、イチゴババロアと置手紙から山田が来たことだけは間違いないようだった。

karte.40:僕は練習台になった

山田映画に出るらしい。しかも有名監督に有名俳優と共演。

チョイ役だが一言だけセリフもあるそうで、唐突に冷たい声で「マジキモい」と映画セリフ披露する。

山田が発したその言葉セリフと知りつつ心底の劣等感が震えてしま市川

その後もセリフ練習を続ける山田だったが、周りの目を気にする市川提案で人気のない場所に移動することに。

山田が選んだのは階段下の用具倉庫だった。

狭い用具倉庫、至近距離で向かい合って映画の話を続ける二人。

公開日は卒業直前の再来年春だといい、市川は否応なくその時の二人の関係について考えてしまう。

(再来年の春に)映画を観てくれる?という山田の問いかけに、市川わからん善処する、としか答えられない。

が、ほんの少しだけ覚悟をきめると「観られる(自分になる)よう善処する」と、初めて二人の未来について真剣言葉を発した。

その顔を見た山田は胸がいっぱいになり、セリフ練習が続けられなくなった。

karte.41:僕は見えない

前回を受けてイチャラブ度がピークに。周りに隠す気あるのか?というレベル

席替えの結果市川廊下側2列目、山田はその左斜め前とギリすれ違い。

市川の隣は原さん、山田の隣は足立となった。

足立山田教科書シェア作戦を画策、市川が阻止。嫉妬が嬉しい山田

山田長身で黒板が見えない市川が原さんにノートを写させてもらう。頬を膨らませて拗ねる山田

休み時間「原さんが隣でよかったねと」弱気山田に「山田デカくて黒板が見えない」とも言えない市川

つい「授業中、山田しか見えない(から黒板が・・・)」と口走ってしまう。

言葉インパクトに悶絶する二人。

廊下で一部始終が聞こえていた原さんも思わずもらい悶絶。

結局席順は山田市川を入れ替えて、最前足立市川、2列目が山田・原さん、となった。

karte.42:僕は利用された

市川山田から借りた「君オク」を読んで山田から自分への好意に気付きかけるが、あり得ない希望を持たないようにその考えを打ち消す。

そんな折ナンパイがまたも襲来、しか彼女?連れ。

その場はちいが追い払うも、昼休み図書室に今度はナンパ彼女けが登場。謎の正妻アピール山田けん制する。

市川に誤解されたくない山田暴走してしまい、彼女に連れられて図書室を訪れたナンパイに、市川とのキスシーン(のふり)を見せつける強硬策に出る。

山田からするとかなりの覚悟を要した行動も、山田から市川への恋心を「あり得ない」と考える市川には「好きでもない男を利用する行為」と映ってしまった。

それは「市川ネガティブ世界観」と「山田が隣にいてくれる現実」のギャップを埋める説明としてこの上なく適切であるように思え、

市川は足をガタガタと震わせつつこれまでの全てが「ただ利用されただけの関係だった」と結論。自ら絶望する道を選んでしまう。

その選択はまた、内心抱えていた恐れから解放され、元の自分に戻るという逃避でもあった。

karte.43:僕は山田が嫌い

山田を拒絶し昼休み図書室にも姿を現さな市川山田不安を募らせる。

2日目にして耐えきれなくなった山田は、放課後市川に強引に詰め寄った。

山田はここ最近市川との接触を求めすぎていた事に負い目があったようで、

「おこってるの?なんで?」「私が距離近すぎるから?」と涙目で問いかける。

その質問に答える事すら拒否して立ち去ろうとする市川

ごめんねとつぶやき山田は恋を失った後悔の涙を流す。

涙をぬぐおうと取り出したのは、いつかの「ご自由にお使いください」ティッシュだった。

それを見た市川は「山田はそんなヤツじゃない」と分かっていながら気持ちを偽っている自分自身に気付く。

市川は「欲しくてたまらないのに決して手に入らない山田」を想う気持ちが日増しに強くなる事から逃げる口実を求めていたのだった。

自分本心を知った市川山田に歩み寄り、たまたま用事があっただけ、と弁解する。

