はてなキーワード: ちんぷんかんぷんとは
Twitter を見てると、太陽系の天体が螺旋運動するこのデマ動画が、いまだにRTされたりして拡散しているのでうんざりしてきた。
「太陽系 公転」「太陽系 運動」「太陽系 移動」「太陽系 回転」などで検索すると、この動画を真に受けて紹介しているブログなどが検索上位にヒットしてきて、さらに誤解を広める一因となっている。
あまつさえニコニコ動画にも転載され、字幕までつけられている。
結論から言うと、これはトンデモ信者が思い込みだけで作った信憑性ゼロの動画である。映像の出来だけはよいからか、昨年の3月頃からかなり広まっており、天文学者フィリップ・プレイト氏がブログでその間違いを指摘した記事を出している。プレイト氏は『イケナイ宇宙学 間違いだらけの天文常識』の著者で、世にはびこる間違った天文・宇宙ネタを斬って解説するブログ Bad Astronomy で知られている人。
この記事の和訳版が以下にあり、大変ありがたいのだが(動画が話題になってすぐのタイミングで和訳まで出たのは本当に感謝している)、残念なことに誤訳が目立つという指摘があり、いまもって修正されていない。
翻訳が不自然な箇所を以下にテキストで逐一指摘してくれている方がいたが、行きつ戻りつ確認しながら読むのが大変なので、勝手ながら指摘箇所を中心に翻訳を修正して以下にまとめ直した。いまだに信じて動画を広めてしまっている人に「それ間違いですよ」と指摘しようにも、記事の誤訳が多かったりするとちょっとなぁ、となるので。
なお、もし元の翻訳記事が適切に修正されれば本記事は消すつもりだが、和訳した方は当時Twitter で指摘されてこの校正テキストを読んだはずなのに、もう1年半ほど放置されているのであまり期待していない。
間違いを打ち消すために、まともな太陽系の公転運動を描いた動画があれば知りたいものである。
なめらかな動きでコンピューターアニメーションが太陽の周りを周る惑星の動きを、天の川銀河を周る太陽軌道のように解説する動画について、ツイートやメールがたくさん来ている。とてもきれいな動画に、説得力のある音楽、ていねいな作りの画像。
しかし、問題がひとつある。間違っているのだ。間違いは表面的なものではなく、間違った前提からきた根本的なものだ。中にはいくつかの有益な視覚情報があるが、私は(銀河サイズの)話題のタネだと思っておくよう警告する。
なぜか? 彼の主張の基礎は、「惑星は太陽中心の軌道を描いているのではなく、銀河の周りを渦巻き状に移動している」というものだ。
私は普段、こうした話題の間違いを暴くような面倒なことはしない。奇抜な主張はいつでもあるし、たいていは自滅していくからだ。しかし、この件についてはたくさんの人が私に知らせてきたし、明らかにかなり人気を博している――たぶん表面上は正しく見えるし、画像も大変きれいだからだろう。また、科学を知りつつもそこから離れて久しい人たちによって広まっているのではないかと見ている。このような話題を扱うときには、いつも少し深く掘り下げる手間がかかる。
そこで、シャベルを取り出してみよう。
動画の作者DJ Sadhuは明らかにコンピュータグラフィックスの才能がある。しかし科学は……まあ。私にはすぐさまこの動画が何を目指しているのかわかった。彼は率直に、太陽系の太陽中心モデルは間違っている、と述べている。しかしながら、この Sadhuの主張ははなはだしく間違っている。重力は存在しないと言っているようなものだ。
地動説とは、太陽が太陽系の中心にあるという考え方で、惑星はその周りを周っている(他にもいくつか大事なことがあり、たとえば惑星の軌道は楕円であるとか、軌道は同一平面上にあるのではなくて互いに傾いているとか)。この考え方は、地球が太陽系の中心だという古い天動説にとってかわった。天動説は、それをちゃんとした物理のモデルだと考えると、あらゆる種類の奇妙な仮定をしてやらないとちゃんと機能しない、とてつもなく複雑で考えすぎの物理モデルになってしまう(タイレノールなどの頭痛薬があるなら、epicyclesの項を見てみよう)。地動説はそれよりもずっと物理的に正しいし、ずっとうまく機能している。
私は、どちらのモデルにもそれぞれの使い道があると言いたいのだ。もし特定の惑星が天のどこにあるのか知りたいなら、天動説の座標を使うことになる。われわれは地球に住んでいて、地球は動かずに天の車輪が頭上を回転して動いているように見える、それは理にかなっている。しかし、もし惑星へ宇宙探査機を送りたいなら、太陽中心のシステムが必要なのだ。地球も惑星も両方とも動いていると考える方が、はるかに計算は簡単になる。
Sadhuは、地動説が間違っていて、実は惑星は渦を描きながら太陽を周る動きをしているのだと主張している。彼が実際に言わんとしているものは、渦ではなくらせんである。この2つは名前が違うだけでなく、物理的な動きもその特徴も全く異なる。らせん軌道を描く粒子は、太陽系のようにお互いには干渉していなくてもよいが、渦を描く粒子は抗力と摩擦を通じて互いに干渉している。
しかし、意味論的な論争はよそう。もう一度動画を見てみよう。Sadhuは太陽が惑星を先導しているかのように、太陽が惑星よりも前方に出て銀河を回っているかのように描いている(2番目のビデオだともっとそれは明白だ)。これは単に誤解を招くだけでなく、完全に間違っている。惑星は、われわれが銀河系の中を巡るとき、ときどき確かに太陽の前に出たり、ときどきその後ろをついてゆく(太陽を周回する軌道上のどこにいるかによる)。実際に夜空の惑星を見たことのある人にとっては明白な真実である。なぜなら夜空の一部は、地球や太陽が銀河系を周るときの進行方向にあたるわけだが、惑星はその部分にだって観測されるのだ。
ここでも、細かいことをあれこれ議論するのはやめよう。後述するように(「こうした考え方はどこからもたらされたのか?」の項)、惑星が銀河系内を動くときに太陽の後ろをついていくという考え方は、Sadhuがらせんについて述べるときの思考基盤となっている。しかしまずは、もうちょっと見てみよう。
太陽が銀河の中を移動していく様子を示している、彼が二番目に公表した動画では、もっとひどい状況だ。
公平のために言うと、今回彼は惑星の動きについて「らせん状」だと正しく記述している。しかし、まだ惑星が太陽の後ろをついていくように描いていて、これは間違っている。また特に動画の冒頭では、太陽中心モデルと、らせん運動についての彼の説明を具体的に比較しており、誤った「太陽主導」の考え方を補強している。
彼の動画における太陽中心モデルの動きを注意深く見てみよう。銀河を周る太陽が動く方向は、惑星の軌道平面と同じに描かれている。しかし、こうではないのだ。太陽系の平面は、車の前方への動きに対してフロントガラスが作る角度のように、銀河系に対して約60度で傾いている。
これは本当に重要な点だ。らせんモデルでは、銀河を周る太陽の動きにあわせて、太陽を垂直に周回するような惑星が描かれている。お好みなら「正面向き」といってもいい。これが間違っている。なぜなら、惑星の軌道は60度で傾いていて、90度ではない。惑星はときに太陽の前に、ときに後ろになる。これだけで、らせん描写が正しくないことがわかる。地動説という現実のモデルにおいても、順行-逆行運動というものは存在し、現実の空できちんと観測できる〔訳注:詳しくはこちら参照〕。
しかしそれだけではない。動画では、太陽が銀河を周ることを見せていて、らせんに沿って上昇、下降している。最初の動画のように、一部正しいところもあるが、大方は事実からかけ離れている。
われわれの銀河は、中心部が膨らんでいる平たい円盤で、端から端まで約10万光年の距離がある。この円盤は無数の星を内包し、その重力が合わさって、銀河中心を周る軌道に太陽を留めている。ちょうど、太陽の重力が惑星を軌道に留めているのと同じだ。
太陽が銀河系を一周する軌道の長さは、およそ2.4億光年ではない。銀河を周回するときには、だいたい動画にあるように、太陽は実際ぴょこぴょこアップダウンを繰り返している(とはいえ大体1周につき4回ぐらいなのに、Sadhuは動画内で数十回もアップダウンするように描いている)。〔訳注:太陽系が銀河系内を周回する軌道の図参照(垂直方向は強調されている)〕
