はてなキーワード: 生き甲斐とは
最近ドクターストーンというアニメの録画を見て年甲斐も無く「滅茶苦茶面白いなこれ!」って思って感動した。
人生って嫌な事も多くて、正直先も真っ暗で最終的に悲惨な結末を迎えるかもしれないな…って暗い想像をする事もよくあるんだけど
そういう時ベタだけど「うわめっちゃおもしれえなこれ!」ってコンテンツに出会えたらそれが一瞬でも生き甲斐になれる事がある気がする
なのでここ10年という最近に「これに触れる事が俺の生き甲斐なんだ!」ってくらいハマった物を少しずつ思い出して一度書き出してみたくなった
思い出せない物も沢山あるだろうけど、それでもその時その一瞬でも楽しめたのならきっと幸せな事だったんだと思う。ハマった年も覚えているなら書く事にする。
生まれて初めて最後まで追った深夜アニメ。このアニメを録画するためにブルーレイレコーダーを購入した。
機動戦士ガンダムSEEDの監督福田己津央氏が製作に携わっているという事で怖い物見たさで見始めたのだけど、見ている内に見事にハマってしまった。
OPに出てくるキラっぽいキャラが出るまではとにかく見ようかな…と思ってたんだけど、まさにそのキラっぽいキャラが出てくる4~5話で完璧にハマってしまった。本当に大好きだった。
次回が公開される一週間後を待ちきれず、放送日が来るまで何回も何回も録画した回を見返して待っていた覚えがある。今の自分からは考えられないくらいハマっていた。放送後に発売されたゲーム版もスパロボも買っていない。
イニストラード~ラヴニカへの回帰がスタンダートだった頃のMTG。当時友人達と一緒に遠くのカードショップまでカードを買いに行くほどハマっていた。
少年時代コロコロコミックで連載していたMTG時代のデュエルマスターズが好きだったんだけど、地元にMTGを取り扱っているショップが無かったので実際遊べるようになるのにその漫画を読んでいた頃から10年以上かかった。
基本的に安いカードしか買わないようにしていたんだけど、それでも結構な額を使ったような覚えがある。今ではその友人達との縁は切れたけれど、MTGだけは今でもMTGアリーナで遊んでいる。
当時ニコニコ動画でMTGの架空デュエル動画が大いに盛り上がっていて、そのシリーズが好きだった。所謂「例のアレ」ジャンルなので今となっては不謹慎かな、と思う。
当時菊地秀行氏や夢枕獏氏の作品の影響で所謂伝奇バイオレンス小説にハマっていて、何でも良いから面白い伝奇小説は無いか!?と思っていた時期に古本屋で出会ったのが講談社ノベルスの空の境界だった。
一冊100円という事でとりあえず上下巻買って読んだんだけど、とにかく読みづらくて「Fateとか月姫好きな人間はこんな読みづらい文章の作品にハマったのか…?」と読み始めた頃は思っていた。
読みづらい、とにかく読みづらい…と思いながら読んでいたけど上巻の終盤に始まる第五章・矛盾螺旋あたりから「あれ?この本読みづらいけど結構面白いのでは…?」と思い始め、下巻を読破する頃には完全にハマっていた。
正直今でもこの本の内容を理解しきれているとは言えないけど、主人公両儀式とその親友黒桐幹也の恋愛物語にもうのめり込んでしまった。しばらく後にこの作品がアニメ化している事を知りすぐにレンタルで全巻借りて見た。
アニメの出来もとても素晴らしくもう空の境界熱は止まる所を知らなかった。生まれて初めてアニメのDVD、それも初回限定盤を買ってしまったし書店でアンソロジーコミックスも買った。寝ても覚めても両儀式の事ばかり考えていた。
この自分の「好きだ!」「こういうのが見たい!」という熱量が、自分にSSを書かせる行動力も与えてくれた。とあるコミュニティで空の境界のSSを投下していたのもこの時期だったと思う。出来はあれだったけど、熱量はあった。
空の境界と同じ世界の話という事でメルティブラッドにも手を出してプレイしたし、メルティブラッドと同じ世界という事でついにCS版Fateにも手を出してしまった。クリアするのに60時間以上かかったけど、あれも凄いノベルゲームだった。
