はてなキーワード: ポジティブとは
・「新入社員だから」という理由で押し付けられる雑務(電話応対、議事録作成など)がなくなり、スキルアップに直結する仕事に集中できるようになった
・仕事の裁量・スピード感があがった(1年も経てば中堅社員の扱いになるイメージ)
・8:45出社だったところが、11:00出社になった。朝早く起きて満員電車に揉まれる通勤はシンプルに苦痛だった。最近は3:00に寝て9:00に起きる生活をしているが、夜型の自分にとっては快適ですごく寝起きが良い。もちろん電車も余裕で座れる。
・スーツから私服に変わった。スーツの縛られている感覚が大嫌いだった。あの拘束感がなくなるだけでも、のびのびと働けるようになると気づいた。そもそもエンジニアのスーツ姿は大概イケてない。外にでないし。
・「こんなおじさんになりたくない」というネガティブな気持ちが、「こんな人を目指したい」というポジティブな気持ちに変わった。死んだ目で働く大人が誰一人いなくなり、皆が楽しんで働いている。それに、自分と同年代なのに能力の高い人たちがごまんといる。
・いわゆる「オフィス感」が薄れた結果、「社会の奴隷感」も薄れた。ソファー席があったり、スタンドアップ席があったりする。なんとビールサーバーまである。オフィスの環境は楽しく働く上で重要な要素だと思う。
・形式ばったコミュニケーションがなくなり、すべてがフランクになった。関係性がフラットなのはもちろんのこと、メールさえほとんど使わない。大体のことはslackで済む。
・100時間残業の世界から10時間残業の世界へ。11時出社なので、そもそも残業の天井が低い。大体皆20時過ぎには帰る。
いいところしか書いてないので悪いところも書こうと思ったが、なかなか思いつかない。強いていえばボーナスが減るくらい。
以上、雑にまとめたブログでした。
私が嫌いなのであれば、見なくていいので、ご自分が応援する方にエールを送ってあげてほしいです。嫌いな相手をわざわざフォローして汚いコメントを書くより、綺麗でポジティブな言葉を使って好きな政治家を応援する方がご自身も気持ちいいでしょうし。日本語は言霊。本当に思います。— 杉田 水脈 (@miosugita) May 27, 2019
なんでそれがわかってるならあんなことを言ったんだ……
最近メンタル不調が続いていて、友人に話を聞いてもらったところ「致し方無いとはいえ役割が多い」という指摘を受けた。
大きくはこの三つだけれど、細かく言えば「実家寄生している恋人持ちのフルタイム勤務しているシングルマザー」。確かに山盛り感はある気がする。この度「恋人」という役割を降りて、元の「実家寄生しているフルタイム勤務しているシングルマザー」に戻った訳なんだけど、それでもまだ役割が多いと言われる。
友人は出張の多い配偶者と二人暮らし(と言っていいのか分からないくらいパートナーの出張が多い)。友人付き合いはあるけれど、実家も遠くお盆とお正月くらいしか返らないし、パートナーの実家とも疎遠らしい。仕事は忙しそうだけれど、曰く「専業主婦にもなれるけど、なったらなったで病みそうだから働いてる」とのこと。確かに身軽そうに聞こえる。
本音を言えば、ママだけの役割を全うしていたい。私の職種は地元になかなか募集が無く、片道2時間通勤に費やすため、子供の保育園への送り迎えは両親に頼んでいる。だから子供と会えるのは朝家を出る前に子供が起きていた時と、家に帰ってから一緒に食事をして、お風呂に入って、歯を磨いて、眠る時だけ。平日は平均して2時間ほどしか子供と向き合うことができない。子供が寂しがっていることは分かるけれど、子供が幼いうちに貯金を増やしておきたい気持ちもあって、今の生活スタイルを変えることができない。もう少ししたら二人暮らし用の家を買って、自分が万一死んでしまったときに、住む場所は遺しておけるようにしたいな、とは思ってる。ただ、実家を出ることで、それまで私の両親と(子供にとっては祖父母と)一緒に過ごせていた時間を一人にしてしまうので、それはそれでどうなんだろう、と考えていたりもする。私はもともと一人でいることが好きだけれど、娘は違う。「こうするよ」と私が言えば理解して納得したフリをしてくれるかもしれないけれど、寂しさを募らせると思う。それは、どうなんだろう。まだ答えは出せていない。
