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2015-01-11

他人の不幸を動画で見る人たちのポジション野次馬

不謹慎なことかもしれない話だけど、ぶちまけたいので書いた。

あんまり文章書かないから汚い文です。

今、振り返ってぞっとした記憶ことなんだけど・・・

現在自分の中で何かの折り合いが付いていない件がある。

それは、他人の不幸の前にたった自分のことだった。

大阪住まいだが、阪神大震災の時はあまりの揺れに恐怖で飛び起きたことしか覚えていない。

でも、そんなに自分の周りで家を失ったとか、被災して亡くなったって人はいなかったので隣の神戸の有様には新聞TVしか見たことのない現実にどこか上の空になっていた。

あの時見た報道内容が、震災の怖さなんだなって程度に思ってた。

当時はネットが普及していなくて、自分センター試験受験の年だったのでそれどころじゃなかったのだ。

というか、むしろ受験勉強の年にあんな事態になっても、勉強のことで頭がいっぱいだったので思い出に残らなかっただけなんだろう。

だが、2011年の震災の時はその受け止め方が変化した。

TV被災して川に飲み込まれる人を撮影した動画画像ネットに散乱していたのだ。

遺体が流れているのはあそこだとか、今あの動物が水に飲まれたよねとか某動画サイトで多くの人が見てコメントを流していた。

流されて悲鳴をあげて、それが消える瞬間とかリアルな人の死を動画サイト自分は見てしまったのだ。

あのとき、すごく衝撃的でコメントできなかった。

コメントできる人が、怖いって感じた。

でもコメントできない自分も恐ろしいって思った。

べつにコメントすることで何か得るものがあって前向きなものになるってことでもないというのはわかってる。

見たあとに本当にいろいろ思ったんだ。

TV報道されない部分を見て、報道規制のないもっともっと残虐な他人の不幸を見せろと言わんばかりの煽りコメントがある件には言葉が出なかった。

しかし、言葉の出ないようなものを見ている自分の中の野次馬根性もひどいもんだと落ち込んだ。

臨場感あふれる悲惨さ、残酷映像、溺れてる人の姿を見てもこれはすぎた過去なのに、どう視聴していいのか戸惑い、怖くなって閉じてしまった。

中には被災者に祈りを捧げます。無事でありますようにって祈るコメントも多くあった。

だが、大抵のコメントが「すごい・・・」「やばい」「逃げて逃げて」「そんなとこいるな」「ひどい」「日本終わるのか」「あの犬逃げて」「うわあああああ」

とか過ぎ去った過去動画を見ながら、映画館アクション映画を視聴している時のような印象が圧倒的だった。

モニターの前に映るものを、全て現実の中から切り取ってきた事実として位置づけているのに、どこかアクション映画のように眺めている感覚だったんだ。

興味本位であんなの見るんじゃなかったって当時、思った。

だけど、興味があったからあの動画を見たのは自分だ。

選択したものに関心があったか自分はあれをクリックして見ていたんだ。

結局、それが自分以外の他人の不幸だから見れるってだけで見てしまったんだろうって言い聞かせて画面から逃げた。

近所で火事が起きて人だかりができて見物するのも、こうして動画を見て人の不幸にコメントするのも・・・結局は他人の不幸で飯が美味いっていうものなのだろうか。

自分じゃない他人が苦しんでる姿を見て、なにができるかって思考がすぐにあの時、自分は思い浮かばなかった。

ただコメントで「無事でありますように」「冥福を祈ります」とかそういう言葉を送っても、届くものってないんじゃないだろって何度も何度も思考したけど答えがすぐにでなかった。

少ししてから義援金を振り込むという金策援助に自分の中で落ち着いたけど、動画を見てると人を助けるための、人の力になるために必要な最速最短の思考決断が鈍ったのは事実だった。

他人が苦しんでるから助けたいので義援金を送るっていう選択をしたってことになかなか困惑したんだ。

自分は、「あの動画を見て野次馬をしていた。好奇心に満ちたハイエナみたいなもんです」って心を隠してあの頃日々を過ごしていた。

まりハイエナ行為をしていたけど、後ろめたさを感じながらあなた方の不幸を知って支援に関わっていますって己が惨めでたまらなくかんじてしまったんだよね。

多くの人が困ってるっていう状態を知る手段が、あの動画で心理迷路に入ったんだ。

パニックになりそうだって思った。

人間の本性で「他人の不幸で飯が美味い」に落ち着く人って、自分のほかにもいるのかなって今でも思ってる。

2015-01-05

おっさんの俺が大好きだった元カノに本当に一瞬で冷めた話

彼女一年近く付き合ってて、彼女同級生に他好きされて別れたのが今年の夏目前の6月頃だった。

結構彼女のほうが年下だったが彼女のことが大好きだった俺はすごくすがってしまった。

なんせ彼女は俺のどこにも不満はないって…だから余計に離したくなかった。

まぁ結局は別れを受け入れたがその日から俺の心はずっと暗く、どうしても前向きになれなかった。

まだどうにかなるんじゃないか…そう思いながら月に1回ぐらいご飯に誘ったりしていた。

そうしないと彼女との関係永遠に終わってしまう気がしたから。彼氏に聞いたら彼氏ダメって言ったって断られたことも何度もあるが

大抵はその数日後には彼氏内緒で会ってくれてた。

 

