はてなキーワード: 謙遜とは
非常に的をえた(射ただっけ?)考察だと思う。
いわゆる昭和以前の日本人の民度レベルであり、この令和の時代にまだ残っているのが残念である。
昭和以前の民度というのは、つまり「うちの家内ってェのはろくでもねェやつでして・・・」
「うちのできのわるいバカ息子はまったく手ェを焼いておりやして・・・」っていう、
ネットやITやモバイルが普及する以前は、そうした言外のパフォーマンス、接頭句というのは効果があったと思う。
家族ぐるみ、終身雇用を前提としたメンバーシップ型の護送船団経営であったからである。
しかしそのような経営方式はジョブ型雇用に置き換わろうとしている。
つまり、部下=子供、上司=親のような不平等関係はなりたたなくなり、
1社員であろうとも1個人=才能として尊重する姿勢が必須となってくる時代である。
つまり「うちの部下ってェやつぁデキが悪くて、いっちょ私めが皆様に模範を見せてやりてェとこでして・・・」
みたいな、しょうもない昭和の寸劇をする必要性がなくなってきているというわけである。
どうしても茶番がやりたいなら「ここでこう言ってね」と前置きがあれば
こちらも心置きなく「おおー凄いですね!」と褒め倒すが。
個人的にこれは「親が人前でまるで謙遜するみたいに子どものことを下げて
演説中に誰かに質問を振り、その人が誤答したり分かりませんと答える事を利用して
流れとしては
「えっと…分かりません」
「知らないよねぇ?そうですよね。なんと○○は日本でn番目なんです!」
という流れ。
こういう人は質問をされて踏み台にされる側の気持ちを考えた事はないのだろうか?
目上の人間が目下にやる事とはいえ、さすがに失礼極まりない行為だと思う。
この手法はテレビ等のメディア出演者もよくやっているが、あれとはやり方が決定的に違う。
彼らは楽屋で挨拶したりスタッフ・共演者で打ち合わせしたりした上で
誤答役としっかり根回ししてやってるという事が分からないのだろうか。
色々な心の声をグッと我慢して「いやー分からないですね」とやっているが
内心はらわたが煮えくり返っている。
しかもこの手の人は、指名された人が正答すると非常に機嫌が悪い。
「増田ってあの程度のことも知らない奴なんだな」と便乗して貶してくる場面まである。
かといって周りにも分かるほどの「露骨なバカなフリ」だと「失礼だ!」という怒り方をされる。
どうしても茶番がやりたいなら「ここでこう言ってね」と前置きがあれば
こちらも心置きなく「おおー凄いですね!」と褒め倒すが。
個人的にこれは「親が人前でまるで謙遜するみたいに子どものことを下げて
子どもが内心親の言葉に傷ついてしまう」の事案に似ていると思う。
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最近、立て続けにこの手法を取る演説者に遭遇したので、つい書きたくなった。
厄介な事にほとんどの人はどうも優位に立とうとか貶そうという意図はなく、天然でやっていると見受けられる。
やはり私もサラリーマンであり相手は偉い人なので残念ながら直接言うことはできない。
昨日同僚にそれとなく漏らしたらどうやら同じ事を思っているようだったので、自分だけではなさそうだ。
要領悪いし朝起きられないし、総合して仕事ができないけど、頑張らなければ と思って時間をかけて頑張ったら、仕事が出来るやつだと評価されて、本当に頭が良くないと出来ないような激務部署に飛ばされてしまった。
出来ないから自分は頭が悪いからと言っていたのに謙遜にしかとらえてもらえなかった。結果、仕事に着いていけてない。未経験の業務で今までの経験もまったく活かせなくて本当に苦しい。何もわからない。
仕事がぜんぜん覚えられない。臨機応変に対応できない。何もできない。こんなにわからないなんて頭がおかしいのだろうか? 辞めたいけど辞めても人生の先が見えないし、またここで頑張って仮になんとかなってしまっても、難易度が上がっていくだけでいつか破滅するとしか思えない。仕事できない覚えられないってちゃんと言ったのになんでこういうことするんだろう。もうやだ
自分には「先延ばし癖」「継続力の無さ」「完璧主義」の気質があり、少しでも(主観的な)成長が感じられないと全てを投げ出して逃げる。そのお陰で大した成功体験がないにもかかわらず、心の奥底では「オレはまだ本気を出していないだけ。出せば簡単に出来る。」と思っている。本気を出せないことも含めて自分なのに。
