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はてなキーワード: 徘徊とは

2017-04-17

日曜日の話

新生活スタートして半月が過ぎた。

前の住居から持ってきた折りたたみ自転車引っ越し等の忙しさに感けて放置していたのだが、タイヤ空気を入れて、オイルを注し、ようやく乗れそうな感じに整備した。

まだアパートの近辺もよく探索していないので、ついでに隅田川沿いの桜でも見ながらぶらつこうとコンデジを片手に繰り出した。

とりあえず、駅とは反対方面、川へ向かうような気持ちペダルを漕ぐ。

途中、小学校やら保育園やらを通ると、校庭の桜が満開からやや散り始めの感じで、そういえば、今年はまだ桜の写真を撮っていなかったなとカメラに手を伸ばす。

田舎から出てきた私にとって、東京とはカメラをぶら下げて徘徊する人間に寛大な土地…というイメージだったが、住宅街では流石に気恥ずかしい。

というか、やはり学校周りでカメラを構えるのは不審者一歩手前だよなと思い直し、やはり川辺まで堪えようと、ペダルを踏み込んだ。

勘を頼りに川を目指すと、やがて川沿いの通りに行き当たった。しかし、想像していた桜並木はなく、なんか緑の植え込みやら雑木やらが並んでいる。落胆。

こうなると、どうにか桜を拝みたくなり、近場にあるという桜堤緑地という花見の名所を目指すことにした。検索すると、それほど遠くもなさそうだ。

それにしても、この日は暖かいというよりむしろ暑いに寄った陽気であり、自転車を止めると汗が滲む。

それでも、新荒川大橋を渡れば、川辺の風が実に心地よかった。

桜堤緑地にたどりつくと、期待通りの桜並木がそこにあった。

花見客もまだまばらで、自転車を停めて暫し桜を眺めたり写真を撮ったりする。

ひとしきり歩きまわり満足したため、もと来た道を引き返す。

コーヒーで飲んで一服しようと言うところなのだが、いかんせん近場の店がわからない。

結局、駅まで戻って喫茶店に入ってしまう。ミックスサンドコーヒーを頼むが、あまり長居できる雰囲気でもなく、

疲れもでてきたので、早々に店をでた。

食後に一風呂浴びたくなり、調べてみるとアパートを通り過ぎたあたりに銭湯があるとのことで、ゆっくり向かう。

途中、サイクルショップを見かける。ミニベロ部品などはあるのだろうか。

ロードバイクやらクロスバイクやらが並ぶ店はどうも気おくれしてしまう。またそのうち見に行くとしよう。

さして時間もかからず、目当ての風呂屋にたどりつく。

なんと、この風呂屋は電子マネーで決済できた。未来だ…

風呂は露天あり薬湯ありもちろんサウナと水風呂もあり、大変満足だった。

是非また来ようと心に決め、アパートへ戻ってビール引っかけて爆睡しましたとさ。おしまい

2017-04-12

私をいじめていた小学校教師

小学校教師いじめられて障害児とか毎日のように言われたのを思い出すとパニック起こして自分への無価値観で涙が止まらなくなってたんだけど、最近その教師が定年前なのにボケて近所を徘徊しているらしいと聞いた。

そしたらボケババアの戯言なんて気にしてたのがアホらしくなった。

今はボケ進行して奇行で死なないかなくらいの感情しか持ってない。

小学校教師とか子供はいつまでも子供って思ってる節があるけど子供大人になるし大人になったら子供だった時のことを忘れるわけじゃない。

惨めな死に方しますようにとお祈りをしておく。

2017-03-23

俺はもうネットで熱くなれない

いわゆるキョロ充だった俺にとって社会で生きていくことはしんどくて仕方なかった。

いつも周りのご機嫌を伺って、空気を読んだ面白言動をしていた。

そんなときネットを初め、斎藤佑樹田中将大妄想BLを綴ったブログを見て狂気を感じるとともに自由の風を感じた。

それ以来、自由を求めてネット徘徊しては解放カタルシスを得ていた。

しかし数年後ネットに退屈している自分がいた。自由になればなるほど、抑圧が減り、抑圧が減れば減るほど解放によるカタルシスも減っていったのだ。

呪いもなければ祝福もない、そんなとこまで来てしまった気がする。これが幸せなのか不幸せなのかはわからない。

ただ、幸せにならなければならない、という抑圧から解放されているので割とどうでもよかったりもする。

ちなみにゆーちゃんと田中のBLはコチラ

http://pinktrip.exblog.jp/3254343/

2017-03-22

奨学金Fラン大学に行ったけど毎日楽しい

Fラン大学奨学金で通っている。

人ならざるもの徘徊する馬鹿高校の窓際で机に突っ伏しながら「まだ働きたく無い!というか働けるわけが無い!」とグズグズ願っていた僕と、

貧乏にもかかわらず「大学くらいは出させないと!」という両親の思惑がよからぬ形で一致した結果だ。

はいえ人並みの努力ができずやる気の無い僕がどこぞの名の知れた大学を目指せるわけもなく、地元にある誰でも入れそうな大学のよくわからない学部

適当に選んだ。

案の定合格。首尾よく4年間のモラトリアムをゲットできた。

しかし、こんな僕でも合格できるんだからAO入試ってすげえな。ホント大丈夫か?

