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はてなキーワード: 役者とは

2020-06-16

anond:20080606155243

なんでこういうとこでマウンティングするかなあ。

役者のはしくれとして舞台に立つ友人は、その日も稽古の帰り道。

金髪によれよれのシャツ、はき古したジーンズサンダル

もともと強面であるがゆえに、とてもガラが良さそうには見えない。

表現者としてエッジを立てたいなら「河原乞食」の自覚覚悟がないと難しいんじゃないかな。

ちょっと前に演劇が叩かれたのも、自分たちは「はしくれ」であっても芸能人で、一般人のお前らは崇め奉って当然みたいなマウンティング普段から感じられるからだよね。

2020-06-14

チケットは予約したはずだ

胸板に乗った右乳首乳首といった役者をどのように輝かせるか。

緞帳のような下着はいつ上がるのか。

はいつまで劇場入口を見つめ続ければ良いのか。

2020-06-13

役者やのお~

>賢い人が社会で割と最初にぶつかる壁は、

「正しさや合理性では人は動かない」

ってことだと思う。

・・・ああ?!

誰の?誰の規定してる『正しさ』や『合理性』?

ほんで、

『賢い人』

これ誰?!

まさかまさか、オマエ、

自分自分のことゆーとんの?!

※フゥ...また騙されるとこやったわ 日本語は怖いわぁ

2020-06-11

ジャミルの声について

ツイステッドワンダーランドキャラクタージャミルバイパーのボイスについて。

ネタバレを含みますのでご了承下さい。

なお、このエントリについては特定声優さん貶める意図はありません。

あくまで一ユーザーとして感じたことを記載したまでですのでご了承下さい。

今回ツイステにおいてフェアリーガラというイベントが開催され、

ジャミル推しの私は絶対にガラ衣装ジャミルSRを手に入れるぞと意気込んでいました。

ガチャの結果無事に推しが手元に来てくれてホッとしていたのですが、

現れた彼が喋りだしてすぐ違和感を感じました。

「声…違わない???

ホーム画面にジャミルを設置してしっかり確かめてみましたが、明らかに声が違う。

今までは低音ボイスだったのに、随分トーンが高くなっている。

かに抑揚も付くようになっているし、声優さんが上達したのはひしひしと感じられました。

ただ、私は今までの低い声で、でもどこか温かみのあるジャミルの声が好きでした。

今回の大幅なボイスの変更において、きっと役者さんが声優初挑戦ということでさぞかし試行錯誤されたのだろうと感じられます

かに明らかに活舌も抑揚も良くなり、聞き取りやすさという点は間違いなく成長されています

きっと声のトーンが高くなられているのも、ジャミル17歳少年であるということを鑑み

少年らしさの反映であることも受け取ることができます

ですが、その芝居の方向性の変更が「同じ人間が話している声か?」という疑問を抱かせることに繋がっているのは否めません。

私のTwitter上のTLでも散見されたように、

「4章を経てジャミル自分解放できるようになった」「人間らしくなった」という声があるのは理解していますが、

あくまで4章をターニングポイントとしてジャミルの話し方が変わったとすれば、違和感を感じる点があります

ツイステのカードには「カード固有台詞」と「キャラクター共通台詞」の二種類のボイスが実装されています

カード固有台詞は、そのカード使用した際にのみ発されるボイス、

キャラクター共通台詞は、カードの種類に関わらず、そのキャラクター使用した際に発されるボイスです。

このキャラクター共通台詞において、ジャミルは当初の低いボイスが実装されたままです。

これはジャミルを育成した際や、授業中、バトルの際などに聞くことができ、

彼というキャラクターイメージの核となる部分だと受け取っていました。

現状もその共通台詞は聞きなれた低音ボイスが発されています

その一方でフェアリーガラのジャミルが固有で持つホーム画面上のボイスは高音です。

これにより、授業やバトルを経てガラジャミルの待つホームに戻ると、突然違う声でしゃべりだす彼に迎えられることになります

正直このちぐはぐな反応に悲しみを感じえません。

仮に4章を起点として、ジャミルが人として変化した、それをボイスにも反映させた、

ということであるなら、先述した共通台詞のボイスも、4章以降は変わっていなくては整合性が取れません。

もちろん一人のキャラクターのためにそこまで手間を掛けるということはコストの面からあり得ないということは認識しています

なので、この仮定現実には実現不可能ものであると考えます

そうなってくると益々このフェアリーガラというイベントのみにおいて、突然ジャミルの声が変わってしまたことを残念に思わずにいられません。

しかすると5章以降のストーリーでは彼はこの声で話すのかもしれませんが…

ではそうしたら、今現在存在している授業中にカリムのお腹が鳴ることを察したり、時に先生に得意げに飛行術を披露している彼をどんな存在だとして受け止めればいいのでしょう。