また、人前では極度に謙遜するがその実自分のことが大好きで大好きで仕方がない。恋愛に関しても相手が好きというより必要とされている自分が好きなだけ。より必要とされるために浮気と捉えられても仕方がないことを繰り返す。今の自分があるのは母親の不在と父親からのネグレクトに全ての責任があると本気で思っている。選択してきたのは全部自分なのに。
もう自分が好きなのか嫌いなのかわからない。というか0か100かの考え方しかできないので一部が好きで一部が嫌いというのができず訳がわからないことになっている。ぐちゃぐちゃだあ
多分二十歳ぐらいから、怒りを表明することは意味がない、非効率だ、と考えて怒らないようにしてきた。
もちろん時には感情として怒りを感じることはあったし、その感情が外に出てしまったこともあったと思う。
それでも少なくとも「怒りを表明するよりも、問題点を淡々と指摘し、落とし所を見つけていくべきだ」というのを自分の行動規範の一つとしてきたと思う。
そうすると、副作用として、怒りを表明している人に対して軽蔑の念を覚えるようになる。
とはいえ、そういった人を表立ってバカにしたり、非難するようなことは、基本的にはしていないつもりだ。
それは怒りの表明とはまた違うが、それに準ずる行為であり、それもするべきでないと考えているから。
だけど自分は単に怒らなくてもやっていける程度には恵まれた立場にいるだけだということに最近ようやく気づき始めた。
男性として東京でソフトウェアエンジニアとして働いていると自分は明らかに多数派だし、そこそこ仕事はできる方なのでそれなりの自己肯定感と給料を得ながら生活できる。
全てではないが、あらゆるものを持っていると思う。
怒ることなく穏やかに振舞い続けていると、「増田さんって本当に落ち着いてますね」「人格ができていますよね」ということをたまに言われる。 (たまにね)
「そんなことないですよ、結構しょうもないことにイライラしたりもしてますよ」と謙遜して返したりするが、自分の信条を肯定されているようでとてもいい気分になる。
だけどそれは、単に「怒る必要がない」からできているだけのことである。
自分の場合は怒るまでもなく周囲の不快さをある程度取り除けるので、怒る必要性はかなり低いし、怒らない方が多分圧倒的に効率よく物事を進められると信じられる。
そこに最適化された結果の振る舞いに過ぎない。
だけどこのような生き方は、「怒りを表明する人」に対して直接的に非難したり攻撃はしていなくとも、間接的にはそういった人々の評価を下げているのかもしれない。
彼ら彼女らは人間としての程度が低かったり損得勘定ができないから怒っているのではない。
確かに、損得勘定がもう少しできれば怒らずに済む、という仮定は成り立つかもしれないが、社会の歪みのせいで日頃から感じているストレスだったり、そういった状況に対する無力感が蓄積していたら、「問題点を淡々と指摘」できるほどには自制心が働かないこともあるだろうし、それどころか怒った方がむしろ効率が良くて、そこに最適化されている可能性だって考えられる。
もちろん、怒らないと問題を解決できない状態よりは、怒らなくても解決できる状態の方が望ましいとは思う。
だけど現実はそんなに綺麗じゃない。
ホッテントリになってる早稲田の人研のインタビューで書いてるように、
鏡を見ても「現実の自分と理想の自分の乖離」みたいなのを感じない人は問題ないんだよ
でも、その身の丈を自覚してないというか、山月記の肥大した自尊心というか、
「現実を見ろ」「俺が用意した鏡を見ろ」
とは言ってるんじゃないかと思うし、それはそれで自戒を込めてだったり、
ちょっと嫉妬というか、悪い言い方をするなら、庵野氏は優れすぎてたんだよ
それは「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の前からすでにそうだったと思う
なんというか、はしゃいでるオタクとか、若い世代とか眺めては、
そこは俺がとっくに通過した地点であって、おまえら甘いなあ、
みたいに思ってたと思うし、
シンエヴァは知らんけど、旧劇とホッテントリのインタビューを読んで、
