はてなキーワード: 生協とは
・夫、私は現在まで何の症状もなし。
→ 7日目、夫の職場より、出勤に当たり待機日数を保健所に確認するよう指示あり。保健所に電話。リダイアルしまくってつながる。連絡漏れらしく謝られる。配食について話あるも、あと数日で自宅待機が明けること、また、自分たちで賄えており、特に困っていないので断る。要らない仕事を増やしたくないし、困っている人の対応を優先させていただきたい。保健所の皆さんも大変だが、お仕事踏ん張っていただきたい。
・6日目、私の職場から「発症日をゼロ日とし、10日プラス7日間待機」と連絡あり。その後、「行政からルールの変更を受けて待機日数変更の可能性あり、追って連絡する」と連絡あり。お金どうなるのかなぁ…と若干の不安と職場に申し訳なさを感じつつ、考えてもどうしようもないのでゼルダする。象とトカゲまでいった。次ラクダ。ビールは夕方までおあずけ。
→7日目、私の職場より連絡あり。10日目の2月7日月曜より出勤とのこと。ロンバケ終了。日曜に体調に変化ないか会社から連絡があるとこのと。「仕事いっぱいたまってるで笑」とのこと。…ハッスルします。マスク必須、黙食等、出勤に当たってのルールを伝えられる。
・学校からタブレットと配付物届く。ポストイン後電話もらって取りに行く。課題を進めるよう伝えられる。
紙皿、紙コップ、割りばし、プラスプーン、使い捨てごみ箱。ごみは袋を渡しておき、密封させる。
・常に窓を少し開け、若干すきま風ピューピュー状態にしてる。
・買い物は、生協とネットスーパーで賄う。ネットスーパーは当日、1日後は予約でいっぱいだったため、2日後に届く。ありがてぇ…
・玄関のコルクマットが汚かったので、オーバーザサン聞きながら張り替えリフォームした。きれいになった。
・ブコメいっぱいついてたので読んだ。優しいコメありがてぇ…沁みた。取り繕わず書いたので、一事例として、このようなことが起こり得ると思ってもらえれば結構かと。
懐かしさを感じて切なくなって涙流した経験なんて今まで一度もなかった。
みんなは感動の比喩表現として"涙流した"って自己申告してるだけだと思ってた。
でも、この前
ひょんなことからYouTubeでハルヒOP(冒険でしょでしょのやつ)を久しぶりに見たら懐かしくてたまらなくなり、
そこから今度はひぐらしのED(why or why not)とか探して見てなんか止まらなくなって、
数珠繋ぎ的に2002~2006年あたりのI've sound全盛期の曲を超久しぶりに聴きまくってたら本当に涙止まらなくなった。
大学でサークルにも入らず、課外活動なんぞせず、友達なんて1人か2人しかできなくて、
基本的に2コマくらい授業出たらもうやることなくなってしまって、
用がないのにiPodにしこたま入ったエロゲーソング聴きながら無意味に大学敷地内とか図書館とか生協をほっつき歩いて、
そういうのが無ければメロンブックスか紀伊國屋書店とか寄ってそのまま1時間かけて実家に帰宅して。
単なる大学と実家を往復するだけのクソ生活なのになんであんなに自分の中で輝いてたんだろ。
ニコニコ動画にはどっぷり入り浸って、
コミケでしか売ってないような同人音楽をアクシデント的に聴いて「アマチュアが作ったオリジナルソングなのに凄くいい曲だな」と胸を打たれたり、
たまに気が向いて英語でもマスターしようかなとかいって三日坊主でやめて、
CROSS†CHANNELや家族計画というエロゲーを期待せずにやったら猛烈に感動したけど「エロゲーで感動とかリアルでは言えない」と2chの作品スレに入り浸って……。
書いてて思い出したけど、当時はhakobakoプライヤーとかあったなあそういえば。YouTubeは1本あたりの容量制限あったからクソ低画質の動画しかなくて。
あと当時デスクトップパソコンを買うと当然のようにTVチューナー付きだった。
結局、彼女もできず、資格も取らず、中小の内定と1.1のGPAを得ただけのクソ大学生活だったのになんで今こんなにも懐かしくて感動的なんだろ。
数年前に妻がだまし討ちのような宗教勧誘に遭ったのを思い出したので書いてみる。
