どの増田が元なのか理解していない通りすがりの増田なんだけど、その通りだなと思う。一種のトラウマで、これを解消することはものすごく難しい。
私自身、昔は人そのものが嫌いで、一人が良いとずっと考えていた。今は、解決はしてはいないものの「信用できる人、できない人を見分ける努力はしよう」と思えるようになった。
どうやったか。成長するにつれ、単に沢山の人と会う羽目になっただけである。そうすると「大部分の人は怖い」と考えることはどうも不合理だな、と気づいた。そして「大部分の人は好い人であるが、中には怖い人もいる」と変わったわけだ。
一方で、外国人を身近に感じたスタート地点は大学の留学生たちだ。留学できる人なんてのは基本的にはある程度良い家庭で、良い子に育ち、優秀だ。
だから第一印象がとても良いわけだ。この刷り込み(悪い方向で受けるとトラウマ)は強烈で、そうそう覆せない。目で見て、実際に会って感じた外国人像は、テレビやネットの「悪い外国人がいるんだよ」という2次元の情報程度では「外国人はヤバイ」と変換されることはない。
しかしここで、良い人だと思っていた友人の外国人から突如裏切られたらどうだろうか。反応は人によって様々で複雑だが「みんな良い人だ」から「みんな悪い人だ」に180度転換することもある。
冷静に考えれば不合理である。しかし「良い人だと思っていた外国人に裏切られた。だったら他の外国人も裏切るに違いない」という理屈付けでその思考を正当化するだろう。
もし「怖い外国人」やら「怖い異性」やらが、自分が会って目にしたものではなく、単にネットやテレビから得た情報のみによって醸成された場合、同じくネットやテレビの情報で「良い外国人」「良い異性」を沢山見ることで解決するかもしれない。とはいえ、ネットやテレビはその特性上「良くない情報が目につきやすい」ので、テレビやネットの情報の海から一度離れる、ということも有効だと思う。
では二次元情報ではなく実際に目の前に存在する外国人から裏切られたらどうか。これは間接的に説得されても解決しない。
どうすればよいか。これは最初の例の通り「悪くない外国人」と実際に会っていくほかない。トラウマってのはやっかいで、頭で何とかしようと思ったり、人から変えなさいと言われても変えられるもんじゃない。
だからここから先は増田が「どの程度外国人について理解したいか」ということが重要になる。動機が必要なわけ。「別に外国人のことなんか知りたくない」場合、外国人にわざわざ会いたくもないだろうし、これから先も悪印象が変わることはないだろう。異性の場合はどうだろう。「別に知りたくない」というわけにもいかない、知りたいよね?(ゲス顔
「町中でとても良い異性に出会ってしまった」「めっちゃ良い外国人をネットで見かけた」という偶然は期待薄である。もし「このままではいたくない」と思うのであれば、自分自身で動く必要がある。
怖くない人か怖い人かを見分ける方法は、これまた少しずつ「怖くなさそうな人」に会って自分で学んで感じ取っていくしか方法はないのだから。
うるせえんだよ事実としてそうであることぐらい最初からわかってんだよ 問題はそれをどうすれば見分けられるかだろうが それが一筋縄でいかないから、欧米の市民はテロに怯えてるん...
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