ここまで来るともう空の境界が面白い、というだけでは収まらなかった。Fateの前日譚という事でFate/Zeroの小説を通販で全巻買って読んだ。滅茶苦茶面白かった。その後はネットの各所でFateのSSを読み耽りまくっていた。
空の境界のアニメを見たんだから他の型月作品のアニメも見るか!という事で、真月譚月姫、DEEN版Fate/stay nightのTV版と劇場版、Fate/Zeroのアニメをセールの時に全巻借りて三日で全話見てしまった。
正直今の自分には信じられないくらいの熱量がこの頃の自分にはあったと思う。倍速でアニメを見るのもしんどい今の自分が、TVアニメを計5クール分と劇場版アニメ一本を立て続けに見るとか、完全にハマっていた。
その後空の境界の続編小説が発売されている事を知りそれも読み、未来福音の劇場版も楽しみだったけれど劇場には見に行けなかったのでレンタルで旧作扱いになる一年後に100円で借りて見た。これも中々面白かった。
この型月熱はずっと続くかと思っていたけど、ハマってから数年経つとやっぱり少しずつ冷めてしまった。色んな要因が重なった物だと思う。
型月ファン同士の嫌になるような叩き合いを見たとか、とある型月ファンサイトで作品叩きやらキャラ叩きやら嫌な思いをしたとか、自分の中で神聖視していた式のエッチな絵を見て衝撃を受けたとか、色々重なった。
結局2014年頃に放送されたUBWのアニメ版は「劇場版の中で出来た自分のイメージと違うと嫌だから」という理由で見なかった。2017年にやっていたアポクリファのアニメは見たけど、こっちは先入観無く最後まで楽しめた。
多分今でも作品に触れたらそれなりに楽しめるんだろうなって思う。3/16事件とかDDDとか型月熱が冷めた後に触れてもそれなりに楽しかったから。それにしても、空の境界に熱狂してた頃は本当に楽しかった。
ある時月刊少年マガジンを立ち読みした時に「陸奥VS呂布」という謎の煽りを見て何だこの漫画は…?と思ったのがこの漫画に対する第一印象だったのは覚えている。実際に読んだのはそれから大分経ってからだった気がする。
刃牙の烈海王ボクシング編が「烈の門」と言われたり、夢枕獏の餓狼伝をパクった作品だと夢枕獏本人に名指しで批判された事で、タイトルだけは読む前から知っていた。知っていたけど、中々手に取る気が起きなかった
それでもまあ有名だからきっと面白いんだろうな…と思って読み始めた所、最初の方は絵がお世辞にも上手いとは言えなかったり背景も正直手抜きだと思っていたけれど、いつしか…いつの間にか読む内にこの漫画にハマっていた。
第二部の決勝戦の頃には完全にハマっていたから、恐らくその前の片山右京戦・飛田高明戦あたりでハマっていたのかもしれない。第一部初期はあー夢枕獏作品のパクリと言われたのも分かる…と思いながら読んでいたから。
気付いた時にはグラップラー刃牙や夢枕獏の作品より修羅の門には好きになっていた自分に驚いた。特に第四部バーリ・トゥード編は未だに全格闘漫画で一番面白いパートなのでは?と思っているほどお気に入りだったりする。
修羅の門を読み終えた後には「とにかく修羅関係の作品が読みたい!」と最初は歴史物だからという理由で全く興味が無かったスピンオフ修羅の刻も読んでいてそちらにもハマっていた。幕末編と西部編、とにかく面白いんですよ。
その修羅の刻も読み終えると「もう修羅でなくても良い…川原先生の作品なら何でも良い!」と、あの大長編海皇紀にも手を出していた。とにかく長くて表紙で何巻か見分けが付かない漫画、といえば知る人も居るかもしれない。
これもとにかく長かったんだけど…読み終える頃には「これもしかして修羅の門より面白くね!?」というくらいハマっていた。修羅の門を描いたご褒美なのか、とにかく川原先生の当時描きたい物を描いた漫画、だったのかもしれない。
