はてなキーワード: 生き甲斐とは
なんか結構見かけるんだよね。
Youtube、5ch、ツイッター、Facebook、ニコニコ、Wikipedia、ヤフコメ、爆サイ、その他の掲示板、あらゆるSNS、チャットサービス、オンラインゲーム、個人の日記、ほぼ全てのウェブサービスでどこもかしこもネットリンチしてるよね。
どこの職場にも悪口大会があるけど、あれって0対Nで常に一方的だよね。それを本人にチクるのを生き甲斐にしてる北欧神話のユグドラシルに住んでるカス(ネズミだっけ?)みたいな奴がいるけどさ、まあそれでその場でキレた所で1対Nになるだけで結局多数決主導の日本じゃ勝ち目ないじゃん。つまりこれってもうリンチじゃん。
日常の中にリンチがあるのが日本社会なんだよね。それはネットにおいても同じでどこもやってる。別にはてなは特別でもなんでも無いじゃん。なんでその中で「はてなはネットリンチしてるから特別に最悪なサイトなんですよ」なんて言われなきゃいけないんだろ?それ単に君がはてなの事しか見てないだけじゃんっていう。
皆が当たり前にやっていることを、たまたまそれを目撃したから批判するのって、物事の認識が刹那的すぎない?皆ウンチしてるのに何故かウンチしてるのをリアルタイムに見つかった人間だけが馬鹿にされる昭和の小学校みたいなノリだよね。
はてなの現状についての問題点を語りたいなら、それは「リンチをしている」なんていう人間の普遍的な行動についての批判をもって行うべきじゃないと思うんだよな。
もっとはてな特有の問題点、リンチにしたってその性質が他と比べてどう問題なのかを話題にすべきだと思う。
たとえば俺はなんJが一時期やってたことはネットリンチの中でも飛び抜けていたと思うんだよ。本人を特定してリアル住所に突撃して嫌がらせを繰り返したのは他のサイトではあまり見かけないことだ。相談に行った弁護士も巻き込んで延々とネタにしているのもかなり特異で、少なくともヤフコメとかでそういうことに発展したのはまだ聞いたことがないから、普遍的な事象と言うには程度が酷すぎると思うんだよね。
はてなってそういいう「このサイトは他と比べて特別に異常ですよ」って要素あるっけ?殺人事件が起きたってのはかなり特殊な事例だと思うけど、それについてはもう原因になった機能を停止して解決したからいつまでもその話題を引きずるのもどうかなと思う(まあこれは、対策を練ろうとしたはてな運営に無力感を学習されるとまた今度何か起きたときに動かなくなるのが一番怖いなって気持ちもあるんだけど)。
つうわけで改めて言うと「今のはてなが他と比べてネットリンチにおいて特別ヤバイことになってる部分って何かあるの?」というのが俺の疑問ね。
色んな部隊コロコロ渡ってきたけど、どこもそれぞれにクソさがあるし、その糞さの中にはコンプラぶち破ってるのも結構ある。
最近強烈な弾がいくつか他の連中に先越されて空砲になってしまったけど、まだまだ撃てるものはある。
ゆーてこれも談合事案がちょくちょく話題になるから俺が集めたのはあんま強くないのよね。
溜め込むだけ溜め込んで退職金貰ったら一気にばら撒くんだ。
楽しみだぜ。
もう本当にそれだけが楽しみだよ。
みんな滅びちまえ。
そこに意識行き過ぎて保身までがら空きにしてるのが結構いるから、まあ年に2つぐらいはそこそこの弾が拾えるね。
でもなあ……あんま時間が経つと本人とか居なくなるし証拠書類も処分されるんだよなあ。
いい感じに距離が取れたなって奴からチョコチョコ発射していくのも面白いかも。
ただそれやると「自衛隊はちゃんと仕事してます予感を出すためだけのアンケート」が来るから面倒なんだよね。
アレ本当無駄だよ。
結局自衛隊の問題って8割は「上意下達の元、上司だけが安全な立場から部下は犠牲になれ」の積み重ねで起きてるからね。
それに対して「防衛大臣のメンツを守るためにアンケートを実施する!やらなかったものをどうにかするとは口が裂けても言わない!しかし!総員過不足なく実施するように!繰り返す!大臣や統幕長のメンツがかかっている!」ってアナウンスしてアンケしてんだぜ?