ワーカーとしても中途半端。フルタイム勤務をしているとはいえ「残業、いたしません。飲み会、参加しません」と宣言しているので、重い仕事は振られない。ので、大きな成果を上げることもない。福利厚生は整っていてそれを享受しているけれど、これでいいのか?と毎日思っている。加えて最近別部署の人からのセクハラを受けたりもして、なんだかな、という気持ちもある。妊娠前に働いていた時ほどの仕事に対する熱意や気力が、今はどこにも見当たらない。それでも、安定した生活を子供と送るためには、このまま働くしかない。
恋人がいた。つい先日別れたのだけれど、恋人という役割も私は全うできていなかった。シングルマザー、ワーカーという情報を開示したうえでのお付き合いだったけれど、ずっと寂しい思いをさせていたと思う。分かってて付き合ってはいたのだろうけれど、私の生活は時間的余裕が本当に少ない。朝5時に起きて、6時に家を出て、8時に会社について仕事をして、6時に会社を出て8時に帰宅し、夕飯を食べて支度をして9時頃布団に入る。移動時間は自由とは言え、移動時間も最近はしんどくて寝てしまうことが多い。恋人と会うときは家族に話して子供の夜の世話も頼み、半休を取って、午後から夜まで、がほとんど。それも有給には限りがあるし子供のためにとっておきたいので、二人で会えるのは多くて月2回。子供と一緒に三人で会うのも月に1回~連休があると3回。でも多分、恋人が求めていたのはママとしての私じゃなくて、恋人としての私。だから喧嘩も多かったし、喧嘩のたびに私はどんどん自分のことを話すのをやめてしまったから、「前は沢山話してくれたのに(愛されていないんだ)」と、思わせてしまっていたのだろうなと思う。私は私で吐き出される言葉の鋭さに辟易してしまった感が否めず、すれ違いばかりになっていた。だからこの別れは仕方ないのだろうと思う。
ほかにも。
実家にいるから、娘という役割もある。忙しい母に代わり、土日の家事の一部を請け負う。愚痴をきき、たまに怒りのはき捨て場になる。そういう家族のバランサー役も、私の役割。(母も父も、こんな私を非難することなく受け入れ、娘を本当に大切にしてくれているので、ギブアンドテイクだと思ってるからここについては言及しない)。おばあちゃんにとっての孫という役割もある。週末娘と一緒に顔を出して、夕飯を一緒に食べたり、おばあちゃんの家の片づけをしたり。
でもさ、これって、子供のいる親なら当たり前のことなんだろうね。ワンオペママなんてきっともっと大変だろうと思う。子供が二人以上いるママはなおのこと。だから私は、自分自身が息継ぎができていないような錯覚を覚えながら、それでもまだマシなほうだと思ってる。だからこそ、よけいに、普通のことが普通にできない自分に対して、失望してる。こんなに周りが支えてくれているのに、なんでこんなに苦しいのか。「役割が多いんだよ」というアドバイスは、的を射ているようで、ちょっと違う。私の的にはど真ん中なんだろうけれど、周りから見れば「その程度で」。
翌日、健康診断で某項目で要再検査。診断結果が出るまで何とも言えないけれど、と前置きをして、医師は私に見解を述べた。もし本当にそうだったとしても治らないものじゃない。保険に入っておいてよかったと思う。万一のことがあっても、これで家族には迷惑をかけずにすむ。入院となれば子供に寂しい思いをさせてしまうけれど、これでリモートワークOKになれば、子供と一緒にいる時間を増やすことができる。…こうやってポジティブに考えたって、私の心は簡単に折れてしまった。
