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2023-12-12

昼寝で夢をみた。

宗谷岬に宿を予約し、付近の道を彷徨っているところ、

すれ違いかけた車が停止し、中からさな鬼が飛び出して襲ってきた。

しかし、両手の棒で代わる代わる殴られたわりには痛くない。

よく見ると、鬼のお面を被った子供であった。

同じく降りてきた女の子、おそらく鬼のお姉さんに「なまはげですか?」とたずねると「はい…」と返事があり、その間も鬼はポコポコやっている。

そうして目が覚めた。

なんで北海道なまはげなんだろう。

2023-12-09

きおくのかけらは、いのちのかけら

その村は、実に奇妙な村だった。

おおよそ布と呼べぬようなボロきれを最低限、身にまとう格好で生活し、浅黒な肌は古来の原住民を思わせ、ぱちりとした大きな目と背の高い鼻は相手を威嚇するようであった。

こうした彼らアングロサクソン系に属さぬ種族の暮らす集落は、全体の人数はおおよそで百人前後

森林に囲まれ場所集落を築き、たいして大きな村とも言えず、互いの顔を知り合い、共存して暮らしている。

まさに一個の家族、巨大な集合体のようなもので、かれらは時計時間に暮らさず、出来事時間によって生活をする。

まり村のF氏と午前11時に会う約束をするならば、「11時に会おう」と言うのではなく「子牛を散歩に連れ出す時間に会おう」という必要があった。

尤も、11時ならば彼は散歩に行くので会えないことにはなるだろう。

然しこうした出来事時間を持つ社会的集団は少なくなく、それはむしろ、急激に進歩を遂げた我々とて同じ。

以前、といっても数百年ほども前だが、とにかくそのころは我々先進国であろうと正確な時計は持たず、正確な時刻を知らずに暮らしていた。

故に、時間、というもの絶対的ものに成り得ず相対的であり、さらには個人的

各町、各村によって時間は異なり、時計がずれている事さえも常識であった。

からこの町が奇妙だと、

そう評するのは何も、こうした出来事時間に添って暮らすためではない。

彼らは我々との認識が、著しく異なっていたのだ。

そう、”死”に対する認識が。

彼らは”死”を恐れない。

いいや、そうではなく、むしろ彼らは”死”を喜んで受け入れるのだ。

まるでそれが大層めでたい事のように。

その事に気付いたのは、滞在三日目の朝だった。

日の高さが頂点付近にまで登り詰めた頃に起床すると、いつもと違う雰囲気に戸惑い、太鼓の音などが聞こえ、辺りには明るい民謡のような、陽気な歌声が響いて回った。

それからテントのような簡易的な宿を出ると、村の人々はみな笑顔で、子供などは小躍りしている。

「なにごとかね?」

私は腹に贅肉を垂れ下げる彫り深い顔の中年男性に訊ねた。

するとその男は「ああ、あの家あるだろ」といって軒先の一軒を指差し、あそこの爺さんが、雄鶏の鳴く頃に死んだんだ、と私に言った。

満面の笑みでだ!

私は奇妙に思い、「どうしてみな笑い、騒いでいるのだ?」と訊ねた。

すると男は不審者を見るような視線を私に向け、「めでたいからに決まってるだろう!」と言った。

私はますますからなくなって困惑したが、同時に彼らの習慣にえらく興味が沸いては、滞在予定の一週間を変更し、長期に渡って居続けよう、という気になった。

私は此処で一年を過ごし、教えられ、そして理解した。

彼らが何故 ”死” を祝福し、そして恐れないのか。

そもそも、私が間違っていたのだ。

”死”は恐れるものではなかった。


私は彼らに訊いた。

「どうして”死”がめでたいのか?」と。

すると彼らの一人は笑顔でこう言った。

「ようやく、完全な一人の人間になるからさ!」

私は人間だ。

そして、私は既に死んでいたのだ。

それだけに過ぎない。

割れの私は既に死んでいて。その死んだ片割れこそが ”死” だったのだ。

もしこれまでの私と今の私とに違いがあるのだとすれば、それはその事に気付いているかどうかの違いに過ぎない。

私は教わった。

誰もが、いや、どの生物も、不完全で生きてるのだということを。

それは半身が欠けているからであり、人間なる生き物は、そうしてかけた半身に

”死”

