はてなキーワード: 殲滅とは
「感情が高ぶると改造手術によって生じた醜い傷跡が浮かび上がるため、仮面で隠している」いう設定の初代を女性主人公でリメイク。
改造手術を受けた彼女は少しでもストレスに晒されると首や手にミミズ腫れが現れるので、真夏でも常に長袖を着てマフラー手袋をして肌を極力隠している。
ある日職場の後輩から厚化粧を指摘され、思わず感情が昂ってミミズ腫れが顔にまで出てしまう。慌てて顔をマフラーで隠してそのままトイレに直行。それから数十分個室に籠城する。
症状が収まって自席で荷物を取り、周りからの問いかけにも答えず逃げるように早退。
フルフェイスのヘルメットを被って高速道路をバイクで走行し、爆音を響かせながら職場の人間たちへの呪詛を大声で叫ぶ。
一瞬気を失い目を覚ますと周りが「怪人だ!」と大騒ぎをしている。
顔を見られた?と思ったがヘルメットは外れてない。
ぶつかったトラックは怪人を輸送中のショッカー軍団だったのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20210622175812
ストーリー的には1,2周目の後からだから別に3周目でもないんだけど。Cルートが終わった。
アダムとイヴを倒したことで勢いづいたヨルハ部隊が、機械生命体を殲滅しようとするところから始まる。まず思った、殲滅するんだ…って。2周目の時点で人類がもう生きていないのは判明していたし、どうしてもアンドロイドに友好的なパスカルのことが思い浮かぶ。
そんなこんなでいろいろあってバンカー滅んで2Bも死んじゃった。
基地がぶっ潰れちゃったとこでスタッフ紹介入るの第一部完ってかんじでワクワクした。図書館の大魔術師みたいだね。最後の2Bは痛々しかったな。スティックを倒す手にかなり力がこもった。
Cルートのメインは9SとA2。二人を交互に操作していくことでお互いの状況を理解する。そうして最後「塔」の上でどちらを選ぶか?という選択肢を迫られる。
自分は結構即決で「A2」を選んで9Sを倒すことにした。いやだって明らかに9S憎悪にまみれちゃって同情こそすれどもお前と同じ側には立てないから。ていうか俺自身がああいう感情に支配されてる自己中な奴が嫌いということもあって(公務員の息子なので)、これはもう即決だった。そんで選択したあと少ししてからちょっと後悔してきた。A2の一貫している行動理由が分からないことに気がついたから。
9Sの行動理由はすごく分かりやすかったじゃん。バンカーも2Bもいなくなった世界で創造主たる人類も全滅しちゃってるからどうでも良くなっちゃったんだよね。だから破壊衝動を機械生命体や2Bを殺した(と思ってる)A2に向けている。その破壊衝動で塔まで来た。
一方でA2は何?A2は2Bモデルのための実験機の生き残りで、自身を新型のための実験として使った司令部を恨みつつ地球で生活している。←ここまではわかる。A2に関しては特にそれ以上のことが起きていないから、機械生命体やアンドロイドがどうなろうと知ったこっちゃないんだよね。それなのにパスカルの世話を焼くし、9Sを倒そうとしてる。そもそもA2は特に「塔」に来る理由もないんだよね。それなのに「最初に塔に来た方には豪華賞品を差し上げます!」っていう機械生命体のアナウンス聞いてのこのこ来ちゃってる。ちょっとアホの子なのかな?2Bの遺したあとは頼む的な言葉も 「atohatanomu…?」みたいな感じで理解できてないんじゃないの。
みたいなことを9Sとの戦闘中に考えちゃって最悪だった。その後倒した9Sを塔から逃してA2が犠牲になるみたいな描写があるんだけどここも引き続き動機が分からなくてもやもやしてしまった。一貫した目的がないA2はある意味意思を持たない任務に忠実なアンドロイドらしいとも取れる行動をしてCルートは終わった。
9Sを選択した結果Dルートになった。二人は相討ちになって機械生命体は地球から出ていく。Dルートで機械生命体に「ついていかない」を選択するのが個人的にこのゲームでは一番好きなストーリーだな。ニーアの世界は武器の物語とか読んでてもとにかく救いがないbad endのストーリーが多くて、そういった"どうしようもない"感じがこのルートには特に表れてるのが好きなんだよね。パスカルしかり9Sしかりこの世界のアンドロイドと機械生命体には根底に絶望があるから、9SとA2にとってありきたりだが死は救いでもあるように感じる。
どうしようもないこの世界でヨルハ部隊は計画通り全滅し、機械生命体は地球からいなくなり、地球はレジスタンスのアンドロイドの星に。これでいいんじゃないかな。
そんなふうに思っているからEルートはそんなに好きじゃない。機械生命体の殲滅のために作られた3人が機械生命体がいない世界に生きることがhappy endかどうかは疑問だから。掃除機の先っぽだけブラシに変えるように、Dルートの死を生に替えてしまえいいという話ではないと思う。あと弾幕ゲーがパカクソに難しかった。1時間40分くらい挑戦してMなんとかDesignみたいな奴倒したあとにまだまだ中ボスが出てきてポッキリ折れた。普通に助け使ってクリアしたけどあれ使わずにクリアできる人いんのかな?
