はてなキーワード: 四次元とは
kogemayo氏は個人の精神的自由を原理として掲げて、ロリペドだろうがなんだろうが個人の自由だしそのための不都合は社会が保障すべきって立場らしい。
だがこれはリベラリズムではなく、リバタリアニズムの自由原理と、リベラリズムの社会保障をどっちも欲しいという話で、まあそりゃ実に都合のいい話ではある。
しかしリベラリズムのいう「社会」というのは四次元ポケットを持ったドラえもんではなく、結局個々人が合意のもとに構成するものなので、税金を集めて公的機関を作って、というある程度の「個人の自由制限」が前提となる。
したがってkogemayo氏の論は成立しないわけ。
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。
真っ向から反論。
知人がこないだ上司になったわけだが、見事に自分の部下時代をわすれて、部下が動かない働かないと文句を言っていた。知人は元増田のいう「四次元的視点」を手に入れたかもしれないが、また別の方向からみることを忘れてしまったわけだ。
童貞、処女の人の感じることはわかるけれども小ばかにできる、というのも、昔の自分を綺麗さっぱり忘れて棚に上げているとしかいいようがない。ああこうすればいいのに、というのは、元増田がなんとなく小ばかにしている人たちからみれば「上司のうざい説教」「そうまでいうならお前がやってみろ」という、世間様の部下という人たちが一様に口にする言葉にすぎない。
元増田は上からの視点を手に入れたといってるが、単に下の視点を忘れてるだけである。
実はだね。タイムマシンというのは一般的に非常に危険であってだね。
タイムマシンは時間を移動する機械であるわけだけど、当然ながら空間の移動も出来るようになっていて、質量により常に影響を受けて揺らいでいる過去現在未来の時間や空間の歪みを検知していて、その結果から慣性系から見れば常に移動しているけれども、時間の流れに沿っている人間視点では地球上の固定地点となる時間と位置をリアルタイムに補正しているのであって、多大な過去や未来や遠方などへの移動は予想外の、たとえば彗星や隕石、他の恒星など予測不可能な要因で起こる、たとえば自転公転や軌道、太陽系自体の位置などのぶれなどにより、補正機能の能力の限界を超えてしまって、宇宙空間ならまだしも、たとえば確率は低いもののマントルだったり太陽の中だったりにつなげる可能性を、幸いにもタイムマシンは四次元空間に設けた外部装置により高度な処理を行うことにより、例えばある標準位置を制定し、継続的にプローブし、データを蓄積することによって、致命的な補正ミスを回避することに概ね成功しているが、同様の原理によりワープを行うもののハンディタイプのためにそのような大掛かりな四次元外部装置を持たないために予め安全の確認された時代地域にのみ移動が可能であるように制限されたどこでもドアとは違い、幾らかの制限下では冒険的移動が可能であるという特徴をタイムマシンは持つが、どこでもドアでは移動できないヶ所へタイムマシンで移動できるかどうかは事前の調査が必要であり、その移動にはそれなりのリスクが伴うことを理解しておくべきである。
横。
>正直いじめに関しては、心配はしてくれても学校の先生ってアテにならないことが多い。
そうなんだと思う。でもそこそれで話終わって良い部分か?
水戸黄門の印籠や四次元ポケットは先生にはないよ。無理だよ。たかが一教師にいじめを解決できるスーパーなパワーはないよたぶん。
でもいじめに対して全く関心のない先生か増田の娘を心配してくれる先生かの違いは大きくないか?
アテになるかならないかは話し合った後で判断しても良いんじゃないか?それとも始めから全く期待しない方が良いのか?