場面場面で話し方が大幅に変わる人間ジャミルがそう描かれてしまっているように感じられてしまい、

けしてこれが声優さん運営方が求められた結果ではないだろうと思います

これは憶測しかありませんが、今回ジャミルのボイスが大きく変わったのは声優さんジャミルをより良くしたい、技術を向上させたいと努力なさった結果であると感じます

間違いなく実装当初のボイスより成長なさっていますし、声優初挑戦でいらっしゃる方がそこまで突き詰められていることに感動しています

ですが、キャラクター主体的に関わる声優さん立場と、あくま受動的にキャラクターに触れる私たちユーザーとでは受け取り方に差があるのではないかと思うのです。

そうした際にその溝を埋めて橋渡し役を担ってくれるのが演出であり、お芝居における監督なのではないでしょうか。

実装時にいくら成熟だったから、キャラクター像を掴めていなかったら、

もし仮にそうだったとしても、その未成熟な時点で命を吹き込まれたのがジャミルというキャラクターなのだと私は思います

かに今の方がお上手です。

でも彼が初めてジャミルとして話し出した瞬間、それが彼というキャラクターの核なのです。

お芝居は生ものですから、変化や成長があることはあって当然だと思います

ですが、キャラクターの命ともいえる核を守りながら、

役者さんの成長を反映させるというコントロールこそが、演出側に担っていただきたい役割だと考えます

今回の変化はそうした演出からの調整のようなものがあまり感じられず、

役者さんの試行錯誤がそのまま反映されているように感じられました。

ですが、先述した通り役者さんのキャラクターへの向き合い方と、私たちユーザーキャラクターから受け取るもの視点が違います

かに著しく上達はされていますが、あくまで”キャラクターボイス”である限り

4章を以て彼が解放されたという描写の一環だとしても、別人かと思わせる域の変化をつけてしまうのはどうしてもベターではないと思うのです。

あくまジャミルという一人の人格の中に、心の振れ幅がある、

改めて運営側の皆様にはその点を汲み取っていただきたかったと残念に感じます

これがゲームリリース前なら当然いくらでも変更があって問題がないと思います

ジャミルは既にキャラクターとして生を受けています

それにより、彼が場面によって人格乖離してるように見受けられるのは否めません。

長々と書いてしまいましたが、私はなんだかジャミルがかわいそうなのです。

これからも彼は共通台詞において低い声で話し続けるのでしょう。

その一方で5章がリリースされた際にはガラのような声で話すことになるのかもしれません。

そんなキメラ的な存在になってしまうことがどうしても不憫なのです。

ジャミルのボイスが当初から好きでした。

特にエピソードLVを上げた時の

「俺と一緒にいても…」と語りかける、落ち着いていて、情が感じられる話し方がとても好きでした。

この短期間で、それを懐かしむようになるとは思ってもみず、まだ整理できないでいます

2020-06-09

キンプリファンに優しくないキングオブプリズムを見た感想

結構前だけどフォロワーライブアニメ好きなら絶対面白いからって言われたので見た。

でんでん現象が極限まで極まってるジャンルみたいだから変なのに絡まれそうだし…と思いツイッターでは無難なこと言ったけど嘘ついたもやもやが残ってるからここに書いて供養する。フォロワーには適当プリズムの煌めき感じた的なことを言っておきました。

まず私はジャニとかハロプロとかのあの特有の"トンチキ"が好きなんだけど、勧めた知人は同じだから!と言っていたけど全然ちがう。

ジャニのトンチキはあくまで"女がキャーキャー騒ぐような存在がなんともいえないダサいことをしている"ことで起こる絶妙さを言うのであって文脈がはっきりしているがかつ形容詞しがたさを持っているのに対しキンプリ脈絡ないインパクト重視でどや?面白いやろ?って主張してくる。(おそらくジャニのトンチキは二次元だとうたプリもっとも近い。向こうの映画はまさにトンチキ極めてたな映画しか知らないけど)

外野(主に男やファン心に恋愛ときめきを持ち込むのが嫌いな女)にはあくまで「女に媚びてる男が決め顔してるリアコ向けの娯楽」と思われてるのに蓋を開けるとなんかシュール演出あるな…というのがじわじわくるのであって、キンプリイケメンにキャーキャー言ってる女って"浅い"わねって言ってるタイプオタクがめちゃめちゃ褒めてそう。

簡潔に言うとカブトボーグを水で薄めた感じだったからこれで笑いたいならカブトボーグ見る。

私はとりあえず配信で見れたアニメシリーズから見たんだけどこれは(終盤展開を畳むことが下手すぎることと投げっぱなしなことを除けば)かなり面白かった。

30分でキャラの魅力と課題と悩みを解決してステージで成長を見せてそれをコンプレックス対象に認めさせて成長してる証拠にするって流れありがちな王道だけどとにかくまとめるのがうますぎて感動した。あとこの段階ではプリズムショーも楽しかった。ユキとピンク髪の女の子みたいな子な話かなり良かった。

