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2024-08-27

anond:20240827181045

ティアキンやったほうがいいよ。

ブレワイは前作が無い状態から評価されたので高い点数取ってるだけで、絶対値評価なら普通にティアキンのほうが上回ってるから

 

はじまり台地では良かったが、それなりに良い武器が集まるほど負担になっていく。

武器が壊れたらまたこれと同等のものを取りに行かなければならないと思うとそれもストレスだ。

これはスクラビルドによって見事に解決されている。

ブレワイは強い武器が欲しいときは、強い武器が落ちてる場所まで行かねばならなかったが、

ティアキンは適当な弱い武器に敵素材とかくっつければ強い武器が作れる。

特に燃える剣とか凍る剣とか、ブレワイだとレア武器場所覚えとかねばならない問題

これによって解決してて属性武器ジャンジャン作って使えるので楽しい

 

あと、いつでもエアバイクが呼び出せるので移動がめっちゃ楽。

楽すぎて2周目とかは自主的に縛っていた。

縛ったら縛ったで、翼とか活用して移動するのも楽しい

一定時間で消えるので空中で新しい翼を出して乗り換えたりするんだが、ウルトラハンドとかモドレコをがちゃがちゃ操作して乗り換えるのも

ゼルダらしい「パズル」として成立してて良い。

 

とはいえブレワイのウツシエ探しは素晴らしかった。

ティアキンでももう一度ウツシエの場所訪れて再現写真取って回ったくらいには好き。

20歳の時に変態でないのなら情熱が足りない。40歳とき表現規制派でないのなら、思慮が足りない

20年聴き続けている曲

Residence of Soulという曲が好きで20年程聴いている

おそらく私はこの曲が人類史上で最も、そして宇宙一好きな人間でありそれだけ聴いた人間である、この先の時代もそれが覆されることはないだろう・・・と思っている

客観的データは一切ないが、そう言いたくなるくらいこの曲が好きで聴いている。

これほど美しさとノリの良さが融合した曲は知らない。和楽器電子音和風SF感を出している。

私にとってこの曲は他の曲とは位置が違う。

どれだけ好きな曲でもそのうち聴く事は減っていくが、この曲だけは飽きない。

一日で聴きまくっても次の日にはまた聴ける。10年先も20年先も聴ける、その点で特別すぎる。

この曲はもともとはRASETSU 2~羅刹 弐というゲーム戦闘曲だった。

20年前の2004年の恐らく8月だと思うが、RASETSU 2~羅刹 弐の体験版遊んだとき、この曲を気に入った。そして体験版フォルダから当該のファイル(ファイル名はM-3だったはず)を取り出し聴いていたのだった。当時はこの曲をずっと将来まで聴くとは想像していなかったが。

それからPCが変わったり再生するソフトが変わったり、家の外に持ち出す機器が変わるなどしたがこの曲は聴いている。

2008年、RASETSU 2~羅刹 弐 (普及版)が発売された。これにはサントラCDが同梱されていた。

読みにくかったがCDには曲名記載があり私が好きな曲はResidence of Soulと書かれていた。

あれからもう20年。今もResidence of Soulを聴いている。

つらいとき増田につらい話を書いたらよりつらくなる話

どこにも吐き出す場所がないときは、誰か気持ちがわかってくれる人に話を聞いてもらいたい、と感じるものだと思う。

身近な人に聞いてもらえない話だから匿名で話を投下して、わかる人には「それわかる」と言ってほしいし、わからない人でも「そういうことがあるのか」と知ってほしい。

ただ、つらいときにそういう気持ちで書いた文章に対してつくコメントには容赦がない。慰めはあまりないように見える。弱っている人には叩きたがる人間が群がる。

おそらくだが、読者は自分たちが神の視点でいられる間は中立立場で読めるのだが、文章中に自分にも何らかの責任があるとされる文を見るとムッとするのだ。

そして、一定以上そういう文が存在しているのを確認すると「これは書き手が悪いですね」と判断して断罪する。

または、話に共感したり未知の情報について不思議に思うことはなく、外形から勝手判断してさも自分がその人よりもわかっているかのように分析する。

から、つらいとき増田につらい話を書くとよりつらくなるのではないか。まあ、パーソナルなつらい話を匿名なところに書くときには覚悟をするべき、ということかもしれない。

創価はクソって話

付き合ってる彼氏結婚しようと思ったら学会をやめて欲しい、って話から、色々調べて脱会ってなんでこんな難しいんだ??ってなってる。

今まだ学生から就職で引っ越す時に住所誤魔化して、脱会届も学生の頃の住所で出すかなぁとか考えてる(現住所割れたらまた付きまとわれることになりそうだし…)。でも次に引っ越してくる人に迷惑かな、とか。それならいっそ所属組織はなしで出すかな、とか。なんかいい案あったら教えてください。

正直脱会届だして親との縁が切れるならもう仕方ないかな、とか考えてる。だってその程度でキレてくる親とか、血縁とか育ちよりも宗教大事だってことだし普通に付き合いきれん。無理。

でもなんでこんなめんどくさいんだろうなぁ。親と縁切れるのはもう仕方ないとしても、親と縁を切るって字よりも重いよなぁって思う。あと妹がいるから、妹たちと縁が切れるのは悲しいかも。