クリア後に他プレイヤーへの救援設定ができるからonにしようとしたら警告が出る。「セーブデータ消えますがいいですか?」だって。いいわけないじゃん。どうせこっちの覚悟を確かめるためにふっかけてるだけなんだろ?だってセーブデータの消去と他プレイヤーの救援との間になんのロジックもないからね。そう思いつつ一応onにする前にググったらマジみたいじゃん。なんのロジックもないのにまじでセーブデータ全消去されるみたいじゃん。こわ、、、offにしました。
PVに出まくっていたアダムとイヴを早々に倒して第二部のような物語を始めるのは結構新鮮だった。あとはパスカルを殺すか否か等、いくつか気になったところが分岐点としてあるはずなのでそれらを進めようと思う。場合によっては攻略サイトをみて埋めるつもり。
次の日記でNieR:Automataは終わりにする予定。(ここまでプレイ時間41時間
NieR:Automata終わり。
アーカイブ、武器、サブクエストその他諸々100%まで終わった。
魚図鑑だけは50%過ぎで辞めた。カブトムシウオ一匹取るのに3時間位かかって折れた。その他クエスト埋めも武器集めもほぼ作業なので特に思ったこともないかな。
強いて言うならDLC。落ちこぼれ機械生命体のプラトン1728の視点での物語を見ることができる。ただこれの最後、人形を粉砕するシーンはまじで不快感が強くてあまり見れなかった。プラトンのシーンはCGなりなんなり使ってるけど人形壊すシーンだけは多分本当にやって撮影してるんだよね。これDLCだから本編には関係ないんだけど、追加コンテンツでバンドの曲と一緒に人形粉砕しようぜ!って考えた奴やばいなと思った。
3周目終了時と印象が変わったのはA2。アネモネからアーカイブをもらってA2のバッググラウンドが少し分かるようになった。昔は穏やかで結構内気だった様子を見ると今の変わりようがかなり魅力的に映るようになった。
結局、人類の存亡をかけた「ゲシュタルト計画」がどのようなものか全部読んでもよく分からなかったけどこれはニーアレプリカントをやれば分かるのかな?
ルートは数多くあったけど本筋以外のエンドはテキストだけで済まされるから特別なにか感じたこともなかったかな。久々にしっかり作り込まれた和ゲーをやったので個人的に満足。Xbox Game PassのBecome as gods editionでプレイした。総プレイ時間は61時間でした。
イルミナティとか地震兵器ってのを陰謀論と思ってたんだけれど、
最近は気軽にネットには自民党サポーターがいるだの中国の五毛党がいるだのって話に適用されるようになった。
これは陰謀論ではなく単なる党派性バイアスに過ぎないのであって、
陰謀ってのは根本的な認知がおかしいってことだと思うんだけれど、
党派性バイアスで敵対する党派の人間を根本的な認知がおかしいとおとしめたくて陰謀論って言ってるだけのように思えてくる。
そうするとそもそも党派性バイアスそれ自体を陰謀論認定しても良さそうなものなのだけれど、
党派性バイアス自体は右でも左でも人数が多いからあまりそうはならない。
したがって今まで私が思っていた陰謀論というのは「少数派」という要件が必須だということがわかった。
今の陰謀論論議は多数派の人たちがガヤガヤ言うようになったんだな、との気づきを得た。
すると。
陰謀論となると「相手の意見は荒唐無稽のクソバカ」としかみなせなくなるので、
多数派同士がお互いを陰謀論視すると、行き着く先は徹底的な殲滅戦しかないのではないか。
納得納得。
さて酒のんで寝るか。
私は、歴史の専門家ではない一般人です。まず前提として、戦前・戦時中のアジア諸国へ与えた被害、南京虐殺や従軍慰安婦問題、米国人をはじめとする敵国捕虜に対する非人道的行為等々について、日本に責任が有ると考えている者です。
フィリップK.ディックというアメリカのSF作家の小説に『高い城の男』という作品があります。貴方は、これを読まれたことはありますか?もし無ければ、今から粗筋を紹介します。もし、既に読まれたことが有るならば、私が以下に書くことは釈迦に説法ですから、無視して貰って構いません。
= 粗筋ここから =