このような運動が起きるのは、銀河円盤での重力の働き方のせいだ。ここが非常にクールなところだ。円盤よりほんのわずか上にあるものは、円盤に向かって全体的に下へと引っ張られる。円盤が巨大な物質の板であると想像してみて、太陽がその円盤よりも上にあるとする。円盤の重力は太陽を下へと引っ張る。星と星の間は遠く離れているので、太陽は円盤の間を通り抜けて下へ降りていく。そうすると今度は、下に来てしまった太陽を円盤がまた引っ張り上げる。このとき、太陽の動きはだんだん遅くなり、そして止まり、向きを逆にしてまた円盤へと急激に突入する。太陽は、銀河円盤の中心から上下にそれぞれ200光年ぐらいの浮き沈みをするが、円盤は1000光年の厚みをもっているので、結局私たちは銀河円盤の中にしっかり留まっている。しかしこうした摂動は永遠に続き、太陽は大海のコルクのように浮き沈みを続ける。
太陽は銀河を周回しているので、合わさった動きはすてきな波のパターンになり、浮きつ沈みつ回転木馬のようにまわり続ける。ゆえに、Sadhuはこの部分に関しては(多かれ少なかれ)正しい。
だいたいはね。しかしここに3つ目の要素が加えられている。ひねったらせんを描く太陽の道筋を、彼は歳差運動の性質だとしている。この部分は間違っている。非常に間違っている。
歳差運動は物体が回転するときにてっぺんをぐらぐらさせる動きで、回転の中心軸からずれた向きの力をてっぺんに加えたときに起きるものだ。コマのてっぺんを突くとぐらつく、それが歳差運動だ。地球自身も太陽と月の重力に引っ張られて歳差運動をしており、その軸の1回の揺れ周期は2万6000年だ。
明らかにSadhuは、動画の中でこれを表現している。しかし、ぐらつきは太陽にまったくなんの影響も与えていない。それはただ、地球が何かしているだけだ。しかし、Sadhuは銀河を周る太陽の動きに付け加えていて、それは意味をなさない。動画では銀河を周るコークスクリュー(コルク栓抜きのような螺旋運動)を描いているが、ときには銀河の中心に寄り、ときには遠くへ離れる動きを何度も何度も繰り返している。回転木馬のたとえでいえば、馬が真ん中で回って、上下に、また左右に動いているようなものだ。しかし、それは太陽の本当の動きではない。左右の運動なんてない(軌道ごと何度も銀河の中心に向かったり離れたりするなんて)。Sadhuの示すコークスクリューパターンは、間違っているのだ。
動画と解説文において、Sadhuはかなり頻繁に、座標系と力と運動を混乱させている。
彼はなぜこんな正しくない運動を描くのだろうか。それを掴むため、彼が元にした文献をあたってみた。
動画と彼のサイトによると、SadhuはPallathadka Keshava Bhatという人から学んだそうだ。Bhatによる「らせんの渦巻き:太陽系の動的プロセス」(“Helical Helix: Solar System a Dynamic Process”〔リンク切れのためこちら参照〕)と題された文章にこの考え方はすべて説明してあり、細かすぎる点は指摘しないが、ちんぷんかんぷんなものだった。まじめな話、どれもまったく意味をなさない。Bhatは地動説は間違っていると主張しているのだが、その主張を補強するために、虚偽のアイディアを次から次へと用いているのだ。彼の主張の間違いを暴くためにページを割くこともできるが、ここは短くまとめてみよう。
私はBhatの主張を何度も読んで、可能な限り好意的に考えようとした。私がかき集めたところでは、彼が言っているのは、太陽の動きによって、太陽を先頭にして惑星が後をついていくという形で、惑星は銀河系内でコルク栓抜き状のらせん運動をする、よって地動説は間違っているというものだ。Sadhuの動画の解説文によると、こうした動きをうまく描いているという。しかし、どれも完全に間違っている。もしそれが正しいのなら、外惑星(太陽から地球よりも遠くにある、火星や木星など)は太陽の反対側に遠く離れて見えないだろう。しかしいつだって、私たちには見えている。
それに、私たちは何度もほかの惑星へ宇宙探査機を送っていて、どれもいまだその軌道上にある。もしBhatがいうように地動説が間違っているのなら、探査機はいつになっても目的の惑星に到達できない。探査機を送るための軌道計算が間違っていることになるからだ。探査機の道筋を計算するときに銀河を周る太陽の動きを考慮する必要なんて全くないから、Bhat氏のいうことは正しくない。
太陽が太陽系の先頭で、惑星はその後ろをついていくという主張も、明らかに間違っている。太陽は、Bhatが主張し(Sadhuが動画で示して)いるように、銀河系を突き進む弾頭のように太陽系を主導したりしていない。惑星は太陽の周囲を周り、全体が一つのユニットとして銀河系を60度の傾きで移動している。これは、銀河の軌道に沿って惑星はときに太陽の前になり、ときに後ろに続くということだ。
これはそう、道を歩くあなたの頭の周りを、端にボールの付いた紐がぐるぐる周っているようなものだ(この円は60度傾いている)。ボールはときに頭の前になり、ときに後ろになる。道を歩くときには常にあなたと一緒だが、歩く速さには関係なく、相対的にはあなたと同じ速さでいつも移動している。あなたが自分の動きを線で表すとすると、ボールは傾いたらせんを描くだろう。これこそBhatとSadhuが説明しようとしたことなのだが、しかし間違った説明になってしまった。
Bhatは、その文章の中でいくつもの間違いと論理的誤ちを犯している。たとえば、Sadhuの地球歳差運動の誤用についてBhatが何と言っているか読み取ろうとした。しかし、とても不明瞭で(それに単純なミスもあり、彼は歳差運動の周期を22万5000年としているが、実際には2万6000年)ゴルディアスの結び目を解いているみたいだった。まだほかにも。彼は、もし地動説が正しいなら、日食は1カ月に1回起きなければならないと考えている(46ページと134ページを参照。ちなみに日蝕が一ヶ月に1回起きないのは、月の軌道が傾いているため)。また、彼は「太陽中心軌道は不可能であると意味しなければならない」と結論付けた部分で、地球が太陽の周りを周る回転について根本的な勘違いをしているようだ(文書の30ページを参照のこと)。実質、私が読んだ文章の1ページごとに基本的・根本的な間違いがあった。
そしてこれが、Sadhuの(間違っているにしてもステキな)動画が基礎としているものなのだ、いいかい? いっておくが、もしSadhuのサイトをのぞいてみたら、あらゆる種類の……んー、おかしな陰謀論……9.11陰謀説から、ケムトレイルから、デイヴィッド・アイク(本気で爬虫類型異星人がデンバー空港の地下に住んでいて世界を支配していると主張している)が怒り狂いそうなのから、名前しかない程度のものまで見つかるだろう。私は、彼のほかの考え方を念頭に置くことにした。
DJ Sadhuの動画は、とてもステキで、そのうちいくつかは真実を元にしたものだ。しかし、私の意見ではBhatのゆがんだ宇宙に対する見方のせいで、その核心が失われてしまっている。
彼の動画は正しいように見える。クールであるように見える。ものごとはこうでなくっちゃ、というセンスに訴えかけるものがある。しかし、物事がどうあるべきかと、実際にどうなのかということはいつも重なり合うわけではない。宇宙は本当にクールな場所で、とてもよく出来た一連の法則に基づいて動いている。私たちはこうした法則を「物理」と呼んでいて、それは数学で記述されている。そしてそういうこと全部を理解しようとする試みが、科学である。
クールなものがすべて科学ではない。しかし科学の全てはクールだ。これは普遍的な法則ではないかもしれない。けれども、私の見てきた限り、これは真実なのだ。
いわくアイツは○○大学を出たのにプライドばっかり高くって真面目に仕事をしない、覚えが悪い、コミュニケーション能力が低い。
真面目で素直でやる気が人材を、自社で真っ白から育てるのが最高!
