はてなキーワード: バーンアウトとは
ここ最近の COVID19Radar https://github.com/Covid-19Radar/Covid19Radar 上でのゴタゴタにより、開発者の @kazumihirose さんが https://twitter.com/kazumihirose/status/1274616019420471296 疲弊してしまいっているのを見て、(今回の揉め事の根本的な原因はソフトウェアがOSSとして公開されているのが原因ではないと思うが)いたたたまれない気持ちになったので書く。書いてみた結果ただのとりとめもないOSSへの愚痴になってしまった。
いくつかのOSSプロジェクトのメインコントリビュータとして関わっています。
私の周囲のソフトウェアエンジニアがOSSに対して以下のような意見を述べているのをよく聞く。
確かに、OSSは特定の企業に所属していないので特定企業の方針で運営が捻じ曲げられる心配がなく民主的で、細かい実装が気になったらソースコードを読むことが出来、顔も合わせたこともない優秀なエンジニアと議論を交わし共通のゴールに向かってともに開発を進められる。OSSは楽しい。
しかし一方、OSSメンテナのバーンアウトが近年問題になってきている(なんとなくここ数年で目につく数がなんとなく増えてきている)気がする。
というのも、OSSを運用していく上では楽しく優秀なエンジニアと開発をすすめるだけではなく、ドキュメントを読めば分かるようなことを質問してくる人、PR に対して changes required を下すと怒ってくる人、Twitter でこのライブラリは使いにくくて最悪だと罵ってくる人、こういった普通の会社ならカスタマーサポートさんがワンクッション挟んでくれる人たちに対しても開発者が直接対応しなければならない。
元々楽しくて始めた/関わり始めたはずのサイドプロジェクトだったのに、いつの間にか日々やってくる頓珍漢で再現環境のないバグレポートや、Issueも立てずに突然提出される意味不明なPRに対して、義務感で、就業後や土日の時間を削って、根気よくコメントを続けていると、何で貴重な自由時間をこんな訳のわからない連中のために使っているんだ?という気持ちになってくる。
実際、私の関わっていた一つのプロジェクトでは、もともと6人ほどいたアクティブなコントリビュータが徐々にプロジェクトを離れていき、(私を含めて)2人はメンテナンスに疲れてしまったのでしばらく距離を置くと宣言し休みを取っている(あまりに精神が回復したので戻れるのかは不明...)。
こういう現場を見ていると、手放しにオープンソース万歳!透明性最高!と言いながら自分自身は大してOSSに貢献してない人たちに対して苦い気持ちを覚える。
一方、私の関わっているもう片方のプロジェクトは非常に円滑に運用が回っていた。もうひとつのプロジェクトと何が違ったかというと、そちらのプロジェクトはいくつかの企業がソフトウェアエンジニアの業務時間の半分/全部をそのプロジェクトのメンテナンスに費やしていたのである。(何人かのメインコントリビュータが企業から出向する(?)する形で運用している)。
issueへの一次対応などの日々のつまらないタスクは業務でメンテナンスしてくれているエンジニアがやってくれるおかげで、他のメンテナが対応する必要のあるissueやPRは減り、みんなが開発やバグ対応に集中できている。業務でOSSに取り組んでいるエンジニアにストレスはないのかと聞いたところ、多少大変ではあるけれどお金をもらいながら自分の仕事をオープンにできるし、仕事だと思えば多少のストレスは我慢できる。とのことだった。
このプロジェクトに限らず、なんとなく長期間運用がうまくいっている大規模なOSSプロジェクトはだいたいどこかの企業が支援しているような印象を受ける(Facebook とか MS とか Google とか(大企業ばっかだな...))。もちろん全てのソフトウェア企業に大してOSSに大して大金をつぎ込めというのは現実的ではないが、open collective や github sponcers なんかに企業として少しずつでも寄付してくれたら、OSSコミュニティはもう少し良くなるんじゃなかろうか。
結局何が言いたかったかというと、エンドユーザー(OSS利用者)がめちゃくちゃ増えてきた昨今、個人レベルでそれなりの規模のプロジェクトをメンテナンスしていくのは最早厳しくなってきており、結局企業によるバックアップなんかがないと持続的な開発は難しいんじゃないかと思っている。
今日になって思ったより多くの方に読んでいただいて驚いています。あまりオープンインターネットで話しにくい話題だけど皆がどう思っているのか気になっていたので嬉しい。増田がブクマされても通知は来ないんですね(そりゃそうか)。
@bouzuya
まず焦点を当てている持続可能性が見出しから思い浮かべるものより狭いんだと思う。「最悪フォークすれば持続可能」みたいなのがぼくだと最初に思い浮かぶ
確かに、OSSの持続可能性という少し主語の大きいタイトルにしてしまったが、この文章はソフトウェアの持続性というよりかはOSSに携わる人のバーンアウトに対する憂いをつらつらと綴っているもので、ソフトウェアの持続性という意味では他にも色々やりようがある気はする。
