はてなキーワード: 卒業式とは
高校卒業したての18才女。先週卒業式で、ちょうどきのう、半年くらい気になってた同じクラスの男の子をデートに誘ってみて、悪くない感じの返事が来た。
きょう学校で有志が集まって大掃除してて、その彼の下駄箱も掃除してたら枯れてる花束が出てきた。おそらく卒業式後のサッカー部の集まりでもらったであろうやつ。別にもらったものをどうしようが人の勝手だけどなんか悲しかった。優しい人だと思ってたし、いいところもたくさん知ってるけどそんなことするんだって思った。
だから遠回しにデートはやめておこうって言った。もう卒業して進路も別々だからこれを逃したら会わないと思うけど。伝わってるといいな。
いままで女子の前でDカップが好きって言ってたのも、まあ年頃の男の子だし仕方ないかって、ほんとは心のなかで幻滅してたけど隠してきたし、卒業式の夜の打ち上げのあとにわたしに告白してくれるって噂も聞いてたから実は期待してたのに男の子達で群れてペットショップに入っちゃうし、なにが言いたいかって結局私が頭のなかで彼のことを美化しすぎて期待しすぎるからこんなことになるんだろう。人間期待しないが吉。きっとこれから先もっと素敵な人に出会えるだろうって思って勉強がんばる。
あ、これも期待してるか。まあいいや。
仰げば尊しな季節、
ってまだ私社会人なりたて二年目でお馴染みなんだけど、
そう言う季節を感じるのってのは。
街に住んでいると草花の様子から
季節を感じることも多かったけど、
そんなことすらも感じられない街なんか寂しいわね。
あのさ、
みかんの花咲く丘公園前駅の交差点に大きなクスノキが2本植わってて
それはもうみんなの憩いの場だったんだけど、
つい先日
その場所が緑地改良だなんだのって言って
えーちょっとショックすぎる。
なんか変な日本庭園的な緑地に改良されるそうで、
天気の良い日なんか
仰ぎ見れば木漏れ日が眩しくて、
しくしく。
お昼も一緒に買ったんだけど、
お店の人、
朝からこんなにいっぺんに食べるの?って思われたらちょっと恥ずかしいわよね。
あれはあれでなんか、
捨てるのも面倒だし、
結局は酒屋さんで取り扱ってる炭酸樽を
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
卒業と言えば、やはり学校の卒業式が真っ先に思い浮かぶが、卒業式に関して分からない事がある。それは生徒の涙だ。
先生方の涙は、教え子が巣立つわけで、泣く気持ちを察する事は出来る。
親の涙も、子供の成長だとか、いつの間にか(外見も内面も)大きくなった事など色々と感情が昂ぶってしまい、泣いてしまうのはわかる。
問題は生徒側の涙だ。率直に言うと何故あそこまで泣くのかが分からない。
自分の経験上、色々あって学校という場所が嫌いだったので、卒業式に思う事は「もうこの学校に来なくてもいいんだな」という安堵と肩の荷が下りた気持ちしか無かった。
そういう個人的感情もあってか、どうも卒業式で泣く生徒の気持が理解しきれない。(理解する必要性は無いと言われそうだけど)
予想としては、お世話になった先生との別れが名残惜しいとか、これぐらいしか思いつかないが、だとしてもあんなにボロ泣きする程の事なのかなと疑問に。
学校行ってた当時ですら分からなかったし、歳を重ねた今でも分からないんだから、多分この先も理由を知ってもあまり腑には落ちないんだろうな。
匿名電話サービスみたいなやつでネカマやめなよって言われるようなガチのやつです
嘘ついてない!嘘ついてないもん!!
でも正直これが気楽で と言うのも自分が女の子と言われるとめちゃくちゃ違和感がある所謂トランスジェンダーみたいなものっぽいのです。
女の子に分類されるとそうじゃないんだよなあってなるけど男の子に分類されてもいや違うけどみたいな感じになるから実際のところどうなのかわからないけど!
どちらかと言えば男よりだと思うけど男とは言い切れないような感じ。
とりあえず声が低くて嬉しい......どちらかと言えば嬉しい.......
話は変わるけど一人称が「俺」です。
自分も一応女に分類される人間なので「私」とか言いたいんだけど違和感が半端なくて言えない。
敬語使う時なら普通に言えるんだけど日常の会話で砕けたしゃべり方の時とか「私」なんて言うと鳥肌が立つ。
ので「俺」とかたまに「僕」とか言ってる。みっともないよね知ってる~~~~!!!凹む!!