いくつも面接を受ける必要のある最近の就活は、「負けた感」を抱かせがちです。
特に高い学歴を持っている人物は「もっと上」を目指していたかもしれません。
経験の積み重ねは一朝一夕では買えないので、自社の事を知り尽くした人材は得難いものだとも思います。
これ実体験として感じる事なんですが「中の人」向けのモノってどんどん外からやって来た人には使いにくくなるんですよね。
人間の慣れはすごいモノなので、どんなに使いにくいモノでもそれが日常的に使うものなら不自由なく使えるようになっていってしまうのです。
特に真面目で素直でやる気のある人は、しっかりメモを取って頭と手で覚えていくでしょう。
アレを知っているのはAさんで、あの資料はどこそこに在って、独自の手続きCを踏んで……
外の人から見たらちんぷんかんぷんなものがドンドン出来てきて、それを皆で粛々とやるわけです。
バッドノウハウをどんどん作って、どんどんそのノウハウを身に着けていき、無駄なことを効率的にこなす組織が出来上がっていくわけです。
そういった組織で新しい人ができることは何もありません。誰にでもできる雑用をやりながら少しづつ先輩からそのノウハウを学んでいかざるを得ないのです。
・冷静に考えれば不味いよ腐ったしくみ
新しい人が慣れるまでに時間がかかる仕組みがよくない事は明らかです。だって、新人が「仕事」をできるようになるための時間が増えて、その分の労働力が無駄になるわけですから、単純な損失です。
そして、もっと不味いのはこの腐ったしくみは、一度腐ると腐る一方になりがちだという事です。
なぜか、
そこにいる偉い人たちはその仕組みに慣れ親しんできたわけで、何年もかかってそのノウハウを身に着けたのです。
そうすると、そのノウハウを捨てる事には無論抵抗があります。その上、いくら便利な仕組みでも、転換にはコストがかかります。
そうして、腐ったしくみを維持すると、どんどん転換は困難になって、その腐った仕組みを真面目に苦労して身に着けて来た人が増えていくのです。
その組織の中でしか評価されないような仕事ばかり身に着けるのは労働者にとってももちろんリスキーですが、会社にとっても恐ろしい事です。
まず無条件に教育コストが掛かる。人材の代替が出来ないから長時間労働化が進む。
組織は腐り続けても人は成長し続けられませんし、もっとも成長する若いうちに腐った環境への適応を求められるからです。
実は、見方を変えると、彼らがおかれている環境の方が腐っていたということはありませんか?
世界一周に行ってきました。
途中フィリピンの英語学校に4ヵ月ほど留学したので、実際は8ヶ月程度で世界を回ったことになりました。
私は20代をすべて一つの会社で過ごし、30才になるのと同時に会社を辞めて出て行きました。
現在は新しい会社に就職し、なんとか社会復帰できたので、少し感想をまとめたいと思います。
■回ってみて■
まず、思ったことは、この年になって人生観は変わらないということ。また回るなら若いうちがいいということです。
実際私が出会った日本人バックパッカーは、20代の人がほとんどでした。(27歳がやたら多かった。)
もちろん30代の人もいるにはいるのですが、ほとんどが夫婦であり、独身の人間はあまり見かけませんでした。
それなりの社会経験を積んだ人間であるからこその見え方、感じることはあるにせよ、新鮮さを考えると1年でも若い方がいいでしょう。
■英語■
私の場合は出発時のTOEICが270点。当然のごとく英語がちんぷんかんぷんであったため、騙される。遺跡にいっても解説の意味がわからない。ツアーではボッチになるという三拍子も四拍子もそろった経験をしてしまい、フィリピン留学となりました。
現在は750点程ありますが、本当に前半の4ヵ月は無駄にしたなと思います。
(それは友達づくりや一般人とのふれあい、ツアーでの理解度の深さなどすべてにおいてです。)
個人的な意見としては、TOEICで言うなら600点が旅を楽しくするボーダーのような気がします。
もし、現在世界一周を考えていて、英語力のない人はまずフィリピン留学に行くことをすすめます。
もしくは、時間があるならインターネットでフィリピン人と行う授業があるので、そちらをやってみるのも手です。(とても安いです。)
フィリピン英語は良くないという人もいますが、私の回った範囲内で言えば、まず困ることはありませんでした。
もしあなたが人生に一度しか世界一周をしないのであれば、事前努力は必須でしょう。
■旅行について■
これは私の友人から聞いた話ですが、世界航空券はあまりおすすめができないということ。
なぜなら、実際に旅行を開始してみると、当初の計画の他にどんどん行きたい場所が追加されていくからです。
世界航空券を使って回っている人のほとんどが後悔をしているとのことでした。
最初に行く計画を立てなければならないというデメリットは、とても大きいものらしいです。
私は都度々々インターネットで行き先を決め手予約をしていましたが、十分それで回れました。
半年程度の短期旅行では良いかもしれませんが、せっかく一大決心をした旅行で縛られているのはつらいことです。
また上記の内容と重なってしまいますが、個人的には英語ができれば、日本人宿をできるかぎり避けることが良いと思います。
日本人宿に泊まるメリットは『安心』『安全』『一緒にまわる友達ができる』『旅の情報を拾える』などですが、それは別に日本人でなくても十分できます。
旅の後半日本人宿に久しぶりに行ったとき、今まで感じていなかった異様さに気づきました。(前半はお世話になりっぱなしでしたけど。)
日本に帰ってから旅の話をする友達がいるのは楽しいです。しかし、そればかりでは、価値観の違う大切な人との出会いの機会を失ってしまうでしょう。
■就職■
もしあなたがすでに30代であるならば、現在のキャリアが他で通用するかを事前に確認しておくのがよいでしょう。
出発の3年前に転職エージェントに相談し、取るべき資格や積むべき経験等を事前に確認し、80%が達成できた時点で辞表を提出しました。
おかげで、就職活動は3ヶ月程度で終わり、年収も維持できました。(それでも今後の出世や退職金等を考えると生涯賃金で1,000万以上はダウンすると思いますが。)
もし再就職に自信がないのであれば、辞める会社には定期的に連絡をとっておくのがよいと思います。
私も定期的に、現地から役員他上司に手紙を送っていたため、帰国後、前の会社から復帰の話がいただけました。(最終的には別の会社にいきましたが。)
30代はこれから結婚し家族を持つ世代です。以前の繋がりを大切にしておいて損はありません。
また旅行期間は最初の計画から逸脱しないようにしましょう。就職活動に響きます。
■最後に■
世界一周に行こうと思ったのは取引先の社長との会話でした。社長自身も若いころ世界を旅行していたそうですが、今でも自分の心を豊かにしてくれていると言っていました。
『誰にも盗まれない財産を手に入れて、俺はそれを棺おけまで持っていきたかったんだ。キャバクラなんかで酒飲んで、上司の愚痴を言ってるような金の使い方はもったいないぞ。』
この言葉が当時の私にはとても響きました。(キャバクラには行ってませんでしたが。笑)
実際出てみて価値観こそ変わりませんでしたが、この思い出はどうやら棺おけまでもっていくことができそうです。
長文読んでいただき、ありがとうございました。
後半言ってる事は大体賛成で他の人が言いたいことも含んでるとは思うけど
むしろ俺は大学は大学として高等教育(研究)機関であるべきだと思ってるし、俺自身はそうであろうと一生懸命やったよ。意識高い系(笑)とか今は笑ってるけど、傍目から見れば俺もそんなやつだったんだろうな。
や、別に大学の勉強をちゃんとやる人は"意識高い"系ではないよね。意識高い系は、授業?なにそれ役に立つの?そんなことより人脈、セミナー、自分探し、とかでしょ。
大学の授業を真面目にやってるのを嘲笑する様な風潮があるなら、それこそ世の中終わりだと思う(それとも"Aランク"の大学すらそういう風潮が当たり前にあるのだろうか...)。
うん、まあこれ、授業まじめにやってるから、って付くあだなじゃないよね...あなたが回りから浮いてたのは明らかに違う理由だよね...