また、私が目にしたうまく回っているのが企業による支援を受けたプロジェクトだったので、バーンアウト対策として企業による支援について述べたが、企業による支援がなくともうまく回っているプロジェクトは世の中にはいろいろあるだろうし、今後OSSは企業による支援がないとやってけないと決めつけるのは早合点ではあった。反省。(とはいえ問題意識は変わらないし、その一つの解決策が企業による支援だと思っているのも変わりない)。
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自分の記事を読み直してみて、一番問題に感じているのはユーザーサポートの工数なんだなと分かったが、@mathane さんがその問題への一つの解答をつぶやいていた。
@methane
雑な質問やバグレポート(99%レポート者のミス)をする場所は、とにかくメンテナ以外の人が回答しやすい場所でしてもらう事が重要だと思う。
これは確かに。私はまだOSSコミュニティど初心者なので、こういうOSSをメンテナンスする上で重要なことをどんどん知りたい。
500床規模で当直明けは当然のように日勤で36時間勤務、ブラック企業も青くなりそうな総合病院だった。ちなみにこれだけ働いても給料は800万かそこらだった。
「そうだ、医者やめよう」はじめてそう思ったのは約1年前、救急医7年目の4月だった。熱心な同期がバーンアウトした。よくあることだ。それと前後して上司が妊娠した。とてもめでたいことだ。ここまでは良い。問題は「当直可能な医者」が補充されなかったこと…?いやいや、なに言ってんの?補充用員なんているわけないじゃん。一人前の救急医が余ってるわけがない。そして、月5-6回でまわせていた当直が、月7-8回になった。つまり3-4日にいちどは36時間勤務だ。
それから間も無く「以前より患者さんや家族に冷たくなった自分」に気づいた。
「(一晩の救急外来受診者が)50人超えると色々雑になるよねwww」とか笑って話してた。この状況が続くと「医者として」どころか「人として」終わる、そう思い始めた。この思いに追い討ちをかけたのは五輪だ。どこか遠いところからやってきた、母子手帳不携帯で既往歴も予防接種歴も不確実な小児とか?マタ旅()妊婦の早産とか?ごった返す救急外来に救急車でやってくる軽傷患者とか?無理無理、絶対ゴミを見るような目で見ちゃうもん。情報が不十分な状況で全力を尽くしても訴訟になるケースなんかいくらでもあるしね。そうだ、やめよう、自分が今の仕事を続けたところで誰も幸せにならない!
2020年3月を目指して退職準備にとりかかった。正直この時点ではまだ迷いがあった。そこに転がり込んできたのが転職の話だ。外資系企業のヘルステック部門、年収は倍以上って、当直なしでこんなにもらえんのかよ、二つ返事で引き受け、面接の結果、無事採用された。病院の方は1年以上前に切り出したこともあり、予想より円満に辞めることが出来た。そして晴れて2020年3月、勤務医暮らしから解放された。以上、救急医の30代男性がドロッポするまでの経過です。
そうそう、それからCOVID-19だ。いやほんと、このタイミングでやめてよかったなって、素直に思う。学校休みでショッピングモールに行って発熱?ヨーロッパ旅行から帰国して咳が止まらない?無理無理、絶対ゴミを見るような目で見ちゃうもん。
ちなみに疲弊した同級生達は科を問わず続々と勤務医をやめている。いつまで続くか知らないが、企業の専門職スタッフとしての医者求人は増える一方だ。そしてCOVID-19がトドメ、医療崩壊は止められないだろう。まあ、1回ぶっ壊れたほうがいいんじゃないですかね。最前線で戦う全国の、かつての戦友達の無事を祈っています。
今この瞬間だけを切り取って見るなら、抑えられてるように見えるだろうね。
韓国医療スタッフ、バーンアウトの危機…だるさに鼻血、パニック障害まで(1)
終わりの見えない新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)との闘いで、医療スタッフの疲労も限界に近づいている。最初の感染者が出てから2カ月が流れたが、依然として4500人以上の人々が治療を受けていて、毎日100人前後の新規患者が報告されている。コロナ戦闘の第一線で戦っている医療スタッフのバーンアウト(Burnout、燃え尽き症候群)を懸念する声があがっている。
短時間に押し寄せる感染者の治療に奔走しなければならなかった大邱(テグ)地域の医療スタッフは脱力状態だ。29日、疾病管理本部中央防疫対策本部によると、この日基準の大邱地域累積感染者は6610人に達する。新天地発の大量感染局面がやや落ち着いてきたようにみえるが、精神病院など高危険集団で感染者が絶えない。
啓明(ケミョン)大学大邱東山病院のソ・ヨンソン院長は、先月21日に同院が新型コロナの拠点病院に指定されて以来、1カ月以上にわたってほぼ休みなしで働いている。すでに何度かモムサル(疲労などによる発熱・だるさ)にかかったが、週末だからといって休んだ日はなかった。ソ院長は「超過勤務が連続して職員の疲労も相当溜まっている。一歩間違えれば注意散漫となり、(医療スタッフへの)感染リスクが高まるのではないか心配」と話した。重度の業務疲労と重圧感に耐えることができず、辞表を出すケースも出ている。ソ院長は「業務量の多さによる健康状態を理由に辞める医療スタッフもいる」と話した。同院には、現在350人以上のコロナ感染者が入院している。
人と付き合うことが基本的に得意ではない。
