はてなキーワード: 告白とは
好きだった女の子と花火に行って楽しかったけど、告白しようと思ってた夏の終わりに先輩にとられて、初めての体験も仄めかされて脳破壊されて、10年くらい心が壊れてたから、花火とか行かない方が良いよ
【追記】
お昼休みに見にきたら思ったよりコメントついてて笑った。お胸の話すきねぇ。
つーかさー、やっぱりそうだよね、胸の話を家族にするのも、兄のことを言及してる私の思考も変だよね?
でも察して欲しい。娘の胸を平気で貧乳だの言う倫理観の家に育ってるわけ。普通の感覚してたら匿名SNSだろうとこんな投稿せんのよ。
父親が「成長してきた」とか言って胸突いてきたり、年頃の娘がいるのに全裸で風呂出てくるのを母にお願いしないとやめてくれなかったり。小さい頃は私も兄も起きてて親に構って欲しいと布団潜り込んでるのにセックスやめなかったりとかダメな家なの。大人になってやっと理解したけど、リアルじゃ誰にも言えんくて苦しい。
小さい頃からその環境だとどこまでがおかしいのかわかんなくて、高校の時に父親にセクハラされた話とか外でしたらドン引きされて。外じゃ吐き出せなくてここよ。
カウンセリングにもいってみたけど、いざ行くと「人に言ったらいけない」って頭いっぱいになって言えない。関係ない話して「多分自分でどうにかなる話なんですけど」って言っちゃう。紙に書き出したけど渡せなくて。自分がおかしいのか周りがおかしいのかわかんなくて。
だから、こういうところで否定されると安心するわ。ダメな思考だ。知ってる知ってる。
童貞喪失は兄が某掲示板に「安価で告白する」ってスレ立てたことがあって、そこに書いてあった。特定した経緯は私にまで安価行動してきたから。前から「妹が〇〇してたw」って盗撮した画像をSNSにあげるのを消させるって出来事があって、寝てたら急に変なこと言うから調べたら速攻出てきたわ。性的なのはないけど、ネタ画像は勝手にあげるんだよね。腹立つわ。
風俗はね、兄が家族との大喧嘩ののちに、まあまあでかい事故にあってしまったために実家の兄の部屋からお薬手帳とか探さないといけなくなったとき。
最初は本当に温泉のポイントカードだと思ってて、親が「お兄ちゃん、スパでリフレッシュしてるって言ってたね…ちゃんと話聞いてあげれば良かった…」ってしんみりしてたんだけど、なんか違和感あってよく見たら風俗。あわあわランドは擬態下手くそでバレそうだったから即回収。
ちなみに喧嘩の原因は兄が家からお金ちょろまかしたこと。ちょろまかした時期とポイントカード裏の日付が近くてな…。PS4の横に鎮座する据え置きオナホを隠しながらどつき倒すか悩んだ。本人曰く風俗には使ってないらしいけど。つーか、大事な書類と風俗のポイントカード一緒すんな。
家も自分も感覚変なのわかってよかったわ。ただ吐き出し先がないんでね、これからも増田で吐き出させてもらうよ。
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私、Dカップなの
親と兄に貧乳だ、Aカップだと言われ続け、学生の時は何も考えずにAカップのブラを買ってたが、独り立ちしてからちゃんと測ったらDカップだったの
正直、貧乳って家族に言われるの嫌だったから、私はDだからもう貧乳って言うなよ伝えたくて
親に言ったら、だからどうした最初から調べなよと言われ(お前がAカップなんだからAカップのブラを買えと言っただろ)
兄に言ったら、お前のそのサイズでDはないwwww間違ってない?と言われた
親はね、若干のネグレクトあるからどうしようもない。教えてないことを常識だから知ってるだろって言い出す人たちだから仕方ないとして。
兄がさあ。
童貞じゃないのよ、大学生の時に彼女いたし、童貞捨てた瞬間彼女の家こもって帰ってこなかったし。