第二次世界大戦は、枢軸国側の勝利に終わった。世界は、ドイツ第三帝国と大日本帝国という2つの大国に支配され、アメリカも日独による占領・分割統治の下に置かれている(西海岸側が日本により占領されている)。
作中では、大戦終了直前にアメリカが、不利な戦況を覆す為に、非人道的戦術を用いたり、残虐な行為に走ったことなども語られる。しかし、そこまでしても敗戦に終わったことから、アメリカ国民の誇りは打ち砕かれている。西海岸で日本人相手に商売をしているアメリカ人は、敗戦国の人間として戦勝国(日本)に対する強い劣等感を抱いている。
戦勝国となったドイツと日本は、いまだ表面上は友好関係を保ってはいるが、アーリア人種至上主義の国と黄色人種の国は呉越同舟である。ドイツは密かに日本殲滅計画を目論み、日本もまたドイツに対して不信感を抱くようになりつつある。遠くない未来には、2つの大国は衝突を避けられないだろう。
このように敗戦国の人間も戦勝国の人間も等しく、将来に対して不安を抱いて生活しているアメリカでは、奇妙な流行が2つある。
1つは「当たるも八卦当たらぬも八卦」で有名な、古代中国の書『易経』に基づく占いである。物語の登場人物たちは、何か不安に駆られる度にコインを用いた占い(※本来は筮竹を使うが、陰陽2つの組み合わせで占うので、コインでも代用できる)によって『易経』の宣託に頼ろうとする。
もう1つの流行は、地下出版により流通する『イナゴ身重く横たわる』と題された1冊の本である。占領国の官憲により発禁本の指定を受けながらも、アメリカ国民は(そして、取り締まる側のドイツ人や日本人も)厳しい監視の目を逃れて、密かにその本を読み耽る。その本には「本当の歴史」が記されているのだという。「枢軸国側が敗戦国になり、連合国側が戦勝国になった歴史」が。
この本を執筆した作家を暗殺する為に、ドイツ当局の手の者が動き出す。また、この本に書かれたことは「本当の歴史」なのか?だとすれば、如何にして作家はそれを知って執筆したのか?それを確かめる為に、一人のアメリカ人女性も作家の下へ向かう。
「高い城」に居ると噂される作家の下へ。
= 粗筋ここまで =
私が知る限りでは、ディックが本物の日本人と実際に交友関係があったという形跡は有りません。しかしディックは、優れた作家が持つイマジネーションの力だけで、敗戦国の日本人の心情を見事に描き出します。「敗戦国の国民となって、戦勝国の日本人に対する劣等感を抱いているアメリカ人」の姿というパロディによって。
『高い城の男』の描く、敗戦国となったアメリカの人々は『イナゴ身重く横たわる』を読みながら夢想します。「非人道的な残虐行為を行わなかったはずの、汚れていないアメリカの姿」や「輝かしい戦勝国となったはずのアメリカ」という「本当の歴史」を。
これらのモチーフや描写を現代の我々が読むと、執筆当時のディックによる意図を超えて、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論に嵌まる人間を傍から見た姿を描く形になっています。
最初に書いたとおり、私は戦前・戦時中の日本による蛮行については、日本に責任が有ると考えています。しかし、日本による南京虐殺等を否定する説や、ドイツによるショア(ホロコースト)等を否定する説を信じる人たちの、それを信じたくなる心情も、『高い城の男』を読んだ私には何となく少しだけ理解できる気もするのです。人間は、弱くて愚かです。ちょうど犯罪加害者の家族が「自分の家族が、そんな酷いことをするはずがない。何かの間違いだ!デッチ上げだ!冤罪だ!」と言いたくなるのと似たような心理なのではないでしょうか。誰でも大なり小なり「祖国に対する愛着の心」が有り、その祖国が過去の歴史の中で蛮行を働いたという記憶は、犯罪加害者の家族の場合と同様「耐え難い現実」であり、可能ならば「違った未来」が実現して欲しかった、「デッチ上げによる冤罪」であって欲しかったという思いを抱かせるのでしょう。
『高い城の男』の詳細と結末については、実際に読んでもらうしかありませんが、それについて少し書きます。ネタバレされるのがイヤな場合、以下の記述を読まないで、書店に向かってハヤカワSF文庫の『高い城の男』をお買い求め下さい。