映画の2作がマジでまらなすぎて死ぬかと思った。意地になってプリティシリーズも見たけど15話くらいまでがんばっては見たがつまんなくてギブしました。

何よりショーが魅力のはずなのに振付レベルが低すぎる、そして曲が全体的に良くない(テレビシリーズに至ってはそれをアバンで毎週見る。苦行かよ。)

振付は1人で踊ってるからある程度仕方ないのかもしれないけどCGがすごくて〜って言われてたからかなりがっかりした。aメロで膝を内と外にぐねぐね回してハイサビでネタ披露!って流れしかなくない?それはダンス振り付けがいいんじゃなくてあの一発芸がウケるってことでは?

そもそもライブなのかこれは。最後まできちんと歌を踊ってる人1人もいなかった。しかステージ中ずっとぶつぶつ独り言言っててええ〜ってなっちゃったテレビアニメのは尺ないからここで自己補完するのうめー!って思ったけど映画もそれやんの?って笑っちゃった。

友達CD売れてないことを心配してたけどそりゃ売れんわ……ステージ勝負しろモノローグでエモさ稼ごうとすな。

ショーがないドラマチックLOVEって曲が1番良かったです。

キャラについては全員痒いところに手が届かない振りが徹底していてあれはわざとなのか?キャラにことごとく着地点とサビがなくてびっくりした…例えば私はユキが気になったんだけど結局ユキってどうなりたいわけ?プリズムスタァと歌舞伎役者どっちも頑張るよって感じだったけど例えばライブの予定かぶったらどうすんの?ここでプリズムショーを選んでワイはこの道を極めるんじゃい的な『キングオブプリズム』目指してる男として映えがある答え導くんだと思ってた。二兎を追うもの一兎も得ないよ。ていうかそもそも目指してないの?わからん映画見てもユキだけじゃなく他のキャラも髪色が派手で一話だけ個人回もらえるタイプ外野が多すぎてわからんかった…。

キャラ属性付まではいいのにサビがない。だから結局サビとかいらないただキャラオタク向けで可愛いタイガとかが映えてた。まあこの話すると主役?のシンとヒロイン?のルイくんが1番だからなんだよって感じだったんですけどね…。

ヒロさんが1番強い人だと思うんだけどこのへんもヒロさんが女の子に1番モテるのは顔見りゃわかるわって感じだったからなんかこう…1人だけめちゃ歌上手いとか1人だけまともに踊るとか…あったろと思う。とにかくプリズムジャンプ特殊効果が壮大なら勝ちってもうそれはさ、ニチアサだよ。ホビアニとしては楽しいね…でもホビアニとして見始めるとそれはそれでイケメン並べてうだうだ人間関係とか生い立ちの闇とかやってるのはちがうだろってなるけど。

文句いっぱい書いちゃった……期待値上げすぎはよくないなと言う例でした。キンプリは良いぞってなんやねん。

2020-06-08

anond:20200608143843

あー、なんか声優とか俳優とVを比較されると違和感あったんだけど、それだ。

役者ちゃん自分を公にしてるもんね。

秘密主義ってのも考えものだな。

2020-06-07

色々とツッコミどころは多いのに強制的に感動させられてなんじゃそりゃってなる作品

個人的にはパッチギでこれを滅茶苦茶感じた。どう見ても高校生に見えない役者だらけで展開もうーん、なのに最後無理やり感動させられて「は?」ってなった

2020-06-05

ミスキャスト役者を叩き、クソデザインデザイナーを叩く

責任者じゃなくて末端を叩くのが骨の髄までしみついてるから

どんだけクソな事やらかしても誰も国家元首を下ろさないのかね

2020-06-03

教えて!恋リアって、ヤラセなのに死人出るの?皆バカなの?

ごめん、恋リア自体まり詳しくない者です。

詳しくないなりの解釈としては

1.売れない役者、売出しタレントを起用した、男女のドキュメンタリータッチ描写恋愛ドラマカメラワークも含め。

2.奪い合い、確執も当然台本通り

3.ビューアーもヤラセとわかっていながら見ており、フィクションとして楽しみつつも、ドラマよりもリアル描写のため共感性が高く、推しキャラSNSでヨイショしたり、嫌いなキャラを叩いたりして楽しめる。

4.そのSNSでの掛け合いも含めてのエンタメ映画でいう4DX的な。

◆よって叩くビューアーはエンタメの一貫としてやってるのでセーフ。

◆司会的なパーソナリティーも台本に沿っているので仕事。よってセーフ。(山里とかなの?知らん)

台本書いた作家も当然仕事なのでセーフ

バカなのはフィクション感情移入し、マジに受け止めすぎた、プロ意識が欠如したプロレスラー。って事じゃないの???

