はてなキーワード: 差しとは
確かに2015年以前のデータを分析すると、婚姻さえ増やせばある程度子供が増えるという考えになると思う
でも今はもう1段階進んだ段階で、結婚はしたいけど子供はいらないっていう人がかなり増えてきてるし、夫婦の出生力も落ちてきてる
楽天オーネットの「新成人の恋愛・結婚に関する意識調査」というものがある
この調査は過去29年にわたり調査をしているので、過去からの推移がわかりやすい
この調査だと、「結婚したい」割合が78%いるのだが、「結婚したら子供がほしい」割合が58.9%しかいないのだ
1996 年の第 1 回調査では結婚したら「子供が欲しい」という回答が 93%、その後 2005 年 85.6%、2010 年 84.2%、 2015 年 64.5%と下降し、2020 年には 65.9%、2021 年にはコロナ禍の影響で 61.7%まで落ち込みましたが、 2022 年には 65%台に回復し、2015 年以降は 65%前後で推移していたものの、2023 年から 2 年連続で低下し、2024 年には 60%を下回るという結果になりました。
出典
民間調査なのでサンプルの代表性などは差し引いて考える必要があるが、結婚はしたいけど子供はいらないと考える層が増えているのである
また、お金があっても子供が欲しくないという層が増えており、こうなるともう何をやっても無駄だと思われる
別の調査だがbiglobeがz世代に子育てについて聞いた調査がある
この調査だと、お金の問題以外で子供が欲しくないという人のうちの45%が子供が苦手だからという理由で子供が欲しくないといっているのである
子供が嫌いだから欲しくない人に子供を持たせるのは至難の業である
「将来、子どもがほしくない」と回答した18歳から25歳までのZ世代の男女209人に、「子どもがほしいと思わない理由」を質問したところ、「お金の問題」(17.7%)、「お金の問題以外」(42.1%)、「両方」(40.2%)という結果に。「お金の問題以外」と回答した人は4割強となった。
出典
民間調査なのでこちらもサンプルの問題があるが、2021年に行われた出生動向基本調査のデータが、すでに当てにならないほど若い層で子供はいらないという意識に変わってきてるような気がするのだ
だから、結婚支援を行なっても大量のDINKSを生み出して終わりになる気がする
(介護や貧困女性の問題があるため、東京都や政府としては少子化問題を謳いつつ、DINKSでも結婚してもらった方がいいという考えがあるのかもしれない)
→
さらに、有配偶女性に限ってみても(有配偶 出生率)、若い世代の出生率の低下は顕著である。2020年の年齢別有配偶出生率は、35~39 歳の年齢層でどうにか横ばいを維持したがそれよりも若い世代は、軒並み 2015 年よりも低い水準となった。とりわけ 20~29 歳の年齢層の有配偶出生率の低下は顕著である。
出典
https://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/researchfocus/pdf/13279.pdf
子どもの数は初婚年齢に強く依存することも良く知られている。この対策には「子育て支援」と言うより「妊活支援」で出産可能年齢を上げる事が必要。
→これは同意。子供が欲しいと思う年齢が上になってるから、出産可能年齢を上げる必要があると思う。
でも、そもそも子供が欲しくないという人が増えているという、今の段階まで来ちゃうと、人口を増やすためには移民導入以外何をやっても無駄なんじゃないかな?という感想になっちゃう
吐き出させて欲しいです。
友人でもある職場の同僚が頻繁に休みます。土日祝日休みの職場なのですが、友人は毎月平日に1~2日突発で休みます。その理由は毎回PMS(病院で診断された訳ではなく自称)や生理痛やメンタル不調なのですが、正直とても迷惑で不快です。友人が現在の職場に就いたのは私の紹介なのですが、ものすごく後悔しています。