【【【注意!ネタバレ有り!】】】
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実は『イナゴ身重く横たわる』に書かれた「本当の歴史」は「『高い城の男』を読む我々の存在する現実世界の歴史」ではありません。連合国側が勝利する歴史ではあっても、現実の歴史とは食い違う記述が有ります。つまり、本作の中で『イナゴ身重く横たわる』を読み耽るアメリカ人たちが夢想している「あり得たはずのアメリカ」は「無い」のです。
SF論としては、作家フィリップK.ディックは「本物と偽物」「現実と虚構」というモチーフを書くことに取り憑かれ続けた生涯で云々と話を展開するところでしょうが、ここでは南京虐殺の否定論やショア(ホロコースト)の否定論に絡めて『高い城の男』の話を持ち出したので、別のことを書きます。
心情的には、否定論にすがる人たちの気持ちも分かるような気がすると、私は書きました。
しかし、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論にすがる人たちの「間違いを犯さなかった、こんな歴史であって欲しかった」と夢想する歴史も、結局は『イナゴ身重く横たわる』の記す歴史と同じく「無い」のです。『高い城の男』は第二次世界大戦を下敷きにしていますが、ベトナム戦争のアメリカをはじめ、おそらく何処の国であっても大なり小なり「別の歴史があって欲しかった」という事は有ることでしょう。しかし、勿論それも日本やドイツと同様に「無い」のです。
では、我々は、どうすれば良いのでしょうか?実は、それを示唆する内容が『高い城の男』には書かれています。
『高い城の男』には、占領軍の日本人将校を相手に「アメリカの骨董品」の贋作を作って売るビジネスに関わるアメリカ人が出てきます。しかし物語の終盤に至ると、彼は「偽の歴史を付与した贋作の骨董品」を作って売るのではなく、新たなオリジナルの創作物を作って売ることを決意します。
『高い城の男』は教訓を学ばせる目的で書かれたとは思いませんが、それでも私は、このくだりを読んで思ったのです。「在って欲しかった歴史」「我々の願望を満たしてくれる、都合の良い現実」など有りはしない。どれほど不条理に感じても、動かし難く消し去ることのできない過去を「我々の現実」として引き受けるところから始めるしか他にないのだ、と。
私は、歴史の専門家ではない一般人です。まず前提として、戦前・戦時中のアジア諸国へ与えた被害、南京虐殺や従軍慰安婦問題、米国人をはじめとする敵国捕虜に対する非人道的行為等々について、日本に責任が有ると考えている者です。
フィリップK.ディックというアメリカのSF作家の小説に『高い城の男』という作品があります。貴方は、これを読まれたことはありますか?もし無ければ、今から粗筋を紹介します。もし、既に読まれたことが有るならば、私が以下に書くことは釈迦に説法ですから、無視して貰って構いません。
= 粗筋ここから =
第二次世界大戦は、枢軸国側の勝利に終わった。世界は、ドイツ第三帝国と大日本帝国という2つの大国に支配され、アメリカも日独による占領・分割統治の下に置かれている(西海岸側が日本により占領されている)。
作中では、大戦終了直前にアメリカが、不利な戦況を覆す為に、非人道的戦術を用いたり、残虐な行為に走ったことなども語られる。しかし、そこまでしても敗戦に終わったことから、アメリカ国民の誇りは打ち砕かれている。西海岸で日本人相手に商売をしているアメリカ人は、敗戦国の人間として戦勝国(日本)に対する強い劣等感を抱いている。
戦勝国となったドイツと日本は、いまだ表面上は友好関係を保ってはいるが、アーリア人種至上主義の国と黄色人種の国は呉越同舟である。ドイツは密かに日本殲滅計画を目論み、日本もまたドイツに対して不信感を抱くようになりつつある。遠くない未来には、2つの大国は衝突を避けられないだろう。
このように敗戦国の人間も戦勝国の人間も等しく、将来に対して不安を抱いて生活しているアメリカでは、奇妙な流行が2つある。