幼稚園の頃は「俺」って言ったら先生がすごい怖い顔して「私」でしょ?って詰め寄ってきて怖かった
怖かったけど「私」ってどうしても言いたくなくて自分の名前を一人称として扱った。そのくらい「私」って言いたくない。
男女問わず周りにとやかく言われるから言いたい一人称が言えないって人いるんじゃない????みんなよく頑張ってんね!!
親にもそろそろ一人称直しなさいって言われるけどうるせえそんな違和感抱えて生きてられるかアホーーー!!!!!俺って言わせろ!!!!!!!!!!
一人称が種類豊富な日本語が悪いって母語にキレたりする。すまんな日本語!!
あとお洋服な!
スカートが死ぬほど嫌でスカート履いたらその間クッソ機嫌悪いよごめんね周りの人
高校は私服のとこ選んだけど卒業式どうしようかな~~~~女の服が嫌い!
男物の服が好きで普段から兄や親父や叔父のお古を着てる。みっともないよねすまんな
「男物が好き」って言うとボーイッシュ()な服を勧めてくるのキレそう
ボーイッシュじゃねえよ男物が好きだっつってんだろアホーーー!!!!!
好きというよりしっくりくるみたいな感じなんだけどもね!
だから洋服買いに行きたくないよ女の子だから女の子の服を買わなきゃいけないんだろ!
それなら俺はお古でいいよまだ着れるしさ
一人称「俺」で男っぽい話し方で男物の服ばかり着てる「普通の人」から見たらイタい奴だよ。
たまに「貴方ってもしかしてレズ?」とか「男になりたいの?」とか聞いてくる人いるよ。
そういう人はみんな口を揃えて言うんだ「私はそういうの偏見ないから隠さなくてもいいよ!」ってな!
そうやって興味津々に聞いてくるデリカシーの無さとかそもそも興味を持つ時点でそれは偏見になるんだよばか!!!!!!!!!!
偏見持たないってのはそれをごく一般的なことと捉えて深く興味を示さないみたいなそういうもんじゃないの??学が足りないかもすまんな!
そういうことを人前で楽しそうに聞いてくる奴を絶対許さないし何も話さんよ
とにかくそういう理解の皮を被った野次馬がいるから生きづらいよな
普段からこういう振る舞いだからみんなも心の中で(レズだろうな...)とか(性同一性障害ってやつかな...)とか思ってんだろ知ってんぞ
中学の卒業式の後に友達に「○○(自分の名前)ってレズだと思ってた」って言われたの若干ショックだよ
自分の性に一致しない振る舞い=恋愛対象が同性 とか考えんなよマジ
普通に分類される人間の群れに紛れ込むのがつらくて人間を避けがち
親も普通なので一緒に過ごすのがつらいもんはよ家出たい 家事出来ないです解散!!
周りの人間に伝えて理解してもらえればいいのにって思うかもしれないけど自分は理解しないでほしい
気色悪いから寄り添わないで......
周りの人間、親しくなるにつれ気色悪すぎて死にそうになる 肉親とかマジヤベエ
それに比べてインターネッツの心地よさよ.....パネェ........
容姿とか家族とか名前とか あ~~でも声は若干気に入ってるわ 人間そういう風にできてるらしいね
流石にちょっと生きづらいから自分の好きな所を増やす努力はしてるよ自分偉い!生きる意欲ある!!
生まれ持ったものばかりが関わってくる現実に比べてインターネットってやつぁよぉ!!!!!
全てを作り上げて壊せて最高だよなあ!!!!!これだからやめらんねえぜ
自分の積み重ねたものもそのうち嫌いになっていくので消えられるのがインターネッツのいいところだよね
ネットに放流したら消すことはできないけどその存在から自分が去ることはできるじゃんサイコ~~~!!
自分自身も抜け殻みたいで外から何かを引っ張ってきて自分のものみたいにふるまう事しかできないよ
絵を描く人間だけど見たままに風景を描くことしかできないから美大目指してんのに入試でクソ困る
こんなんでも油志望なんすよ 入試クソだから志望変えたいっていったらお前はそれを選んだんだろって言われた
選ぶ権利も変える権利も全部自分のモンじゃアホ~~~~~~!!!!!!!!!!!変えるからな見てろよ!!!!!