そして冬も目前に近づいてきた10月頃、SMSで新彼と別れた的なことを投稿していた。職場自分と同じ彼女仕事中にそのことを思い切って聞いてみた。

「別れましたよ」その言葉不謹慎にも俺の心はときめいてしまった。しかし、彼女の方から振ったくせにまだ相手に思いが残っているらしい。

多分それは時間が解決してくれるさ。そう思いながら以前よりご飯に頻繁に誘うようになった。

だが友達と遊びまくってるので時間がない、そう言ってあまり会ってくれない。たしか彼女友達がすごく多い。

自分には友達ほとんどいないのでうらやましくも思っていた。まぁ今はLINEなどのコミュニケーションツールがあるので連絡しやすからな。

なんせまだ20歳彼女中学生の頃には携帯を持っていたらしい。俺の学生の頃は携帯じゃなくポケベルってレベル時代だったんだがな。

まぁその話はおいておいて、去年のうちに2回ほどご飯に一緒に行って彼女スマホ音楽を入れてあげるってことで俺の家にも2回ほど来た。

そして「今でもすごく好きだ」って彼女に伝えた。しかしなにも言ってくれない。付き合えないでも今は好きじゃないでもなんでもいいから言って欲しかったんだけどなあ。

 

そしていつから彼女はいつも不機嫌になっていた。特に俺と話す時はきつめの言葉が多かった。

そりゃ彼氏と別れたんだし、俺が好きって言ったから余計かもと思っていた。

俺は元々無理は承知だったから嫌われたら諦められるって思っていた。運良ければまた一緒にいれるかなとも思っていた。

そんな感じが今年の元旦まで続いた。2日はお互い休みだったがもちろん会う約束なんてできずに俺は家でゴロゴロして過ごした。

そんな時、またもやSMSで衝撃を受けた。別れた彼氏らしき人物の写真を楽しそうなコメントを交えて投稿していた。ああ、また元に戻ったのか…

そんな予感は少ししていたし、こちらはダメ元だったので仕方ないと思った。それでも俺の心は彼女に囚われたまま、好きで好きでしかたなかったんだ。

 

そして翌日、職場ですごく楽しそうに俺に話しかける彼女がいた。

 

この前まで冷たかったのが急にこんなに明るくなったのは良いことなのだが

彼氏とまた付き合えたことで喜んでこんなに楽しそうに話しかけているならおかしいだろって思った。

彼氏に悪いから俺には今まで通り冷たくってならわかるけどまた付き合えたからって今でも好きって言っている俺に楽しそうに話しかけるのはないんじゃないかと。

この時に俺の中の彼女への気持ちがすーっと冷めていくもを感じた。今でも好きなことは変わらないんだ。

でも意地でも付き合いたいとかそういう思いが全部消し飛んでいった。

もうアプローチする気さえ起きない。その日は淡々仕事をこなして帰った。彼女は何度か話しかけて来たが俺は普通に対応しただけだった。

プライベートな話とかいつもしていたのにまったくする気が起きなかった。

すごくいい子で価値観もすごく近くて一緒にいて楽しかったんだけどな。

別れる際にひどいこと言われた事もあったが、その時よりも今回の事のほうが俺には衝撃だった。

本当に一瞬で冷めることってあげるんだね。よくまとめブログとかでそういう類の話を見るけど実際自分経験することになるとは思わなかったよ。

今はもう彼氏と別れず、幸せになってくれたらいいなって思っている。てかよく考えたら俺に彼女と同じ年令の子供がいてもおかしくないんだよな。

ちなみに俺、もう38歳なんで次を探す気力も起きず。そこそこモテたけど年齢的にもうキツいしな。もうずっと独身でいいかなって思っている今日この頃だったりする。 

 

(終)

2014-12-20

事故現場撮影するのってダメなのかね

もちろん現場に一人や二人しかいないのに救助そっちのけで撮影してたらダメだけどさ、人がいっぱいいてすでに救助が行われてる事故とかさ

http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20141220/11/1369491/12/534x270x0c2bd9aed8eeb3436b7cf20d.jpg

↑こういう事故現場でさえないやつでも、撮影するのは不謹慎とか非難する人いるよね。

ニュース番組とかで視聴者撮影火事映像が流れるても不謹慎とは言われないけど、そういうのと同じだと思うんだけど。

2014-11-07

自殺したくなったらどうやって自殺するか考える。

そうなると結構気が済む。

今日は「凍死する方法」を考えた。

不謹慎だけど先日カナダ行方不明になった女性ニュース彼女自殺したとは言わないけど)を見て、凍死したい時はどうすればいいのかなと電車で延々と考えてみた。

北極圏みたいな寒いところで夜森に入って、睡眠薬を飲んで横たわる、とか。

いっそバカみたいな軽装でヒマラヤとか登ってみるか?いや、でもヒマラヤ聖地らしいし現地の人に迷惑がかかるしそんなところでバカ行為ダメだな・・・とか。

そしたら結構自殺したい気持ちが収まる。

こんな自殺妄想くらいで気が済むので、私の自殺願望も「自殺したいごっこ」なんだろうなあ。

2014-10-27

モナミは世界を終わらせる?」

新聞書籍広告に↑のようなタイトルの本

著者は、はやみねかおる

主人公女子高生らしい

女子高生」の「モナミ」が「終わらせる」って不謹慎だろ

児相幹部対応の件で、また世間の注目が集まってる時期なのに

マスコミ実名出してないけどググれば一発だし

と思ったが、ちょっと調べたら初出は2011年だそうな

紛らわしい

2014-10-09

[]