間違ってたら教えて。

2020-05-28

anond:20200528130754

人工異性の努力のすごさと

舞台の上の表現としてのすごさはきりわけないと話がおかしくなるとおもう

 

人工異性の凄さをたたえたいのなら普通に男性バレエ団とかある

白鳥の湖がこれ以上ないほど女性的でロマンチックみえるが

たぶん元増田からしたら全く興味ないしストーリーへの興味はあっても

素でも努力する役者その人への魅力はそこまで感じないんだろう、所詮異性ブーストだろと思う

矯正された纏足(=男性からみて異性)に性的魅力を感じながら宦官(=男性からみて女性化していてももとは男性)には感じないような人いっぱいいるよな

ってことはメタモルフォーゼの変化幅を喜んでるんじゃなくて

堂々とクイアなことをする異性に惹かれてるだけでは

もちろんそこまでして達成される表現のものに惹かれただけというのなら役者さんも本望だろうし文句はない

anond:20200528125643

いや男消したら中性じゃないやん。宝塚男役だって基本女を消せていないじゃん。

消せていたとすれば、初演エリザベートでルキーニを演じた轟悠くらいだろ。ニコ動コメとか見てきたらいい、理事だけ男とか言われてるし、ドイツだかの関係者も轟だけは素で男と間違った。つまり他の役者全然女を消せていないんだよ

anond:20200528125643

いや男消したら中性じゃないやん。宝塚男役だって基本女を消せていないじゃん。

消せていたとすれば、初演エリザベートでルキーニを演じた轟悠くらいだろ。ニコ動コメとか見てきたらいい、理事だけ男とか言われてるし、ドイツだかの関係者も轟だけは素で男と間違った。つまり他の役者全然女を消せていないんだよ

anond:20200528130258

舞台を降りても中性的」なのがすごいって言ってるんじゃないの?刀剣役者さん本当すごいと思うけど衣装じゃなければ男以外に見えなくない??

anond:20200528120601

今毎晩無料放映されてる刀剣乱舞みたら宝塚中和されて「そうか、役者さんがずるいんだ!」ってなるのでは

どうみても筋肉ごりごりあるのに少年とか中性的だぞ、

ふくがひらひらしてヅラメイクしてれば肉体上の性表現なんかどうとでもなるよ

昨日は戦場を4回ループするストーリー殺陣だらけ。

カテコでげっそりやせてたし体脂肪率2%くらいになってそうだった

【少しだけ追記】「中性的な美しさ」って結局女性のものなのでは??

ちょっとした黒歴史だけど、10代の頃から中性的キャラに憧れがあった。ハンターハンタークラピカとか。自分中学1年生まではチビで、目だけはぐりぐりと大きかったので「可愛い」と言われることが多かった。嫌がるそぶりを見せていたが、実を言うとまんざらでもなかった。男が好きなわけでもないけど、クラスの中心人物イケメンに「お前が女装したら女子より可愛いんじゃね」と言われたことが不思議なくらい嬉しくて、今でも記憶に残っている。

中2から成長期が来て、声が太く体毛も濃くなり、みるみるうちに身長が伸びてゴツくなった。誰も俺を可愛いとは言わなくなった。どう見てもクラピカよりウヴォーギン寄りだった。〜完〜

それから普通に男性に見える男性として生きてきた。性自認男性なので、全く問題なかったのだが、ここ最近彼女宝塚にハマり、演者にキャーキャー言ってるのを見て、もやもやが生まれた。

宝塚歌劇団の役者は、当然ながら全員女性である。その中で、男性の役を演じる役者は「男役」と言われる。一般的にはヒロイン演じる女役より、男役たちの人気が高いらしい。

同棲しているので、自粛間中はまあまあの頻度で彼女宝塚映像鑑賞に付き合わされた。最初マジで全員同じ顔に見えたし、独特のセリフ回しや大げさな表現に軽く引いていたものの、そのうち楽しめるようになった(思えば宝塚に限らず、俺には観劇素養が全くなかったのである)。

男役たちの話に戻るが、彼女らは普通に美人である。そんな美女たちが演じる「男」は、男から見てもかなり独特の色気がある。男のかっこいいところ、美しく映える悲哀、時には男だからこそ効く「可愛い」までが実によく表現されている。それでいて体毛は生えていなさそうで、肌は綺麗でいい匂い(またはタバコ匂い)がしそうな、現実はいない類の男が舞台に立っていて、世の女性たちが憧れるのもわかる気がした。