そもそも自分が何をやりたかったのかも忘れたよみんなが俺の外側を固めるものだからさあ
自分が見た自分と他人が見た自分の差はあって当然だけど「こう望んでいたじゃないか」とかそういう意思の問題はどうしたって
俺にしか決められないものだろ踏み入ってくんなよおかげで夢だって虚ろだ
夢見ていたはずのものが本当にそれが夢なのかわからなくなったもん...これはもう夢じゃないね....
大学どうしようなあ...今更美術系以外にはなれねえもんな.....
自己は他人には決めようがないからみんなも自分が見た他人を他人に押し付けてないか考えてね!
そんなにみんなが考えた俺を俺に押し付けるものだから俺は俺を消したいんだよアホ~~~~~!!!他人になりたい!
人間基本嫌いだけど承認欲求があるのでどうしても人間と関わらなきゃいけないんだよね知ってた?知ってた!!
色々思ってる事を書いたら自分でも自覚してなかった自分が見えてきて自分へのわかりが深まった気がするよ(こなみ)
みんなってどこの誰のことですかー?何時何分何十何秒地球が何回回った時ですかー?バナナはおやつに入りますかー?
って話は置いといて
こんなダメな教師がいた、あんなダメな教師がいた、やっぱり教師になんかなる人間は〜っての好きな人って多いよね
あなたにとって良くない教師でも他の生徒にとってはいい教師だってことはざらにある(もちろんその反対もだ)し、
変なのが一部にいるとしても、大多数のわざわざ教師なんていうクソ大変な職を選んだ人は超ブラックな環境で毎日毎日必死で生徒や学生のために頑張っているのに
(私生活を犠牲にさせられてる人も多い、自分の子供の卒業式に出られない、土日なのに部活の顧問etc.)
「コンビニバイトに100%のサービスを求める方がおかしい」に賛同する人すら、教師・教員には完璧超人を求めるんだから根が深いなあと思うよ
そんなに給料出てないんだけどな
全部に余裕もって対応できるほど人も時間も環境も足りてないんだけどな
いじめの対応とかも、何が正解で何が不正解って簡単に分けられるようなものじゃないのに外野はすぐ上からぶった切る
児童が暴行を働いたのに警察に行かなかったケースとかさ、たかだか担任とかの大した権限もない個人を叩く前にもっと上のお偉いさんを叩いてくれたらいいのに
おとなたちから見てこどもたちがマナーのなってない奴として映るというのは、おとなたちがこどもたちにお仕事の相手をしてもらえてないだけ。子供内や子供と社会の間ではマナーがありルールに従っているんだから。そちらの方が上客なだけ。
遊びに行くときに社会での外出着のマナーを守らない生徒はいないでしょ? 卒業式の時はボロの制服でも取り繕おうとするでしょ? そういうことじゃないかな。
教育っていつもそうなんだよね。教育者から見た能力の見込みがあり、生徒自身が考える見込みがあり、そしていずれも真の姿とは異なる。日本の教育は教育の理想形に合わせて方法を最適化していく動機を持たないから、「生徒がバカで困る」とか見当違いの結論を出して疑問をその場限りに済ませてしまう。
ヤンキーの方もそうでない方もファッションとして着こなす特攻服新時代!!
白・黒・赤・パープル・ピンクなどなど多彩なカラーも人気の秘訣!
ロング・ショートや激安い特攻服のBIS-WAN、さらにはレディース特攻服に子ども用のキッズ特攻服も♪卒業式やライブ参戦服、はたまた応援団や学園祭などのイベント着としても大活躍です♪
中学の卒業式では、不良は刺繍入りの特攻服を着るのが習わしだった。先輩の不良から後輩の不良へ、マリみてのスールのように、あたしはアイツに引き継ぐよと、特攻服を引き継いでいく伝統があった。俺が中学のときはSNSなんてなかったから知らなかったが、なんと2018年になっても、しかも日本各地で続いてるらしいじゃないですか。なにげに胸熱。
勘違い女って言われるの覚悟で言うけど他人に好かれるのつらくない?
世の私以外の人はなぜ平気なの?
学校やバイト先とか、趣味を通じて知り合った人とか、そんなん関係なく告白してくる人とか気持ちが悪いというか怖くない?
