はてなキーワード: 天罰とは
友達からやけに深刻な連絡が来たと思ったら、私が数年前まで好きだった人と付き合っているという報告だった。
好きだった人は今となってはただの好きだった人で、もうなんの未練もない人だったけど、彼女が「彼氏とまだ続いてる?」と報告前にわざわざ確認してきたのがなんだか許せなかった。
私が「その人のことが忘れずあの彼とはもう別れたよ」とでも言ったら、その子はあの人の浮気を疑ってぐちゃぐちゃになっていただろうな。
わたしは昔あの人のことが好きで、無駄に行動力があって、結局付き合えなかったけど、処女まで捨ててしまって、それを当時彼女はすごく怒ってくれたんだけどなぁ。
なんでもいいから、あの時私が処女だったことだけは黙っていてほしい。死ぬほど痛かったんだけど、必死に隠し通したんだからさ。ああでも、不安でいっぱいになって言っちゃうのかな。それだけが本当に死ねる。
あんたも不安なのかもしれないけどさ、友達だったじゃん。昔あの人に彼女がいたのに寝たからいけなかったのかなぁ。その天罰だよなぁ。友達に疑われるってつらいよなぁ。
それに、一番消したい過去を笑い話にできなくなったよなぁ。もうあの人を一方的に悪者にして自分を救えないよなぁ。これも罰かなぁ。あーあ、あの時処女捨てなきゃよかった。
†書き込まれた相手に天罰がくだるスレ100† [転載禁止]©2ch.net
78 :本当にあった怖い名無し@転載は禁止:2015/06/13(土) 05:06:26.72 ID:YsJufDCH0
①現状、20代、30代の人は、払い込んだ年金のうち6割ほどしか貰えません。
現在60代以上(2010年時点)の人は、払い込んだ年金の額の6倍ぐらいもらえるそうです。
ついでに言うと、日本全体の金融資産の6割は、60歳以上の人が保有しています。
貧乏な若者が、裕福な高齢者に貢ぐという構造になっているわけです。
②2015年における日本人の平均年齢は46歳(国立社会保障・人口問題研究所による推計)。
年齢の中央値(小さい順に並べたとき中央に位置する値)は日本は46.1歳(2014年推計)となります。
選挙権を有する年齢に絞って平均年齢を割り出すと更にあがり、約53歳となります。
ここまでの話しで何が言いたいかというと、
若者に対する負荷の高い社会構造になっているという状況にたいして、
現在の選挙の投票、システムでは若者はその現状を変えずらいということです。
そこで日本に物申したいのですが、、
18~20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、90代の8つにセグメントを区切り、
それぞれのセグメントを12.5%の比重にし、投票の重みの配分を変えて頂けませんか?
70代、80代の方に日本の50~80年先を考えてとは言いません。
これくらいは生きるだろうという想定内で自分の利となる投票を行っていただいて構いません。
だけども、18~20代、30代の若者は50~80年先の未来に対して生きて責任があります。
なので、比重を設けることで、選挙での投票でセグメント毎に重みを変えて欲しいのです。
70代、80代の方と同じセグメントの重みが欲しいです。
今のシステムでは数の力によって高齢者にまったく歯が立ちません。
『津波をうまく利用して、我欲をうまく洗い流す必要がある。積年にたまった日本人の心の垢を。これはやっぱり天罰だと思う。』
こんな発言をしてしまうのってやっぱり年の功と言っていいのか、、年齢の性だと思うのです。。
オナニーの質を高めることだ。
人間の人生においてこれほど手軽に気持ちよくなれることは他にない。セックスも社会的成功もギャンブルもかかる手間とリターンの期待値を考えれば非常に効率が悪い。亀頭やクリトリスにローションを塗ってコスるだけでいいオナニーの圧倒的コストパフォーマンスに勝る物など人生にはない。
何より自分の手を動かすことが快感につながるのが非常に脳にいい。そんなことはないと茂木健一郎が言ってきたら頭のブロッコリーを引っこ抜いてやる。自分の手で自分を幸福状態に導く行為が生み出す自己効力感によって現代人に不足しがちな自己肯定感が補われ、脳が健全な状態に近づいていく事は科学的にも間違いない。
だが、そこに1つの壁が立ちはだかる。それはオナニーへの忌避感だ。人間の本能と社会文化は子作りに無関係な性行為を非生産的として敵視し続けてきた。そもそもオナニーという言葉自体が、膣外射精をしただけで天罰がくだるというくだらん言い伝えの副産物なのだから恐ろしい。人生に幸福を見出すことよりも、遺伝子に命じられるまま生むこと増やすことばかりを考えていた原始的な風習が今なお我々を苦しめているのだ。