彼女によると、男役の人たちは舞台の本番中でなくても、人前に出る時はスカートを履かず、現役でいる間は髪を伸ばすこともしないらしい。インタビュー?の映像を見たが、私服っぽい服装でも黒を基調としたパンツスタイルで、髪はショートカット舞台では役(=男性)として見ていたが、素の彼女たちは見事に中性的な美しさを体現していた。その時、俺が思ったのは「いやズルくない?」だった。自分でも意味不明だったので自分気持ちを分解してみたのだが、なんていうか、あえて言葉にするならば「『中性的な美しさ』なんてものは、成人以降は女性しか体現できないものなんじゃ?」という感じだと思う。

そもそも男が女性寄りに見た目を寄せて、それでいてギャグっぽくならないためには、ものすごい努力を要する。男が女っぽくふるまうことは基本「気持ち悪いもの」、良くて「面白いもの」として捉えられ、「オネェじゃんw」で雑に括られてしまう。(宝塚の人だってめちゃめちゃ努力してると思うが、仮に男が同じだけの努力をして中性的な「女役」を演じ、私生活まで徹底したとして、同性(男性)の支持ってあまり受けられないんじゃないだろうか。「どう見ても女」じゃない限り。「どう見ても女」なら「中性的」とは違う。)(ちなみにジェンダーレス男子とやらは男臭さが少ないだけで普通の男に見えてしまう…俺の主観か?)

ここまで書いて、中性的な美しさのキモって、ニュートラル判断材料がないことなのかも、と思った。男を感じさせる濃い体毛が『ない』。女を感じさせる長い髪が『ない』。逆に言えば、男っぽいゴツさや肩幅が『ある』、あるいは胸のふくらみが『ある』と中性的からは外れる。モノにもよるが、『ある』ものをないように見せるのはその逆よりも大変だ。子供の頃の自分男性を感じさせる特徴がなく、それが中性的に見えていたのかもしれない。

とりあえずコロナが落ち着いたら彼女宝塚見に行きます雪組トップがめちゃめちゃ歌上手いので生で聴きたいが、引退近いらしくチケット無理そうとのことです。

https://youtu.be/0F2d41hevFk

◼️追記

歌舞伎女方のことを書いてくれた人がいるけど、舞台の上では女性に見えるよ!女性に見えると中性的とは違うし(でもめちゃめちゃ綺麗ですごいと思う)、役者衣装を着ていない時に中性的に見えるかと言うと、俺には見えない。

宝塚舞台の上では男性に見えるよ!(自分にとって)中性的に見えるのは、衣装舞台メイクをしていない時。

あと雪組ファントムが最高だったのでみんな見ると良いと思います観劇初心者が言うのもアレだがちょっと本当にすごかった。

◼️さら追記

「お前の好みの問題だろ」って話にたくさんコメントありがとう美しい人がたくさんいるね。

sexy you!