一応、恋人は居るのだけれども、なんというか、友人としての付き合いの範疇の事しかしていないというか。一緒に通話しながらゲームしたりお互いに好きな美術館とか水族館とか遊び行たりするばかりで、恋人らしいことは特にしてない。
控えめで大人しい方なので過剰な愛情表現もなくまさに男の親友って感じ。
なんで急にこんなこと書き始めたかというと、最近ゼミの知り合いが私の親友を巻き込んでまで私に近付いてくるから。最近不愉快だなって考える時間が増えた。
決して自分こんなにモテますわぁっていう遠回しな自慢ではないのです。
友人に相談するとモテる自慢かって嫌がられるからこんなとこに書いてるんで。
おそらくコレは中学卒業くらいから。小学校はまだあまり恋愛とかがなかったし、好きが友人としての好意の延長のようだったから。中学くらいになると何故か皆が恋愛で盛り上がることが増えたけれども、私が通う中学はほぼ皆幼稚園か小学校からの付き合いなのもあってか、校内で告白したり付き合ったりする奴は少なかった。
そして中学の卒業式の後。自分では中々に仲が良いと思っていた男友達に、実はずっと好きだったと言われた。この時の絶望感ったらない。友人だと思っていたのは私だけなのかという悲しみと、私なんかを好きになるとはこいつは私をなにも解ってくれてなかったという一方的な失望。もしわかっている上で好きなのであればこいつは異常だという勝手な決めつけ。
まず見た目が悪い。顔が悪いしモテないよう基本ナチュラルメイクかすっぴんだし。体型だってだらしない。無愛想な顔して移動中はイヤホンで常に耳ふさいでるし。
自意識過剰だと思うでしょう?そんだけ他人に好意を持たれんのがしんどいんですよ、許してくれ。
なんといっても性格が自分で把握している限り最悪だと自負している。
中には、「自分のことは自分が一番わかってなかったりするんだよ。俺から見た君は素敵な人だよ」だなんて有り難い()お言葉をくれる人もいる。もしかしたらそうなのかもしれない。だとしても私をよくわかってくれているのはお前ではないです。本音で話し合える親友たちです。
まずこうやって他人の愛を不快だと思うのがすでに性格悪いでしょう。
まあ、仲の良くない人に本音を話すわけがないし常識あるから社交辞令とか使えるから、実際よりは少しはましな性格に感じるかもしれないけど、それでも他の人より劣ってるし。
なにより話がつまらないと思うんだ。
もとより話すより聞く方が好きだからあまり話さないし、私が日頃話すことと言えば、親友の女友達かわいいっていう自慢話くらい。いろんな人にレズだと勘違いされるほどこればっか。聞いててつまらないだろ。
あとは趣味の話。でも私がやってるゲームとか音楽、本、映画全体的に所謂マイナーに分類されてたりファンの年齢層が高かったりするから、同い年の人は殆ど知らないし。なにより学がない。悲しいほどに浅学非才だ。
相槌だって基本的に他人に興味を持てないから自分の知る限り雑だし。大変申し訳ないことに親友以外の誕生日とか趣味とかうろ覚えだし、昔頭強打したせいか顔すらもろくに覚えられてないし。あと親しくない人間に対して虚言癖あるから話してる内容適当だし。私なんかと話してるの退屈でしょう。
私と話してて楽しいって言ってくれる親友以外の人間はお世辞でないなら何をもってそう感じるのか。
つまるところ、まず私なんかを好きになってしまう人は私の何を見てなにを好きになるのか。
なんで好きなのか教えてくれる人も中には居るけれど、今度はそれがとても自分とは思えないから怖いし、もし付き合ったとしたら私はその好かれている要素を演じていかなきゃいけないのかと感じる。
なんやかんやこの性格を治してまっとうに他人を好き好かれる事になれようと何人かと付き合ったりもしたけど、総じてお前別に俺のこと好きじゃないでしょとか思ってたのと違うとか言ってくる。
んん~~~~~~私最初に君が思ってるような人間じゃないよとか色々忠告したし、それでもいいって言ったのお前なんだよなぁ?!