この長い海皇紀もコツコツ集めて読み終えた頃には、他に読める川原先生の作品といえばパラダイス学園やあした青空、エンジェル、HEROなどの短期連載作品か…それとも当時月マガで連載していた修羅の門の続編か、だった。
修羅の門とは全然雰囲気が違うなあと思いながらも川原先生の初期の作品も読んだし、修羅の門第弐門も九十九VS姜子牙戦あたりから毎月リアルタイムで月マガを立ち読みして追っていた。とにかく夢中になっていた。
九十九VS子牙戦の間に挟まれた九十九VSケンシン・マエダ戦は「もしかしてこれ本当に九十九は負けたのでは…」と読んでいてハラハラしたし、その後のラスボス・海堂さんと九十九の戦いは最後までどちらが勝つか読めなかった。
この修羅の門第弐門のエピローグ、或いはプロローグにあたる修羅の刻・昭和編がその後月マガで連載されたのだけど、こちらも最後まで面白かった。あまりの面白さに単行本も珍しく新刊で買いました。これまた面白かった。
その修羅の刻・昭和編を読んで自分の中で一旦何かが満足したのか…川原先生の新作・龍帥の翼は自然と読まなくなった。これも海皇紀と同じで長くなりそうだ、と思ったのかもしれない。実際読んでみたら面白いんだろうけど。
これもいつ頃ハマったのかは覚えてないけど、少なくともアニメの四期が始まる以前だったような覚えがある。揺れるイントゥ・ザ・ブルー、が面白かった事がこの作品にハマった切っ掛けだったような気がするけどあまり覚えていない。
フルメタは最初の一巻か二巻かを読んだ後にその後長年放置していた覚えがあるんだけど、何かがきっかけで積読を崩してからはもう夢中になってフルメタを読み耽っていた。恐らく当時ロボアニメにハマっていたんだと思う。
短編はあまり好みじゃなかったけど、長編と中編が面白いのなんの。途中で積読が何巻か抜けていた時は自転車で即書店に走ってその抜けを埋めて読むくらい、それほどこの小説にハマっていた。夢中になって読んでいた。
途中で作者の後書きに反感を持ったり、正直最後の方の駆け足展開ご都合展開は好みじゃないと思ったけど、それでも面白くて時間を忘れて読んだ小説だった。スピンオフにあたるアナザーは未だ読んでいない。
2015年に荒川弘氏のコミカライズ版がTVアニメ化した作品。アニメの一話を見て面白いな!と思い、二話までにそれまで積んでいた角川文庫のアルスラーン戦記を全て読み終えた。滅茶苦茶面白かった。
アニメ版アルスラーン戦記も主題歌が良く荒川弘先生のキャラデザが魅力的という事で中々楽しく見ていた。割と初期に原作漫画を追い越してしまった影響か最後の方はアニオリ展開になってしまったのは残念だった。
とにかくこのアルスラーン戦記を読破した事で「やっぱり田中芳樹作品は面白い!」と思い、マヴァール年代記やタイタニア、夏の魔術や灼熱の竜騎兵等々それまで買っただけで積んでいた田中芳樹作品を貪るように読んでいた。
その中でも銀河英雄伝説は「数年かけてOVAを外伝まで完全に制覇したのに、何で大まかな話を知ってる話をもう一度活字で読まなければいけないんだ?」と思っていた。実際読んだら、凄い面白かった。
当たり前だけどアニメと小説は媒体が違うという一番の特徴があって、どれだけ声優さんやナレーターの人の語りを入れてもアニメでは原作小説で描かれていた部分をそのまま全て作品に出来る訳ではないのだな、と思った。
OVA版が長いのもあって丁度内容を忘れ始めていた事もあってか、それとも純粋にこの小説が名作だからか、この場面や台詞は先にアニメで見て知っているなと思いながらもワクワクしながら読んでいた。
本編10巻外伝4巻の計14巻を読破した後は満足感と寂寥感の両方があったかもしれない。長い小説だけど、2018年と2020年にリメイク版が地上波で放送された時はまた熱が蘇り読み返した。本当に良い作家さんだと思う。