正直親戚との関わりはあんまりないし、祖父母ボケておかしくなってるからだいぶ嫌いだし、で切れてもいいとは思うけど、なんかちょっとしかったり悲しかったりはあるんだよな。割り切れてないんだろうし、その程度なら辞める踏ん切りが着いてないんだろうな、とも書いてて思った。

あと彼氏本人から、こんなこと言うDV彼氏とは別れた方がいいと思うよ、って言う謎の自己申告受けた。自覚してるなら改善してくれよ、とは思うんだが、実際これはDVなのかな。学会嫌いなのも、ちゃん理由があっての嫌いだから仕方ないと思うし、わたしがやってるのはしょうがない、って認めてくれてるのはありがたいも思う、あとわたしが昔組織にずっぷりだったから、信用しきれないってのもわかる。だってわたしも別の新興宗教人間と対面したら身構えるし。でもなぁ、信用してくれないのは寂しいなぁ。わたし学会員じゃなかったら、もっと色々と甘えられたりしたのかなぁ、とか考えるとすごく憂鬱になる。とても悲しい。2年一緒にいるけど、信用を得るには足りないのか。当然か。家に入れてくれるだけありがたいと思うことにしている。

この関係健全じゃないのかなぁ、とかわたし蔑ろにされてないか?とか友人には色々言われて、別れた方が…とか言われるけど、お姫様扱いしてくれない男とは別れた方がいい、とかも言ってくるのはよく分からいから7割で聞いてる。最近は説得を諦めたらしいけど。すまんね、悪気はないんよ、頑固なだけで。でも相談しといてアドバイス聞かないのはクソの所業だと自分でも思うから、今度はお金払って占い師に聞くとかしようかなって。

彼氏と付き合い出してから創価ってヤバいのでは?ってはっきり気がついて、色々距離を置くようになった。ていうか今年の春、あまりにもキショ案件にぶつかってしまたか信仰を保つのが無理になった。元々やべーんじゃないか、って大学入ってから思ってたけど。人の不幸と生命危機信仰のチャンスと捉えるの意味からなさすぎて無理。脳みそ腐ってんのかな。振ったらちゃぷちゃぷ言いそう。

やっぱ学会にずっぷりの人類に囲まれ生活してると、ヤバさに気が付けないんだろうなぁ。妹は知った上で距離置いてたかわたしが鈍感で愚かなのかもしれない。ていうかその比重が大きそう。もう1人の方はわたしが説得して阻止したけど。これが何か人生の役に立てばいいなぁと勝手に思う。

とりあえず、親が引越しに関わってきそうな卒業時の引越しまでは仏壇は保持。そのあとは本尊脱会届と一緒に本部に送り付けて、地元組織からの追求も上手に交したい。世帯分離してるし、統監も親じゃなかったはずだから多分親には行かない。バレたらまぁその時はそのときで、って感じかなぁ。親とはあんまり縁切りたくない(金銭支援とか物理的な支援とかそういうの考えるとどうしても親の力はデカイ。まぁ学会に金とか時間とか吸われてるから大して期待はしてないけど。)けど、将来子供が生まれた時のことを考えたら、最低でも学会にかかわらない宣言はした方がいいよな。上手くいくように頑張るしかない。