性根から腐ってるようなタイプはもちろんのこと、わりと性格が良いのではと思える人とですら友好関係を築けないのだから問題は私のほうにあるのだろう。
職場は友達を作りに行くところではないし、お金さえ稼げれば良いのだからと割り切って考えるようにしても1つの職場で3年続いた試しがない。
バーンアウトするように無理だと感じたら直ぐに退社を申し出る。
それでも年齢的にそろそろ1つの場所に落ち着きたいと考えるようになって、なるべく人と関わらずに済み、年を取ってからも出来る職種と思い清掃会社に落ち着いた。
考えた通りあまり人と関わらずに済み、これなら長く居られると思っていた矢先に、新しく入社してきたオバサンが仕切り始めた。
あの人さえいなければ。
うまくやれていたのに。
そんなこと考えたって無駄なことだ。嫌なやつはどこにでもいる。
身バレが怖いので具体的な話はほとんど書いてない上に長文です。
同期が出来ていることが全く出来ず、優しかった先輩がだんだん呆れ顔になってきた。
大学時代から気付いていたが、はっきり言って要領は悪いしミスも多い。患者とのコミュニケーションも下手だ。
しかしそうした点ではなく、もっと根本的な部分で医療者に向いてないなと思い始めた。
一つ、患者に対して興味が持てないこと。
そしてもう一つ、どうしても患者に対して「生きていることそれ自体が無条件で尊い」とは思えないことである。
こんなことを言うのもみっともないが、高校時代の成績から言えばどこかの医学部に入れたと思う。
それでも「五感を使って患者さんをアセスメントし、医者とは違う側面から患者さんの生活を支えるクリエイティブな仕事」という看護師像に憧れ、親族の反対を押し切って看護師の道を選んだ。
「患者さん一人ひとりが自分らしい死を迎えられるように手助けしたい」と思ってホスピスで働くことを選んだ。
しかし実際に看護師になってみると、患者に対してケアをすることに全く喜びを見出せない。
一つ一つのケアがただの業務に成り下がっており、勉強する意欲も失ってしまった。
元から経済的な面や安定性を求めて看護師になったのであればそれでも耐えられるのだろうが、高い志を持ってこの仕事を選んだ(つもりだった)ために余計に辛い。
基礎研究をしている研究者の話を聞くと楽しそうで羨ましくて仕方がなく、選択を誤ったという思いが強い。
そしてもう一つの話なのだが、もし良ければリンクで紹介する記事を先に読んで欲しい。
ホスピスケアを中心として活動されている新城拓也先生がお書きになったものだ。
「医療従事者が『こんな生産性のない病人には生きている価値がない』と考えるのは未熟と無知によるバーンアウトが原因であり、十分な教育があればそのような考えには至らない」
本当にそうなのだろうか?
実は私は大学時代から「生産性のない病人を生かすことに社会的な価値があるのだろうか」とずっと考えていた。
生産性がなくても、生きていてほしいと誰かに思われているのなら医療は全力を尽くすべきだろうとは思う。
では、例えば長いこと寝たきりで、家族にも嫌われないまでも重荷だと思われているような場合はどうだろうか?
そんな事を考えてしまう自分が嫌で、きっとホスピスに行って現場を見ればそんなことも考えなくなるだろうと思っていた。
しかし現場に出てみてもその疑問は解決されないばかりかますます私の頭を圧迫している。
それでも救うべきだ、と断言できる人間だけが臨床には必要とされている。
新城先生の言う「教育」とはコミュニケーションの技法なのだと私は解した(もちろんそれだけではないと思うのだが、具体的に大きなウェイトを占めるものはコミュニケーション技法だろう)。
しかしその解釈の場合、「コミュニケーションが取れない人間は生きている価値がない」という思想を持つ植松聖の凶行は止められなかっただろう。
真に必要なものは「医療倫理が善しとする方向に感情を向ける技術」である。
患者がどのような状況であっても善行・無危害原則に則って行動し、患者の権利を擁護することに専念するための感情操作技術。
医師にしろ看護師にしろ介護士にしろ、終末期医療にはそういう燃え尽きてしまった人間を弾く制度が必要なのではないか(「医療」という枠とはまた別で)。
少なくとも医療という世界に限れば、それくらいのことが許されると思う。
普段祖母を嫌うような言動をしていた両親と兄とが沈痛な顔をして座っていて、もしかするとここにいる誰も祖母の死を悲しんでいないのではないかと思った。
それ以来、死んでも誰にも悲しまれない人間というものが存在するのではないかと思うようになった。
今も見舞いに来る家族に対して「この人は本当に患者に死んで欲しくないと心から思っているのだろうか」と疑問に思ってしまう。
もし将来家族がいないか家族に疎んじられていたら、働けなくなった時点で自殺したい。
とりあえず、ホスピスで働くのはもうやめようと思っている。
少しだけ提言染みたことを言うならば、コミュニケーション技法の教育というのは本当にしっかりやったほうが良いと思う。
アレをただの情報収集技術だと思って大学時代まともに聞いていなかった私は大馬鹿だった。
そうした技術論は患者をパターン化しているように思えて、一丁前に不誠実だとも感じていた。
熱いハートさえあれば十分だと思っていた。
どうやらそうではなかったらしい。
分かる。それに九州大なんて出てるんだから、いくら就職氷河期でもラーメン屋でアルバイトなんかする必要は無かったはずで、労働とかそういうことに向いてなかったが親や世間的な事情で渋々という感じだったんじゃないかと思う。勝手に。