部屋に「大人の温泉倶楽部」とか「あわあわランド」とか風俗店のポイントカード(お姉さんのコメント入り)あったし。
二次元好きすぎてリアルな胸のサイズ感狂ってるんだろうけど、生身の女を知っててもなおわからんか。お前何カップの女なら貧乳じゃないって言うんだと。
今まで、いろんな批評を十数個読んでみたが、どれもこれも、やれハヤオがどうだとか、やれ鳥は鈴木Pだとか。もちろん観点としてはありだけど、そればっかりだと飽き飽きするし、映像とストーリーの力がそれほどにもない映画なのかと思ってしまう。
先ず塊から始めよということで、拙い感想を書く。文章の組み立て方とかわかんないから箇条書きだけど。
・夏子、女すぎる。まず馬車から降りるときにいい匂いした。夏子の腹を触らされた時の眞人の「ざわっ」って感じ、嫌悪感・忌避感がリアルだった。
・異界で夏子のことを「好きなの?」と聞かれ、眞人が「父の好きな人だ」って答えるの、「眞人が夏子のこと好きだからだろ」みたいな意見も見たが、違うだろう。
夏子はまだ「異性」だったのだ。母ではなく、女だった。好きとかではなく、母性よりも女性性が強く感じられていたからこそ、そういう受け答えになったのだと思う。
・だからこそ、産屋での「母さん!」という一種べたな呼びかけが、効いてくる。最初は「え、こんな“家族”の象徴としての母親呼びなんてベタで陳腐じゃね?」と思ったが、眞人が夏子の、異性性よりも母性を受け入れることにした、という意思表示なのだから、言う必要があった。「どこでそんな絆深まったん?」と思ったが、「これから家族としての絆を深める意志がある」という宣言だったのだ。
・眞人の悪意、すご!! 同級生からいじめられ、石で自分の頭から半端ねえ血を流すんだけど、あれ自分でやった傷なのに血出すぎでしょ。あそこで「うえ~ん、同級生にこんなことされたよお」っていうんじゃなくて「転んだ」というところ、テクニカルすぎる。
そういわれたら、同級生の罪が重くなるだけでなく、父親の激高もより深くなるし、夏子も「信用されていない。だから本当のことを言ってくれない」という無力感を強くするだろう。
眞人の悪意、すご!!! どろっどろの悪意だ。そりゃ夏子も「あなたなんか嫌い!」っていうよ。
・だから「自分の傷は悪意で汚れている」と眞人がいったとき、「こいつ、言いおった!!!」と思った。個人的にはこの「告解」が映画のハイライトだった。眞人がこの告白をできたこと、それがこの旅の意味だった。
・焼死した人間が火の使い手になるの、普通にえぐくない?ラストで「火は怖くないわ!」とかいって、「自分は死ぬが、それでもあなたを生むことを選ぶ」という強烈な「子の」生の肯定もグロくない? 「まあ最後は焼死してもそこそこいい人生だったもんな」って自分の人生を肯定してヒミが現世に戻るならいいんだけど、「あなたを生むんだもの」って。生むことがヒミの人生の第一義かい!ってなる
▼びっくりしたブコメ
中世西洋美術の静物画では暗喩が散りばめられてるので宗教的意味や心理的発露を読み取るのは普通だと思うけど、ここまで叩かれてる意味がわからない。作者に確認しない深読みが悪であるなら岡田斗司夫も垢消しになる
いや、例に出すなら他にもいい人いただろうに印籠のように岡田斗司夫の名を出すのあまりにも無知すぎるし、あまりいただけないです。岡田斗司夫がどうやら深読みレビューでちょいちょい制作側から揶揄されてる困ったおっさんぐらいの男だと思われており、あまりに彼の過去について問われなさすぎていてびっくりしてます。
以下の記事を読んでいただけると彼がどういった男なのかわかってもらえるかと
岡田斗司夫氏、仰天愛人リストで炎上 格付け、寸評も 教え子も?
