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では話が終わるので、簡潔に経緯を説明する。
2008年頃までラノベといえば賞を取って出版されるくらいしか世の中に出る方法がなく、ラノベも角川系列で市場シェア9割弱の状況だった。
このころ他ジャンルではSFは苦境、ミステリも宮部みゆきの売り上げ>他全作家の合計と不振で大出版不況時代だった。
こうした最中、商業出版の文芸における冒険心は大きく欠けていた、いたように感じられていた。
(リーマンショック前後の世界金融危機でアニメ・ゲーム・エロゲの市場規模も半減しており、別に出版に限った話でもない)
その文芸逆境時代に一気に伸びたのが「小説家になろう」であり、商業出版では見られないような捻くれた作品が伸びた。
(二次創作文芸は元々活況であったが、ここではオリジナル作品に限定する)
2010年ごろまでのトップ、奴隷ハーレムはCRPGリプレイのような作品だったため、商業出版では絶対に採用されないと評判だった。
こうした商業出版からは絶対に出ないような、賞に落とされるような作風の作品が集まったのが15年前のオリジナルWeb小説界隈であり、これらの文化を「なろう小説」と形容した。
これ以降はWeb発のタイトルも当たり前に出版されるようになり、アンチ・ライトノベルとしてのなろう小説は風化していく。
サブカルがメジャー化してジャンルとしての存在意義を失っていったように消えてなくなった。
俺はいいと思う。
自民党がやったことなら全部批判する人からしたら囲んで叩くチャンスなんだろうけど、俺はこの考え方は支持したい。
東京への一極集中が問題になるのと、ド田舎の復興に国力をジャブジャブ使いまくるのは別問題。
ただし、同じ田舎でも原発が未だに放置されているのは頂けないな。
他の政党が政権を取った場合どうなるのかはまだ知らんけど、とりあえずこの二大政党は大災害が起きたときに与党であっては欲しくないね。
精神病と名がついているが、ほとんどの患者は普通だ。ほぼ健常者だ。
一方で社会の基準がどんどん上がっている。膨大な仕事量が待ち受けており、それに適応できないと病む。
それが深くなると精神病とされる。
当たり前だ。社会の方が病んでいる。
社会に存在する仕事の要求量は上がっている。要求されるクオリティも高いし、量も多い。
そんな中で、「あなたのペースでいいんだよ」「休んでいいんだよ」と言っても、仕事が減るわけではない。そいつの仕事は減っても他の人間への仕事はその分増える。
そんなふうに優しく言うと、儲かるから言っているだけだ。
もしくは、強メンタルの人でも一時的に病むことはある。休んだあとは、あとあと頑張ってもらうために言っている。
そして資本主義は容易には変わらない。所有権は資本主義の基本原理であり、富裕層は所有権を絶対に自ら手放さない。
あなたたちも自分の全所有物を「まず手放せ」と言われたら嫌だろう。それに、「誰」に手渡す?
歴史的にも共産主義は否定されている。にもかかわらず資本主義の打倒に命を賭けるべきか?
「いいんだよ今は」
「ゆっくりでいいんだよ」
「そんなにがんばらなくていいんだよ」
「あなたのペースでいいんだよ」
「無理しないで」
「焦らなくていいんだよ」
「がんばったね今まで」
「気が向いたときでいいよ」
「つらいよね、くるしいよね」
「疲れてるみたいだけど大丈夫?」
なんだこれ。ナメてんのか?
弱いなーーーーー。
弱いんだよ。慰めっていうのは弱いのか?
言う側も同じ人間だろ。どの立場で言っている?テメェは神か何かかよ。
本来は以下のようにならなければならない。
「テメェって、よわいよなあああああああああ!!!!!!!!!!」
「おまえって、ザコだよなあああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
「おまえさああああああああああ、みじめだよなああああああああああ!!???!!!」
「もう立ち直れないよなあああああ!!!! 可哀想になああああああああ!!!!!」
「お前の人生さあああああああ!!! 一生そのまま固定だよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜????」
こういう意味だろ。しっくりこないか?誰もこうやって直接的には言わないんだよ。言うとバッシングされるからな。そいつが物理的に危険にさらされる。
違うだろ。
弱者はそんなに弱くない。もっとしたたかで、強く、ずる賢く、悪辣なんだ。
目の前にクマや虎がいて強烈に飢えているとする。
絶体絶命だ。もう助からない。
そこで病むのか?