子が1歳前後の頃、嫁と子が近所を歩いているときに人の良さそうなおばさんに声を掛けられた。
曰く、近所の区民センターで子育てママ向けのお茶会というかレクリエーション的な催しが行われるので都合が合えばどうか、と。
これだけ書くと酷く怪しげに感じるかもしれないけど、子連れで歩いていると年配の方などから「かわいいねぇ」と好意的に声を掛けていただくことは驚くほど多いし、また子育てママ向けの息抜きやママ同士の交流を目的とした催しはたくさん行われていて(生協さんやアクティブなママさんや保育施設や行政?が主催してる)この件もそれらのうちのひとつと錯覚してしまった。
区民センターで行われるというのもなんだか安心なような気がしたが、後になって思えば区民センターのスペースをレンタルするだけなら誰でも出来るし、行政の公認みたいな意味合いは一切なかった。
で当日、区民センターに出かけると会場の部屋の前にプレイマットがひかれた簡易キッズスペースが設営されててそこに子を預けて部屋に入れと。
子を守る親としてそこに預けるのは迂闊ではないか。という手厳しい意見もあるだろうけど、自分もどちらかといえばNOと言えない日本人的な気質が強いので…
部屋に入ると長机が並べられていて、年配のジジババが大勢居て、後ろの方の席に二人だけママさんらしき若い女性がいてその時点で聞いてた話とだいぶ違うなと。
で、講師風のおじいさんが登壇してセミナーぽいのが始まりそのおじいさんが身分と名前を名乗ると、明らかに某教団の関連大学の先生かなにかで嫁さんが「やられた!!」となり、慌てて「用事があるのを失念さてました!帰ります!」と慌てて退出し子供を受け取って帰った。というのが事の経緯(引き止めはなかったらしい)。
なので、厳密にいうと勧誘を受ける前に逃げ出せた。
けども「教団名 勧誘」で、検索すると子連れママを狙った似たような事例がたくさんヒットするので、あの場に留まっていればそのうち勧誘が始まっていたものと思われる。
この一件を妻が友人に細部をボカして話すと意外にも少なくない人数がこういう事例がある事を知っていた。けれども、宗教というデリケートな話題でもあり友人同士でも気軽に注意喚起するのもちょっと…と情報共有され辛い状況らしかった。
この体験談が誰かの役に立つかもと思い書いてみた。
前提として自分は父親が建てた注文住宅に祖母と父と妹と暮らしている30代サラリーマン。また祖母の娘である母が早くに死んでいる。フネをマスオとカツオとワカメで介護している状態だ。自宅は3階建、3階に祖母、2階に父と自分、1階が風呂と妹の部屋となっている。この人員配置の理由については後述する。家に戻ると築20年ほどでローン完済済。祖父は在宅介護のち最後は要介護3で数年前に逝去。
・おむつではなく紙パンツだが排泄コントロールはできていない。ただトイレに入れれば自力で用は足せる
・入浴は週3回のデイサービスで済ませている
以下思いついた順に次に自宅を建て替える際に介護から逆算して設置を検討するものを書く。
平屋でない限り必須と言ってもいい。
人間は歩けなくなると車椅子移動になるが車椅子は階段を下りられない。また認知症の人間に「階段を下りろ」と言っても実現はしない。なので老人(になる予定の人)が1階に住む場合を除いてエレベーターは必須だ。だが老人が1階に住むと脱走に気付けない。徘徊老人が警察の世話になってから徘徊に気付くのでは遅すぎる。老人(になる予定の人)にはなるべく上の階に住んでもらい、杖か手押し車が必要になった段階でエレベーターを常用するよう癖をつけてもらう。エレベーターは多少うるさいと感じてもボタンを押したときに「ぴっ」なり音がするものがよい。認知症になると老人は四六時中エレベーターに乗りまくるのでとてもうるさくなるが、音で感知できるため居場所がわかる。
我が家のエレベーターは20年物なので動作音がやや大きく車椅子を乗せると介護者は1人しか乗れないが、最近のはもう少し便利かつ安価らしい。
老人はトイレが長い。認知症が始まっていると延々トイレットペーパーを出すなどするため長くなる。また祖母は歩くことが減ったせいか便秘気味になったため余計に長くなる。そのためトイレは各フロアにあることが望ましい。老人が老人になる前にもノロウイルスなど感染症対策もできる。
