はてなキーワード: 教義とは
加入者人口というか人口ピラミッドというか、数が増えるほどに一儲けしてやろうとか、権力欲や支配欲を行使したいっていうカスが寄り集まってくるのはどんな組織においても自然な摂理なの。
街灯に訳もなくたかる蟲たちや、アリやハチの集団から自然と女王や働きアリが生まれるみたいなことと同じの免れない物理法則みたいなものなのよ。
だからこそ、そういった法則に人として抗うために初期発案者の思想や哲学が大事なの。大きくなればなるほどその教義や発案者の人間性が色濃く組織に投影されがちなので、
自然にはたらいてしまう力にたいして、人として律するみたいなことが必要なの。
要するに何が言いたいかというと、今は人が増えてその多く集まった人たちを金や権力欲、ヒエラルキー構築の手段として利用するカスための道具にフェミニズムは成り下がっており、
例えば「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という有名な迷信がある。合理的な根拠不明な迷信も多くあるが、この迷信はwikiにある解釈を読むと納得感はある。ただし現代においては安全爪切りもあるし、照明もあるので夜に爪切っても危なくない。むしろ風呂上がりの方が爪が柔らかくて切りやすいくらいだ。
昔は照明器具が不十分で、手元が見えず危険だった。また切った爪の行方も見えず、後でそれを踏むと痛いということもあった[7]。いずれにしても、夜に爪を切ると何もいいことが無いから、夜に爪を切ってはいけないとされたという[7]。
他にも当時は通用したが、現代には適さなくった迷信がある。同じくwikiから参照したい。
夜に口笛を吹くと、蛇(または妖怪、お化け)が出る。 - かつて日本で人身売買が行われていた時代、摘発されないために多くが人目のつかない夜に売買取引を行っていた。その際、売人を呼ぶ合図が口笛だったため、「蛇(妖怪、お化け)が出るから吹かないように」という子供への警告が形を変え、現代まで残っている一例とする説がある。
こういう迷信がアップデートされないまま、言葉だけ語り継がれていくと、合理的根拠がないまま生活様式に落とし込まれていき、無根拠に信じるようになる。
宗教の牛とか豚食っちゃダメなんて、まさにその例で、当時牛とか豚食べて伝染病で人が死にまくったから食べるなとかが、この教えのスタートで、当時は有効だったから連綿と受け継がれてきてきたわけだ。でも今ではただ教義だから守ってる以上の理由はないのでは?とか思う。
(宗教についてまったく詳しくないから言ってること間違ってたらすまん)
まぁこれを文化というのだろうから、ダメってことでは全くないのだけれど、個人的には迷信には合理性というか、有用な教えみたいな要素が入っていて欲しい。
なので血液型占いなんかは、打破すべき現代版迷信のトップランナーだと思う。
例えば以下のようなのを思いついたが他にもアップデートすべき迷信はあるだろうか。
・夜に口笛を吹くと、蛇が出る。
↓
↓
おおむね、ポリコレ的にアウトとかポリコレ的にセーフみたいな話をするときには、その定義の範囲を正確に捉えた方が良いと思う。
元増田が例示しているムスリムの例は大変示唆に富んでいて、「宗教的正しさ」を理由にした運動だったら、たぶんもう少し考える人が増えると思う。
ここでは「BLはポリコレ的にアウトなのは事実」というのが、明らかでは無いと説明してみる。
「宗教的な正しさ」とすると、アウトかセーフかは宗教ごとの教義によるだろう。
「自民党的な正しさ」とすると、(自民党の言う)日本の伝統的な家族観からはアウトかもしれない。
「民主主義の政治的な正しさ」とすると、多様性の観点からはむしろセーフとして守られるべき対象かもしれない。
「(いまTwitterで話題になっている)ポリコレ」とすると、自分はアウトだと思うが、全員が同意するかは疑問だ。
何言ってんだ?と思うかもしれないが、いま「ポリコレ」とは「ある差別が存在したとして、それを追認もしくは強化、一方的な見方を助長するときには、積極的に止めるべきだ」という運動だと定義できるからだ。これがポリコレ棒などと揶揄される運動だ。
(いまの「ポリコレ」は、政治的に正しい言葉を、公文書を作成する際に使うべきだ、政治家が発言する際には利用すべきだ、という運動では無い)