>自分も尊敬できた先生は居たんだけれど、いじめを解決してくれた先生は居ない。
一般化(に感じた)イクナイ
存在はしてるね。
ずっと頭の中でイメージ練ってたけど結局できなかった。できたら粘土で模型作るつもりだったけど駄目だった。
大元増田の問題ぐぐって解法いくつか見たけど、やっぱ自分には難しい。
一番分かりやすかった解説見て考えたんだけど、鈍角持ちだと、三角形二つ合わせてそれっぽい平行四辺形作るときに一パターンしかなくて、しかも 180度で開ききってる時点で既に対角線がもう一個の対角線(三角形の辺くっつけたとこ)より短くなっちゃうから、折り曲げようがどうしようがベストポジションは見つからないって結論になった。四次元とかになると案外できちゃったりするのかな。
「ドラえもん(ポケットなし)と四次元ポケット(単体)並べられたら、絶対ドラえもん(ポケットなし)選ぶんだろうな!!」
「えぇー」
「損得じゃないんだろ!?常識だし感情の問題だしフローラ選ぶのはひとでなしなんだろ!?だったらオメー絶対四次元ポケット選ぶなよ!選ぶなよ!ぜってー!」
「絶対とかいうと馬鹿に見えるよ」
「うっせー四次元ポケット厨!!」
「じゃあお前はどうなんだよ!」
「俺?」
「フローラとビアンカとドラえもんと四次元ポケット、どれ選ぶんだよ!」
「……お前を選ぶ」
「Yeeeesss!!!!」
「Yeeeaaaahhhh!!!!」(ハイタッチ)
二次元と三次元の優劣を議論し、吹き上がっている人々を時々見かけるが、これはいかがなものか。
古来より「我思う、ゆえに二次あり」という言葉もあるように、思考する事によって二次の良さが成立しているとも言える。また、三次は三次でそれはそれはめくるめくように気持ちよかったりもする。大事な事は、二次元であろうと、三次元であろうとどうやって自分の脳を刺激し脳に快感をもたらす物質を発生させる事が出来るかという事である。そのポイントさえ抑えていれば、四次元であろうが五次元であろうが構わない。
『いかにして自分の脳を快感に導けるか』という事を命題として考察した場合、「三次はファンタジーが足りない」「二次は得られる情報が限られている」などと、二次元派、三次元派の双方が揚げ足取りのように罵りあっていても、不毛でしかない。それぞれの派閥は、それぞれの派閥にあった形で、確固たる快感へのプロセスを持っていて、それが自分の脳を最も興奮させうるのである。相手に自分の派閥の素晴らしさを伝えようと頭ごなしに罵倒しても、それは相手の態度を硬化させるだけだ。相手の派閥の偶像を罵って貶める行為はさらに愚劣であると言える。
ならば、どうすれば良いのか。その答えはシンプルで明確だ。自分がいかにして二次元なり三次元で脳を快感に導いているかという事を訥々と語れば良いのである。まさに太陽と北風作戦だ。北風のように相手を罵倒しても相手は何も聞き入れはしない。「二次の素晴らしさはね、まずはここからこういう感じで入って行くんだよ。ここでこのキャラがこういうシチュエーションでこんな感じになっちゃったら、果たしてどうかな?」と自分の快感を導くノウハウを語ってみるのである。相手が「むう。それは!」とでも言おうものならもうほとんど陥落しかかっている。二次元派の布教活動はめでたく成就するわけである。立場が変わって三次元派が二次元派を説得する場合も同様である。
相手をこのように説得できるようになれば、それまで2chや増田で『二次厨』と疎まれてきた方も、たちどころに『二次の導師(グル)』とあがめられる事、請け合いである。三次元派の場合も同様である。
ただ、いかんせん向き不向きという物がある。いかに太陽と北風作戦を実行しようとしても、説得すべき相手の脳内が、すでに完成されたダイヤモンドのようにピュアな二次元脳であったりすれば、三次元派の説得工作は徒労に終わる場合も多分にして存在する。もう三次元のいかなる刺激でも、一ナノグラムの脳内快楽物質が分泌されないのだ。これは訓練や教育でどうなるものでもない。もちろん議論などおこなっても無駄中の無駄である。触れてはいけない世界というのも世の中にはあるものだ。これは、アマゾンの奥地に残る最後の秘境のように、そっとしておこうね。
二次元派、三次元派はそれぞれ説得が行えそうな人々に対し、有意義な説得を行うべきである。説得に応じる人が増えれば、その派閥のコンテンツは繁栄していくのである。
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10137812924.html
結局、論壇という狭い世界を漂っているなんとなくな言説の「空気」を「世界」だと思っているのよね。