我々はこの「オナニーは悪である」という考えを取り払わなければいけない。それによってオナニーの幸福度は高まる。心の何処かでそれをしている自分を否定しながらの行為というものは、何事であれ己に苦しみを与え脳や心を破壊し続けるものだ。だから我々はオナニーを気持ちよくするためにオナニーを肯定しなければいけないのだ。そもそも何故オナニーを否定する必要があるのか。余分な性欲を処理することは脳のリソース管理や家族計画を通しての人生設計において必要不可欠な物だ。前時代な前例主義に我々の世代までもが合わせる必要はない。オナニーを肯定しよう。そして屈託のないオナニーの快楽により人生を豊かにしよう。Let'sオナニーLet's自己実現
やっと落ち着いたので、寝る前に書く
何が起きたかというと、娘が鼻血を出して倒れたと学習塾から電話連絡があった
妻が偶然にも近くをクルマで移動中だったので、そのまま娘を迎えに行き帰宅
妻が娘から、俺が学習塾の講師から状況の説明を受け、両者に矛盾するところはない事を確認した
今日、娘は俺の使い古しのスマホを家から勝手に持ち出し、学習塾に持ち込んでいた
この古スマホはスピーカーの調子が悪く、ほとんど音が鳴らなくなっていた(だから買い換えたわけだが
娘は中に残ったままになっている音楽ファイルが気になっていたらしく、友人からイヤホンを借りて音楽を聴き始めた
その数十秒後、そのまま鼻血を出して失神したらしい
プレイリストに残っていたのは俺の青春時代を彩った音楽ばかりだった
確かに9歳の娘が聴いて面白く感じるようなものではないだろうが、まさか失神するとは…
妻は呆れていたが、今回の一件を「パパのスマホを勝手に取った天罰」という事にして、娘をあまりきつく叱らないということになった
はーいはーいはーい、俺も俺も俺も!
ざっくり言えば、良かった(ざっくりすぎ)。
もう一度見に行きたい。
近年、そういう映画にはとんと当たってなかったので。
ただ反面、疑問点や、ちょっとリアリティーに欠けたかなという点も。
この映画のすごいところは、そういった点すら減点要素にはなりえないところ。
以下に記す。
(※個人の感想です)
なんというか「トーキョー対ゴジラ」のような印象。
「ニッポン対」っていう割には、東京(と関東地方)以外の土地が不自然なくらい出てこない。
5秒くらいインサートされる「ヒロシマ」「ナガサキ」の写真くらいじゃない?
よその土地が出てくるの。
中盤、ゴジラくんったら東京のど真ん中であれだけ盛大に火吐いてるから、キー局の機能は失われてしまってるはずなのに
何事も無かったのかのように放送が続いている。
(例えば、「最終兵器彼女」なんかだと、テレビ放送の機能なんかは失われていく描写だよね)
だけど、そういう描写はない。
別に無いなら無いで、ストーリーテリングの上で絶対不可欠というもんでもないし、構わないんだけど
この映画が紐つけられる「3.11」以降という文脈でいうと、首都一極集中型のこの国で
首都が機能を失ってしまったときどーするの?っていうこの国の弱点がなんの議論もされずに残されているという問題がありまして、
そこに関する見解が何も提示されていないという腑に落ちなさは少々残りました。
(とはいえ「3.11」云々は作り手側が喧伝しているというより、受け手が勝手に関連付けてるだけとも言えるので、
・東京に原爆を落とすという国連(アメリカの傀儡)決議がされたときに、登場人物の誰もが怒りに震えてるんだけど、
個人的にはあまりその怒りを(日本人なのに)自分のものとしては感じられなかった。
「ヒロシマ」「ナガサキ」に続く、3発目の原爆をこの国に落とそうということに憤っていらっしゃるようですが
1発目、2発目とは状況も意味も違うので。
もちろん生死という概念すら凌駕している可能性のある最強生物に対して原爆というある種レガシーな兵器が通用するかという
疑問はあるんだが犠牲者を計画の段から見込まないといけない「ヤシオリ作戦」よりも、原爆投下の方がはるかにスマートなやり方のような気がした。
むしろ、Hatenarとして折に触れて見聞きする機会のある「東京対地方」論で、いつも散々にこきおろされる「地方」にいる身としては
「ざまあみさらせトーキョー民!おごりくさった天罰じゃ!!」くらいのことは感じました。スッキリ!