なのになんでそんな事言うかなぁ、いや、もちろんこんな歪みきった皮肉屋の性格矯正に付き合わせてしまったのは本当に申し訳ないのだけれども。ちょっと理不尽では。
これはさっきも言った自信のなさ。こんだけ他人にモテるとかなんとか言ってる人間が自信ないとか笑うわぁとか言われるだろうけど、それは自信ではなく事実であり過去だから。
少なくとも私の中では、事実や成果と本人の自信は比例しないから。
で、これには多分家庭とか親とかそういうアレも多少あると思う。
親の離婚が原因で父方の実家に小さい頃からお世話になっているのだけれども、男性ばかりの家で男尊女卑の気があるというかなんというか。
女は黙ってろとかいいから家事やれとか。あと父が女は瞬間的な判断力や力が劣ってるからこの職は男性ばかりなんだとかそういった話をたまにしてくる。
別にこれについては不幸だと思ってない。その思考に毒されてるのもあるし、実際女性は体力で劣りがちだし。祖母は専業主婦だし私はヒマな学生だから家事を率先してやるのは普通だし。
ともあれただでさえ性格悪くてそんな劣ってる女性である自分を男性が好きになるのにも違和感がある。
家族と言えば親の影響で結婚やらなんやらが良いものと思えないっていうのもデカいのかもしれない。
元母は私が保育園だか幼稚園に通っている頃から、父が仕事で国内外に出張に行っている隙を見ては私を連れて知らない男性に会っていた。
結果として浮気がバレ、両親は毎晩のように口論をするようになり、結局は離婚した。
父は相当頑張ってくれたのだろう、親権は父親がとった。以来、私は元母親に一度も会っていない。そして父親は鬱病になった。
まあ、この辺はどう話してもただの不幸自慢に成り下がるからここでやめるとして。
別に自分が不幸だ可哀想だとかは思ってないで。今は超絶かわいい親友いるんで。ハピハピです。
そも今後人を好きになれて子供が出来たとしても、私は母親が子供に送る正しい愛を知らないのだから、子供がかわいそうだ。私は結婚も出産もしない方が世のためなのでは~~~~~???????
とはいえ、後から知った父親が親権をとる難しさを考えると、ここまでしてくれた父のためにも、私は正しく真っ直ぐに他人を愛せるようになりたい。なりたいって気持ちは一応ある。父も私に恋人いるのかって心配してくれたりもしているし。
けれども、性格の歪んだ同級生や学校近くの住人、妻にここまで裏切られ閉じこもった人間を前に、他人を信じることが億劫になるのも仕方がないと自分に言い訳をして生きている。
これだけ裏切られたのにも関わらず、未だに元母から貰った手紙をちゃんと保管している父を愚かしくも羨ましく思いさえしている。
どうして、他の人は当たり前のように
人を愛せ、父は未だにあの人を愛せているのに、私だけできないのだろう。
なんだかいい年して厨二病のようだな、この文章。読み返すとゾクゾクするから読み返さんとこ。
あとは他人に好かれている時と告白を断った時の気まずさと人間関係に及ぼす影響。
もちろん、私なんかを好いて告白してくれた人の中にも、告白前も特に問題も起こさず、断った後もかわらず友人として接してくれる善人もいた。
だがしかし、まれにいる害悪と呼ぶしかない人。あれは何。これも他人に好かれる事がしんどくてたまらない原因だと思うのだよ。
外堀から固めて告白してきたり周りに協力してもらうような人がどうしようもなく苦手。周りに迷惑をかけないでくれ。
それのせいで友人と気まずくなったりするんだよ。
私の可愛い親友ちゃんも、私が他人に好かれるの苦手なの知ってるせいでめちゃくちゃに困ってるんだぞ。お前陰湿な女子みたいな性格だし、まだ後一年は少人数のゼミで一緒に過ごさなきゃいけないから、めちゃくちゃに気を使うんだぞ、こっちは。
周りが気を使って2人っきりにしてきたりするのとか凄く気持ちが悪い。フラッシュモブで告白してくる人間と同じ気持ち悪さがある。数という暴力で私から選択肢をじわじわと奪わないで。
話は逸れるが、フラッシュモブとか大人数の前で告白してくる人間は何を考えているのか。何故フるとまるでこちらが空気読めない奴みたいな扱いを受けなければならないのか。
そいつは好きな人に思いを伝えるため努力をした人間であると同時に、意図的が無意識かに関わらず、他人から選択という自由を奪い意のままにしようとした人間であることを念頭に置いてくれまいか。
そもそもゼミの知人に限らず、クラスメイトからの告白は、これからもある程度の時間同じ教室で学ばなければならないのに、なんで場の空気を崩すような事をするの?フられる可能性が0だと思っているの?