乱文すぎるけど日記からヨシ。

anond:20240827111342

今の50代って、女子社員結婚したら退職って社内規定がある企業も珍しくなかったんやで

ワイのマッマは地方テレビ局給料良かってんけど、それで退職せざるを得なかったんや

選択肢なんかなかった世代もあることは覚えとき

anond:20240827192833

アホやなぁとおもうんやったらだまってそっとあっちいっとき

おおごえだしてアホ!アホ!ゆうのんバカやでそれ

anond:20240827192403

結局「童貞」の発想ってのが変なんだよ。

「変化」」がありえるというだけの話なら、

童貞ときはこの考えじゃなくて捨てた後で逆にこの考えになってる、ともいえるよね。

箕面の滝道に住む

大学生3年のとき下宿引越しをする必要があって、部屋探しをした

最初に住んでいた下宿は、決めるころには受験真っ盛りで部屋探しなんかやってられないから、両親に決めてもらったテキトー大学近くのアパートだった

大学のある町に2年住んで、ある程度土地勘がついた状態で部屋探しを自分でするのは実際けっこうやりがいがあった

そんな中で見つけたのが、箕面の滝っていうそこそこ有名な山奥の滝に向かう道沿いにある、ボロいけど3部屋ある畳張りの下宿だった

正直痺れた

徒歩圏内ホント徒歩2分くらいのところに無料足湯があって、家から30分も歩けば箕面大滝にいけるところだった

広くて、2階で、家賃も安かった

いっぽうで明らかにボロく、スーパーどころかコンビニも近くになく、交通の便が致命的に悪くて、家の前の人通りが多そうだった

結局、キャンパス近くの別のアパートに俺は住んだ

しかし、ときどきやっぱ滝道に住んでおいたらよかったかなあと思うことがある

実際不便だっただろうけど、誇りをもって暮らせたかもなと思う

夜中に起き出して箕面の滝まで歩いたりしたかもしれない 箕面昆虫館に通ったかもしれない

阪急箕面線に頻繁に乗ることになっただろう

そのままだと不便すぎるから原付免許をとったか

原付に乗ったら存外便利で、彼女にも勧めたりしたかもしれない あるいは、交通の便が不便すぎて不仲になり、交際は続かなかったかも…ってことはないな

とにかく、間違いなく箕面の滝アパートは"攻め"の選択肢で、俺はあのとき"守り"に入った

リーズナブルに、理性的に生きていこうと思って選択を重ねていって、あとから「あのときは守りに入ったなあ…」と思うことが多い

それを嫌って、俺は9万円の居合刀を買ったのかもしれない

キナリ9万円の居合刀を買ったのは間違いなく"攻め"だったと思う

居合刀は美しい 毎日手に取ってしげしげ眺める 刀というもの解像度が上がっていく

箕面の滝道に住んでいた場合の俺は、その5〜6年後に刀を買うことはなかったかもしれない

俺はこの刀で、箕面の滝アパートの幻影を斬り伏せないといけないのかもしれない

障害者としてのエレンジョー

エレンジョーかわいい

ゲームは1ミリ秒もやってないけど、毎日YouTubeで流れてくるので洗脳されてしまった。

YouTubeで流れてくる公式の紹介動画と、ピクシブ百科事典から得た情報だけでぼんやり思ったことを書いてみる。

エレンジョーの最大の特徴は、体重の1/3くらいはありそうな大きなサメ尻尾である

しかし、自宅以外でトイレにいくとき尻尾邪魔になるんじゃないだろうか?とふと思った。

ほとんどの公共空間トイレが、蓋のついた便座なので、蓋と尻尾干渉するのではないか

そうすると、蓋と尻尾干渉しないようにやや前かがみになって、尻尾左手で抱えつつ、右手を後ろからまわして拭くという、器用なことをしないといけなさそうである。その場合スカートを押さえておく手が足らなくないだろうか?

便座の蓋をなくして、便器トイレ空間中央付近に置いて便座のうしろに少し空間をつくっておいて、バスタオルを敷いたカゴでもおいておけば、おちついて用を足せそうである

エレンジョー実家トイレはもしかしたらそんな感じになっているのかもしれない。

バリアフリートイレ写真画像検索していくつか見てみたけど、便座のうしろ空間がつくってあるバリアフリートイレというものは無かった。

まり、実社会においてはどんな障害者尻尾が生えていることは想定されていないということである

トイレ以外でも、標準的人間よりも食費が嵩むから戦闘行為を伴う危険アルバイトをやっていたり、基本うつ伏せ寝だったりなど、いろいろと大変そうである

カフェでは背もたれのある椅子を90度回転させて使ってて、これは賢いなと思った。

標準的身体を持たず、標準的身体を持つ者を前提としたインフラ恩恵を得られない者は、現代社会では障害者規定されるのだが、この規定もとでエレンジョー障害者と同等の存在と言える。

エレンジョー尻尾人為的方法で後付けしたわけではなく、元々そういう種族であるらしいので、少なくとも物語中においては障害者と分類されることは無いのだろうし、本人も自分のことを障害者だと考えたことはおそらく無いだろう。

しかし、社会のいろんなインフラが、自分身体を前提にしていないんじゃないか、というのは日々感じていることだろう。

結論らしきものが思いつかなかったのでいったんこの辺で締めておく。

事情ゲームあんまりできないので、そのうちアニメやってくれるといいな。

aiko

アルバム四季イメージしてたときが好き

桜の木の下→夏服→秋そばにいるよ→暁のラブレター

知ってる曲もそこくらいまでであとはちょっと離れてキラキラを単発で知ってるくらい

頭のおかしかった時期がある

わたし20代のころの話。

子どもの頃はパパの書斎が大好きだった。

パパの書斎には大きな本棚が二つあって、天井に届くくらい大きな本棚にはぎゅうぎゅうに本が詰めてあって、難しい本ばかりで子どもには手も足もでないような本ばかりだった。

でもある日、その中から漫画を見つけた。それは手塚治の火の鳥で、ジャンプくらいのサイズ漫画だった。

私は火の鳥を全巻読んで、この作品が大好きになって何回も何回も数えきれないくらいに読み返した。

その中でも特に印象的だったエピソードは、醜く汚ならしい男が美人の尼さんのもとに通い、彼女身体を清めてもらうという話だ。

他の尼は男の醜さと不潔さにドン引きして関わろうとはしないのに、その美人の尼さんだけは差別は良くないと進んで男の身体を労り、清め続ける。

するとその男は実は神様で、容姿の悪さや不潔さに態度を変えず、清い心で接し続けたのは感心だといって美人の尼さんを誉めたんだ。

この話が大好きで、だから私は容姿や態度や不潔さによって相手を拒絶するのは良くない、だってその相手神様かもしれないんだから

そう思うようになって育ったわたしは、無事にメンヘラ化した。顔は良かったので大学在籍時には告白されることも多く、中には一目見て引くような相手から講義終わりに教室から出ると突然告白されることもあった。

当然断ろうとする。でもその瞬間、火の鳥のあのエピソードが頭に過ると、わたしには断れなかった。

結果的わたし告白してきたすべての男子を受け入れた。セックスだってした。相手が醜ければ醜いほど自分に徳が貯まるのだと信じて疑いもせず、わたしは誰彼構わず付き合った。