大学の授業は楽しかったし、他学部の授業もとったりして。でも授業受けるよりはやっぱり自分で調べて考えるのが一番楽しかったな。学術と言えないくらい幼稚なレベルだったけど、一緒に学術的な話ができるやつがいたらと思った。同じくらいの学年の人はほとんどそういうのに興味が無いみたいだった。他学部まで探せばもっといたのかもしれないけど、50人中2人しか話に乗ってくれる人を見つけられなかった(めんどくさい奴に付き合ってくれた二人には多謝)。
良く分からんけど、授業、って大概が調べるきっかけでしかないからね?授業で先生が言ってることへーってその場聞いてるだけなら意味ないからね?
なんか皆勘違いしてるけど、なんで大学であれだけ授業空いたり時間あるかって、本来、1つの授業に対して予習なり復讐するなり、それだけの時間が必要だからなんだよね。
高校までみたいにフルに授業入ってたら理解する時間が足りない、と。空いてる時間はバイトとサークルやってれば良い、って話じゃないんだよね。
で、どんな幼稚なレベルかしらないけど、もうちょっとまともな議論が出来れば付き合ってくれる人が居たかもね。
大学生のころに見知った博士の知り合いはみんなそういうのが自然にできてて、勉強っていうものに嫌々やるものなんてイメージを感じなかったなあ。何を言っているのかはちんぷんかんぷんだったけど、物理やら数学やらいろんな分野のハイレベルな学問の話が日常会話でされるのは聞いてるだけでもほんと面白かった。まるで漫画やラーメンの話するみたいにそんな話をするんだよ。漫画やラーメンの話もしたけど。そういうところを見つけられただけ幸せだと思う。
なんか、何の博士なのか知らないし、物理やら数学やらハイレベルなガクモンだとか良く分からないけど、
その専門家は自分の専門なんだから、その仲間内で当たり前の様に専門の話するし、他からすれば意味不明だろ。
まあ、多少議論をしたり、ちょっとしたことを突き詰めて見ようとしたりする部分はあるけど、きっとそこまでは理解してないし、
貴方みたいな人がいる場でそいう話まではしないです。
相手しないで寝ようかと思ったけど、勘違いされたままで気持ち悪くていつまでも寝れないので書いとく。
大体自称理系でまじめに授業受けて勉強してる自称国立大生が本気で勉強しなくても良いと思ってるってそれは日本語が通じないのか?
たぶんこれ俺が書いたhttp://anond.hatelabo.jp/20130619203416に対して言ってるんでしょ?
俺が勉強しなくて良いと思ってるなんてどこに書いてあるのか聞きたい。いや、なんかみんな勘違いしてるみたいだから俺の書き方が悪いんだろう。
むしろ俺は大学は大学として高等教育(研究)機関であるべきだと思ってるし、俺自身はそうであろうと一生懸命やったよ。意識高い系(笑)とか今は笑ってるけど、傍目から見れば俺もそんなやつだったんだろうな。あの頃の友達には「よく切れるナイフみたいだったw」と揶揄される始末。大学の授業は楽しかったし、他学部の授業もとったりして。でも授業受けるよりはやっぱり自分で調べて考えるのが一番楽しかったな。学術と言えないくらい幼稚なレベルだったけど、一緒に学術的な話ができるやつがいたらと思った。同じくらいの学年の人はほとんどそういうのに興味が無いみたいだった。他学部まで探せばもっといたのかもしれないけど、50人中2人しか話に乗ってくれる人を見つけられなかった(めんどくさい奴に付き合ってくれた二人には多謝)。大学生のころに見知った博士の知り合いはみんなそういうのが自然にできてて、勉強っていうものに嫌々やるものなんてイメージを感じなかったなあ。何を言っているのかはちんぷんかんぷんだったけど、物理やら数学やらいろんな分野のハイレベルな学問の話が日常会話でされるのは聞いてるだけでもほんと面白かった。まるで漫画やラーメンの話するみたいにそんな話をするんだよ。漫画やラーメンの話もしたけど。そういうところを見つけられただけ幸せだと思う。
本題より長くなっちゃった俺の思い出話は良いとしてさ、他のとこでも書いたけどこんなにいっぱい大学生がいて、みんなが一生懸命勉強するなんて図は不自然なんだよ。だから、大学生の大多数が望んで勉学に励む状況にするためには大学に来たがる人数自体が減らなきゃいけない。そのためには企業が学歴を重視しなくなって、その事実がみんなに広まらなきゃいけない。それは俺一人の力じゃどうしようもないし、みんなで一致団結したところでどうこうなるものでもない。考えの違う他人を変えるのは難しい。
勉強したくないのに大学に来た層っていうのは就職に有利とかそういうの目当ての人たちと、「みんな大学行くから俺も」な人たちで、それもやむにやまれぬことではある。就職氷河期のうわさは高校生でも聞くし、一度そういう流れができたらその流れに逆らうのは怖い。親からも小さい頃からそれこそ刷り込みのように、塾に行って、良い成績を取って、いい大学に入って、いい会社に入ってと期待されるしさ。
こんなこと書くとまた「当たり前のことをしたり顔で書くな」とかいわれるな。
何が言いたいかというと、「勉強しなくても良い」と思ってるんではなくて「こんなの絶対良くないし嫌だけど、勉強しないやつがいっぱいいるのもしょうがないよな、今の状況じゃ」と思ってるんだということです。回りくどくてごめん。
でもこれだけ大卒が増えたら、そろそろ学歴の価値がなくなってきて大学全入時代もおわるのではないかなあと希望的観測をしてるよ。
俺の場合で話す。
俺も相当な馬鹿だった。俺の馬鹿さ加減に親が心配して、中3の時に塾に通わせてもらったけど、そんな急に勉強なんてできるわけないし、ハッキリ言ってちんぷんかんぷんで全く頭に入らなかった。
んで、そんな学力で県立の高校を受験した。結果は合格だった。でもまぁ、それは定員割れだったから。たぶんどのテストも0点に近かったと思う。
そんな形で入学した俺の高校は相当な底辺。特攻の拓とかクローズとかそんなイメージ。入学してクラスの半分がヤンキーだった。あと半分はオタクと普通のヤツ。一応共学な。
そんな高校をひっそりと目立たないように過ごしてヤンキーの標的にならないように過ごして無事卒業した。
でもとりあえず働いてるぞ。
とりあえず、デリヘルの運転手なんかやってみたらどうかな。
さてはきみ、初代ポケモンの頃にでも友達からハブられたクチだなwww
まず、学校にゲームを持ってくることは最初から肯定されていない
理由は学業の場に相応しくなく、また盗難や破損や図々しくも他人の物を欲しがってハブにして嫌われるかわいそうな子が出るからだ
と同時に、家で放課後にゲームを持っていないから仲間に入れないというのは根本的に「ゲームが買えないという家庭の問題」であって「仲間たちが優しくない」とかそういう人格の健全性の類の問題ではない
ポケモンに限った話ではない、家にテレビがなければテレビの話題に入れないからテレビで盛り上がるクラスタに入れない