フったら距離とられたり、告白してきた奴と仲が良い奴には伝わってるのとかキツい。何故か同じクラスの女子にもバレてたりして裏でなにやら言われたり、なんでフったのとか聞かれたり。そいつのこと好きだった他の女子からの逆恨みとか。
なんで一人の人の気持ちを断っただけで私は複数の人からアイツはアイツをフった女だって認識されなきゃいけないの。いつだって他人を好きになって行動した奴が応援されるんだ。頑張っても人を好きになれない奴も応援してくれ。ここは地獄か。
同じバンドのメンバーに告白された時なんて最悪だよ。十中八九解散なのだから。もっと周りのこと考えてくれ。周りのこと考えてくれ告白を断りにくい状況を作らないでくれ。
あと以前、趣味があう男友達の告白を断ったらLINEとかもブロックされて実質絶縁されたのもキツかった。
あんなに協力したり敵対したりして一緒にゲームで盛り上がったり、飲み明かしたり、語り合った時間はなんだったのか。なんだ。私は前世でなにか大罪でも犯したのかい。だからこんな扱いをうけるのかい。
このなんというか、友人としての価値がなくて、恋人というか女であることに重きを置かれてるのが虚しい。
一緒に遊んだり、家に泊まったり他愛ない話をするのに恋人っていう肩書きがなぜ必要なの?
恋人の特権で2人で過ごす時間の他といえば性的な接触くらいしか思い浮かばないけれど、それを求められているの?
軽い潔癖なのもあるから親友以外とはキスどころか回し飲みも肌が触れるのも息がかかるのも無理。特に性的な接触は過去にトラウマ的なサムシングがあるから無理。そのせいで潔癖拗らせてしまっているし。
でもナンパとか街中で声かけてくるおじさんとかはやり目だなってハッキリしてるし、今後の付き合いもないから、気持ち悪いなとかしつこくてウザイなとかは思うことはあっても怖くはない。気持ち悪さも明確であっさりしてる。
それに比べ、知人友人からのちゃんとした告白には恋人である必要性や目的がわからないから怖い。コレなのかもしれない。
なぜ。どうして。どこが好きで何を求めているの。そこを好かれても私はそんな風に思われる人間ではないし、求められてもそれを与えてあげられない。
もういっそオレは誰も愛せないんだ…って言う厨二丸出し精神で強く生きてくしかないのかもしれない。
孤独で孤高で誰も愛せない設定で生きてこ~~~~~~~っぜ!
パッパごめん、孫の顔見せてあげらんないッスわ。
先日今付き合ってる人居るって言って安心させたばかりなのに申し訳なぁい。
その人にも恋人っぽいこと何もしてないからきっとそのうち捨てられるわ。友人としては最高に趣味もあうし博識だから話聞いてて楽しいし私にはもったいないくらいの人なんすわ。
私が他人の愛を素直に受け取れて、他人を素直に愛せる人間だったら誰も不快にさせずにすんだのにね。
私は不幸ではないのに、私のせいで他人が不幸になっているね。
色々書ききれてないし端折ってるけど、もうそろそろ出かけないとだし。取りあえずここまで考えて答えでないから今日はもういいや~~~~~~~
もうすぐ離れる人を好きになってしまった。
いや、正確に言えば昨年の夏あたりからいいなとは思っていた。
現在、理系学部4年。私も相手も学部卒で地元就職のため、月末にはさよなら。
各々旅行に行ったり引っ越しの準備をしたりするから、何もしなければ次に会うのは卒業式。
自他共に認める優柔不断である私だから無理もないのだが、何故ここまで引っ張ったのかというと、研究室内恋愛のリスク(笑)と、気になっている異性が他にもう1人いたからだ。
前者の研究室内恋愛については賛否両論ある。でも今気づいたのは、そもそも付き合える前提でリスク考えてるのおかしすぎないか自分?