非常に面白いと思うんだけど、どこか自惚れというか、そういうのも感じられる
謙遜しているけど、庵野氏自身としては最善を尽くして出し切った感があっただろうし、
内容に対して、BBSなどで「庵野○ね」みたいに書かれて腹立ちもあっただろうけど、
内心は「勝ったな…」「ああ…」だったと思うんだよなあ
ちょっと話が脱線するけど、Amazonなりネットのレビューを見ていて面白いのは、
例えば「主人公が酷い目に逢いすぎるので☆1つです」みたいな評価を下す人がいて、
視聴者や読者の感情を作品で操作できてる時点で「作者の勝ち」だと自分は思っていて、
まあ、それは炎上マーケティングと似て非なるものだとも思うんだけど、
つまり、毒にも薬にもならないぐらいなら、猛毒を盛った方が作品としては面白い
というか、不愉快であれ、胸くそ悪いであれ、印象には残るわけだ
印象に残らない作品よりはよっぽどいいと思う
あるレベルを越えるとマスの客は単に不愉快なので逃げてしまって、露悪趣味の客だけ残ってしまうわけだけど、
それはそれでニッチを狙ってるともいえるわけだけど、売れる作品ではなくなってしまう
話を戻すと、現実を見ろ云々だけじゃなくて、庵野氏としては天然か意図的かは知らないけど、
それは上述したように、毒を混ぜないとつまらない作品にしかならないから
だから、「現実を見ろ」という主張をエヴァには混ぜたけど、他の作品には混ぜてないかもしれない
それは庵野氏にとっては主張自体もどうでもいいというか、それも作品を盛り上げるためのスパイスでしかない
庵野氏自身は「現実を見ろ」と昔から深くは考えていないのかもしれないけど、
エヴァに「現実を見ろ」という主張を混ぜたら、観客はどう思うかな?炎上するかな?
そういう作中に作者が込めた意図的な挑発に単にのる人は、作品にのめり込み過ぎてる人、つまり、現実を見ろの対象であって、
そうではなくて、作り手側の立場で考えられる人はエヴァのラストもそんなに怒らないと思うんだよね
自分で言うのもなんだけど、自分もエヴァのラストには怒らなかった
というか、TVの25、26は作画崩壊ネタにも思えたし、エヴァはループしてラブコメになってるのも良かった
「え?ここまで視聴者を引っ張り回して、なんの謎も解決しないまま、全部夢オチというか冗談でしたで終わっちゃうの?」
と怒る人は怒るんだろうけど、
なんかそれがガイナックスらしさというか、DAICONフィルムらしさというか、まあ、無責任だとは思うんだけどw
結論としては、庵野氏自身に「現実を見ろ」という信念みたいなものは多分ないんだと思うんだけど、
エヴァに敢えて「現実を見ろ」という演出を込めたら、BBSに「庵野○ね」とか書いてる奴らは顔真っ赤にするかなあ、
だから、そこを楽しめる人でないと怒るんだと思うんだよなあ
あと、自主制作の帰りマンも庵野氏がウルトラマンやっちゃってるけど、あれは自主制作だから許されるんであって、
流石の庵野氏も円谷プロからも依頼されたシンゴジラでは、そういうことはやらんわけだよ、当たり前だけど
でも、自分としては円谷プロは今の東京オリンピックと同じように、お家騒動とかでゴタゴタして会社は傾かせるし、
インタビューで、今のウルトラマンは過去のウルトラマンのメタファーでしかない、みたいに言ってるように、
あの辺が限界だったんだろうなあとか、庵野氏は大人になった、丸くなったんだなあ、とか思って、
それがちょっとつまらない一因でもあったんだけど、まあ仕方がないとは思うんだよね
インディーズで売れない時代にライブで負傷者を出すようなステージパフォーマンスがあってもいいけど、
というか良くはないけどw
売れて日本でいうならミュージックステーション?に頻繁に出るぐらいの知名度を得たのに、
インディーズ時代のノリでステージパフォーマンスで負傷者出したら、マスコミとかに叩かれて消えてしまうだけだと思う
だから、シンウルトラマンも庵野氏がウルトラマンになることは絶対ないんだろうけどw
インタビューで語ってたように、初代ウルトラマンって沖縄問題とかイデオロギーとかのメタファーだった、
どっちかというと左翼的というか、学生運動的な臭いもあったと思うのだけど、
彼なりの初代ウルトラマンのようなイデオロギーのメタファーのウルトラマンが観れるんだろうなあと期待はしてる