…というくらい、「東京」と「地方」が分断されてしまってる現状、
やっぱり「ニッポン対」っていうよりは、「トーキョー対」にしてくれた方がすっきりするな。
けど、街が壊されていく様子とか、人が逃げ惑う姿、この映画の核と言える描写のリアルさはシリーズ随一だと感じた
(とくに船が積み重なっていく様子とか、押しつぶされたマンションの中にいる住人が流されていくカットとか)。
当方は東日本大震災が発生した時に震度1すら観測されなかった西日本の街に住んでいて、「3.11」という言葉にあまり
リアリティーを感じてなかったんだけど、
そんな人間でもこの作品を見て、あの日の記憶からは逃げられないんだと感じた。
それほどあの地震が残した爪痕は大きいということを思い知った。
お台場が燃えている→東北が被害激しいらしい→津波が来るぞ!逃げて→(絶句…)→原発が危ないらしい!→ハーイ/
ここまで24時間未満。パソコンの前に噛り付いて動けなかった。
実際、関東大震災の記録も集めてみると範囲も広いし、被害も東日本大震災に匹敵するほど大きい。
にも関わらず、この3.11が日本人にとって特別大きく感じるその理由は、
①ビデオ技術(ここでは単に映像なのではない、フィルムではなし得ないほどの情報量をもつメディア)が開発されて
②リアルタイムでその映像をやり取りできるほどの高速ネットワーク回線というものがそろった後の時代において、
この国が迎える、初めての破局的な災害だったからだという側面もある。
そういえば911が起こるまで、200mを超えた高層建築が実際、どんな風に崩れるかなんて人類の誰一人として想像できなかっただろう。
そういう意味では初代ゴジラ以降、60年余の間に人類がアーカイブしてきた全ての映像が、庵野秀明という最終アンカーの目を通して
NHKから姿を消した訳ではないけど、これまでアニソン枠の代表者としてナナニーが培った功績みたいなのが
一切無碍にされてしまってるのは本当に罪深いと思う。
その天罰か4月にはラブライブのセンターえみつんこと新田恵海のAV疑惑が出てラブライブ熱が一気に冷めたのを見て
水樹奈々待望論が出ないものかとやきもきしたけど、6月を前にしてもナナニー復活という空気がなくて寂寥感が半端無い。
NHKの中では水樹奈々はもう終わったコンテンツなんだろうか。
誰かが言ってたけど、去年のナナニーはシンフォギアがあっても殆ど下火だったから紅白出れなかったのは仕方ないだろという意見があった。
確かに下火気味だったかもだけど、俺の中でシンフォギアGXの主題歌を聴いた時、まだまだナナニーをイケると確信していた。
それだけに今年こそはという気持ちでいる訳だが、どうも完全に消えたっぽい。
今は男性声優の宮野真守にシフトしたらしく、なるほど今後はイケメン声優に舵取りをするんだろうかと思ったね。
なら、今度の紅白は当然男性声優ユニットを出してくるんだろうかね。
それとも去年一昨年の功労者としてナナニーをカムバックしてくれるのかな。
もしかして今年もラブライブをゴリ押しするんなら、もう紅白は見納めだね。
もう二度とチャンネルを合わせる事はないと思う。
せっかく普段アニメ見ない家族でもナナニーの名前覚えてくれていて、今年は出ないの?って俺に聞いて来た位浸透していたっていうのに
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1128106.html
199. Posted by あ 2008年05月15日 15:36
普通いじめにあっていじめていたヤツが死んだらざまぁwwwって思うだろ
そうじゃなかったら根性腐ってるわ
394. Posted by とうりすがり 2008年05月15日 16:22
チベットの虐殺された人々の怨念がこの地震となって中国を襲ったに違いない
ざまーみろ
875. Posted by 2008年05月15日 18:00
876. Posted by 2008年05月15日 18:00
1055. Posted by 2008年05月15日 18:45
1405. Posted by 2008年05月15日 20:43
あれだけの大虐殺を犯したんだ、天罰が下るのは仕方なかったのかもしれない。