Fなんとか社の賃金未払での炎上の件、俺も元中の人(非正社員、業務委託)だから色々言いたいけれど、特定されかねない垢で書くと怖いからここで吐き捨てることにする。
信じるか信じないかは読む人次第。
たまに社長室ではなくオフィスで大声を張り上げて詰めていることがある。
経歴(社名は出してないが)と顔出してそのことに触れつつ両垢と絡んでるアカウントもあり、信憑性はかなり高い。
少なくとも、あの会社・社長ならそれぐらいのことはやるだろう、という認識は共通して持たれている。俺も持っている。
もちろん全員ではないが、俺が関わった社員の人は8割ぐらいはこいつ無理だなと思う要素があった。
「ゴミだな」が口癖の社員とか、Slackでよその勉強会イベントにケチつけまくってるやつとか。
この社長にしてこの社員ありなんだな、と感じざるを得なかった。
繰り返しておくと、もちろん全員ではない。
一方で業務委託で入っている他の人は穏やかな人が多かった。
仕事内容とチームにもよるかもしれない。
契約は時間契約だったが、時間上限まで余裕があると「もう帰るの?」と平然と言ってくる。通常よりも上限が高い契約をしてくるくせに。
また、土日に平然と業務の電話をかけてくる(もちろん緊急の場合はやむを得ないのだが…)。
そればかりか、契約終了して抜けた後も電話をかけてくることがしばしばあった。平然とそれをやる神経が信じられない。
社員のスケジュールを覗くと、23時以降に定例会議が入っていたりする。
上記のとおり、土日に平然と業務の電話をかけてくるので土日も仕事してるのはガチ。
また、深夜作業をした社員が翌日の9時に当然のように出勤する。
V○rkersに書いてあった平均残業時間(150h/Mくらい?)はガチだと思う。
残業時間が長くて口コミ評価が高いのは高い評価を強要されてるか、宗教だから、かどちらか。
俺はもし強要するなら残業時間の方も短くさせると思うから後者だと思う。
ポジティブなレビューでも労働時間が長いことはあまり否定されていないのがポイント。
社員の労働時間がクソ長いからきっと裁量労働制か何かなんだろうと思ってたけど、ちゃんとお金払ってんのかなあと思ってたら案の定払ってなかったんだなあ。
個人的には社長も嫌いだし会社自体もクソだと思ったから製品が伸びても嬉しくないし、早く会社に痛い目を見てほしいと思っていたから、今回の騒動を見たときについに表沙汰になったか、と思った。
昨日増田で「ナウい」って言葉見たんだけどさ「ナウい」ってすごいね。どんどん使っていこうと思う。
調べたら「ナウい」って1980年代に使われてたらしいね。「今っぽくていいね」って意味の言葉だと理解してる。
何というか「A案はダサいからB案にしよう」と「よりナウいB案にしよう」だと、後者の方が言われて嬉しい。前者はちょびっと残念。そのちょびっとが、妊婦に席を譲れるか譲れないか、道に迷ってる人を助けられるかられないか、電車に飛び込むか飛び込まないかを分けることもある。
心をガリガリに削られる現代社会におけるオアシス。や、オアシスってほどすごい回復はしないけど。
なんていうか今まで
だったんだけど、③が埋まって嬉しい。
どんどん使っていこう。
世の中には「オシャレな人」と呼ばれる人種がいる。その人たちはモデルかもしれないし、流行に敏感なのかもしれないし、はたまたた自分の好きな格好をしているだけなのかもしれない。
しかし私からしたら、「オシャレな人」までいかなくとも「普通に可愛いorカッコイイ格好ができてる人」「普通に自分に似合う格好ができている人」はみんな「オシャレな人」なんだと思っている。