山田は安堵からわず市川を抱き寄せるが、接触を求めすぎたことが原因だと思い出してすぐ離れ、仲直りのハグだったと言い訳

市川は精一杯素直な気持ちを振り絞って「嫌だなんて言っていない」と返した。

山田は再び市川を引き寄せると、ようやく心置きなく、愛情のままに市川を抱きしめる事ができたのだった。

karte.44:僕らはLINEをやっている

その日の帰り道。

足立山田賢者タイム市川の会話はイマイチかみ合わず市川はやはり山田との相性は微妙嘆息する。

逆に、君オクの感想市川から聞いた山田は好きな場面が一致した事で心を弾ませた。

せっかく仲直りしたのに、来週はもう冬休み・・・

とその時、突如IQが高くなった山田天啓が降り、君オクの続きを月曜に持ってくると市川約束した。

はたして終業式の月曜、山田は君オクを持ってくるのを忘れる。

別にいいと言う市川に、強引に明日渡すよと持ちかける山田

から、待ち合わせのために、LINE教えて、と・・・

あわてふためきながらもついにLINE交換する二人。

「じゃあ明日ね」と声をかけて、山田ウキウキと帰っていった。

今日12月23日だと市川は気づいていない。

2020-06-02

anond:20200602111859

学園カースト頂点の美少女山田杏奈殺害妄想してはほくそ笑む、重度の中二病陰キャ市川京太郎

だが山田を観察する内に、京太郎が思う「底辺を見下す陽キャ」とは全然違うことに徐々に気づいていき…!?

陰キャ男子京太郎の初めて恋、始まる。

陽キャ美少女×陰キャ少年のニヤニヤ系青春格差ラブコメディ!!

面白そうじゃん

2020-05-23

俺の中で今非常にホットリメイク漫画、男体化咲-Saki-

咲-Saki- re:KING'S TILE DRAW

美少女麻雀漫画咲-Saki-」のリメイク麻雀描写と多彩かつ魅力的な美少女キャラクターで人気が出た咲-Saki-を、ストーリーと牌譜そのまま、主要登場人物を全員男にしてリメイクしたという狂気作品

クッッッッソ雑な男体化によって、カマホモ感漂う部長君、知的障害感漂うタコス君、原作ノンケキャラ京太郎ホモ臭くなる、などのバグがそこかしこで起こっていて笑える。まあ正直タコス君は個人的にはキツかわいい範疇ギリギリ入ってるけどね。

anond:20200522111714

2020-01-03

2019 下半期面白かったマンガ

総じて良い半期だったと思う。

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・オレが私になるまで 2 佐藤 はつき

相変わらず構成力が高い。進行に無駄がないのもそうだけど、進行しつつ回収/再利用するの上手い。

今更だけどやっぱり表現しようとするメンタリティの選び方が群を抜いて上手いと思う。見せられるまで気づかないんだけど、見せられると「ああ。。」ってなる。「子供ってね」という感覚ではない。

それぞれのイベントはそれぞれの年頃の世界観ハイレベルに反映していて、一括りに語るのが難しい。

適切な言葉を探したけど見つからないので、ぜひ読んで感じてほしい。

このあたりの共感度の高低で本作への評価が大きく分かれるとは思う。

画についてはずいぶん明るくシュっとしたと思う。あとは枠線でこんなに印象変わるんだっていう。母さんに「ありがと」と応えるアキラの横顔が綺麗。

セーラーアキラかわいい。ブレザー派のおれがセーラー派に寝返りそうになった。危ないところだった。

印象的なイベントが沢山だけど、やっぱり最後アキラと瑠海かな。言ってしまえば10代の女性同士にありがちな痴情のもつれなんだけど、瑠海がそう思ってしまうのも無理も無い背景があり。しかし場当たり的な対応袋小路に向かうアキラを救うのはやっぱり瑠海で。

2 巻は電子書籍サイトランキングなんかでは結構良い位置にいるのも見かけたけど、もっと売れて良い作品なのでみんな読んで読んで。

出版社は電書サイトの良いとこに広告出して!書店天井に届く勢いで平積みにして!

