はてなキーワード: 背徳とは
そうですね。小さい頃のほうがより背徳的といえるでしょう。
汚い話。
角栓をいろいろやって引っこ抜くのが楽しい。もちろん「無理矢理取るのは肌にダメージがある」というのは知っている。角栓抜きは背徳のエンターテインメントなのだ。それに、鏡に向かって見ながら取らなくても、無意識に顔をぐにぐにする癖があるので減らしておくに越したことはない。ちなみに泥洗顔とか酵素洗顔経験あるけど芳しくなかったです。
いや、ね?毛穴からあんな大きい、たとえればモンシロチョウの卵みたいなのが出てくるんですよ。それで頬には奥が見通せるかのようにぱっくり開いた毛穴が出来上がるわけで、口と鼻と目以外に穴が空いてるんですよ?いや元々ですけれども…
それで、洗面台に角栓を落とすと、塗れていた表面に脂が広がって水がはけるんです。
おもしろくないですか?汚いですけれども
PV稼ぎ乙とか便乗タヒねとか嘘松とかもうなんでもいい。疲れた。吐き散らしたかっただけ。
これを書いた私はCOVID-19の病棟医だ。日々増える患者数に目を回し、文字通り命を削っている。こんなご時世になるまではよく遊ぶオタクだった。
COVID-19の猛威は止まることを知らない。
感染者数は増え続けるし、なのに人類は出歩くし、私達は制約をかけられながら暮らしている。
通勤以外の外出禁止。県をまたぐときは事前申告で許可が下りたら行ってよし。家族に移すといけないからシャワーを浴びずには帰れない。そもそも家に帰れない。子供の小遣いに毛が生えたような手当をもらって、最前線に立たされている。
もちろん読んでる。時間が許せば当直室のテレビで背徳感を感じながらリアタイ視聴したりもする。
私の推しの話をしたい。彼の名は夏油傑という。額に縫合糸ついてる方じゃなくて、中身まで本人の方。
かわいそうなほどに生真面目で、なのに人間の醜さを受け止められるほど大人じゃなかった哀れな子。強者の義務だと言い聞かせてきたがある日耐えられずにほの力を醜い弱者に振るって皆殺しにしてしまう。かいつまんで言えばそんな子。詳しいことは単行本の8巻あたりを読んできて。
私の末路に彼を見た。
コロナ禍に話を戻そう。
私の置かれた状況は冒頭に書いたとおりだ。私の命を削って、無責任に不要不急に出歩いてはCOVID-19を拾ってくる人類を救命している。仕事以外のほぼ全てに不可をつけられた私達が、それを謳歌する人類のために力を振るう。そんな滅私奉公が当たり前のようにのさばっている。
あれ、一緒じゃん。
私はあんなにイカれてない。あの日の少年より10歳以上歳食ってるだけのことはあるかも知れない。医療者ぜんぶ仲間みたいなおめでたいおつむもしてないし、まだなんとか醜さを受け止めて立っている。
でも。
病魔を払う私達は、屍になってまで平穏を届けないといけないのか。
幸い私の身の回りではCOVID-19で死んだ医療者はいない。けど時間の問題だと思う。現に世界では犠牲者も少なからず出ているわけで、たまたま見かけてないのは運がいいだけかな。
防御服があったって罹る時は罹る。大量のエアロゾルを浴びながら挿管して人工呼吸器を回すのなんて、ほんとは誰もやりたくない。そもそも訳のわからないものは医師だろうがなんだろうが怖い。
なんで私はこんな目に。やめたいとも思ったし、目の前の患者が、出歩く一般人が、憎いと思ったこともある。無責任な一般市民を見下す私がここにいる。
そういう仕事を選んだのは私だし、新興感染症と戦うのはいつか向き合わないといけないお題目だ。けど。もう疲れた。
出なくていいなら家で過ごしててくれればいいものを。
「1990年頃に黄金期を迎えた週刊少年ジャンプは、黄金期を支えた『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』『ダイの大冒険』『幽遊白書』といった作品が終わるといったん低迷期を迎え、1997年には週刊少年マガジンに部数で抜かれるなどの暗黒期を迎えた」のようなオーラル・ヒストリーが語られることが多い。
が、現在になって見返してみると、これは若干の間違いを含んでいるといえるので書く。
ジャンプの部数は1995年に653万部に達し、1995年にドラゴンボール』の連載が終わると1998年まで右肩下がりに落ちている。
1999年および2000年には微増しているため、部数面での暗黒期はむしろ1998年というべき(それでも現在よりは多い)だが、やはり「マガジンに追い抜かれた」という事実のインパクトが大きいというべきか。
まず、連載作品は4つに分けられる。『a.1997年を通して連載されていたもの』『b.以前からの連載が1997年に終わったもの』『1997年に連載が始まり、1998年以降まで続いたもの』『1997年に連載が始まったが短期間に終わったもの』だ。カテゴリー別に見ると以下のようになる。