なぜなら、私は「“元”ダサい人」だからだ。今でも不安になるが、「普通にオシャレな人」くらいにはなれていると思っている。
なお、ここでは「そもそも普通とはなんなのか?」という議論は表題とかけ離れるため追求はしないでいただきたい。
興味ねぇーよ!って方も多いと思うが、しばしお付き合い願いたい。
私は三姉妹の長女で中高一貫の女子校に通っていた。(先に言っておくが、決してお嬢さまなどではない。読めばわかる。)そんな女子にまみれた生活をしていたにも関わらず、洋服にも化粧にも何一つ興味を持てなかった。
興味があるのは漫画とアニメと声優だけという所謂オタクであった。類は友を呼ぶもので、仲の良い友人たちも基本的には私と同じようなスタンスであった。そして残念なことに私はオシャレな同級生からはことごとく遠巻きにされるタイプであったのだ。
自宅では中高生が化粧は早いという母親の考えから化粧に関する知識は何一つもたらされなかった。服装のダサさを母親と妹たちから罵倒されることはあっても、だからと言ってこういうのが似合うとか、今の流行りはなんだとか、そういうことは一切教えてくれなかった。
そんな状況でオシャレが好きになれるはずもなく、オシャレに興味もなければ、何がオシャレなのかわからないまま中高時代を終えてしまったのである。
中高と違い毎日私服で通う大学は新鮮だった。一目で誰がオシャレなのかわかったし、ほとんどの同級生が化粧をしていることにも驚いた。化粧品が好きで集めるのが趣味、なんて子もいた。カルチャーショックである。
そもそも化粧品にまともに触れてこなかった私には<化粧品が好き>という感覚がわからなかった。え?そもそも化粧品なんてファンデーションと口紅しか知らないですよ?
だから、聞いてみた。なんで化粧品が好きなの?「お母さんが好きなんだよね〜!」
そんな私にさらに衝撃の走る事件が起きた。なんと、久しぶりに再会した中高の友人たちがみんな化粧をしているではないか!なぜ!
だから、聞いてみた。どこでお化粧を覚えたの?「お母さんが教えてくれたよ〜!」
(そうか…みんな母親の影響を受けるんだな……女の子にとって母親の影響ってすごいんだな……)
私はしみじみとそんなことを思っていた。では、私の母親はどうであろうか。
「大学生にもなって化粧もしないなんて!せめてバイトぐらいはしていきなさいよ!」
高校生が化粧しているのを見てグチグチ言っていた母親の口からそんな言葉が出るなんて。
しかも、「そもそもやり方がわからない…」そう答えた私に彼女は何も教えてくれなかった。
後日判明したのだが、母親は化粧は高校で習ってきたと思い込んでたらしい。母親の時代は高卒で就職する子も多く、学校でオフィスメイクの授業があったらしい。しかもわざわざ資生堂の人を呼んで。しかし、中高一貫の進学校にそんな授業はあるはずもなかった。とんだ思い違いである。
しかしそんな私も今は「普通にオシャレな人」になれたと自負している。きっかけは友人たちだった。
大学、そして社会人になってからできた友人たちは、オシャレに関心のある子たちが多かった。その子たちは私のオシャレへの興味の無さを心配して、似合う格好や最近の流行り、化粧品の知識などなど私に叩き込んでくれたのである。
その子たちに感化され、私もオシャレに興味が湧いたし、何より楽しいと感じることができた。今ではちゃんと自分で情報収集もするし、自分に似合う格好や色も知っているし、お化粧だってする。友人たちには感謝しかない。
大抵の女の子は一番身近な母親から、または私みたいに友人たちから、オシャレとはなんぞや?ということを学んでいくのだと思う。男の子だって例外ではないだろう。
もちろん、母親や友人だけじゃなく父親の影響を受けた人もいるだろうし、雑誌やテレビのモデルに影響された人もいるはずだ。
そうやって影響されて、自分なりのオシャレをしてみた時の周りの人たちの反応が私は一番重要だと感じている。