はじめに体力勝負の仕事であり人手不足の職場なので突発の休み等は迷惑になるよ、職種が変わるから向かないかもしれないよ、と説明していたのですが「今の職場の人間関係がしんどい、土日が休みなら大丈夫、休まないから紹介して欲しい」とお願いされ、友人と一緒に働いたことの無い当時の私は快く受け入れてしまいました。その結果が現在です。
はじめの内は突然の体調不良なら仕方がないと思っていました。でも毎月必ず突発で休むのが2年、3年と続くと友人は自分で体調管理をする気すらないのかと幻滅しました。毎月毎月友人が休む度に小言を言われ、友人の分の仕事を捌くのにもう疲れました。それなのに当の本人は悪びれる事もなく翌日、昨日は辛かった、痛かった、気分が優れなかったから休んだと愚痴をこぼしてきます。挙げ句の果てには「最近休みの連絡しても何も言われなくなった。毎月同じ時期に休むからか、そろそろ私のPMSの周期が認知されてるのかも」等と言います。単に休み過ぎてて諦められているだけなのに。
この3年間何度も生活習慣の見直しや病院、カウンセリングの受診等を薦めたものの「でも~」「だって~」「無理」「そんなの出来ない」と何一つ実行しません。毎日何の解決もしない愚痴ばかり聴かされてもうウンザリです。だけど正直に伝えたらメンタル病んだとかトラウマになったとか言われるので超絶面倒臭いです。何を提案しても何の意味も無くて疲れます。本当にこんな人間だと思わなかった。友人としては好きですが同僚としては最悪です。同僚としての負担が増す度に友人としての彼女が嫌いになります。今の仕事は好きでも嫌いでもありませんが、正直友人の顔が見たくないので転職して同時に縁を切ろうと考えています。恐らく私のフォローが無くなった友人は職場で孤立するでしょう。彼女が前職でそうあったように。
私も女ですので、別に生理痛やPMSで休むことが甘えだとか思っている訳ではありません。たまには仕事が嫌になることもある、というのもわかります。ただそれらは毎月必ず定期的に休みをとるべきものでしょうか。きちんと検査もしないし土日祝日も休んでいるのに体調のコントロールが出来ないなんて、とにかく何かと理由をつけて休んでいるようで腑に落ちません。
生理痛やPMSが酷いなら体質改善に励んでみたらいいと思います。友人は健康診断で肥満、高コレステロールに引っ掛かっているので減量や食事で栄養バランスを整えるとかしたらいいんです。なのにめんどくさい、体重自体は10年変わってないから大丈夫とか言います。
しょっちゅう寝不足だと言ってるのでそれも原因かも、ちゃんと寝たら?と言えば長く眠ると体調不良になるから嫌だと言われます。
精神面が不安定ならカウンセリングなりなんなり受けてちゃんと治療を受けたらいい、自己判断ではなく。と言えば1度は受診したものの処方された薬は数日飲んで「なんか精神不安定になるから」と自己判断で飲むのをやめ、以降受診せず。
そもそも仕事がキツいとかならもっと休みの多い仕事に就くか、1人休んでも替わりがきくような大きな会社に入ればいい。フリーランスやりたいとか言っていたけどスキルアップの勉強すらしない。現行の仕事さえ休んでままならないのにフリーランスが務まるとは思えません。フリーランスや個人事業主が企業に雇われている状態より楽だと誤解しています。
他にも度々に仕事や他の人のミスでメンタル病むとか愚痴ってくるので、じゃあ仕事変えれば良いじゃない、と言えば「そうじゃない、会社が変わるべき」とか言われます。わけわかりません。何で自分で変えられないものに期待してるのでしょう?自分で会社を訴えるとか相談をするとか行動を起こしもしないくせに。
書いてて本当に何で私はコイツと友人なんだろうと腹が立ってきました。何を提案しても無駄で私の方が精神病みそうです。本当に大っ嫌い。
弱者は守られるべきだというのは分かります。しかし守られる為に弱者で居ようとする人間は排他されるべきだと思います。精神面が弱い人間にこんな事を思う私は酷い人間なのでしょうか? 自分の平穏を守るために友人へ手を差し伸べられない私は冷たい人間なのでしょうか?こういう友人に対してどういった対応をすれば良いのでしょうか?もう疲れました。
性犯罪者には子供時代に性被害にあったって人も多いし、この前の女児達盗撮して個人情報と一緒にロリコンたちにばら撒いていた塾講師みたいに手を出しやすい男児を襲ってから女児にいく奴も居るよ、男児を性犯罪者に差し出したらむしろ女児の被害も促進するだろ。