あのときわたしは頭がおかしくなっていたと思うし、自分の中で勝手宗教を作り上げていたのだと思う。火の鳥教。

呪いが解けたのは、社会に出てからだった。

当時のわたしは肉体的にも精神的にもボロボロで、生理不順は当たり前。肌は酷く荒れてて突然泣き出してしまうことも多々あった。

そんなわたしを支えてくれたのがひとつ歳上の先輩で、彼は容姿端麗で性格も良く、絵に描いたような素敵な人だった。

そんな人物わたしに優しくしてくれるのが不思議だったし、彼にお似合いな人はいくらでも居るように感じられた。

でも、彼はわたしのことをずっと気にかけてくれた。何度か、死にたくなって突然夜中に電話をかけたこともあった。明日仕事があるのに、彼は文句ひとつわたしに言うことなく会いに来てくれた。

それからわたしは通院するようになり、それが自分を見直すきっかけとなって少しずつ症状は改善していった。

自分のことを大切にしてこなかったんだって気づいたとき、ぼろぼろと泣いた。でもその涙は必要な涙で、イニシエーションとしての涙だった。

自分に正直に生きよう。

そう思って、まず最初に行ったのは彼にお礼をすることだった。それから彼に告白した。彼は驚いて、困惑して、結果的わたしは振られた。

わたしのことは好きだけど、そういう好きじゃないと言われた。

そのとき、気づいた。

ああ、そっか。彼も同じだったんだって

わたしが今までたくさんの男の人に情けをかけてきたみたいに、彼はわたしに情けをかけていただけだった。

振られたことよりもそのことに一番傷ついてわたしはわんわん泣いた。それからわたしが如何に間違ってきたことをしたのか、ようやく気がついた。

わたしのしてきたことは相手を救う行為じゃない。独善的相手のことを思わず、傷つけるかもしれないってことを考えずにやってた自分勝手行為だったんだってことに。

それがわかって、でも良かったのだと思う。

今は自分に正直になって生きていて、ときに息苦しいときもあるけど、けどその息苦しさも自分らしいなって愛せるようになってきた。 

これまでたくさんの人に迷惑心配をかけて、本当にごめんなさい。

来月で三十になるけど、わたしはなんとか元気にやっています

真の弱者男性

ピアノ騒音殺人事件死刑囚になった男だろう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A8%92%E9%9F%B3%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

男の属性・特徴:

精神病質者かつ音に対し極端に過敏だった男

事件経緯:

1. 苦情は言っていた:

1974年4月ごろには一度妻とともに「自分が在宅しているときピアノを弾かないで欲しい」と申し出たこともあったが、その後も被害者宅ではピアノを弾くのをやめなかったため、Oは次第に「ピアノを弾くのは自分への嫌がらせのためだ」とも思い込むようになった[4]。

2. 妻との離婚が決まっていた

事件1週間前には「親のしけがいからまず親を殺そう」と犯行機会を窺いつつ[33]、凶器刺身包丁ペンチ・背広ガーゼなどを購入していた一方[36]、このころには妻が離婚話の相談のため八王子市内の実家へ帰っていた[32]

3. ピアノがうるさいため殺害を決行

1974年8月28日7時15分ごろ、加害者O(事件当時46歳)は階下の被害者方で響いていたピアノの音で目が覚め起床したが、それまでの経緯などからピアノの音を非常に気にしていたことに加え、それまでは9時過ぎにならなければ鳴らなかったピアノの音が朝早くからなり出したことに憤慨した[37]。また前日に挨拶に来た女性に対し自分がBの悪口を話したことを思い出し「Bが自分への嫌がらせ目的子供ピアノを弾かせている」と邪推したため、Bへの憤りを抑えることができなくなったOは女性B(事件当時33歳)・長女C(同8歳)[注 19]・次女D(同4歳)をこの際一気に殺害しようと決意

事件後の反響

この事件きっかけに現代騒音問題がフィーチャーされた。

騒音被害者らによる加害者Oへの助命嘆願活動が起こり、騒音公害問題社会に知れ渡ることとなった[77]。

判決死刑

井本4月13日に東京拘置所被告人Oと面会して特別抗告するか否かの意思確認を行ったところ「抗告しないでほしい。もうこれ以上(裁判で)争わず死なせてほしい」と回答されたため特別抗告を断念し、抗告期限が切れる1977年4月16日をもって正式死刑が確定した[71]。

本人も嘆願書拒否するくらい死を望んでいた。

その後、同会は200人の会員を集めた会合被告人Oの刑事裁判支援することを決め[27]、計100通近くの嘆願書を集めて提出したが、これは被告人O自身証拠採用拒否した[57]。

死刑判決

望んだ死刑は行われず今や最高齢2024年96歳)死刑受刑者である

しかし、死刑囚O(現在96歳)は自身希望に反して未だ死刑執行されておらず、死刑確定から43年が経過した2020年(令和2年)9月27日時点でも[72]、死刑確定者として東京拘置所収監されている[9]。また、2012年平成24年4月時点までに再審請求を起こした事実確認されていない[73]。