ただ、自分としては上述したように、初代ウルトラマンのイデオロギー、左翼的とも言える面は面白いんだけど、
プロ市民とまではいわないけど、普段から少しはそういうことをぼけっとでも考えている人なら、
初代ウルトラマンみたときに、あー、難民問題みたいなもんだよな、バルタン星人、とか思ったりするわけなんだけど、
当然、子供はそんなこと考えないで構わない、正義が悪を倒すのを観て消費してくれればいいし、
大人になって改めて観て、初代ウルトラマンを作る側が何を考えていたのか、意図してたのかを考えてみるのもいい
というか、そういうイデオロギーを作品にスパイスとして込めておくことで、そういう奥深さが演出できる
そこに意味を持たせすぎると、「〜するべき」みたいなべき論を伝える説教臭い作品になるわけで、
そこから視聴者それぞれが自分勝手に自分の人生と重ねたり色々自由に考えて自由な感想を持ってくれて構わないと思うんだよね
だから「現実を見ろ」も庵野氏のスパイスのあくまで一つであって、それは昔から使っていたのかもしれない
使ってても視聴する側が気が付かないだけということもあるし、それはそれで構わないんだと思う
若くしてソフトウェアエンジニアとして業界でもかなり名の通ってるスーパーエンジニアがいるんだが、
たまたま、そのエンジニアさんが不在のときに、そのご両親と話す席があって。
その人が作ったプロダクトについてもエベレスト並みに高いところにあるって意識だったんだけどさ、
そのご両親が「ぜんぜんそんなことないですよー」っていうわけ。
いや、そんなことあるよと。
「いつもぼーっとしてるし賢くもないですからね。凄いことなんてないですわ」
っていうのよ。
息子を褒められて嬉しそうではあるんだけどさ、
むしろ仲良しの親子だからこそ照れ隠しで言っただけなんだろうけどさ。
なんだろうね、成人済みのわが子を自身の延長として見ているというか一体化しているというか。
そのことを両親が謙遜とはいえ否定するのって何か違う気がするんだよ。
ええ、まあ貴方は全然すごくないですけど、それとはまったくの無関係にあなたの息子さんは偉大ですよって言いたくなった。
性格悪くてすまん。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 73 | 11476 | 157.2 | 59 |
01 | 54 | 6434 | 119.1 | 36 |
02 | 91 | 5431 | 59.7 | 31 |
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05 | 14 | 2100 | 150.0 | 70 |
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07 | 93 | 12757 | 137.2 | 39 |
08 | 107 | 11889 | 111.1 | 43 |
09 | 222 | 19711 | 88.8 | 42 |
10 | 250 | 19932 | 79.7 | 48.5 |
11 | 211 | 16956 | 80.4 | 51 |
12 | 174 | 14149 | 81.3 | 36.5 |
13 | 164 | 12363 | 75.4 | 42 |
14 | 190 | 21012 | 110.6 | 47.5 |
15 | 228 | 13997 | 61.4 | 32.5 |
16 | 147 | 12844 | 87.4 | 38 |
17 | 168 | 14270 | 84.9 | 36 |
18 | 94 | 14355 | 152.7 | 38.5 |
19 | 118 | 13314 | 112.8 | 48.5 |
20 | 172 | 18009 | 104.7 | 41.5 |
21 | 114 | 10463 | 91.8 | 33 |
22 | 92 | 11011 | 119.7 | 42 |
23 | 91 | 11958 | 131.4 | 39 |
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たぶんコンプレックスを正当化しようとして他の人に失礼な事してしまった話?