「今日すごくオシャレだね!」
「その格好も良いけど、私はこの前会った時の方が好きだな!」
と、そう“ポジティブ”に返してくれるだけで嬉しいのだ。
そういう言葉かけをしてくれる人が周りにいるか。それはオシャレをする上でかなり重要で、そうやってその人なりのセンスが磨かれていくのだと思う。それに、ただその一言が、その人の肯定感にも繋がってゆくのだ。
ここまでを通して私は
と感じたのである。
もし自分の周りで、最近オシャレを頑張ってるな、いつもオシャレに気を配ってるな、と思う人がいるなら、ぜひ一言声をかけてあげてほしい。
ああ待ってくれせっかくこのタイトルで増田を見たんだもうちょっと話を聞いてくれ
あと本田未央を1位にすること自体が目的の本田未央Pは、ここで読むのを辞めてもらってオーケーだ
補足しよう。俺は本田未央を応援しているが担当というわけではない
シンデレラガールズ、という作品は愛しているし本田未央も好きだが、俺は本田未央を1位にしようとしているわけではない
だから、未央Pを名乗ることはできない。応援のニュアンスが伝わるだろうか
さて、なぜ加蓮に投票するか。つまり本田未央がシンデレラガールになってほしくない理由を述べようと思う
俺の文章力が足りず箇条書きとなることを許してほしい
※挫折を味わっていないとポジティブガールの本領が発揮されないので笑顔を曇らせる必要がある
※シンデレラガールを逃した本田未央のSSや動画作品が生まれる。上述の理由もあり本田未央の魅力を引き出す最高のシチュエーションだ
※※本田未央Pがイキり散らすのを見なくて済む。一部の未央Pの言動は少々目に余る
※りあむPには悪いが、シンデレラガールがりあむの場合、言い訳の余地が生まれるのでここは上位で我慢してほしい
純粋に1位を目指している場合はここもデメリットになる。すまない
作品としてみたとき、加蓮1位未央2位が最もオイシイことが伝わっただろうか
伝わっていなければ俺の文章力の至らなさだ。本当にすまない
だが、騙されたと思ってどうか加蓮に1票を投じてみてほしい
それでは、ここで筆を置こうと思う。加蓮1位未央2位を願って。
「『キュークール』も観ているんですか。キュアキュアを観ていたってことは、そういったジャンルはかなり長いんですねえ」
「何が悪いんですか。子供の頃に持った趣味を、今もなお続けている。良いことじゃありませんか。悪い理由がない」
「いきなり、どうしたんですか。別に悪いだなんて言ってないでしょう」
フォンさんの拗らせ方は、些か厄介といえた。
「やはり子供がいると自分の時間が徐々になくなって、以前のように趣味に没頭できなくなるでしょう」
「子供を言い訳に使う人は、所詮その程度だったんですよ。ワタシはキュアキュアを観ていました、子供と一緒に!」
「なぜ、そこまで“子供と一緒に”を強調する」
“現在の社会的生活を維持しつつ、趣味も維持する自分”というものに並々ならぬプライドがあるらしい。
“趣味を継続させる”って意識が、そもそもズレているような気もするが。
「この歳になっても最新の動向を追いつつ、長年続けていくのは趣味だとしても大変でしょう」
「別に大変だと思ったことはありません。仮に大変だったとして何も問題はない」
「ふむ、確かに。自分はこの年齢になってからアニメを熱心に観るようになりましたね。たまにちょっと疲れていて、観ている途中で寝てしまいますが、ハハハ」
「それは年寄りがゲートボールやり始めるようなもんでしょ。若い頃に始めた趣味を継続させられるかって話と、ワタシの話を同列で語らないでくれ」
しかも、酷く敏感になっている。
マスターの個人的なエピソードにすら、まるで自分が否定されているかのように噛みつく。
「あなたたちはワタシの趣味を軽んじている。年寄りの冷や水だと思っているんでしょう! ワタシが飲んだら腹を下すと思っている!」
