kogemayo氏は個人の精神的自由を原理として掲げて、ロリペドだろうがなんだろうが個人の自由だしそのための不都合は社会が保障すべきって立場らしい。
だがこれはリベラリズムではなく、リバタリアニズムの自由原理と、リベラリズムの社会保障をどっちも欲しいという話で、まあそりゃ実に都合のいい話ではある。
しかしリベラリズムのいう「社会」というのは四次元ポケットを持ったドラえもんではなく、結局個々人が合意のもとに構成するものなので、税金を集めて公的機関を作って、というある程度の「個人の自由制限」が前提となる。
したがってkogemayo氏の論は成立しないわけ。