個人的には 2019 は佐藤はつきの年でした。

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・スペクトラルウィザード 最強の魔法をめぐる冒険 模造クリスタル

前作も面白かったけど、本作はさら面白かった。ストーリー物では多かれ少なかれ都合よく話が進むと思うんだけど、本作はぜんぜん都合良くないんだよね。登場人物がそれぞれのイデオロギーに従って行動していて、なかなか収束する感じがしない。そこに生まれる摩擦や軋み、人間臭さにずっしりと覆われる感じ。

そう書くと重そうだけど、エンタテイメント感が増しているので読みやすくなってる。ファンタジークラシカルさとアメリカンアクション物感を混ぜたかんじ。

人間臭くて、静謐さ荒々しさユルさが混在する世界観ユニークでカッコいい。模造クリスタルらしい大仰なやり取りも映える。

画はパッとしたなあという印象。前作と比べると疎密とか引き寄りのバランスが良い気が。読みやすくなってるけど、ダークさや静謐さも前作以上に上手く出てると思う。フェニーとスペクトラは最高にカワイくてカッコいい。

おおむねスペクトラの内面フォーカスしつづけていた前作と異なって、ドラマの中にスペクトラの内面を埋め込んでいるように見えた。(前作もリレントレス~はそうだけど。)

良く消化されていて、このへんもエンタテイメント感に貢献していると思う。だけどやっぱり重要局面ではスペクトラの内面回帰していて、「板挟みにはうんざり」「日常に戻ろう」と言ったスペクトラを襲う展開の悲しさに言葉を失う。

模造クリスタルフォローしていない人はこの機会に是非トライ。高いと思った人はページ数を見れば納得!

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ヴァンピアーズ(1) アキリ

マンガ演出を新たなレベルに引き上げたと言ったら大げさ?

個人的にはそのくらいインパクトがあった。ここまでやるんだっていう。どこにもスキがないってゆーか。

画は見どころしかなかった。背景まで演出に動員しててスゲーし、ヒトはもちろん良い。

一花の表情がいちいち良い。「げぼく・・」の表情とか特に好き。

話としては一つ屋根の下でデッドロックした関係にあるカップルとその周辺キャラが繰り広げるドタバタってことで良いのかな。

この構図はなんとなく全盛期の高橋留美子っぽいなあと思った。

百合オタやマンガオタなら読まない理由はない。もちろんそれ以外の人も楽しめる。基本的には面白おかしく楽しく読める百合モノなのでオタからライトまでわりと広い層にアピールすると思う。

同時に凡庸マンガ表現バキバキに踏み砕いて進む戦車のような作品。強い。

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・僕の心のヤバイやつ 2 桜井のりお

京太郎カワイイなあ。おねえと山田京太郎カワイくてしゃーないな!おれも京太郎カワイイ!

最初のころは山田殺すとか言ってたのに、最近では女子コミュニティ平和維持活動とか山田の護衛がんばってるもんね。

ちゃんPKO部隊かよ~。

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・うちの息子はたぶんゲイ 1巻 おくら

ある状況を受け入れ可能にするのは(親子の間柄とはいえ)愛ではなくて聡明さなんだな。という感想。もちろん愛を否定するつもりは無いけど聡明さが無ければ愛は意味を持たない領域があるんだなあと。愛による理解を試みてハマったのがシロさんのカーチャンなわけで。

こうした構図を作品世界の中でさらっと表現してみせたのはインパクトあった。理解を求めるのではなく、気付きを提示したという点が新しさなのかな。理解と気付きは似ているようで違う気がする。

おれの感想で小難しい作品ぽく見えたらゴメン。作品テイストとしては重たい演出はなく、構えずに楽しめる良作だと思う。楽しい作品

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放課後ていぼう日誌 5 小坂泰之

引き続き面白い。安定感。

ロケーション釣りスキルの面でスケールさせていて飽きさせない。釣りのワクワク感が失われないのが凄い。

ところで夏海マンガ界で一番ハイカットのスニーカーが似合うと思う。上手い。

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エクレア orange

作品バリエーションが増えてて面白かった。SF百合的なのもフォローされてたりして。いろんな方向性作品があると保守的百合作品も輝きを取り戻すなあと思った。個別作品ではあらた伊里が良かった。「許してくれるまで」はニヤニヤせざるを得ない。