中山千夏君 お金が足りないのは仕方がないところもありましょうから、ぜひその中で努力をしていただきたいんですが、そのことに関連しまして、ちょっとつの事例を取り上げたいと思うんです。

 これは一九八五年十二月二十日付の週刊誌にこういう見出し記事が載っているんです。「女性拘禁者を男性監視する人権無視」という題なんです。ちょっと冒頭読みますと、「今年の一〇月二〇日、成田空港反対デモで、女性四六人(男女合わせて二四一人)が逮捕されたが、これらの女性被疑者千葉県警察署では男性看守が監視している。友人の弁護士からそのことを聞いた時、私は耳を疑った。」と、この著者も弁護士なんですが、そういうふうに書いていらっしゃいます

 警察ちょっとお伺いしたいんですが、これは事実なんでしょうか、全く女性の看守がいないということは。

政府委員小池康雄君) 警察留置場女性の被留置者が留置されている場合の看守でございますが、男性と分隔した場所留置されておりますけれども、一般的には男子留置担当業務者がその業務に従事しております。ただ、身体検査、入浴などにつきましては、その性質上、婦人警察官女子職員が行うというようにいたしまして、女性の被留置者の人権尊重した処遇を行っておるというのが実情でございます

中山千夏君 そうすると、これは特に千葉県下だけの現象ではなくて、一般に日本警察署のいわゆる代用監獄女性被疑者が入った場合、その場合には男性監視するというのが一般的なありようなんでしょうか。

政府委員小池康雄君) 例えば警視庁のように、女性だけの留置場というのがございまして、そういうところでは当然、看守、いわゆる留置業務を担当する者は婦人警察官なり女性職員ということになりますけれども、そういうところは全国的には大変少のうございまして、先ほど申し上げましたように、留置室としては分隔したところではございますけれども、留置場という施設の中では男子の被留置それから女子の被留置者がおりまして、これを同時に監視する業務に当たっております留置業務担当者は、先ほど申し上げましたように、女性の入浴の立ち会いとか身体、衣服のの検査とか、そういう女性の被留置者の羞恥心を害したり不当な精神的な苦痛を与えるようなおそれのある事柄については婦人警察官なり女子の職員がこれを行うということにしておりますけれども、その他の一般的処遇につきましては男子職員、普通警察官でございますが、男性が当たっておるというのが実情でございます

中山千夏君 今最後に、女性羞恥心を与えるような、屈辱感を与えるおそれのあるようなことは女性職員が行っているということをおっしゃったんですけれども、実際私はこの千葉県場合の被拘禁者の方たちの陳述というものを大体全部目を通させていただいたんですが、これは身体検査の際とか、そういう限られた問題ではなくて、四六時中男性看守が監視の任に当たっているということ自体が、女性が入った場合には大変な屈辱感を持つことであるし、羞恥心を持つことなんですね。

 というのは、その態様を具体的に考えてみるとわかることなんですけれども、まず大体多くの房は最近房内にテレビカメラというのを設置しているわけですよ。そのテレビカメラ監視しているのは男性なわけです。そうすると、一日中その房の中での生活男性に見られるという結果になる

わけなんです。それから、もちろん巡回で来る場合もあります。その場合にやっぱり一番入っていた人たちが問題にするのはトイレなんですね。これももちろん御存じだと思いますけれども、多くの警察署では水洗の操作を房の外でするようになっていて、それについてもやっぱり何かと看守の方が気を使っているわけですよね。看守の方から言えば気を使っていることになるのでしょうが、中に入っている女性からすれば男性にいつも見られている。一々男性に水を流してくれとか言わなくちゃならない。これは普通一般の世間で言えば、ここでも男性トイレ女性トイレと分かれています。分けてすら、男の方にトイレに行ったということを知られるというのは女の人は恥ずかしいという人が多いわけですよ。しかもその都度、紙をくださいと言って、一々男の人から紙をもらわなきゃならない。

 それから、もう一つの大きな問題は、生理用品です。生理用品も一々言って男の人からもらわなくちゃならない。それからもっと私はこれは係の方も大変だなと思ったのは、その処理ですね。使用済み生理用品の処理も、設備が整っていないためにその係の男性に手渡さなきゃならないというようなことがあるわけです。それから、さっきおっしゃった入浴とか身体検査場合も、確かに婦警さんがついておられるということはあっても、やっぱり男性の看守というもの主体になっていますから、その場で男性の看守が一緒に立ち会いをなすったり、それからまた下着の検査などのときでも、男の看守の方が婦警さんと一緒になって下着を改めるというようなことがある。これはちょっと普通一般の女性感覚からすると、もう耐えられないことなんですね。確かに男性がもう大多数、ほとんど全部と言っていいぐらい男性監視下に警察が置かれているという状態では、そういうことが起こっても仕方がないという感じがするわけなんですね。

 そうすると、男性の看守ということをもともと決めていること自体が、入ってくる女性にとっては、これはもう大変な人権侵害になってしまうわけなんですよ。これはやはり考えて、お改めいただかないと、突然というわけにはいかないでしょうけれども、少なくとも改める姿勢を持っていただかないと困ることだというふうに私は思ったんですが、いかがでしょうか。

