はてなキーワード: 徘徊とは
幼稚園の頃から父親や同級生に殴られてて常に痣があった。わたしはコミュニケーションが不得意でブス。他人から嫌われたり疎まれる要素しか無かった
小学校も中学校の時も先生や親から理不尽に毎日怒られる生活。 親はともかく先生はきっと理不尽に怒っているつもりは無いのかもしれないが出来ないことに怒ってくるので理不尽だと思っている
生活がガラッと変わったと思ったのは中学2年生の頃私にスマホという名の黒船が到来した。
深夜にネットサーフィンをして病み垢と言うものの存在を知った。知った瞬間からTwitterのアカウントを作ったと思う。病み垢のお姉さんから夜の仕事(所謂デリヘル)の存在を教えて貰って、どんなクズ人間でも高給を貰える仕事を知ってから密かな将来の夢がデリヘル嬢になった。
年も開けて中学3年生、受験シーズンになると担任の先生からどんな馬鹿でも入れる女子校を勧められ勉強できる頭も器量も環境も無かったのでそこにした
これが私の間違いだったと思う。
私は病み垢のキラキラした女の子達を見て重大な欠陥を忘れていた。ブスという事である
女子校においてブス、コミュ力なし=人権なしなので私は1軍と呼ばれるキラキラグループからは離され所謂普通の女の子である二軍の女子からは陰口を言われ同類と思っていたチー牛女オタクからはTwitterで悪口を書き込まれていた。
遂に精神を来たし始めた私は担任の勧めでメンタルクリニックを受診しはじめるようになる。
全ての落ち着きのなさ、コミュニケーションの取れなさに病名がつきほっとしたような気持ちになった。
これが高校2年生までの話。この頃にはデリヘル嬢になりたいなんて馬鹿な夢は消えていたと思う。
高校3年生の確か夏、担任の先生からは推薦での進学を勧められていたが名前の知らない九州と北海道のFラン大学だったため就職コースに乗った。
最初は製造系の面接を受けてその次はショップ系その次はスーパー。最終的に5つくらい受けた。高校の就活は1人1社なので普通2つ受けたら受かる筈なのに何故か全て落ちた。おかしいと思い5社目に落ちた理由を聞いたら障害がある事が理由だった。
私は障害がある事を先方に伝えていなかったのに担任が勝手に障害がある事を伝えたらしい。
だから勉強の出来ない私に大学を進めていたのかと思うと妙な納得感が出てきた。
結局1社も受かること無かった私は4月1日30万円の入った封筒を父親に投げられ家を追い出されることとなった。
30万円を持ち私が向かったのは東京だった。
昔見たインターネットカフェ難民の動画を見て下手な知識をつけた私は下町の激安ネットカフェを拠点に生活していくこととなる。
だがこれが間違いの元だった。基本的に住所のない人間はどこも雇ってくれないことを私は知らなかった
激安ネットカフェでコンビニの飯を食べながら東京生活を満喫していた頃には渡された30万は残り5万程度になっていた。
ある日、東京の街を徘徊していると「求人、高収入」と歌いながら走っているトラックを耳にした。
急いで拠点に戻りそのサイトを見てみると風俗の情報がいっぱいあった。
職業が決まった私は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
サイトに貼られた時給は顔がいい女の時給で私の給料は8時間で6回して9000円。
しかも私は上手いこと乗せられて知らないおじさんの客に初めてを捧げてしまった。
惨めで死にたくなってしまいそうな時もあったがそこしか私の居場所は無かった。死ぬ度胸も無かったし
退勤している時ホストに声をかけられホイホイついて行った。そして売掛という形で借金を作った
なんで私の人生はこんなにダメなんだろうか。 発達障害だから?馬鹿だから?計算がまるでダメだから?