まあでも、最終的に百合界のモヒカン平尾アウリが全部持ってったけどね。種籾まで奪う勢いで持って行ったよ。最高。もちろん「推し武道館いってくれたら死ぬ」もね。6 巻は全方位にレベル高かった。

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・球詠 6巻 マウンテンプクイチ

まだ 3 回戦なのにこんなに盛り上がって大丈夫なのか心配になるアゲっぷり。

梁幽館にもドラマがあって、ゲーム残酷さと美しさが存分に表現されていたと思う。高代出塁のシーンはもう先が読めるだけに泣いた。

もちろん希のホームランシーンはエモエモで最高。画的にも一番の見どころ。

野球漫画史上に残る好ゲームだったのでは。

それはそうとスタンドお姉さま方ガラ悪すぎw。らしくて好きだけど。

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・さめない街の喫茶店 2 はしゃ

想像以上に動きがあって驚いた。固定的なフォーマット最後まで行くタイプ作品と予想してたんだよね。

でも 2 巻はゆっくりと、しっかり盛り上げてて。本作の"らしさ"が感じられる良い演出だったと思う。

画が良いだけのマンガだと思ってる人はぜひ手に取ってほしい。

とはいえ、やっぱり画は最高で。

画が良いと調理工程も楽しく読める。自分食べ物マンガ好きだけど調理工程はほぼ読まないので(シロさんが酢豚に入れたのがラー油なのかデスソースなのかわからない)、本作が唯一調理工程まで読む食べ物マンガだったりする。

2 巻はトルココーヒ淹れてるとことか、穴ドーナツ揚げ中のシーンとか印象に残った。

他にはスズメの表情も面白かった。笑顔イラッとしてるとことかブツブツ言ってるとことか。

スズメヒナのキャトルに舞台を移した続編とか出ないのかな。スズメヒナのキャトルもっと見たい。見たい。

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廃墟のメシ2 ムジハ

2巻はさら面白くなってた。相変わらず端々ににじみ出るコメディ感が可笑しい

突っ込むべきなのか突っ込んだら負けなのか。

ストーリーも先が気になる要素が色々で期待させる。

画も相変わらず良い。動きのある画も楽しいし、座ってるだけ、立ってるだけ、歩いているだけの画もいちいち良い。

上段見開きにハルカの後姿のシーンが2つあったけど、どちらも良かった。奥側も良いし、ハルカが少し膝を折ってる姿勢がぽくて良い。髪の流され方も。

エレベーターの前に立ったシーンみたいな背中に重心がある立ち姿が好き。

サンダルで塔から出てくるシーンがイイね。塔がカッコいい。家に帰ってきたシーンとかも良い。

俯瞰で寄った時のハルカもイイ。まあだからだいたい全部良いんだよ。

ストーリー物であっても、毎話毎ページいろいろな方向からしませてくれるのがうれしい。

(先が気になる以外に見どころの無いストーリー物も多いからね。もちろんひたすら丁寧にストーリーを追っていく良作もあるけど。)

かなり広い層が楽しめると思う。もっともっと話題になって良いと思うんだけどなあ。潜在読者かなりいるはず。

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・LIMBO THE KING(6) 田中相

ひたすら丁寧にストーリーを追った良作だった。完結。

ブレない世界観タイトな展開、ストイック表現。ここまで絞り込まれ作品は近年珍しいのでは。(おれがストーリーあんま読まないのでそう思うだけかもだけど。)

完結したし読んでない人はまとめて読むと良いんじゃないかな。最初は一気に読まないと追いにくい。

ガワは SF ではあるものの、テーマとしてはヒューマンってことで良いのかな。とは言え LIMBO という仕掛けは作品重要な土台ではある。

パンデミック物としてみた場合でも新しいアイデアじゃないかな。こういう攻めはマンガ小説みたいに読者に時間が与えらているメディアが向いてるなあと思った。

作画は狭い画角に人の表情を中心とした密度の高い画が続く独特な感じ。作品の内容にマッチしている。というかそういう狙いでそうなってるんだろうけど。大きな流れの中にあって、全体像をつかみかねる登場人物たちが何が起きているのか模索するという構図がすごくそれらしく表現されてる。

