はてなキーワード: フェティッシュとは
萌え絵が使われている=萌え絵は倫理的に正しい!みたいな考え方は違うと思うんだが…
何らかの作品とコラボする理由は端的にターゲットの気を引くためであり、倫理的に正しいからコラボしてるわけではない。それにもし企業内に女性がいたからってその人が止められる立場にあるかはわからないし、もしかしたらその人も問題ないと感じる立場だったかもしれない。企業内で問題なしと判断されたからといってその他大勢の消費者もそう感じるとは限らないしな。
いわゆる「萌え絵」はフェティッシュで性的な目的で作成されていて、それ自体に問題はない。問題となるのはその「萌え絵」を老若男女さまざまな属性の人間にこれを見ろ!と開けっ広げても良いのか?という部分に尽きる。「萌え絵」が性別や属性を性的なものとして消費しているのはぶっちゃけ認めざるを得ないわけで、その表現と消費はあくまで作品内で完結し見る側が取捨選択できなければならない。ここが作品と広告・啓発の違い。
以前某船の擬人化が百貨店とコラボした時、駅中に柱広告とかででっかくキャラ絵が掲載されてたがめちゃくちゃ露出度下がってほぼ萌え記号も排除されてたのは良い例だと思う。その辺は企業とコラボする側に明確な基準や倫理観があるかにかかってる。
長々書いてしまったがまとめると「萌え絵」自体が悪いのではなく、使い様という話。なんでもかんでも良しとするのは自由ではなく無法なだけ。
セネガルの首都ダカールはアフリカ大陸の西端に突き出た半島の港湾都市で、その位置故に大西洋横断貿易の重要な拠点らしい。
そこに、2010年に「アフリカ・ルネサンスの像」という高さ49mの巨像が完成した。若い男女と乳児からなる像である。
この像の利権構造については批判があるところだが、全てを差し置いて見事なのは母像の官能的な肢体である。(そのこともセネガルで多数派であるイスラム教徒の批判の対象らしい。)
造形の素晴らしさは、画像検索よりも最初にこの写真、特に2枚目を見て欲しい。
https://twitter.com/hideto328/status/1009110224215728128
巨像であるが故に、下乳や両足の内腿を見上げる形となるフェティッシュな画角は、見るものをして勃起させざること無しといえよう。像の製作は北朝鮮らしいが、共産国らしい巨像製造技術の高さが存分に発揮されている。
なお、この像は中に入ることができ、男性像の頭部の展望台から女性像の顔を見ることができるが、頭部は私の好みではない。Google画像検索だと頭部が真っ先に出てしまうため、画像検索の後回しを推奨する理由である。
鬼滅の刃を見た時に、成程これは面白いなと思った。確かに「元ネタ」のジャンプ作品がうっすらと浮かんでくる。ブリーチ、Dグレ等々。
しかしそれらの元ネタを上手く咀嚼し、作品として限りなく上質なものに昇華していく。
鬼滅の刃は成熟した漫画社会の一つの到達点であり、また「折り返し地点」であると思う。無駄な引き延ばしも無く、テーマも一貫している。
しかし読んでいるうちに、「臭さ」を感じるようになった。この作品を非凡たらしめる、隠し味ともいえるし、人によっては嫌う要素になりうる。
この作品は明らかに、「少年や青年が悲劇的・悲惨な結末を迎える事に性的に興奮を感じる人種が書いてる」という事。
作品における人気キャラの一つ一つの死が、異常に丁寧に、美化されて書かれている。煉獄さんの死も一つの映画化に耐えうる話だし、正直他の柱が死ぬ話も
一つ一つが丁寧に、劇的に描かれている。異様にフェティッシュなのだ。技術ではない、どこか「一歩向こう側」をかんじる。
グロ系や胸糞系の作家さんは、主にそういうもので性的な興奮を得る人間に集められている事も多い、鬼滅の刃も同じような感覚がする。
グロ系や胸糞系の作家さんは、性的な部分を抜いてみても面白い人が多い。人は作品を描く時、どうしても「ストレス」を避けようとしてしまう。それは発想の時点で思考に絡みつき
話を平凡で安易なものにしてしまうのだ。常人は「女の子が切り刻まれて恐怖を感じる部分」に対して共感から逃げてしまう。
そういう部分に彼らは「性欲」という鍵でアクセスすることが出来るのだ。