2020-05-27

anond:20200527005150

今まで虐待されていた子供は全員男児だとでも思ってるんだろうか

あれが話題になったのは、父親虐待動画を保管しててそれが公表されたのがでかいだろ

文章による説明だけとか役者による再現映像だけじゃピンと来なくても本物の動画がありゃ印象が強くなる

そういう背景考えず「可愛い女児だったから」としか考えないのは、お前がそこにしか興味がないってだけ

あれは男児だろうが話題になっていただろうさ

他も被害動画youtubeにアップされて話題になった例とか沢山あるだろ

煽り運転とかそうだし

昔ならスルーされていたような事例でも動画があれば違う

2020-05-26

舞台からハマった」と言う人が苦手

Twitterでは絶対に言えないので吐き出しに来た。

私は舞台化されている作品同人活動をしている。

数年前の公演で好きなCP舞台版に登場し、その公演をきっかけにCPを好きになった人が増えた。

もちろんSNS同人イベントでも人が増え、今まで顔見知りばかりで活動していた当CPも賑やかになった。

それ自体は嬉しかったのだが、舞台きっかけに好きになった人たちはキャラクターではなく『キャラクター解釈し、演じた俳優』を見ているのだ。

原作からそのCPにハマった人たちと舞台からハマった人たちとでは温度差があるように感じる。

舞台しか観ていない人、原作の他CP活動をしていたが舞台活動CPを変更した人、いろんな人がいる。

ただ、舞台から好きになったという人たちと話していて「おや?」と思うことも多々ある。

好きなシーンや好きになったきっかけの話になると、舞台の内容を話し出すのはどうかと思う。

このシーンが良かった。ではなく、役者の演技について話し出すのだ。

原作ではキャラクターの表情まで描かれていないのに、あのセリフであの表情をするのが彼らの心境に合っていて好き。といったかんじだ。

ちなみに、そのシーンでキャラクターがどんな心境だったか公式から発表されていない。

また、俳優を元に同人活動をしている。

俳優好きな物キャラに持たせたり、俳優の着ていた服を着せたり、キャラの特技が俳優の特技になっていたり、俳優発言を取り入れたり。

それが一度や二度ではない。俳優ありきでキャラクターを描かれるともやもやする。

しか俳優同士のCP創作しだす人までいた。中にはR18の作品も。

それはもうナマモノだ。演じているキャラクターなど関係ない。

べつに舞台の話をするなと言うわけではない。舞台きっかけでハマるのも悪いことではない。私も全力で彼らを演じてくれた俳優の事は好きだ。

ただ、私は原作の二人が好きで活動をしているため原作の二人を見てどう感じたのかを知りたいだけなんだ。俳優解釈を聞いているわけではないのに。

最初そそういった発言をここまで気にすることはなかったが、それが積み重なるとさすがにストレスになる。

俳優の話は俳優の話として、原作とは別物だと考えてほしい。

推しCPは前回の公演と今回の公演で演じている俳優が違うのだが、「別公演で見てたらハマらなかったと思う」と発言している人を見かけてしまった。

本当に俳優ありきなんだなと、俳優としてしか見ていないんだなと、なんとも言えない気持ちになった。

それから今日に至るまで、舞台からハマったことを公言している人たちが主催アンソロジーが発行された。

案の定各自あとがきのページには「舞台でハマりました!」「舞台のあのシーンが良かったです!」というコメントオンパレード。むしろ主催たちがそんな状態だ。

中には俳優さんの名前を出している人もいた。主催確認しなかったのか、それで良しと思ったのか分からないが、私の感覚だとアンソロでそれはあり得ない。

あとがきは一番最後のページに掲載されていた。せっかく良い話だったと余韻に浸っていても、あとがき舞台意識して描いたと言われたら冷めてしまう。

その二人じゃなくても成立するんじゃ?という内容の作品もあった。アンソロならもっとキャラクターに向き合ってほしいと思うのは贅沢なのだろうか。

読む人の中には舞台を観ていない人もいるかもしれない。実写化否定的な人もいるかもしれないのに。そこまで気にするのは神経質なのだろうか。

舞台とは関係ないが、その人たちがこのCPが一緒にグッズ化されなかった事を烈火のごとく怒っているのもはっきり言って怖い。

いつだったか販売されたグッズには、CPの内一人の姿しか無かった。

それを見た彼女たちは、なんでペアじゃないんだ!この会社商品は二度と買わない!と大騒ぎしていたのである

それから何度もその件を引っ張り出しては文句を言っている。

舞台のおかげでグッズになる頻度が上がっただけで、元々そのキャラクターのグッズが出ることの方が珍しいんだが。

まりに荒れているので、購入したなんて言える雰囲気ではない。グッズ化、素直に嬉しかったのになぁ…。

舞台化、実写化する作品が増えた今、私と同じような経験をした人もいるかもしれない。

逆に、愚痴対象となった相手気持ちが分かるという人もいるかもしれない。

これは私の考えだが、舞台原作に限りなく近い二次創作だと思っている。

俳優解釈が合うかどうかで好きか嫌いか別れるのではないだろうか。

2.5作品全体に言えることだが、同じキャラクターを演じていても解釈まで丸っきり同じとは限らない。それぞれの俳優に合った表現もあると思う。

長々と愚痴を綴ったが、舞台否定しているわけではない。このような発言をしている人たちを嫌っているだとか、憎んでいるというわけでもない。

素晴らしい作品を作られる方たちなのに何故…という気持ちからである

しか作品と作者は別物。要は好きなメディア解釈違いなのだ

同人趣味世界なので無理して仲良くしようとする必要もない。

少し距離感を考えながら付き合っていこうと思う。


読んでくれた人がいたらありがとう

念のためにフェイクが入っているので、分かりにくかったらすいません。

2020-05-23

anond:20200523220824

いろんなケースはあるけど、職位だけで言ってディレクター役者

2020-05-22

舞台役者仕事中に声を掛けられても反応できないのでやめてください」

うーん、これは炎上

2020-05-15

anond:20200514150859