https://www.zakzak.co.jp/smp/entertainment/ent-news/news/20150123/enn1501231520013-s.htm
最近また宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」の動画で再生数を稼いでいるみたいですが、そういった動画を見ている層は果たして彼の過去について何か知っているのか、あまりにも岡田斗司夫がカジュアルに取り上げられすぎているなと思い増田に書きました。ジャニーズの性被害について未だに問題が冷めませんが、私は彼が未だに取り上げられていることに同根の問題を感じずにはいられません。
<40過ぎたら「年下のほぼ全員からキモいと思われてる」と常に意識して生きていないと大事故が起こる>
このツイートのきっかけは、同世代の女性Aさん(40代)が職場の男性B君(30代)に告白をして、後日断られたというエピソードだ。
B君は物腰の柔らかなおとなしい男性で、何度か2人で飲んだことがあるという。会社の飲み会の帰り道、2人で歩いている途中でふいにB君を抱きしめ、「好きです」と告白した。
90年代のトレンディドラマだったら、ここで小田和正のイントロが流れるところだが、B君は困ったように笑ったままだった。キスしてもいいか聞いてみたところ、「ダメです」と笑顔で断られたそうだ。
後日、改めてB君を飲みに誘ったところ、「Aさんのことは女性ではなくあくまで頼れる先輩として見ていたので、あの時は動揺したし正直引きました」とLINEで怒られたという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c61176e7790bc6c82f946839a76a5844cb3008eb
芸術家としての宮崎駿、経営者としての宮崎駿、父としての宮崎駿、そして乙女としての宮崎駿。
時計の商人に影を盗まれたのは、加齢により才能が枯れつつあることを示唆してる。
蓬萊島で八仙から魂を余分に1つ貰ったことで命こそ助かったが、影=才能は元の魂に紐付いてるので回収されてしまった。
空からたくさん蛇口が生えてくるシーンで一本だけ赤い水が流れてきたが、あれは血ではなく絵の具だと思う。赤い絵の具の欠如が八仙達を怒らせたことを踏まえると、そう考えないと辻褄が合わない。
雷様におへそを取られる=へその緒が切られる=母親との繋がりが切れるというメタファーは分かりやすいけど、雷は空気中の窒素を酸素と結びつけて稲に穂を実らせるという側面も持つ。つまり男根のメタファーでもある。この辺は宮崎駿のエディプスコンプレックスを露骨に告白していてかなり攻めてるなと思った。
謎の女神が勝手に願いをかなえて女になってしまい、挙句にチャームの呪いのせいで、幼馴染の男と異世界でいい感じになりそうになってしまう
っていう展開のとこまではまあ、まぁいんだけど
なんかな。主人公の性格がややウザっていうか、普通に元からナヨい性格だったけど、女になってからなんか普通に厄介な女ポジションになって
おまけに幼馴染が普通に何でもできるイケメンで強くてそれにほぼ完全に惚れてる(本人認めてないだけ)ってのがなんかダメだな
サイゲのネットコミックだからジャンルはないんだろうけど、中身としてはどうも女性向けなろうの、厄介女が主人公の逆ハー作品とどう違うのって気がしてくる。
幼馴染が男女関係なく協力的で、挙句にお互い惚れてるのに認めたがらないって、ギャグとして面白いんだけど、なんか設定だけの一発屋だなって。
あとなんか主人公メンヘラ一歩手前で、仲間の男がそんな状況にかかわらずとにかく協力的ってのが、理解のある彼くん漫画見たいでひたすら気持ち悪いわ
都合よすぎるわ。
ほんと、なろうによくある、表層では「なんでか知らんけど助けてくれる優しい男」って女主人公は認識してるけど、当然単に親切ってわけじゃなくて惚れてるだけっていう、でも女も本当は「こいつ私に惚れてんな」って認識してて無茶苦茶な要求してくる糞女主人公みたいで気持ち悪いんだわ。ていうか、これって「向こうは惚れてるけど、こっちはそれを気づかないふりして向こうが貢物捧げてくれるのを待ってて、でも向こうが本格的に告白してきたら『ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんです』ってキープ解除する糞女」そのまんまっすよね
マジであの主人公痛い目見て死ぬなりなんなりしてくんないかな。ていうかそんな状況になっても神宮寺が助けに来るんだろうから厄介だよな。
もういっそ神宮寺側が女だったらよかったのでは。