1つは「当たるも八卦当たらぬも八卦」で有名な、古代中国の書『易経』に基づく占いである。物語の登場人物たちは、何か不安に駆られる度にコインを用いた占い(※本来は筮竹を使うが、陰陽2つの組み合わせで占うので、コインでも代用できる)によって『易経』の宣託に頼ろうとする。
もう1つの流行は、地下出版により流通する『イナゴ身重く横たわる』と題された1冊の本である。占領国の官憲により発禁本の指定を受けながらも、アメリカ国民は(そして、取り締まる側のドイツ人や日本人も)厳しい監視の目を逃れて、密かにその本を読み耽る。その本には「本当の歴史」が記されているのだという。「枢軸国側が敗戦国になり、連合国側が戦勝国になった歴史」が。
この本を執筆した作家を暗殺する為に、ドイツ当局の手の者が動き出す。また、この本に書かれたことは「本当の歴史」なのか?だとすれば、如何にして作家はそれを知って執筆したのか?それを確かめる為に、一人のアメリカ人女性も作家の下へ向かう。
「高い城」に居ると噂される作家の下へ。
= 粗筋ここまで =
私が知る限りでは、ディックが本物の日本人と実際に交友関係があったという形跡は有りません。しかしディックは、優れた作家が持つイマジネーションの力だけで、敗戦国の日本人の心情を見事に描き出します。「敗戦国の国民となって、戦勝国の日本人に対する劣等感を抱いているアメリカ人」の姿というパロディによって。
『高い城の男』の描く、敗戦国となったアメリカの人々は『イナゴ身重く横たわる』を読みながら夢想します。「非人道的な残虐行為を行わなかったはずの、汚れていないアメリカの姿」や「輝かしい戦勝国となったはずのアメリカ」という「本当の歴史」を。
これらのモチーフや描写を現代の我々が読むと、執筆当時のディックによる意図を超えて、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論に嵌まる人間を傍から見た姿を描く形になっています。
最初に書いたとおり、私は戦前・戦時中の日本による蛮行については、日本に責任が有ると考えています。しかし、日本による南京虐殺等を否定する説や、ドイツによるショア(ホロコースト)等を否定する説を信じる人たちの、それを信じたくなる心情も、『高い城の男』を読んだ私には何となく少しだけ理解できる気もするのです。人間は、弱くて愚かです。ちょうど犯罪加害者の家族が「自分の家族が、そんな酷いことをするはずがない。何かの間違いだ!デッチ上げだ!冤罪だ!」と言いたくなるのと似たような心理なのではないでしょうか。誰でも大なり小なり「祖国に対する愛着の心」が有り、その祖国が過去の歴史の中で蛮行を働いたという記憶は、犯罪加害者の家族の場合と同様「耐え難い現実」であり、可能ならば「違った未来」が実現して欲しかった、「デッチ上げによる冤罪」であって欲しかったという思いを抱かせるのでしょう。
『高い城の男』の詳細と結末については、実際に読んでもらうしかありませんが、それについて少し書きます。ネタバレされるのがイヤな場合、以下の記述を読まないで、書店に向かってハヤカワSF文庫の『高い城の男』をお買い求め下さい。
【【【注意!ネタバレ有り!】】】
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実は『イナゴ身重く横たわる』に書かれた「本当の歴史」は「『高い城の男』を読む我々の存在する現実世界の歴史」ではありません。連合国側が勝利する歴史ではあっても、現実の歴史とは食い違う記述が有ります。つまり、本作の中で『イナゴ身重く横たわる』を読み耽るアメリカ人たちが夢想している「あり得たはずのアメリカ」は「無い」のです。
SF論としては、作家フィリップK.ディックは「本物と偽物」「現実と虚構」というモチーフを書くことに取り憑かれ続けた生涯で云々と話を展開するところでしょうが、ここでは南京虐殺の否定論やショア(ホロコースト)の否定論に絡めて『高い城の男』の話を持ち出したので、別のことを書きます。
心情的には、否定論にすがる人たちの気持ちも分かるような気がすると、私は書きました。