政府委員小池康雄君) ただいまいろいろ具体的な事例について御指摘があったわけでございますが、女性の被留置者について女子留置担当業務者がその処遇の業務に当たるべきではないかという御意見というふうに思いますけれども、先ほど申し上げましたような、当然婦人警察官女子職員が行うべき問題と私ども考えている事柄につきましてはそのように女子処遇に当たっているわけでございますが、すべての処遇女子が行うことにつきましては、勤務体制等いろいろ検討しなければならない点も多々ございますので、直ちにそのようにすることはできないと思いますけれども、ただいま御指摘のような女性の被留置者にとって大変これは苦痛であるというような事柄につきましては、その中で女子の職員が当たるというようなことを今よりもさらに若干検討して改善していくということは考えたいと思うわけでございます

中山千夏君 ぜひそうしていただきたいんです。

 それから、もう一つお願いしたいのは、言葉によるからかいといいますか、その訴えが大変多いんです。からかっている側の方にすれば、つまり男性の看守の側の方にすれば気安く声をかけているつもりかもしれないんだけれども、それが女性という立場から考えますと、例えばここで口にするとちょっと国会侮辱したというので私が懲罰にかかりかねないような、そういうたぐいの言辞であるわけなんですよ。

 それは私、世間一般のいろいろな男性のありようからして、あり得ないことではないと思うんです。やっぱり警察署に勤めている方だってそういうことはあると思うんですけれども、世間一般の男性とは立場が違うわけです。特に、中に入ってきた人たちの人間的な尊厳というものについてしっかり教育されていれば、そんなこと口にするはずがないと私は思うんです。だから、その辺が女性差別に関する考え方でおくれているところがいっぱいあるので、警察悪事を取り締まるのに忙しくてそんなことまでなかなか考えていられないかもしれないけれども、少なくともそういう点にもちょっとお考えを伸ばしていただいて、そういう女性性差別的な言辞でもってからかったり話かけたりというようなことはしないというようなことは徹底させていただきたいんです。

政府委員小池康雄君) そのとおりでございまして、警察官なり警察職員というのは、ただでも大変まじめで冗談も言わないというようなことも言われておりますけれども、特に留置場における処遇というのは大変人自由を拘束してこれを処遇するという厳粛な業務でございますので、その中で今御指摘のような大変不謹慎な勤務態度があるとすれば、私は大変問題だと思います。そういうことのないように、今でもそうないとは思いますけれども、さらにそういう点についてせっかくの御指摘でございますから、徹底しなければならない、こういうふうに思います


第104回国会 法務委員会 第5号

昭和六十一年四月二日(水曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/104/1080/10404021080005c.html

2014-10-03

不謹慎かもしれないけど

御嶽山噴火被害に遭った登山客に同情できない

ウォータースポーツウィンタースポーツにも言えるけどスリルや達成感を味わいたいからってリスク無視して遊ぶのはおかしいと思う。

そういうリスク管理ができない人たちを命がけで助ける救助隊の方々はすごいと思うし同情する。

こういう救助隊ありきの風潮が嫌い。

ただし震災津波は別。あれはどうすることもできない。

2014-10-02

不謹慎の極みだろうけど、「山の偉大さ」なるものを感じるのは、快晴紅葉よりも噴火直後の山頂の写真を見た時だ。

2014-09-28

死後硬直した土井たか子にさわってひと言。

土井たか子、固いど!」

回文wwwwwつったりなんかしてwwwww

不謹慎すぎてつぶやけないので増田に吐き捨てておく。

噴火1分前ツイートの @setori_ が都市伝説になる日

敬称略

昨日噴火した御嶽山の山頂の写真を、噴火1分前にツイートした @setori_ 。

https://twitter.com/setori_/status/515695458128101376

噴火後、 @setori_ からツイートはない。そのため、安否が気遣われている。

しかし、今日未明に @setori_2 (以下、別アカ)がツイート

@setori_ 私は無事です、皆さん心配をおかけしました。

https://twitter.com/setori_2/status/515869873613070336

この別アカは、@setori_ と同一人物によるものなのか、それともなりすましなのか。いま出ている情報では判断しかねる状況だ。

@setori_ の仮アカウントです。 避難の際、スマートフォンを紛失してしまパスワードを忘れた為、ログインできなくなりました。 現在PCからログインです。

https://twitter.com/setori_2

とは言うものの、Twitterパスワードを再発行できるため、@setori_ にログインできない証拠としては弱い。

しかに、再発行できることを知らない、もしくはやり方が分からないという可能性も考慮すべきだ。

しかし、なりすましである可能性の方が高いだろう。理由はいくつかある。

なりすましではなく本人だという可能性もあるが、ここではなりすましということにしておく。

で、なりすましだとすると、 不謹慎であることを心のなかで詫びつつ、@setori_ は一種の都市伝説になり得るのではないかと妄想を抑えられない。

今回の件で、噴火1分前の画像付きツイートとともに @setori_ は人々の印象に強く残った。

そして、なりすましに対して、驚くほど多くの人が無事を喜んでおり、なりすましと主張するユーザー非難する光景すら見られる。

もしも、の話。最悪の事態に至ってしまったと仮定すると、 @setori_ からツイートは途絶え、Twitterアカウントとしての @setori_ の安否情報はこのまま明らかにされないことも十分想定される。