自分の中で小説・ライトノベルを読むのが何より楽しみだった時期に読み耽っていた作品。これも一巻だけ読んだ後は長い事積んでいたけど、ふと他人のとらドラ!読後の感想を見かけてこれは面白そうだと思い積読を崩し始めた。
どんな作品にも言えるけど、ある時期話題になった作品というのはやっぱり話題になるだけの面白さはある物だと思う。一度読み始めると「この先は一体どうなるんだ!?」と気になって気になって仕方なくなった。
この作品を読んでいて特徴的だと思ったのは、ヒロイン達が男にとって都合の良い一種のアイドルではなく醜い所・駄目な所・嫌な所もある人間臭い存在として描かれている所だった。逆に男子達には理想が入っていた気がする。
積読を読み終えると続き読みたさに書店へ走り、それも読み終えると今度は「竹宮ゆゆこ先生の作品なら何でも良い!」とわたしたちの田村くんとゴールデンタイムも買って読み始めた。こちらも同じく最後まで楽しませてもらった。
特にゴールデンタイムは途中まではもしかしてこれはとらドラ!に匹敵する名作なのではないだろうか?と思っていた。とらドラより巻数が少なかったためか終盤は駆け足気味に話が終わらせたのが残念だった。
ゴールデンタイム以降竹宮ゆゆこ先生の作品には触れていないけれど、彼女が電撃文庫で発表した二十数巻の小説はある時期の自分を本当に楽しませてくれた素晴らしい作品だった。本当にありがたい事だと思う。
いつだったか自分の中で野球漫画ブームが起きていた時期があった覚えがある。現実の野球が大好きという訳ではないけど、漫画というフィクションの中で描かれる野球という競技には本当にワクワクさせられた。
ドカベンなどの水島新司作品は書店で片っ端から買い漁ったし、他にもあだち充作品、ラストイニング、おおきく振りかぶって、名門!第三野球部、ペナントレースやまだたいちの奇蹟などとにかく野球漫画を読みまくった。面白かった。
登場する女の子の可愛さは最強!都立あおい坂高校野球部が抜群だった気がする。中でも一番読んでいて夢中になれた作品はラストイニングだけど、結局何とか甲子園に出場した所以降はまだ読んでいない。いつか読みたい。
野球漫画を片っ端から読んでいく内に、それまでタイトルと絵だけは知っていたけど読んだ事が無かったあだち充作品にも触れる事になった。最初に読んだ作品はH2だったと思うけどこれがもう面白いのなんの。
野球と恋愛をセットの物として描くからこっちは今野球が読みたいだけなのに!と思っている時はその恋愛要素が鬱陶しく感じる事もあったけど、それ込みで野球というスポーツを描く作品として本当に面白かった。
H2の後はタッチやクロスゲームなどの野球物は勿論の事、ラフ・虹色とうがらし・いつも美空、みゆきなど野球要素が無いあだち充作品も明後日は読み耽っていた。読んでいて一番自分に合ってるな、と思ったのはクロスゲームだった。
古本屋で全巻セットがお得なお値段で売られていた事から出会った作品。タイトルだけは知っていたけどあまりに長すぎて自分が読む事は無いだろうな、と思っていたから意外な出会いだった。
82年連載開始の漫画という事で、最初は絵も内容も古いな…と思いながら読んでいたけど、絵が読みやすくなったりキャラクターに愛着を感じ始める頃には流石長期連載される漫画だけあって面白い!と思いハマっていた。
主人公コータローがとにかく作中で色んな事に手を出すのでこういう漫画である、と一言では言えないんだけれど…格闘・バトル・学園物の漫画というのが近い気がする。もっと言うなら何でも有り漫画なのかもしれない。
全59巻という長さにも拘らず最初から最後まで面白いストーリー漫画というのは本当に衝撃的だった。これは続編も面白いに違いない!と早速柔道編も買って読んだけど期待は裏切られる事無くやはりそちらも名作だった。
この名作少年漫画が原作者の蛭田達也先生の病気療養が理由で2004年から連載が休止している事は知っているけど、実際に単行本最終巻を読むともうここから先は読めないんだな…と寂しく思ってしまった。