話は変わるが男女論を見る度に女は股を開けばお金が稼げるという煽りを見るが股を開いてもブスだと二束三文にしかならない。なぜ自分が股を開けば稼げる美人に産まれると勘違いしているんだろう。
もう書きたいこと思いつかないのでやめる
その一 https://anond.hatelabo.jp/20240318182037
東口の地下に何やら変な駐輪場があるのだが、実はこれは1990年までは地下街であったのだ。出来たのは1960年代のはず。
天井低くてしょぼいし店舗も狭いし店も昭和中期っぽくて古いしで、テコ入れされないままに90年に廃止。
というのも、90年にそごうが出来る事になったので、橋上駅の高さのままにデパートに入れるペデストリアンデッキを築造し、地下じゃなくて上の方で発展させる方向になったのやね。
で、駅の真ん前のデッキの基礎を建てるには地下街通路が邪魔。って事で、通路を閉鎖してデッキ基礎が貫通する形になった。残りの部分は店舗仕切りなどを取っ払って駐輪場へ。
なので一部閉鎖区画があって鉄板や木の板で塞がれているのだ。増田はここにどうにかして侵入できないかを昔から考えているのであった。
ちょっとあるよ。
本来、東アジア反日武装戦線「狼」はお召列車爆破と昭和天皇暗殺を狙っていた。場所は東北本線貨物線荒川鉄橋。
1968年まで赤羽以北の東北本線は貨客混合の複線だったが、輸送力増強の為に複々線化されて貨客分離された。これでお召列車は貨物線を走るようになった。原宿駅のお召列車ホーム自体が山手貨物線に接続されているから。
そうすると、貨物線橋梁爆破しても一般人に危害は与えないという事になる。そこで一味は爆弾設置の為に電線を設置しにいくが、人影があり、付近を徘徊しているので恐れて中止した。
そこで目標を変更して三菱重工爆破事件に至ったというワケ。元の一般人への危害回避はどこに行ったんだ。川口の乗越線はやっぱりこの貨客分離が元だから関係があると言えば関係がある。
wikipediaの虹作戦の項には「爆弾を仕掛けようとしたのは旅客線」と書いてあるが、これは間違いじゃないかと思う。そこは間違えんだろうし、増田が聞いていた話と違う。
東口駅前のそごうはそごう西武グループが売却してゴーストビルのままになってるが、三井が取得する見通しと、去年市議会で報告があった。三井という事はララガーデンとかららなんとかとかららクロフトとかになるのかと思われる。
しかしデパートというのはハイコスト、ハイリターンの業態に合わせた建物で、コストがメチャクチャかかるんだな。それは冷暖房費やエレベーター、エスカレータなどもそうだし、搬入口が狭くて外部の納品代行業者経由で整理して混載で搬入するのでないとパンクするっていうのもある。
だから巨大ダイソー一棟貸しみたいなのなら行けるが、色んなテナントが入って納品代行は使わないっていうのは無理など、難点が多いのだ。
そもそもデパートの損益分岐点って日商4000万円とかそういうレベルなんでショッピングモールなんかに入るテナントと業態が合わないのだ。
だからどうなんのかなと様子見。結局開店が流れちゃう可能性もあるね。
SLあおば通りって道があって、ファミマのSLあおば通り店っていうのもありhttps://maps.app.goo.gl/fWvvCmGbAjvhLPZw6 、道筋にはSLのオブジェとかもある。
でもこれインチキなんだよね。ここに線路があった事ってないんだ。
アリオは元はビール工場で、そこと川口貨物駅の間にユニオンビール専用線という貨物線があった。でもその専用線は現線路に平行していてJRが保線基地に使ってる。
そこでビール工場跡を再開発するにあたり、専用線跡を記念するオブジェを配置したい、でも専用線跡はJRが使ってる…って事で隣の道を指定しちゃったと思われるのね。こういうのは混乱の元だから止めて欲しいですな。
あるね。https://maps.app.goo.gl/dGPVNnEXP6hMg3n26
植物の繁茂で全然読めないが、実は同じものが陸橋の西詰にあるよ。https://maps.app.goo.gl/GNdf7d4UP3eT9aYj7
石碑の内容は、整圃事業の謝辞だよ。戦争中にまだ農地ばかりだった駅付近一帯を碁盤目状に土地の区画整理をして、その協力した地主達を名上げして感謝している。川口は江戸から離れ鋳鉄で栄え舟運で製品を出荷してやがて鉄道が来て~という事を漢文で書いてある。
この区画整理を戦前にやっておいたせいで、戦後に鉄の民需が爆上がりした時に鋳鉄工場が大量に出来て鉄の街となったのだな。
また、最初の碑がある場所というのは実は大踏切があった場所だ。駅の方から来た道が斜めに線路群を渡り、対面の斜めの道に踏切で抜けていた。