これらを「ゲイ映画」ってくくるのもなんとなく意味が違うんじゃないのかとおもう

映画じゃなくてビデオだけど「真夏の夜の淫夢」とか

映画じゃなくて漫画だけど「くそみそテクニック」とか あとテディベアとか

羊たちの沈黙」と続編の「フィラデルフィア」なんかも

ゲイ当事者にしてみたら立派なゲイコンテンツなんだけどな

ヘテロアセクシャルでも同情しやすい、お行儀のよいゲイのでてくる叙情的な同性愛映画」だけを乱暴に「ゲイ映画」の一言でくくろうとするってのはさ

アメリカ人NARUTOみて忍者アニメすげーよ!って興奮して伊賀市甲賀市に定住して投票権を得ようとしてたり

少女マンガがすごいから内気で欧米文化になじめないフィンランド人ロシア人日本少女漫画コスプレしたがって整形手術までしたり

そういうのとおなじ無自覚傲慢さだと思う

自分が愛するコンテンツならば当然そのジャンル代表するはずだ!」って押し付けだよそれ

実際は当事者からみてジャンルのなかでマイナーなのに、

アメリカ人日本人の10倍いるかNARUTO白土三平より正当だとおもってる人数も日本人より多いので!売上みりゃわかるでしょ!」ってなるんだよな

このたとえではアメリカ人ヘテロセクシャルだよわかるだろ

映画館で上映禁止の憂き目にあわないよう、ちょっと無理してつかまえた大根じゃない役者にそれなりの給料払えるよう、

遠慮しぃしぃ去勢して朝チュンシーンだけでつくったゲイ映画が大好きです、か

2020-05-14

anond:20200514150859

ネトフリ『スター・トレック ディスカバリー』は2シーズン渡りゲイキャラ恋愛感情が楽しめる。また恋愛以外でちゃん活躍し、クセのある性格を楽しませてくれるのもいい。

求めてるのが単に男性同性愛でなく、同性愛の「感情」にあるなら、同じスタートレックシリーズでも多少古いがネトフリ『新スタートレックシーズン5のエピソード両性具有ジェナイ人」を強く推す。1話完結で感情迸りが味わえる。このシリーズ普段吹き替え版を薦めるが、このエピに限っては字幕お勧め吹替日本人声優はこの時代まだ事の難しさを肌感覚理解できていないのか演技に迷いがあるが、オリジナル米国人役者は良くわかっており、最後叫びには鬼気迫るものがある。

軽めでよければ、90年代ゲイコメディウィル&グレース』がなぜかネトフリで初期シーズンだけ復活してる。

2020-05-10

https://nyakapoko.github.io/post/10_engeki/

この記事、読み飛ばししまっているひとも多いと思うので、私の解釈で完結にまとめると、


1 コロナによって演劇のコアの部分がダメになってしまった。

2 演劇は他業種よりもクリティカルダメージを負っている。他よりも援助が必要である

3 専門分野ではないことについての言及を正確にするのはコストがかかる。

4 そのコストケチって発言してもいいよね。だって困ってるんだし。


ということです。

だったら専門分野外のことについてワザワザ語らなければよいのではないか

専門分野外の比較自体コストを生み出すことであり、

4を是とすれば、そのコスト聞き手、もしくは放言された当事者が負わなければいけないことがわからないのか。

そして、まさに現状がそれである、ということがわからないのか。

と思うところはたくさんですが、それより書きたいことがあります

ただ酔っぱらっているのでしっかり書ききることができるのか少し不安です。

また、わたし自身演劇についてたいして詳しくありません。なにぶん映像畑の分野なのでご了承ください。

まあ、そのコストケチって発言してもいいよね。だってもやもやしてるんだし。


まず上のブログにある、演劇のコアの部分とは何かというと、観客との共犯関係なのですが、

これがライブで、そして観客の息遣いを感じられる距離でないと不可能であるという意見です。

これには一理あります。が、これが実際に“演劇”のコアなのか。


私は映像人間なので、例えば映画お話しましょうか。

映画というのは、映像をつかってナラティブ(わかりやすく「物語る」と言い換えましょう)をすることと定義できます映画から見れば、そうではありません。

(「いや映画光と影構成される芸術だ」という方もいらっしゃるしょうが、今回はその定義映像に渡してやって、映画定義は狭くとらえます

映画を観るというのは映画館で観る、もしくは”複数の観客がいる映像主体とする場”で映画を観ることを、『映画を観る』と言います

なぜなら、映画というのは観客と製作者との共犯関係にある芸術からです。

例えば時代劇で、主人公と敵が刀に手を伸ばします。この画を1分間続けるとどうでしょうか、

映画館であれば観客は緊迫します。きっと固唾をのむことでしょう。

そこで居合、切り合い、観客はわっと盛り上がります

しかし、これスマートフォンストリームだったらどうでしょうか。ダブルタップの15秒スキップかもしれません。

一緒に固唾をのむ観客がいない分、気持ち半分かもしれません。


映画演劇は記録されたもの記憶されるものの違いがありますが、

観客との共犯関係表現を強固にするのは、映画演劇も変わりありません。

ブログではとても卑怯にも演劇ビデオという比較で書いていますが、

映画だってかわりないんです。

また映像芸術の中には特殊な上映形態をもって作品とするものもあります

これは、劇場美術館でなければ全く成り立ちません。

劇場でないと成り立たないのが演劇特殊性とか馬鹿みたいなこと言っていますが。

実際には映像芸術の方がヤバいですよ。


しろライブ修正の効かない分、映画はどのように共犯関係を生み出すか、研究研究を重ねております

高級な映画(半分皮肉ですが)においては、視線誘導のため、まばたき一つ計算して撮影編集しているわけです。

私は普段、何かの映画について話すとき、『映画のもの』と、観客と生み出す共犯関係=『映画体験』をそれぞれ分けて話します。

演劇についても同じことが言えるのではないでしょうか。

上のブログの筆者が語るのは演劇体験についてです、これは確かに演劇構成する一要素ですが、演劇のものを単体としてみた場合に、

まり戯曲演者がその身体性をもって物語るという行為についてですが、これはいったいそんなにも弱いものなのでしょうか?

