はてなキーワード: 四次元とは
http://blogos.com/article/88464/
「ポップソングが「閉塞感」ではなく「楽しさ」を共有する時代へ」という文章を読みました。
強い違和感を覚えたので備忘録代わりに書き残しておきたいと思います。BLOGOSのコメント欄だと字数が足りないので。
柴那典氏(@shiba710)の文章は間違っていると思います。
理由は以下の三点になります。
まず第一にアベノミクスが将来への希望を本当にもたらしているのかという疑問があります。
消費税増税や過去の景気状況から国民が景気に対し、継続した右肩上がりの希望的観測を持てるとは思わないからです。
加えて失業や高齢化、原発等、解決しない社会問題も山積する上、庶民の不安はむしろ拍車がかかるのではないかと思います。
つまり人々は楽しさや楽観という価値観のもとに生きていないのではないでしょうか。
第二に日本のミュージシャン(特にメインストリーム)は"カナリア"のような存在ではないということです。
これは楽曲への批判ではありませんが、翼を広げ瞳を閉じ桜舞い散る季節の中で君に出会えたキセキを歌うJ-POPには時代が反映されることはなく、それを許されてもいません。
時代を反映する曲を歌うということはつまり、楽曲がある種の政治的側面を帯びるということです。
現代の日本人にとって音楽の政治性とは最も嫌うものです。よって必然的に時代性(政治性)は排除され、似たような要素を持つ楽曲が量産されることになります。
日本ではSex Pistolsの「Anarchy in the U.K.」もGrandmaster Flash and The Furious Fiveの「The Message」のような楽曲は生まれないでしょうし、また生まれてもチャートの上位に入ることはないでしょう。
そこから導ける結論としては、J-POP等日本の音楽の特徴はむしろ「時代を反映しない」ことにあるのではないでしょうか。
現在の楽曲と10年前、20年前とを比較してそこに主題(テーマ)の大きな変化はあるでしょうか。
せいぜい電話やポケベルがLINEやメールに変わったくらいで、その根本は大した変化はないというのが実情ではないでしょうか。
「いいくらし」「ええじゃないか」等、氏の挙げる楽曲はどれもJ-POPのスタンダード、「励まし系」の枠を超えるものでもないと思います。
これらの楽曲に時代的必然性を見い出すことははっきり言ってできません。
当然それが悪い訳ではありません。繰り返しますが楽曲の善し悪しとはまったく別の話です。
日本のポップミュージックの作り手は、時代の空気を先端で感じている“カナリア”のような存在ではないのです。
第三に「ミスターチルドレンがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」という考察が完全に間違っています。
氏はその代表例として「マシンガンをぶっ放せ」を挙げています。
本当に「ミスチルがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その「マシンガンをぶっ放せ」は彼らの代表曲であるべきです。
しかし、一般人にミスチルの代表曲を挙げてみて欲しいと質問しても「マシンガンをぶっ放せ」と答える人が果たして何人いるでしょうか。
せいぜい「イノセントワールド」か「Tomorrow never knows」か「シーソーゲーム」くらいでしょう(最近なら「しるし」や「HANABI」かもしれません)。
「マシンガンをぶっ放せ」は、出せばミリオンを達成できた時代に唯一100万枚を割ったシングルです。
加えてその曲が収録されたアルバム『深海』は前作『Atomic Heart』から100万枚もセールスを落としています。
私はそもそもミスチルが現代社会の閉塞感を曲として昇華し、それを「売り」にするバンドだとは全く思っていません。
仮に100歩譲ってそのようなバンドだったとしても、本当にその「閉塞感」とやらって「共有」されていましたか?