人の表情や人体はさすがに上手い。作画バリエーションに乏しくてカオばっか描いてるマンガとは違う。イケメンたちのイイ表情をたっぷり楽しめる。

個人的にはセスが好きかな。表情に乏しいんだけど、そのせいで余計に思ってる事が出てる感じとか上手い。

ヒューマニズムとしての構図や展開はよくあると言えばよくあるんだけど、そんな批判を「だから何?」と軽く払いのけるタフさがあり、このタフさこそが王道と呼ばれる何かなんだろうと思う。

ルネの記憶の中で、アダム希望を与えたものが、アンジェラから受け取った自身言葉が、ルネに希望を与える。アダムの望みがルネの心を捉える。このシーンは何度でも胸をつかまれる。

最近では珍しいドストレートで良質なヒューマンなのでみんな読むといいよ。マンガにこだわらず良いコンテンツを探している人なんか特に

2019-09-23

Wikipediaは衰退しました

2010年代になって、Wikipediaはかなり衰退したと思う

昔に書かれたコンテンツが残っているからまだ体裁を保てているけど、よく見るとかなりボロボロ

2008年現在」とか書かれていて10年以上更新されなかった文章がかなりある

編集に関わる人間はかなり減っているんじゃないか

今日これを書いているのは、昔だったら放置されなかっただろう宣伝的な文章を見かけたからだ

大本」(おおもと)という宗教団体がある

そこの偉い人(故人)の出口直日のページがやけに一方的だったので履歴確認してみたのだ

そうしたらOomotowebmasterという名前ユーザー2013年編集していた事がわかった

名前からし大本関係者であろう

一部の抜粋だが、出口栄二と対立した事に関する記述はこう書き換えられていた

直日の長女出口直美の夫・出口栄二大本総長が率いる派閥と、楽天社(大本芸術部門)の出口京太郎(直日の長男)を中心とする派閥対立していた[1]。1976年京太郎大本総長就任[5]。80年代になると内部対立が激化し、直日は四代教主内定していた長女・直美の継承を取り消し、他家に嫁いでいた三女・聖子を出口家に復籍させて大本四代教主とした[6]。1990年、直美・栄二夫妻は大本離脱して「大本信徒連合会」を結成、

しかし、出口栄二は忠告無視して、その指導抵抗し、求められる誠実に反する。直日は最後最後まで忍耐をもって正しい信仰のあり方を教え諭したが、出口栄二は聞き入れず、教主の神性を、根本的に否定して大本神業を甚しく阻害。ついには大本教団を告訴するに至った。大本信徒、また社会へ与える混乱をこれ以上看過することは出来ず、直日は、長女・直美の教主継承を取り消し、三女・聖子大本四代教主とした[8]。 1990年、直美・栄二夫妻は大本離脱して反教団団体大本信徒連合会」を結成した。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%87%BA%E5%8F%A3%E7%9B%B4%E6%97%A5&diff=prev&oldid=46433348

かなり大本側に偏った記述になっていて、昔であればこういう関係者宣伝的な記述はリバートされていただろう

そういう記述2013年から5年以上も残っている

編集する人が、監視する人が、減ったからであろう

十分な目玉があればWikipediaはうまくいくだろう

しかし今は目玉が足りないようだ

自分は何年も前にWikipedia失望した

今でもちょっとした誤字に気づいた時などは修正することもあるけど、積極的に関わるのはやめにした

失望してやめる人数よりも、希望をもって始める人数のほうが多ければ、Wikipediaは発展していくだろうが、今は逆になっているようだ

自分は、今からWikipedia編集者になる事はおすすめしない

寄付することもおすすめしない

一度破綻したほうがいいと思う

Wikipedia寄付運営しているのは中立性を保つため、というのが名目

それがどうだ

実際は規約に反してこっそり宣伝したもの勝ちの場を提供しているだけだ

これだったら企業営利運営していたほうがマシであろう

Wikipediaコンテンツルールに従えば流用する事が許可されている

Wikipediaがなくなっても、コンテンツを引き継ぐサービスが出てくるだろう

それが今のWikipediaよりよくなっているかはわからない

からないが、今の自分にはそこに希望を見ることしかできない

2012-02-21

ミラーマン

二次元世界に住む父と、アニヲタの母の間に生まれた鏡京太郎が、鏡の光を利用してミラーマンに変身し、地球侵略を企むインベーダーたちと戦いを繰り広げる様を描いた物語だ。