チベットの民を助けない限り、神は中国へ罰を与え続けるだろう。
1.私に新しいシキシマ成分を与えるため
以上です。
3つもあるはずがない。
とりあえず前編の本編時間の90分とレンタル代の500円を無駄にする代わりに10分くらい無駄にしてこのエントリを読んでくれ。
最初にシキシマの説明だけしておくと、シキシマとは実写進撃の巨人に登場するオリジナルキャラクターであり、大体はリヴァイの立ち位置であるが、どうやらエレンの兄(伏線はあるが説明はない)で最後に自分のオンナにしたはずだったのに結局初恋の男であるエレンに奪い返されてしまったミカサに「あなたの壁は?」とくそぺらっぺらな言葉を投げかけられることによりラスボスと無理心中を図ったもっさりヘアにダサいヒゲを生やした埃っぽい長谷川博己のことです。
去る2015年9月1日、見えてる地雷でお馴染みの実写映画「進撃の巨人(前編)」を私はわざわざ一人で見に行った。
そして、開始10分で「クソ映画だとわかっていながらファーストデーの映画料金である1100円と上映時間の90分をわざと無駄にした」ことで神の怒りを買い、その罰として拷問を受けていることを理解した。
なんとこの映画、「文明の廃れた地球っぽいとこで壁に囲まれて暮らしているバイトの続かないどう見ても20代半ばの三浦春馬が不発弾の上で飛び跳ねながら『俺が活躍する場所はここじゃねえ。東京でヒップホップで食ってく』旨の発言をしているのを水原希子が惚れてる目で見てる」という絵に描いたような大学生の恋物語を見せられるところから始まる。
開始10分ですでにクソ映画。求めてたものとまったく違うじゃないか。
確実にこの先80分クソ映画を見せられるという気付きをどうしたって得るでしょこれ。
ああ、無念、私は拷問を受けることになったのだ。
なぜ見に行ったのかというと、進撃の巨人の原作が好きな友達が映画を見た上で「メディアミックスにおいてストーリー面のみで批判されるのは納得がいかない」と言っており、「じゃあ原作のストーリーを知らない人間(私)が見れば原作とは関係なしに映画として面白いのではないだろうか?」という気持ちが起こったからである。
とりあえず先に結論から言うと、めっちゃクソ映画なんで「大切な家族を人質に取られその解放条件としてこの映画を見せられている」くらいの気持ちで見ないと死にます。絶対です。純粋な面白さに対する期待はすべてその手で殺してください。よろしくお願いします。
話を続けます。
かくして、1100円に対する貧乏性と事前になんとなくこの事態を予測していたために逃げられないように自分に課した「その直後に上映されるジュラシックワールドの映画の席を取ることにより今出て行ったらどうにか時間を潰さなければもう1100円を無駄にする」という枷と罰だというなら受けるしかないという決意のために、私はその後80分の拷問を受け入れることにしたのだった。
その後、
「『壁外に巨人なんていないことを証明してやるぜ』と自分に惚れてる女にいいところを見せるためというアホなヤンキー青春映画文法により水原希子とオマケの本郷奏多を連れて壁の近くに行く三浦春馬。
すると壁を守ってる兵隊に見つかって捕まりそうになったので反撃するアホなヤンキー青春映画文法そのままの三浦春馬。
兵隊のお偉いさんであるピエール滝が知り合いだったというアホなヤンキー青春映画文法で助かる三浦春馬。
そしたら壁よりめっちゃおっきい巨人が現れてドーンって爪先蹴りで壁が破壊されて3メートルくらいの穴が開いたのでそこから『量産型どう見ても人間が演じている設定上知能のないはずなのに人間っぽい動きしかしない巨人』がいっぱい入ってきて人間を食い散らかす」流れを
監督による『俺が考えた最強にかっこいい巨人による殺戮グロシーン』というぺらっぺらの演出で見せられる拷問を受け、
神様に「違うんです。無駄にするつもりはなかったんです。面白いかもって思ったんです。本当です」と何度も心の中で謝罪をする。
この映画、原作とストーリーがかけ離れているうんぬんはとりあえず置いておいて(私が原作のストーリー知らないし)、
予算以外すべて『映画を撮ったことがないくせに自分のおつむの中でだけ一流だと思い込んでる高校生』レベルで本当につらい。