しかし、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論にすがる人たちの「間違いを犯さなかった、こんな歴史であって欲しかった」と夢想する歴史も、結局は『イナゴ身重く横たわる』の記す歴史と同じく「無い」のです。『高い城の男』は第二次世界大戦を下敷きにしていますが、ベトナム戦争のアメリカをはじめ、おそらく何処の国であっても大なり小なり「別の歴史があって欲しかった」という事は有ることでしょう。しかし、勿論それも日本やドイツと同様に「無い」のです。
では、我々は、どうすれば良いのでしょうか?実は、それを示唆する内容が『高い城の男』には書かれています。
『高い城の男』には、占領軍の日本人将校を相手に「アメリカの骨董品」の贋作を作って売るビジネスに関わるアメリカ人が出てきます。しかし物語の終盤に至ると、彼は「偽の歴史を付与した贋作の骨董品」を作って売るのではなく、新たなオリジナルの創作物を作って売ることを決意します。
『高い城の男』は教訓を学ばせる目的で書かれたとは思いませんが、それでも私は、このくだりを読んで思ったのです。「在って欲しかった歴史」「我々の願望を満たしてくれる、都合の良い現実」など有りはしない。どれほど不条理に感じても、動かし難く消し去ることのできない過去を「我々の現実」として引き受けるところから始めるしか他にないのだ、と。
まず「ハマースによる『ロケット弾攻撃』も非難されるべき」という点だが、そもそもの話として、イスラエルが数次にわたる国連安保理決議を無視して領土拡張・侵食を続けているのは明白な事実。そして国土への侵略に対する自衛権は国際法でも認められており、ハマースによる攻撃を「自衛権の行使」と見なすことも可能ではある。なお、日本の報道では「ロケット弾」とされているが、実態は「パイプ爆弾」に近いもので、危険とはいえ殺傷力もさしたるものではなく、しかもイスラエルは「アイアン・ドーム」等の防空システムを備えている。
また、「ハマースは本当に住民から支持されているのか」との疑問に対しては、もともとハマースはエジプトの「ムスリム同胞団」の影響下にあった組織で、当初はムスリムへの民生支援を目的とした組織であり(現在でも組織としては民生部門>軍事部門)、武装闘争を本格化させたのは後からの話である。
ヨルダン川西岸地区とガザ地区は地理的に離れており、人口は西岸地区の方がやや多いため、自治政府議長(=大統領)はファタハから選出される一方、「西岸=ファタハ、ガザ=ハマース」で棲み分けする形となっていた。一時期、ファタハが歩み寄りのため、首相(=大統領に任命権がある)をハマースから選んだこともある(イスマイル・ハニーヤ、2006-07)。しかし近年、イスラエルの「入植地」による侵食が一向に止まらず、さらにファタハ執行部の長期にわたる腐敗・汚職により西岸地区でも住民の支持を失いつつあり、いま選挙をやれば、パレスチナ全体でもハマースの勝利が確実視されている。それはファタハとしても困るし、イスラエルとしては今まで何度も暗殺作戦や武力行使の対象としてきた「テロリスト」であるハマースを、今さら交渉相手とするのは難しい。そうした"利害の一致"があって、パレスチナでの自治政府議長選挙は、2006年を最後に行われていない。
「選挙をやっていない」という点ではイスラエルも他所を批判できず、2018年12月にクネセト(=国会)が解散されて以降、ここまで4回の選挙を行ったが、いまだ内閣が正式に発足していない(=連立工作に失敗し続けている。完全比例代表制なので単独政権が難しいことに加え、ベンヤミン・ネタニヤフの汚職疑惑も影響)。つまり現状のネタニヤフ政権は、実態としては「汚職疑惑で訴追された人物が率いる選挙管理内閣」であり、そもそも今回のような軍事作戦を行使する権限があるのか?という問題点もある。
本気でハマースを殲滅させるつもりなら、いずれ地上での掃討戦を始める必要があるのだが、地上作戦は兵士を拉致される可能性がある(=ハマースとしては捕虜交換の取引材料にできるので、なるべく生け捕りしたい)上に、パレスチナ自治区では新型コロナワクチンの接種が殆ど進んでいない、という事情もある。また、掃討作戦に兵士を割けば、当然ながらレバノンやシリアの国境の防備が薄くなるため、何かしら攻撃を仕掛けられる可能性も否定できない。さらに最近、イエメンのホウシ派が「ハマースと共闘する」旨の声明を出しており、長距離ミサイル、あるいはドローンでの攻撃(後者はサウジアラビア相手に実績あり)があるのでは?とすら取り沙汰されている。そこまで大きな影響を及ぼしかねない作戦を決定する権限が「選挙管理内閣」に許されるべきか?という点は、いずれ禍根となるのではないか。