2010-12-08

アニメ版咲-saki-を見返してるんだけどさ

こんなに主人公が成長しないアニメってんのも珍しいよね

実力的に全然伸びないのは、入ってすぐに大会があるからだから仕方ないけど、

なめた行為をし続けて、その度にのどかちゃんに叱られるという精神面での成長のなさがすごすぎる。

のどかちゃんの咲への怒りというのは最後最後まで咲に届いたのだろうかかなり不安だ。


逆に精神面で成長するのは、池田、衣なんだけど、次のステージ彼女らには用意されていなくてお払い箱。

というより、彼女らが成長したところで主人公には敵わないだろうという世界観なのだから、

咲-saki-というアニメは、

「怪物みたい人間が急に現れて今までの自分世界をぶっ壊し、さらにナチュラル挑発してくる。

その中でいか自分立ち位置を見つけるか?」

そういうものを突きつけているアニメである


和は、チームメイト親友という隠れ蓑をかぶることにより咲に敵でないというシグナルを送り、

チーム内での序列付けをあいまいにしようとする。結果、対等っぽくみせ、咲が活躍することで自分もその位置にいるように思い込む。

咲への好意は自分への好意の裏返しであり、あいまいな状況を甘受している自分へのいい訳だ。


優希に至っては精神状況はぼろぼろなはずで、何度も麻雀を投げ出したがってるだろうし、実際いやになっちゃうこともあるんだが

飼われているという状況を受け入れていて、咲と和を上にみながらも愉快な友達役を熱演している。

京太郎に手を出すのは、部に自分のスペースがないことへの反動であり、自分のスペース作り活動の一環だ。


まこは、選手であることを半ばチーム内ではやめてしまっていて、部長のことをよく知る先輩役として身を慎んでいる。

部長は、選手として尊敬されないかもしれないという危機を素早く感じとっていて、部の管理者としての立場を強調する行動を取る。

いわば、まこと部長は咲、和が来たことで初めて運命共同体となれたわけで、まこと部長過去を回想するというのは、

乗り越えてきた困難の確認でなく、一種のノスタルジィ、懐かしき良き思い出を確認しあう方法として機能している。

(そうなると、やっぱりすごいのはかじゅということになるだろう。

咲を目の前にして自分というものをやりきり、桃子の前に立つ姿というのは、白馬王子様としかいいようがない。)


圧倒的な力を持つ相手が、やけに親切で自信がなく、けど、自分に対して麻雀好きなんだよね?

と確認、返答させてから、ぼこしに来て差を見せつける。

実生活でも、能力社会ってそういうものだと思うが、やっぱりあんまりにもひどすぎるんじゃないか

佐天さんは必死にあらがってみたけど、咲のキャラは甘んじた。

いや、佐天さんも結局、へらへらと愉快な友人役になることを受け入れたのであり、

人達世界を救おうとする物語では友人の視界から消えてしまっていた。

2009-09-28

なぜアニメ咲-saki-」は失敗したのか?

2008年アニメ界を一世風靡したしたアニメがあった。その名を「ストライクウィッチーズ」と言う。

放送前に誰からも注目されていなかったそのアニメは、斬新な発想と確かな描写をやり遂げ「マクロスF」「コードギアス」というビックタイトルが放送される中、

アニメオタクの支持を一心に得て大成功のまま幕を降ろした。それをきっかけに名を馳せたのが制作会社GONZO 第5スタジオ」であった。

ストライクウィッチーズ2期を待望される中、5スタが次に手がけたアニメヤングガンガンにて連載中の「咲-saki-」と言うマンガだった。

コミックス2巻が出る頃にはアニメ化オフォーがあったと言う人気タイトルである。物語の区切りになる大会決勝戦の終了の目処がつくであろう時期にして待望のアニメ化であった。

「あのストライクウィッチーズを作った5スタが咲-saki-を作る」……原作ファンは歓喜に震えた。実際に放送されたアニメ咲-saki-」はその期待に応える素晴らしいクオリティであった。