サッカーに興味が無ければワールドカップなんてちんぷんかんぷんだし映画を見なければ「面白いよねー」「かっこいいよねー」と言われてもわからないに決まってる
夏休みにどこにも連れて行ってもらえなかったのび太が海にいったしずかちゃんや山でキャンプしたジャイアンや海外でバカンスしたスネ夫を羨むのは当たり前の話だ
それは彼らが優しくないのではなくのび太(の家の都合)の問題なのは明らかだ
だがそれは友らが悪いのか? 彼らが何かを負うべきことなのか? 彼らが口をつぐんでのび太につきあうべきなのか? 答えは否だ
のび太の家の都合の咎がのび太自身にはほぼ無いのと同じように、他人の家の他人の子どもにだって無いに決まってる
まして楽しい話題なのに何故禁止されなければならない? のび太が居づらいというならのび太抜きで話すより他ない
そこで友達に「ボクにもポケモン貸して」と頼むのは勝手だがそれは拒まれて当然の頼みだということは常に念頭におくべきであって、それがわかってないから断られても断られてもしつこくたかることになってハブ沙汰になるのさ
んんん?
本当に読みづらいっつうか話の流れがわからん。
まず、話に一切絡まない男Bは描写しなくてよろしい。
つーか「4人」合コンという情報自体不要。女Bも全く関係しないわけだし。
…という最低限の整理をしたうえで、
男が熱く語ってたのは
女がそれに答えて
「結婚って結局ゴールじゃないですよね。通過点ですよね。」と。
なんで男がトーンダウンしたのか全くわからないんだけど
女「ですよねー」
という、当たり障りなく噛みあった会話にしか読めない。
そもそも男は本当にトーンダウンしたのか?どういう感じに?
書き手ばっかり納得していて
読んでるほうはちんぷんかんぷんだ。
私は、流行りのSNSとやらをわりとぞんざいに使っているので、
誰であろうと基本的には全て承認するようにしている。
そのせいか、タイムライン上にいつの間にかへんちくりんな人間がいることも多い。
今日はその一例をここに記したいと思う。
彼はプログラミングに精通しているようで、どうやら情報系の学校に通う学生らしい。
彼はよく、流行りらしい関数型言語(Haskell?)やらアセンブル言語等の話題を取り上げ、
これがああなってこうで・・・等と、恐らく的確なのであろうコメントを発する。
最近の学生は勉強熱心であり意識も高いのだな、と思わせるには十分であった。
仕事をほんの少し楽にする為のこまいスクリプト程度なら書くこともある程度での知識を持つ人間である。
そんな彼の観察を時偶に続けていたところ、
彼がとあるウェブ上のプログラミングコンテストに挑戦した、という旨の発言が目に入った。
いつも難しいアルゴリズムや先進的なコーディングについて語る彼のことだから、
さぞかし優秀な成績なのだろう、と期待してコンテストのウェブサイトにアクセスし、彼の固有名で検索にかけた。
コンテストは4つの問題が出題される形式であり、それぞれ難度に差がつけられている。
1つは中学生でもコードの書き方さえ知っていれば解けるであろう問題。
1つはFizzBuzzを基本とし、それに些細な応用を付与した問題。
1つは前述のエイトクイーン問題から更に発展させた上で、高度な数学的思考を求める問題。
彼の結果は、初問正解のみであった。
提出されたコードは、会期を過ぎると誰でも閲覧が可能になる為、
彼のコードを覗いてみることにした私は、そこで更におかしな笑いがこみ上げた。
彼は、FizzBuzzがほぼ全く書けていなかった。
それどころか、基本的なループ処理や、型の扱いが出来ておらず、
素人の私から見ても、これがちんぷんかんぷんなコードであることは一目瞭然であった。
以前、彼はHaskellの話題に言及する中で逆FizzBuzz問題についても述べていた気がする。
確かに、私もそんな事が要求される場面があれば悩むだろうな、とその記事を読み感想を覚えたが、
彼は逆FizzBuzzどころかFizzBuzzすらマトモに記述できないのである。
「圏論が出来ないヤツは将来、プログラマーとしても技術者としても失格」
「構造体同士の四則演算は全メンバに同一の演算子を適用するのかな?」
彼は、一体何なのだ?
僕はニートで、ニートというのはとてつもなく暇で人恋しいので、1日10時間くらいネットを見ていました。
2chのお気に入りスレに入り浸り、くだらないレス付けた後に更新ボタンを連打して、
それでも返事が無いようならば、はてブの人気エントリーを上から順に見て、なんとなく為になった気分になったら、
2chまとめサイトで人気のスレッドを軽く見て、時間が経ったらお気に入りスレッドを再度巡回してくだらないレスをつけ、
寝る前に「ああ、また虚無的な一日を過ごしてしまった……死にたい……」と思う日々が続いていました。
神様はなかなか助けてくれないし、このままではいけない、もっと為になる事を何かしなくては……
と思ってはみるものの、気がつけばネットサーフィンをしている……。
そんな僕ですが、ついにネットと上手に付き合う方法を発見したので、その手順を紹介します。
1.FireFox以外のブラウザをアンインストールしましょう。2chブラウザもアンインストールします。
2chはアドオンのchaikaとか使って見るようにしてください。お願いします。
僕は友達がいないのであまりやっていませんが、twitterとかを頻繁に見ている人は、twitterクライアントもアンインストールしましょう。
webでも見れるし、多分すてきなアドオンもあると思うのでそれで見ましょう。
IEは簡単にアンインストールできないっぽいので、ショートカットを根こそぎ消してみましょう。
2.FireFoxのアドオン、LeechBlockをインストールします。
制限時間を越えると、ネットが見れなくなるという恐ろしいアドオンです。
僕はめんどくさいので制限時間が過ぎると全サイトが見れない設定にしましたが、
設定画面は英語なのでちんぷんかんぷんですが、ググったらすぐに日本語の解説が見つかります。
これが最大のポイントで、僕は2時間ごとに15分見ていいという設定にしました。
24時間ごとに60分という設定も試しましたが、長いスパンで設定するのは中毒者にとってあまり良くないようです。
きっと一気に60分ネットを見たら、すぐにLeechBlockをアンインストールして、引き続きネットの海に浸り続けてしまうでしょう。
ネットに入り浸る時は大概、見たい記事を見た後に、ズルズルとショーモナイ情報を見続けるものだと相場が決まっています。
で、これをやると、15分という時間が勿体なくて、見たい情報を見た後にFireFoxをすぐ閉じるようになります。なるはずです。
ブラウザの右下に残り時間が表示されるので、ネット閲覧に時間制限というゲーム性が加わって、なんとなくスリリングな気分が味わえます。
そして、もし仮に15分経ってしまったとしても、2時間後にはまた見れるのです!