なお、b,cおよびdは区分が曖昧になることがあるが、dに入れる基準は『連載期間1年未満』を目安とする
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『ジョジョの奇妙な冒険』『BφY-HARELUYA II-』『地獄先生ぬ~べ~』『遊戯王』『封神演義』『るろうに剣心』『真島クンすっとばす!!』『WILD HALF』『みどりのマキバオー』
『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』『ろくでなしBLUES』『幕張』『とっても!ラッキーマン』『 キャプテン翼 ワールドユース編』『レベルE』
【c.1997年に連載が始まり、1998年以降まで続いたもの】
『BASTARD!!~暗黒の破壊神~(背徳の掟編)』『I"s』『ONE PIECE』『世紀末リーダー伝 たけし!』『花さか天使テンテンくん』
『BE TAKUTO!!~野蛮なれ~(※厳密には、1996年50号で連載開始)』『魔女娘ViVian(※厳密には1996年49号で連載開始、97年43号で終了)』『Wrestling with もも子』『COWA!』『私のカエル様』『仏ゾーン』『きりん~The Last Unicorn~』『COOL<レンタル・ボディガード>』『Merry Wind』
「過渡期であった」というならばその通りだ。『ろくでなしBLUES』『ラッキーマン』『キャプテン翼(※WY編の連載開始は94年だが、小中学生編まで含めれば黄金期の作品と言っていいだろう)』といった黄金期組が終わり、"黄金期に小学生で当時中高生だった”勢には読むマンガが少なかったのも確かだ。
一方で、現在の看板マンガ『One Piece』や、当時の少年を性に目覚めさせた『I's』が始まるなど、作品の質がそれほど悪かったということは実は無い。もちろん、新連載に固定ファンが付くのは時間がかかる(『I's』はそもそも作者の固定ファンがいるだろうけど)から落ち込んだイメージがつくのは仕方ないとはいえるが、そのイメージが実際と合っているとは限らないのだ。
ちなみにこの後、1998年には『ROOKIES』『ホイッスル!』『シャーマンキング』『HUNTER×HUNTER』が、1999年には『ライジングインパクト』『NARUTO』『テニヌの王子様』『ヒカルの碁』といった作品が始まり、ジャンプは再び盛り返していくことになる。
これからは「作品の舞台は足立区です」って書けば、現代日本(それも都内)で同性愛が警戒される地域であることを説明できるじゃん。
昨今の価値観だと現代日本設定で背徳感を全面に押し出した作品が好きでもあんまり大っぴらに言えないし、そもそも作品数が少ない。
でもフィクション「足立区」であれば、「足立区だから同性愛はダメ」という簡潔かつ最強の理由になってくれる。そして滅亡オチまで付けられる。
そういう点において現実から背徳感や設定を補強してくれる「足立区」にありがとう。
もっと背徳感推しの作品が増えてほしいので一種のテンプレやジャンルとして生き残ってほしいがそこまでは望まない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201005091600
この増田のブコメで見かけたゲイ蔑視・ゲイ差別的な言説が本当に酷いと思ったので書く。
問題としているのは「セックス出来ないのが辛いならゲイに掘られれば」といった発言だ。女性らしきアカウントによるこうした趣旨の発言を複数確認した。スターを集めている物もある(という事は、誰かが押したという事だ)
こうした発言の何が問題なのか、という事を(全て網羅出来る訳ではないが)私に分かる範囲で書いておく。
なお、私は当事者ではないので「許す」事は出来ないが、今からでも撤回と謝罪はして良いと思う。そして、自らの偏見について反省できる女性は居ると信じている。
まず第一に問題なのは、女性がセックスしたいと思わない非モテ男性も、ゲイなら受け入れてくれる、という誤った前提だ。
当たり前だが同性愛者の中でも「モテ」は存在する。「ゲイは男性なら何でもいいんだろ」というのは女性だけなく男性も抱えがちな偏見だが、ゲイにも当然好みがある。
当事者ではないので詳しい事情は知らないが、ジャニ系やガテン系など、好かれやすい男性のタイプがあり、タイプの選別は厳しい人も居るらしい。
非モテ男性は言わば女性が食べない残飯である訳だが、そんな残飯でもゲイなら食うだろう、というのはゲイへの蔑視に他ならない。
問題の発言をした女性は、何故「セックス出来ないのが辛いなら女性をナンパすれば」ではなく「セックス出来ないのが辛いならゲイに掘られれば」と言ったのだろうか?