誰かあーーーーたすけてぇーーーーーーと叫ぶのか。
クマがたくさんいて、人間もたくさんいるから、クマには「こっち来ないでくれ」と思っているし、人間には「誰かなんとかしろよ」と思っているのだろう。
助けてもらえるうちはまだいい。だが誰も助けてくれないときにも病んでどうする。
クマがまさに目の前まで迫っていて早急に対処しないときに、慰めの言葉は何の武器にもならない。
こうだ。今はそういう社会なんだ。
金を直接は配らないかもしれないが、そいつは持っている金を配る。
そういうやつを待っているのか。そういうやつは忙しい。病んでいる人間にかまっている暇はない。
まあ、病んでいる者の大変さはわかる。いや究極的にはわからないんだが。だが90%ぐらいはわかる。
しかしそうやって病んでいたとして助けてもらえるのは今だけだ。
こう言うと奴らは「うわーー理解してくれないーーー!!死にてぇーーー!こういうやつがいるから生きづらいーー!」とか言う。
ほーーーー?
敵対する元気はまだ残っているようだな。使えるな、コイツ、と俺は思う。
そういうやつは死にてぇ死にてぇって言いながら死ねてないのが現実だ。
なぜなら死は難しい。米食いながら死にたいとか言ううちはまだ甘い。糠でも草でも食っても人間は生き延びられる。
病んで病んで病むのは、そうすれば助けてくれる誰かがいると思っているからだ。わかっていてやっている。
助けが来るうちに病んで病んで病んで、それで他人に迷惑をかけている。そして他人に迷惑をかけることを正当化する。
なぜ自分が病んでいるのか、自分が病むことはどうして正しいのか、徹底的に理由を作り上げる。そこには水も通さない。
病んでいるとき、存外人は冷静だ。病んでるとき、意外と楽しいものだ。その病んでいるという状態は快楽だ。楽だ。それ以外がんばって考えなくていいからだ。
だが助けは来なくなる。奴らはよくわかっている。だが、未来のことを考える必要はない。
奴らにとって、未来の自分は他人だからだ。未来の自分に莫大な希望を託している。
未来のことを考えて奴らが病むときというのは、その未来の自分への負荷が上がったと確信したときだ。
経済的困難もなく不自由がないのなら病む必要はない。将来の見通しがある者は病まない。見通しがないと病む。
あとがなくなれば病んでいる暇はない。
良い方向に自分を放り投げて退路を無くせ。進むしかなければ進むしかない。
戻る道をふさげ。
「いいんだよ今は」→「今こそやるべきときだ」
「ゆっくりでいいんだよ」→「急いで動け」
「そんなにがんばらなくていいんだよ」→「ようやく腰を上げてがんばろうではないか」
「あなたのペースでいいんだよ」→「お前のペースを上げろ」
「無理しないで」→「無理をすべきときがきた」
「焦らなくていいんだよ」→「焦ってばかりいるが、手足はなぜ動いていない?」
「悩んでることがあるなら相談にのるよ」→「ぐずぐず悩んでる暇があったら動け」
「あなたはそのままでいいんだよ」→「このままじゃダメだってわかってるだろ?」
「がんばったね今まで」→「まだまだこれからも同じように頑張っていけ」
「気が向いたときでいいよ」→「気が向け。今すぐ。今、気が向け」
「つらいよね、くるしいよね」→「こんなつらさやくるしさは、いつだって乗り越えてきただろう?」
「あなたの心がいちばんだいじだよ」→「おまえの心の成長がいちばんだいじだ」
「疲れてるみたいだけど大丈夫?」→「休んだら次!」
これだよ。できなきゃ身の破滅が待っているだけだ。死ぬか行くかだ。
お前も落ちてこい、落ちてこい、地獄はこっちだ、お前を利用してやろう、お前はそのまま搾取されろ、お前はダメなままでいい、お前はカスのままでいい、お前は地獄に堕ち続けて苦しんだ方がいい、お前は成長しなくていい。
そんな言葉や人間であふれている。そしてそれが正義だと思われている。
病んでんじゃねーぞクソガキ。
ランナウェイ仮説で少子化を考えてみる。