トイレに行けないとなったら男児と女児の親の行動も大幅に制限されるから、男兄弟がいる女児も外に出れないなど酷い制約を受ける。
ネットでなんとなく嫌だから入るな、お前の子供が性犯罪にあおうとどうでもいいって言われて、納得して一人でトイレが難しかろうと性犯罪にあおうとどうでもいいから男子トイレに行きなって親がいたら間違いなく毒親じゃん。
https://anond.hatelabo.jp/20230303222812
作者の名前は、当時の大学の同級生が村上春樹の話題をしていたので知った、というところである。
当時自分はほとんど読書をしなかったので、その名前と後年目にした有名なネットミームとしてのコピペだけを知っていた。
最近徐々に読書をするようになって、そういえばとその名前を思い出して読んでみたというのがきっかけである。
最初に読んだ作品は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』次に「ノルウェイの森」だった。
自分は割とミーハーな方なので、奇をてらうことはせず、ネット上で名作とされているっぽい作品と大ヒットした作品を読んでみたというわけである。
すごく不思議な話だったという感想である。前半で語られていた世界観や設定が、物語後半ではほぼ伏線として働いていないと思った。
ただ、自分の読み方が浅いかもしれないという点はある。一方ですごく読みやすくフェティッシュな描写や何気ない心理描写が単純に面白かった。
特に、主人公の住んでいる部屋の細かい描写、物語終盤で主人公がレストランで食事をするシーン、女性のために簡単な料理をする描写はどれもシンプルで色彩豊かに感じられた。
物語前半から中盤くらいにかけてはとにかく暗くじめじめした陰湿な描写が続いていて、まさに後半の描写との対比で描かれており、カタルシスを得られるような構成になっていると思った。
主要キャラである博士の娘は、あまりにも都合の良すぎるキャラではないかと思った。
ある意味こちらの方が世界の終り〜よりも辛く陰湿な話であり、ただ時折差し込まれる季節感豊かな風景描写が美しいと思った。
色んな人物が出てくるのだが、そのどれもから刹那的な儚さめいたものやある種の危うさのようなものを感じさせた。特に伏線を張ったり回収したりするような構成でないのもそう思わせる要素なのだろうか。
主人公が贔屓目に見てもクズなのに謎なほど女性にモテており頻繁に性行為に及ぶので、この作品こそが下品なコピペで描写されている元ネタなのかなと思った。
もし大学生の頃にこの作品を読んでいたら色々な意味で影響を受けたかもしれないが、今となっては色々と枯れ果てているので、まあこんなものかな、といった感じだった。若いうちの激烈さを伴う読書体験の貴重さというのは、こういった点にあるのかもしれない。
1段目に肺の物、2段目に自分の物が置いてある棚
1段目は胸部、2段目は腹部の意
肺の物=心臓
→間髪入れずに平手打ち
腸が殴られれば下痢もする
優勝
InvisibleStar 増田は心臓説が出てるが、増田が平手打ちを受けることで下痢になるなら消化器系では?位置的に考えて、たぶん胃。胃が肺から平手打ちされた時に未消化の内容物が腸に押し込まれたせいで下痢になったと予想
タブレットとかを枕元に送って週間自体を止めないとちょっとのつもりで画面を見てしまうと、
あのショート動画ってどうしても気が付いたらどえらい時間が経っていることがないかしら?
またやってしまったわ。
ただでさえ
早くに寝たいというのに、
明日の天気予報がどうなってるかサイトを見るつもりだったそれだけなのよ。
それだけだったのに、
一瞬であれ30分とか経ってしまっていて
もう私は固い確固たる意志を持ってかぎ括弧で締め括って強調して言いたいほど
「枕元にタブレットはありません!」
って割烹着を着た逆小保方さんみたいにあります!じゃなくてありません!
つーか正確には置きません!ってここに宣言しないと
有言実行とは言えないわよね。
無言実行でこそっとやればいいものの
やはり!