まあぶっちゃけそんなものは建前で、私がここまで悩んだ原因は後者だ。
これがアイドルグループの選抜であれば「次のシングルはWセンターでいきます」で解決だろうが、私は秋○康ではない。
かといって具体的な行動をするわけでもなく、あっちでもないこっちでもないと思いあぐねていたら後期が始まり年が明け、2月も終盤に差し掛かり、研究室におけるほぼ全てのタスクを終えようとしていた。
そして「終わり」が見えてくると同時に目の前のもやが晴れたように、明確に好きだという感情が湧いてきた。
教授からの無理難題や進まない研究に対して共同で乗り越えてきたこと、何てことない日々の会話、時々盛り上がる趣味の話題。当たり前のようにあったそれらは、今の私にとっては必要不可欠なものになっていた。そうだ、私は諦めも切り替えも悪いんだった。私がプロデューサーだったら新曲のセンターを決める前にグループが解散してしまう。
私自身、学生生活最後の最後でこんな青春めいた魔法的なものに襲われることになるとは思わなかった。
論文の提出・発表も済ませたことによる若干の燃え尽き感も相まって、この1週間ほど宙に浮いているような感覚だ。
特にこの週末はかつてないほど冷静さを欠いていたので、頼れる友人達に連絡しまくって現状を相談した。まあ、皆「行っとけ」って言うよね。何事においても攻めにいかない私を知っている人間ばかりだから当然か。
そういえば研究の進捗が悪いとき、教授から「結果を待つな。解決のために自分から動け。」と口酸っぱく言われていたが、実は研究に対する姿勢のみならず私の生き方に対する指摘だったのだろうか。
さて、この遅れてきた青春がどのような結果になろうが、1年も経たないうちに(少なくとも私の中では)懐かしい昔話になることは明確であろうから勝負に出るべきか、
それとも、人生23年目にして初めて、人を好きに「なる」経験をくれたあなたに感謝しながら、残りの休みを静かに過ごすべきか、もう少しだけ考えてみようと思う。
周りにいる家族大好き人間の価値観に遭遇すると「お、おう」となる。
例えば今日は、同僚が明日は奥さんの定期検診なので病院に付き添ってから出社するといわれた。
別に出勤にそこまでうるさい会社じゃないんだけど、打ち合わせに参加できるかと聞いたらそう返されて、もちろん構わないしオッケーって返したんだけど、心はぎょっとした。
奥さんの付き添いで病院?
なんか、自分の家族は父親が子どもや母親、というか人にまったく関心がない人で、私が生まれた時もいなかったそうだし、家族ビデオにもほとんどいないし(自分の好きな場所にいくときだけいる)、入学、卒業式にも来たことがない。来たいとも思ってないし、昔からそんなんだから来て欲しいとかも思わない。
たぶん、地震とか起きたら私たちをほっといて自分だけ非難する。
たぶん、私たちのこと可愛いとかいう感覚もないと思う。血が繋がってるから面倒みてるけど、ってよく言われてたし。
でも、父親という存在は、昔からそうだったから、当たり前だと思ってた。
気分が悪くても、病院に着いて来て欲しいとも思わない。
なんか、だから、そーゆー人見ると別の世界の生き物だなって思う。
私の方が少数派なんだろうけど、 道端で鶴見つけたような気分になる。
中学生の時の卒業式、帰るときに、下駄箱で偶然、当時好きだった娘と鉢合わせた。
その子は困った顔で、一緒に帰る約束をしている友達がいるけれど、まだ来なくて困っている。先に帰ってしまおうかな、と言っていた。
この時、一緒に帰ろうと言わなかったことを、後悔してる。
中学3年の自分は、女の子と一緒に帰ることが、とても気恥ずかしいものに感じていた、
その子とは、高校が一緒だったので、また春に会おう、みたいなことを言った気がする。
高校では、最初の頃は仲が良くて、クラスが違っても、昼休みに少し話したりした。
でも、途中からその子に彼氏ができて、接しづらくなっていった。
1年の後半から、部活のことで、自分は精神的に参っていて、それを彼女に知られたくなかったのもあり、自分から避けていたこともあり、話す機会も減った。
そして、全く話さなくなったし、なんなら、現在進行形で嫌われていると思う。
ただ、その子と育めたかもしれない友情を、自分の精神が未熟だったせいで、無にしてしまった。