って部分がやらかした事で、謙遜するつもりが失礼な表現になったとかそんな感じ?
この行から下はできない人間だってことを悩んでいるように思えるけど、そっちより精神的に来てるのやらかして怒られた事かなぁ
悩んでいたり劣等感がある人にあなたがやるべきなのは自分を下げるコミュニケーションをやりかえすことではなく
私はおそらく、“上の下”くらいの人間だ。
大抵の事柄は上手くできる。
素人に混じれば超人扱いの特技もある。過去の模試の成績などを参照するなら、世間一般的に頭は良い方だろう。
親に褒められたり、再会した友人に凄いと言われたり、ネット上で反応をもらえたりすることも少なくない。それは純粋にうれしい。
ただ少し問題がある。
私が育った環境は、いわゆる“上の上”に位置する人間で溢れかえった環境だった。
学校にせよ、習い事にせよ、同じクラスには全国レベルがいる。私が知らないだけで、隣のクラスには世界レベルすらいたんじゃないかとも思う。
天才と一括りに言ってしまうと努力している人に申し訳ない気がするが、いわゆるそういう天性の何かを持ったような人たちが集まる空間で育ってきた。
その環境に文句はない。(ないならこんなの書くなって話だが)むしろ感謝している。実際それでたくさんの素晴らしい友人を持つことができたのは事実だ。
そんな人たちと確かに同じ空間で学んで育ったけれど、私は天才ではなかったし、あとから天才になることもできなかった。
学校で劣等感を覚えることはなかったと言えば嘘になる。嘘にしかならない。毎日感じていた。全くわからない長文を瞬時に理解できる友人、簡単に数式を立ててのける友人、簡単に筆者の意図を読み解ける友人。私よりできる人しかいないような空間で、ひどい点数を取り続ける。
親は私が落ち込んでいるとよく「あの学校でこのくらいなら十分だ」と言っていた。
たとえば中学の同期に会うと、「あんな学校に行くなんて」「すごいね」という言葉が飛んでくる。私は曖昧に笑うことしかできなかった。
私は下手に負けず嫌いなくせに、自己肯定感が低いとてつもなく面倒なタイプの人間だ。
そんな私があの環境で育てば自然と「私は全然凄くない」というお気持ちがでてくる。
それでも世間は私を凄いと言う。
実際私が自分の学歴を「ぜんぜんです」と否定したら、冗談抜きで相手にキレられるだろう。私としても申し訳なくて言えない。本当に素晴らしい学校だったから。
だとしても、私は自分を素直に誇れない。誉め言葉を受け取れない。
すごいと言われたことのあるものは全部私よりできる人が周りにいた。誉め言葉を受けとっても脳内に浮かび上がるのはその友人の顔だ。
以前までは即座に謙遜していた。
「そんなことない」「私なんてぜんぜん」「私よか凄い人いっぱいいるし」
本心なのは間違いなかった。その謙遜が相手に失礼だったと最近やっと理解できたレベルで私は愚か者なのだから。ただ理解してしまったから、今は解決法が見つかるまで曖昧に流すようにしているが。
もう一度言うが、環境や友人に不満はない。一切ない。あるわけがない。恵まれていることも分かってる。贅沢な悩みなんだろうとも思う。
でも私は馬鹿だから、誉め言葉を素直に受け取るためにはその分野で実際に頂点に立つしかないんだと思い込んでしまう。
私は“すごい”のか?