一般的に少子化は若者が貧しくなり日々の生活に余裕がなくなることによって起こるとされているが、データ上はそうでもない。
国内においては年収の高い東京が最も少子化が進んでいて、年収の低い九州や沖縄の出生率は高い方だ。
1972年の列島改造論からふるさと納税に至るまで、国が地方を優遇した結果とも考えられるが、それなら都民が地方へ移住すれば問題は解決だ。しかし現実はそうなっていない。
世界においては、出生率の低い順に東アジア、南欧、東欧と続きアフリカが最も出生率が高い。これもやはり、貧しさを原因として少子化が進むことの説明にならない。
米国はヒスパニック系が最も出生率が高く、次がアフリカ系、その次が非ヒスパニック系、そして最も低いのがアジア系だ。
格差社会であり一概には言えないが、インド系やアジア系の収入は高く、ヒスパニック系移民は貧しいことが多い。ここでもやはり、実態としては逆相関に近い。
金持ちになれば成功者になれると信じる人は多いが、実際には人々の暮らしが豊かになるほど少子化は進む。それはなぜだろうか。
思い返してみるといい。昔は例えば社長だったり、校長だったり、市長だったりすれば大いに威張り散らすことができた。そして、下の人間は生活のために我慢することを強いられた。
今、それができなくなったのはなぜだろうか。暮らしが豊かになったことで、偉い人に媚びへつらう必要性がなくなったからだ。
こうなった世界では富も権力も名声さえも大した意味をなさず、あるいは頭が良かったり仕事ができたとしても世の中の生活が少し楽になる程度だ。
そうして、ランナウェイプロセスによって容姿などを基準にして性選択が進み、これによって豊かな暮らしが阻害されるようになったとき、その方面での進化が止まる。
具体的には、氷河期世代が現役を引退して、中流家庭がマイルドヤンキーに置き換わったあたりだろうか。あるいは、日本人が上級国民だけになって、労働者を移民で補完するときだろうか。
そんな未来だったとしても、別にそこまで悪いものじゃないだろう。頑張って勉強していい会社に就職して上司のパワハラに耐えた挙句、突然はたき落とされるような人生よりはいい。
こちとら古参のはてなーだから、産後の恨みは怖いので一生懸命、妻に尽くしましたよ。
産後しばらくはガルガル期なので、セックスのセの字すら出してはいけないし、授乳中も性欲湧かないという事で、1人につき、4年くらい我慢しましたわ。
それが3人。なんだかんだで計12年ほとんどセックスなし。2人目3人目を仕込むときに、排卵日を狙った作業セックスくらいか。
んで、3人目がやっと授乳も終わり、そろそろセックスセックス!てなるでしょ。
もう、なんかそういう気分にならないらしい。
生理前に性欲が湧くのでその時に条件が整って気分が乗れば、くらい。
それって話が違くない?こっちはちゃんと浮気もせず我慢したんだぞ。12年も。
別に性欲が満たしたいとかそういう話じゃないんだよ。
全18問あります。
↓はなんとなくの評価表です。あまり気にしないでいただけると。
18問全問正解: おかしい
5〜11問正解: 楽しんでいただけたようで何よりです
1〜4問正解: そんなものでしょう
0問正解: がんばりましょう
気を抜くと全部見えます。
下は凡例です。楽しんでいたけたら幸いです。
(再掲)問題文のすぐ下に答えが来るので見るときは注意してください。
気を抜くと全部見えます。
ではスタートです!
状況の昇格。エスカレーション
OJT。
型へ方向づけるための指針。オリエンテーション。
好敵手を倒す機会。オポチュニティ。
深い裂罅。キャズム。
マジで無理。
小さすぎる。
もはや「文字」ではなくて「文字の配置されているシチュエーションから類推される意味」を読んでいると言っていい。
ネットに溢れるメガネザル共はメガネを作るか作らないか迷ってるときに必死に目を細めて黒板を睨んでいた頃を思い出して欲しい。
薄っすらと分かる輪郭と文脈を頼りに「ここに置かれているであろう文字」を読んでいただろう?