そうすると、 @setori_ の存在が、シュレディンガーの猫よろしく箱を開けるまで不確定の状態に陥り、そして、その箱が開けられる日はやってこない。周囲の人間にとって、@setori_ が実体を伴うアカウントなのか、そうでないのか分からなくなってしまうのだ。

一方で、なりすましを本当の @setori_ だと信じる(信じたい)人々が現れている。見たいものを見るのが人間の本性で、信じるに足る根拠がないものを信じてしまうのも人間の性だ。

このまま、なりすましの別アカを「なりすましであると断定することができなければ、 彼らの中で @setori は無事であるとの認識が固定される。断定できたとしても、@setori_ が無事なのか無事でないのか、見解が分かれ、全てはあやふや場所私たちは叩き込まれる。

この存在可能性がふらつく状況は、まさしく都市伝説的だ。

こんな妄想を吹き飛ばしてくれる「無事の報せ」を受け取れることを願ってやまない。

#タイトル修正

#無事という情報あり https://twitter.com/B0reus/status/516090875655368704/photo/1

# @setori_から「皆さん、ご心配おかけしましたが、今朝無事に下山しました。このアカウントは削除します。」とツイートあり。 https://twitter.com/sakaikunlovelo1/status/516131841233801216

オチ

https://twitter.com/setori_2/status/516153548866727936

2014-09-24

猟奇殺人事件リアルタイム報道とか

超いらないなぁ…落ち着いてからゆっくりやったらいいじゃん。近所の人の声とか超どうでもいいからさぁ。

何だろう、一番不謹慎なヤツが大はしゃぎっていう。

2014-09-17

キリスト教仏教大喜利あいにく、聖おにいさんを読んだことがない

ふとキリスト教仏教大喜利をやったのですけど、聖おにいさんを読んだことないのでたぶん内容かぶってる。でもやったんだよ。暇つぶしオススメです。

キリスト「えー!? マルイって開くの十時かー」ブッダ「きょうふのみそしるー? 精進料理ー? またー?」


キリスト、はじめての五体投地


anan、特集「愛され涅槃」「涅槃キレイになる」



「なにしろ仏滅が好きなもので」



「いまさら聞けない仏滅500」



仏滅ABC



聖書2.0」



ギークイム」「demi本?!」



キリスト「人はパン、パンパパン♪」ブッダ松下由樹?!」



ブッダ「200万乙女バイブルキリスト信者数減るわ!!」



ブッダ「Urobutchered!」キリスト「あってるの『ブッ』だけやん」





ただし、不謹慎なので地獄業火に投げ込まれたり、死後さばきにあう。ネコ和解する。

不謹慎厨が嫌い

自分の主張を無理に押し通すために正論(笑)をふりかざして相手を封殺しようとする思考停止してるだけの人間が。

不謹慎って言葉使って「自粛」を強制する日本の風潮がほんと嫌い。

実際は体面気にして神妙な振りしてるだけで、

これっぽっちも心から悼んでなんかいないくせに。

体面気にしてばっかで周りキョロキョロして大衆迎合させようとする雰囲気がある日本が大嫌い。

http://geyogeyo.blog.so-net.ne.jp/2013-05-13-1

2014-09-16

父が死んで悲しみよりもホッとした

たけしは「残酷な話だけど」と前置きをした後、「父ちゃんが死んだ時、家族が悲しみよりもホッとしちゃって」と、当時の本音告白した。

たけしは過去を振り返りながら「人でなしみたいだけど」と自身を評しつつ、父が亡くなり介護が終わった安堵から「明るい葬式なっちゃった」と、葬儀の様子を明かした。

ビートたけしが自身の父の死と介護問題への本音を明かす「父が死んでホッとした」 - ライブドアニュース

身内の介護は本当につらい。

身内だから見捨てられないと思う一方で、所詮他人

家族交代でやっていたとしても他人の行動に合わせた生活ほど辛いことはない。

特にビートたけしの父親が無くなった頃なんてまだ介護保険法が制定されていなかった時代

本当大変だったのだと思う。

しかし世の中、特に介護経験してない人の意見は次であろう。

15 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [sage] :2014/09/15(月) 20:25:41.57 ID:+mbol5y80

こういうゲススタンダードにしちゃいけない。

そうは思っても口にすべきでないことは喋らないのが良識ある大人。

http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1410779977/15

ホント介護って長期化すればするほど、早く死なないかなって思うんだよね。

夜中の下の世話や床擦れを防止させるために寝返りさせなきゃならないというのに…

ゲスっていうけど、じゃあ私ら介護やってきた人間全員ゲスなのかって。

26 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です :2014/09/15(月) 20:28:34.38 ID:ggQ3mBGJ0

>>15

実際に介護経験した人間は誰でもそう思う

そしてそんなことを思ってしまった自分に対する罪悪感と付き合いながらその後の人生を生きてる

からこうやって有名人が1人泥をかぶってこういう発言をしてくれるだけで

ああやっぱりそういう気持ちになっちゃう人も多いんだなって

ちょっと心が軽くなるんだよ

http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1410779977/26

私も救われたよ。

こういうことは不謹慎だとか、倫理的に良くないって片付けようとする何も知らない人間がどれだけ多いことか。

こういう考えを持つ有名人に発言してもらえたことがどれだけ救われたか

最近見た最高齢のAV男優に対するインタビューを載せておく

 ――日本高齢者が増えたが、徳田さんのようなスーパー老人は希少。介護医療など様々な問題が噴出しているが

 徳田氏:悪いことを言うようだけど、高齢者に対して真剣に付き合わなくていい。当人の死期がくれば、早く見送った方がいい。意識がなくなってから延命必要ない。老老介護視野が狭くなる。もっとリラックスした方がいい。