ていうか、元から女っぽいキャラが女体化しても魅力湧かないんだよね普通に。TSってもともと男っぽいキャラが女になってそこのギャップで面白さが出るもんなんじゃないの?まあこれは作品によりけりだな。
たくさん読んでくれて嬉しい。元は友人とのTwitterDMが下書きになっていて雑な文章だから申し訳ない。なので以下、こちらの意図が伝わってないコメントに返す。
・この物語の各パーツ・キャラを現状のジブリのメタファとする解釈はこの児童文学作品を矮小化していると思う。あまり好きではない
→全く同意見で、書いた通り普段はテクスト的に解釈するのが好きです。矮小化されてしまってるのもそうなので、これだけが「正解」だとは微塵も思ってないし書いた通り自信はない。今回は宮崎駿の最後の作品、って思いが自分に強すぎて作家周辺の解釈がまず出たのだと自己分析している。作品そのものの解釈は海燕さん他書いているのがよかった。
→お前みたいなやつがいちばんダメ。観ろ。観ずになるほどすんな。
・一般向けではないというけど、次世代へのバトンや家族の話って極めて普遍的で、ジブリや宮崎駿のことを知らなくとも皆それぞれ自分の物語を重ね合わせて見ることができる作品だと思うよ
→この辺りは宮崎駿は自己言及と普遍的テーマを重ねて両輪でやっている気はする。
・あの作品の登場人物を実在のジブリ周りの人物に置き換える読み方はわかるけど非常に下品だと思っているので、する人を否定はしないけど、それが正解だと言って押しつけたりする風潮にならなきゃいいなと思っている。
→おおむね同意見で、自分もホッテントリに上がったことが押し付け風潮の一助になるのは避けたい。作家論は作家論でしかないし、それは基本的に狭い解釈になってしまうから、「正解」ではない。ただ言葉遣いとして、この人が作家論を「下品」としているのは、なんというか令和だなぁと思った。
前半はまぁ、とりあえず置いておいた撒き餌みたいな稚拙な解釈なので、「正解」ではありません。(一貫性の形成願望をとりあえず満たしておくために書いた、と思って欲しい)
むしろ、この作品は唯一解を求めたがることも含めた後知恵的な意味よりも、もっとプリミティブな意味を伝えようとする作品だと思います。だから自分の感想の本質は後半です。そこのところ言葉足らずだったみたい。
追記ここまで
初日に見に行って、いろいろ考えつつ見たが、たぶんほとんどの人が「意味わからん(けどジブリっぽくて面白い!)」ってなるやつだと思ったので、自分なりの考えを書いてみる。ちなみに全然自信はない(その理由は最後に書く)
見た人の多くは、ラストにかけてのメインストーリーラインがよくわかんねえとなると思うけど、同時に物語にいくつもの象徴や比喩が込められていることも、なんとなく察すると思う。
個人的な結論を先に書く。(自分は普段はテクスト論的に物語を読むのが好きなのだが、作家論としてこの作品が見えた。)
まず、内容で感じたのはセルフオマージュの多さ。「紅の豚」の死出の飛行機葬列が海の船になったり、ハウルの泥の人形が殺生できない住人になったり。老人の描き方はジブリの各種キャラを思わせたり。
オマージュ元には特にトトロが印象に残るように思って、抜け道や森から出た暗がりの風とか、ワラワラとか、宮崎駿はトトロ気に入ってたんやなと思わせた。まあワラワラは鈴木敏夫の入れ知恵な気もするし、観客へのサービスって感じかな。
そしてここから感じたのは、宮崎駿の人生が細かく千切られ散りばめられてるということ。
ていうことで、物語の根幹と宮崎駿の人生に準えてラストで明かされる物語の根幹をよんでみる。やっぱりラストについては大事だよな。
結論から書けば、空から降ってきた大岩は宮崎駿の才能、ギフト。宮崎駿は大叔父でありあの世界は宮崎駿によって作られた作品の集合でジブリそのもの。その血を引く主人公は宮崎吾朗や孫だと思われる。ただし、内面は宮崎駿が投影されていて二重のモデルがいる主人公になっている。駿はジブリを継いで欲しかったが、吾郎は拒否した。ジブリは駿の引退宣言とともに崩壊して、皆それぞれの暮らしにもどった。端的に言えば、それら経緯への駿の内面の告白、なんだと思う。つまり、スタジオジブリ(と駿)のために作られた物語なんだと思っている。
昔。降って湧いた才能に取り込まれた駿は、作品の世界から出なくなった(家庭を顧みなかったりしたんだろう)。そして世界の創造に励み、海や森の美しいファンタジー世界と、ユーモラスで残酷な鳥に代表される多くの愛すべきキャラクターを生み出した。
時々挟まれた、大岩が怒ってるとか。あれは才能から来る作品へのこだわり、そこから発される憤怒なんだろうな。時々駿キレてたし。