まず、私は女性へのナンパは加害行為だと考えている。そして相手がゲイでも同様だと思っている。
相手を性的に見ている事、性行為をしたいという意思表明は、相手を傷つけ得る。女性に対しては恐らく多くの女性が同意するこの事は、どうしてゲイが相手なら看過されるのだろうか?
「掘る」という言葉はこういう文脈で使わないほうがいい、それは肛門に男性器を挿入する際の暴力性を強調する表現だ。
その背徳性を興奮につなげる目的ならまだしも、この文脈では、あなたは「ゲイとのセックス」に「暴力を受ける出来事」としての意味を期待している事に成る。
部外者がゲイ同士またはゲイとノンケのセックスを暴力だと決めつけるのは酷い偏見だ。愛のあるセックス、癒されるセックス、救われるようなセックスもある、それを「掘る」と表現するのか?という話だ。
それから当然ながら、ゲイとのセックスの場合、自分が挿入側に回る事もある事は付記しておく。
そして挿入される側に回る事には抵抗があるノンケ男性も、挿入する側なら抵抗は少ない場合はあると私は思っている。
どうも見ていると、「好きではない相手とのセックス」の象徴としてゲイとのセックスを挙げている人も居るらしい。
単純に失礼だろう。何故あなたの例え話の為に拒まれ嫌がられる前提の当て馬としてゲイを登場させることが正当だと思えるのだ。
最初の問題点と重なる部分もあるが、重要な部分なので改めて書いておく。
ゲイはあなた達女性がいらない男性を都合よく受け入れてくれる便利屋ではない。ゲイはあなた達女性がいらないゴミを入れるためのゴミ箱ではない。
こうした話題でゲイを登場させたいと思った時、そのゲイを女性と入れ替えて考えてみて欲しい。
「非モテでも受け入れてくれる女性とセックスしろよ」とあなたは言うだろうか?その女性の意志はどうなる?それは「女をあてがえ」論と似てはいないか?
「好きではない相手とのセックス」の象徴としてゲイとのセックスを上げているなら、例えば「死ぬほど不細工な女性とセックスしてろよ」とも言い換えられるはずだが、その言い様はあまりにその女性に失礼ではないだろうか?
なら、どうして女性には失礼なことが、ゲイ相手なら失礼ではないと思えるのだろうか?
「セックスできないのが辛いのか、女性に片っ端から土下座して頼めよ」というのは女性に対する迷惑行為の扇動に他ならない、それがゲイ相手なら許容されるとどうして思うのだろう?