正社員になって3年前まで働いていたのも、3年前までで完全に人間としてバーンアウトして何かが彼の中で「終わって」しまったということなのかもしれない。
年齢的に、大学に戻れる年齢も越えてしまったと悟ったとかもありそうだし。
流石に低能先生程のニュースにはならないだろうけど、こういう事件はこれからも増えると思う。ああ、そういやこの前逮捕された奴の愛読書はハイデガーとドストエフスキーだったな。
私の上司は優秀だ。コミュニケーション能力が高い。感情的にならず、冷静に落ち着いて論理的に話す。相手が幹部クラスの人であっても部下であっても、そこは変わらない。業務遂行能力も高い。常に全体を見ていて自分の担当外であっても何か問題があれば自ら解決に向けて動く。この先どうなるか、リスクを予見する能力も高い。もし居なければこの事業はあっさり潰れてしまうだろう。もっと給料のいい会社に転職したらいいのにと思うことがしばしばある。
ただ、、その、、優秀すぎるのだ。
私が業務の相談に行っても、何か気に障るようなことがあると、表情が消え、冷たい目になる。表向きはきちんと聞いてやろうという言葉を発するが、表情と一致しないので怖い。私の能力が低いのだからしかたないが、できるだけ行きたくない。時間を割いてもらうのは申し訳ない。
提案書や仕様書といったドキュメントも10回、20回とレビューを繰り返していくうちに心が折れる。リバイスを繰り返し、フィックスする頃には、もはや別物。言われるがまま。思考停止。お客様にお見せするものだ。念入りなレビューが必要だ。当初の締切は過ぎている。その先のプロセスにかけられる時間は少ない。圧倒的な残業で巻き返す。そしてバーンアウトする。
私だけなのかもしれない。思い切って同僚に聞いてみたところ、同じことを感じているようだった。
人が入れ替わることも、新しい人が入ってくることも、自分が異動することもない。唯一人の上司の元に付き、日々業務をこなす。このまま無理して続けたとして、役職と権限を与えられたとしても、上司のように優秀でないのだから、今の事業を潰すきっかけを作ると思っている。
最近は気分が晴れないし、ストレスのせいか耳鳴りもひどくなってきた。自宅で業務に関係する勉強をしたり、趣味も楽しんだりもしていたが、そんな余裕もなくなった。今の会社、辞め時なのかもしれない。
運命の分かれ道、正社員になりたいのか否か選べ - 空想島(6畳半)
http://rntriple6.hatenablog.com/entry/2014/10/19/153253
これも今日のエントリだが、それぞれに自分の今の状況に驚くほど似通った部分があったので、
元増田に参考になればと思い、思いつくままに書いてみる。
自分は所謂「毒親」を親に持ち、家にも学校にもどこにも居場所がなく生きてきている。
もともといじめられっ子だったのが、やりたくもない受験に日々を費やし、十代のうちにバーンアウトして、
一時期ニートになり、奮起して社会復帰を果たしたが、結局何度目かの転職活動を始めている。
きっかけになったのは上記エントリにもあるような社内コミュニケーションに関する指摘で、
まあ鬱の再発を抑え込みながらプロジェクトの進行なんぞに本気で打ち込めるはずもあるまいと頷いた。
燃え尽きてしまう若者として性懲りも無く「良い子」としてプロジェクトに尽くしてきたわけだが、
そもそも生活のために止む無くしがみついてここまで来たというのが実情で、
どれだけ自分の中で正当性を確保しようと努力したり、相対的に観てみようとしてみたところで、
どこに行っても、何をしても同じことの繰り返しになってしまう。
原因はわかっていて、自分は十代の傷、と単純に言い切るにはあまりにも複雑な、
孤独、思春期における変化、恨み、妬み、嫉み、が風化して変質した何か、の上に積みあげたロジック、の成れの果て、みたいな、
九十九神的な呪いが自分の中にある限り、根本的に行動範囲が制限されてしまうということ。
特に自分の例で言えば、ある時期に「自分の人生はここで終わった」と諦めてから、
どんな活動や発想の転換を試みても無力化されてしまうようになっており、
これはもう食えるか食えないかではなく、自分が抱えるトラウマが現役バリバリで活き続けている以上、そこと向き合って生活していくほか無いと考えて、
今は自分と似たような苦しみを味わう人の受け皿になることをミッションに掲げた組織を転職先にしようと思い、活動している。
直接的にNPOを当たってもいいし、そういうビジョンを明確に持った企業でもいい。
結局誰とどれだけ親しくなろうが、自分を失って生活に支障を来たす人間などいない。
だったら、せめていつ死んでも納得のいくように、今自分が抱えている最もシリアスな問題と戦いたい。
メンタルにダメージを受けるととても辛いだろう。涙が出る前に胸をちくちくと刺す痛みが、何十倍にもなって襲い掛かり、
悲しいから泣くのではなく、ただ全身の痛みにのたうち回る。自分もそんな地獄を生きている。
しかし、そういう人間にしかわからない、掬うことのできない人の心の領域があると思う。
東京都千代田区。
都心の一画。
ここに一軒のマンションがある。
ガチエージェント遠藤(仮名)の住宅である。
世界でも有数のガチエージェント。
彼らの仕事は決して世間に知らされるものではない。
早朝の丸の内を駆け抜ける遠藤の姿を発見した。
時折立ち止まってしてスマートフォンを操作する遠藤の姿に目を向ける人はいない。
Q、おはようございます。朝、早いですね?