ただ、老いてきた。積み木を重ねられなくなった。積み木を安定させることも苦労するようになった。だからこの世界・ジブリの後継者を探して、館に主人公ら血族を引き寄せ始めた。(この辺りの傍迷惑さについての自覚が、人生を総括し始めた老境の駿らしい感じがする)
関係ないけど、インコの王は唯一宮崎駿に謁見できて最後に世界ぶっ壊したし、たぶん鈴木敏夫なんだろうなと思う笑
そして物語のラストで吾郎はジブリを継ぐのを拒否し、焦ってしゃしゃり出た鈴木敏夫がぶっ壊してジブリは崩壊した。でもそれを受け入れて?(この表現は適切じゃないかも。ただ眺めて?)老兵は去る、ってことを、ラストで宮崎駿は表したかったのだと思う。
総じて、人生全体を眺めて、ある程度中立的に感情も整理しながら、比喩的な物語と人物に落とし込んだ。そして達人のアニメーションで、それが分からなくとも万人が楽しめる2時間にした。
主人公が、みずから頭を傷つけて、それを最後の最後に告白し、汚れているから自分は継げないとジブリ世襲を拒否するシーン。
あれはなんかほんとに個人的な事件が、駿や吾郎にあるんかなて感じもするけど。いずれにせよ、今まで子どもをイノセントに描いた宮崎駿が、この主人公にはドロドロしたものを罪悪感と共に植え付けているのは、自身や自分の子どもみたいな、客観的に見られないし理想化もできない存在としてマヒトを描いているんだと思う。そしてそれが「真の人」って名前なのが、正直な曝け出しなのかなって感じさせる。
でもここは、ちょっと未整理。
まあたぶんに一義的な狭苦しい解釈なんやけど、とりあえずここまでは言語化できた。
ただ、ここまでこうして書いた考察について、正直自信がないというか、こうして作品が言語化されることを拒否している作品である、ということことを、作品を見ている最中からずっと感じてきていた。
子供のころからジブリ作品を見て、宮崎駿のひねくれた人物像も知ってるから、この作品は明らかに異質だとわかる。観客へのサービス(配慮)が欠けている。
はっきり言って、一般向けではない。大衆、子供に映画を作ってきた宮崎駿やジブリは、今までこんな映画を作ったことがない。上記のような一応に意味の通る解釈を自力でできる人間はとりあえずいいが、そういうことをしない人が圧倒的多数で、それが大衆なのだ。だから、今回のような、作品の展開の速さや密度、抽象度の高い映画は、一般向けとは言えない。自分が見た初日夕方の回は平日なのにほぼ満員で、しかし上映終了後のほぼ全員がタヌキに化かされたような顔をみんなしていたぞ。(正直自分もそんな気持ちだったので笑えた)
しかし、ここでそれを鑑みても面白いのが、この作品の「面白さ」は皆が感じているらしいということだ。
そして、これと同時に、自分のような批評する目線で映画を見る者は、それはそれで大衆客と別な側面で拒まれている気がした。何か見る者の賢しい批評を拒んでいるように感じた。
以下に、その理由を書く。自分の感想としての本質はむしろこっちだ。言語化しづらいのだが、見た人にはなんとか伝わるように書くと
となる。
例えば、食事のほおばり方。たとえば、黙ってうつむく表情。たとえば、真人がうそをつくときの顔。みんな圧倒的に生き物らしい。生命力を感じる。みんないびつで、あいくるしい。(カワンゴがお説教されたアレとは本当に真逆な、きわめて何か、生命に対する賛美を感じます)
これらすべてが、芝居をしている。客に直接的な理解を与える。この人物の感情や、物語における人物の立ち位置(正しい方向かどうか)など。あらゆる情報を、言語での理解を超越して、身体的・ダイレクトに観客へ伝わる。
作劇のうまさや間の取り方、ちょっとした身のこなしや振る舞いの描き方。それらすべてがアニメーションなのに自然で、本当にほれぼれする。達人のアニメーションは今でも健在だし、それはスタジオポロックみたいなのにもマネできてない駿の達人技だと思う。
で、それらの生理的な表現が今作で上げる最大の効果は「生理的な感覚として、見る者に言語の範囲外で意味を伝える」ことだと思う。
(自分は新海誠の映画が昔から好きなのだが、新海誠が「星を追う子ども」でやりたがって、でも全然できなかったようなことを、中盤くらいまでで軽々と全部やり尽くして、更に塗り替えていったような印象が途中した。)
はっきり言って、中盤以降は物語のテンポが速すぎて情報量も多すぎて、物語が何を表現しているのかまったくわからないし考える余裕もなく、何もかもを押し付けられていくだけのように感じるのだが、いち観客として言えば、作劇がうますぎてずっと楽しくて画面にずっと惹き寄せられたままで、一ミリの退屈もなく最後まで面白かった。作品が何を言いたいのか理解できねぇのにコレなのまじ意味わかんねぇ。ユーモアと人物の芝居とテンポと心地よさとその他あらゆる作劇でずっと作品世界へ惹き寄せ続けるの、冷静に考えてすごすぎる。