絶望だ。
なんで詐欺師がジジババをカモるのかよく分かった。
それにむかついたから帰って親に愚痴ったら、でも彼は病気だからねえみたいに言われて、はあ!?ってなった
でもあいつピアノとかうまいしねみたいになぞのフォローをしてまぎらわせたのを覚えてる
親もそういうちょっと障害アルコの支援とかしてたからなおさらそういう言い方にはなったところはあると思う
そのあと3,4年生くらいまではいた気がするが、高学年になったころいきなり消えた気がする
いなくなってたマジで
成績そんなよくなかったし
2017年1月放送開始のけものフレンズに登場したアライさんというキャラクターが、
発達障害や知的障害や精神障害など様々な障害を抱えた弱者の自分語り用のアバターとして用いられるブームがあった。
アライさんをそのように使うことで救われる人と、その使い方(権利侵害である)に対して反発する人との間で軋轢が発生した。
今の「アライさん」は「鬱病まめっち」であるらしい。たまごっちのキャラクター「まめっち」に公式の鬱病の設定などは無いが、
鬱病だという設定を付加したまめっちの暗い絵や漫画を描いて自分語りをする、というのが流行しつつある。
そしてアライさんのときと同じように、鬱病化したまめっち創作への反発も起きている。キャラクターの改変乗っ取りであるというものだ。
キャラクターを改変して公式に怒られたケースとして、「しゃぶまるこ」の作者がちびまる子ちゃんの権利元から警告を受けてツイート削除した件は記憶に新しいだろう。
(ちなみにしゃぶまるこ作者は謝罪・削除後、ちいかわのハチワレがシャブをやる漫画を描いており、とにかくオリジナルキャラクターでやる気はなく、
既存のキャラクターの知名度やデザインに乗っかってシャブ漫画を描くのだ!という強い意志を感じる)
発達障害者や鬱病、シャブ、に続いて恋愛解釈についての例を挙げると、
日本では「バカカプ」と呼ばれ、英語圏では「Proship」という言葉で罵倒されている、原作のキャラクター設定や関係設定を無視した恋愛二次創作群がある。
「主人公総受け溺愛」や「憎悪・嫌悪反応の中に性欲を見出す」といった、性的ファンタジーにおける関係性の「好みの型」というのがかなり強力な人々がいる。
そういう人々が本編を一度も読まずにR-18二次創作を元にR-18三次創作を書いたりしている。
(本当に信じられないことだが、彼女たちにとって作品の入り口とは本編ではなくpixivのR-18ランキングであるらしい)
「型」にハマったカップリングがpixivランキングで上位を取ると、それを読んだ原作未読の女性がR-18三次創作を作り始めるので、増殖のスパイラルに入って一気に「覇権カプ」というやつになる。
しかし「神」と呼ばれている二次創作者による創作をネットで無料で見るだけで、原作は未読の無銭勢がそこそこのボリュームになっている界隈では、
オメガバース、その他なんとかバース系、なんとかパロを繰り返していくうちに、キャラクターも関係も原作と乖離した、もう原型がなんだったか分からないものだらけになっていく。
そして原作だけ読んでいる人からすると完全に意味不明な「考察」なんかをそのキャラクターについて訳知り顔でツイートするようになるのだ。そうした界隈が「バカカプ」と呼ばれている。
チリ暴動のイメージキャラクターとして鬼滅の伊之助が無断で政治利用されまくった件もあった。
アメリカ人男性が描いたカエルのペペというキャラクターがインセルの目にとまり、白人至上主義者のインセルが銃乱射事件を起こすこととカエルのペペが紐づけられ、作者の制御不能になってしまうというものもあった。
この手のキャラクターの解釈を奪い取るという問題はどうしたら良いのだろう。
バカカプ腐女子は狭い界隈なので原作を乗っ取ってしまうことは起こりえないが、カエルのペペなどはインセルが完全に乗っ取ってしまい、イメージを元通りにすることができず、作者が「ペペが死んだ漫画」を描く事態に繋がった。
ペペの帰結に似た日本の事例は「チー牛」辺りだろうか。元々は自画像として描かれた絵が、無断転載者に就労移行支援のイメージを勝手につけられ、ネットミーム化して完全に乗っ取られてしまった。
程度の差こそあれこうしたキャラクターの利用、かなり意見が割れている領域であると思う。
作ったキャラクターが乗っ取られる側からしたらたまったものではないが、キャラクターを乗っ取ってコミュニケーションを取ることに依存している弱者にとっては絶対にキャラクターを手放したくないし抵抗するだろう。
元をたどると銀行の大量合併が発端。他行の賢いやつらは合併するときどっちかの銀行に銀行システムを片寄したからその時のベンダーがメンテできた。
みずほの糞は合併するとき3行のシステムをキメラ融合して頭3頭あるドラゴンが生まれてそれぞれの頭がほかの頭を攻撃するようなバカな縦割り行政みたくなった。
敵国の戦闘機や戦艦が領空や領海に来たら「これもう戦争だろ。警告無しで殺していいよ」って言うのに、自衛隊がそれやったら「この程度で処罰は厳しくない?自衛官減ってきてるんだから反省文提出ぐらいでいいでしょ」とか言う奴ら、流石にポジショントークがひどすぎるって自分で思わないのかな?