「ええ。始発が動く前にファームを廻る必要がありますからね。
一日分のXMPバースターをどう集めるか。これが大切なんです」
日が昇る前、人々が行動する前から遠藤は動き始める。
手に持つペットボトルが、途中、3回変わった。
「俺なんかがエージェントやれてるのは、Enlightenedの皆さんの支えがあるからなんです。
支えられてばかりじゃなく、こうやって早朝のリチャージをやらないとね」
そう語る遠藤の目は何よりも真剣だ。
ガチエージェントに一切の妥協はない。
遠藤の誇りはそこにあるという。
Q、いつも、この道なんですか?
「いや、巡回の道はいつも変えています。
夜中に攻撃を受けているポータルもありますからね。
ほら、そこの郵便局のポータルはレゾネータがいくつか壊されていますよね」
ただ、ハックするだけではない。
ポータルの修復を忘れない遠藤の姿勢に、ガチ勢の気概を感じた。
「ファームを維持しないと始まりませんからね。大切なんですよ、これ」
遠藤は巡回を終え、カフェに向かう。
勝手知ったる動きで座席を確保する。
Q、朝食ですか?
「いやあ、やっぱりエージェントは体が資本ですからね。
でも、この窓際の席は3つのポータルがスキャナーに入るんですよ」
そう言って遠藤はスマートフォンを操作する。
ハックしながらサンドウィッチを食べる手付きは手慣れたものだ。
「この3つのポータルは入店前に2回ハックしていますからね。
バーンアウトしたので次のポータルに向かわないと」
素早く会計をし、店を出る遠藤。
その足で東京駅に向かう。
時刻はまだ6時22分だ。
「すみません、静かに」
「あちらを見てください。
あのサラリーマンが急に立ち止まってスマートフォンを取り出しました」
「彼はResistanceのエージェントなんですよ」
「こうやって実際にエージェントと遭遇できるのは拡張現実ゲームの醍醐味ですよね」
遠藤は以前はオンラインゲームに没頭していたが、
Ingressがリリースされてからはこれ一本だと言う。
Q、話しかけないのですか?
「そうですね。話しかけることもありますが……。
今日は彼が維持しているファームを攻撃する予定なのでやめておきます」
午前中にポータルを巡回した汗を流すために、遠藤は銭湯に向かう。
「この銭湯はポータルになっているんですよね。ここもリチャージしないと」
ただ、汗を流すだけではない。
熟練の技が、光る。
ファーム巡回も一区切りつき、遠藤の攻撃に同行することになった。
今日はJRで浜松町に移動し、増上寺まで敵ポータルを破壊をするそうだ。
「このあたりはResistanceのファームになっていますからね。
そう、朝に出会った彼の職場もこのあたりなんですよ」
昼休みも終わったこの時間帯に攻撃をしかけることが効率的だという。
「会議中のエージェントが多いですからね。リチャージもあまりこないんです」
「仕事は火曜日が休みなんですよ。平日の日中に動けるのは有利ですから」
浜松町から増上寺まで、水没していた地域に草原が広がっていた。
「iOSを使っているエージェントのために残していてもよかったのですが、
このあたりはResistanceのエージェントも多いので仕方無いんですよね」
遠藤のハングアウトに連絡が入ったようだ。
あと1本のレゾネータを刺すとレベル8になるポータルが静岡に2つあるという。
我々はさすがに静岡までは移動できないので、本日の取材は終えることにした。
文章の練習として短くしてみた。内容についてはそれほど同意できないけど。
今話題になっている、これらの記事
当事者意識だの危機感だのはもうバズワードになってしまっている。どうしたら当事者意識や危機感を持てるようになるのかの答えにはなっていない。なので、もう少し具体的に考えてみたい。
まずは、「当事者」を
と言えるだろう。では、なぜ避けるのか。
と考えられる。
この防衛機構は、人間にとって必要なものである。なぜなら、社会の要求には際限がない。対して人間には必ず限界がある。限界を超えてしまわないために備わっている心のブレーキがこの機構なのだ。
そのブレーキが、過敏過ぎると引きこもり方面に進んでしまい、逆にゆる過ぎるといつかバーンアウトしてしまう。多くの人は、自己評価や、時間、報酬、仕事観などの様々な要因にもとづいてバランスを調整してるのだろう。
そう考えると、いわゆる意識高い系は、自己評価や自己実現欲求が高く、防衛機構を働かせずに済んでいるのかもしれない。そういう人たちがそうでない人たちに意識が低いと叫んだところで、圧迫にしかならないのではないだろうか。動かない人を動かすには悪手と思える。
では、どうすればいいかだ。要は、活動開始初期に防衛機構のトリガを刺激しないようにすればいい。例えば、
どういうやり方にせよ、ある程度動き始めてしまえば、あとは慣性がついてそれなりに本気になれるんじゃないでしょうか。