という名前をつけたのだ。

誰もが死を恐れながら、死に惹かれ、死に関して興味を示すのは無理もないこと。

理由が分ければ明白で、それは自分を求めていての行動だったのだ。

誰もが自分のかけらを求める。

しかし同時に、自分を知ることを恐れる。

それはそうだ。

キミは死ぬ、いや、キミがキミの半身を得たとき

キミは知ってしまうのだから

すべてのことを。

私の半身、それが持つ、きおくのかけらは、いのちのかけらなのだ


今の私は好意的に ”死” を向い入れよう。

いいや、これでは言い方が適切でない。

自分

を受け入れる。

ただそれだけのことだ。


私は枝木のように細まった腕を床で十分に見つめた後、ゆっくり目を閉じる。

すると彷徨い続けていたであろう、”自分”を見つけては。

やあ、こんにちわ

そんなふうに声をかけて、

そんなふうに思いながら、

私は安らかな表情をして、意識を失った。

2023-12-07

anond:20231207001948

yo say 達が 夏を 刺激する

生足 魅惑の 風あざみ

誰の憧れに 彷徨

2023-12-06

anond:20231206164433

ご飯も炊きたては美味しくない

「ぼ、ぼくは、オニギリが、す、すきなんだな」

勝手彷徨って卵の殻で描いてろや😡

2023-12-05

5chにいる人ってゾンビみたいだよな

行き場がなくて彷徨

2023-11-27

〇〇さんはもう結婚してるよ

昔の同級生職場の人を話題に出した時にすかさず言ってくる奴は何?

特に深い関わりもなく愚痴もないし適当に良い人だよね〜て流しただけでも言ってくるよね

同性の話だと結婚してるとか全く出ないのにね

相手が既婚者かどうかとかそんなことばっかり考えながら相手と喋ったり仕事したり生活してるのかな

自分と同じように他人相手探して彷徨ってると思ってるのかな

2023-11-26

ゴージャスな香りとか重く甘い香りが欲しくていろいろ探してるけど

よそゆきの美人系の香りはもうシャネルとかのなんか高いやつ使っておけば、それなりに雰囲気出るのかも

ゼクスクルシフで何本か量り売りで試して、いい匂いのものもあったけどそこまでハマらなかった

理由を考えてみた時に、どれもなんか香水って香りがするから、だと思った

ハニーだとかバニラだとか、そう書かれてみればその香りはするんだけど、だけどそれそのものではない

花だったり、なにかこう、化粧品って香りがする

それは自分にとっては要らないものだった

リラックスした気分に化粧品は要らない

けど逆に、お化粧して武装してます、っていう気分が欲しい時もないわけではなくて

強いゴージャスな気分になれる香りを探してたけど、好きなブランドでもなかなかなく彷徨ってた

けどそれって一周して戻って、普通香水らしい香水香り、ってことなのかもしれない

ということで量り売りで試して放置してたシャネルつけてみた

ココヌワール

ノワール、黒というからには夜向きであるはず、今は夜なのでこのへんが良いのではと思ってみたが

…やっぱり化粧品臭いと感じるなあ…

ゴージャスとかいい女ふうなのかもしれないけど、つけてて心地いいという感覚がそんなにはなく…

気張りすぎてて疲れる感じ

2023-11-21

anond:20231121163603

やばいですよね…😭

声が、愛が彷徨う影って…😭

anond:20231121161427

その人の声が心に蘇ってくることを「それは愛が彷徨う影」って表現するのかっこいいね

2023-11-18

死ぬしかないやろ

アラフォー脳梗塞になって生死を彷徨いようやく復活したものの怒りの制御ができない。

そのせいで妻も子供もいなくなり、友人や兄弟も離れていき、会社もクビになった。

意識取り戻した時や退院した時に心底喜んでくれた人たちは両親を除いてみんな俺から離れていった。

唯一俺を支えてくれている母親にもさっき怒鳴り散らした。真面目な話をしている時に笑われたような気がして一瞬で頭に血が上ったけど今落ち着いて思い出したら笑ったのではなく単に笑顔だけだった気もする。

親と子供と一緒に死ぬしかない。

anond:20231118204707

大昔、ワイが初めて会ったジャニオタは19の風俗嬢やったな。

最後まで誰が推しは隠されたかわからんかったがどうもジュニアメンバーのようやった。

そいつ追っかけて日本中彷徨うてる(風俗やりながら)ようやった。

あとクリトリスメチャクチャでっかくて小さいチンチンみたいやったで。

anond:20231116212314

ID:ni_ls

自分地方国立だしデータとしてはわかってるつもりだけど、高校じゃ学年下位彷徨ってる底辺だったか劣等感しかなかったし上澄みって感覚が得難い




まあ地帝といくつか除けば日東駒専以下だから

2023-11-13

アウラ軍団の首落としてるのおかしくない?