仮に“すごい”としても、“もっとすごい”人が隣にいるから、称えるのは私じゃなくてそっちだよ。
ちなみに友人を妬んでるつもりは一切ないのだが……この性格なので否定はできない。
ただその人はいつも努力していたし、その絶対量は私より確実に上だ。だから当然のことだと考えているつもり。
ここまで書いておいてなんだが、私は自分が何を言いたいのかすらよくわかっていない。
ただ気持ちを吐き出したいだけなんだろうが、言葉をまとめることすらできないような凡人以下の存在だ。
でも私が自分を卑下すると相手に失礼な態度をとっていることになる。
小心者なので、自分がミスを犯したときの予防線も欲しいから余計傲慢になれない。
なんでこんなくだらないことで悩んでしまうのか。原因は私の言葉の受け取り方だとわかっているのに、自力で治せないあたりやっぱり私はダメな人間だ。
完璧超人にでもなりたいのか?と聞かれそうだが、なれるんならなった方がいいと思う。
なれないとわかっているのにこう考えてしまうところも愚かだと思う。
上には上がいる。そんなの当たり前だ。本当の頂点に立つ人がそう身近にいるはずないこともわかってる。実際私が天才だと思っている人もトップレベルなんだろうが、きっとトップではないのだろう。そう思うと本当に虚しくなってくる。そう思う自分が虚しい。
最初から最後までひどすぎる文章だったが、もし対処法知ってる人がいて、教えてくれる親切な人がいるなら聞きたいからここに投下しておく。
私は女で、高校生です。ちなみに星野源が好きです。私淑してます。
私は自分のことを「女子」だとは思っていません。女だけど「女子」じゃない。(初投稿)
私は趣味や考え方がどちらかといえば男っぽい方だと思います。工作とかパソコンとかが好きですし、感情よりも理性を優先して物事を決めたいです。家庭科より技術、文系じゃなくて理系(物理選択)。
「女子」が嫌いなわけじゃありません。感覚で理解ができないだけです。
一緒にトイレに行くのとか、「掃除行かなくてもいいよねー」と仲間内でサボるのを認め合うのとか、グループでの決め事で絶対「どうする〜?」から初めて絶対自分の意見を言わないとか、とりあえず「かわい〜」とか、とりあえず謙遜するとか、変って言わずに個性的って言うとか。人を傷つけないコミュニケーションというか(自分も傷つかない)(本当に仲良い人の間では別かもしれない)。私には理解できないけど、考えがあってやっていることだから、否定はするべきじゃないとわかってはいます。(でも毎回、もっと合理的にやろうよ、と思ってしまう)
でも、周りの女には自分と同じような価値観の人があまりいません。ましてやメディアなど目立つ場所で、自分と同じような価値観を持っていると期待できるような人をあまり見かけません。
なんなら世間から「「女子」の思考」を押し付けられているような気がします。雑誌の表紙なんかが特にそうだと思います。まあこれは好きじゃないなら買わなければいいだけの話かもしれません。
なぜ「女子」の思考を押し付けられているように感じるかというと、自分は女で、「女子」に属しているはずなのに、精神的には自分の居場所はそこじゃないと感じるからです。
つまり、なんで表面上の特徴で内面まで規定されないといけないの?おかしくない?ということです。
めっちゃ被害者ヅラして申し訳ありません。男友達を作ればいいだけですよね。
でも、こんなに女子が無理とか言っている割に、小学校の時からずっと女友達だけの人間関係で生きてきちゃったので今更どうやって話したらいいかわからないんですよね(ただのコミュ障)。
女子とでも男子とでも明るく話せる人が羨ましいです。「女子」の集合に属しているのにそのしきたりに従わなかったのが、今こうなっている原因な気がします。従わないなら従わないなりにほかのコミュニケーションの方法を模索するべきでした。馬鹿だった。
引っ込んでいくーーー
確かに、「女子」という大きな集合に含まれているっていう安心感は絶大です。人類の二分の一。それにいちいち考えなくていいから楽だし。でも、そこが絶大だからこそ、心では含まれていないときの心細さがすごいんだよ!!!!わかっておくれ
で、世の中に何を求めているかというと、「女子」括りをどうにかしてほしいんです(こういうのは「私はこうしたい」とするべき?)。「女子」だからこう考えるでしょ?と言って発信する「女子」に、「女子」に含まれない(と感じている)女を認知して欲しいんです、理解できなくてもいいから。