言葉の解釈に差異こそあれど、“そう聞こえてしまうこと”に過敏なのは“思うところがあるから”だ。
他人の生き方が自分と違っていても、それはイコール否定にはなりえない。
自分は上手くいっているからだとか、自分のやり方がそうだからってのは大した理屈じゃない。
なのにそう言って憚らず、他人もそうあるべきだ、でなければ趣味人としては落第だと言うのは間違っている。
「ワタシはアニメに関する仕事をしているし、そういったものにも理解がある。ワタシは子供向けだからだとか、色眼鏡で見たりしない。ワタシは『キュークール』の大ファンだ!」
にも関わらずフォンさんは、他人の姿勢を否定して、己を大きく見せてまで自尊心を保とうとする。
ネガティブな思考で「自分はポジティブに趣味に励んでいる」と捲くし立てる。
「あの作品には自由、愛、平和の多様性が溢れているのに、あなたたちにはそれが分からないのか!」
そう語るフォンさんが、そのアニメから何も吸収できていないのは皮肉な話だ。
まあ、アニメの影響力なんて良くも悪くも所詮そんなもんってことなのだろう。
「ワタシは楽しんでいる! 有意義だ! 納得している! あなた達とは違うんです!」
マトモに笑うこともできないまま、いきり立って「自分は楽しんでますよ」といっても説得力はない。
「だめだ、だめだ。あの『キュークール』の素晴らしさと先見性が分からないなんて! アニメオタクに未だこんなのがいるから、この国は前時代的な表現がのさばり続けるんだ!」
フォンさんのおかしさを、恐らくセンセイたちも感じ取っている。
言語化して、指摘することもできるだろう。
だが、言わない、言えない。
なにせ本人が「楽しんでいる」、「有意義だ」と言い張っているから。
傍から見て、明らかに意固地になっていたとしても、本人が良いと言っているのだから。
非合法でもない限り、他人の趣味にとやかく言うべきじゃない、なんて言うまでもない。
だが、それでも、今のフォンさんにあえて投げかけるべきはそういった言葉だ。
もし、言える人間がいるとするならば……。
「お父様……ひょっとして」
ジョウ先輩が何かに気づいたようだ。
突如、ドレスを着込んでいるとは思えないほどのスピードで走り出す。
そしてフォンさんのいる、喫茶店の扉を勢いよく開けた。
むずかしい
みんなどうしてるの?じぶんがヘタクソなだけなの?
あまり考えがまとまっていない、雑なやつ
noteは広告がなくて落ち着いてるから難しい話やポエムをするのに向いてる。
twitterやヤフーコメント欄などの「速度の速いSNS」は政治系・言論系には適さない。さんざん懲りて辟易したので、その辺の話題はもっとスローで巧緻な媒体でやったほうが良い。
ニコニコはネガティブな視聴者が多いが、インターネットノリは良い。
等々、たくさんある。
「誰に対してどこまで話すか取捨選択するのが難しい」
言い換えれば、「このハンドルネームのキャラ設定はどうするか」「キャラ崩壊しない運用」に悩んでいる。ということ。
1. 自分がやりたいこと・言いたいことがこれだけあって(リストアップ)、
2. そのためには、このハンドルネームからはこのアイテム、あのハンドルネームからはあのアイテム、を分担する。
という戦略を立てるわけだけど、キャラ設定が壊れがち。めんどくさくなって素が出てくる。そもそも演技が苦手で下手なので、あまりハンドルを細かく分けるのに向いてない自覚がある(ちゃぶ台返し)。
また「この話題はどこでアウトプットするか」を悩んでしまって、アウトプット自体が面倒になる。そうやって溜まってる記事や企画が山ほどあって腐らせて旬を逃してもったいないと思う。そもそも、処理能力に対してやりたいこと(要求)が多すぎるのも問題だと思う。