だが、半年の放送を終わろうとしている今、アニメ咲-saki-」は失敗してしまったと言える。それはなぜだろうか。

【失敗の原因その1】 アニメスタッフ解釈の違い

当初こそ原作を尊重し、原作の良さをさらに広げる神演出をしていたアニメ咲-saki-」であった。

原作時の穴の埋めた小手返しの追加、染谷まこの実家の良改変、そしてもっともたる例が第3話でヒロイン原村和が主人公宮永咲を想い、自身の指に口付けするシーンの追加だ。

これは連載版ではあったものの、コミックス収録時に修正された幻のシーンである。それをアニメで復活させた偉業にはすべての原作ファンが大喝采をあげた。

 

だが、放送が進むにつれてほころび始める。

おそらく最初のほころびはコアな人気を持つキャラクター、鶴賀の蒲原の笑い方であろうか。原作では「ワハハ」と描かれているものが

アニメでのイントネーションが「ワ~ッハッハァ~」なのである。

非常に些細な違いではあるが、ここで初めて視聴者が首を傾げた。だがこの当時はまだ本編の面白さが保たれていたのでさほど気にされず流されていった。

 

そうした細かい所で未熟な描写が多々あるものの、各個人の「気付き」の能力の差によって大騒ぎにはならずに済んでいたアニメ咲-saki-」であったが、

ついにブーイングが巻き起こってしまったのが、そう。副将戦での「特急券だー!」である。これはもう原作を読んでいた古くからのファンには到底受け入れられない棒読みっぷりであった。

こんな、演技指導で即座にどうにでもなる一言にゴーサインを出してしまう愚かさ。いかに制作陣の解釈がファンと掛け離れているか痛感してしまう一幕であった。

 

その「アニメスタッフ解釈の違い」が最悪な形で出てしまうのが決勝、大将戦である。

龍門渕高校、天江衣が出上がりをする際の演出が原作では「爆発」に対してアニメでは「炎上」になってしまっている。

それまで海底撈月と言う「待ち」の上がりで猛威を振るっていた天江が転進、「攻め」に出た時の脅威を演出したのが原作での「爆発」と言う魅せ方であった。

それがアニメでは魅せる事を考えていないような迫力のない炎の炎上でさらっと済まされてしまった。

事実上ラスボスたるキャラクターの一面を確実に削がれてしまった。

 

さらに致命的なのが主人公宮永咲必殺技「嶺上開花」を「槍槓」で阻止する鶴賀の加治木ゆみのシーン。

原作ではカンをし、嶺上牌に手を伸ばそうとした所にイメージ演出として槍が降り注ぎ、「その嶺上牌、取る必要なし」とツモを制す非常にかっこいい見せ場の一つであるのだが、

アニメでは宮永がツモろうとするシーンがなかったために「取る必要なし」というセリフだけが原作通りで空回り。

副将戦の原村和vs龍門渕透華のコスプレイメージ演出を流用したような安易さも合わさって非常に滑稽な一幕となってしまっている。

 

このように、初期こそ非常に秀逸であった描写も放送中盤を過ぎたあたりから無残な醜態を晒すようになってしまっている。

この「解釈の違い」は単純に「原作と違う」事が問題なのではない事を声を大にして言いたい。原作と違っても面白い例もある事は「けいおん!」や「大正野球娘。」の成功が証明している。

咲-saki-」は原作と違ったが故に、つまらない。では何故そうなってしまったのか?

 

【失敗の原因その2】 大将戦終了を原作連載と足並みを揃えようとした弊害

彼ら、アニメスタッフらはいつからか気付いてしまう。うまく調整すれば「原作連載とアニメ放送で同時に大将戦を終わらせられる」ことに。

それは確かに実現できれば否応なしに盛り上がるであろう。

その為の犠牲に、原作ストックは途中から加速度的に消化されていく。原作連載もアニメが追いつくのを待っているかのように休載を続ける。

元々休載の多い作家であったが、過去例を見ないほど休載が多くなる。そもそもアニメが放送中に連載が休載など前代未聞である。もしこれをただの偶然と思うようなら、とんだお花畑である。