さて介護が始まると便座に座った、あるいは便座の前に立った老人の世話をすることになるがトイレ自体が狭い、あるいは面した廊下または部屋が狭い場合非常に窮屈な作業となる。そのためトイレはある程度広いか、人がしゃがめる程度のスペースに面しているとよい。床材は多少濡れてもリカバリできるものがよい。
またトイレのドアはなるべく180度開くものがよい。トイレのドアを開けっぱなしで老人の世話をすることになるため、開かないドアだとトイレ前が通行不能になる恐れがある。朝のクソ忙しい時間にこれが発生するとQOLを著しく下げるためドアは180度開くほうがよい。
複数世帯同居の場合異論はあると思うが最終的に認知症の老人と住む場合玄関は一つがよい。なぜなら脱走を防げるからだ。この1点だけでも警察の負担が減るし勤務中に脱走の報せを聞いて早退しなくてよい。副次的には靴箱を一元管理することで溜め込みなどの認知症の初期段階に気付けるという利点もある。
介護が始まると人間の排泄物がついた紙パンツまたはおむつが量産される。これらは燃えるゴミになるがとにかく量が半端でない上異臭がすぐ発生する。育児を経験している家庭は大人の排泄物の量をナメてはいけない。週2回のゴミ収集で45リットルの袋を平均3袋ずつ出している。我が家では夏は涼しい1階に置いたゴミ箱、冬は内庭に向いたベランダ(屋外)にゴミを置いている。なおこういったゴミは新聞紙で包むと異臭がやや軽減されるがそのために新聞をとる必要はない。またゴミ箱自体を大きくする必要もなくこまめにゴミ袋に入れて冷暗所に移すほうがよい。
・手すりを付けるスペースのある壁
認知症が始まった段階やふらつきなど足腰に不安が出た段階で家に大量の手すりを取り付けることになる。恒久的に設置するものは1人につき一度限りだが補助金が出るため計画的につけるべきだ。重点的に配置するのはトイレと風呂、脱衣所、階段、玄関など転倒した際のリスクが高い場所になる。特に立ち上がる必要があるトイレ、風呂は座った高さと立った高さの両方に手すりがあるとよい。また廊下など捕まるものがない場所にも腰の高さほどの手すりをつける。体を四分の一以上回転させる場所にはコーナー用の手すりがあるのでそれをつける。見た目は最悪になり金はかかるが転倒して入院手術になる、そこまでいかずとも救急車で救急外来に行く場合もっと金がかかるためとにかく手すりは必要だ。新築時から「将来的にここに手すりを付ける」場所は確保しておきたい。
我が家では祖父の時にミッシリ手すりをつけたため祖母の補助金は未使用。老人(になる予定の人)が多い場合、一度の工事でより進歩した補助具につけかえることもできるはずなので重ねて言うが計画的に。
・床と平行な天井
オシャレな傾斜のついた天井は不要。介護が始まるとあちらこちらに手すりを付けることになるがリビングなど壁からの距離がある部屋については突っ張り棒を使い手すりとする。床と平行な天井があれば無限に手すりを生やせるため最低限老人の居住区域と風呂場の天井は床と平行である必要がある。どうしても傾斜のついた天井が欲しい場合トイレなど壁が近い場所で行うほうがよい。
車椅子生活が始まるとデイサービスなどを利用することが増える。たいていは送迎車に車椅子が積まれており室内用の車椅子から送迎用車椅子に乗り移って移動する。よって玄関は三和土の部分に車椅子が1台、それと向かい合う、あるいは90度で接する形で車椅子が1台入るスペースを確保したい。玄関は前述の手すりでガチガチに固めるため、スペースさえあれば介助者が動いて適切な介助を行える。
また車椅子は基本介護保険を利用してレンタルすることになるが、屋内用と外出用の2台あると消毒などの手間が省けて大変便利だ。屋外用車椅子は普段は日の当たらない室内に置いておくため、玄関付近に畳んだ車椅子1台分(幅30cm、奥行き1m弱)を置ける大きさの遊びスペースがあるとよい。これは生協など宅配サービスを利用するときもに便利だし、急な雨で濡れて着替えたいときなどにも有用だ。
