2020-07-03

宗教もっとしっかりしろ

宗教説話は古来から民間における知識の伝達手段となっていた。どうしてそうすべきかはわからないが教祖様が言うから神様がそう託されたから、あるいは妖怪が出るからと行動を制限してきた。

しか現代を見ればどうだろうか

聖水を水鉄砲でかけ、モスククラスターを作る始末、挙句の果てにコロナ礼拝を休むための言い訳にならないとか言い出す。

もちろん今全世界的に礼拝等の行事が変化していることは認めよう。だが遅い。上記のような例が出てくる時点で統率がとれていない。

クソ舐めやがってあれだけ強かった宗教はどこに行ったのか。

ところで科学はとても冷徹思想であり、信仰だ。これは今現在、先人達努力による確からしいことを教義にしている。

事実現実のみを重視し人間情緒が入り込む余地はない。故に科学には人間不安を解消することはできない。

科学者は今現在ある情報で最も優れている行動をするしかない。が、その行動が後から見て正しいかは決してわからない。それでも自分感情無視して(あるいは今はこれが最善手なのだからこうすべきだと信じて)行動する狂人である

大衆は今の状況で打てる最善手だとわかっていても最善手を打てない。科学不安を解消してくれないからだ。大衆にとって事実がどうなっていてどのような機序物事が起こるかなんてどうでもいいことだ。

今感じているどうしようもない、目に見えない、自分の手には負えない不安を解消してくれればそれでよい。それなら自分信仰に縋る。信じれば救われる、名言だ。

一般的教義は不変だ。信仰神秘性が薄まるから信仰神秘性を投げ捨てて宗教を構築することはできないだろうか?

刻一刻と変化する現代において不変の教義はもはや時代遅れである

今までの教義検討の後2秒で投げ捨てて新しい知識を伝える手段必要だ。科学にまとわりついた冷気を覆い隠して大上段から託宣を行う存在必要だ。

それはそれとして宗教は嫌いだから一回滅べ

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