ちなみに氏の言う「時代の閉塞感を内面化させていたミスチル」のセールスは、CDバブルに沸く世間とは対照的に見事なまでに右肩下がりでした。
アルバム『Q』は遂にミリオンを割ります。
しかし、仕切り直し的な意味を持つベスト盤とそのツアーを挟んでの次作、『IT'S A WONDERFUL WORLD』で彼らは文字通り“蘇生”します。
世の中のCDセールスが頭打ちになる中、セールスは前作から50万枚も回復するのです。
このアルバムからミスチルのメロディーは「ポップで王道的に」、歌詞は「前向きな内容」になり、彼らの得意分野であった「ラブソング」が完全に復活します。
ものすごく簡単に言ってしまえば「ハッピー」な作品になります。
以後、今日までの彼らの方向性はこの延長線上にあります。
嘘だと思ったらアルバムのクレジット欄を片っ端から調べてみて下さい。前作『Q』まで二転三転してきた制作環境やスタッフが、このアルバム以降基本的に統一されます。
この事実が意味するものは、この『IT'S A WONDERFUL WORLD』からバンドが目指す方向性が「確立」されたということです。
しかも氏の言う「時代の閉塞感を共有する」とは真逆の方向で。
その後の活躍は説明するまでもないでしょう。氏の方がご存知ではないでしょうか。
さて、本当に「ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のでしょうか?
改めて見てみましょう。
00年代に売れたシングルは上から順に「四次元」「Sign」「youthful days」「しるし」です。
「ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その楽曲は社会批判的な世を憂う内容のはずです。
「自分を信じたならほら未来が動き出す/ヒッチハイクをしてる僕を迎えに行こう」(「未来」)
「傷つけ合う為じゃなく/僕らは出会ったって言い切れるかなぁ? /今 分かる答えはひとつ/ただひとつ/I love you/and I love you/and I love you」(「and I love you」)
「繋いだ手を離さないでよ/腐敗のムードをかわして明日を奪うんだ」(「youthful days」)
「ダーリンダーリン/いろんな角度から君を見てきた/共に生きれない日が来たって/どうせ愛してしまうと思うんだ」(「しるし」)
一体このどこを聴いたら「時代の閉塞感を共有している」などという言葉が出てくるのでしょうか。
楽曲の内容は至って前向きなものか、もしくはラブソングの括りに入るものかと思います。
本文の「終末のコンフィデンスソング」に関するミスリードも目を覆いたくなるような酷さです。
本文では「たまに不吉な夢見るんだよ/走っているのに進まない/ひょっとしたら実際に起きてることを夢の中で知らせるメタファーかも」という歌詞のみ引用されていますが、この曲の結末部分はこうです。
「今僕らの目の前で起こってること/楽観も悲観もなく/ちゃんと捕まえたら/足元に落とした視線を/上にあげ/胸を張れ!」
なんと前向きで力強い、ハッピーエンドな曲なのでしょう!
しかもこの曲が収録された『SUPERMARKET FANTASY』というアルバムはリード曲「エソラ」に象徴されるような、とても「カラフル」で「楽しさ」を前面に打ち出したアルバムなのです。
今まで挙げた事例を見て頂ければ分かる通り、残念ながらミスターチルドレンは氏の望むような「ポップソングを通じて閉塞感を共有する」音楽活動は行っていないようです。
仮にそうであったとしても「ポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」ことは一度もないのは明らかです。
このような基本的な事実を踏まえずして「アベノミクスで失われた20年は終わった!これからは楽しさを共有する時代だ!ミスチルという閉塞感を共有する時代の一つの終わりだ!」とか炎上目的のゴシップ誌の見出しのようなことを得意げに抜かすのが、私が日頃愛読している「musica」という音楽雑誌と関係の深いのライターの方なのです。
私は情けなくて仕方ありません。これが「プロ」の書く文章なのでしょうか。
ちなみに同じ筆者が書いた「なぜBUMPは「国民的バンド」になれないのか」という記事も酷いものでした。
願わくばこのような暴論を振り回す音楽ライターが、私の敬愛するミュージシャンと音楽に関わらないでくれと祈るばかりです。
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
ふと思ったが、「棒グラフ」「折れ線グラフ」とか、「グラフ」と言う観念を発明した人は天才だと思う。
グラフが発明されてなければ、技術や経済発展のスピードは1割程度遅くなっていたのでは?