1日ネットが見れないとなると、それはもう途方もない長さに感じられて、
とても我慢できそうになくたって、1時間45分ならなんとかなるでしょう! なりますよね!
というわけで、もうやった事あるかもしれませんが、
前にここの書き込みで「原発が絶対安全な理由を言ってみろよwwwwww」なんて書き込みがあったのをふと思い出したので考えてみた。
原発が「絶対安全」なんてことはあり得ない。
というより、全ての事象において「絶対」なんてことはあり得ないのだ。
けど、それを一般に説明する場合はどうなのだろう?
例えば、飛行機が飛ぶ時に
何て事を言ったとする。
本来であれば(科学的に考えれば)生涯の自分のフライト数の予測値から生涯で事故にあう確率を計算して
「あ、一生で事故にあう確率なんて(例えば)0.01%未満じゃないかだから安全だ」
と考えるだろう。
けど、普通の人はそんな数字なんて見ないし、ましてや計算なんてしないだろう。
だから
と不安に思うだろう。
それに、そんな計算云々を示しても大抵の人にはちんぷんかんぷんだし、はぐらかされている感じを受ける人も多いのではないだろうか。
と説明するしかないのではないだろうか。
で、これと同じ現象が原発においては「科学者」→「国民」や「科学者」→「政治家」という説明段階で起きたのではないか・・・と予想する。
だが、前述の通り科学者は「絶対」という言葉を用いない。用いるとしたらそれはインチキ科学者か、科学者失格である・・・と思う。
となるとこの説明に「絶対」を付けたのは誰なのか。
たぶんではあるが、それは、受け取る側の国民もしくは政治家なのではないかと思う。
事故は怖い、だから、「絶対」を付けることで安心したいとか責任から逃れたいとか、そういうことを考えたいのではないかと思う。
ここでいうWEBってのは、パソコンでgoogleと駆使して検索したりする、あのWEBのこと。
インターネットとはべつだ。インターネットはスマートフォンのアプリ配信とかで大活躍中だ。
いや、ほんとうにうざかった。
5年前俺はiモードアプリの開発をしていた。今はiphoneアプリの開発をして飯を食っている。
5年前iモードは閉鎖的だ。金の亡者だ。公開じゃなきゃ糞だの、社会主義者かおのれらみたいなやつらがうじゃうじゃ居た。
しかも面倒なことに、そいつらは頭がいいし、ハッカーでオープンソースとかに貢献したりしている連中だったもんだから、話す内容がちんぷんかんぷん
結局「ああそうだね」っていってしまう情けない状態が続いた。
しかし、WEBは金にならない。googleみたいな企業は儲かるだろうけどな。だから俺は現実的に儲かるiモードでアプリをシコシコ作って生活していた。
で、馬鹿なりに、閉鎖的なのも悪くない。っていうか、この閉鎖性が金になるんじゃないか!と感じていたわけだ。
そもそも、技術のスキルが高ければ未来がどうなるかがわかるわけではない。実際アメリカでやっとWEBは死んでくれたわけだ。
殺したのはiphoneだ。アメリカ製だ。だからあいつらアップルは閉鎖的だとかブツブツ言ってはいるけど、トーンはかなり落ちてて面白いw
しかしまぁ、あの手のアーリーアダプターだとか、へんにスキルの高いハッカーってやつらはなんてアメリカ人が踊らないと踊らないんだろうね。
テキサスはアメリカ全体から35%にあたる死刑を執行してる州なんだって。
死刑囚は3名出てきた。
みんな身勝手で残虐極まりない犯行で、法にのっとり死刑になるのは致し方ないかなという印象。
現在は電気イスによる死刑執行は廃止されてるそうで、薬物によって死刑を行うのだそうです。
メモがてらに書くと薬物注射による死刑は以下の3つの薬を上から順に投与されるそうです。
チオペンタルナトリウム(即効性の麻酔薬 - 死刑囚を眠らすため)
パンクロニクムウ(強力な弛緩剤)
この順番通りに投与を行えば、意識は急速に失われ、苦痛を感じることもないそうです。
確かに死刑囚みんな寝ているように死んでいたし、おだやかでした。
だからなんだって話しだけど。
昨日、京都の恵文社一乗寺店に行ってきた。ネットでは話題になり雑誌等にも多く取り上げられ下町の一乗寺という立地なのにうっそうと流行っている。昨日行った時も人ゴミで店内は覆われていた。なぜAmazonなどのネット書店が席巻する現代でリアル書店が今尚健在しているのか。そんな疑問が気になって京都まで足を運んだというわけなのだが、結論を先にいうと、おそらく店内に並べる本のチョイスが斬新な点にあると思う。決して、店内の雰囲気がいいとか、雑貨が置いてあるとか、本の並べ方がいいとか、そういったことではないと感じた。
振り返ってみよう。現代の本屋さんとはどんなのがあるか。大きく分けて二つあって、一つはランキング形式を重視した1から100まで網羅している大型チェーンの書店。それともう一つは、対照的に、とある商店街の一角にひっそりとある「なんで潰れないの」的な亭主一人の本屋さん。もしくは、駅前の売れ筋商品だけを置いた小書店。・・・以上二つに分かれるわけだが、そもそも個人的には紙媒体の文化というのは、後数十年でマイノリティになると考えているので、前者はアマゾンと置き換わり、後者は間違いなく潰れると思う。
その点を少し掘り下げてから、恵文社の魅力にシフトしたいので少し寄り道をして欲しい。
なぜ、リアル本屋さんが今の経営だと淘汰するかというと、単純にデジタルネイティブ。つまり物心ついた時から活字はデジタルで読むものと教育されてくる子供たちが今後増えるからで、現在のアナログ世代とごっそり入れ替わった時には本屋さんの存在はマイノリティになるだろうと。それはこんな根拠があるからで、まだ日本語版のキンドルやiPadなどの電子書籍母体は発売されていないが、他の先進国ではもう地に根付いているといっていい。なんでかというと、公的機関、つまりは教科書がデジタル化に大いに役立っているからなのだ。アメリカの教科書というのは日本と違って、独学ができるように膨大の情報が詰め込まれており、分厚い専門書籍と化している。そんな分厚いものを何冊ももって移動となると、それだけで疲れてしまう。それを補ってくれるのが電子化による、データを持ち歩く方法で、子供の頃からそれが当たり前となると、どうなるか。先ほども言った、活字はデジタル画面で読むものという常識が固定されるわけで、それは必然的に、アマゾンでデータを購入してデジタル画面で読むという行為になり、リアル本屋さんというのが、今で言う、レコード屋さん状態になるだろうと推測せざる得ない。
さて、余談が長くなったが本題に入ろう。
そんな絶望的な本屋さん市場なのだが、それでも希望の光はあって、その光を感じさせたのが今日の主役の恵文社というわけだ。簡単に説明すると、恵文社というのは大型書店の後ろの方に眠っている良書を一般客に触れさせている点にある。人は皆、食わず嫌い性質が備わっており、変化を嫌い、予測できない事、物はさける行動をとる。それは本屋さんでも適応され、好きなジャンル本コーナーしか行かない。例え興味本位で哲学とか医療とかの書棚にいったとしてもちんぷんかんぷんで足を止める時間というのは刹那だろう。その点、恵文社はそれをごちゃまぜにしている。東京では最近オープンした松丸本舗がそれにあたるだろうか。漫画や古書を隣に並べるなどして、お客に刺激を与え、ハードルを下げ、好奇心、自分探しの森へ引き込ませる。それが最大の要因であり、恵文社が好まれる理由にあると思う。