774氏の作品「長瀞さん」なんかが、妙に生々しくドSティックで心をくすぐるのはその「アクセス」が出来るからだと思う。
恐らく常人なら鬼滅の刃で青年や少年をどんどん死んでいくのに耐えられない。耐えられないからこそ我々は「名作だ」と思う。
最強の力を得る代わりに寿命が25歳で終わるという設定を人気キャラ全員に、最後に普通持っていけるだろうか?明らかに結婚して幸せになれるようなキャラクターに、「名誉の死」を与えられるだろうか。
鬼滅の刃の作者は明らかに、そういう「アクセスできる人種」の臭いを感じる。
考えすぎだ、と言われるかもしれないが、今までの短くはない創作人生と漫画を娯楽にしてきた者の視点として、違う意味の「感動ポルノ」に鬼滅の刃が見えてならない。
自分はハーレムネタだったり寧ろ女性側に犯されるようなネタが好きなんだけど
あと、できるだけ男優が出ない、見えない、登場さえしないAVが好きなんだけど
男性が痴漢とか強姦とか女性に危害を加えるのは胸糞悪くなるので観れない
あと、NTRとかスカトロとか鼻フックとかその他自分のフェティッシュに含まれないものも無理
女性側から露骨に誘ってくる、性的関係を挑発してくるのしか観れない
自分にとってAVもアニメとか漫画と同じでファンタジーを楽しむものであって、
教科書にするなは分かるけど、その裏側にある動物本来の本能みたいなものまで否定しないでほしい
なんて思ったけど、教科書にするなって避妊のことだったり生理のことだったり、
アクロバティックな体位だったり、フェラチオやクンニリングスを当然みたいに描いたり、
そういうことなんだろうか
テレビで芸人が笑いのために暴力や酷い言葉を使うのもヤラセであるのと同じであって、
ウソをウソと見ぬけない子供のような視聴者が真似をして事件になったりするのと同じなのかもしれんけど、
いずれにせよ、自分は異性に対して受動的でいたいのはリアルもフィクションも変わらないので、
ほっといてほしいなあと思ったり思わなかったり、
写真を趣味にしているので、中国の写真SNSや写真集を漁ることがある。
マクラーレンに乗っていたり、高級そうなビルの高層でフェティッシュな写真を撮っていたりする。
攻殻機動隊で政治家の人が集まるフェチなお店が出ていたが、そんなお店で撮影していたりしたのもあった。
日本だとドローンを飛ばすのも難しいと思うが、映画撮るようのREDなどを載せる大型のドローンを個人で使って使って撮影していたりする。
ライティング機材も本格的だったり、ロケーションに制限があまりないのか、色んなところで撮っている。
写真のために日本の鎌倉にまで来て撮影するといったのも普通に行われている。
そういうのが20代っぽい人だったりする。
日本だと街中で写真を撮るのも大変だし、田舎の方に行っても写真は撮れない。
日本の写真展に行くと、新しい表現は見当たらない。映っているモデルのクオリティを競ってるくらいになっている。
そりゃ通行人をいきなり撮るストリートはもうないだろうと思うし、鉄道写真の三脚をどこにでも立てるなどがあって、
今の日本のような状況になっているわけだが。
新聞やテレビやネット界隈で言っている表現の自由は、政権批判に対する言論の自由は確かに日本の方があるだろうが、
写真や動画に関しては表現の自由はあまりないように感じられてならない。
YouTuberが自宅でずっと撮影しているように、自宅以外で自由な場所がないのではないか。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 96 | 13654 | 142.2 | 66.5 |
01 | 72 | 7911 | 109.9 | 47 |
02 | 26 | 12876 | 495.2 | 104 |
03 | 19 | 5017 | 264.1 | 91 |
04 | 33 | 4777 | 144.8 | 82 |
05 | 26 | 12470 | 479.6 | 107.5 |
06 | 15 | 1424 | 94.9 | 23 |
07 | 25 | 4518 | 180.7 | 68 |