X軸Y軸にバルーンの大きさが加わるため、三次元で変数を可視化出来るスグレモノ。
バルーンの色やグラデーションを変えれば、四次元の変数を表現できなくない。
(但し最初にバルーングラフの読み方を聴衆に説明する必要あり)
カルビーは、経営者が20種の経営指標グラフを毎日チェックしながら経営する「コックピット経営」しているそうだが、
多分こういう「多元グラフ」も活用してるんだろうなあ、と思う。
その前に「各種変数をいかに最適に可視化、グラフ化するスキル」の教育が必要じゃないか、と思う。
例えば、娘が中学で寮に入ったからって、次の日に残していった物を全て捨てるのは極端だと思うんだ。
でも、嫁いだ後、遠隔地で子供まで産んで、更に年を取ってからも実家に小学生の時のまま部屋を残しておくのも極端だよね。
・
姉妹の話。
いつか使うかもしれないから取っといて、て、そりゃ姉や妹の家よりは広いけど、四次元空間やないんやで。
俺の家族と、親父やじいさんが住んでいるんだ。
いない人の荷物を置いておく余裕はない。
・
というわけで、実家の荷物の処理を伝えた。
姉は近く、妹は一月末に帰ってきて整理するという。
・
ただ、実際は親父が大きな壁になると思う。
物を捨てるのをいやがるから。
正直、物よりスペースの方が価値があるよね。
そのやり合いを考えてめんどくさくなるよ。
鏡に苦手意識を持っている人は多いと思う。
昔、鏡が左右が逆の光景を映していると知って怖くなった。
怖いと思った理由は
それでずっと鏡やガラスを避けてきたんだけど、ふと、じゃあ鏡に映っているのは僕なのか僕ではないのかと考えた。
普通の人は、鏡を自分の姿形がそのまま反映されていると考える。
すなわち鏡の中に自分を見る。
だけど僕は鏡の中に自分を見ることができない。
もし鏡に映るのが自分だと認めてしまうと、理由1に反してしまう。
では鏡に映る人間が自分ではないと決めると、理由2に引っかかる。
この世で最も僕に似ている人、違いは左右が入れ替わっているだけ。
この考えも受け入れることができない。
本当はそうじゃなくて、もしかしたら、鏡の中にいるのが誰かという判断を先延ばしにしたかったためかもしれない。
そう考えると、写真に写るのが嫌いな理由は、そこに写っているのが誰かを考えたくないからかもしれない。
こうなりたくないな人は、ちゃんと鏡を見て自我を形成しましょう。
いろいろ掘り下げが足りんとしかられましたが、僕は基本的にヒュームが好きなので公理として心象から始めてみました
貰ったコメントの中ではtoru-nakataさんのコメント"四次元で回転させれば、鏡像は原物に一致するので気にせんでもよい。"が一番すっきりしました
スペアポケット。
「ドラえもんの道具が一つだけ貰えるなら?」「四次元ポケット!」「ちょっと待てっっっ!!!!」 - 大彗星ショッカーのヒマつぶし2
考える事は楽しい事です。
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そう考えるのも楽しい。
特に結論が出そうで出ないモノに対して考えを膨らますのが非常に楽しい。
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ストーリーは一見意味不明だけど、考えれば考えるほど色々な解釈が芽生えてくる。
そして結論が出たところで、それは答えではなく、あくまで一つの解釈に過ぎない。
僕も3つぐらい解釈を持っているので、是非いつか書きたいといつも思う。
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「ドグラ・マグラ」もその点で近い楽しさはあるなぁ。
あっちは逆でストーリーは一見分かりやすいけど、よくよく考えると不思議な矛盾が生じると言う。考え出すと止まらない。超楽しい。
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それも、”高度な”人間こそ出来る楽しみ。
この楽しみはバカには分からんのです。
もっとも、優越感に浸り、そんな事を考える僕もある意味バカなのかなぁ。
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http://pink.bbspink.com/test/read.cgi/ascii2d/1076872499/
高度。高度です。