https://anond.hatelabo.jp/20231113092652

sunbrop

アウラ自身服従魔法意志による抵抗可能という欠点がある事をわかっているため首を落とさせてる=断頭台の異名の元になってることを忘れてる人は多い。

2023/11/13

って言う説明はその通り作中にあるんだけどさ。

   

いやいやいや。

頭切っちまったら、つまり中枢神経を切除しちまったら、

その後動いてるのって「服従させてる」じゃなくて「テレキネシス」じゃね?

   

それはもう単に死体操り人形してるだけじゃん。

死体である必要ないじゃん。

鎧動かしてりゃいいじゃん。 

   

それもうアウラは誰かを服従させてるんじゃなくて

「巨大な彷徨う鎧軍団を一体一体振付しながら操作してる」ことになるじゃん。

   

それがフリーレンでもヤバいぐらい強いなら

人形遣いアウラ」やってればよかったんじゃん。

服従魔法なんか要らねえじゃん。

  

だいたい不死軍団ベタ押しでもフリーレンに勝てたのに服従魔法使っちゃったって展開が萎えるよね。

そういう、キャラにやる必要ないことをやらせて「魔力に対するプライドが高いから」「そういう性格から」で説明するの萎える。

デスノートライトが次々に要らんことして「負けず嫌い性格から」で説明された時くらい萎える。

 

不死軍団がどんどんやられていって分が悪そうだから服従魔法使った、の方がまだましだと思う。

  

 

まあとにかく

頭切って死体操り人形するならそれ服従じゃねえだろ

が言いたかたことだよ。

だろう?

2023-11-12

このまま家賃滞納で契約解除を申し付けられて、おおマジかあって思いながら数日はなけなしの万札2・3枚でビジホやネカフェ宿泊した後、いよいよ所持金1000円前後になって、冷たいコンクリートジャングル彷徨いながら、冬の寒さに凍えて息をひきとるんだろうなあ

2023-11-09

「何かに対抗している自分」にアイデンティティを認め始めちゃうと、敵対する相手が居なくなったときに新しい敵を求めて彷徨う鎧状態になってしまうからやめた方が良い

スタバ自習する男子高校生が言ってた

2023-11-08

ニュースを見るとクリアしたくなる増田酢丸なく他紙あり苦とルミをスーュに(回文

おはようございます

いい加減重い腰を上げたいと思ってゼルダをやってクリアしなくちゃ行けない山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃうんだけど

私あれどこで止まってるんだっけ?

四神獣見つけるってところまで進んでてまだ全然そこまで行き着けてないところなの。

確かそうだったと思うわ。

つーかさ、

もう道なき道を歩いてどのルートでいけばよく分からないし、

捕まえた馬に乗って行くにも、

途中これは崖登らなくては行けない場所で馬その場に置いていけない可哀想じゃない。

勝手に馬は馬小屋に帰ってくれなさそうなのもあるし、

時間のあるとき

1日1時間でもゼルダ進めなくちゃいけない私の課せられた課題だわ。

スイカゲームより罪よね。

いっそのことそれらを追体験できる映画化がやってくれたら私は観に行っちゃうんだけどね。

もちろん劇場には飛び込み前転をして入場するけれど。

もう中断して久しいんだけど

多分私のハートはまだ4つぐらいに満たない感じなのと

がんばりゲージは1周と4分の1ぐらいしかない感じ。

何も目的もなくフィールド彷徨っているのもいいかもしれないけど、

それだと普通に1時間散歩して終わっちゃう感じもして

四神獣にはどうやって行くの?って

遠くに見える海の沖合にある祠目指してパラセールで行ってみたもの

途中で力尽きて死んじゃったかと思ったらハート1個減るので済むんかーい!みたいな途方もなさよ。

ゼルダがあまりにもクリア出来なくて、

いっそのこと1回一番最初ゼルダスイッチで遊べる私は知らないハードウェアディスクシステム

やればやるほどゼルダの伝説ってわけで、

そこ1回一番最初ゼルダクリアしたら全部OKってことにはならないわよね?