あとの9つは知らないけれど。
何度も言っていて自分自身にいい加減になりたいところだけど。
だってあんなに薄っぺらい厚さ5ミリメートルにも満たない薄い枕ならなくても一緒じゃない?
って違う違うそうじゃないの。
そうマーチンも言いそうなぐらい
タブレットを枕にして置くんじゃなくって、
タブレットを枕元に置かない!ってこと。
ふと思ったんだけど、
タブレットとかにもしかして走馬灯ってアプリがあって枕元でそのアプリを再生したら走馬灯のように!枕元でできるんじゃね?って思った、
それはただのムービーや写真などのスライドショーで十分だわ!って思いつつ。
またそんなことを言っているもんだから
私のタブレットの枕元でいっぱいになるのよ。
この悪しき習慣を止めると固く括弧でくくって言うほどの確固たる意志で
ただでさえ
これからどんどん暑くなってきてただでさえエネルギーが消費されていくというのに。
しっかりと心得ておかないと夏前にバテてしまうわ。
心して用心する、
いやしないとねってここで言っておくわ。
とにかく凄い自信なの!
枕元にタブレットを置くことをそして明日の天気を気にすることも
うふふ。
昨日遅くなると思って鞄に忍ばせておいたおにぎりに手を差し伸べて食べた明太子おにぎりよ。
明太子ももはや定番おにぎりのスタメンとして良い仕事してるわよね。
たまに食べると美味しいわ。
あんまりそんな部位は入っていないけれどというかほとんど入ってないけど、
あれ嫌いじゃ無いのよね。
好きというか。
つーか今思ったけどおにぎりに手作り以外ではそんなもの入ってはないことを気付いたわ。
あればあれは好きだわ。
だからあればあるほど嬉しいレモン炭酸ウォーラーを極々ごくごくキメたわ!
そのリズムの時だわたぶん。
お味噌汁もまた作りたいしさ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
スーパーのセミセルフレジでスキミング被害にあったので備忘録代わりに投稿します
・まぁまぁ規模の大きいローカルチェーンのスーパー(100店舗以上展開)
・使用したのは楽天カード(3Dセキュアや第二パスワードは設定済み)
いつものようにクレジットカードを会計機に差し込んでIC認証で支払おうとしたら即座に読み取りエラー
過去にもたまーに読み取りエラーが出たことはあったが差し直せば大丈夫だった
仕方がないので会計機右側面にある磁気ストライプ読み取りスリットに通すと無事精算できたんだが
おそらくだがIC読み取りで決済は出来てるがレシートを出さずエラー画面を表示するようにプログラムも改造されてる
5/27 スキミングされる
5/29-30 米国Amazonで何度も使用されるがこちらも不承認
5/30 深夜に楽天から【重要】楽天カードから緊急のご連絡 というタイトルのメールが届く
5/31 メールに記載の楽天カード信用管理部に電話して「これこれの買い物したか?」の確認
対応は事務的だが丁寧で親切だった。確認後カード再発行手続きの案内。
いやいや。「Aさんと付き合いたいなら、Aさんを凡百の女やマンコとして扱うんでなく、Aさん個人として接した方が、成功率や確度が上がるよ」って話をしてるだけなのよ。我々は。
だから「ぼくを人として扱え!」という要求は、我々にするんではなく、あなたと付き合いたいと思ってくれてる女性にして差し上げてください。
小学館含む原作者側がどれだけ振り回され、心労を負ったか、という点にフォーカスしているのか日テレ版で言うところのラリーの詳細が多い。
漫画家の芦原妃名子先生がご逝去されたことについて、改めて、先生の多大な功績に敬意と感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
重箱隅つつきなのはわかりつつ。報告書冒頭にはまずこれがあるべきですよね。
(日テレ版は報告書本体のリンク元であるプレスリリースには同様の記載があるが、肝心の報告書冒頭には記載していない)
日テレの2人目の対応者って上司やったんかよ!!!いやそんな気はしてたけどさ!!!