理解として言えば、言語の範囲外で生理的に伝わってこようとする情報が、最速で理解できる。だから理性で作品に好悪を判断つけたくても、生理的な理解が先に面白さを伝えていて、判断を保留し、物語が表す「意味」が分からない気持ち悪さをいったんわきに置く(打ち消す、わけではないのもポイント)
たまたま映画見る前に考えてたのが、美輪明宏のモロの演技や紅白のヨイトマケの唄なんだけど、あれもなんか、生理的に分からされる凄みがあるよな。あれと同質の、生理に訴えかけてくる理解が、この作品の全体にあった。
だから意味深がセリフが物語上の「意味」として理解できなくても、なんとなくわかっちゃうわけ。ああ、「そういうふうに」感じてるんだなぁ、って。
自分が書いたものも含め、なんか色々考察とか出てくると思うんだけど、この作品に関して自分はもうそんなのに大した意味を感じていない。いや言葉で説明することは俺も試みたと思うんだけど、そういった理解や「意味」は後からやってくるものであって、それより先にあるこの一次的な身体的感触の強さが、現在進行する映画鑑賞の今、圧倒的な作品だった。肌感覚で腹の底から湧き上がる力強さは、言語的理解を拒否して圧倒する。そんなプリミティブさ。
プリミティブな、といえばものすごく情報量が少ないように感じられるかもしれないけれど、ただそこで言う「情報量」ってつまりキロバイト的な情報の多寡でしかなくて、生理的な質感や圧倒的な情報の圧が含まれてない。この作品はそういった生理的な質感や圧、すごみをもってして最後まで観客をエンターテインする作品だった。面白さが言語の範囲外で生理的に伝わってこようとするんだよな。
「語り得ないことに関しては、沈黙せねばならない」という言葉があるけれど、宮崎駿は言語で語りえないことを語れる。対して、自分たち観客は語れないが、しかし生理的に理解している。
自分が最初の考察に意味を感じない、といったのは、考察の当たり外れよりも「こんな小賢しい考察なんぞしてんじゃねー」的なギルティ感覚がするからだ。賢しらぶってることが怒られそう。それこそ、宮崎駿に叱られるカワンゴみたいな、「意味」や思考の中だけに生きて現実に生きる生命を見ようとしていないと叱られている気が(これは完全に自分の勝手な感覚なのだが)する。強いて言えばそれが、本作のタイトルのごとく自分に突き付けられたお説教だったかもしれない。
一般には訳が分からなくてもいいし、読み解く材料も与えないし、理解されなくても面白くしなんか感覚的には伝わるでしょ?みたいな感じが、ただ壁を感じるし、見る人は選ぶと思う。ジブリ作品に壁を作ったことって今まであんまりないと思うんだけど、たぶん風立ちぬで少しやって、「あ、好きにやってもいいんだ」みたいなのを、それこそ庵野秀明とエヴァから知ったんじゃねーかwみたいな気もしていて、そして老境にさしかかりジブリの崩壊を見ながら、いろいろなことを感じ考えながら職人芸ですべて盛り込んだのが今回の作品なんだと思った。だから、一部の人の批評や感想、特に老人の走馬灯とかボケたとかみたいなのには全く賛成できない。
金だろうが告白だろうが一緒だよ
オッサン(というかチョイ年上の経験豊富な男性)が羽振りよくスマートにアプローチしてる横で、モテない男が「女はアプローチされるのを待つな!女から男にアプローチするようにしろ!」と騒いだところで、
いやいや価値観っていうのはさ、「こうあるべき」って理想で決まるわけじゃなくて時代的、制度的、物理的要請に基づいて、なし崩し的に決まってしまうものなんだよ
たとえば就活を考えてみろよ
一昔前は採用側が強くて、応募側が弱い買い手市場だったから圧迫面接や内定取り消しがまかり通っていた
でも今では少子化による空前の人手不足で圧倒的に応募側が強い超売り手市場になったので、圧迫面接なんて完全に消えたし、応募側が企業に対して強気に出るのが当たり前になった
翻って男女の話になるが、恋愛市場においては(若い)女が圧倒的に強い
なぜなら統計にもあるように、女の場合20代の女は20代の男を望むが、男は20代も30代も40代も50代もそのまた上も、全ての世代において20代の女を望むからだ
仮に全ての世代が一定数だと仮定しても、20代の女を1とするとそれを望む男の数は20代~70代で6になる
実際には少子高齢化で若い女の数より老若男の数が異常に多いのでとんでもない倍率になっているのが現状だ