【敬老の日】80歳AV男優の奇跡「オカズは自分の出演作」 | 東スポWeb – 東京スポーツ新聞社

有名人の中には延命延命って、名医にオペ頼んで元通りにならない治療を続けるような連中が多い。

過去の栄光が今も残っているのであればそういうことも必要なのかもしれないが、ほとんどの場合過去の栄光にすがった身体の自由に動かすことができない連中ばかりだ。

周りもそいつらに賞や名誉を与えたりして、なんとか生かそうとする。

いったいいつになったら生かすことが正しいという間違った倫理観を正せるのだろうか。

こう答えるような有名人が増え、こういうスタンス高齢者スタンダードになりますように。

2014-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20140828145805

リーマン上がりのおっさんなんて、そんな大勢いらないから大変だな。

リーマンもいろいろいるけどね。

その仕事一本やりの人ほど、「誰でもできること」って

言われている他の仕事ができない人が多い印象。

団塊Jr無駄に人数だけは多いから似たような扱いになると思う。

そういう人たちが老いたときにを「どう生かすか?」という話が

意外なほど出ないし聞こえてこない。

少子化」がどうとか「移民政策」がなんだとか

議論している場合じゃないと思うんだが。

そもそもその時代の母数が多いことと、

平均寿命が延びているから残る人も多いという問題なわけで。

不謹慎かもしれないけど、その辺の人たちが一斉に亡くなるような事が起きたら

この国はどうなるんだろうと思うときはある。

被災地以外の卒業式

被災地で○年越しの卒業式ニュースを見るたびに落ち込む。

関東に住んでいた私の卒業式は中止、卒業パーティ旅行も中止、レンタル袴はキャンセル

結局3月中の適当な日に必要書類と証書だけ取りに来いと言われ、いそいそ学校に行き、卒業証書プリントみたいにはいと渡されただけだ。当たり前だが普段着だ。

証書を受け取れる期間は何日か設定されており、タイミングが合わずほとんどの友人に会えなかった。

その後就職した人もいたが、リーマンショックをモロに被ったタイミングだったこともあり(所詮言い訳だが事実だ)就活失敗した人も多かったから、お互い聞きづらい空気もあった。なので今何してるのかも知らない。

不謹慎だったからとか、自粛どうのっていうのも分かっている。

被災地が本当に大変だったことも頭では分かっている。

分かっている。

でも被災地では涙ながらに何年かかかっても卒業式をしている。

こちらはもう、そんなことはないだろう。

あの震災で誰も血を流していないし、

誰も失っていない。

全員けがもなく無事だったし。

無事だったからこそ。

あれからもう3年が過ぎた。

友達相談して決めたグラデーションのかかった綺麗な紫の袴、着たかったなあ。

2014-08-23

どぶろっく痴漢関係」を読んで、思ったこと

Love Piece Club - どぶろっく痴漢関係

http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/mejirushi/2014/08/19/entry_005292.html

話題になっていたので読んだ。

とりあえず、流し読みされやすテキストだと思った。

タイトルタレント名前が入っているので、人は集めやすいだろう。

下ネタ芸人の“どぶろっく”と性犯罪代表格“痴漢”という組み合わせもいい。

週刊誌における下世話な見出しを想起させる。

だが、肝心のタレントの話は、後半にならないと始まらない。

前半は自身痴漢体験談と「なぜ痴漢痴漢をするのか」という話。

興味深い話ではあるが、下世話な話を期待している人間にははっきり言って退屈だ。

その結果、適当に流し読みされて、間違った解釈をされるハメになる。

的を外した反論などを受けることも少なくないらしい。

話題になったテキストには、よくあることだが……。

特に“膜”についての話が話題となっている。

田房氏曰く、

「彼らにとっては、自分が相手に加害を加えているというよりも、
自分世界自分の半径1メートルを覆う膜のようなものの中に、女の子が入ってきた、という感覚なんだ」

という。

意見としては面白いが、論拠に乏しい。

引用している書籍取材されている強姦加害者は1人だけで、ケースとしては不十分だ。

それ以外では筆者の経験取材を論拠としているが、自己完結の域を出ていない。

「感じ」「感じた」という仮説的表現を多用していることが、その印象をより強調する。

それでも妙に説得力が感じられるのは、筆者の秀でた表現力が故だろう。

連続して「あの感じ」を使用するくだりは、映画を思わせる迫力すら感じさせられた。

実にドラマチックである

続けて“どぶろっく”について。

痴漢加害者の思考を“膜”の論理自己完結した筆者は、

これをどぶろっくネタもしかしてだけど』と重ね合わせる。

ここで筆者は『もしかしてだけど』の例として、次の二つを挙げている。

電車で前に座ってる女が白目をむいて寝ているが、もしかして、俺の股間を見て失神したのではないか」
「夜道で前を歩いてた女が、こちらを振り返って急に歩くペースを速めた。もしかして、俺を招くために部屋を片付けたいんじゃないのか?」