コータローまかりとおる!の連載が休止して再来年で20年、この名作の続きが世に出る事があればこんなにめでたい事も無いのに…と思う。昔の漫画だけど本当に面白くて90巻以上退屈せずに読めるって凄い事だと思う。
しかし、先日、10年以上付き合いのある同性の親友から告白されて以来、恋愛描写が書けなくなりました。
というより、書くのが怖くなりました。
私は今まで誰のことも好きになったことがない所謂アロマンティックで、かつ、学生時代から地味で鈍臭い非モテでした。誰ともまともに交際したことがありません。
自分の作品で恋愛をメインテーマにしていたのも、自分がしたことのない経験や感情を想像して書くのが楽しかったからです。私にとって恋愛はファンタジーのようなものだったのです。
しかし、急にそれが身近なものになったことに驚いたのでしょうか、最近、何にも書けません。
親友は最初に「昔恋愛感情を抱いていたことがある」と打ち明けました。
その後話を聞いていくと、「実は今も4割くらいは恋している。6割は友情だけど」「あなた(私)が○○さんと仲良さそうにしているのを見て嫉妬していた」と出てきました。
ちなみにこの○○さんと知り合ったのはここ半年ちょっとなので、私は思わず「全然昔じゃないね……」と言ってしまいました。彼女は「そうだね」と少し暗い声で答えました。
申し訳なさすぎて身がちぎれそうでした。
結局私は誰のことも好きになれないアロマンティックだし、彼女のことは親友だと思ってるし、必死で言葉を選びながら「ごめんなさい。あなたの思いには応えられないけど、これからも仲良くして欲しい」という旨を伝えました。
親友も「吐き出してスッキリしてしまいたかっただけだから、断られる前提だから気にしないで」と言っていました。
その後はいつも通り最近読んだ漫画やハマっているゲームなどの他愛のない話をして別れました。
気にしないでと言われたので、私は気にせずいるつもりでした。
が、自分の小説を書こうとした瞬間、それはふっと私の脳裏を掠めました。
それからはもう全然だめなのです。あらゆる恋愛感情を書こうとするたび、彼女の苦しそうな声を思い出してしまいます。
彼女は今まで私の小説をどんな気持ちで読んでいたのだろう。これからどんな気持ちで読むのだろう。
親友の片思いにも気付かないで、甘酸っぱい片思いの話などを綴る私はどんなに非道い親友だっただろうか。
私がこれから書くことは彼女の気持ちを踏み躙る行為ではないのか。彼女の告白への冒涜ではないのか。
そんな気持ちが襲ってきて、なにも手につかなくなりました。
そして、なによりも最悪なのは、「同性の親友に告白されたこと」よりも「小説を書けないこと」に苦しんでいる私自身のみみっちさです。
最悪です。自分の性格がいいなんて思ったことはありませんが、こんなにも性格の悪い人間だとも思っていませんでした。
私にとっては小説を書くことは親友と同じくらい大好きで、生き甲斐で、そのために生きていたようなものです。呼吸をするのと同じくらい大切なことなのです。
でも、だからといって、親友の告白を平気で無碍にしたくせに素知らぬ顔で恋愛小説を書き続けられないし、書けない理由を親友のせいにしてしまう自分もすごくすごく嫌。
でも、大事な原稿の〆切が迫ってることは知ってたはずなのに、なんで今……とも思ってしまう……。
でも、私が今原稿を落としたら親友は自分のせいでと思ってしまうのでは…………
でも…………
本当に苦しい。
息ができないみたいに苦しい…………。
自分が嫌すぎて死にそうです。
しかし、先日、10年以上付き合いのある同性の親友から告白されて以来、恋愛描写が書けなくなりました。
というより、書くのが怖くなりました。
私は今まで誰のことも好きになったことがない所謂アロマンティックで、かつ、学生時代から地味で鈍臭い非モテでした。誰ともまともに交際したことがありません。