まあこんな感じで、言葉に具体性を持たせるところから始めると、なんかいかにも問題解決法っぽいものがでっちあげられます。社会人になると、弁法や修辞も必要だけど「結局どうすればいいのか」という回答が大事になので、そんなことを心の片隅に学生の皆さんは就活を頑張って欲しいです。
http://syuraw.hatenablog.com/entry/2013/12/05/183752
とか
本気になれない人に足りないのは「当事者意識」ともう一つ。「危機感」。
http://programming-10000.hatenadiary.jp/entry/20131208/1386428823
にブコメした者だけど、今日は嫁と娘が仲良くお出かけして時間が出来たので、ブログ持ってないから増田使って反応してみる。
当事者意識だの危機感だのいろいろ言われてるけど、これもうバズワードとして機能しちゃっててるから
「結局どうしたら当事者意識とか危機感とか出せるようになるの?」っていうことには何の役にも立たってないよね。
なので、とりあえずカギカッコ付きに逃げがちな言葉の中身を、こちらで勝手に詰めていこうと思う。
・ある仕事について、社会から要求されている自分の役割を過不足なく把握しようとしている人のこと。
・要求された役割を把握できない、または把握を避けている人
というくらいに言えるかな。
なぜ避けるのか。これもどういじってもいいんだけど、
・自分の能力・経験を過度に超える要求に対して、無意識の心理的防衛が働くから
ということにしてみよう(適当)。
つまり未知の問題を他人事カテゴリに位置づけることで精神の安定保っているということにする。
というのは、社会の要求というのは際限がないので、どれだけ要求に応えても、もう一段レベルの高い要求が出てくるものだ。
だから、そもそも当事者意識はそれを完璧に発揮すること自体が不可能、かならずどこかに限界がある。
その限界を超えてしまわないために備わっている心のブレーキがこの機構なのだ。
このブレーキの利き方というのは、あんまり過敏だと引きこもり方面に進んじゃうし、逆にゆる過ぎて突っ走り続けるといつかバーンアウトしちゃう。
そのあたりは、経験に基づく自己評価とか、能力に対する自覚とか、猶予時間、報酬、仕事観等々の内的外的要因で、各人バランスを調整してる。
なんか書いてるうちにそんな気がしてきた。うん、そうに違いない。
この説に従えば、いわゆる意識高い学生とかは、自己評価とか自己実現欲求が高くて、防衛機構を働かせずに済んでいるという感じかな。
そういう人たちがそうでない人たちにナントカ意識やカントカ感が足りんと叫んだところで、それは結局圧迫にしかならないんじゃないか。
全く効果がないとはいわんが、動かない人を動かすには悪手だよね。
じゃあどうすればいいかだけど、
要は活動開始初期に防衛機構のトリガを刺激しないようにすればいいわけなので、例えば
・自分にとって無理なく把握・処理できるレベルに仕事を分割・整列して(orしてもらって)、その決めた手順に従って半機械的にこなしていく。
とか。注意点は、細部に入り込んで全体の目的を見失いがちなこと、不測の事態への柔軟性がなくなること。
もしくは
・プライドや恐怖心を利用し、なんとしても成果を出さざるを得ない状況に自分を追い込む。
・就活関係以外の情報をシャットアウトして一切入ってこない環境にする
他人事以外の情報が入ってこなければ、他人事にしようがなくなるので防衛も何もないという自己洗脳方式。
どういうやり方にせよ、ある程度動き始めちゃえば、あとは慣性がついてそれなりに本気になれるんじゃないでしょうか。
まあこんな感じで、言葉に具体性を持たせるところから始めると、
日々の暮らしに困ることのない所得を得ているが、最近は仕事が手につかない。
やらなくてはならないことが山積みだけど、仕事に対して向き合うことが出来ない。
なぜなのだろう?と思い、自己分析をしてみた結果、バーンアウト症候群に近い症状であることに気づいた。
俺は3年前に起業をした。
起業をした理由は社会貢献をしたいとか、新しいものを創造するといった推敲なものではなく、単に前職に嫌気が差したこと、チャンスさえあれば俺はもっと出来ると勘違いをしたということだ。
友人を交えて起業をしたが、起業というものは生易しいものではなかった。
サラリーマン時代に貯めた貯蓄は給与やら事業資金やらですぐに底をついた。
その後なんとか事業を軌道に乗せ、利益が出るまでに成長させることは出来た。
しかし、仕事のキツさと、金儲け主義の俺の考えに愛想を尽かし、友人は去った。
友人が去ってから俺は従業員のためにと働いてきたが、今では「一体自分は何のために働いてきたのかわからない」という状態になってしまった。
金儲け主義に走ってしまったがために「何が何でも売上を上げる」という短絡的な考えに至ってしまったからなのだと思う。
俺は何のために働いているのだろうか?