このように(若い)女が圧倒的に強い市場において、「女が男に告白する価値観にした方がいい!」と理想論を唱えたところで何の役にも立たない
かつての就活現場において、圧迫面接はやめましょうと唱えたところで何の意味もなかったのと同じことだ
世迷い事を言う前に現実をみろ
でもそれは「告白は男からするべき!」と思ってるからとかではない。んなもん結局最後には乳くりあうんだから(下品でごめんなさい)、他人の告白事情についてはどっちでもいいだろ派ではある。
もしかしたら、相手は告白されたら嫌かもしれないと思うから、自分から好きですと言うことができない。
私がめちゃくちゃ好きだ〜!と思ってる人がいて、その人と何度かご飯行ったり映画見たりして、あーこの人もたぶん私の事好きなんだろうな、たぶん私たち同じ気持ちで今2人で出かけてるんだろうな、とかなんとなく思うんだけど、でも絶対に自分から言えない。
もし、私の予測が外れていて、私が告白することによってこの、私がとっても大好きな人に嫌な思いをさせてしまったら?と思って、恋愛的に「好きです」と言うことができない。実際、この予測はときどき外れる。「この人私の事好きじゃなかったんだ!?」と「この人私の事好きだったんだ!?」の両方のハズレが今まで観測されたので、あんまり信用ならないと思ってる。
人として友人として好きです、とか、あなたのこういう所はとても好感が持てます、みたいなことは言える。むしろ、私はそういう事を躊躇いなく口にするタイプだと思う。
なんとなく、昔から全然関わりのない人に一方的に好意を向けられたりとか、ややストーカーされそうになったりとか、距離感がおかしい人に絡まれることが多かったから、自分がそうなってないか怖い。私が不快な思いをさせられた彼らみたいに、私がなってないかどうかが自分では分からなくて怖い。
もし私がそういう化け物になってたら友人、教えてくれ。
男も普通に告白されてる。小中は女子がませているので告白は女子からが多い。大人になるといきなり告白はなく徐々に仲良くなり付き合う。コミュニケーションの先にお互い惹かれ合うので。会話のきっかけは女性が作ることが多い。若くして結婚してるカップルはだいたい女性がプロポーズに持ち込んでる
ある時期男は顔じゃないって友人に主張しまくった
友人は皆「やっぱり誰も相手にしないようなのは、中身もダメなんだよ」と言い張った
一人と別れたらまた次、分かれたらまた次と、一人一人のブサイクと本気で向き合った
恋というものは、付き合ってみていいところが見えてきたら生まれていくと甘く見てた
「私と付き合ってくれないかな」と告白すると、返事は「ばかじゃねーの?」って言うやつと「オレのこと好きなの?なんで?なんで?」系が多かった
ばかじゃねーの?って言ってたやつも、直後「付き合ってあげてもいいよ」みたいなOKの言葉を吐いてくれた
まずデブ、「太ってたって頭の中身とは関係ないでしょ、誰にも迷惑かけないじゃない」という私の思いはすぐに裏切られた
「俺って恰幅がいいってよく言われるんだよね、強そう?あいつ見てよガリガリ ぶつかったらふっ飛んじゃうよ」
「女は細くないとね、○○ちゃんちょっとウエスト締めたら?ご飯半分貰おうか?」
体型なんて問題ないと言っていた私の体型をデブに文句付けられるなんて
ずっとそんな感じでいちいちイラっとするような言動をする人だったので数日で別れた
別れた後「え、まだ何もしてないのに」って言葉に耳を疑った
それはそうと、他のデブも試してみなければ
「俺の逞しい体に惚れたの?」
やっぱりデブは自分を逞しいと思ってるのかな、そう思いつつ肯定
「○○ちゃん、野菜も食べなきゃ」とたこ焼きを食べてる私にポテトチップスを差し出す
「バカだなあ、これはポ・テ・トじゃがいもだよ~その抜けたところがかわいいんだけどね」
まあジャガイモでもいいけど、といいつつポテトチップスに手を伸ばした次の瞬間、デブは私のたこ焼きにマイマヨネーズをたこ焼きの体積以上ぶちまけた
私が人に迷惑をかけないと信じてたデブが、今私の昼食を台無しにし、私を太らせようとしている
でも、これはやさしさなんだと思い込もうとした
ごめんね、と謝られてその後残りのたこ焼き入りマヨネーズを平らげてくれた
ウオオと焦って皿をガードする私の腕にマヨネーズ
一日でマヨネーズかけるなって言う事を忘れた上、勝手に他人の食べ物にマヨネーズ、私の腕にもマヨネーズ
怒りが爆発しないように下を向いて心を落ち着け
「忘れただけかもしれない、もう一度言えばいいさ」と思い、正面を向いた私の前には食べる気を失った私のスパゲッティを抱えて食べてるデブが居た
次のデブへ
それから何度かデブと付き合ったが、「デブがコンプレックスで痩せたいとウジウジする割りに、解決方法をアドバイスすると言い訳をするやつ」