んで、「水原希子が巨人に食われて死んで(当然死んでない)、守れなかった女の仇を取るためにもう一つ壁の内側で兵隊になるというアホなヤンキー青春映画文法を辿る三浦春馬と本郷奏多、あといっぱい」が出てくる。
作中ではさくっと2年が経ち、ようやくヒップホップ信者の三浦春馬がきちんとした目的意識を持って動き始めたかと思いきや、
「素人の寄せ集め兵隊集団の同じ班である無意味に好戦的な三浦貴大と煽り合いで喧嘩をする」という統制の取れてなさを猛烈アピール。
このことにより、アホなヤンキー青春映画文法が永遠に終わらない気配を見せつけられ、絶望がより明確に。
この辺りで大きな声で「乳首」とか「性器」とか「こんなの初めて」とか言ってくれる石原さとみが現れてほんの少しの救済が図られるが、焼け石に水とはまさにこのこと。
「巨人から一番外の壁を奪取するために内側の壁から出た三浦春馬たち
(この辺りでモブキャラが巨人つえー演出のための使い捨てとして登場するがほとんど全員が無能なのでサンナギくんという作中唯一の良心だけ覚えておいてくれると私が喜ぶ)
(この際食料がない設定なのにサンナギくんがデブとか非常に些細な問題)
が当然のように兵隊とは思えないクソみたいな働きにより巨人に殺戮されまくる」辺りで場面転換。
突如、「よくわからない地下のような空間(今後もう一度出てくるが説明はない)で全身を逆光で陰を作り、めちゃくちゃ日本人体系のおっさんがめちゃくちゃもた…もた…と装備を確認する」シーンが挿入される。
監督の『俺が考えた最強にかっこいい最強の男の映画内登場シーン』という意図は察せられるものの、
どう見てもダサい。
まじでダサい。
「地上で三浦春馬たちが死にそうなのにのんびりと自分かっこいいアピールをする日本人体系のおっさん」という演出の下手さにより生み出されたスベリ要員。
もうね。光明よ光明。わかる?わかるよね?当然わかるよね?私は神によって天罰を受けていて、その天罰がまだ半分もあるのかと絶望を味わってた時にね、現れたわけよ救世主が。私を拷問から救ってくれる男が。もうね。するよね入信。するよね信仰。当然だよね。この男により私の1100円と90分が救われるんだって思ったらね。感謝するよね。当然ね。
つまり、その瞬間、シキシマは私の神になった。私が無駄にした1100円と90分を救ってくれた神に。
カルトに入信させる時、相手を極限状態に追い込んで判断能力を鈍らせるって手法があるって聞いたことがあるんだけど、まさにそれだったってわけ。
ついでに本当に監督が演出下手なので、たぶん監督の中でキムタク役であろうシキシマの初セリフは巨人を倒した後の
総スルーされた上に大して誰にも称賛されず、さらにその後続いて出てきた巨人を前にその場にいたモブキャラたちに今しがたの功績を完全に無視されて「もう終わりだあ」とか言われます。
最高。
スベリ要員確定。
その後「シキシマが三浦春馬を見初めてさっきの地下空間に連れていき、婚活パーティーよろしく三浦春馬にかっこいい俺を猛烈アピール。
シキシマは巨人を倒せてなおかつ死んだはずの水原希子を連れていただけでなく巨人を倒せるほどに成長させていたために三浦春馬は猛烈に心酔」し、
こうして私は三浦春馬と一緒にシキシマ教徒になったのであった。めでたい。
それから「リンゴ大好きシキシマくんによるリンゴ食べさせタイム」を経て、
まあその後はわりとどうでもいいんだけど
「三浦春馬と既成事実作ろうとしたシングルマザーがホラー映画のえろいことした奴から死ぬ法則に基づき巨人に食われて死に、
ついでにそこで先にセックスしてたいちゃつき方が電車内のうざいカップルであるモブ二人もその法則に則って死に、
他にもいっぱいモブが死に、
三浦春馬がビルの上で巨人が出てきてるのに自分は一切戦わずに指示してくるシキシマに従ってなんとか巨人を倒すものの多勢に無勢で死にかけたところ巨人に覚醒して暴れて残りの巨人をぶち殺す」
というのが大体の前編のストーリー。
でもクソ映画にしか私の教組であるシキシマが出てないんだから、みんなにシキシマを認知してもらうにはこのクソ映画を見てもらうしかなくない!?