民主主義の正しさが世界を覆いつくすのが、本当に正しいのかは、大いに疑問が残る。
例えばこれが「ある宗教にとっての正しさ」を広げる運動であれば、かなりの人が眉に唾を付けて、そのうえで取捨選択するはずだ。
いまの「ポリコレ」は「ある文化圏にとっての正しさ」を立ち止まることなく広げ続けているように見える。これは大変怖いことだ。
はてブ受けする人物で言うならアラン・チューリングは、当時彼が所属する法治国家で違法とされている行為で逮捕されている。
そう、同性愛だ。少なくとも1952年のイギリスでは、同性愛は違法だった。
違法なのだから、それは(当時のイギリスの)政治的には正しくない行為だ。
いや、例えば今まさに黒人が迫害され、白人と同じことをしているだけで突然射殺されるのは間違っているだろう!と思うかもしれない。
自分もそう思う。
もちろん軽重は違うだろうが、日本の技能実習生は問題だと思うし、サウジアラビアで同性愛が違法とされている現状も個人的には痛ましいと思う。
「人種や肌の色によって差別することを許容しない」とするなら、
同じように「BLを正しくない表現方法」とすべきだ、とするのは、とても乱暴で、あいまいな境界をもとに表現規制を行っていると思う。
少し話題が逸れるが、個人的には「表現は規制されるべきだ」という認識を持っている。
「表現規制があった方が良い」と「表現規制は無い方が良い」という話のときにスッポリ抜け落ちがちな視点として、表現は普通に規制されているという点がある。
例えば、マッツ・ミケルセンの出ていたドラマのハンニバルといえば良いだろうか。アートの観点から、美しい肉体を持つ人間を殺して紐で括り付けて芸術作品に仕上げる、というのは一般的には許容されないし、日本で発覚すれば普通に犯罪だろう。そういった表現方法は規制されている。
きっと美しいだろうからと金閣寺に火を放っても捕まるだろうし、神々しいまでに美しいと言ったところで男子小学生のヌードを撮影すれば犯罪だろう。既にしてある種の表現は規制されている。
当たり前だろうと思うなかれ、同性愛が普通に犯罪だった国は多いし、現在進行形で違法の国もまだある。
(自分の息子の上半身裸の写真撮影が規制されるべきかどうか、日本において自明ではないだろう)
だから、思想は自由だとしても、それを表に出す、現実世界に影響を及ぼす際の表現方法は規制されて当然だ。
ただし、どこまで何を根拠に規制されるかは、その時々の社会情勢によって影響を受ける。
(だから規制して欲しい派がロビー活動を行うのも正しいし、規制して欲しくない派がロビー活動を行うのも正しいだろう)
義を見てせざるは勇無きなり。
だから、自分の信じる正義のために活動することは、(その当人にとっては)正しいことだ。
自分の信じる正義が、たまたまTwitter上のポリコレ運動と一致しているなら、それをもとに活動することもまた、(その当人にとって)正しい。
ただ、その「Twitter上のポリコレ」が人類普遍の正しさかどうかは、一度立ち止まる必要があると思う。
「ポリコレ」としか呼びようのない運動について共感したとしても
「政治的に正しい」振る舞いが、どの国のどの政治なのかは意識すべき時期が来ていると思う。
無自覚に「これは正しいことだ!」とすると、まったく同じ理路で突然自分が否定されることもまたあり得る。
(別に矛盾のない聖人君主だけが住まう国でもないので、あちらとこちらで一貫性がなくてもまた人間的だとは思うが、どこかで折り合いはつけるべきだとは思う)
そして同じように、みそもくそも大雑把にくくったうえで、「だからコレはクソだ」として無視するのもまた、誤っていると思う。
純粋に善意で、自分の規範を教えなくては!という熱意を持った人はわりと自分の周囲にも多い。
そういう時、(相手が話を聞いてくれるときには)「その”正しさ”を、”正義”に置き換えても、まだ薦められる?」と聞くことにしている。
「ポリコレ的にアウト」ではなく、「自分の信じる正義に則ってアウト」と言えるかどうかが、たぶんアクションに起こせることだ。
もしくはもっと広く「日本国民が信じるだろう正義に則ってアウト」でも「民主主義の正義に則ってアウト」でも良い。