「逞しいということに自信持ちすぎてるやつ」「デブだけどこれでいいんだという自然体のやつ」が居た性格的には「他人の食べ物と自分の食べ物の境がないやつ」が非常に多く、「自分の味覚をみんなの味覚だと思うやつ」も多く、他人の食べ物なのに、分けてもらうことを前提に選ばせたり、勝手に調味料をかけたりするやつも居た
「自信を持っているデブ=ずうずうしい」の図式もできてきた
後は「彼女は痩せていてほしい」と体型上の要望が強いやつが殆どだった、面倒なのは「痩せていて欲しいが、自分と同じように食ってくれ」バカ?普段以上に食えば太るわ
こんな理不尽な願望もずいぶんと投げかけられた
私はデブはおおらかで優しい人が多く、デブだからもてない、デブだから付き合いたくないというのはただの偏見だという考えを捨てるしかなかった
そして次にブサイク、「顔が悪くても、人の好みなんてそれぞれでしょ。キモがられてる人だって普通と変わらないはず、あんたたちがいじめっ子なのよ」という主張をしてきた私だが
一般的な好みで言うブサイクでなければ意味がないので、何人かにキモイ男を挙げてもらったりして選んでいった
私の知人からしたら「自分がキモイと言った人と○○が付き合ってる・・・私あの子の好きな人の悪口言っちゃった」と不安に思ったのか
それもブサイク6人目くらいまでの話だが
それはさておき、告白してみた「私と付き合ってください」
今回は個々のケースは書かず、大まかにまとめてみる
何故か酷くあわてだす人が多かったが「え?ウン」「・・・(頷くだけ)」も多かった
「今日はいい?」「そろそろいい?」「俺のこと好きなんだよね、やりたい?」「どんなエッチが好きなの?」「2人の記念すべき日はいつだろうね」「いつやれるの?」
キモがられてても、普通とかわらない、その先入観は間違いだった
コミュニケーションがろくに取れない、二言目には下系か、じろじろ私を品定めしてくるだけだ
元から親しかったわけじゃないから徐々に親しくなっていって、恋が芽生えたらセッ○スって言う普通のルートを通ってくれない
付き合うまでに親しくなり、チャンスがあればと狙い続け、付き合う前にやってしまった人も居る
普通の会話もし、仕事や勉強の話もし、おいしい食事を食べ、徐々に距離を縮める
それが出来ない
それはきっと、私が付き合ってくれと言ったから、期待が膨らんだんだと
自分を反省し、真面目に「今まで話したこと無かったし、少しずつ進んで行きたいんだ」「まだお互いよく知らないから」と説明した
8割のブサイクが、とたんに不機嫌になった
半分はその後ロクに口を利いてくれず、かと言って「別れるしかないのかな?」と言うと別れたくは無いらしい
うち一人は「別れる前にすることがあるだろう」だそうだ
別の数人目のブサイクは「別れなくてもいい方法があるんじゃないの?」らしい
そうだ、別れなくても、歩み寄ってくれ、距離を縮めていけたら別れなくて済むはず
数人目でそう確信した私は、それ以後は「まだやらない」と説明した後不機嫌になるブサイクに対し、仲を進展させるため、親密になるため距離を縮めようと
友人を紹介したり、いろんなところへ誘って頑張った
すると、男友達を紹介すると、「あいつ馬鹿そう」「偉そう」「男とちゃらちゃら遊んでるの?」
女を紹介すると「あの子はすぐやれるの?」「あの子俺の事見てたよね」
「飲みに行く時に誰か誘おう」と持ちかけると、ブサイクが指名するのは全て女
実際飲み屋で、キャバレーのように周りは全て女で、ブサイクが一人真ん中に居るような光景になることもあった
逆に友人を紹介してもらうと、その友人は女友達を呼べと騒ぎ暴れ
上から私の服を覗く、彼氏のブサイクは見せ付けるようにスキンシップを求めてくる
うんざりした
「まだやらない」宣言の後、不機嫌にならないブサイクはどうだったか
結局誰とも会話は続くようにならなかった人を紹介しても話さない、2人で居てもジロジロ見てくるだけメールでは細かいところをチクチクと褒めたりけなしたり
「今日耳に毛がでてたよ」「昨日眉毛整えたんだね、まぶたの上の毛がなくなってた」
「やっぱり無理みたい」と振られたこともあった
結局誰とも長続きしなかった
ブサイクは今まで付き合ってきたどの普通の男とも根本的に違ってた
友人達からの「男の趣味が悪い」というレッテルと、数人のストーカーが私に残された
友人に「だまされちゃった、デブはおおらかじゃなかったし、やさしくもなかったよ、選ばれたブサイク達はどう贔屓目に見ても普通の男とは違う常識の中で生きてたよ」と泣きつくと
「だから言ったでしょ」と優しく抱きしめてくれた