でもこれは当然危ないわけで、昭和30年代に埼玉県は荒川~大宮間の踏切を全部立体交差にする工事をしたのだ。それでこの大踏切も廃止になって代わりにこの北の川口陸橋が掛けられた。
因みにこの陸橋の開通セレモニーでは神主が来てお清めしてから神主が渡り初めをしているのが写真に残っている。
だから王子から赤羽には踏切が幾つか残っているのにその北の大宮には踏切が無いのだ。
多分西詰の石碑は元は大踏切の反対側にあったのがこの時に移動されたのではと思う。
タワマンというのは住宅地には建てられないの。日影規制もあるし、日照権も主張できるからあとから訴訟になる。
でも商業地や工業地ではそれらは主張できない。だから工業地帯から転換した地域はタワマンに最適というか、それ以外では建築が難しいの。
更にタワマンには建物の周りに公開空地を設けないとイケないのだが、「大規模な町工場」というのはこれで必要とされる広さに丁度いいのだ。
そういう訳で、川口にある〇〇製鉄、○○鋳造なんて名前の会社は、多くがもう工場を持ってないか縮小して他所に移転していて、不動産業メインの会社ばかりになってる。
日本初のタワマンは川口元郷のエルザタワー32なんだけど、ここは日本ピストンリングというエンジン部品を造っていた会社の工場だったところ。
因みにピストンリングは昔は鋳鉄を丸く繰り抜いたものが使われていた。鋳鉄には細かな穴が沢山あるのでここにオイルを保持して焼付き防止になっていたのだ。って事でやはり川口なので鋳鉄なのだ。
その丸井が閉店になって共同所有になり、ビるの愛称を決めた。もとが0101だから1110って訳でシャレや。
駅西口から徒歩7分くらいの所に飯塚氷川神社という神社がある。https://maps.app.goo.gl/fKh6qXTZGCNTYGRE9
ここだが、境内に結構古い社務所があるのだが、なんとこの社務所、選挙の投票所に指定されている。中は畳と板張りなんだが、そこに土足で入れるようにシートを敷いて投票箱と記帳所を置いて公職選挙が行われる。
すげえ田舎や離島で神社が投票所というのはあるだろうが、東京都境から徒歩10分、駅で一駅のタワマン林立地帯でこんな投票所があるというのは珍しいんじゃないか?
好事家の皆さんは選挙の日に覗きに来てはどうだろうか?
何?じゃなくて教習所や。元々地産グループの教習所だったが、グループ首魁が逮捕された影響で元会社が倒産、売りに出されて飛鳥ドライビングカレッジとなっている。
ここだが、ちさん時代から教習料が安いのが特長。都心から近いのに首都圏で一番安いという穴場なんだな。免許取りたい人はイイゾーここ。
因みに2019年台風19号の増水ではコースが7mの泥水の底になって、後にはコースも見えない泥の沼が残り、教員たち総出で泣き泣き泥かきをしたそうだ。
某Web漫画のオタク友達に彼氏がいた話を読んで自分がいつも抱えてる「女友達はどれだけ相手を好いていても彼氏とい世間的上位存在には勝てない」気持ちを再熱させてしまった。
そして、この気持ちをどうしたらいいんだろうという思いでインターネットを徘徊していたらあるブログにたどり着いた。
その記事は親友に彼氏ができるのが悲しいという内容でそうだそうだと共感しまくってたのに、数年後の記事でその人は普通に彼氏ができてベタ惚れだった。は?なんやねん。
どうやらその人は色々うまくいかないのを打破しようと諦めてた恋愛に挑戦したらしい。
私も挑戦したけど楽しい友達付き合いとか趣味に男が勝てることなんかなくて無理だったよ。
もっと人生つまんなくなって孤独になれば恋愛が楽しいと思えるのかな?
もう30年以上も生きているのに女友達より親密な異性が現れてそれに身を委ねることが理解できない。
でも女友達にとっては私が1番じゃなくて、私にとっては1番なんだよな。どうしたらいいんだろうね。
人の畏れが神を産み出す
信仰を集めるほどに神は強大になり
忘れ去られた神は力を失いやがて消滅する
などがある。
日本人にとっては常識(?)なためか、作品内でこれらの設定が言葉ではっきり解説されていないこともある。それが一部の海外の人にとってはわかり辛い場合があるようだ。
先日、*eddit (*はR) で漫画アニメ系サブレを徘徊していた時にとある議論スレを見つけた
ちょうど上記の設定の話をしていたので「それで合っているよ。それは日本人の宗教観なんだ」とコメントしたところ、すごい反応をもらった
とリプライされて困ってしまった。どう返信しようか悩んでいるうちに
それからコメントせずにずっと悩んでいるんだけれど、たぶん神道ではないよなぁ・・・?