あなたはゲイを、女性とおなじく意思も好みも拒否権もあり、暴力的でないセックスもあり得る、ナンパを迷惑とも感じ得る人間だと認めるべきだ。
あなたはゲイを人間扱いしていない、「非モテ男性」に思い知らせるためにカリカチュアライズされた道具としてしか見ていない、それは失礼だ。
自らの中にある偏見と向き合う事は確かに難しく、辛い事だが、それが重要な事である事は分かっている筈だ。
もう一度言う、今からでも遅くないとは当事者ではないので言えないが、撤回と謝罪はするべきだと思う。
「非モテ男性は言わば女性が食べない残飯である訳だが」の部分に引っ掛かっている人が居る様なので書いておくと、この部分は私自身が非モテ男性当事者なので、自虐と「女性が選ばない男性をゲイが選ぶと思い込むおかしさ」を強調する意味で書いた。
尤も、この増田の趣旨はあくまでゲイ差別であり、非モテ男性としての自分の意見をここで披歴するつもりは無い、そんな事をすれば主旨がブレるし、ゲイ差別の糾弾を非モテ男性蔑視への反撃の道具にするつもりはないからだ。あくまでこれはゲイ差別単体の問題である
子供の出産予定日もだいぶ近づいてきて、共に過ごすための環境も整え始めていよいよという感じになってきたし、奥さんの日常生活にもちょっとずつ制約が入るようになってきた。流石に夜の営みどころではない感じになってきた。よくある産前産後の性生活に対するスタンスの違いからくるセックスレスみたいな話ではない。思った以上に母体っていろんな変化があると知るとそれどころじゃないなともいうのが素直なところ。自分の中でも、奥さんのことはとても大好きだけどセックス自体が優先度の高い場所からちょっとずつフェードアウトしていて、これまでの人生になかった感覚なので不思議な感じだ。他方、そんな事情とは無関係に湧くものは湧くわけで、そこは奥さんの目を盗んで空吹かしをする。明確にしてるわけじゃないけど多分向こうも知ってることだろうと思う。風俗は世が世なら迷っていたか言われるとよくわからない。新コロが風俗業界にどれだけ蔓延しているのかはよく知らないが、ほぼ完全に在宅勤務となり、外せない飲みだの会食だのが入ることも殆ど無くなった今では、行為のできるような店の並ぶ街の近辺に足を運ぶことすら不自然になってしまった。(通勤してた頃だったら定期券圏内から少し足を伸ばせば…)浮気だ不倫だも、もともと上手に恋愛ができるわけでも引き合いが多くて困るわけでもないから、多分縁遠い話だろう。不倫相手に掛かるメンテナンスコストを払うなら趣味に費やしたいし、絶対にミスできないマルチタスクを完遂する自信はない。そんな折のコロナ禍で、人と会う機会も9割以上減ったため、迷うこともないし疑われることもない。ただ、最近好きなAVのパターンは性的合意がある寝取りのやつだ。かつて気になってた人が同棲、もしくは新婚生活を送ってる部屋で、パートナー不在の数日間にヤリまくっちゃうやつは、そんな都合良い展開ありえないでしょうという点まで含めて「AVはファンタジー」だなぁと思いながらアクセルを踏んでいる。このAVのフォーマットが好きなのは、おそらく過去の略奪恋愛が最高に気持ちよかったからなんだと思う。学生時代の友人と社会人になってから、彼氏の海外赴任につけ込んで一気に既成事実を作る方から攻め込んで、それこそAVにあるような、それまで2人が生活してた部屋にお邪魔してベッドをギコギコさせてた記憶を味わって思うのは、自分の人生で知る限りは最高の媚薬は、背徳感だということだ。とか書いてみると「セックス自体が優先度の高い場所からちょっとずつフェードアウト」とか書いてるけど全然そんなことなくない?と言われそうだな… なんというか、性欲はあるんだけどセックスは別に、という。大学生の頃にこんな感じで強がってたなとか思い出す。そういえば、大豪邸に住んでるわけでもないから子供と奥さんとで寝室はひとつなわけで、産後にどこでコトを遂行するのかという問題が気になった。先輩たちはどうしてるのかとても気になる。
UFOって言っても、
私の大好きなと言っても毎日食べてるわけじゃなくて
背徳な罪悪感を感じながらそれをおつまみにしてお酒を飲むという地味な楽しみのために買いストックしてある
美味くて太くて大きいやつ!