人間として高度です、と思いきやこのスレタイです。アフォか。もう高いのか低いのか分かりません。そう、ある意味で彼らは四次元なのです。
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Thick As A Brick / Jethro Tull
と思いきや内容は少しも難解ではなく、実に聴きやすい。Genesisに近いかな。
冒頭の優しい曲調は、朝、家を出て自転車で畑沿いを走る時の情景にぴったり。マッタリ。
ハードに迫る部分も多々あるが、全編を通して優しさと遊び心が一貫してる作品。
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意味不明な論法で誤魔すのはよくないだろう。それは数学じゃなくてオカルトだ。
厳密にはこういう理論があってこういう考えに至る、けど君たちにはまだ難しい。
くらいにするのが一番いいんじゃないのかね。というか、それしかないだろう。
イメージ的にはこうなる、という文にしても理解しがたいどころか、
間違ってるだろ。生命や神など介入する余地などなく、もとの疑問は
http://kanasoku.blog82.fc2.com/blog-entry-22498.html
66 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2011/11/08(火) 23:44:28.30 ID:PjCFZfxU0
理由を聞いても理解できない
塾でもよく訊かれるので解説を。
無限(+∞)というのは、「私達が理解できないくらい大きい数」ということを表す記号です。
∞ + ∞ = ∞ と定義します。私達が理解できないくらい大きな数を加えあっても、それが理解できないくらい大きいことに変わりはありません。
なぜ、∞ + ∞ = 2 * ∞ ではないのでしょうか? それは、∞は我々が知りえない数だからです。つまり、∞ = ∞ という計算が、 「私達の知っている意味で」等号計算が正しいかどうかなんて、誰も知らないからです。
例を挙げましょう。
私達が1~9の数しか知らず、9より大きな数を数えることができなかったとします。
そして、私達からは知りえない四次元生命体によれば、9<A<B<C<D...という数が続いているとします。(便宜的に、10以上の数をA~Zで代替します。11=A、12=B,13=C...と換算されるとお考えください。)
私達は、A以上の数を知らないので、9より大きい数はとりあえず全て∞として扱います。
さて、
∞ + ∞ という計算があったとして、「実は、四次元生命体から見れば、」その計算は A + B であったとします。(すると、A + B = U となります。)
しかし、私達はあくまで9までしか数字を知らないので、∞が「実際はいくつの数字になるか」知ることができず、よって演算結果を知ることもできません。
知りえるのは、9 < ∞ より、∞ + X ( >0 ) = ∞ ということだけです。
ここから考えると、∞ + ∞ = 2 ∞ はひどくナンセンスであることが分かります。四次元生命体からすると、A + B = U なのに、人間は愚かにも、A + B = 2 * A ( = T) と答えているのです。算数もできないのか! と。
これは、∞ - ∞ について顕著に現れます。∞ は Aなのでしょうか? Bなのでしょうか? それともZなのでしょうか? いやいや、実は四次元生命体にも知りえない、更に高次元の数なのでしょうか? それは分かりません。
仮に ∞ - ∞ が、 A - B だとします。だとすると、結果は - 1 となりますが、これは我々には知りえません。仮に B - Aだとします。だとすると、結果は 1 になりますが、これは我々には知りえません。 つまり、∞ - ∞ は、∞ が私達が知りえない数であるが故に、「その結果を知ることができない」演算なのです。
ご理解いただけたでしょうか。 ∞ は、私達が知りえない禁断の領域への演算なのです。であるが故に、この記号を用いることで、本来知りえないことを、私達は知ることができます。その意味で、非常に便利なのです。
ちなみに、∞ - ∞ 、∞/∞ 、(n^∞)^(1/∞)は同様の理由で、その結果を私達が知ることはできません。この形式を、不定形の極限と言います。神ならぬ私達では、その結果は知りえないのです。