少なくとも古事記や日本書紀を読んでもそんなことは書いていないだろう。ニンジャスレイヤーじゃあるまいし。
でもコロナ禍でコロナ神が誕生し、妖怪だったアマビエが神になっていく様は確かに見たんだ。
畏れが神を生み、信仰が神を強大にするという設定は私の実感に近い。
これらの宗教観の元ネタとなる聖典、宗教的記述はどこかにあるのだろうか?
それとも日本人が無意識に共有しているアミニズム的世界観なのだろうか
親戚の長寿のお祝いに、もうすぐ一族揃って一泊二日の旅行に行く。
その配偶者に留守中の犬の世話を頼めないかと、うちの親が自分に打診してきた。
本犬並びに彼を可愛がっている家族には申し訳ないが、こちらとしては、実家を出た後に突然飼われ始めた苦手な生き物でしかない。何年いようが恐怖の対象で愛着もない。
自分がこんなだし、配偶者自身も別に犬好きではないし、暇だったとしても私用の旅行中の義実家にわざわざ赴いてシッターをさせられる義理はない。
それに自宅から実家まで普通に距離もある。近所でも通り道でもなくアクセスも悪い。時間だって交通費だってかかるのだ。
仮に交通費に多少色付けてくれても割に合わないだろうし、その金額を出すならもうプロに頼んだ方が双方の為だ。
まあダメ元で念の為言ってるのは伝わってはきてた。で、マジでダメなのでシッターでも探してくれと断った。
対する返信は「注射してなくても見てくれるとこ探す」と来た。
親の片方が自然派反ワクどんどん拗らせてるのは知ってた。良くも悪くも強い思想は何もなかったもう片方も、それに染められつつあるのも。
しかし、野生動物もたまに徘徊してる程度の田舎の外飼いで?力が強くて若い頃には一度脱走もした中型犬を?一体いつからその状態で?
今回連絡を寄越したのは過激派ではない方の親だったので、話が通じることを願いながら、ワクチンは義務であること、そこらにいる野生動物が保菌者かもしれないこと、未接種で見てくれるシッターは多分いないことを伝えた。
過激派ではなくとも反発されたら意味がないので、親や犬を悪く言っていると取られかねない言葉はとりあえず全部飲み込んだ。でも過激派の方の親に隠れてでもやることはやってくれと念押しもした。
悩んで悩んで送信した頃には向こうはもう寝てたようで、今は未読のままだ。
つい先日も別件で親が危ないことをしていたのを咎めたばかりだった(その時も親の自尊心を傷付けずに危険性を伝えるには…と結構悩んだ)
こんなのが続くと心苦しいが、危ないことは看過できないのはわかってほしい。
親戚の長寿のお祝いに、もうすぐ一族揃って一泊二日の旅行に行く。
その配偶者に留守中の犬の世話を頼めないかと、うちの親が自分に打診してきた。
本犬並びに彼を可愛がっている家族には申し訳ないが、こちらとしては、実家を出た後に突然飼われ始めた苦手な生き物でしかない。何年いようが恐怖の対象で愛着もない。
自分がこんなだし、配偶者自身も別に犬好きではないし、暇だったとしても私用の旅行中の義実家にわざわざ赴いてシッターをさせられる義理はない。
それに自宅から実家まで普通に距離もある。近所でも通り道でもなくアクセスも悪い。時間だって交通費だってかかるのだ。
仮に交通費に多少色付けてくれても割に合わないだろうし、その金額を出すならもうプロに頼んだ方が双方の為だ。
まあダメ元で念の為言ってるのは伝わってはきてた。で、マジでダメなのでシッターでも探してくれと断った。
対する返信は「注射してなくても見てくれるとこ探す」と来た。
親の片方が自然派反ワクどんどん拗らせてるのは知ってた。良くも悪くも強い思想は何もなかったもう片方も、それに染められつつあるのも。
しかし、野生動物もたまに徘徊してる程度の田舎の外飼いで?力が強くて若い頃には一度脱走もした中型犬を?一体いつからその状態で?