そもそも小学館側はきちんと担当部署だけでなく、各社員と上司を明示していてこの時点で日テレ版より分かりやすさが違う。
特に問題はないという意見を示しつつ、気になる点として、第 2 話脚本中に若い男女のメッセージのやり取りをメールでさせていることについて、今どきは LINE が普通ではないかと指摘したり
「今時のJKは短大よりも専門学校だ」という議論をできるドラマスタッフが、今時の男女のメッセージやり取り事情に精通していないなんて…。
また併せて飼っていたハムスターの逃走範囲に関するセリフについて、原作漫画の 100M 以内との吹き出しの記載を 200M 以内に変更した点にも疑問が呈された
(略)
ヒンズー教徒が多いインドでベリーダンスをするという点に疑問を呈した
(略)
またダンスの動画についても、初心者に過ぎない田中さんのダンスが動画で評判になるほどのものではあり得ないこと等の理由を詳細に説明して、日本テレビの補足説明中の提案を認めなかった。
日テレ版では省略されていた「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」の具体的な例をきちんと書いてくれてますね。
「めっちゃ打ち合わせして議論してより面白くなるよう頑張ったんすよ」アピールしてた日テレさん、これも全て改変の意図がきちんと伝わらなかったの一言で済ますの?
社員 A は、上記の 10 月 2 日の日本テレビ社員 Y 氏あてメールで、本件脚本家に関して次のように問いかけている。
「確認なのですが、芦原さんが描き下ろした 8~10 話は基本的に変更無しで使用してほしい、という話は●●さん(本件脚本家。原文は実名)に伝わっていますか?●●(社員 B。原文は実名)から●●さん(日本テレビ社員 X 氏。原文は実名)にもお電話差し上げたのですが、そのお話しは●●さん(日本テレビ社員 Y 氏。原文は実名)に伝わっていますでしょうか?」
以後のメールで日本テレビ社員 Y 氏がこの点について回答した形跡はない。また本件脚本家によると、同氏は一切聞かされていないとのことである(本委員会質問に対する回答)
都合の悪いメールは読まなかったことにして無視、切羽詰まるとよくあるよね~(あるなよ)
10 月 5 日 16 時 45 分、芦原氏は社員 A に第 3 話脚本のシーン 50 で演じられるダンスが「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」ことになっているが、これを「普通のドラムソロ」に変更するように日本テレビ社員 Y 氏に急ぎ伝えるよう要請した。
芦原氏が問題としていたのは、同シーンでベリーダンスを田中さんがステージで踊る際、演出では「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」こととされていた点であり、芦原氏は、社員 A に対して、ハリージ衣装でドラムソロを踊ることは、ベリーダンスの歴史的、文化的背景としてあり得ないので日本テレビ社員 Y 氏に確認してほしいと求めたのである。芦原氏の求めを受けた社員 A が同日 19 時 50 分ショートメールで、日本テレビ社員 Y 氏に対し、芦原氏からの依頼として、「ハリージ+ドラムソロ」はダンスの監修者が OK しているとは思えないので確認してほしいとの依頼があったことを伝えた。
これに対して日本テレビ社員 Y 氏は社員 A に対して直ちに、ダンス監修者には「OK 頂いている」という認識であるが、改めて確認すると返し、同日 23 時 35 分にダンス監修者から OK の確認が取れたと連絡してきた。
しかしこの時、実際にダンス監修者が OK と言っていたかという点には疑問が残る。
(略)
ところが、後日、芦原氏は、「ハリージ衣装でドラムソロ」はあり得ないことを認識した。芦原氏は、日本テレビ社員 Y 氏(なお、撮影は 10 月 10日を予定していたが、日本テレビ社員 Y 氏は社員 A からの 10 月 5 日の問い合わせに撮影済みであると虚偽の発言をしていた。このことでも芦原氏は不信感を募らせていた)の対応に不信を募らせ、間違った有りようのダンスが公に放映されることを看過できず、ダンスの監修者の名誉のためにも撮り直しをするか、それができないなら番組 HP や DVD への釈明文掲載等を日本テレビに要求するように社員 A に依頼した。
3話リテイクの経緯詳細。
日テレ版では、
2023 年 10 月上旬、ドラマ撮影時に撮影シーンを巡って本件原作者が A 氏に対して不信感を抱く事案があった。A 氏は、C 氏より送付された本件原作者の意向に従って当該撮影内容としたつもりであったが、本件原作者はそのような趣旨では依頼していない認識であったため、C 氏に確認を依頼した。
C 氏を通じた本件原作者の撮影シーンに関する問い合わせに対し、A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。
その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャスト・スタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟に事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。
と、「撮影前を撮影済みと嘘ついちゃいました、てへぺろ☆」なことしか書かれてないけど、その前に「ダンス監修者の了承が本当にあったのか?」という日テレ担当者の信頼度をさらに下げる一幕があったんじゃねーか!!!!
