京太郎っつー人が、シーライオニングというのは修辞疑問文による悪質な攻撃のことであり、問題視するに値する、みたいなブログを書いて、それに対してブコメで賛否がよせられてる。
まあ七割くらいが否かな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/tatsumi-kyotaro.hatenablog.com/entry/2020/07/18/231036
たださぁ、このブクマカから京太郎への批判が、なんかズレてんのが多いんだよな。
「ヘイトを口にしてる婦人が悪いだろ」とか、「『修辞疑問文は攻撃性があるからダメ』は、普段キミらが批判する、トーンポリシングによる対抗言論封殺だろ」とかが多いしスターも集めてるけど、そこじゃなくない?
記事を読めば、京太郎はこの辺の批判は既に想定済みだろうことがわかる。
以下の部分だ。
無論、シーライオニングをしたからと言って即座に倫理的に批判されるべきだというわけでもないのでここに関しては注意しなければならない。シーライオニングを行うことそれ自体は如何なる場合においても正当化できない行為というわけではない。
これは例えばシーライオニングを行う者が社会的マイノリティ、被差別者だった場合を考えれば十分だろう。あの漫画で描かれていたのがアシカではなく黒人だった場合、婦人の発言は単なる個人的趣味趣向の域から逸脱してしまう。
念のため、別の言葉でも言い換えよう。(言い換えが間違っていると京太郎氏に指摘されれば撤回する)
「婦人が強者でアシカが弱者である場合は、婦人の発言は同じでもヘイトや差別となるので、ヘイトへの弱者の抵抗として、アシカが修辞疑問文戦法をとることは正しい行いとなる」と書かれてるわけだ。
はい、こう言い換えれば、ポリコレに疑義を持つはてブァーのみなさんは猛烈に反論が浮かんだだろう。
とかが浮かんだだろう。
少なくとも京太郎は、状況や文脈によるという条件付きだが、婦人の発言がヘイトになることもあるとわかってるし、シーライオニングすんなって言うのはトーンポリシングによる弱者黙らせになることもあると、わかって書いているわけでね。
トーンポリシングとかwhataboutismとか、同じこと何度繰り返すつもりだろうね よくわからない単語を得意げに振り回した挙句、意味が知れ渡ってみると自分らも同じことやってたのが露呈...
分かってなかったのはおまえだけだろ
アシカは、 "It is meant as a metaphorical stand-in for human beings that display certain behaviors"(拙訳:ある種の振る舞いを見せるヒトを代理する隠喩を意図している)そうで、"not analogous to a prejudice base...
「差別的意図はないのですが」ってやつね