一切置いて無くて
レギュラー味じゃない違う味のは置いてたんだけど、
でこのお店だけに無いのねって
違う日に今度はコンビニエンスストアに行ったの。
そしたらそこもレギュラー味のが置いてなくて、
違う味のは置いてあったんだけど、
そのコンビニエンスストアにも焼きそばUFOが置いてなかったのよ!
これって一大事じゃない?
特定の銘柄の商品だけが街からごっそりなくなるってことはまたあれよ、
「あるある大事典」か「ためしてガッテン」で取り上げられたに違いないわ!
それで取り上げられたモノなら
映画のニューヨーク東8番街の奇跡でも描かれていない謎だわ。
UFOだけに!ってそう思う。
そうたまにはジャンキーなフードを
スパ王ってのもあったじゃない。
ここ最近お店で見てないし、
思わず食べたら拳を空に突き立てて
我が生涯に一片の悔いなし!と言いたくなるでお馴染みの
これまたあれか!
やってくれたな!
それらが無くなっていくという現象。
牛さんがUFOに連れて行かれるキャトルミューティレーションの比じゃないわよね。
でもさ、
たまたまやってた大型ハドロン衝突型加速器チャンネルの番組を見ていたら、
その加速器の中で衝突して生まれたビッグバンによる宇宙の中に私たちは生きているのかしら?って
思わないにしても思う時ってあるんだけど
そういう時に限って誰かに耳打ちされそうな
もうツッコミどころのないような感じで使い古された
MMRのノリでまた
話は聞かせてもらった!なんだってー!って言っちゃいそうよ。
でもまあ、
大盛りはさすがに多すぎて食べきれないので、
レギュラーサイズにしても夜食べるには罪悪感の罪と罰を上下巻を重しにして3分待っていそうな感じもするけど、
夜中食べようとしても罪悪感の塊の罪と罰の上巻だけでフタをするには十分なぐらい、
カップラーメンでも食べるんですか?分かります!って言ってくれるじゃない。
一体Siriに何通りの3分タイマーのツッコミを用意してるのかしら?って思うの。
でね、
最新の強まったIT技術はこんなくだらないことにリソースというかエネルギーを費やしているかと思うと、
街からUFOがなくなったぐらいで泣いている私をそっと慰めてくれるわ。
ごめんもう涙拭くね。
そう言って涙がこぼれないように夜空を見上げると
あ!流れ星!
よく聞き取れません!あれはUFOです。
ってやかましーわい!って
UFOの湯切りの速さのグラフを重ねたらピッタリと合致するぐらい
あれはやっぱり
アキレスと矢と亀の話しにもよくにた
限りなく湯切り時間はゼロに近くなるのに麺はそれを追い越すことが出来ないというか
かつて人類が繰り返していた
まさに麺が湯切りを追い越した瞬間でもあるわけで、
やはりそこにはホーキング博士も相川七瀬さんばりに夢見る少女でいたかったはずだし、
テレビが嫌だから対抗してユーチューブで頑張る!って言っておきながら
テレビにめちゃ出ちゃってるユーチューバーを切なくブラウン管で眺める切なさも感じてしまうわ。
また街でUFO見かけたら教えるわね!
うふふ。
朝の活力の元気の源よね!