だから、元増田はひねくれているとは個人的には思うけれども、「自分の信じる正義としてBLはセーフ」「Twitterで言われるポリコレ的にアウトというのは、自分の信じる正義とは違う」と言い切って良いと思う。
私は「自分の信じる正義に則ってアウト」という言葉を「ポリコレ的にアウト」と言い換える途中にゴッソリと抜け落ちた部分が怖い。
「(自分の信じる正義であり、世界不変の正義でもある)ポリコレ的にアウト」と考えているとすると、とても怖い。
その世界には、自分のようなマイノリティの席はお情けで確保されているにすぎないと思っているからだ。
ぜひ、自分の信じる正義が、どの世界やどの政治体制の正義と同じだと思っているか、自問して欲しい。
そして、もし違う正義を信じる者がいたとして、彼ら彼女らにどう接するべきか、自問して欲しい。
男の方も、女から性的に愛されることにしか存在肯定を見いだせない人らが少なからずいて、その人たちがいくら「女に救いを求めるのは人倫的にいかがなものか!」って責められたって、代わりとなる救いの道が見えないから女を求めることを止められないわけじゃん。
「しらねーよ、男同士でケアしあえよ」なんてのは、代替教義の提案じゃなくてただの突き放しだしな。
女だろうが男だろうが、心の安定がない人は手近な救いの教義に依存してしまう。
「BLはポリコレではない」議論(anond:20200710045020)、だいぶ盛り上がりましたね。
もう「現代日本のBLは存在自体がポリコレではない」には共通了解が取れたと理解していいんですかね? いや、だってどう考えても政治的に正しくないし。
理屈が理解できない人は当事者の人がスライド作ってくれてるからそれを見ような。
https://docs.google.com/presentation/d/1RY27M0g28cM9MTm2Mk5TYH-W_RzEZoiymCtJXeftFB0/edit#slide=id.p
個々の描写がどうとかではなくて「性的少数派の性愛をそうでない人たちがおもちゃにしてる」という構図自体がポリコレ的にアウトもアウトだという話なので、いくらホモ呼びをやめたり対等な関係性を意識したりしようがポリコレ違反からは逃れられないってことですね。
で、この、「BLはポリコレではない」って、「豚肉を食べるのはイスラムの教義に反する」みたいな話だと思うんすよ。トンカツ食ってるときに、「それはイスラムの教義に反する」って言われた、みたいな。
これは端的に事実ですよね。だってコーランに豚食べるなよって書いてあるし(細かい解釈の話は措いておくとして)。
でも、あなたがイスラム教徒じゃなけりゃなんも気にする必要ないじゃないっすか。「はあ、たしかにイスラムの教えには反してますが、それがなにか? 私イスラム教徒じゃないし」で済む話。
だからゲイ当事者の人に「BLはポリコレではない」って言われたとしても、おおかたの腐女子の人は「はあ、たしかにポリコレ違反ですが、それがなにか? 私ポリコレの支持者じゃないし」で済むはずなんですよね。
そう、本来ならそれで終わってた。淡々と「確かにあなたの言う教義には反してますね。でも私は異教徒なので」と言えばそれで終わりだった。なんなら「異教徒に身勝手な教義を押し付けるな! お前らは多様性の敵!」という反論をすることもできた。
なんでそれで済まなかったかといえば、まあ、ポリコレを掲げて他ジャンルの人や一般人に意識をアップデートしろと迫る腐女子の人たちがそれなりにいたからですよね。
ヤジーディー教徒が髪の毛さらして歩いてるのを「異教徒め! 外出するときはベールをかぶれ!」と声高に糾弾して場合によっては虐殺までしてきたイスラム聖戦士の皆様が豚肉食ってるんだもの、そりゃ背教者と罵られた挙げ句に石打ち刑に処されますわ。
日頃から豚肉食ってるのにわざわざイスラム聖戦士になろうとするやつなんてそうそういるもんじゃないし、仮に食っててもイスラム国に加入するときには豚肉断ちをするのが普通だろうけど、常日頃BLを愛好しておきながらBL断ちもせずにポリコレの聖戦士になる連中はなぜか大勢いたんですよね。いやほんと意味わかんないんだけど、でも現実なのよね。