あのとき、下駄箱で、一緒に帰ろうといっていたら、もしかしたら、今も友達でいられたかもしれない、そう考えると胸が締め付けられる
彼女のことを、もう少し話したい。
あまり学校に来ない子で、はじめはそんなに仲良くなかったけど、席が隣になった。
なんだか、隣の席の人がずっといないのは、なかなか寂しくて、毎日、今日は来るのかな?と考えていた気がする。
来たら、話しかけていた。
マインスイーパーをやってるって言ってた気がする。
話してくうちに、すごく好きになった。
ただ、付き合えないとも思っていた。
自分は精神的に未熟だから、彼女を傷付けてしまうと思っていたから、この感情は、大人になるまでしまっておこう。
専門学校を卒業式直前で中退しようと思った。そこで中退すれば高卒となり、世間的には厳しくなる。退路を断ち、腹を括って社会で生きていってみせるなどと思ったんだ。でも思いとどまってよかった。専門卒の今ですら仕事にヒーヒーしている。
タトゥーを入れようと思った。一生消えないものを入れることで覚悟というものを背負いたかった。でも入れないでよかった。だって今やそれではプールや銭湯に入れないもの。
若い頃ってのは虚栄心や根拠無き自信の塊だ。それでこっぴどい目にも合う。自分のやろうとしていたことは結構重症だったと思う。思いとどまって本当に助かっている。若気の至りには要注意だ。でも若い当の本人はそんなことには到底気付かないんだけどね。
明後日の卒業式に向けて、みんなは浮き足立っていた。仲のいい子とわあわあ騒ぎながら、下足箱へ向かっていく。私は一人、ポツンと空き教室で先生を待っていた。
明日は卒業式の予行練習がある。体育館は紅白幕やらパイプ椅子の準備やらで人が溢れて、慌ただしくなる。答辞を任されている私は、全体練習後にも個別で作法の指導がある。きっと忙しい一日になるだろう。
そんなことを考えながら、答辞を担当してくれる先生が来るのを待っていた。ふと奉書紙を手に取る。ところどころ掠れた字で、私の考えた、私だけの答辞の文が綴られてあった。
何だったのだろう。私の三年間は。
分厚い奉書紙を何度もめくりかえす。それは確かに、年末から一生懸命に考えた内容であった。どこを開いてもいい加減に考えた部分などなく、私が持てる力を出し切って書いたはずの、答辞。それが今になって、どうも疑わしいものに見えてくる。
私は本当に、この学校が好きだったんだろうか。
3年間、ずっと頑張り続けてきた。
生徒会に立候補したり、部活で部長を務めたり、プレゼンテーション大会に出たり、文化祭で実行委員を担当したり。人と何かを一緒につくりあげるのが大好きで、生きがいだった。組織の一員でいることが好きだった。だからクラスメイトも学校も、「みんな好きだった。」
はずだ。
夕日がガラス窓から柔らかく差し込み、机の上を滑る。日が暮れるのもだんだん遅くなり、春はそう遠くない。別れの時が近づく。なのに。
待ち遠しさでも寂しさでもない。この感情は、なんだろう。
ガラス戸の向こうに、先生の影が写った。先生が待った?と優しく聞いてくれたので、私は笑って、いいえと答えた。先生は手際よく奉書紙をまとめ上げ、糊付けをし再び私の手に返す。いよいよね。緊張する?
私はまた笑って、いいえ、と返事した。
帰りの電車に揺られて、私は遠くの方を見つめていた。なんとなく持ち歩いていた友達のSF小説も、今は読む気になれなかった。
長く連ねた奉書紙を思い出す。「何度も挫けそうになったけど」「先生や友達のおかげで」「乗り越えることができました。」「お父さんお母さん」「いつもありがとう。」「そしてみんな」「辛いことも笑い合える仲で」「本当によかった。」「ありがとう。」「これからもよろしく。」「私たちは」「未来を見据えて」
そんなもんじゃない。
声の大きなあの子にいらいらして、些細な先生の注意にひどく傷ついて、話の合わない同級生ばかりでも寂しさを我慢するより何倍もましだって言い聞かせて、寂しさの埋め合わせをするようにいろんなことに挑戦して、本音を誰にも言えないまま、心はいつだって孤独なまま、ここまでやってきてしまったんだ。
それでも私はあの学校が好きだったと言えるんだろうか?
でもそれは、この学校じゃなくたって、できたことなんじゃないかと思えてしまう。
私が好きだったのは結局、この学校の人たちじゃなくて、「他人とひとつの目的を達成すること」だったんだ。
虚しいな。