もしかしてだけど』を観たことがある人なら分かると思うが、

ここで用いられているネタは『もしかしてだけど』の中でもかなりエグい。

これらのネタは、全体の後半で用いられることが多い。

ソフトな『もしかしてだけど』に飽きてきた観客に向けられたカンフル剤的な役割を果たすためだ。

それがメロディ歌声もない言葉だけの状態で表記されているのだから

どぶろっくを知らない人には印象が良くないだろう。

事実Twitterでは、どぶろっくを知らない数人の方々が不快感を示していた。

YouTube公式動画が公開されているから、URLで紹介しても良かったのではないだろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=qj3bCb4a_9w

当然、それでも不快に感じる人はいるだろうが。

「そんなどぶろっくがこんなに老若男女に大人気なのは痴漢などの性犯罪に関する知識が日本の世の中に浸透していないことの表れである。」

“膜”の論理を用いて、筆者はどぶろっく人気をこのように評している。更に、

「「どぶろっくを笑う世界」には、痴漢などの性暴力存在しないことが前提になっている。
同じ世の中にそういった被害は実際にあるのに、その被害とどぶろっくは別々のもの認識されていて、
観ている人たちの中で、まったくつながっていない。」

と、どぶろっくを受け入れている世間に対して言及している。

今年の4月になって“膜”と『もしかしてだけど』を結び付けた人とは思えない。

自らのことを棚に上げて、よく言えたものだ。

そして筆者は、

性犯罪者のことを「異常者」「一生治らない病気」「性欲によるもの」と片付け、
社会全体で無視し、代わりに間違った認識だけを広めているためにその実態を知る機会がない。
つまり性犯罪というもの性犯罪被害者に対してもマトモに向き合ってないということである。
そして社会全体が「女性に対しての侮辱」に対して徹底的に鈍感なことが、どぶろっく流行を力強く支えている。」

結論付ける。

社会全体が「女性に対しての侮辱」に対して徹底的に鈍感」であることは否定しない。

が、その理由として、『もしかしてだけど』の流行だけを用いるのは、些か無理がある。

そもそも、

「例えば、お笑い芸人ギターを持って
「老人の家に孫のフリして電話して助けを求めてみたんだ もしかしてだけど 間違えて俺の口座に振り込んでくれるんじゃないの」
と歌っても、面白くないし不謹慎だしお笑いとして成立しない。
それは、「オレオレ詐欺」という犯罪が実際にあることをみんなが十分に知っていて、
その犯人はこういう発想で犯罪をしているということがパッとつながるからだ。
そして同時に「老人に対する侮辱」も感じ、不快な気持ちになる。」
女子中学生痴漢に遭って「マジ痴漢ってなんなの?! ムカつく!」と言いながら、
どぶろっくを見て笑っている、という状況は異常だと思う。」

などの記述から察するに、筆者は演芸に関してまったくの素人だ。

少なくとも、犯罪モチーフとしたネタは少なくない。

古典落語の分野を見ても、『穴泥』『置泥』『締め込み』『出来心』など、

泥棒主人公演目は数多く存在している。

現代若手芸人たちも、犯罪を取り扱ったネタを幾つも発表している。

例えばおぎやはぎは、「俺さぁ、結婚詐欺師になりたいんだよねェ」とのたまい、

結婚詐欺師になるための方法を二人で思案する漫才を作っている。

しかも彼らのネタの中では、かなり評価が高い)

筆者は立川談志は「落語は人の業の肯定である」と言ったことはご存じだろうか。

ことによると、毒蝮三太夫存在すら知らないのかもしれない。

女子中学生のくだりも同様だ。

痴漢経験したことによる恐怖と怒りを、笑いが超越する可能性を完全に無視している。

それが果たして異常だろうか。

我々は、我々が経験した哀しい経験を、世の中の全ての作品に反映しなくてはならないのか。

不幸にもそうなってしまった人もいるだろう。が、そうじゃない人もいるだろう。

そういう人たちは異常というのだろうか。

性犯罪者を異常と切り捨てる世間批判した、その口で。

痴漢に対して苛立ちを抱いていることは理解できる。

だが、その感情正当化させるために、“演芸”という他ジャンルを荒らすようなことをしてはいけない。

最後に、重箱の隅だが、

私も2008年どぶろっくの「男の妄想」芸を観たときから面白いと思って笑っていた。どぶろっくが好きだった。
だけど、2011年から痴漢に関し調べるようになり、今年の4月に「刑事司法ジェンダー」を読んで、
やっとどぶろっく自分が遭っていた痴漢被害がつながった。
10代の頃からあんなに痴漢に遭っていたのに、どぶろっくを観ただけでは分からなかった。

どぶろっくが好きだった」という人が、

「やっと」「どぶろっく自分が遭っていた痴漢被害がつながった」という表現を使うだろうか。

別にいいんだけど。

2014-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20140820112928

どぶろっくというの見たことなから知らないんだけど、このお笑い面白さって痴漢に結びつくような危なさも含めてのものなんじゃないの。

このネタ面白いけどよく考えると危ないです不謹慎です、とかいうけどさ、危なくて不謹慎からこその面白さてのがあるのであって、問題提起必要みたいな人ってそういうことについてどう考えているの?