<ちなみに、レバノンのヒズブッラー、およびシリアのイラン革命防衛隊ともイスラーム教シーア派の影響下にあり、スンナ派系の組織であるハマースとは、もともと折り合いが悪かった。だが、ハマースの軍事部門をヒズブッラーが指導したこと、さらにハマース創設者のアフマド・ヤーシーンが04年、イスラエル軍に爆殺されたことから、今では関係が強化されている>
軍事作戦の正当性に関しては、「テロリスト」の潜伏地点をピンポイントで爆撃する能力を誇示するより、まず逮捕・収監することを目指すべきではないのか?という批判もある。武力においては圧倒的な差がある以上、「逮捕を試みるのは危険」という主張は、常識的には受け入れられないだろう。イスラエルでは通常犯罪に対して死刑を適用していないこともあり、「テロリスト」に対する司法手続きを避けたいだけなのでは?とも指摘されている。
また、いまイスラエル国内では、アラブ系住民へのヘイトクライムや、過剰な警察力行使が問題になっている(アラブ系住民からの反撃も多少は起きている)。それは、かつてユダヤ人が「ユダヤ人だから」という理由で差別や暴力の対象とされてきた歴史を、今度は加害者として繰り返している、とも見なせる。イスラエル以外で暮らすユダヤ系(世界全体では多数派)にとっては、同胞がネオナチと大差ない振る舞いに及んでいること、またイスラエルが実質的な「アパルトヘイト国家」と化していることを、倫理的な観点から批判する向きも多い。
ネタニヤフも既に71歳であり、当座は人気を維持できたとしても、長期政権を担うのは無理だろう。となると後継者が問題となるが、そこで更に強硬派の人物が台頭してきた場合に国際世論の潮目が変わってくるのでは?という懸念は、決して否定しきれないように思われる。
手洗いうがいマスクは竹槍じゃねえ。
適切に運用すればきちんと抑え込めるのだから、手洗いうがいマスクは空母機動艦隊だ。決戦兵器です。
まあ運用に失敗してるわけですけど。しゃべるときにどうしても飯食いながら飲み物飲みながらじゃないとできない奴らがいてマスク外すから抑え込めない。
じゃあ戦艦は何だっていうと、消毒薬とかじゃないです。検疫です。よそ者に合わない、よそ者と話をしない、感染していないことが確実になるまで数週間監禁する。ムラに帰ってきた者でもいったんはよそ者扱いして、例外なく。うん、適切に運用できれば最強。
これマジで運用して成功してる国ありますけど、日本だと色々あって無理です運用できません。お願いベースじゃ殲滅力がたりないんだよなあ。
私は弱者男性です。なので、なぜみんな「存在しない」だの「定義がわからない」
だの言い出すのが不思議でした。
しかも、弱者男性を定義すると、とても長大なリストが出来上がります。
なので、まずは、弱者男性の定義、及び弱者男性が何を望んでいるかを書いておこうと思います。
弱者男性の定義は簡単で「マッチョイズムを否定しているか、あるいは懐疑的な男性」です。
マッチョイズムの否定というと多義的なので、簡単に言うと「自分に自信がない男性」ととりあえず定義しますか。本当は違うのですがとりあえず。
なお「マッチョイズムだけを肯定」するのはクズ男。「マッチョイズムを信奉するが、時々疑念を持つ」のは強者男性です。
長大なリストを作り出す人は、おそらく「状態」だけを見て弱者男性とは何であるかを定義しようとしたのでしょう。
残念ながら全くの間違いです。それは「結果」に過ぎません。結果だけを見ると男性全員になるだけです。
弱者男性は自信がないので、比較的成功しにくいです。その結果だけを見ると、「人間関係資本が乏しい…とりわけ性的魅力に乏しく、性的魅力に繋がるようなオーソリティ(所得や社会的地位)もない…男性」のような定義する人が多いです。これは多くの状態としてはあってますが、本質はこれではありません。