あれもあれで途方もなさが見通しが立たないけれど、

いつもゲームニュースを何かしら賑わしているゼルダの伝説のスイッチ版2作は私は絶対クリアしたい

いやクリアしてみたいと思っている気持ちは私のスイッチ機械の中に入ってるゲームの中で一番強いんだけど、

いったいどこに行ったらいいのか、

いや分かっているんだけど

四神獣の道が分からないのよ。

つーか、

ちゃんと真っ当に探したことがないので

ちゃんと真面目に各地探索してみなくちゃ?って事だと思うわ。

でもあれさ、

敵を倒しても特にご褒美があるわけでもなく経験値が上がるのはコントローラー操作方法がなれるだけで

フィジカル身体的な経験は上がるけど

ゲーム中の経験値って話しではないから、

武器も消耗させたら貴重だしなかなか勇ましく戦いに挑むってことにもことさらいかないのよね。

でさー

散策していたら

巨大な敵岩の敵みたいなのが出現してきて

多分絶対に今の私ではハートが少なすぎて

いやここでハートが少ないって言うのは

私の度胸がないって言う意味で言っているんじゃなくって

リンク自体ゲーム中の体力のハートが4つしかないって言う意味で、

多分その巨大な岩みたいな敵の一撃を食らったものなら一発で死んじゃいそうなそんな何も言えない世の中なんてポイズンよ!

毎日さー

何かしらのニュース世間毎日賑わしているニュースゼルダってやっぱりクリアしたいなって欲が

そのニュースらを覗き見ちゃう

とにかくクリアしたい!って欲だけが高まって行くのよね。

早々にスプラトゥーン3もログインボーナスの実質1日1勝!

うわ、

私忘れていたわS+の腕前になることも!

しかもまたシーズンわっちゃうと腕前リセットがされちゃうので、

もうちょっとでS+の昇格戦挑戦!って

児玉清さんがラストダンスで言いそうなぐらい、

アタックチャンス!って拳を突き上げて良いそうで

昇格出来なかったら何故角を取らない!

赤の方アタックチャンス!って言われかねないぐらい

丁寧にやっぱり角から塗っていかないことには0.1パーセントの差で勝った日には

端っこちゃんと綺麗に塗っておいて良かった!って

ハイドラントの私に角っこ塗らせるのよ!

酷くない?

塗りにくいっつーの!

そのぐらい躍起になって腕前アップを望んでいると同時に

F-ZERO99はグランプリ出場に必要チケットカンストしてしまった99枚持ちすぎているので

もはやログインボーナスすらもう必要としないただただみんな大好きミュートシティーを走り続けているのよ。

もうさ、

ミュートシティーIIIの地雷が無数に設置されている箇所は怖くないわ!

今まで1度も地雷踏んだことないもん!

そのぐらい走り込んだみんな大好きミュートシティーなので

あんなの怖くないわ!

でもさ

ニュース毎日見て出てくるゼルダのことを知ると

はぁって私のゼルダクリアしてなさ過ぎ!って

ため息が出ちゃうのよ。

一番クリアしたい欲はあるのにね。

次にクリアしたい欲が無駄に高いのは

バーチャレーシング中級コース20周よ!

あれは何度も言ってるけど

ピットがなくてタイヤ交換ができないので、

激ムズなのよね。

でも一番の次に二番なので

あともうちょっとのところなのよ。

それもそれで大変なのよね。

とにかく忙しいわ。

うふふ。


今日朝ご飯

昨日美味しかったホットドッグ

温めて食べたホットドッグよ。

ちゃんと袋の端っこを少し開けておかないと破裂しちゃうことを昨日学習したので

今日は少し隙間を空けて開封してみました。

美味しさは至って変わらないけれど。

でもさー

これホットドッグ2種類あって

カレーキャベツが乗ったバージョンもあるらしく

初見では回避不可で思わずカレーをチョイスしちゃいそうなほど唸るわ!