玄関の話が続くが道路から三和土まではゆるい傾斜をつけるなどして水難を排除しつつもスムーズに移動できることが望ましい。一戸建ての介護の場合デイサービスなどの送迎は玄関まで来てくれるがそこまでが整備されていないとスタッフがつらい。よって門はあってもよいが段差は除くべきである。どうしても段差が発生する場合は1段の高さおよび奥行きを市販の傾斜ブロックと合わせ、小さな坂として運用できるようにすると後が楽だ。もちろん傾斜ブロックは廃盤にならないうちに買っておく。
自宅を新築した際は2世帯同居だったがすでに祖父母は60代に入っていたため20年内に介護が必要になることはわかっていた。すでに認知症症状は既知であったためあえて祖父母を最上階に起居させ2階および1階に若年(でもない)夫婦と子供の居室を設け外出やエレベーターの駆動音の感知、また生活音の変化などを察知する体制をとった。またマスオである父はマスオ状態に抵抗がなかったため風呂も共通のものとした。生理的に抵抗があるという気持ちはわかるので強要はできないが自分が使っている風呂は老人が使うときにヤバイということが想像しやすいため祖父母とも早めに入浴サービスを外注することができた。玄関についても同様だ。台所については祖母が長らく料理をしていたため2つあるが脳梗塞発症を機にコンロ他発火可能性があるもの全てを撤去済だ。
生協はそんなことしない
「お母さんも忙しいだろうし自分も帰る時間まちまちだから作らなくていいよ」みたいな言い訳をかまし続けてはいるものの、その実母親の作るメシが不味いので全く食べる気がしないだけである。仕事終わって疲れ切った身体にはあまりにも厳しいデバフ。
のだけど、これを俺の遠慮だと思っているのか毎回律義に夕飯をつくる母。勘弁してくれ。
一度「会社の生協で残りものの弁当が安く買えるから(嘘)夕飯はいらないよ」と完璧な断り文句を言ったことがある。結果が「私の作るごはんが食べられないってこと?!(以下ヒステリー構文)」。うんそうだよって言えるだけの胆力が俺にはなかった。敗北。
そして母は年齢的な問題とは別にものごとをすぐに忘れる(というか人の話を聞いていない)傾向があり、「夕飯いらない」「なんで?!私のごはんがry」というやりとりを高頻度で繰り返すので俺ばかりが辟易するのに毎回新鮮なヒステリーを見せてくれる。ありがたくねえ。
「自分で夕飯作るからオカンは作らなくていいよ!」作戦も、「男が台所に入るな」とかいう今どき朝ドラでも見ないような昭和男女観で無下にされました。まあ所詮この母親の息子だから同じレベルの料理しかできませんしね…
早く実家出て一人立ちしろ、分かる、分かります。できれば俺もそうしたい。でも職場が実家から徒歩10分圏内なんだよ!これじゃあ仕事終わりに夕飯食べてかえりまーす!もできないし家を出る理由がメシマズ料理を食わないようにするためくらいしか言えないワケ!言えたらいいよな。言えろよ俺。
姉(遠方在住)には「だから就職は地元でするなって言ったのに…」と呆れられています。そんなんメシマズから逃げるためとかきいてませんが?!(中ー高と寮生活、大学も遠方で一人暮らしをしていたためメシマズを知ったのが実家に帰省して就職してからだった。小学生の時は母が忙しくしていてほぼ祖母が作ってくれていた)
そんな俺、さっきも「なんで同じ家に住んでるのに夕飯食べないの?それでいいと思ってるの?!」とキレられたので「俺、夜はお腹すかないから…」と意味不明な言い訳で逃げようとするも「いつまでわがままいってるの!食べなさい!」と強制終了。成長期のこどもとかならわかるけどさ、俺もう成長期とか終わった20代男だよ。夕飯くらい好きに食べさせてくれよ…(ちなみに家に生活費は入れています)
この増田、子供は親を支えてくれて、介護してくれると思い込んでてすごい。
共働きが当たり前で子育てにお金がかかる時代なのに、親に介護の労力や金銭サポートするわけない。
今は、親が孫の子育てを手伝わされる時代ですよ。中国みたいにね。
そもそも新しいネット通販が難しくて、生協の紙っていう時点で可笑しすぎる。ツッコミ待ち?