08 | 82 | 8247 | 100.6 | 56.5 |
09 | 98 | 18086 | 184.6 | 41 |
10 | 151 | 16565 | 109.7 | 45 |
11 | 134 | 16357 | 122.1 | 57 |
12 | 140 | 20425 | 145.9 | 50 |
13 | 139 | 11178 | 80.4 | 44 |
14 | 210 | 14545 | 69.3 | 45 |
15 | 287 | 19540 | 68.1 | 42 |
16 | 249 | 18196 | 73.1 | 32 |
17 | 153 | 11139 | 72.8 | 32 |
18 | 123 | 12065 | 98.1 | 41 |
19 | 127 | 18254 | 143.7 | 37 |
20 | 157 | 12552 | 79.9 | 31 |
21 | 154 | 33106 | 215.0 | 30 |
22 | 125 | 13025 | 104.2 | 37 |
23 | 129 | 16620 | 128.8 | 45 |
1日 | 2770 | 322547 | 116.4 | 42 |
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「女性はああいう表現を嫌っている」という人がいれば「私は女だけど、ああいうイラストが好きだ」という人が現れる。
反対に「女だけど自分の周りにはああいうイラストが好きな人はいっぱいいるよ」という主張が為されれば、「そんな一部の声を女性全体の考えのように言うな」と批判の声があがる。
この「女性の代表面して語るな」って意見は批判派が言っているのも、肯定派が言っているのも、どちらも正しいと思う。
ただ、もしも本当に女性の代表的な意見というものがあるとするなら、それはおそらく「別にどーでもいい」だと思うんだよね。
代表というよりは一般意見、最大多数意見と言った方が近いかな?
世の中の”ふつーの人たち”を見た時、もちろんみんな二次元のフェティッシュな表現が好きなわけではなく、そういうのを好むのは世の一部のそういう趣味の人たちだけだろうけど、一方で、積極的に嫌悪感を出している人もまた少数なのが現実なんだよね。
ましてその表現を社会悪として、撤去や謝罪までも求める人となるとなおのこと。
どちらの立場で争っている人もこんなものは所詮、少数派同士の殴り合いでしかないということを弁えていおくべきだと思う。
昨今のオタク人口の増加を考れば、この手のイラストの愛好家と排斥派を比べた時、おそらくは排斥派の方がより少数派になるだろうから、とくに彼女たちはそうした自覚を強く持つ必要があるだろうね。
(ATUGIの話だけなら顧客層的に排斥派が多数の可能性はあるけど)
別に多数派であることは正しさの証明ではないけど、少数派がそれでもなお自分たちの我を通そうとするなら自分たちの立場を理解した上で理路の展開が必要になってくるだろうし、少数であることを弁えるっていうのは本当に大切なことだと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20201107053636
今となってはあれを「タイツ屋のキャンペーンとして適切だった」と考えている人は少ないと思うし、元増田もセーフとは言っておらず批判するなら理論武装したほうがいいよと言っているに過ぎない。
それなのに「そんなことをしてやる義理はない」「理路など必要ない、ひとりひとりの言葉にできない不快感と向き合え」といった感じのブコメが散見されて暗澹たる気持ちだった。そういう人たちは「不快な気持ちにさせて申し訳ありませんでした」という謝罪文が引き出せれば満足なのだろうか? 1件1件の炎上で都度スカッとしたいだけならそれでもいいんだろうけど、そうではないよね。
口々に好き嫌いという気分を述べているだけではただの人気投票であって、そんなもの何万票集まったところで「このキャンペーンはウケなかったな」「フェチは燃えるね」くらいの限定された結果しか導けないでしょう? 一企業の一通の謝罪文止まりで発展性がない。