しかしだ!! それでも甘いと私は思っている。もっと振り切れる必要があるのではと考える。
確かに、恵文社や松丸本舗という質に拘り一般人の琴線に触れるチョイスをする本屋さんというのは魅力的であり、集客力も案外ある。しかし、それが購買に繋がるというと、やや懐疑的な部分もある。絶対数が増加したからある程度は増えただけであって、どうもそういった第三のリアル書店というのは、雑貨屋さん、つまりは見て楽しむ本屋さん、ファッション的書店になっているのではないかと思う。
はっきり言って、今のやり方ではネットでも十分にできる。ごちゃまぜ方法的なやり方なんかだとネットの方が有利ではないか、立ち読みも楽勝にできるし、棚の入れ替えもすばやく展開できる。恵文社ネット版は安易に作成できるのだから、やはり今の経営方針ではまだまだだと個人的には考えている。恵文社にいるときに自分ならどうするかを思考していたので、それを少し紹介すると、ネットでできなくてリアルでしか通用しないもの。それはなんなのか。それはこんな事ではないか。
本を選択してくれるサービス。
本を購入するというのは、大きく分けて二通りあって、目的がはっきりしている買い方と紹介による買い方。反論を防ぐ為におさえておくと、ぶらっと立ち寄った本屋さんでふと手に取った本をペラペラと立ち読みし、なんとなく気に入って購入したとか、ジャケ買いしたとかは、前者に含まれる。それはあくまでも自分好みのものを手にとって見たからで、目的が決まっていると言っていいと思う。それで重要なのが、後者の紹介による購買で、書評をみてとか、本屋さんのPOPを見てとか、尊敬する人から進められたとか、誰かに決めてもらって本を買うという方法。わたしはこれがほとんどを占めているが、あと、好きな著者つながりとか。
要するに、数多ある書籍を目の前に置かれても、選択できないのが人間で、それは時代の流れて確かに収斂されてはきている。この恵文社のように、ある程度本屋さん側にチョイスしてもらって、その中からお客さんがまた選択すると。ただ残念ながら、わたしはそれでも多いと思っている。やはりある程度絞ってもらっても、本選びの時は不安なものは不安だし、お金のある人は別だが、数千円を投資するわけだから、何かにすがりたいのが世の末だろう。
そこでだ。もっともっと絞ってみてはと思ったわけで、想像していただきたい。とある本屋さんがあったとする。そこには、10冊しか本棚に並んでおらず、本と本の間のスペースは2,3冊分はあいており、そこには亭主が厳選した書籍がたっぷりの書評と並べて置いてある。まさに、セレクト書店というべきか、ポイントなのはそこでしか、その選択のサービスは受けられない点にある。有名人なら一人で経営しても問題ないだろう。例えば、書評で有名な弾さんなんかがセレクト書店をオープンすればそれなりに流行ると思うし、もちろんネットでは同じサービスは止める必要がある。しかし、知名度がない人や法人がやるとなれば、コツコツとやるしかない。
仮に恵文社程度の規模で私がプロディースするとすれば、ネットで書籍を沢山読む人を集めて書籍を選んでもらい書評を書いてもらう。そしてそれを店の本棚にならべる。ポイントは一人につき書棚一つ。それと個性的でバイアスのある書評家を選ぶ必要がある。となるとだ、かなり特殊な本屋さんになるのは自明だろう。無造作に置いてある本をお客さんが決めて買うではなく、数冊に絞ってやり本をお客が不安満載で博打買いするのではなく、この書評コメントに感化されたから買おうと、そしてその書評を書いた人が魅力的に感じてきて、その人が選ぶ本なら自分と結構趣味が合うので買おうと、最終的にはその選ぶ人のコアファンになればいうことなしだ。なぜなら、好きな人のお奨めする本は、本を購入するという行為に直結するからだ。
ってな感じで、本を選ぶのではなく、人が選ぶ情報を買うにシフトする必要があると考え、それと重要なのが、ネットではその情報を流さないこと。これさえ徹底すればリアル本屋さんも当分はやっていけるのではないだろうかと思う。本の種類を抑えるとコストもさがるし。ただビジネスとしての初期段階では本屋というビジネスモデルは選ばない方がいい。もしやるとしても、ローカルな趣味経営で止めておいた方がいい。現段階で書店経営している場合は考えるべきだろう。
2011卒の人間で、そろそろ社会人生活がすぐそこに来ているわけで、こういったことを考えなきゃならないときが来た。
俺の働く理由は何だろう。飯を食うため。それもある。というか、それが大前提だ。
しかし、それだけだとやはり働く面白みがない。何か、もう一つくらいは目標があった方が、楽しく働ける気がする。
考える。
働くとはどういうことだろう。実際に、労働の現場に入って、利益を出すために行動するということだ。
ところで、最近経済の本を読んで勉強している。円高、円安、公定歩合、日銀がどうのこうの……。今までは全くもってちんぷんかんぷんだったが、いろいろと経済用語が理解できてきた。……しかし。
理解はできた。できたのだが、どうもすっきりしない。仕組みはわかった。しかし、何故か釈然としない。
その理由は何か。
たぶん、実感がないからだ。円高になったとニュースになっても、株価がどうのこうのと新聞に載っても、俺はそういったものに関わる行動を何もしていない。そりゃ、買い物ぐらいはするので一応経済に関わっているのだが、そんなもの無意識的すぎて関わっている実感がわく訳がない。ファンドやら銀行で働く人やらトレーダーみたいな、積極的に経済活動に関わるようなことは何もしていない。なら、実感を持って経済の知識を理解できるわけがない。少なくとも、俺はそこまで賢くない。
物事を勉強するには、俺には実感がどうしても必要なのだ。
そこで、実際の現場に入って働く事により、実感を得て物事を勉強する。これを働くもう一つの目標にしたいと思う。
勉強する目的は何か。自分の能力を向上し、属す組織が不安定でも自分が安定していられるように。それと、自分の人生をより豊かにするために。特に、後者を重視したい。
人生を豊かにするにはどうするべきか。それは、何らかの物事に情熱を持つことだと思う。
正直、俺は人生の目標という大層なものは用意できてない。強いて言えば、面白い物語を書けるようになりたいというくらいだ。まったくもって、目標が定まっていない。だから、何を勉強すべきかもおぼろげで、あっちこっちの分野に中途半端に手を付けている。
こりゃいかん。
目標のない人生ほど面白みのないものはない。俺は、それをこれまでの人生で十分実感している。