まさか「今から変更したらみんなに迷惑かけちゃう…」という我が身可愛さで嘘付く人でも「ダンス監修者の了承はきちんと取っていたに違いない」と信じてるの?
そしてどういうつもりで削ったの?(一応、読み落としたかと思って日テレ版を「ダンス監修」で検索してみたが見当たらない)
この間、社員 J が 7 月 27 日に日本テレビに送信した契約書案に対して同社から 9 月 26 日に修正案が戻された。
その中では、改変についての原作者の承諾に関し、小学館提示の原案では小学館と原作者双方の同意が必要としたものを、日本テレビは、日本テレビとして合意を得るべき相手を小学館に限定する修正依頼があった。
原作者の承諾は不可欠であるため、小学館を介して原作者の承諾を得ることに修正し、社員 J は部内の承諾を得たうえ、10 月 23 日に日本テレビに送った。
うーんこの。日テレが原作者をどう思ってるか本音ダダ漏れなの草でしょ。
社員 A のメールは貴重な記録であるが、社員 B は大抵、日本テレビ社員 X 氏と電話で交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。
本委員会において認定根拠としえたのは、社員 A への LINE メッセージである。日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。
しかし交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者に事故があればその成果は継承されない恐れがある。
多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。
1段目に肺の物、2段目に自分の物が置いてある棚
ぼく「これ(2段目を指差し)はメルカリで売るために置いてる」
→間髪入れずに平手打ち
1段目に姉の物、2段目に自分の物が置いてある棚
ぼく「これ(2段目を指差し)はメルカリで売るために置いてる」
→間髪入れずに平手打ち
因みに姉曰く「グーじゃないから大したことないでしょ!問題ない!」とのこと
よくねえよ2日間頬腫れたわ
何を根拠に僕が他責の人と思っているのか知りませんが、残念ながらご期待に添えられません。
僕は全く他責ができないタイプで自責自責の末に鬱になって仕事を失い2ヶ月入院して先月退院し今ニートだけど、
他責せず人として生きてきたおかげで、素晴らしい配偶者に恵まれたため、「わたしがいるから無理するな。あと一年くらい休みな」と言われております。
非モテ男/弱男に対し、「風俗へ行け」「ソープへ行け」というアドバイスがしばしされる。
これは「自信をつけろ」「経験を積め」という意味では役にたつと思う。
なぜなら「男として」受け入れられているわけではないからだ。
ソープは自由恋愛という建前はあるが、金を支払ったことに対する対価としてのサービスであることは自明だ。
その人だから受け入れられたわけでなく、適正な金額を払ったからサービスを受けられるのである。
非モテ男/弱男は異性から男性として受け入れられた経験がなく、そのことで狂おしいほどの飢餓感を覚えているのだ。金銭を対価に一過性の性欲解消はできても、精神的充足感は得られない。
さて、男はしばしペニスのことを息子(ムスコ)と呼ぶ。それは、一器官にすぎない部位を、自分の分身のように感じているからだ。
金というわかりやすい対価が無いのにかかわらず、女性器――極めてパーソナルでプライベートな部分によって自分(の分身)を受け入れてくれる。
この経験が得られない男は精神的飢餓感に苛まれ続け、遂には完全に狂ってしまうのだ。
いやいや、風俗における関係性は「わかりやすい」だけで、一般的な恋人や夫婦だって容姿、年収、家柄、人柄に至るまでなんらかのものを差し出しているだろう、と思うかもしれない。