というか、仲良くしたい・気に入られたい相手がいる場では、ネガティブなイメージを抱かせてしまいかねないことは言いたくないんだよね。でもそれ以外のどこかで言いたいんだよね。という、取り扱いが面倒な話題の需要が自分の中にある。
何か、その辺のガイドや指南してる本とかある?有料のネット記事でもなんでもいい。
「この話題はここなら話し相手がいる、あの話題はあそこなら話し相手がいる」という状態に持っていきたい。
独り言が多いのがさみしい。言い換えれば、「この話題について話せる相手・場を確保できていない」ことがちょっとつらい話題がある。ということか。
「SNSにネガティブなことを書くな原理主義」の人もいれば、ネガティブなことも書くけど上手くやっていけている人もいる。ネガティブな話題にアレルギーのるある人は、ネガティブなことを書く人からは離れていく。それは、政治アレルギーとほぼ同じで、政治的なことを書く人からサーッと離れていく人と似ている。
だから、自分はどうしたらいいのか?よくわからない。あちらを立てればこちらが立たず。
ネガティブな発言・話題で盛り上がってるクラスタに参加してみたら、ポジティブなクラスタから離れて敬遠されてしまうのがさみしい。
ネガティブな発言を減らしてポジティブにすり寄ってみたら、今度はネガティブな話題で会話が成立してるクラスタが羨ましくなり、「自分は能天気な話しかしない人だと他者から見られているのでは」と気になったりする。
「自分はどうしたいか」と問われれば、「ポジティブなこともネガティブなことも、難しいこともとりとめもないことも、言いたいことは全部言いたい」です。
二兎を追う者は一兎をも得ずなのか・・。
べつに特別なことをしているわけではないと思っている。
インターネットがない時代でも、ハンドルネームでなく本名であっても、親に見せる顔、勤め先に見せる顔、友達に見せる顔、子供に見せる顔、・・・それぞれ違うわけでしょ、それと同じだと思う。
なぜかインターネットと比較するとリアル顔の使い分けはうまくいっている。と思う。比較的。
父はオタク趣味を毛嫌いしていて兄弟にもブチギレて映画のパンフレットビリビリ事件を起こした前科があるため、無意識にオタク趣味やエロゲ方面などは出さないように気を付けている。というか意識しなくても、無意識のうちに脳内金盾が発動している感じがする。
会社にはわりとオタクな話してる人を見かけるのだけど、なぜか自分のオタク趣味を話したことがない。なんでだろうか。やっぱお金を稼ぐ場なので、お金を稼ぐのに問題が発生しうるかもしれない余計なことを言わないようにする、というリスク回避意識があるのかな。あるぽい。(というか、そもそも会社に雑談できる人があんまりいない・・)
一般論の「酒の席では野球・宗教・政治の話はするな」ってやつだ。
でもインターネットでも、「身バレ・住所バレ・特定されないように気を付ける」というのは無意識にできてるなぁ。といってもリアルで会ったことある人は複数twitterでつながてるけど。
今の仕事一本で生きていけるのだろうか、という疑問は常にある。だから、何らかの生活費を稼げそうなスキルを伸ばすとか、仕事がもらえそうなスキル持ってますアピールをするとか、再就職に有利に働かないかなー?と思ってるんだけども。どうなのかな。
大学生は逆に「SNSでの活動はネガティブ要素になる」と判断しているようで、むしろ就活に見せないようにしてるみたいだけども。
お金を稼ぐ以外の欲求の充足。恋人とか結婚とかは想定してないです。自分の人生にはもう無関係だろうとおもっているから。
将来の不安。
というと大げさですが、自分が提供できる有意義なことはやっておきたい。自分が調べた情報をまとめて公開するとか。ボランティア。アンケートにちゃんと答えるとか、クラウドファンディングをやるとか、知り合いの宣伝をリツイートするとか。