死すら許されないこんな弱者男性、他にいるか

この増田トラバブコメで妻叩きしてる人全員夫婦エアプですね

https://anond.hatelabo.jp/20240826214121

 

まず、室温が高いなら下げればいいのです。実際に夫婦をやったことがある人なら知ってると思いますが、エアコン温度リモコンで変えられます配偶者寒いという場合羽織ものブランケットなど渡したら円滑に進みます

 

つぎに、配偶者が出した食事が気に入らないなら買って食うなり外食するなりしたらいいのです。実際に夫婦をやったことがある人なら知ってると思いますが、「結婚したら絶対配偶者が出した食事しか食べてはならない」というルールはありません。事前に献立確認し、自分ニーズと適合しているか問い合わせた上で、なるべく早めに最終決定内容を共有すると円滑に進みます

 

そして、配偶者が取る行動が気に入らない時、相談したらいいのです。実際に夫婦をやったことがある人なら知ってると思いますが、定型発達同士で日本語話者同士のカップル場合、だいたい話し合えばなんとかなりますし、なんとかならない場合離婚します。「怒鳴って解決」とか「ヒスって解決」とかはフィクションではみかけます現実ではありえません。その先にあるのは破局のみです。

 

最後に、察してちゃん解決することは何もありません。実際に夫婦をやったことがある人なら知ってると思いますが、夫婦って、役所で届けただけの他人です。言葉にして伝えても、10%伝わればいい方で、自分の思いが100%通じることは絶対にあり得ません。ましてや、言葉にせず分かり合えることは一つもありませんし、「察してくれ」で伝わろうはずがありません。自分けが伝えたつもりでも、伝わったと思わないことが肝要です。自分の思いが誤解なく伝わっているかどうか、つねに疑って過ごし、なるべく解釈余地がないやりとりを行うと、円滑に進みます

 

とはいえ夫婦というのは須く破れ鍋に綴じ蓋です。実際に夫婦をやったことがある人なら知ってると思いますが、欠点のない人間はいません。結婚前、非の打ちどころもないパートナーだと思ったとしても、一緒に過ごすうちに、欠点が見えてきます食事を出してやっても感謝もない。クソ暑いのに冷たい食事を出してくれない。疲れているのに気づいてくれない。体調が悪いのに心配してくれない。感情的号泣したり叫んだり怒鳴ったりする。ともにすごす時間が長ければ長いほど、見たくなかった知りたくなかった意外な一面と出くわすことは何度もあります

 

それでも、日本は一夫一妻製の国なので、我が国保障する夫婦においては、妻にとっての夫も、夫にとっての妻も、世界にたったひとりだけです。

実際に夫婦をやったことがある人なら知ってると思いますが、互いにかわりがきかないかけがえのない存在であることを忘れず、毎日帰ってきてくれることや、毎日食事を用意してくれることに感謝の心を持ち、常に謙虚に、そしてときには理不尽であろうとも、本心にそぐわない場合でも、配偶者が黒といえば白も黒と扱ってあげることができる程度の精神的なゆとりを持つことで、円滑に進みます

anond:20240827091144

要人物少なくてもミステリーには被害者犯人容疑者使い捨て登場人物が毎回出てくるからキツイ気がする

田中が殺されたとき山田鈴木は一緒にいたから怪しいのは加藤みたいなのを把握できないと何が面白いチンプンカンプンでは

anond:20240827170132

食感がダメって言っときゃいいと思う

ウニ好きだけどどっちかというと珍味の類だと思うんだよな

俺以外の全員に病気が発覚していくとき

うっすらと 俺だけじゃないなら大丈夫!と思っていたことが、俺だけが怠惰なのがわかって崩壊していく 世界

この世界俺だけが異常

入場したら席がなかった8/24のできごと備忘録

この界隈の端っこに住み着いて十数年。

推しグループの念願の、待ちに待った、本当に念願の単独ライブ幸運にもチケットを確保できて無事当日を迎えたけれど、いざ入場してみたら、席がなかった。信じられなかった。

未だに感情が渦を巻いていて整理できずにいる。なので備忘録的に当日どんな流れだったのか、どう思ったのかを書き連ねて、自分自身の一区切りにしたい。

でもこれはあくまで私が経験した当日の流れと感情。色んな事情の人がいる。感じ方も自由。どう思うのが正解というのはないと思う。

でもあの日はみんなただ楽しむためだけに行ったはず。なんでこんなことになったんだろう。

8/24 Kアリーナ横浜 15:30開場/17:30開演

過去の一件から絶対時間に余裕を持って行くことにしているため、当日も開場時間には入口付近にいて、すぐ入場した。滞りなくすぐ入れて、開演までだいぶ時間に余裕があったのでゆっくり列挙するフラスタを鑑賞したりして、徐々に気分を上げていった。それでもまだ時間があったのだけど、一旦座席確認しに行こうと会場へ向かった。

アースタンとはいえ前方はアリーナからすぐに傾斜が始まるような構造で予想以上にセンスから近かった。そして真正面。最高に見やすい。ステージ全部が見える。座席運が良かったことがこれまであまりなかったこともあり、ここで見れるんだ!と連番でとってくれた友人ととても、すごく、すっっっっっっっごく興奮して喜んだ。