しかも今日ついさっき後編のブルーレイが届いてそこに豪華版だからついてる絵コンテ集を読んでしまえば私は新しいシキシマ成分を得ることができなくなるんだよ!?だったらこの世のありとあらゆる人間にシキシマを認知してもらうために映画を見てもらって、まあうんもう称賛されないことは理解してるから称賛しろなんて贅沢は言わないので批判でもコキおろしでも何でもいいから私に新しいシキシマを見せてよ!あなたの目から見たシキシマは私にとって新しいシキシマだからそれを感じさせてよ!お願い!
って思ってこのエントリを書きました。
ついでに前編を凌ぐクソ映画の後編では
「国のお偉いである国村隼が芋女が落とした芋をわざとらしく踏んで悪役アピールをしたのでミスリードかと思ったらまじで悪役でなおかつ最初に壁壊した巨人でラスボス」で、
「その国村隼にレジスタンス扱いされてたシキシマがミスリードかと思ったらまじでレジスタンスで実は巨人になれ」たり、
私がシキシマ教徒の先輩だと思ってた「水原希子が全然シキシマのこと好きじゃない」のに
そんな「水原希子に三浦春馬に敗れたシキシマがぺらっぺらの言葉をかけられて国村隼に最初の不発弾を抱えて突っ込んで無理心中」をしたり、
カップリング厨の監督による先の電車内カップルと同レベルのアルサシャのいちゃいちゃを見せられたりするけど、
後編のシキシマははっきり言ってただのDV男なので見なくて大丈夫です。
とりあえず前編を見てくれ。
少し前まで付き合っていた年下の女の子がいた。
僕らはインターネットで出会った。僕の書いていたブログに彼女がコメントをくれて、そこから時々会って話をするようになった。
三回目くらいに遊んだ時にカラオケで強引にキスをして、ホテルでセックスした。色白で、細身なのにおっぱいが大きくて、すごく興奮した。
お付き合いするようになってからは、どちらも大学生だったこともあり、毎日のようにセックスをしていた。身体の相性はとても良かった。僕のものを一番奥に優しく押し付けて、彼女が僕にぎゅっとしがみつきながら絶頂を迎えている姿を見るのが幸せだった。大好きだよって言い合いながらキスをして、彼女の中で射精するのが幸せだった。
だけど、1年くらいで僕らは別れた。好きな人ができたって言われた。
僕と約束をしていた記念日に、別の人との約束が長引いたので会えなくなったのが理由で、あっけらかんとドタキャンされそうになったことがあった。僕が怒ってはじめて、彼女は泣いて謝った。
二人でお酒を飲みに行った時には、お店の人とばかり話をして僕のことをまったく気にかけなかったことがあった。帰り道に大ゲンカした。「私はそういう人間なの」と彼女は言った。「僕と付き合うなら、せめてもう少し、人のことを思いやってほしい」と僕は言った。
自分はこういう人間だ、と宣言するのは別に構わない。だが、それで傷つく人がいるのであれば、そのエゴは引っ込めるべきではないのか。僕はそう思う。
今も彼女は「自分は自分だから」と言い放ちながら、好きな活動に邁進しているようだ。
どこかで、天罰が下ってほしいと思うクソみたいな自分がいる。自分はこんな人間なんですと先に主張することで、自分に不都合なことが起こると逃げ出す、そんな甘い人間が胸を張って生きていけるほど、世の中甘くないよと。
まあ、発展途上国では、こんなもの導入してる余裕はないわな。例え日本が全部援助して、システムを構築しても、それを運用する人員はいないだろう。
先進国なら導入するだろうが、この手の洪水被害に悩まされる国って意外と少ないからな。日本みたいに、毎年のように暴風雨が来る先進国って、アメリカくらい。
韓国とか中国なら導入する余裕もありそうだが、彼らはどうせ金は払わないし、今回の災害も「猿に天罰が下った」とか言って喜んでる有様だし、むしろ連中もとっとと死ねば良い。