過剰に不安がり自分の身を守りたがる人達によって世の中がつまらなくなるのってすごく嫌なんだが。

2014-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20140820015153

その「解釈」そのもの女性に対する侮辱である、と言う内容だろ。

例えば、お笑い芸人ギターを持って「老人の家に孫のフリして電話して助けを求めてみたんだ もしかしてだけど 間違えて俺の口座に振り込んでくれるんじゃないの」と歌っても、面白くないし不謹慎だしお笑いとして成立しない。それは、「オレオレ詐欺」という犯罪が実際にあることをみんなが十分に知っていて、その犯人はこういう発想で犯罪をしているということがパッとつながるからだ。そして同時に「老人に対する侮辱」も感じ、不快な気持ちになる。

この辺の例えを見れば分かると思うけども。

読み取れないのか、それは侮辱ではないと思っているからなのか。

2014-08-19

はてなブックマーク - 編集部からのお詫び

個人的には「レイプ目レベル

おかんの前ではまず避けるかなあ程度。

不愉快さでは同程度。

あと他には

不謹慎ジョークだったとしたら僕はすごく好きな部類です『殴ると冷たくなる美少女(瞬間冷却剤)』(略)

言われてる横で

私の感覚では正直ギリギリな気がするが、それよりも大きな問題としてはブラックジョークとして面白くないということ。面白ければ有耶無耶になってたはずで、そこが本質かもしれない

っていう。

なんていうの

個人の感じた面白さをナチュラルに一般化してるところ。

これほんと「ブラックジョークとして面白くない」のか?

不愉快ならわかる。

まあそういう個人の意見無意識に一般化するのはよく見てるし、無駄無意味かつ暴力的な意見として自分はよく黙殺するけど。

面白ければ許される」って違うだろ「面白ければ俺は許す」では?ってとこ。

前者は「僕は」って付けて個人的にしてるから誠実なのね、そこ。

後者は「私の感覚」言うてるけど「本質」とか個人の尺度を打ち消してるから

2014-08-09

中城ふみ子という歌人をご存じだろうか

31歳、乳がんで早世した女流歌人だ。

北海道帯広市野江呉服店の娘として生まれたふみ子は、左乳房の切除手術を受けたが、

がんは転移しており放射線治療を受けるも1954年になくなった。

死の直前『乳房喪失』の歌集ベストセラーになり、

死後は映画乳房永遠なれ』が有名になった。

中城ふみ子が育った野江呉服店は、開拓地都市のなかでではあるがかなり裕福で、

ふみ子を帯広高等女学校から東京家政学園に学ばせる余裕があった。

解りやすい言い方をすれば「プチブル」だった。

ふみ子の写真は多く残されているが、どこか気取っていて、

しなを作ったりポーズをとったりするものほとんどだ。若いころは特にそうだ。

彼女は「プチブルなのだ。「私はあなたたちとは違うのよ」とでも言いたげな、言い方が悪いが、

いかにも「成金」的な姿勢写真からにじみ出ているようで、私はひどく嫌だった。

彼女容姿はかなり整っている方で、それが彼女の「気取り」に拍車をかけているようにも感じた。

若いころの写真に写る彼女への印象はかなり悪い。

ほどなくして彼女結婚し母となる。結婚は恵まれたものではなかった。

苦労をして離婚帯広に帰ってきた。

その後故郷で奔放な恋愛をし様々な浮名を流したという。

写真で「気取り」を見せることは少なくなったが、

この辺りの帯広での行動はいかにも「プチブル」的発想で嫌だ。

そのうちに彼女の身体を乳がんが蝕む。

性の奔放さと、女性性の象徴である乳房喪失とを併せて、

罪と罰」と捉える論者も多いが今回の話では割とどうでもいい。

死が間近に迫った病床の彼女を写した写真がある。

なんとかという女性と一緒に写っている写真だ。

この一緒に写っている女性は顔も体もでかくて(お笑い芸人バービーに似ている)、

ふみ子と一緒に写ると自分ボリュームが強調されてしまうから少し下がって写りたい!と訴え出たそうだ。

今に残る写真では、この女性とふみ子の顔の大きさは同じくらいで、

実際に女性は何歩か下がって写真に写ったようだ。

病に侵され余命いくばくもないふみ子も、

この写真を取る際のやりとりには僅かにだが笑顔を見せたという。


不謹慎承知だが、私はこの写真が一番好きだ。

この、弱ってボロボロになってたたずんでいるふみ子が一番好きだ。

彼女可憐学生時代も性の奔放さも、実は「プチブル」に担保された性質のように思う。

病は「プチブル」的なものをごっそりそぎ落とし、何かが残り写真に写っている。

そもそも文学をやること自体が「プチブル」的だったのだが、

歌人としての才はギリギリそぎ落とされずふみ子の手元に残った。

ブルジョアジーというものを、革命でも何でもなく、がんというこの時代の不治の病が打破したのだ、と私は思う。

つの身体においての事例だが、近代の克服を自分の身体を削ることで成し遂げたのだ、と本当に勝手だけど思う。


冬の皺(しわ) 寄せゐる海よ 今少し 生きて己の 無残を見むか

2014-08-03

例の佐世保高1女子は満足したんだろうか。

人を殺して解体してみたかったという、佐世保高1女子

その願望が叶えられたのだが現在の心境はどうなんだろう、実施できて満足したのだろうか?

もっと他の人も殺して解体してみたいと思っているんだろうか?

不謹慎かもしれないが、知りたい。

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