デバイスが変わったり、UIのトレンドも変わるだろうけどネット通販の本質は変わらないよ。
ネット通販はここ数年でできたものじゃなくて、日本でさえ20年以上の歴史があるんだよ。
【下に追記あり】
親の介護が終わり、自分の介護が必要になったとき、家族のサポートがない老人は困難が付きまといます。
20年後から30年後にある、新しい技術のネット通販的なものはやり方がわからない。
電球が切れたけど交換ができない。
洗濯物を干したいけど重くて持てない。
毎日のように病院通いだけど、歩くだけで足腰が痛い。通院がつらい。
連絡を取りたいけど、友達も気力がなくて連絡がこない。
同じような困りごとを抱えている老人なので、連絡しても頼りにならない。
老老介護ですね。
いまなら、ネット検索等を使って、公的支援や私的サービスを含めて、最適なサービスを選んでくれます。
同居していなくても、ケアマネ等と話し合って必要なものを決めてくれるだけでも大助かりです。
結婚してない、子供がいない、頼れる人がいない孤独な老人が今どうしてるかって?
(訪看じゃないよ。個人に雇われて24時間看護師がいるんだよ?すごくない?)
そこまでいかなくても、コンプラがしっかりしてる豪華な有料老人ホームにはいれば、
最低限の生活はできるでしょう。
入居金だけで数千万ですが……
訪問介護は、決まった時間に決まった支援しかしてくれないから、
小指の爪が剥がれたら、痛いよね。何もする気がなくなるし、痛みのことしか考えられないし、痛くて寝れないよね。
そういう痛みや苦しみが複数、24時間365日、何年も終わりがなく続いていくのが老後だよ。
それを少しでも避けようと、老後のコミュニティ維持を考えて結婚出産してる人も一定数いるよ。
結婚しない子供を産まないのは自由だけど、健康寿命と平均寿命の差は10年くらいあるからね。
お金をいっぱい貯めたほうがいいよ。
以下追記
前から思ってたけど、はてなの人は老後のリアルを知らないのかなー。
人間関係が貧困な人は、それ以外も貧しい確率が高いんだよね。多重貧困。
これがつらい。
あと、介護の現状が知りたい人はヘルプマンって漫画をとりあえず読むといいかも。
http://sonorama.asahi.com/series/helpman.html
老後は友人同士でっていうのもいいけど、友人も同じように老いることは考えたほうがいいと思う。
あと、認知症(みんなが想像するであろうアルツハイマー)は急にはならないんだよね。
徐々に進行する。
初期のMCI(軽度の症状)くらいの時には、家族のサポートがすごく有効。
買い物に行って、何を買うのかたまに、少し抜けてしまう、ってときに買い物同行してあげるとか。
長年住んだ家で、日常生活が手続き記憶になってる場合、軽度のうちは、家族のサポートがあれば暮らせるケースが多い。
そのほうがQOL高いケースが多いと思う。
あと、私個人は、家族が排泄 入浴 食事の介助をするのは無理だと思ってる。
だから施設に入れてほしいんだけど、安くすむ特養は空きがないし、要介護3以上じゃないとは入れないし。
みんながイメージする老人ホームは、介護付き有料だね。たぶん。死ぬまでいられるところ。
老人3人につき、スタッフ1人いるから、人件費がかかるんだよ。
いいところだと、2.5人だったり、2人だったりする。さらにお金がかかるね。
安い老人ホームの闇も、ヘルプマンに書いてある。住宅型だけどね。
住宅型とか、介護付きとか急に言われてもわからんよね。そういう説明もしたほうがいいのかなー。
要望があれば。いまは出勤前で忙しいのよ。
お子さんがいてくれるだけで、こっちは助かるんだよね。
保佐人や後見人は、介護施設に行くことは決めてくれるかもしれないけど、
認知症の進行の悩みについての、本人の相談話兼愚痴話を聞いたりはしてくれないんだよね。
本人が困らないように、過去の人生を踏まえて荷物を用意したりもできないんだよね。
今までの愛着のある品物とかも全部捨てられたりする。古いよねとかいって。
後見人は決まったこと以外はできないから、そこから漏れ落ちる諸々がたくさんあるんだよね。
35歳無職の親たる「お姉さん」はおそらく60歳以上で昔なら年金もらえていた年