まあ、そういうことなので、腐女子の皆さんはBL趣味を続けるならポリコレとは相容れないのでいっしょにポリコレ押し付け反対をやっていきましょう。
実際ポリコレとかただの圧制にすぎないもの。ポリコレに抗してBL文化や萌え文化を守護らねばならぬ。
たとえばカツ丼食ってるやつに「それイスラムの教えに反するよね」って言うのは単なる事実の指摘だよね? 「現状のBL作品の多くはポリコレじゃないよね」ってのもそうですよ。単なる事実の指摘。
その事実をどう評価するかってのは別の問題ですよ。でも事実は事実だから、前提となる事実くらい受け入れてくれ~~~~~~。
男だからといってフェミ叩き男の責任をとらなくてもいいように、腐女子だからといってラディフェミ腐女子の責任をとらなくてもいいと思うんだけどね…
いやほんとそのとおり。腐女子全般が萌えヘイター腐女子の責任を取る必要はない。
でもこれ、責任論じゃないんですよ。仮に男オタクが矛を収めたとしても「BLはポリコレ的にアウト」という部分は変わらないんですよ。なぜならこれはポリコレという主義に照らせばそうなるよねという筋論の話だから。
「BLはポリコレ的にアウトなので別の趣味探します」と「BLはポリコレ的にアウト? 知ったことか、私は反ポリコレだ!」のどっちを選びます? って話です。
個人的なオススメは後者っすね。いっしょにポリコレに立ち向かって文化を守っていきましょう。BL文化が潰されるのはもったいない、すごい損失だと思うので。
BLに限らず、男性向けエロ漫画やエロ同人を描いてる男性でもフェミニズムに理解を示す人や、ポリティカルコレクトネスの意義を認める人はSNS上に存在してるけど、そういう人は増田の観測範囲に居ないのかな?
なんも状況判断できてないんすね。今のポリコレを真面目に適用したら現状のBLは死ぬって話してるんすよ。
BLの中の倫理的ではないカプや描写が死ぬんじゃなくて、BLが死ぬの。
あたしゃ腐女子じゃないけど、BL文化は現代オタク文化の重要な一部ですから、みすみすポリコレなんぞに殺されるのを座視するなんてとてもできませんわ。だから一緒にポリコレに立ち向かいましょう。
腐女子の人たちが自分たちを殺す思想に従わなければいけない理由がわからない。
ポリコレなんて誰しもが多かれ少なかれ逸脱した部分と順守したい欲求を抱えているものだし、創作やオタクや腐女子を守るポリコレもあるべきなんで、どっちの勢力も0か1かみたいな扱いやめてくれんかね。
マジョリティである異性愛者中心の集団が男性同性愛者というマイノリティを使って彼らの実態とはかけ離れた創作してる時点でポリコレ的にはスリーアウトチェンジでしょ、という話をしてるんですが、マジで危機感ないんすね……腐女子はポリコレで守られる対象じゃなくてポリコレで殴られる対象でしょ、どう考えても。
ポルノだけじゃなく、いやむしろポルノよりも日常を描いた全年齢BLがポリコレ的にはヤバいって話はさんざんされてますね。
ポリコレだと、たとえば黒人をポジティブに描くだけじゃダメで、仮に昔のアメリカを舞台にした作品で黒人が差別されてなかったらそれはそれで「黒人差別という歴史を透明化しようとしている」って批判されるんすよ。抑圧や差別を無かったものとして描いてはいけません、ってことね。
現代日本ではゲイ差別は現役で生きてるんだから、現代を舞台にしながらも男同士がなんの偏見も苦労もなく彼氏を見つけて恋愛する「優しい世界」はポリコレ的にアウトっすね。
当然、これ女性差別でも同じこと適用されるんでしょ? 差別がなく要職が女ばかりで占められた世界で美少女キャラがのびのび暮らしてる萌えアニメとか全滅っすよ。こんなんポリコレと敵対する以外に解決策ある?
ポリコレってのはふわっとした「配慮」とか「思いやり」とかのことじゃなくて、こういう差別に関する独自の理論と実践の集積で、その理論はアメリカの社会情勢を元にして作られていて、理論の更新もアメリカ社会(というか英語圏)が主導して進められていて、本来はかなりドメスティックな理論と実践の体系であるはずなのにアメリカと英語の権力を背景に世界中で影響を持ってしまっているものなんすよ。こんなんマトモに導入したら、日本のオタクは自分たちの社会の事情と合わず自分たちが主導権を握れないものにみすみす表現の根幹を明け渡すことになりますよ。それでいいんですか?