それじゃ読者にはいつかバレるし、どんどんバレればいいと思う。
最近の彼の書くものを見ながらずっと思ってることなんだけど、東浩紀ほどネット上の言説にコミットして、その結果として悩んでいる人間はいないんじゃないかと思っている。
私が「ゲーム的リアリズムの誕生」を読んで一番印象に残ったのは、その注釈の多さだ。ページの半分が注釈で埋まっている箇所さえある。確かに、360度からツッコミが入る環境で言論を戦わせた経験のある人間が、それを踏まえてなお、己の主張を一冊の本に固着しようとしたら、あらかじめ360度の防衛線を張るより他ないだろう(まぁ、それでも矢はガンガン盾を突き抜けていくわけだが)。
少しでもネットで議論を交わした経験のある人間なら分かると思うが、公の場に自分の主張を出すということは、己がコミットするものが、「世界」から見ればワンオブゼムでしかないことを徹底的に再確認させられる作業だ。情報技術の発達は、あらゆる立場のあらゆる人間が己の主張の正当性を信じているということ、それを可視化することを可能にした。たとえ、その主張が本人の誤解や全くの思い込みに基づいていたとしても、だ。そして人には、それを真実であると信じ、仲間と共有し、異を唱える者を「反公共的人間」として糾弾する「自由」がある。
だから、彼が「南京」を例に出しているのを見たとき、そういう現状を極めて率直に語っているのだな、というのが私の感想だった。彼の言っていることは全く正しい。「世界」に対して真に誠実に向き合うなら、あらゆる主張が「ありうる」という事実を認めるほかない。
しかし我々は、徹底的に相対化されうる「世界」の中でなお、それぞれがそれぞれの理由で「偏り」を持った存在であり、それを解(ほど)くために何かにコミットすることを選ばねばならない。たとえ、そのことに絶対的な正当性がなくとも。そして同時に、己の立ち位置の「根拠」の無さを忘れることなく。
東氏も、最終的にはメタメタから降りて、何かに「あえて」コミットする道を選ぶことになるだろう。けれど、上の文を一読して、そんな彼を悪し様に批判してどうするんだろうな、ということを思った。もちろん、それを言ってる本人やその他の人々やそして私が、東氏の言うジレンマを踏まえた上でなお何かにコミットすべく踏み出していくのは勝手だし、いや、むしろとても価値あることだと思う。
しかし、「お前はなぜそれにコミットしないのだ。風見鶏を気取りやがって!」という批判は、直裁に言えばとても気持ち悪い。何かにコミットする、そしてそこに正義がある、というのは今や自明ではない。もちろん、自明でなくてもヤラねばならないことはある。それはそれで正しい。しかし、上記のような批判には、その二律背反に対する躊躇が全く感じられない。そういう躊躇の無さが、批判的な意味で「左翼的」と呼ばれているなら、その感覚には同意する。
「コミットすることの正義」は自明ではなく、しかし、自明でなくとも進まねばならない。この隘路を踏まえずに突き進んでも、全ての言説が相対化されタコツボ化するネット社会において、「利己的な正義」のワンオブゼムとして忘れ去られる以上の成果など残せないのではないか。
東氏が、いつ次のステージに踏み出す気なのかは知らない。我々は、彼の言説を踏まえつつも、それを尻目に黙々と自分の道を歩めばいい。それだけの話だろう。
(追記)
上のエントリが某所で言及されてたのを見て、反射的にコレを書いたんだけど、よく見ると9月の記事だとさっき気づいた。上で「360度」って書いたけど、これは若干語弊があるね。今まさに実証してしまったように、弾は四次元の方向からも飛んでくる。よく、こういう環境で「批評」を、しかもそれを「本」という固着された存在にしようなんて思うよなぁ。
(追記2)
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20081203#p1
んー、そういう「誤った相対主義」の結果として東の発言を捉えるのはミスリードだと思うんだけどなぁ。そもそも例の発言は、デリダの言ったっていう「ユニバーサルな人間理解の可能性」というのは所詮不可能であるし、不可能であることを前提としない民主主義はある意味不健全である、という認識に基づいていて出てきた発言であるように思うので。その辺は、「東京から考える」や「思想地図」を読むと分かると思う。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1227283448/
なぁ、こいつを読んでいたんだが、どうして多次元や高次元宇宙のはなしになるとトンデモやオカルトが湧いて出るんだ?