しかし、人生の目標を作るにしても、そうそう簡単にできるものではない。今まで自己啓発本やあなたの才能は云々とかいう本を結構読んだが、さっぱり目標は作れていない。
どうすりゃいい。考える。
そうするとして、人生の目標を作るにはどうすれば良いか。……わからん。わからんが、多くの人と接せれば、何らかのヒントを得られるのではと思う。人の生き方は十人十色なわけで、その人その人の価値観、人生観がある。そういうものをぼんやりとでも良いから知り続ければ、何らかの衝撃は得られるのではないか。そう考えた。
また、そういう経験は、面白い物語を書くためにも、結構役立つと思う。
じゃあ、多くの人と接するにはどんな仕事がある? やっぱり営業かな。そしてより深く一人一人の人間を知るには、新規開拓系は少し適さない。何度も何度も同じ人と顔を合わせるルート営業の方が良いかもしれない。
で、過去問を見せてもらったんだけど・・・
だめだ、全然分からない。
サービス問題っぽい基礎の奴しか分からなかった。
個人的には、プログラマーやってく上でこの手の資格は必須とは思ってない。
過去問見ても、実務で必要になる知識や技能にそれほど直結してるわけではなさそうだったし。
でも、ここまで分からないと不安になってくる。
彼女は、自分自身がプログラマーとしてレベルが低いことを少し気にしてて、
彼女は、自分よりも高学歴だったり技術レベルが上だったりという、自分より賢くて物を知ってる人がタイプで、
付き合うことを OK してくれた時点で、彼女的には自分は一定のレベルは満たしてるらしいけど、
これで差が付いたらますます彼氏としての地位が危うくなる。
試験に受かろうが落ちようが、試験勉強の過程で自分よりも物を知ってる人になるのには変わりないから。
かといって、自分も同じ試験を受けてみようという気にもなれない。
過去問見た時点でちんぷんかんぷんすぎて、勉強して分かるようになれる気が全然しないし。
オープンソースな活動に時間を使うから、試験勉強なんてできそうにないし。
このままだと、そのうち愛想尽かされて捨てられちゃうのかな・・・
はぁ・・・
1.「どこでもいい」は、二郎に行きたいを意味することを肝に銘じる
ジロリアンの「どこでもいい」は「二郎に行きたい」って意味です。
うっかりイタリアンなんて提案すると、即失格判定です。
2.亜種系、リスペクト系の店は避ける
二郎に行きたいのであって、二郎によく似たラーメンは二郎ではありません。
只の脂ぎった野菜が多いラーメンでは何のメリットにもなりません。
3.付加価値のあるお店を選ぶ
「盛りが激しい」「つけ麺がある」「卵がある」「唐辛子がトッピングできる」「他、特殊なトッピングがある」など、味以外の付加価値があると、印象に残りやすくなるし、なんとなく美味しかったような気がするものです。
4.デザートが美味しい店
コーラなど炭酸系が置いてあるお店が良いと思います。
5.困ったときは二郎
ここまで読んでもちんぷんかんぷんで、何をどうすればさっぱり分からないあなたへ。
ちょっと混み合っている二郎を選べば、失格判定だけは避けられるはずです。
二郎が嫌いなジロリアンはほとんどいないと思いますし、混み合っている店はそこそこ旨いはず。大成功にはならなくても、「ま、いっか」と思ってくれる可能性が高いです。
1.「どこでもいい」は、本当にどこでもいいことを意味することを肝に銘じる
男の「どこでもいい」は本当にどこでもいいのです。
「お前のセンスを試すぞ」ということではありません。うっかり、お店をじっくり選んだら、機嫌が悪くなります。
すぐ食べたいから、どこでもいいと言っているのですから。
2.少量系、健康系の店は避ける
「どこでもいい」は裏を返せば、「早く、満腹感を得たい」ということ。
お腹が満たされない食事は、何のメリットもありません。
3.飯そのものが旨い店を選ぶ
「夜景がきれい」「有名人のプロデュース」「野菜ソムリエがいる」「料理長が目の前で実演してくれる」「東京ではここでしか食べられない料理がある」など、味以外の付加価値には意味がありません。
それよりも「飯の旨さ」です。これさえあれば、店の雰囲気は関係ありません。
4.困ったときはラーメン屋
ここまで読んでもちんぷんかんぷんで、何をどうすればさっぱり分からないあなたへ。
ちょっと混み合っているラーメン屋を選べば、失格判定だけは避けられるはずです。
ラーメンが嫌いな男はほとんどいないと思いますし、混み合っている店はそこそこ旨いはず。大成功にはならなくても、「ま、いっか」と思ってくれる可能性が高いです。
1.「どれでもいい」は、どれでもいいという意味ではないことを肝に銘じる。
それは「あなたのセンスを試すわよ」って意味です。
うっかりGatewayなんて提案すると、即失格判定です。
2.フルタワーの機種、拡張性自慢の機種は避ける
客は9割くらいの確率で、スペースを気にしているはずです。
なのでフルタワーは鬼門。また、「拡張性がある」ことは何のメリットにもなりません。
3.付加価値のある機種を選ぶ
「液晶がきれい」「有名人のプロデュース」「ウィルスバスターの体験版がついている」「サポートが電話で対応してくれる」「販売開始されたばかりの新製品」など、機能以外の付加価値があると、印象に残りやすくなるし、なんとなくお得な気がするものです。
それなりに力を入れているメーカーが良いと思います。
5.困ったときはVAIO
ここまで読んでもちんぷんかんぷんで、何をどうすればさっぱり分からないあなたへ。
ちょっと高めのVAIOを選んでおけば、失格判定だけは避けられるはずです。
(型落ち展示品VAIOは不可)
VAIOが嫌いな客はほとんどいないと思いますし、どの機種もそこそこオシャレのはず。大成功にはならなくても、「ま、いっか」と思ってくれる可能性が高いです。
1.「どこでもいい」は、どこでもいいという意味ではないことを肝に銘じる。
それは「あなたのセンスを試すわよ」って意味です。
うっかり吉野家なんて提案すると、即失格判定です。
ファーストフード、ファミレス、チェーン店だけは絶対に避けましょう。
2.揚げ物の店、ボリューム自慢の店は避ける
なので揚げ物は鬼門。また、「ボリュームがある」ことは何のメリットにもなりません。
3.付加価値のあるお店を選ぶ
「夜景がきれい」「有名人のプロデュース」「野菜ソムリエがいる」「料理長が目の前で実演してくれる」「東京ではここでしか食べられない料理がある」など、味以外の付加価値があると、印象に残りやすくなるし、なんとなく美味しかったような気がするものです。
4.デザートが美味しい店
デザートが美味しいと、かなりポイントが高いです。
それなりに力を入れているお店が良いと思います。
5.困ったときはイタリアン
ここまで読んでもちんぷんかんぷんで、何をどうすればさっぱり分からないあなたへ。
ちょっと高めのイタリアンを選んでおけば、失格判定だけは避けられるはずです。
パスタが嫌いな女子はほとんどいないと思いますし、どの店もそこそこオシャレのはず。大成功にはならなくても、「ま、いっか」と思ってくれる可能性が高いです。