(そろそろ我々アジア出身のアジア人は真面目に「アメリカの黒人は英語母語話者のアメリカ人という特権階級だろ」と主張した方がいい局面にいると思う。あいつらマジで特権を自覚してないっぽいので)
考えた結果ポリコレは文化を殺すなという結論に行き着いたので反対しますね~。
笑った。ポリコレ様に従うことで全人類が幸せになれると信じる教団。ブコメまさにそれそのものがいるじゃん。ポリコレ信者の方々にはどうもこれまで踏みつけられて不幸になってきた民草の姿はどうも見えないらしい。
ポリコレで自分たちが有利になるならポリコレを支持することは(善し悪しは別として)合理的だな~って感じなんですが(仮にアメリカで黒人やゲイに生まれたらポリコレ支持するのが一番自分にとって得っすよね)、自分の趣味が殺されることになるのにポリコレ支持してる一部の腐女子は理解不能すぎて……
(いや百合豚はどう考えても隠れて)ないです。百合は下手するとBL以上に当事者の目に触れてるジャンルなので……
創作者の中の当事者比率もそれなりに高いジャンルっすからねえ。ただ非当事者としては当事者のリアルは文献を通してしか知らんので、非当事者の立場から百合の現実度を言い立てることは問題があるかなって……どうしたって当事者にはなりえないので。それより現実とはかけ離れていてもファンタジーだからいいんだよっていう理屈を構築した方がよいのでは。
いや、話は簡単で、お前らはこっちに死ねって攻めてきたからならばお前らもろともに死ぬのか、死なないように相互不可侵を決めるのかどっちだ?と城下の盟を迫られているだけやで
一番迷惑してるのが普通の腐女子っすよねぇ。ごくごく一部のポリコレに目覚めた腐女子に外患誘致されてるんだもの。ほんと、よくそんな天敵を自陣に引き入れようと思ったよな……
ポリコレってメッチャ広範囲故に反対すると踏み絵(それもエグい奴)になるよ?要は別姓も、人種差別、女性差別すらBL支持の為に許容する事に。故にお薦めは是々非々のポリコレなんだけど…
海の向こうで是々非々ポリコレの種を蒔いたらあっという間に「シスはトランスの役をやるな」「白人声優が黒人キャラに声を当てるな」まで成長したの見てたら、とてもそんな呑気なことは言えないっすね。危機意識足りなさすぎでは?
ちなみに「シスジェンダーの白人女性がゲイの少年を主人公にした小説を書くのは搾取」という議論はマジでされてますからね。
https://i-d.vice.com/jp/article/8xeg4b/does-it-matter-who-writes-queer-stories
是々非々っていう態度でこれ拒絶できると思います? 無理でしょ。是々非々でポリコレの侵入を認めていたら絶対こういう話にたどり着きますよ。この理屈が波及したらお姉さま方が描いてるBLなんてほぼ全滅じゃないすか。ポリコレの論理そのものが我々の敵なんすよ。
ポリティカル・コレクトネスは「一般大衆に向けて発表する場合」に問題になるわけで、公開範囲を限定することが前提であれば従わなくても構わない、という点を抜きにした議論は無意味かと思います。
「同性愛匂わせで視聴者を釣るのは搾取」理論で『シャーロック』が叩かれてるっていう現実が見えてないんですかね……>https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47877196
こんな理論適用されたら日本産コンテンツたいていポリコレに抵触するでしょ。『ユーリ!!! on ICE』とかどうなんの? って話っすよ。
もうほんと、ポリコレ支持者ってなんでこんなポリコレに対する認識がテキトーなの? 信じられない。あ、そっかポリコレをテキトーにしか認識してないからその怖さもわかんなくて簡単に支持できちゃうんですね……
ほんとこれ。この期に及んで「でもPCにもいいところはあるし……」とか言ってる腐女子の人たち、マジで何がしたいのかわからん。死にたくなければそいつから離れろと。
ポリコレ推進派の腐女子は当事者のアカウントをブロックしたり無視するのがおすすめ。都合が悪い時は下を向いて黙り込むのがいい。みんなそうしてるし。
あ~、これめっちゃ笑いましたね。サイレンシングでマンスプレイニングでトーンポリシングやんけ! っていう。自分らで発明した概念で自分たちの首絞めてる光景、外野からはウケる~以外の言葉がないというか。
新自由主義おじさんさぁ、きみの宗教をどうこういっても通じないんだろうけど、
新自由主義おじさんの致命的な欠陥はさぁ、
「しんじゆうしゅぎ」って声に出してごらんよ?