美味しいわ~。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
週3くらいのペースでジムに通ってて、筋トレはしないんだけど毎回2000mくらい泳いでいる。
先日、「風呂場でおしっこはマズイ」みたいなまとめを読んで、レスの中に「らめえ!おしっこでちゃうよぉ…って言いながら放尿するといいぞ」てのがあった。
なるほどなあ、と思ったのでジムのシャワールームで試してみた。
いつもは泳ぐ前に排尿しておくのだが(泳いでる途中で尿意をもよおすと集中力が散る)、今回はあえてそれをせず、1時間かけて2500mをツービートクロールで泳いだ。
のち、いつもなら併設のジャグジーに入ってからシャワーに行くのだが、今回はパスしてそのまま向かう。大量に出る予感はしないが、ある程度の尿意はある。
ブースに入ってカーテンを閉め、さてと、と水泳パンツを脱ぐ。隣のブースに誰も居ないことを確認してから、少しだけシャワーを出す。これは、万一放尿中に誰かが隣に入っても
そして低い声で「ら…らめえ…おしっこでちゃうよぉ…」と喘ぎつつ放尿を実施。最初は禁忌感のためなかなか出なかったが、やがて堰を切ったように流れ出した。
すると、自分の尿がまるで熱湯のように感じる。プールで冷えた体、特にふとももを伝う熱い液体の感触が新鮮で、その背徳的な快感に陰茎がかすかに勃起する。
これは想像以上の成果だ。これほどの愉悦を知らないまま、私は何十年も生きてきたのか…。
ハアハア余韻に浸りながらシャワーを全開にし、持参したバスマジックリンでフロアを洗う。
それ以来、私はプールに行く度にこの新たなチャレンジを楽しんでいる。もちろん改良も加えた。例えば放尿前に乳首を刺激すると良いことや、陰茎をうまい具合に
太ももに挟み込むと、尿との接触面積が増えて快感が倍増することなどなど…。
そんなこんなで、プールに通うモチベーションも高まって嬉しい限りなのだが、少し不安も感じている。
それは、「自分一人の尿でこれだけ快感なのだから、他人と二人で密着して放尿しあったら、その快楽はどれほど高まるのだろう?もし三人だったら更に?」と思いついてしまった事だ。
殺されるのはほとんどの人にとってイヤなことだし、絶対苦しいし、殺人を肯定すると社会の維持が難しくなる
チンポはどうか?
チンポを見るのがイヤな理由は何だ?苦しくはないよな?銭湯で他人のチンポ見てもなんとも思わないし、なんならAVなんかで戦闘態勢のチンポをガッツリみるのもやぶさかでない
女性だって別にチンポを見ること自体がイヤなわけではないだろう 変態にチンポを見せられるのはイヤだろうが、それをいうならたぶん変態にフォアグラを食わされるのだってイヤなはず
チンポ自体に罪はない、というか、チンポ=罪にしてるせいで変態が調子づいてるという側面すらあるのではないか
チンポもマンコも解禁して、やりたかったら全裸で外を歩けるようにしていいのではないか
チンポやマンコを過剰に禁じてるのはホモフォビア・性的抑圧なのではないか
国際的な視点を取り入れると、たとえばスペインには全裸で外を歩くことを禁じる法律はない
つっても流石に街の中で全裸人間を見かけることは全然ないんだが、それはそれとして法的には全然いけるという事実は大きい 自由だ自由
だいたい、股間についてるわけじゃんみんな
身体の一部ですよ
外気に晒しただけで犯罪行為になる部位が自分についてるのってイヤじゃないか?
そんなん人権蹂躙でしょ なぜ俺たちが自分の身体を恥じ、隠さないといけないのか
恥ずかしいのはどっちだ?
誇り高くチンポを曝け出す俺たちか?
合理的な理由もなく硬直した思想によりチンポを取り締まる時代遅れの法律か?
チンポを解放せよ!