自分の作品で恋愛をメインテーマにしていたのも、自分がしたことのない経験や感情を想像して書くのが楽しかったからです。私にとって恋愛はファンタジーのようなものだったのです。
しかし、急にそれが身近なものになったことに驚いたのでしょうか、最近、何にも書けません。
親友は最初に「昔恋愛感情を抱いていたことがある」と打ち明けました。
その後話を聞いていくと、「実は今も4割くらいは恋している。6割は友情だけど」「あなた(私)が○○さんと仲良さそうにしているのを見て嫉妬していた」と出てきました。
ちなみにこの○○さんと知り合ったのはここ半年ちょっとなので、私は思わず「全然昔じゃないね……」と言ってしまいました。彼女は「そうだね」と少し暗い声で答えました。
申し訳なさすぎて身がちぎれそうでした。
結局私は誰のことも好きになれないアロマンティックだし、彼女のことは親友だと思ってるし、必死で言葉を選びながら「ごめんなさい。あなたの思いには応えられないけど、これからも仲良くして欲しい」という旨を伝えました。
親友も「吐き出してスッキリしてしまいたかっただけだから、断られる前提だから気にしないで」と言っていました。
その後はいつも通り最近読んだ漫画やハマっているゲームなどの他愛のない話をして別れました。
気にしないでと言われたので、私は気にせずいるつもりでした。
が、自分の小説を書こうとした瞬間、それはふっと私の脳裏を掠めました。
それからはもう全然だめなのです。あらゆる恋愛感情を書こうとするたび、彼女の苦しそうな声を思い出してしまいます。
彼女は今まで私の小説をどんな気持ちで読んでいたのだろう。これからどんな気持ちで読むのだろう。
親友の片思いにも気付かないで、甘酸っぱい片思いの話などを綴る私はどんなに非道い親友だっただろうか。
私がこれから書くことは彼女の気持ちを踏み躙る行為ではないのか。彼女の告白への冒涜ではないのか。
そんな気持ちが襲ってきて、なにも手につかなくなりました。
そして、なによりも最悪なのは、「同性の親友に告白されたこと」よりも「小説を書けないこと」に苦しんでいる私自身のみみっちさです。
最悪です。自分の性格がいいなんて思ったことはありませんが、こんなにも性格の悪い人間だとも思っていませんでした。
私にとっては小説を書くことは親友と同じくらい大好きで、生き甲斐で、そのために生きていたようなものです。呼吸をするのと同じくらい大切なことなのです。
でも、だからといって、親友の告白を平気で無碍にしたくせに素知らぬ顔で恋愛小説を書き続けられないし、書けない理由を親友のせいにしてしまう自分もすごくすごく嫌。
でも、大事な原稿の〆切が迫ってることは知ってたはずなのに、なんで今……とも思ってしまう……。
でも、私が今原稿を落としたら親友は自分のせいでと思ってしまうのでは…………
でも…………
本当に苦しい。
息ができないみたいに苦しい…………。
自分が嫌すぎて死にそうです。
増田の「〜を教えて下さい」系の記事につく「△△△<教えてあげないよ! ジャン♪」のコメント主の人生を想像。
何かを成し遂げたいという思いは強いが、何もできず、ワナビーのまま幾星霜。
SNSで誰かの絵がバズったら「正直絵を描く能力は今どき普通」
「増田で簡単に情報を得ようなんておこがましい」という思いのもと、
質問形の記事にはすべて「△△△<教えてあげないよ! ジャン♪」を書くと決意。
プログラムを組んで自動化する能力は無いので手動で頑張っている。
Python には 2 度入門したが、「俺が作りたいのはこういうやつじゃない」と思って挫折。
自身でプログラムを書ききったことは1度も無いが、ホッテントリのIT系を見ているので自称IT系には詳しい。
「自分は何者でもない」を認めることができないまま今に至る。
今では「△△△<教えてあげないよ! ジャン♪」に反応してもらえることが生き甲斐。
がんばれ、お前。
blueboy
・少女漫画好き