あちゃー間違ったって。

でも美味しいことに変わりはないので至って美味しいわ。

デトックスウォーター

最近お水が美味しいのでさすがにこれはデトックスウォーラーとは言えない蛇口ダイレクトはさすがにないわー

って言いたいほど、

私は普通に浄水器でガブガブ飲み放題

ちょっとレモン果汁ポッカのやつフレーバーを足して、

レモンウォーラーってところね。

蛇口ダイレクトをさすがにデトックスウォーターと言うのは出来ないわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-11-07

女性は手フェチが多いって高校生の時にツイッターで見てから俺も手に注目し始めたんだけど、成人する頃には立派な手フェチになってたし、最近は手がきれいな女のオナニー動画を求めてポルノハブ彷徨モンスターになりつつある。

2023-10-30

仲間のサポートに徹する増田寿丸吸って二トーぽさの真魚か(回文

おはようございます

ハイジコスプレしてケルベロスのヤギのユキちゃんを引き連れていたんだけどお尻触られてなんか嫌な思い出の渋谷なんだけど、

プレスして丸出し虎のボディーペインティングしてるお友だちにはだれも一切近寄ってこないという、

なんか丸出しなのに?って思うけど

きっと弱そうなキャラコスプレは触っていいってことになっていて不愉快よね。

まあそんなことより

またスプラトゥーン3の話しで恐縮しまくりまくりまくりすてぃーなんだけど、

こちらもハロウィーンよろしく

フェスで頑張っていたわ!

三すくみのチームなのにやっぱり同士討ちで張り合いが無いわよね。

あいときに勝ったらどっちの貢献度になるのかしら?

バンカラマッチよろしく

同士討ちってのが解せないわー

なので一応は「えいえん」のランクまでは頑張っていた今回の私のテーマ

チームのパフォーマンスを上げる!ってところに徹底して重きを置き戦ったわ。

と言うのも

最近夢中なジャンプビーコン屋さんが忙しくて、

なんだか使ってくれてないと思っていたけど、

気付いた人は安全なところにあるジャンプビーコンだって思って使って飛んできてくれてるみたいなので、

使ってくれてるっぽいわ。

ジャンプビーコンって言うのは、

バトルのマップ上に設置して、

そこにジャンプ出来るビーコンってことで、

ベーコンじゃないアメリカで言うところの

脂ののった戻りベーコンや初ベーコンとはちょっと趣が違うよくあるアメリカンホームシチュエーションコメディ番組の朝食で出てくる

日本ではあんまりお目にかけないカリッツカリベーコンってどうやって食べる方法がよく分からないので

私はお湯で溶いてお味噌汁の具、

と言うか、

味噌がないのでお吸い物感覚

カリカリベーコンをそう言ったお湯でとろろ昆布感覚

お吸い物できるかな?って想像するわけなのよ。

まあ

ジャンプビーコンはお吸い物には出来ないけれど、

ジャンプしてキルされて戦線復帰を即できるから

それはそれで美味しいのかも!

なので今回のフェスは主にデュアルスイーパーカスタムで戦ったわ。

スパッタリージャンプビーコンとエナジードリンク屋さんで一番理想トマトを越える理想のブキでのサブとスペシャルなんだけど

私が思うに射程距離が短すぎて塗りが物足りないのよね。

塗りでも活躍したいじゃない。

なので射程距離もある程度ありーの

攻めのスペシャルデコイチラシで相手陣地にばら撒く作戦必死マップ安全なところにジャンプビーコンを置く係をやっていたのね。

もちろん射程距離もある程度長いから塗りも頑張っていたわ。

でも一切の所

ジャンプビーコンやエナジードリンクでチーム全体のパフォーマンスは極端には上がらない?

いや上がっているのかはよく分からないわ。

結局勝ちとか負けとかの波の影響が大きすぎて、

どんなにサポートしていても

今悪い負けの波に乗っていると連敗しちゃうし、

サポートが効いているかよく分からないけど勝ちの波の時は連勝したりするじゃない。

一応はジャンプビーコン使ってくれてる人をこの目で目の前で目撃したか

多少の役には立っているのかしら?って思うけど

私が安全なところを彷徨ってジャンプビーコンを設置している作業安全なところでやってるから

私自身にジャンプしてくるという、

ジャンプナンバーワンを思わずもらえちゃうと言う誤算もあったりなんかして。

私に飛んでこないで、

ジャンプビーコンに飛んできてちょうだいな!って思うわ。

そうすると

スペシャルゲージもちょっと貯まるみたいだし

ぜひ私の置いたジャンプビーコンは安全安心なところに設置しているから使って欲しいわ!

分かってる人には分かっているそれなんてネスカフェゴールドブレンド?をダバダーの曲に合わせながら飲む珈琲のように

違いの分かる、

いや安全なところだと分かっておいている私の苦労を察してちゃんと使ってくれる人に感謝よ!