 

加速した原作消化スピードは細部に配慮する余裕がなくなり、あれほど秀逸だった演出は見る影もなくなる。

(予断だが、「ストライクウィッチーズ」を当初からその演出の秀逸さで評価していた某ブログは、咲-saki-考察対象にしていたものの決勝先鋒戦を最後に筆を取らなくなっている)

ひたすら原作トレースするかのごとく消化していく。

ただトレースするだけならともかく、先へ先へと進めるために緩急がなくなり、落ち着きのない展開になってしまっているせいで「麻雀」という「静」の闘いにアニメ的「動」を与えた

初期の秀逸さも当然なくなる。

 

かつてアニメとらドラ!」が原作文庫刊行とアニメ2クール放送終了の足並みをそろえようとし、文庫1冊分をアニメ2話で消化し、描写が圧倒的に足りなくなり、

説得力もなく感情移入も出来ない無残な結果になった。あの過ちに近いものを「咲-saki-」はやってしまったのである。

 

【失敗の原因その3】 個人戦

放送途中で原作に追いついたアニメは当然オリジナル展開に突入する。そう、個人戦である。今まで登場した多くのキャラクター達が今度は一人一人の戦いをする。

あのキャラとこのキャラが戦ったらどっちが強いだろう? そんなファンなら誰もが想像する夢の対決の実現。それを放送途中で原作と同時に終わらせ、余った尺を使って実行した。

 

だが「アイシールド21」を例に、オールスター展開がいかに失敗するか論じられたのはまだ記憶に新しいだろう。

その上、今まで登場してきた多くのキャラクター達の見せ場をたった数話で見せようなんて到底無理な話である。

 

そんなアニメ咲-saki-」がオリジナル展開で何をしたかと言えば、原作で一度やった事の再利用である。

 

咲は一人で迷子になり、和はそれを追いかけ叱り、タコスは試合数を勘違いし、部長は牌を叩きつけ、京太郎パシリにされ、キャプテンは開眼し、

かおりんは「みっつずつみっつずつ」をし、むっきーは「私なりに精一杯」と言わされてしまう。

アニメオリジナルとして新しい物が何一つとしてない、実にみすぼらしい作劇である。

唯一の要素としてあるアニメオリジナルキャラ、南浦数絵も「南場になれば強くなる」というタコスの類似能力しかなく、なぜ南場で強くなるかと言う理由付けもなく、

人数不足で個人戦にしか出場できなかったというおいしい設定を与えられながらも大多数のキャラと絡むことなく消えていった。

 

そしてアニメの不出来さは頂点を迎える。そう、個人戦の結末だ。それまでアニメ咲-saki-」の劣化に気付かなかった最後の極少数もさすがにNOを突きつけてしまう。

これこそがアニメスタッフの未熟さが最大限に表れた結果であった。

「個人戦の結果」という事実を持って、すべての視聴者アニメ咲-saki-」は失敗していた事に、ようやく気付いたのである。

 

 

個人戦終了後、最終回に向けて全キャラクターが一堂に集結する合宿に入る。個人戦ですら持て余していた大人数をたった2話の合宿で活かせるはずもないのは言うまでもない。

だがそれでも一応の体裁を整えた展開をもってアニメは放送を終えようとしていた。

 

そのラスト2分。

全国区キャラクター達が大挙して登場する。その特徴的なデザイン原作者が連載のために先行してデザインしたものであろう事が容易に察せられる。

そんな魅力的なキャラクター達が派手な活躍ダイジェスト的に見せる映像の興奮度の高さが逆に、物語として前後の描写の必要ない場合、すなわち原作の優秀さだけを借りてきた時に

その魅力を最高に発揮するという証明になってしまったのは、何とも皮肉な幕の引き方である。

 

 

咲-saki-」という作品は魅力的だ。それは誰しもが認めるところだろう。だがアニメとして他者に渡った場合、必ずしもその魅力を維持し続けるとは限らない。

アニメ咲-saki-」は優秀な原作無駄に消化し、せっかく神アニメになり得たチャンスを逃し、「GONZO 第5スタジオ」と言う台頭していたネームバリューをも失墜させた。

見紛うことなき『失敗』である。

 
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