真正面に見えるステージを横目に座席を探す。ない。

事前にチェックしていた席があると思っていた場所には機材が組まれている。機材席の周りをぐるぐる行ったり来たり。ない。

スタッフさんは確か2人くらい立ってたけれど、「なんで?どこ?なくない?」とか言いながら歩き回ってる私たち特に声をかけることもなく。

何回見ても見つけられないのでその場にいたスタッフさんに「この席ってどこですか?」と聞く。「あーーー・・・ここですねぇ」と一緒に機材席を見ながら困惑したように返事。そのスタッフさんが別のスタッフさんに聞きに行く。ようやく「そこの階段上がったロビーに集合するようにと聞いてるので行ってもらえますか」と言われる。

その曖昧すぎる誘導はなんだと思いながらも指示に従うしかなく向かう。着いた先にはすでに不安そうな顔をした人たちが10前後。不穏な空気。何が何だかからないまま待機し、人がもう少し増えたところで説明するので集まってくださいとキョードー横浜の方から説明が始まる。

「率直に現状をお伝えしますと、配席ミスで機材席にも配席してしまいました。完全にこちらの人的ミスとなります申し訳ございません。皆さまの席は一つ上の階のミドル席になります関係者席にご用意する予定です。なお、チケットは差額返金ではなく全額返金となります。」

とても簡潔に、わかりやすく現状を教えてくれた。

真っ白になった。理解が追い付かない。

理解の早かった方はもう説明最初の方から泣き出してた。私は説明の終わりのころにようやく言葉理解し始めて、でも信じられなくて涙で視界が歪んだ。絶望しかなかった。

席がないって、どういうこと?せっかく当選したのに?お金大事だけどお金問題じゃない。さっき見た景色は?え?どういうこと?

この時点で16:15くらい。どう見てもスタッフさんたちも混乱していた。率直にと言った通り、あの時点で言えることは本当にあれが全てだったのではないだろうか。その時はありえないと思ってたけど、今回のことは開場して人を入れ始めて発覚したのではないかと思う。

でなきゃ開場もしてるのにそこに立つスタッフさんにすら周知もなく、結果196人も該当者がいたのにあんな狭い入場扉の前にただ集めて待機させるとかない。正確な該当人数の把握もできず、待機場所の確保すらできず、取り急ぎ該当する人たちをどうするかで奔走してたんじゃないかな。該当の私たちも入ってからしかこの事態を知ることができないという最悪の状況だったし。

これはあくまでも私の場合で、もっとから入場した人は席付近に行ったらスタッフさんが誘導してくれたって人もいたみたいだし、追加情報も都度あったのかもしれない。でも 説明を受けた人は奥へ、まだ聞いてない今来た人は手前へ、とどんどん奥に押しやられて、入場ゲートやフラスタがある騒がしいロビーの一画で、声が全員に聞こえるはずもなく。

私と友人はそれ以降それ以上の追加情報を得ることもなく、その場に立ったまま開演時間近くまで待機となった。拡声器を使い出したのは開演時間30分も切ったくらいからだったように思う。それでも全然聞こえなかったけど。

待機中、該当の人たちは起こっていることを考えると本当に静かに待っていたと思う。すでに起きてしまっていることはどうにもならない。泣いても騒いでも憤ってもどうにもならない。私たちはここで待つことしか出来ない。打ちひしがれてた。

でも、そうとは分かっても全然割り切れないし、納得できないし、めちゃくちゃ腹たつし、今日の為にと思ってたことすべてが無駄にされた気分になるし、なにより悲しくて悔しくて。瞬間的にすごい怒ったり泣き出したり落ち込んだりをそれぞれ繰り返して、最後感情を押し殺してその場で大人しく待ってたように思う。

みんなこの日のために推し色の服やグッズを装備して、全力全開で楽しみたくて来たんだよ。そもそもこの席ほとんど円盤シリアル先行当選者ばかりでしょう?それなりにみんな円盤積んで抽選勝ち抜いて得られた、このエリアで最良みたいな席でしょう?なんで私たちこんなところで立ちっぱなし待機させられてるの。なんで。何が起きてるの。気持ちが真っ暗だった。

加えて途中から入場者が増えたせいなのか場所が悪かったせいなのか電波全然入らなくなって、会場内の様子も分からない状態になった。私は友人と一緒だったし、その場にいた方と嘆いたり怒ったりを共有しながら待っていたけれど、放置されたあの時間はとても長く感じた。

最初に状況説明されたとき「それで、入場はいつになりますか」と尋ねた。

「用意でき次第すぐご案内します」と言われた。

かにその通りだった。つまり、用意できないか全然入場できなかった。

何時頃になるとも知らされないまま17:00。

開演30分前になっても状況は変わらず、本当に席を用意してくれるんだろうか不安になり始める。なぜならその頃には該当者はほぼそこにいて、ざっと見ても100人以上はいた。

関係者席にって言ってたけど、こんなに関係者席ってあるのかな」「席たりなくない?」「どう配席するんだろ」と声が上がる中、ようやく元々の座席1列目の方からドルスタンド1、2列目に配席しますと知らされる。会場内の配置がわからないので、この人数が収まる空席が何故最前である1、2列にあるのか、そこが関係者席なのか、と疑問に思った。