絶対的に自分より劣ってる人間の世話を焼いていると自分が相対的に立派に見えてくる。
世間一般では「人権を擁する猛獣の相手をさせられて薄給なんて最悪の仕事だ」と思われているが、給料が低い所以外は実に楽しいぞ。
結局の所、障害者なんてのは本当に動物と紙一重なんだけど、そこを割り切れるのが本当にいいんだ。
俺は昔とある企業で事務方をやっていたんだが、事務方ってのはつまる所は健常者の障害者じみた部分について尻拭いをしてやる仕事だ。
ご立派に健常者してるはずの連中相手に「伝票が揃ってませんよ」「書式が間違えてます」「これテンプレが古いバージョンですね」とかいちいち言うのはこっちも疲れる。
相手だって「おいおい俺様は健常者なのにそんな障害者に接するような態度を取りおって(#^ω^)」とイライラしているのが伝わってくる。
それもこれもお互いが一人前の人間同士だから起きるストレスだ。
だが片一方が四半人前の障害者だったらどうだろう?
向こうがイラついても「やれやれ障害者は脳が小さいことも多いからな」と諦めがつくし、話を聞いてなくても「おっと、障害者には難しかったかな?」と自省する余裕さえあるってもんだ。
たまに人並みのことをしてるのを見たら日光の猿が算数の問題を解いてみせたような驚きと喜びが得られる。
実に楽しい。
なにせ獣というのは所構わずウンコをする奴らしかいないが、障害者の9割はちゃんとトイレまで行ってウンチをする。
躾けられた飼い犬だって散歩のときは平気で野糞をするのを思えば、人間という種族の偉大さを感じるというもの。
時折トイレにクソを塗りたくるモンスターもいると聞くが、そういう連中はいよいよそっち方面が怪しい人向けの病院へと消えてくれるので、そういう職場を選ばない限りは相手をしなくていい。
障害者はリミッターが壊れているから凄い怪力とも言うけど、ちゃんとした筋トレもせず甘やかされて育っただけのホモ・サピエンスなんぞ猛禽類やヒョウ属と比べればどうでもなる相手ではないか。
動物を対等の存在として見ているような似非動物好きと違い、人間様に敗北した霊長レースの二番手以下として好いている。
ロクに爪も牙も生えていない毛無しの猿に負けるような知能の低さを愛しているのだ。
サバンナでは向かうところ敵なしと君臨していた連中が大学生ぐらいのバイトからバケツで餌を貰って大人しく食っているのを見ると「ああ、コイツらは地球の覇者にはなれなかった負け犬なのだなあ」と感動してしまう。
俺は自分より弱い相手に優しさを振る舞うというのが楽しくて仕方がない。
弱い奴らの何が素晴らしいって、俺がちょっと優しくするとみるみる依存することだ。
生殺与奪権の欠片を毎日少しずつこっちへと譲っていくその姿を見ると、「ああ、コイツらは本当にどうしようもない」と感じて、大事にしてやりたくなる。
駄目な奴というのは、こっちに依存してくれる。
でも健常者同士でそれをやるほどの根性はない。
だが執着は消えない。
その隙間を埋めるように、この人間社会で他人の助けを借りなければ生きられない連中を日々愛でているわけだ。
楽しい。
学マス毎日ログインしててさ、でも無料10連やってるの気付かなくてさ、マスターも既に10回ぐらいやっててさ、でも「マスター実装記念!毎日無料10連!」に今さっき気付いた。
全てが遅かったよ。
無料10連はね、1回で2500ジュエル≒半月分のデイリーとログボ の価値があるの。
分かる?
毎日チマチマとログインしてデイリーミッションクリアするために本を投げつけ合って、コインガチャも引いて仕事もやらせてコンテストも3回ぐらい勝利しておくのを2週間続けるのと、無料10連を1回回すのは同じ価値があるわけよ。
つまりさ、無料10連を4回サボったらその時点で2ヶ月間ログインしてなかったも同然なの?
分かる?
もう終わりだよ。
あのさあ、どんなしょーもないクソゲーでさえ無料10連が残ってるときは「無料10連が残ってますよ!」って分かるようなマークが出てくるわけよ。
なんでそれがないの?
ねえ?
君たちは毎日のようにインタビュアーの前に「ゲームのビジュアル面に超こだわりましたよ」みたいに言ってたけど、結局肝心要のUIが見事に終わってるよね?
このUI作ったの誰?
本当に誰?
無能すぎない?
一生の恥として魂の奥底に刻んで毎晩思い出しては「ああ、俺には才能がない。才能がないんだから寝てないで勉強しなきゃ」と反省してよね!