ラッパーがだいたい両親に感謝しがちなぐらい感謝よ。

そんでさ、

意外とアメフラシナイスダマの端っこの爆風ではジャンプビーコン壊れなくて案外丈夫なのよね。

でもホップソナーだと1発の波で壊れちゃうから

ホップソナーには弱いみたい。

最近知ったんだけど

ホップソナーの波ってジャンプで避けられるのね!

回避不可だと思っていた季節が私にもあって、

それを知ったからにはもうホップソナー怖くないもん!って思っていたけど

デュアルスイーパーなどの種類のブキは

インクを撃っている中はジャンプ出来なくてローリングするので

交わそうとして交わせなく自身キルされて、

そっかーそう言う時は避けられないんだ!って勉強になったわ。

フェスの結果の前に書いちゃうので、

私の応援したチームがいい順位立ち回りをしてくれると言いなーって

結構チャレンジで軽く頑張ったつもりなので

結果発表が楽しみよね。

そんでさー

仲間のサポートという意味では

ジャンプビーコンとエナジードリンクの併せ持つブキは魅力的だけど

どうも射程距離が短すぎて、

それ攻めでは物足りないのよね。

かと言って攻め推しの重火器だと

ぜんぜん仲間のサポートのサブやスペシャルじゃないので、

改めて絶妙に上手いこと組み合わせて考えられてるわーって思うわ。

私はそれに比べて一向にして

あのカリカリベーコンの正しいなんか食べ方の作法がよく分からないままなのよ。

あれにもなにか美味しい組合せがあんのかしらね

うふふ。


今日朝ご飯

ふわふわタマサンドと銘打ったサンドイッチにしました。

ベーコンも挟んであってボリュームあって美味しかったわ。

タマゴ系はやっぱり美味しい朝の元気よね!

デトックスウォーター

朝寒~って感じだったので

ホッツ白湯ウォーラーを急いで湧かしてふーふーして

適当に飲みやす温度のもの

いただいた今日ストレートホッツ白湯ウォーラーね。

朝晩すっかりもう寒いわよね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-10-26

いらないマリモ捨ててしまおう

美味を探し彷徨うMY SOUL

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-23

昨日近所で熊の目撃情報3件…

もう普通に道路歩いたり公民館彷徨いたり養蜂破壊して歩いたりしてるんだって

2023-10-19

もうすぐ子が生まれ

もうすぐ父親になる。この後13時に産院に行って立会い分娩をする。どう過ごしていても落ち着かない。家の中をルンバのごとく彷徨いては、水を飲み、彷徨いては茶を飲んでいるのだが、そわそわしても仕方ないので、いっそ黙って筆を取る。

人並みに不妊治療をしての妊娠であった。僕も妻も31歳だが、僕は精索静脈瘤による激弱精子の持ち主、妻は多嚢胞生卵巣による不定排卵卵巣の持ち主ということで、そんじょそこら性交子供ができるような様子じゃなかった。少しでも問題解決になればと、静脈瘤を結索してみたが、激弱精子改善の様子は見られず。かくして不妊治療ステップを華麗に駆け上がり、顕微受精受精卵を生成、3度の移植の末に妊娠したのが、今、妻のお腹にいる子となる。

結婚して2年半。妻と二人の生活ものすごく楽しい時間だった。これまで過ごした二人での日々が終わっていくことが寂しく、新しい生活の始まりをもう少し先延ばししたいような気持ちもある。一方で、生活の変化はとても自然に起こる。人は生まれ死んでいくし、育っていく。時間は等しく過ぎて、変わらないことなど何一つない。その流れの中で感じる寂しさは、これまでの生活が楽しかたことの反証であり、名残惜しいままに次の生活の幕が上がっていくことは、きっと幸せなんだろう。

破水をしたものの、お腹の子は元気に動いているようだ。無事に産声を上げられたらいい、元気に生まれてこられたらいい、健やかに育ったらいい、よく寝てよく食べる子だったらいい。人生の道すがら、世の中悪くないな、楽しい場所だなと思う瞬間がたくさんあったならいい。なんて、思う。少し前までは受精卵ができたことで喜んでいたのに、大層な願いをこめるようになってしまった。人間の欲深さを身に染みて感じる。

次に家に帰るころにはどんな気持ちになっているだろうか。楽しみ半分、不安半分で家をでる。

2023-10-13

anond:20231013140750

彷徨もの>、<背の高い蛮人> みたいな、異世界語をこちらの言語翻訳した体の名付け、ハイファンタジーだと実際あるな

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