そんな疑問を抱えつつも最初の方々の案内がようやく始まってホッとはした。が、なにぶんもう開演まで30分はゆうに切っている。私は該当席の中では後半組。前半の人から前方に来てください方式だったので、少し下がった場所で順番を待つ。全然進まない。というか止まっていた。なんで。時間はどんどん過ぎていく。電波がないから会場内の様子も一向にわからない。

5分前になっても順番は来なくて、過去公演の悪夢がよぎった。泣きそうだった。でもそこで「皆さんの入場が完了するまでは開演しません」と案内を聞いた。当然でしょう。てかもっと早く言えと思ったけど心から安堵した。そうしてようやく順番。手書きの配席チケットと、詫び水を渡される。いらない。

その後も案内が杜撰で、案内通りに進んだら席はそこではなく。誘導もいなかったので自分たちで席を探す。1、2列とは聞いてたけどこんな両サイドとは聞いていない。結局席は入った場所からは逆サイドだった。座っている人たちに怪訝視線を向けられつつも移動し着席。17:35。

疑問に思っていた、私たちが配席された「関係者席」は「関係者(のキャストが通るために予め空けていた)席」だった。

色々情報が出てるけどそうとしか思えない。

キャストが上階を練り歩いてくれる演出があって、そのために1、2列は空席にしてて、そこに私たちを充てたんだと公演中にはもう推測できた。と同時に、私たちを配席したことでその階のその演出がなくなったこと、その付近の方々の最高の機会を奪うことになったことにも後から気付かされてとても気分が悪くなった。悲しい想いをしたのは私たちだけじゃなかった。

混乱しないようにとの配慮だったのかもしれないけど、開演時間迫ってから私たちをいれ始めたせいで開演時間が押した。ライビュ上映時間大丈夫だったのだろうか。

会場に入った瞬間、開演待ちの拍手をみんながしていて目が潤んだ。私たちには拍手も、ドキドキしながら準備する時間もなかった。席に着いて即ライト等を装備。慌ただしくてあまり覚えてないけどそれからすぐに開演したと思う。終わってからリングライトを逆さに付けてたことに気付いた。交換も頑張ったのにね。

私はライブはもう割り切って楽しもうと思った。楽しかった。本当に楽しかった。でも時々眼下に座るはずだった場所が見えた。あそこから見るはずだった。すごく眩しく見えた。

終演後、口をついて出るのは悔しさと恨み辛みで、どうしようもなかった。

みんなと一緒に楽しかたことを興奮しながらすごく話したいのに。念願のライブだったのに。すごくすごく楽しかったのに。心がふたつあるみたいだった。感情が奥底で固まってしまって無感情に近かったのか、そういえばこの時涙は出なかった。

私は二日目の公演にも幸いにも行けて目一杯楽しく過ごせたから、これで一日目のことは上書きできる!とか思ってたんだけど、全然そんな器用にできなくて。二日目の公演後にいろんな人に声かけてもらって、話して、共感してくれて、実感して、ようやくちゃんと泣けた。友人含め声かけてくれた人たち本当にありがとう

席種グレードが下がったとは言え返金対応もあり、場所も端だけど座席自体は確保してもらえたし、客観的には最低限のことはクリアできたからよかったねと言えるのかもしれない。

元凶ではあるけれど、当日尽力してくださった現場の皆々様もさぞかし大変だったことでしょう。対応は良いものではなかったけど、どうにかしようとしてくれたことは感謝してる。許さないけど。

会場配席図面を作る人、なんで最初に機材席確認しなかったの?

プレイガイドの人、会場知ってるでしょうにこの位置は機材席では?って思わなかったの?

機材配置決定して、毎回あるのに今回機材開放席の販売は?とか誰も思わなかったの?

なんで誰も気付かなかったんだ?

気付けるタイミングはいくらでもあったはずなのに。

それに何で公式アナウンスが一切なかったの。何のためのSNSなの。最初のお知らせが一日目終わってから23:34ってなに。翌日にも該当者はいるのに。

責任がどことか経緯とか詳細は後にしてでも、真っ先に周知するべきでしょう。周知もなく、入場時に止められるでもなく、現場着いて席がないって分かるのどれだけショックか分かりますか。

ジャンルの都合上、毎年公演があるわけでもなく、あるのが当然とも思ってもいなく。

沼って十数年、私にとっては去年の仙台とセットと考えて「単独ライブ」は初めてだった。次を信じてはいるけれども、今回が最後かもしれない。次はないかもしれない。あってもチケットが取れないかもしれない。キャスト自分も体調を崩すかもしれない。だから行けるなら絶対行きたくて。一回一回がとても大事で。そんな公演の一つだったことを運営には再認識してもらいたい。

何故こんなことが起きたのか今一度原因を詳細に検証し、二度と起こらないようにしてください。もうそれだけ。

気持ち吐露することの方が強くなってしまった気がするけど、自覚している以上に心に深く突き刺さっていて精神的にもまだ参っているようなので、ここに吐き出すことを区切りにして、ちょっと一息吐こうと思う。TLの楽しくてキラキラレポートを読んで笑顔で過ごすよ。でももうしばらくは涙腺が緩いのは許してね。

ライブ最高でした。7人そろって最高の景色を見せてくれてありがとうございました。私は一緒に歳を重ねて笑い合って過ごせることだけで本当に幸せです。ずっとずっと、帰る場所、です。こんな者もおります。ゆるくていいから、何十年たった後もみんなで歌いたいです。また絶対会いましょう。

おつかれさまでした。

https://anond.hatelabo.jp/20240827133418が消えていたのでアーカイブしました。備忘録とは。

anond:20240827162905

車買うとき自動車メーカーホームページ一回も見ないの?

