ランナウェイ仮説で少子化を考えてみる。
一般的に少子化は若者が貧しくなり日々の生活に余裕がなくなることによって起こるとされているが、データ上はそうでもない。
国内においては年収の高い東京が最も少子化が進んでいて、年収の低い九州や沖縄の出生率は高い方だ。
1972年の列島改造論からふるさと納税に至るまで、国が地方を優遇した結果とも考えられるが、それなら都民が地方へ移住すれば問題は解決だ。しかし現実はそうなっていない。
世界においては、出生率の低い順に東アジア、南欧、東欧と続きアフリカが最も出生率が高い。これもやはり、貧しさを原因として少子化が進むことの説明にならない。
米国はヒスパニック系が最も出生率が高く、次がアフリカ系、その次が非ヒスパニック系、そして最も低いのがアジア系だ。
格差社会であり一概には言えないが、インド系やアジア系の収入は高く、ヒスパニック系移民は貧しいことが多い。ここでもやはり、実態としては逆相関に近い。
金持ちになれば成功者になれると信じる人は多いが、実際には人々の暮らしが豊かになるほど少子化は進む。それはなぜだろうか。
思い返してみるといい。昔は例えば社長だったり、校長だったり、市長だったりすれば大いに威張り散らすことができた。そして、下の人間は生活のために我慢することを強いられた。
今、それができなくなったのはなぜだろうか。暮らしが豊かになったことで、偉い人に媚びへつらう必要性がなくなったからだ。
こうなった世界では富も権力も名声さえも大した意味をなさず、あるいは頭が良かったり仕事ができたとしても世の中の生活が少し楽になる程度だ。
そうして、ランナウェイプロセスによって容姿などを基準にして性選択が進み、これによって豊かな暮らしが阻害されるようになったとき、その方面での進化が止まる。
具体的には、氷河期世代が現役を引退して、中流家庭がマイルドヤンキーに置き換わったあたりだろうか。あるいは、日本人が上級国民だけになって、労働者を移民で補完するときだろうか。
そんな未来だったとしても、別にそこまで悪いものじゃないだろう。頑張って勉強していい会社に就職して上司のパワハラに耐えた挙句、突然はたき落とされるような人生よりはいい。