・メイクも好き。ジルスチュアートみたいな少女っぽいコスメが好きだけどお金が勿体ないと思うタイプの人間なので、結局キャンメイクなどのプチプラに戻る
・一時期巨乳になれるサプリを飲んでいた(プエラリアミリフィカ)(効果はよく分からなかった)
・エッセイが好き
・衣類に頓着があまり無く、白と黒のモノトーンで大体揃えているが、逆にオシャレと言われる
・実際は貧乳なのに、パッド付きキャミのせいでそこそこ胸があると思われている
・巨乳だがやや垂れている
・女子のガチロリコンだが、だからといって小学校や幼稚園で働く気にはなれず、大学時代に始めた夜職(キャバ)を続けている。
・全身脱毛、二重整形(埋没)、涙袋ヒアルロン酸注入済み。元々自分の容姿は嫌いではないが、商売として必要だと考えている。
・友人も多く増田会で一番陽キャであるが、ロリコンであることを誰にも話せずにいる。Twitterの垢も男として呟いている。
・貧乳細身童顔の20~30代独身バリキャリ女子(ノーブラ派)
・職場での成績はかなり良い。
・淫夢ノリがガチで面白いと思っており、ストレス発散法であり生き甲斐。
・歯を食いしばる癖がある。肩こり持ち。
・気がつけば増田を開いている
・鬱の影響か言葉が出にくくなった
・気がつくと涙が出ている
・薄幸そうな美人顔
いつのまにか触れあえない体質になっていた
犬猫鳥のいる実家に帰ったとき、呼吸できなくなるくらい鼻腔が閉塞して全身に発疹ができたのがきっかけで検査した
姪の飼ってるハムスターの爪がひっかかっただけでグロいミミズ腫れもできた
うさぎやチンチラの餌となる牧草なんかの稲科植物もだめになった
子供はできないとわかっている
変な言い方かもしれないけどこんなにも動物の里親の条件満たしてるのに飼えないなんて!
数年前同棲していたときは小動物の里親になって目に入れても痛くないほど可愛がり、
長生きしてもらって看取りまで全身全霊を捧げた
お互いの実家で犬猫飼育してて、受診やトリミングなど手伝えることは喜んで手伝った
今回念願の一戸建てを建てて「よし!いまこそ好きなだけ動物と暮らそう」と思ったらコレだよ
犬を外で飼うなんて絶対無理だし、飼ってみて無理なら...なんてクソ無責任なと死んでもしたくないし、爬虫類系は懐いてくれないだろうしアレルギーだってあるかもだし
すごく凹んでる
第一志望校落ちたときやだいすきな祖父がなくなったときより凹んでる
動物と暮らせる人がうらやましい!
動物との暮らしを夢見て在宅で稼げるように努力してきたのにさ。
みんなペットを大切にしてね
人は未来に希望がないと生きていけないと今更ながら強く思ったので色々書いてみる。
俺は昔鬱病で通院していた。
昔から、今さえ楽ならそれでいいという考えで行動しがちだった。
楽な方の道を選ぶということは未来へ繋がる道を捨てるという事だ。
その繰り返しの果てに、未来へ繋がる道が何も無くなり、明日を迎える意味が無いと思うようになり、もう今日で死んでもいいやという思考になったため病院に行った。
人は明日を迎える意味を持っていないとダメなんだなとその時悟った。
辛くても何か努力をして未来に繋がる道を自分の中で残しておかないと人は生きられない。生きる希望とはそういう事だ。
よく学校のお偉いさんが生徒に対して、学生時代とは植物に水をやる様なものだという例え話をしていた。
また、鬱病当時を振り返ると、薬を毎日飲み続けるという行為が生きる希望になっていたのだと思う。
今日薬を飲む事で明日は今日より良くなるかもしれない、という希望が湧くのが治療になるのではないだろうか。
飲んでた薬の成分なんてどうでもよかったのかもしれない。毎日飲む事が大切だったんだなと思った。
明日を迎える意味について気づきを得た時、眠れない理由についてもわかった気がした。
明日に希望がないから、寝て明日を迎えようという気になれないのだ。
どんなに小さくてもいいから明日を迎える意味を作る事で寝やすくなる。
楽な生き方でも全然良いが、最低一つは努力してでも未来に希望がある道を残しておけよというお話。