ディーラーtwitterだけみて買うの?

まぁそれでもいいと思うけど。

YouTubeだけ見て買えよ!っていうのが若者意見なのか。

まあ老害でいいわ。

心理的安全性が誤解されるシンプル理由

心理的安全性について理解したいのであればこの記事https://q.livesense.co.jp/2023/09/26/ が一番わかりやすい。

増田はこの記事理解するための補助線を引こうと思う。

もともと「◯◯的安全性」という言葉はいろいろな実学分野で使われていて、ほとんどの場合は何の誤解も招いていない。

たとえば、公衆衛生分野でよく使われる言葉に「微生物安全性」がある。

日本食品保蔵科学会誌VOL.27 NO.3 2001〔総説〕

カット野菜品質特性微生物安全性

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jafps1997/27/3/27_3_145/_pdf

さて、カット野菜微生物安全性を保つために何が行われているのかみなさんお分かりになるだろうか。

ほとんどの人はお分かりになるだろうが、答えは「殺菌」。微生物安全に守られるどころか死んでしまっている。

このように人々は他の分野の◯◯的安全性については正しく意味が取れる。短期安全性短期くんを守っているわけではないし、情報理論安全性情報理論ちゃんを守っているわけではない。

しか心理的安全性になると急に「心理安全に保つ方法」と誤読してしまうのだ。

人の心=守るべきもの という先入観から誤読してしまうのだろう。増田はこれは仕方ないと思う。

微生物安全性が「微生物とりま環境で××(食べ物水道水)を安全に保つ方法であるように、心理的安全性とは「心理とりま環境で××(仕事労働者)を安全に保つ方法」だ。

からときには心理を殺すことすら必要になる。

このことを念頭においてもう一度冒頭の記事を読み返してもらいたい。きっと深く納得できるだろう。

心理的安全性が誤解されるシンプル理由

心理的安全性について理解したいのであればこの記事https://q.livesense.co.jp/2023/09/26/ が一番わかりやすい。

増田はこの記事理解するための補助線を引こうと思う。

もともと「◯◯的安全性」という言葉はいろいろな実学分野で使われていて、ほとんどの場合は何の誤解も招いていない。

たとえば、公衆衛生分野でよく使われる言葉に「微生物安全性」がある。

日本食品保蔵科学会誌VOL.27 NO.3 2001〔総説〕

カット野菜品質特性微生物安全性

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jafps1997/27/3/27_3_145/_pdf

さて、カット野菜微生物安全性を保つために何が行われているのかみなさんお分かりになるだろうか。

ほとんどの人はお分かりになるだろうが、答えは「殺菌」。微生物安全に守られるどころか死んでしまっている。

このように人々は他の分野の◯◯的安全性については正しく意味が取れる。短期安全性短期くんを守っているわけではない。情報理論安全性情報理論ちゃんを守っているわけではないし、

しか心理的安全性になると急に「心理安全に保つ方法」と誤読してしまうのだ。

人の心=守るべきもの という先入観から誤読してしまうのだろう。増田はこれは仕方ないと思う。

微生物安全性が「微生物とりま環境で××(食べ物水道水)を安全に保つ方法であるように、心理的安全性とは「心理とりま環境で××(仕事労働者)を安全に保つ方法」だ。

からときには心理を殺すことすら必要になる。

このことを念頭においてもう一度冒頭の記事を読み返してもらいたい。きっと深く納得できるだろう。

anond:20240827155520

なんで極論に次ぐ極論なんだよw

じゃあ質問をかえてさ、個人店に行くときって何を元に判断するの?

口コミ食べログ

単純に気になるのよ

anond:20240827153903

じゃあそれが自営業で体調も悪く仕事も忙しく死ぬほど苦しいときに、目の前で妻だけ飲み会行きまくったり、死ぬほど大変なときに目の前でゴロゴロ休んで無視されてもそう思えるか?

出産の痛み

三大激痛のひとつに「尿管結石」があるけど、経産婦で尿管結石をやった人曰く、「尿管結石の方が痛い」って。

出産は波があるって聞くけど、尿管結石はずっと安定した痛さで、なんならどんどん痛みは強くなる。だけど知ってしまえば耐えられる。

ワイのいちばんの痛みは中毒下痢の時の「お腹の痛み」。麻酔無しの歯科の方がまし。ちなみに鼓動に合わせて歯が痛いときは、虫歯ではなくて歯肉が腫れて神経に触る痛み。だから冷たい飲み物口に含んで冷やすと血管も縮んで痛くなくなる。痛み止めより消炎剤がきく。

anond:20240827152852

同級生を名札の針で刺したらめちゃくちゃ怒られたわ

でも怒られるだけで済むんだったらもっと刺しときゃよかったって今なら思うな

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