2020-04-09

医者やめました

3月まで救急医だった。

500床規模で当直明けは当然のように日勤で36時間勤務、ブラック企業も青くなりそうな総合病院だった。ちなみにこれだけ働いても給料は800万かそこらだった。

「そうだ、医者やめよう」はじめてそう思ったのは約1年前、救急医7年目の4月だった。熱心な同期がバーンアウトした。よくあることだ。それと前後して上司妊娠した。とてもめでたいことだ。ここまでは良い。問題は「当直可能医者」が補充されなかったこと…?いやいや、なに言ってんの?補充用員なんているわけないじゃん。一人前の救急医が余ってるわけがない。そして、月5-6回でまわせていた当直が、月7-8回になった。つまり3-4日にいちどは36時間勤務だ。

それから間も無く「以前より患者さんや家族に冷たくなった自分」に気づいた。

「(一晩の救急外来受診者が)50人超えると色々雑になるよねwww」とか笑って話してた。この状況が続くと「医者として」どころか「人として」終わる、そう思い始めた。この思いに追い討ちをかけたのは五輪だ。どこか遠いところからやってきた、母子手帳携帯で既往歴も予防接種歴も不確実な小児とか?マタ旅()妊婦の早産とか?ごった返す救急外来救急車でやってくる軽傷患者とか?無理無理、絶対ゴミを見るような目で見ちゃうもん。情報が不十分な状況で全力を尽くしても訴訟になるケースなんかいくらでもあるしね。そうだ、やめよう、自分が今の仕事を続けたところで誰も幸せにならない!

2020年3月を目指して退職準備にとりかかった。正直この時点ではまだ迷いがあった。そこに転がり込んできたのが転職の話だ。外資系企業ヘルステック部門年収は倍以上って、当直なしでこんなにもらえんのかよ、二つ返事で引き受け、面接の結果、無事採用された。病院の方は1年以上前に切り出したこともあり、予想より円満に辞めることが出来た。そして晴れて2020年3月勤務医暮らしから解放された。以上、救急医の30代男性がドロッポするまでの経過です。

うそう、それからCOVID-19だ。いやほんと、このタイミングでやめてよかったなって、素直に思う。学校休みショッピングモールに行って発熱ヨーロッパ旅行から帰国して咳が止まらない?無理無理、絶対ゴミを見るような目で見ちゃうもん。

ちなみに疲弊した同級生達は科を問わず続々と勤務医をやめている。いつまで続くか知らないが、企業専門職スタッフとしての医者求人は増える一方だ。そしてCOVID-19がトドメ医療崩壊は止められないだろう。まあ、1回ぶっ壊れたほうがいいんじゃないですかね。最前線で戦う全国の、かつての戦友達の無事を祈っています

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