メンタルやられてる人の話を聞いたので少し考えてみた事を書いた。
この手のヒーロー物は敬遠してきたけど、まさかこんな面白いとは。
ストーリーなんてあってないようなものだけど、最高の冒険活劇だ。
かなりトホホな敵の造型や、ドルに乗ると急に市販のソフビになるギャバン、
子役たちの緩すぎる演技、お粗末で何が目的かよく分からないマクーの作戦、
などツッコミどころを挙げたらきりがないが、それがどうした。
スタイリッシュなヒーローが敵をバッサバッサ倒してく、他に何が要るのだ。
テンポや見栄えを重視した作風で、考える間もくれないのでサクッと見れる。
世の中、複雑な作品が増え過ぎたんだよ。細けぇことは良いんだよ。
健全な男性やフェミニスト女性が、いわゆる「女性差別」「性犯罪」「痴漢」「痴漢冤罪」「トランスの女子トイレ問題」「共同親権」etc……に猛反発して、理解してくれないネット住人を説得にかかり憤るページをよく見受けるが、彼ら彼女らには決定的に見落としてる点があると思っている。
それは、「男性差別」とは比にならないほど、
「女性差別」「性犯罪」「痴漢冤罪」「痴漢」「トランスの女子トイレ問題」「共同親権」に、強いモチベーションを感じる男性が一定層いるということだ。
これらを広める活動のために一日中女性の人権アンチ活動やプロパガンダに明け暮れることを生き甲斐とし、逮捕されてでも、何年も選挙活動をしてでも、軽い拒否では強姦罪を成立させず、男性が女子トイレに侵入しても違法にならず、14歳の女性には性行為の同意ができるとし、政治家となり痴漢の無罪判決を出やすくするために、「人生を捧げる価値がある」と考え全てを注ぐ男性が一定層いるということ。
長い年月をかけてそのために永遠に毎日活動し続けてる人がいるということ。
女性の皆さんはご存知かもしれないが変態性犯罪者は24時間密室で張り込み、4年間毎日ストーキング、7年間毎日女性を監視、48時間女性の部屋のベット下に隠れ続ける、こういうことは平気でやる。
つまり日本人が頑なに他人に求めたがる「相手の気持ちを考えて強くものを言わないような」「穏当で平穏な」「さまざまな他人の気持ちに配慮した」「変な人はスルー」「大事にしない物分かりのいい大人の対応」とは、まさに性犯罪者ならば長年かけてでも望む世界観である。
世界一労働時間が長く、空気を読んで、どっちつかずで強い主張をすることを厭う日本人が、「そんなに強く言わなくても」「相手にも人生や考えがある」「いきなり訴えたり毎日デモなんてちょっとやりすぎ」「こんな小さなこと言っていいのかな」などとやってる間は、人生を全て捧げてくる犯罪者の望む政治が必ず勝つ
勝ち目などないということ。
なんとなく触っちゃいけない話のような気がしているんだけど、ずーっと考えていることがあるからちょっと聴いてほしい。
「認知症」って、"その人が1番幸せだった時に戻る"って話を聴いたことがあるんだ。だから、大人になった自分の子の顔が分からないとか、ずいぶん若い頃に戻っちゃったみたいになるとか。その考え自体はなんか素敵だなって思ってたの。ちょっと救われる気がしたの。
うちは何年か前に父が亡くなって、その翌年に子供ができてさ。母も初孫で嬉しくて、年金と貯金で生活しているのに、なんのかんのと服を買ってくれたりプレゼントくれたりしてて。それが生き甲斐で楽しみなんだろうから、他で物入りになったらこっちで出すとかしようと思ってるんだけどね。
それで、話は戻るけど、もし母が認知症になったら、孫がうまれる前の父がいた頃と、孫がうまれたあとの今と、どっちに戻っちゃうんだろうなって考えちゃったんだよね。
今のところその兆候はないんだけど、子供は子供で、こういうご時世であんまり会えないんだけど婆ちゃん大好きなんだって。
今更遅いし、病気なんていつどういう形で出るかなんかわかんないけど、こういう時もっと早く子供もっておけばよかったなぁって思うよ。