価値観を外面で決めつけないでほしい。内面から純粋に思うことだけで決めさせてほしい。例えば、これはもう古いのかもしれないけど、青が好きだけど女だからピンクにしておこうかな、とかそういうことを後の世代に思わせてはいけない(思いたくなかった)。一回外面で内面を規定されてしまうとそういうものなのかなって(純粋だから)思って、自分が心から(genuine)好きなものがわからなくなっていってしまう。そうして画一化していく。
せっかく戦後豊かになってきたんだから、物質的な豊かさ(≒自由?)だけじゃなくて精神的な豊かさ(≒自由、多様性?)も認めていこうって感じだよね、世の中。だからもっとばらばらになりたい。
私はあなたの存在は認めるし、基本的な愛は持っているけど、でもどうでもいいや、ご自由に。っていうスタンスで、もっとばらばらにならないかな。ばらばらがスタンダードにならないかな。
「世界は一つじゃない ああ そのまま ばらばらのまま 世界は一つになれない そのままどこかにいこう」
去っていくーーー
(書きたいことが右往左往してしまいました。無理矢理ばらばらを持ち出してねじ伏せた感がすごい、、、初投稿ということで許されたし)
鈴木大拙は大乗を情の仏教で上座部を理の仏教だみたいに書いてたけどまさにそれ。
なんとなく寄り添って、肩入れして、励まして、あとはお経を唱えるだけで阿弥陀様が救ってくれるからねとかいって、それで解決するのかと。
ちゃんと仏法を説いて、理屈で説明して、実践手段を与えて、やらせて、指導して、時に「だらしねえぞ」としばいて、頑張らせる、当人が頑張るのが仏教でしょうと。
時代が違うから、救済宗教としての大乗仏教の需要がなくなっているのは仕方がない。
もともとの仏教は、個人が出家して修行したり知識を得たり戒律を守ったりすることで救われるという宗教だった。そういう自助によって救われるというのは現代の目から見ると納得感があるけど、古代や中世の時代にはそうとも言えない。
古代や中世では庶民は生きるだけで精一杯。戒律を守っている余裕なんかないし、そもそも識字率が低い時代だと仏教の教義を知ること自体が困難。
そうすると、救われるのは高位聖職者と金持ちだけになってしまう。そうした人間だけが天国に行ける宗教って何よ!?という問題意識から生まれたのが大乗仏教。「○○するだけで救われる」というのは、現代から見れば安易に見えるけど、古代や中世において庶民を救うには必要なことだった。
だから、現代の視点から大乗仏教を宗教の堕落みたいに言うのは間違ってる。
ちなみに、律法を守ることを重視するユダヤ教ファリサイ派に反発して、「人が救われるのは律法を守ることによってではなく、神を信じることによってだ」と主張したのがイエス・キリスト。だからキリスト教の聖典には、極端に○○せよ~などの決め事がない。
以下の浄土真宗コピペも、以上の理屈を知っていればよくわかる。
→浄土宗
ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人的謙遜)働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちにしか役立つ可能性がない。
でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたらおまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。
はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう
法然さまはおおむね正しいけど、阿弥陀様なめすぎ。念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。だから俺なんか結婚だってしちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ
おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。つまり俺たちは阿弥陀様のおかげで勝ち組。もう決まってんの。(←日本人的暴走)だから感謝の踊りを踊ろうぜ、let’s dance!