ひとりぼっちの会社経営。この先に待ち受けているものはなんなんだろう。
今の俺にはわからない。
楽しかったなぁ。
二人で会社を作って、がむしゃらに働いていたあの頃は。
横だけど
というのは、あまり「やんわり」には聞こえないと思う。明らかに個人を意識したひがみ・告げ口の類にしか聞こえない。せっかく仕事を大量にこなして個人評価が(おそらく)高い増田の評価を下げることになるので、あまりおすすめしないな。「やんわり」いくなら、そういうあふれ出る「感情」自体を隠す必要があると思うよ。
たとえば、
「(ピント外れなことを言ったあとで)ちょっと疲れがたまってるのかなあ…」「誰も知らないところへ行きたい、とか、ときどき衝動的に思っちゃうんですよね…(w」
と、「冗談に取り紛らせるみたいにして自分の弱みを話す風」にしてみると、上司は
(1) どうやらこいつはバーンアウトの兆候がある。ちょっとヤバい。
(2) しかも、弱みを見せてくる=自分を「信頼できる上司」と見てる
(3) つまり、仕事の割り振りミスを(今は)上司が悪いと気づいていないっぽい=修正するチャンス
(4) しかも、うまく修正できたら、こいつは恩に着て、今より更に扱いやすい手駒になる
…とか勝手に考えて、いろいろ動いてくれるものだよ。人間は、ああしろこうしろと言われたら動かないが、「自分が考えた内容」には従いやすい。
「仕事をたくさんやっている自分と、やっていないあいつが同じ程度にしか評価されていない」という考え方を乗り越える必要があると考えています。
もし増田の仕事が速かった場合、仕事を頼んだ人は、次も増田に仕事を依頼するでしょう。
こうして雪だるま式に、仕事をする人のところにはたくさん仕事がきて
しない人のところには仕事がこなくなる。
頼んだのに、何もしてくれない人、できない人には、増田氏も頼まないでしょ?(笑)
→増田の方が高く評価されている。
勿論、世の中、何もしてないのに、すごくやっているようにアピールするのが上手い人間が、五万といます。
しかし、増田が書いていることを見ると、増田の同期の場合は、あきらかにその仕事が苦手というのがわかります。
増田が上司の立場だったら、同期の能力には、すぐに気づくでしょ?笑
ただし、上の人から使えない奴と思われて基本給の伸びが下がるような力学が働くようです。
会社の意志決定機構をハックして年収を10~200%増やす技術(社内政治技術実践マニュアル) - @fromdusktildawnの本館
とりあえず増田が直近でこいつに対処する必要は無いと考えています。
頑張って仕事はしてくれてもできないか、やらないと思いますしね。
しかし、マネジメント層に移った時には、いかにして仕事をしない奴が、
増田のチームないし会社にいずらい環境を作るかが大事になると考えています。
毎朝朝会で進捗を報告させたりして、進捗がないことが苦痛な環境を作るなど。
ホワイト企業はダメになってしまうのは、仕事をしないことが苦にならない環境を作ってしまうところにあると思っています。
米Yahoo!のメイヤーCEO、“在宅勤務禁止”について初めてコメント「現在のYahoo!には適さない」 - ITmedia ニュース
→いいえ違います。
上司には認められるものの、増田のように無意味さを覚え、最終的にはバーンアウトを引き起こします。
「モチベーションは有限」という考え方が、ひとつキーワードになると考えています。
モチベーション、やる気は長く続きません。なので、上手な手の抜き方、断り方を覚えましょう。
無理なことを "上手に" 断ることは、社会人の必須スキルの一つだと考えています。
依頼を断れなかった、蹴りきる能力の無いマネージャーのチームは、デスマーチに突入します。
ただ、基本的に「できません」とは言えないので(笑)、積極的に与えられている仕事に対してコミットしている、上司の課題を共に解決しているように見せつつ、
「現状の稼働では厳しい」というのをいかに上手に伝えられるかが大事になります。
かといって増田のようなやる気のある人間は、「仕事」=「作業」と捉えるのは辛いと思うのです。
なので、増田の有限の、限られたリソースである「モチベーション」を最大効率で発揮する工夫が重要になってくると考えています。
自分ができる良い仕事と同様に、成長できない悪い仕事(雑用)も雪だるま式に増えていきます。
年齢は昭和生まれってことで勘弁して欲しい。
疲れちゃったんだ。学校生活が特に。
自分自身は1~2年は学級委員、現在3年では体育委員として色々やってきたつもり。
学年全体がまとまっていなくて必要書類、学年の取りまとめ役は自分が中心に行っていた。
学年の日本人の中では一番上で、担任からの依頼も有り1~2年は体育委員が機能しないことも有ったから体育委員の役割(体育祭・球技大会のメンバー決め)もしていた。
でも自分の力が足りないからなんだろうな、他の学年(特に4年生)からは「3年の体育委員が仕事ができない・無能だ」と陰でいわれてるのも文芸部の部長経由で知ってる。
クラス内からは責任の無い人といわれ、他の教員からも3年はまとまりが無いと叱責だってされている。
ま、しょうがないよね。大人だもん。
それが現実だから、先生に状況を吐き出しても「大人だから我慢しなさい」で終わっちゃう。
後、あるクラスメートの自殺相談なども担任に投げても援助が無いため私が1年半やってました。
大人としての責務ですし、何とか関係機関につなげようとしましたが失敗、そしてPSWの判断等も有り接触をかかわるのをやめました。
実は、学年の取りまとめ、担任補佐をしてたためのバーンアウト(燃え尽き症候群)は自分の通う病院のPSWから指摘される。