そうではなく、社会を変えたいならば、つまり女性の社会的地位の向上とか生きづらさの解消とかを本気で目指しているならば、問題をきちんと一般化して「こうしたキャンペーン手法は女性全体にとって、ひいては社会一般にとってマイナスである」というセオリーを確立したほうが効果的(=説得力・影響力がある)だと思いますよ、というアドバイスなんだけど、大きなお世話なんですかね……。
説得力を完全に放棄したこの手の言説をいわゆる「はてフェミ」たちが口にするのをしばしば目にしますが、自分には誠実な態度とは到底思えないんですよね。もっと女性の意見を聞けと言うわりに肝心の対話は拒絶するんだから。たとえばブコメにもすごい境地に行き着いた意見あった。
なぜそんなに偉そうなの?討論するために声を上げた訳ではないのですが。
自分(たち)が上げた声は常にすべて正しくて無検討で聞き入れられるべきだという態度のほうが数万倍偉そうでしょう。せめて話し合いましょうよ。まあこれは極端な例でしたが、「お前は馬鹿なのでわかっていないようだが自分にはわかっている(説明はしないがな!)」というスタンスのコメントはほかにもいくつもありました。
どんな議論でも同じだけど、たくさんの意見の中には問題の核心に迫るものから取るに足らぬくだらないものまで色々あって、種々雑多、玉石混交。その中からノイズをより分けてポイントを整理して論点を明確化していくのは不可欠なプロセスだと思う。そこから全速力で逃げようとするのは「女には理屈が通じない」「論理的な話ができない」っていうジェンダーステレオタイプを自己強化してしまう結果を招きかねない思いますよ。余計なお世話かもしれませんけど。
一例だけど、様々な批判の切り口の中に「タイツをエロアイテム扱いするのはけしからん」というテーマがある。この主張にも数々の派生バリエーションがあるが、その中には検討に値しないものもあると思う。
たとえば「これを機にタイツがエロアイテムとして認識されるようになってしまったじゃないか! 日用品なのに!」という意見の、「これを機に」の部分とか。「これを機に」ではなく、もともとそうだったでしょ、と。
女性の着衣でエロアイテム化を免れ得ないものはない。男性の両脚の間にある妖怪レーダーは(個々人により異なる指向性を持つものの)総じて感度はたいへん優秀なので、どんなものにでも男は欲情するしタイツとて例外ではない。タイツとは厚みが異なるだけのストッキングの中には男の劣情を喚起することに機能を絞ったものすらあるわけで、今までタイツだけが例外だったとする認識はおかしい。セーラー服やハイヒールがそうであるように、みんな性的にまなざされていることは薄々知りつつ着用していたはずである。
タイツにエロさを感じる資質を備えた紳士であれば今回のキャンペーンなどなくともとっくに目覚めていたはずで、今回のキャンペーンによって「お墨付きをいただきましたので性的にまなざし始めます」みたいな男はおそらくいない。そんなことは内心の問題なので、まなざすやつはもうとっくにまなざしていたはずなのだ。アツギが種を撒いたことにはならない。
つまり、今回のキャンペーンを契機にタイツに対して“新たに”注がれることになった性的まなざしは(考慮が必要なほどには)増えてはおらず、強いて言えば「タイツ絵」という絵画表現の魅力に目覚めてしまう人はいたかもしれないが、そのことが今後「じろじろ見られる」「タイツ着用者の性犯罪被害が増える」などといったかたちで実社会に直接的な影響を及ぼしていくとはちょっと考えにくい。
ちょっと身も蓋もないことを書くけど、もともと男性が異性を見るとき、「審美的まなざし」と「性的まなざし」をきちんと切り分けてはいない。「素敵だなあ」と「そそる」の間はグラデージョンというか入り混じっていて、「ここから純粋、ここからスケベ」というきっぱりした線は引かれていないのだ。結果として、女性が審美的な魅力を高めようとすれば多かれ少なかれ性的な魅力も勝手に高まってしまう。これは女性本人が異性の目を惹くことを意図していなくてもそうなる。オシャレとは本質的にそういうものではないだろうか?