バカでしょ?(。^▽^)
本質を見誤っているというか、「自分たちは相変わらず問題しかありまえん。この体制をずっと維持するので、今後も問題を起こしまくりたいと思ってぃ~す」って宣言書みたいなもんじゃん。
頭悪いのか(づ ̄ 3 ̄)づ
まず、エリート女性を目指すことが困難なのは自分の偏差値を見れば分かる。もし専門職に就けても、仕事ゆえに家庭を持たないのは淋し過ぎる、仕事と家庭を両立させるために疲れ果てるのはいやだ、経済的自立のために生き甲斐も意味も見出しえない仕事をするのは耐えられない。これら不快な条件を全部排除してくれるのが、第四のコースなのだ。
夫は経済のために必要だ。子どもは夫よりなお重要だ。出産と育児は体験価値のあるイベントであり、女性なら一度は体験してみたい。そして、保育園に預けて子どもに淋しい思いをさせたくはない。
大衆は、フェミニストの「啓蒙」するところには行かなかった。娘は、母親の期待するところにも行かなかった。
結婚が女性に保証してくれる三大特典――保証された年収・達成義務からの解放・豊富な余暇時間――は、決して手放さず、その上に立って、社会から認められ、仲間に羨ましがられる仕事に就きたい。子どもがいても、生活臭のない、社会と繋がった仕事をしていたい。生活のための労働は、奴隷(男)にさせ、自分は貴族のように意義ある仕事を優雅にしていたい……。
今や単なる生活費稼ぎの労働は、男と親と老人だけがするものになりつつある
わたしたちはキャストの側にいたわけじゃない。四六時中コミュニケーションを取ったりいつも一緒に喋ったわけでもない。でも好きだったから、Twitter や配信やymgrの、音や動きや言葉を通じて「彼ら」を感じて
それが嬉しかった。
今のわたしはもうそれをすることができない。言葉も見れないし声も聞こえない。話すことももちろんできない。好きだったキャストの存在感が私のそばから消えた。「存在感」しか、彼女の「存在」を確かめるすべはなかったのに。
わたしは彼女らが、何かを見たり聞いたりしてそれに反応するのを見るのが好きだった。彼女らが何かに執着したり何かを嫌ったりすること、その好き嫌いやその理由を知ることが好きだった。そこにわたしにとって世界一かわいくて世界一眩しい個性があって、それに驚かされたり確かめたりすることがわたしの生き甲斐だった。
それがわたしにとっての彼女らの存在感だった。存在感が無くなって、だから存在するのかどうかも分からなくなって
寂しくなったり、不安になったり、何かがおかしいと感じたりするのはなぜなんだろうか
これは愛じゃない、愛なら存在感が自分から離れても平気なはずで、
じゃあこの寂しく不安に感じる日々はなんなんだろう。
おなじく発達障害の無能の穀潰しのわたくしとしましては、無理して働くことが「健常者の皆さんにとてつもなく重い負担を強い」ているのを日々感じているんですよね。
わたくしのような発達障害の無能の穀潰しとしましては、やりたくもなくうまくできるわけでもない世間のもろもろについて皆様にご迷惑をおかけしながら日々を過ごすのは大変な地獄なわけです。感情もプライドもある人間なものですので。
それであれば福祉に支えられて、何の生き甲斐もなく誰からも大切に思われず邪魔にもされないほうがまだまマシなわけです(福祉で支援してくれている人達は邪魔に思っても表面には出さないよう努めてくださいます。しばしば漏れますが)
そもそも発達障害の無能の穀潰しとしましては個人としての他人からの愛を、承認を希求する段階はとうの昔に通り過ぎているわけでして、せめてマイナスにならぬよう、できるかぎり世間様の邪魔にならないようにと生きてはおります。もちろん健常者の皆々様としましてはそこまでして生きないで単に死ねよと思われますでしょうが、さりとて生まれた以上死への恐怖はございますわけで。発達障害を理由とした安楽死もしばらくは認められないことでございましょうし。
そんなわけで理解ある福士くんの元でできうる限り物理的時間的な損害を与えないように生かしていただければこれは幸いというものです。発達障害の無能の穀潰しにも色々おりますなあ。
この、
https://twitter.com/witch_medeia/status/1577165263199358976
『必要なのは「理解ある彼くん」でも「理解ある彼女ちゃん」でもねーんだよ!「理解ある福祉くん」と「理解ある社会システムちゃん」が必要なんだよ!個人の負担に丸投げするな!!!』
で、その「理解ある福祉くん」と「理解ある社会システムちゃん」を実現し、我々発達障害の無能の穀潰しが遊んで暮らしていけるようになるには
あんたら健常者の皆さんにとてつもなく重い負担を強いる事になると思うけれどそれでいいの?
あと仮に「理解ある福祉くん」と「理解ある社会システムちゃん」が実現したとして、
福祉に頼ってただ生かされる事、誰からも愛されず必要とされない人生を甘受せざるを得ない当人は地獄だよ?
福祉に支えられて、何の生き甲斐もなく誰からも大切に思われず(福祉で支援してくれている人達は別に私個人を好きな訳でも何でもない)
ただ生きているだけの人生って少なくとも私にとっては物凄く惨めです。同じように思う人達はきっと多いと思う。
久しぶりに電車に乗る。
早朝で混雑しておらず快適だ。
しかし、一緒に乗り合わせる乗客たちにとってはそうではないようだ。
なぜか彼らはとても急いでいる。
電車はまだ来ない。
時刻表アプリで調べていたし、駅の改札の案内でもそのように表示されている。
だが、彼らは異常に急ぐ。
せかせかと不器用に前の人を抜かそうとするし、エスカレーターをゆっくりと登るゆとりもないようだ。
電車に乗る時も、せかせか。
空いているが、といって座れるわけでもないのに電車の扉が開いた瞬間押し合いへし合いするのが生き甲斐のように殺到する。
順序よく乗車すればいいと思うのだが。
思うに低所得者層は「落ち着く」という行為がとても苦手なのだと思う。
能力的にはより上位の階層と遜色ない頭脳を持っている人たちがなぜこのような低所得階層を形成するのか?
常々不思議に思っていたが、それは知力の問題ではなく、おそらく性格の問題なのだろう。
実に惜しいことだ。