増田は55歳程度(フェイクあり)で「お父さん」はまあ75とかだね。あと10年したら平均寿命だよ。
そうなるとその他の精神疾患と認知症が切り分けできなくなる、うつも認知症によるものがあるし
診断も薬もこれが効くというものはまだ人間が手にすることができない。医者はたぶん十分生きたんだというだろう
そこまでいくと本人(かできれば連れ合い)の尊厳を取り戻す気合だけが支え
介護保険も自分ひとりで申請できないだろうし、そうであっても24時間介護(飲酒監視)なんてしたほうがいいことがわかっててもだれにもしてもらえない
たぶん本人が嫌がるしね
自動車だけ取り上げて生協宅配だけ支払ってあげるとかしかないと思うよ
成年後見制度とか今もあるかしらないけど
呪いとかいってないでちょっとでも目の前の板から社会福祉をひきだせ(病院にもコーディネーターがいるはず)
入院・退院がいいチャンスだとおもう、それ以外だと「いまさら何しに来た」
がんばれ
亡くなられた方や失業した方がいらっしゃり、人生が一変した方も多い中不謹慎だと思うが
リモートワークの浸透が進んでいる。会議はネット上で行うようになった。出勤が不要になった。オフィスさえ無くなった人もいる
配達サービスも機能している。郵便局だって宅配業者だって生協だって、食料や娯楽を運んでくれる。日本で住んでいる限り、生命を維持するハードルは限りなく低い(それこそ生活保護制度だって依然機能している。むしろ生活保護に落とさないために、急造の穴だらけの社会制度が賄われてすらいる)
在宅での娯楽の密度が増えた。動画配信サービスや無観客ライブのネット配信。以前と同じだけの熱量を感じられるかと言われればそうではないが、出先に行くための移動や宿泊にかかる費用・疲労感を考えると、まるっきり悪いということはない。
仕事は早く終わらせて家に帰りたい。ごく一部の親しい友人以外との飲み会は楽しくない。
そういった性質が肯定される世の中になったことは、自分にとってよかったことだと思う
誰にも言わないけど
道が狭い、高層の集合住宅がない、といった京都ならではの事情はある。
あるにせよ、あまりに非効率な収集で、市のコストがかかりすぎてるように思う。
市指定のゴミ袋(10L)を10円で買うと、そこには「この袋のゴミの処理に54円かかってます」と書かれている。
ぜひこの54円というのを他市と比較したいところだけど、おそらく全国トップクラスではないかと思う。
処理にかかるコストを袋に書くことで、ゴミを減らせ、資源ごみとの分別を進めろ、というメッセージだと思うが、
収集作業のやり方を見直すことで、コストを下げれるのではないかと思わずにいられない。
非効率というのは二つあって、一つは収集車にもれなく3人乗っていること。
一人は運転専門で、車から降りない。あとの二人がゴミを集めていく。
収集ポイントが近い場合、この二人はひたすら走って、ゴミを車の後部に放り込んでいく。
ごみ収集というのは、実際の収集にあたっている時間はわずかで、ほとんどは移動だ。
若い職員が多い。この仕事がなくなったら、この経験をなにか他に活かせるだろうか。
女性は、昔一人だけ見た気がするが、おそらく全職員の1%にも満たないと思う。
非効率の二つ目は、収集ポイントに集められるゴミが少なく、各家が玄関先に出すこと。
これは住民側の問題だけど、これを何とかしないと先に進まない。
十数メートル感覚に並んだ黄色い袋を、二人の職員が走りながらピックアップしていく。
市民は、自分がやりたくない仕事をやってくれる人に感謝する。「ご苦労さま」と。
こんなシステムがおそらく何十年も続いている。
(追記)
他所でも3人収集があるのですね。自分が育った町や住んだ町(いずれも西日本)では見なかったものですから。
何十年前に2人でやっていた作業が、今の時代に3人でやっているのを見て、疑問を持ちました。
こればっかりは、異なる条件下で3人のほうが効率的な場合があるということでしょうか。
私が京都市を見てて思うのは、町に点在する空き家を活用できないかということです。
ゴミの集積場、宅配、ネットスーパー、生協の配達拠点、デイサービスや様々な送迎のお迎え場所など、