kogemayo氏は個人の精神的自由を原理として掲げて、ロリペドだろうがなんだろうが個人の自由だしそのための不都合は社会が保障すべきって立場らしい。
だがこれはリベラリズムではなく、リバタリアニズムの自由原理と、リベラリズムの社会保障をどっちも欲しいという話で、まあそりゃ実に都合のいい話ではある。
しかしリベラリズムのいう「社会」というのは四次元ポケットを持ったドラえもんではなく、結局個々人が合意のもとに構成するものなので、税金を集めて公的機関を作って、というある程度の「個人の自由制限」が前提となる。
したがってkogemayo氏の論は成立しないわけ。
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。
真っ向から反論。
知人がこないだ上司になったわけだが、見事に自分の部下時代をわすれて、部下が動かない働かないと文句を言っていた。知人は元増田のいう「四次元的視点」を手に入れたかもしれないが、また別の方向からみることを忘れてしまったわけだ。
童貞、処女の人の感じることはわかるけれども小ばかにできる、というのも、昔の自分を綺麗さっぱり忘れて棚に上げているとしかいいようがない。ああこうすればいいのに、というのは、元増田がなんとなく小ばかにしている人たちからみれば「上司のうざい説教」「そうまでいうならお前がやってみろ」という、世間様の部下という人たちが一様に口にする言葉にすぎない。
元増田は上からの視点を手に入れたといってるが、単に下の視点を忘れてるだけである。
実はだね。タイムマシンというのは一般的に非常に危険であってだね。
タイムマシンは時間を移動する機械であるわけだけど、当然ながら空間の移動も出来るようになっていて、質量により常に影響を受けて揺らいでいる過去現在未来の時間や空間の歪みを検知していて、その結果から慣性系から見れば常に移動しているけれども、時間の流れに沿っている人間視点では地球上の固定地点となる時間と位置をリアルタイムに補正しているのであって、多大な過去や未来や遠方などへの移動は予想外の、たとえば彗星や隕石、他の恒星など予測不可能な要因で起こる、たとえば自転公転や軌道、太陽系自体の位置などのぶれなどにより、補正機能の能力の限界を超えてしまって、宇宙空間ならまだしも、たとえば確率は低いもののマントルだったり太陽の中だったりにつなげる可能性を、幸いにもタイムマシンは四次元空間に設けた外部装置により高度な処理を行うことにより、例えばある標準位置を制定し、継続的にプローブし、データを蓄積することによって、致命的な補正ミスを回避することに概ね成功しているが、同様の原理によりワープを行うもののハンディタイプのためにそのような大掛かりな四次元外部装置を持たないために予め安全の確認された時代地域にのみ移動が可能であるように制限されたどこでもドアとは違い、幾らかの制限下では冒険的移動が可能であるという特徴をタイムマシンは持つが、どこでもドアでは移動できないヶ所へタイムマシンで移動できるかどうかは事前の調査が必要であり、その移動にはそれなりのリスクが伴うことを理解しておくべきである。
横。
>正直いじめに関しては、心配はしてくれても学校の先生ってアテにならないことが多い。
そうなんだと思う。でもそこそれで話終わって良い部分か?
水戸黄門の印籠や四次元ポケットは先生にはないよ。無理だよ。たかが一教師にいじめを解決できるスーパーなパワーはないよたぶん。
でもいじめに対して全く関心のない先生か増田の娘を心配してくれる先生かの違いは大きくないか?
アテになるかならないかは話し合った後で判断しても良いんじゃないか?それとも始めから全く期待しない方が良いのか?
>自分も尊敬できた先生は居たんだけれど、いじめを解決してくれた先生は居ない。
一般化(に感じた)イクナイ
存在はしてるね。
ずっと頭の中でイメージ練ってたけど結局できなかった。できたら粘土で模型作るつもりだったけど駄目だった。
大元増田の問題ぐぐって解法いくつか見たけど、やっぱ自分には難しい。
一番分かりやすかった解説見て考えたんだけど、鈍角持ちだと、三角形二つ合わせてそれっぽい平行四辺形作るときに一パターンしかなくて、しかも 180度で開ききってる時点で既に対角線がもう一個の対角線(三角形の辺くっつけたとこ)より短くなっちゃうから、折り曲げようがどうしようがベストポジションは見つからないって結論になった。四次元とかになると案外できちゃったりするのかな。