最初は誰だかわからなかったが何となく見覚えがあり、彼女の経歴を読んだところで思い出した。友人と共にすれ違った時に、紹介されたことのある子だったのだ。
挨拶程度しかしたこともないし、向こうはこちらを憶えてもいないだろう。けれど自分は彼女の本名や、共通の友人も知っている。
こんなことは初めてだったのでとても驚いてしまった。デリヘルで知人が登場してびっくりしただの、彼女がAV歴があっただの、インターネットおとぎ話だと思っていた。こんな機会は二度とないかもしれないと思い、どきどきしながらそのAVを見た。朝から。
結論から言うと、もちろん興奮したしスケベ好奇心は満たされたけれど、それと共にとても不思議な気分にもなった、と思う。
ありきたりなインタビューから始まり、一人の顔射をうけ、その後もう一人とは致しまくるというデビュー作であった。
最初はもう、それはもう、興奮した。けれど時々冷静になる自分がいて、うわっ知ってる子のお尻の穴まで見ちゃった、うわっ意外と良い体……親御さんが見たら泣くよな普通……などと邪念も入るので、なんとも言えない気分も味わった。(その背徳感が良いという人もたくさんいるんだろう)
あと、そもそもその彼女が素人っぽさ満載なのにとてもエロくて、だんだん知人であるということよりも本人のエロかわパワーが上回ったこともあって、背徳感よりも普通にコンテンツとして楽しんでしまった。そもそも挨拶程度しかしてないし、知っている部分も共通の友人から聞いた話くらいしかなかったし。
背徳感として楽しむなら、もう少し近い友人の方がよかったんだろう。できれば彼氏まで知ってる子だともっと良さそうだ。
それから、これはどうでも良いのだけど、新たな性癖に気がついた。昔から自分が致しているところを女の友人に見られたいという密かな願望を持っている。自分が致している横で知人が致している、というシチュエーションも好みの妄想である。今のところ実行する勇気もなく、また残念ながら今後もその機会は訪れないだろう。登場人物がすべてある程度変態でないと成り立たないし。ただ今回、自分が致してるところを見られたいという願望の他、親しい人が致して気持ち良くなっているところを傍観したいのだという願望も持っていることにも気づいた。こんにちは、新しい性癖。たぶんこの機会がなければ気づかなかったろうし、人生でそう訪れる機会ではなかろう。
ここに映っているのが自分だったら、と姿を重ねつつ全部見終わった。
……何書いてんだこいつ?
読んで真っ先に思った感想だ。
特殊性癖に知識が少ない人にそういった考えを刷り込む形になってしまっているからだ。
自分もラブドールでは無いがでかい少年ドールを所有している。だけど、そこに性愛は全く無い。
作者は“現実の代わり”として人形を買っていて、自分は“着せ替え人形”として人形を買っているからだ。
ラブドールを購入する人にも着せ替え人形として購入する人もいる。
性愛はないのに特殊性癖者だと思われる事、特殊性癖なのにラブドール買わないの?という様な事態を作った事は十分他人に迷惑をかけているのではないか?
作者は男性だ。
女性用ラブドール、女性用としては使えません、重いので重労働といった記述などで女性と思った方は多いと思う。自分も思った。
更に件のラブドールの公式を確認した。棒は使えないに使える穴はある。
ならばそれは男性用の少年型ラブドールで女性の性愛を満たす為のものとは考えづらい。
何故作者は女性用ラブドールと判断して紹介したのか。自分はそこにすごく違和感を感じた。
大した事じゃない話に聞こえるがこれはまずい傾向だと思った。
誰だって身に覚えがあるだろう。
ダイエット中だけどこれくらい食べても良いだろう。
このくらいなら許されるよね?ってのが危ない事なんだ。
少なくともその主張をする人には二次元と三次元で明確に境界線がある。だから三次元に性癖を持ち込む事は少ない。
あくまでも作者にとっては人形は現実の代わりでしかないのにも関わらず。
購入した時の満足感や初めて使った時の背徳感は徐々に薄れていく。
そうなると代わりだから満足出来ないんだと思う様に脳は変化していく。
姿見るくらいなら良いよね?
声かけるくらいなら良いよね?
手を握るくらいなら良いよね?
海外でラブドールが規制対象なのはこういった考え方だからで特殊性癖者に境界線を曖昧にさせない為に規制してる。
自分にはどちらも間違った対策だとは思えない。どちらも被害を出さない為に考えた事だから否定は出来ない。
偽物じゃ満足は出来ない。垣根を容易く超える。
自分の欲求を満たす為に子供に関われる仕事を選んだり、その為の地位や立場を得ようとする。
一人親家庭の再婚相手、近所の挨拶する人、見守りパトロールをする人、教職…書き出したらキリがない。
事件が起きるのはそういった身近なところだ。
作者が書いてたLG等と同じく小児性愛を性的マイノリティと認めて欲しいと書いていたが相手と対等な関係が成立しない時点でそれは難しいと思う。一方的に従わせる事が容易すぎる。
また、かの有名なパタリロでもあった話だが、成長してもその子供を愛し続けられるのか?歳を取って性癖から離れても愛し続ける事が可能かどうか?