議論が深まっ太郎
まず前提として最低限共有してほしい。女にとって性犯罪は子供の頃からずっと、すぐ隣にある現実なんだ。ネット上の議論のネタなんかじゃない。ランドセル背負ってる頃から「いたずら」され、電車に乗る時は痴漢を気にして、どんなに気をつけても通りすがりに自転車で胸を揉み逃げされたりする。それが当たり前の日常。
だからこそ、望まない相手からの性的な視線には敏感になる。ならざるを得ない。だって相手が「ただ内心で狙ってるだけ」なのか実行に移すタイプなのかなんて分からないのだから。もし実行されてしまえば、恐怖や屈辱を味わうのは自分だ。望まぬ相手から、あるいは望まないシチュエーションで、エロい目で見られることは、性犯罪への不安と地続きであり、とても不快で怖いものなのである(こう表明すると、内心の自由に踏み込む気か、と怒られることがあるけれど、そんなことは実際誰にもできない。表明しなければ、不快であることすら分かってもらえないだろう。さらに不快な状況がもたらされることは想像に難くない)。
たいていの人は、日常にそういう不快感を持ち込みたく(持ち込まれたく)ない。でもしばしば、意図せずそれは起こる。服装にどんなに気をつけても。ブコメで勝ち誇ったように「どんな服装してもどうせエロく見られるんだから」と言っている人たちがいるが、そんなのとっくに知っているのだ。それでも不快なものは不快だから、せめて痴漢に遭いにくい(と言われる)格好を選んだり、ブラが透けないように、下着の線が出ないようにと工夫するしかないのだ。時に自由にオシャレしたい気持ちとの綱引きで、各々の許容ラインが決まる。「だらしない」「職場、学校に不適切」という評価との絡みもある。かなりデリケートで、個々人の「お気持ち」が渦巻く作業だ。
タイツは、そういう意味でわりと「安全より」の選択というイメージが大きいように思う。特に透け感がないものとカラータイツは「色気がない」から。実際、今回の企画でカラータイツの絵はほぼなかったようだし、透け感のある、ストッキングでは?的なものが多くモチーフにされていた。
今回、キャンペーンを通じて企業のしたことは、「タイツ」はこんなにフェティッシュな欲望の対象になってるんですよ!と、大々的にユーザーに知らしめることだ。「タイツ」に向けられるエロい視線を暴いた。とても上手いイラストで、絵師の拘りが十二分に表現されたもの、そしてそれにつけられた興奮するリプライの数々で。
結局どんな格好をしてもエロく見られる。そこからは逃げられない。そんな不愉快な現実があるとして、なぜ女性の肌着のメーカーから、突きつけられなきゃいけないのだろう。激烈な反応を示した人が多かったのは、単なる「不快なお気持ち」でなく、不安を誘ったからだと思う。
するべきこととまるで逆だろう。
無関係の外野に、ではない。せめて女性肌着メーカーくらいには、「エロく見られたくない相手/時には見られたくない」という女性の「お気持ち」に寄り添って欲しいと切に思う。
自分が「女性もなんだかんだこういう萌え絵好きよ」という言葉を簡単に信じれない(実在している以上信じるも信じないもないのだが)のは、あまりに我々男性に都合よすぎない?という疑心暗鬼があるからだな
フェティッシュな萌え絵を肯定することは(無意識的であっても)その絵に潜む性欲の肯定でもあり、この性欲を安易に肯定して良いわけないだろうという恐れがある
お、長文の返事がきた。なんかうれしいね、こういうの。
なるほど、確かにそこなのかもしれない。
『3人でゲームを作るまんが』って題のとおり、【3人】の関係性は重要な要素であって、ミノリさんの心の動きもかなり色濃く描かれているから、そこに意識が向くのもそんな変なことではないと思う。
作者としては、どうなんだろうね。ミノリさんに感情移入というか、ミノリさん目線で見てほしかったのか、どうなのか。
チヒロさんについては背景とかについての描写が薄いので、よくよく見ないとどういう人かわかりづらいよね。
そういう対象にうっかり感情移入しちゃうと、(無意識のうちに)キャラクターに自分を近付けるのではなく、自分にキャラクターを近付けようとしてしまうのかもね。
やっぱこういうことではあるのかね。
ほかの作品を見る限り、確かに作者は「著しく才能・能力のある人が他者に与える影響」にかなり興味がありそう。