身体というものには限界がありますが、その身体によって生み出される力強さというのは確かにあります

現代舞踏なんてものはその身体という籠を生かした表現なわけでしょう。これは弱いものですか?

それを使って物語る。素晴らしいことじゃないですか。

演劇ライブ配信する。そこにはカメラがありスイッチャーがある。

ということは、それでもって映画体験の応用で演劇体験を、十分でなくても再現することはできませんか?

例えばブロードウェイ映像化なんてのは、セットを映像用に用意しカメラをかなり寄せて撮っているわけですが、

それでもあれを映画という人はいないでしょう、演劇であるという認識はしっかり与えることはできるわけです。

また演劇体験的なるもの本質になっているというので言えば、お笑いどうでしょうか?

テレビというメディアで昔から戦ってきた存在なわけです。

逆にスポーツ体験なくして成立するものでしょうか?

スポーツ選手のインタビューではよく魅せる試合なんてことが言われます

徹底防戦の試合で興ざめ、なんてこともよく聞きますね?

スポーツも実は共犯関係であるわけです。

それでも彼らは中継を行います過去試合映像販売します。

そういったことがもう何十年も前から行われている現代で、演劇演劇体験なくして存在しないなんて本気でいってますか?

なまいってんじゃねえって思ってしまます


また演劇映像にすると映画に食われてしまうなんて言ってますが、馬鹿じゃないのとしか思えません。

演劇映画物語る点は同じですがその根っこは全く違います

演劇はその身体物語を預けていますが、映画光と影に預けています

映画根本は影絵芝居といってもいいでしょう、影絵芝居は演劇に似ていますが、

影絵は物理的なものでなく、その像をうまく使えば、表現限界はありません。

演劇とは全く性質が違うものです。

映画はその売れ筋として、マーケティング的に役者に頼ってることはあっても、大本表現ベースとして役者や演技があるわけではありません。

勘違いしないでください。役者あくまで影と光をフィルムに焼き付けるための遮蔽物にしかすぎません。

例えば先ほどのブロードウェイ演劇しましたが、ドッグヴィルどうでしょうか?やはりドッグヴィル映画でしょう。

先祖万々歳は演劇でしょうか?いやこれもアニメでしょう。

それはそれぞれ、映画として作られ、アニメとして作られたからに違いありません。

演劇として作られた映像が、映画に負けるだとか、勝つだとか、そういうことは絶対にありません。

そもそも同じ土俵にいないからです。

演劇というのは、映画というより、むしろスポーツ音楽ライブの側なんですよ。

マシューボーンのなんちゃらと、タイガース試合をまとめた奴と、ラッドピローズライブ映像一般の人からみたら同じ枠なんです。

で、それが映画と競り合ってるなんて印象はないです。初めから勝負なんて存在しないんです。


はっきりいってしまえばスポーツが無観客配信でなりたつというなら、演劇だって成り立ちます

それが成り立たないというのは、おそらく上の文書にもある、演劇体験こそ演劇本質であるという転換が原因じゃないでしょうか?


演劇はなんら特殊でないです。ただのライブです。

もともと自転車操業だったライブが成り立たないという話でしょ。

だったらそういえばいいんです。演劇ライブメインであることなんてみんな知ってますから

演劇に対する一般人解釈としては「演劇=芝居」なので舞台公演(ライブ)でも映像でも音声でも芝居さえしてたらすべて演劇だけど、演劇関係者解釈では「演劇舞台公演(ライブ)」なの

テレビ映画も「金目当てに魂売って出るもの」扱いなの

映像作品に出て人気が出たりしたら金づるとして一応もてはやすけど、内心ではその役者演劇俳優としてはもはや二流・三流として扱ってきたの

それ以外の十把一絡げなんてテレビ映画も「頼まれても出さんわ」って感じなのにな

から「今さら映像なんて出れるかい!」って駄々こねて「舞台じゃないと演劇じゃないの!演劇はあれやそれやこれとは違うの!」って主張してるのよ

そこそこ大御所でも、おまえら舞台しかできんやないけ、映像や音声作品での演技も演出もできんやないけこの無能が、と思ったことある人実はわりとおるやろ?

世間知名度のあるような劇団を目指せない舞台役者一般の目には「映画ドラマに出るだけのクオリティを満たさない、自意識過剰な薄ら寒い遊戯集団の人ですか〜」程度にしかうつらないでしょ

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