今回連絡を寄越したのは過激派ではない方の親だったので、話が通じることを願いながら、ワクチンは義務であること、そこらにいる野生動物が保菌者かもしれないこと、未接種で見てくれるシッターは多分いないことを伝えた。
過激派ではなくとも反発されたら意味がないので、親や犬を悪く言っていると取られかねない言葉はとりあえず全部飲み込んだ。でも過激派の方の親に隠れてでもやることはやってくれと念押しもした。
悩んで悩んで送信した頃には向こうはもう寝てたようで、今は未読のままだ。
つい先日も別件で親が危ないことをしていたのを咎めたばかりだった(その時も親の自尊心を傷付けずに危険性を伝えるには…と結構悩んだ)
こんなのが続くと心苦しいが、危ないことは看過できないのはわかってほしい。
長男5歳が珍しく早く寝たと思ったら、次男3歳が寝ない。寝かしつけようと頑張るも、遊びをやめない次男についに妻がキレて、大泣きからの、うるさいと更にキレる。怒りすぎて喉が痛いだの手が痛いだの、怒りの永久機関爆誕。
妻がギャンギャン怒ると次男がギャンギャンして、妻がギャンギャン。
仏様も憐れむ衆生の愚かさよ。
怒り疲れて妻がダウンして、仕方なく次男を背負い、寝るまでエンドレスおんぶで家の中をずっと徘徊。
次男がやっと寝て25時。
叩き起こされ付き合わされる悲劇。
そして朝、妻は遊びに出掛けた(この予定があったので余計に気が立ってた)。
たぶん、帰ったら仕事が間に合わないとまたキレるのだろう。
おもちゃ屋と鉄道模型専門店まではガツガツ歩くも、目的のおもちゃゲットの後は一歩も歩かず、ずっと抱っこ。
疲れた。
しばらく前、
「ほとんど全く稼いでないんだから、専業主婦しろよ。家が汚いとキレる回数も減るだろ」
と言ってしまい、
「こんな発達障害児たちは幼稚園は無理。家でなんてもっと無理。殺してしまう。誰が保育園や療育の送り迎えしているのか」
と妻も引かなかった。
今でも、妻が専業主婦をしてくれてずっとみてくれたらと思う。
ブランドイメージが高ければそれだけその企業に対する顧客の信頼は厚くなり売り上げに貢献する。
では企業にとってブランドイメージは高ければ高いほどいいのか?といえばそういうものでもない。
あくまでその企業の製品や実態にマッチしたものでなければいけない。
なぜなら、あまりに高すぎるブランドイメージはその化けの皮が剥がれたとき、
そのブランドが受けるダメージは尋常ならざるものとなるからだ。
そういった意味でAppleのブランドイメージは少し高くなりすぎているような気がする。
もしもAppleが作るものが純粋なファッションアイテムならば、
そのブランドイメージは高ければ高いほどいいのかもしれない。
しかし、違う。
その実像というものが現実的で醒めた視点でもって評価されるときが必ずやってくる。
だから、決してブランドイメージという虚像だけでは勝負できない企業なのだ。
ただ決してすごい製品ではない。
しかし、ネットを徘徊していると時折りiPhoneの提灯記事を読むことがある。
信じちゃあいけない。
Appleの莫大な広告費のおこぼれのおこぼれのおこぼれくらいがああいうところに回ってきて、
でもさ、ああいうのって、どこまで信じてる?
なんかさ、いるじゃない。
多分ね、そういうのはみんな信じないと思う。
Appleの新しい製品が出るたびの風物詩みたいにして楽しみにしている人もいると思う。
と思うじゃない?
提灯記事には騙されないぞ、と思ってるじゃない。
でもね、それは本当なのかよ?って思ったりする時ない?
その他の記事が客観的な評価に基づいたものだと思い込ませるための布石になってるんじゃないか?とか。
まあ、私は知らないよ本当のところは。
ここまで書いてきてなんだけど、全然わからないもの技術的なことなんて。
だからさあくまでこれはブランドイメージを構築する手法としての話なんだ。
って思う人はそれは何を根拠に言ってるの?
それとも誰かが主張していることを鵜呑みにしてるだけ?
このへんのね自分の気持ちを疑ってみる態度というのは割と大事だよねって話。
ただそれだけ。
なんでこんなことを思ったかというと
私が持ってるApple製品ってiPhoneはいいんだけどさ、
その他はあんま長持ちしないんだよね。
何かしらうまく動かなくなって製品として重要なある部分の使命を果たせなくなる。
いや正確にはiPhoneも大概だ。
ヘタったバッテリーの交換をしに行ったら、
バッテリーだけじゃなくて、
これも壊れてます、
それも壊れてますって診断されてさ、
それらがぜんぶ交換になってさ、
と、ふと疑問に感じたんだ。
で、いろいろと考えるにAppleって割と虚像の方が大きくなりすぎてるんじゃないかな?と感じだんだ。
少なくとも私の中では。
大好きな企業だし、
大好きな製品群だし、
でもねそれとは別の話で、
それはAppleだけに限らず。
そういうことを書きました。