本質は「自信がない」ことにあります。自信がないので、人間関係に奥手で、性的魅力に乏しいことになります。
ただ、自信がなくても、能力や運があれば成功できます。なので「弱者男性」を名乗っていても、成功している人はいます。
でも、それをみて「弱者男性など存在しない」というのは間違いです。
上記を踏まえて、「弱者男性は何を望んでいるか?」という問いに答えてみましょう。
ただし、その問をする人は、まず自分に以下を問いかける必要があります。
殆どの先進国は(1)です。その代表はアメリカでしょう。というか、先進国で(1)じゃない国はありません。もちろん日本もです。
それらの国では弱者男性など「玉なし」と言われて存在しない人間扱いされていることと思います。日本でもつい最近はそうでした。
(2)の代表はフィリピンだと思います。国家としてあまり反映しているように見えないです。それは誰かが責任を持って、死ぬほどの決意で仕事してないからです。
(3)の国は絶無です。今まで存在した形跡さえありません。(1)に戦争で負けるからです。
いま現状だと(1)なわけですから、弱者男性の望みは「殺さないでくれ」ということになります。まぁほっといてくれということになりますね。
(3)はアンチフェミニズムの考え方です。つまり「弱者男性にも自由を」ということになるかと。具体的には今の所わかりません。なんせそういう国は存在したことがないので。それこそ学術的な研究の出番だと思います。
それもそのはず、人間と同等の身体サイズと知能でありながら馬並みの身体能力を保有している生物だからだ。
人間の戦争のキモは「如何にアウトレンジから攻撃を撃ち、撃ち返されないか?」であることはよく知られている。
人間が事実上の地上最強生物になれた理由は、知能はもちろんのことだが、訓練した者であれば拳大の石を100m先へ投擲できるという他の生物には真似の出来ない優秀すぎるアウトレンジ攻撃能力のお陰だ。
アウトレンジから石や槍を投擲することによって自分は外敵の攻撃範囲外から一方的に攻撃することが可能で、これによってナウマンゾウを絶滅させるほど効率的な狩りを行えていた。
しかし、人間同士の争いになるとどうしても投擲した石や槍を投げ返されることが問題視され、より射程のある長弓が登場するようになる。そして飛んできた矢は弓が無いと撃ち返せない。
察しの良い者ならば気付いただろう。銃や砲はより射程があり弾の再利用すら出来ないし、大陸間弾道ミサイルは射程の究極である。
この状況でウマ娘という生物が存在する世界観を想像してみて欲しい。
ウマ娘は人間と同等の身体サイズと知能でありながら馬並みの身体能力を保有しており、人間を圧倒する投擲能力を発揮できる。人間がいくら石を投擲したどころでウマ娘に届かないがウマ娘からすると有効射程距離なのだ。
弓矢が登場しても同様だ。人間には引けぬ強弓で圧倒的なアウトレンジから矢の雨をウマ娘は振らせてくる。
辛くもウマ娘のアウトレンジ攻撃から生き残った人間が居たとしても、悪夢のような超スピードで突撃されて疲弊した人間たちは一気に殲滅されてしまったことだろう。
そして忘れてはならない、ウマ娘は人間と同等の身体サイズ、そして同等の知能を有しているのだ。
これはつまり、人間からするとバケモノのようなこの生物は高い知能で隊列を組んで軍事行動すらやってのける存在であることを意味している。
強すぎるウマ娘が古代に畏敬を集めたことは想像に難しくなく、畏敬は崇拝に、そして信仰として成立した可能性がある。
それこそがウマ娘世界の三女神であり、だからこそウマ娘は三女神の生き写しのような姿をしている。
ウマ娘世界の神話は詳細に語られていないが、すべてのウマ娘は三女神の末裔である可能性もそこそこに高いのだ。つまり全てのウマ娘は神の血統である。
ウマ娘が国家体を成し、文明を築き上げ、神の血統たる王侯貴族として治世を行い、我々人間はウマ娘の功績のおこぼれにあずかっていた。
これはウマ娘の国家体同士の戦争の過程で近代以降に人間が「解放」されるまで続いたであろう。
例えばおそらくは東方の島国では権力をウマ娘が持ち政権を築き、人間は女神の末裔へ祭祀や巫女として仕え、やがて権威化していたりするはずだ。きっとトレーナーはその名残であろう。