なんなのあれ。宗教だよね。
宗教や説話は古来から民間における知識の伝達手段となっていた。どうしてそうすべきかはわからないが教祖様が言うから、神様がそう託されたから、あるいは妖怪が出るからと行動を制限してきた。
聖水を水鉄砲でかけ、モスクでクラスターを作る始末、挙句の果てにコロナは礼拝を休むための言い訳にならないとか言い出す。
もちろん今全世界的に礼拝等の行事が変化していることは認めよう。だが遅い。上記のような例が出てくる時点で統率がとれていない。
クソ舐めやがってあれだけ強かった宗教はどこに行ったのか。
ところで科学はとても冷徹な思想であり、信仰だ。これは今現在、先人達の努力による確からしいことを教義にしている。
事実と現実のみを重視し人間の情緒が入り込む余地はない。故に科学には人間の不安を解消することはできない。
科学者は今現在ある情報で最も優れている行動をするしかない。が、その行動が後から見て正しいかは決してわからない。それでも自分の感情を無視して(あるいは今はこれが最善手なのだからこうすべきだと信じて)行動する狂人である。
大衆は今の状況で打てる最善手だとわかっていても最善手を打てない。科学は不安を解消してくれないからだ。大衆にとって事実がどうなっていてどのような機序で物事が起こるかなんてどうでもいいことだ。
今感じているどうしようもない、目に見えない、自分の手には負えない不安を解消してくれればそれでよい。それなら自分の信仰に縋る。信じれば救われる、名言だ。
一般的に教義は不変だ。信仰の神秘性が薄まるから。信仰の神秘性を投げ捨てて宗教を構築することはできないだろうか?
刻一刻と変化する現代において不変の教義はもはや時代遅れである。
今までの教義を検討の後2秒で投げ捨てて新しい知識を伝える手段が必要だ。科学にまとわりついた冷気を覆い隠して大上段から託宣を行う存在が必要だ。
まずSNSで顔出ししてはいけない、本名も晒してはいけないそれこそがネットリテラシーだと宗教のように信じてるんだと思うけどそんなの極東の島国の30代と40代というせっまいせっまい村の掟なだけでグローバルは顔出し実名がスタンダードです。リテラシーでもなんでもないです。
その宗教の信仰上の理由で教義が違うから恋人に改宗してほしいと思ってるんだろうけど普通に考えて付き合ってる人に宗教への改宗を迫られたらイヤだよね。
自分は異教徒とは付き合えないんだなと自覚して同じ宗教の人と付き合ったほうがいいと思う。あなたは別に何にも正しくない、ただの自分の信仰に信心深い人なだけ。
目の付け所は素晴らしいと思う。
宗教は人間が人生を幸福に過ごすために「たいへん緻密に設計されたシステム」である。
これまでの人類の歴史の上で宗教が大きな役割を果たしてきたのは、過去の人々が宗教家を名乗る詐欺師どもにいいように騙される無知蒙昧ぞろいだったから、だけではない。
宗教は個人が幸福に過ごすうえで、また集団が協力して社会を営んでいく上で少なくない利益をもたらすがゆえに、広く人類の文化圏に受け入れられ、成長してきたのだ。
宗教が軽んじられがちな現代において、その有用性に着目した元増田の視点は鋭い。
ただ、悲しいことに元増田の認識は甘い、と言わざるを得ない。特に次の一文が元増田に認識の甘さをよく表している:
おそらく、元増田のいう「あやうさ」と「搾取性」というのは以下のような定義で表せるものだと推察する (違っていたら教えてくれ)
これらは宗教の「非科学的」で「非合理的」な活動を批判する上でよく槍玉にあがるトピックだが、宗教団体の中核をなすものであり、決して欠くことのできないものだ。
なぜなら、これらは宗教団体が団体として活動を継続する動機であり目的となるものだからだ。
元増田も言及しているように、宗教団体に所属することの現実的なメリットの一つは相互扶助活動だ。お互いがお互いの張り合いとなり、物理的また精神的に支えあうことだ。
当たり前だが、相互扶助活動を継続するためには「団体」が「団体」であり続けなければならない。
「あやうさ」も「搾取性」もない宗教団体はただの仲良しクラブに過ぎず、簡単に瓦解する。元増田が理想とするような団体が維持できるのは、「たまたま」メンバー間の相性がよく、「たまたま」定期的なコミュニケーションが継続できていて、「たまたま」外部からの圧力にさらされていない間だけに過ぎない。