だが非モテはともかく弱男にはなにもない。なにもないから弱男なんだ。
ゆえに弱男は狂うしかない。「弱男が好き」という異常者を引き当てない限り。
付き合ってない以外は恋人みたいなことやってるなあみたいな人も5人以上居たけど
そいつらと2年以上上手くやれる自信がない
例えばこれを1人に限ったらまあ1年半で別れて他さがすよなーって相手しかいない
つまり、友人や愛人のような、N人の中の1人ならありだけど、1人限定の相手にしてはしんどいみたいな人が、世の中の大半だよねっていう
今更ながらの結論に至った
目が覚めたというか、恋人関係ってそもそも世の中が「良いもの」として洗脳しすぎだよね
もちろん、もっと愛があればもっと相手からの優しさとかあったかもなって思うけど
こいつとなら上手くいくかもなって人もいたけどね、2割くらい?ここらへんが現実なのかもしれない
「全夫婦のなかで、割りとおしどり夫婦なのが2割くらい」というのは体感としてあるし
都市と田舎の文化資本の格差について話題になるとき、そこで一番問題とされているのは、要するに「何かの道に進もうとしたとき、それに対してどれだけ可能性が開かれているか」という点だと思う。
その点において、俺はやはり都市と田舎には大きな格差があると思うのだが、地域に根差したコミュニティに着目すると、その格差をうまく説明できる気がした。
まず、俺が育ったのは野山と田畑に囲まれた僻地の農村で、鉄道も通っておらず、産業といえば農業と林業ぐらいしかない、田舎の中でもさらに田舎の方だ。
その俺が上京して15年経つが、田舎と東京の違いは、何よりもコミュニティの多様性にあると思っている。
東京という括り全体でいえば、東京には本物の富豪が住むような豪邸エリアから、町工場が並ぶ下町エリアまで何でもある。
あらゆる社会階層の人が東京に暮らしていて、それぞれの階層ごとにコミュニティを形成している。
学校や職場も一種のコミュニティで、東大からFラン校まで、大企業から零細企業までなんでもありだ。
人口が圧倒的に多いので、マイナーな分野でもそこそこの人が集まり、その分野でのコミュニティの形成が可能になる。
人口流入はほとんどないのでコミュニティのメンバーは何十年もあまり変わらず、同じ小学校を出た人同士が50年経っても固まっている。
地元の名士や地方議員のような人もいるが、社会階層が明らかに違うような人はレアキャラだ。
大きな会社は存在せず、大学も存在せず、高校はあっても底辺校ぐらいしかない。
大学進学でも目指すとなると、必然的に田舎を離れることになり、多くの人はそのまま帰って来ない。
一言でいうと、東京には「上」から「下」まで何でもあるのに対し、田舎には「上」がない。
「上」を目指そうと思うなら、同じく「上」の人々が集まるコミュニティに所属しないのは不利だ。
受験勉強にしても、周囲の大人に受験経験者が少なく受験への理解がない、同年代の受験生仲間が少ない、といった形で田舎の受験生は不利を強いられる。
東京でも育った環境によっては似たような状況になるかもしれないが、そこから這い上がるための地理的制約の有無が、田舎との差だ。
もっとマイナーな分野、たとえば現代美術とかセパタクローとかで「上」を目指そうとしたら、田舎にはコミュニティどころかそれを教えられる人もほぼ存在しない。
なので、田舎に生まれた子供がそれを目指そうとすること自体が稀なことなのだが、何かのきっかけでそれを目指す子供が生まれた時に、格差に直面することになる。
田舎に美術館がないというのも、そういう人にとってこそ致命的な問題となる。
そういう点で、田舎で暮らすと何かの道に進もうとしたとき、その可能性が大きく限定されてしまい、それこそが都市と田舎の格差なのではないかと思う。
俺が想定したレベルの田舎ではない、もう少し大きな地方都市であっても、程度の大小はあれ、似たような傾向なのではないかと思う。