鬼滅の刃を見た時に、成程これは面白いなと思った。確かに「元ネタ」のジャンプ作品がうっすらと浮かんでくる。ブリーチ、Dグレ等々。
しかしそれらの元ネタを上手く咀嚼し、作品として限りなく上質なものに昇華していく。
鬼滅の刃は成熟した漫画社会の一つの到達点であり、また「折り返し地点」であると思う。無駄な引き延ばしも無く、テーマも一貫している。
しかし読んでいるうちに、「臭さ」を感じるようになった。この作品を非凡たらしめる、隠し味ともいえるし、人によっては嫌う要素になりうる。
この作品は明らかに、「少年や青年が悲劇的・悲惨な結末を迎える事に性的に興奮を感じる人種が書いてる」という事。
作品における人気キャラの一つ一つの死が、異常に丁寧に、美化されて書かれている。煉獄さんの死も一つの映画化に耐えうる話だし、正直他の柱が死ぬ話も
一つ一つが丁寧に、劇的に描かれている。異様にフェティッシュなのだ。技術ではない、どこか「一歩向こう側」をかんじる。
グロ系や胸糞系の作家さんは、主にそういうもので性的な興奮を得る人間に集められている事も多い、鬼滅の刃も同じような感覚がする。
グロ系や胸糞系の作家さんは、性的な部分を抜いてみても面白い人が多い。人は作品を描く時、どうしても「ストレス」を避けようとしてしまう。それは発想の時点で思考に絡みつき
話を平凡で安易なものにしてしまうのだ。常人は「女の子が切り刻まれて恐怖を感じる部分」に対して共感から逃げてしまう。
そういう部分に彼らは「性欲」という鍵でアクセスすることが出来るのだ。
774氏の作品「長瀞さん」なんかが、妙に生々しくドSティックで心をくすぐるのはその「アクセス」が出来るからだと思う。
恐らく常人なら鬼滅の刃で青年や少年をどんどん死んでいくのに耐えられない。耐えられないからこそ我々は「名作だ」と思う。
最強の力を得る代わりに寿命が25歳で終わるという設定を人気キャラ全員に、最後に普通持っていけるだろうか?明らかに結婚して幸せになれるようなキャラクターに、「名誉の死」を与えられるだろうか。
鬼滅の刃の作者は明らかに、そういう「アクセスできる人種」の臭いを感じる。
考えすぎだ、と言われるかもしれないが、今までの短くはない創作人生と漫画を娯楽にしてきた者の視点として、違う意味の「感動ポルノ」に鬼滅の刃が見えてならない。