「そういう影響を受けたい」と思っているかはともかく、繰り返し描きたくなるほどに、なんらかの関心があるんだろうね。
あとは「人が何かを志向する理由」とか「志向と能力・現実のギャップ」とか、その辺のことをずっと考えていて、うろうろしているような印象を受けた。
そういう点では、この「例の漫画」は、ほかの作品と比べて良くも悪くも洗練されてて、迷いがなくなったというかすっきりしてたと思う。
それが、人の目につくきっかけになったのかなぁ。
一旦全部目を通してから再度考えてみたけど作者の意図としては「チヒロさんの物語」であってた。どうも誤読っぽいので前の増田(https://anond.hatelabo.jp/20201016133252)は訂正します
と、構造が対称的になってる
更に『3人~』5ページ目でミノリさんとチヒロさんの成長法の差を確認したいという意図が示されている
これらの証拠から、『2人~』と『3人~』で物語のメインテーマの人物がミノリさん→チヒロさんと変ったと読むべきだ
例えばハルヒシリーズではハルヒがメインテーマで感情移入先はキョンだっていう構造はわかるんだけど
今回うっかり感情移入先であるチヒロさんがメインテーマだと思ってしまった
理由は、『3人~』の中に含まれるチヒロさんの曲作りへの動機の上がりかただったり、
カナメさんから与えられる報奨の大きさだったりが
ここは前段落に書いた通り作者の意図するものではなかったと思われる
作者の意図としては『2人~』と『3人~』で別々の人物が別々の手法でカナメさんからモチベーションをもらう話を描きたかったのだが
自分のように一貫してミノリさんがテーマだと思っているとこのシリーズはただただミノリさんが超人的な存在から精神報酬を貰う話だと読めてしまう
ただこの読み方もあるのではないかと思っていて、
その根拠として、作者のてつなつ氏は超人的な天才から自分が明示していない願望を見通して叶えてもらうというテーマの話を繰り返し書いているというのがある
こちらの『才能と自由まんが』では天才小説家ハジメさんを制御できる唯一の存在になる編集者を描いている
https://note.com/tetsunatsu1/n/n21e0d31efb3f
こちらの『本読みの出会いまんが』から続くシリーズでは超人的な記憶力を持つ有能弁護士の一番の友人になる主人公を描いている
https://note.com/tetsunatsu1/n/n814443643c1f
よく稼ぐ妹に養ってもらう『原付ほしいまんが 』も同じ構造かもしれない
https://note.com/tetsunatsu1/n/n13cdf11589fb
※話は反れるけど、この漫画を見て「作者が美大生にコンプレックスを持っている」という読みが間違っていたこともわかった
こちらの漫画の主人公は等身大の悩みを持つ美大生だし自分がよく知っている閉塞感を抱えがちな美大生と描写が一致する
んで、この読み方は作者の意図どおりではないので上手に楽しめないのはその通りだけど炎上するまで嫌悪感は抱かないはず
問題はメインテーマも感情移入先もチヒロさんだと思ってしまう読み方で、
この人物は感情移入できるようには作られていないので奮起の際に凹まされた精神をフォローする場面が用意されていない。だから辛い
一方でちゃんと天才に癒されるミノリさんもきちんと描写されているので不公平感だけは身に染みる
スポ根もので理不尽に痛めつけられる主人公なら全員が痛めつけられているから公平に試練を受けとめられるんだけど
2人いて1人だけ褒めて伸ばされるスポ根は読んでて辛いでしょう
まとめとして
例の漫画に限らずこの作者の漫画の読み方として、承認を与えてくれる超人(この話ではカナメさん)へのフェティッシュに共感する必要がある
ここがうまくはまらないと作者が好き勝手に振る舞う願望を持っている話に読めてしまい辛い
これも手塚は別に鳥のように勝手に人を断罪したいのではなく、その逆で美しくて強大な存在に人生ぶち壊されたいというフェティッシュをもって書いた話なんだけど
それに乗れないとコズミック害獣(https://togetter.com/li/1196554)とか呼ばれて辛く当たられる