そもそも、次元って言うのをみんな感じ違いしていないか。
子供の頃に読んだ「四次元の世界」的な本の影響で4次元の生物はワープできたり、人体を裏返したり、時間を移動したりできるんだとおもってるのか。
そしてこの記事は「新しく四次元の世界が見つかるかもしれません」ってニュースだと思っているのだろうか。
そうじゃない、この世界の物理現象を「3次元ではなくより高次元であるとした方がより説明しやすい(正しく説明できる)のではないか」という仮説を証明できるかもしれないということだ。
『カルツァ=クライン理論』はコンパクトな円筒状の次元を仮定すると重力と電磁気力が同じ式で扱える理論で今回の実験結果がその理論を裏付けるものだったというだけのニュースだ。
http://anond.hatelabo.jp/20080716103841に倣って、『ドラえもん』で喩えてみよう。
ご町内の皆さんは誰もがドラえもんを持っていて、君だけがドラミちゃんを持っている。
君は強弁する。
「みんなドラえもんを買ってるけど、ドラミちゃんのほうが優秀なんだぜ」
しおりにはこう書かれている。
「申し訳ありませんがドラミちゃんの参加はできません」。
説明書にはこう書かれている。
「申し訳ありませんがドラミちゃんには対応しておりません」。
店員が説明する。
「申し訳ありませんがドラミちゃん用のメロンパンは販売しておりません」
ついに君は言う。
店員は耳を貸さない。
町に一台しかないロボットのために、どうしてメロンパン用の機材を購入しなければならないだろう?
いまさらドラえもんの仕様を覚え、そして多くのパーツを買ってこなければならない…。
君はどうすればよかったんだろう?
ひとつの答えを述べよう。
どうして、毎日毎日おんなじ服を着なきゃいけないのか。
正装といえばスーツっていうのもねぇ。毎日正装だったら、そりゃあ息苦しくなるし。
着ているほうもあんまり正装っていう意識がなくなって、適当になってきてしまう。
いや、営業職とか管理職とかだったら必要かもしれないけど、基本的にデスクでPC操作したり、社内で打ち合わせすることがほとんどのSE職とかには必要かと。本当に必要性があって、スーツを着てるのかがわからない。着ないといけないから着てるだけ。
そんな理由で、何万円もするスーツを何着も持って、おんなじようなシャツを少なくとも5枚は持って、ネクタイなんて数十本も持って。。。でも、結局おんなじような服装でつまらん。欝で自殺者が多い理由の一つかもしれない。
逆に考えてみる。
毎日おんなじスーツでも、便利すぎて着たくなる画期的なスーツを開発してほしい。
ほしい機能
・温度調整機能
・体型維持機能
・四次元ポケット
・・・最後のはさすがにネタだけど、なんていうかすんげー便利!ってのがないと、あと30年以上もスーツを着続けるなんて耐えられない。
※追記
http://anond.hatelabo.jp/20070504144628
視覚が網膜という平面上に投影された像から生まれている以上、ある瞬間に限れば視覚的には現実空間においても(縦、横、色)の三次元です。実際の認識には時間が必ず存在するので四次元ですが、それはカラーイラストを認識にする場合においても同様であるのでまあいいでしょう。ちなみに、あなたの言う(縦、横、奥行き)はそこに存在する物質由来のものであって、(色)はある方向から眼に飛び込んできた光由来のものなので、(縦、横、奥行き)と(色)を同列に置くことはできません。(縦、横、奥行き)と同列に置けるのは、エネルギーとか時間でしょう。
飛行石の原理を妄想する。
崩壊したあと上昇するというのが解せないし、飛行石の効果でゆっくり落下するというのもわからない。
いやそもそも反重力物質ってなんだ?
浮力とは本来そこにあるものを押しのけてどかした重量差分が浮力となる。
水にビート板が浮くのは同体積の水よりビート板の方が軽いからであり、
空中に風船が浮くのは同体積の空気より風船の中に含まれたヘリウムガスの方が軽いからである。
地球の空気は主に窒素、酸素、二酸化炭素で構成されており、その重さは1モルあたり29グラムと仮定される。
大してヘリウムは4グラムで風船のゴムの重さを入れても、ある程度の体積があれば中空に浮かぶことができる。
だが岩石がちがちに固められた天空の城を中空に浮かすほどの浮力を持てる物質が存在するだろうか?
ヘリウムより軽い物質は水素しかない。(水素で飛ぼうとするとレッドツェッペリン号になる。)
それでも24リットルで28グラム程度の浮力しか得られずとても飛行石程度の体積で確保できる浮力ではない。
やはり超低温伝導物質のような物質なのだろうか?
地磁気で飛んでいる?
いや、もっとシンプル。
飛行石は空間が圧縮されたものなのだよ。
実は飛行石は質量の無い空間を鍛えて鉱石にしたものであり、それだけの浮力を確保することができるんだ。
つまりドラえもんの四次元ポケットは同時に浮力も得ることができる。
僕はそう考えたんだ!