1~2年の先生はそれ以外にみんなの出席状況など1人1人まとめたりしてみんなが学校に来やすいようにしてた。
自分もクラスの一員としてできることとか言うとさ、先生の補佐とかしかない。
ホント居心地のいいクラスにできなくてごめんなさい。
他の学年の皆さん3年生、うるさくてごめんなさい。
昨年、このバーンアウト他ストレスPTSDのフラッシュバックなどごっちゃの引き金で解離健忘を起こしその間に学校行事中に私が自殺未遂を行うと言う状況も発生しました。
ま、これは全部私が悪いのですが。
あとね、全日のみんなには本当に申し訳ないなーって思ってる。
だってさ、全日のみんなも大変じゃん?先輩には東大・早稲田・お茶水が居るような学校。
むしろそれが売りの県立校だから、受験勉強だって大変だと思う。
なのに午後5時ぐらいから定時性が教室を使うから教室を明け渡さなくちゃいけない。それ苦痛だと思います。
何とかする力は流石に私一生徒なので有りません、ごめんなさい。
放課後、教室で語り合う時間を奪っちゃってるよね。本当にごめんなさい。
それに、うちらの学年って教室使い方汚くて朝着たら嫌な思いしてないか不安。
最近私も疲れていて帰宅前の教室清掃まで時間が回ってません、ごめんなさい>全日の2年生へ
でも今、投げたらまずいからね。何とか生きていかなくちゃって思うのだけれども学校に行けない。
行こうとすると吐いてしまう。其の関係で免疫力下がって風邪ひいて治りづらくなっている。
とりあえず文芸部の先輩が卒業する・職業訓練が終わる来年の3月までは死んだらまずいなって思ってる。
だから死なない、死ぬ前に学校を退学してそして一応就職して訓練校の人たちも安心させないとね。
彼氏は一応居る、だから分かれるときにはもう二度と好きになれないぐらいに嫌いに案ってもらおうって思ってる。
大切だけれども死んだ後後悔して欲しくないのもあるから。
そういうことで、まだやるべき「さよならに向けた後処理」があるから
すぐ死ぬわけには行かないけれども何故自殺を考え覚悟にいたったのかは書いておこうと思ったので書いた。
でもまぁ気が変わって実行予定過ぎても生きてるとは思うんだけど、でも今もう限界だって言う吐き出し。
もちろん、そういう要素もあるけれど。
そうじゃなくて、「ゲームの中に能動的に突っ込んで行くから楽しい」って言いたいわけ。
嫌々やるのではなく、それぞれの「ゲーム」の中に結果を抜きにした過程の面白さを見出していくっつーか。
ほら、釣りに喩えるとわかりやすいけど
「魚を手に入れる」ためなら魚屋行けばいいじゃないですか。
でも、それを敢えて「釣り」という形にすることで、それがゲーム化して面白くなる。
能動的であることは現実を「過程も楽しめるゲーム」に変える力があると思うんだよね。
少なくとも、嫌々やってるよりはマシって程度の話で。
そして、もちろん「過程も楽しむゲーム」だから、バーンアウトが起こりにくい。
魚は釣れなくても釣りは楽しいわけですよ、ある程度熟達すると。
カネを手に入れるために働くことを能動的にこなすうちに、
カネっていう目的を抜きにしても面白みが見出せるようになっていく。
口説くこと自体が面白くなってくる。
そして、これは所詮ゲームなので敗北は織り込み済みなわけです。
俺的にこの思考メソッドはバーンアウト防止もかねてるつもり。
以前(具体的にはマラソンやDuke Nukem 3Dあたり)から3D酔いが酷くて、いわゆるFPSは開始数分で気持ち悪くなるためほとんど遊んだことがない。以前まではそれはそれで良いと思っていたけど、最近になってなんだかもったいない気持ちになってきた。FPSも遊べるようになれば、楽しめるゲームの数が増えて嬉しいよなあ、と。
そこで最近、3D酔いを克服すべく比較的酔いが軽めのものを選んで遊んでいる。今遊んでいるのはXbox 360版バーンアウトパラダイス。やはり当初は頭くらくらしてたけど最近はもう何ともなくなった。
この調子でどんどん酔わなくなっていったりしないかなあ。
言いっ放しもあれなので、PS3とXbox360のマルチタイトルになってるゲームを挙げてみる。
機種間の追加要素等は無視。基本的に同じタイトルと思われるものを挙げる。
リッジレーサー6[Xbox360],リッジレーサー7[PS3]
ニード・フォー・スピード カーボン[PS2,PS3,Wii,Xbox360] ←これはちょっと差分がわからない
コールオブデューティ3,4[PS3,Xbox360] ←Xbox360には2もある
バーチャファイター5[PS3],バーチャファイター5 Live Arena[Xbox360]
ゴーストリコン・アドバンス ウォーファイター2[Xbox360,PS3]
ゴッド・ファーザー ドン・エディション[PS3],ゴッド・ファーザー[Xbox360] ←差分不明
The Elder ScrollsIV:オブリビオン[Xbox360,PS3]
ニード・フォー・スピード プロストリート[PS3,Xbox360]
ドリフトナイツ:Juiced2[PS2,PS3,Xbox360]
FIFA08ワールドクラスサッカー[PS3,Xbox360]
ワールドサッカー ウイニングイレブン2008[PS3,Xbox360]
バトルフィールド バッドカンパニー[PS3,Xbox360]
ロストプラネット エクストリーム コンディション[Xbox360,PS3]
……つかれた。すくなくとも33/83(?)本はXbox360とのマルチタイトル。このほかにも、PS2,Wiiとでそれぞれマルチになっているタイトルもある。で、PS3じゃないとできないタイトルってなにがあるんだっけ?