今年の春に二年生になるけれど、大学は本当に良い。

好きな時に起き、好きな時に食べ、好きな時にセックスだってできる(大学に入って彼女ができました)。長時間身体的拘束を伴う高校時代よりはるかに楽だ。

確かに講義はあるが、僕みたいなのが入るような大学なのでレベルは総じて低く、行っても行かなくてもどうとでもなる。

まあ、英語講義ガチで「I have a pen」をやるとは思わなかったが。講師もニヤけるなよ。あれはちょっと傷ついたぞ。

新しく覚えたことといえばパチスロくらいだ。

ろくでもない友人に誘われてはじめたが、あれはハマる。

今やバイトで軍資金を稼いでは、パチ屋に行き時々大学に顔を出すと言う有様で、もう一生こういう生活を送りたいと願っている。

ああ楽しい

僕がこういう生活を送れるのも国が奨学金をホイホイ貸してくれたおかげ。

からその辺の一般人よりよほど国に対する感謝気持ちは持ってると思う。

まあ、世の中的には「金を借りてまで大学に行くなんて無駄!」とか「必死勉強して特待生か国公立を目指せ!」とか色々言われているのは知っている。

でも、少しくらいは大目に見てほしい。

言い古された言葉だけど、子供は親を選べないわけで、貧乏な両親の子だってだけで一般的幸せ(今大卒一般的ですよね?)を

得るのに物凄く高いハードルが課せられるってなんだか不公平じゃん?それを直していくのが国の役目じゃん?

から日本は素晴らしい国だ。

というか、そいういう話をしていくと最終的には不摂生が原因で病気になった人とかも責めざるを得なくなると思うんだけど、それはどうなんでしょうかね。

もちろん、奨学金卒業したらちゃんと返していくつもり。

予想では月々3万。大丈夫でしょう、多分。大卒だしね。

なので、とりあえず今日新台を打ちに行こう!

2017-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20170310122932

旅行とか行くんじゃなくてその辺を徘徊するしかないという点において精神世界的な意味底辺なんじゃね

散歩してたら下校中らしい小学生不審者を見る目で見てきてつらい

(まあ俺も小学生だったら普段見ない大人がいると警戒しただろうけど)

2017-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20170226142302

自分が同居したらどうなるかって想定してないんだろうね

30代夫婦が働いても、おじいさんおばあさん世代のもらう年金より金が少なくて

しかし、おじいさんおばあさんは自分たちの3~4倍は30代夫婦が稼いでいると思ってるから

家を建て替えて5000万のローン組め、

もっと土日は休んで家族サービスしろ

孫ちゃんは私立に入れないの? 公立はいじめがすごいんでしょ?

そんな中おじいさんおばあさんが具合悪くなる、痴呆スタート

30代夫婦子育て最中介護スタート

住宅ローン35年フラット組んでいる中

介護やら通院やら

そのうち痴呆が進み、おじいさんおばあさんは徘徊暴力被害妄想

部屋中にぶちかますうんこにしっこ

しかし同居家族のせいで老人ホーム入れようにも後回し

幼稚園も点数が足りず入園できず

ヘルパーさんが来る時間は在宅せねばならず

2017-02-25

聲の形を分かろうともしない、石田。それが僕だ

人とコミュニケーションが取れない、楽しくない。

そう思うようになってずいぶん経った。

きっかけははっきりと覚えていて、中学生とき人間関係トラブルを起こしたことが原因だ。

それ以来、自分からコミュニケーションをとることに対して臆病になった。

最初グループのうちの一人であるBと些細なことで喧嘩した。

原因はもう忘れてしまったが。

僕は仲直りするきっかけを見いだせず、意地になって謝ることもできず、

Bとは口を利かなくなった。

グループの別のAが、一度仲直りしたら?ときっかけを

作ってくれたことがあったが、自分些細なプライドを優先し、

それを無視してしまった。

その後、理科の授業で、唾液のデンプンを分解する作用に関する実験があった。

班員のうち二人の唾液を混ぜても、分解できるか実験してみろ、

というような指示があった。僕はAと同じ班だった。

一人はもう一人の男子が手を挙げた。

もう一人は誰も手を挙げなかったので、

じゃんけんで決めることになった。

じゃんけんは僕が負けた。

でも、僕は唾液をさして仲のよくない男と混ぜられるのが気持ち悪くてしかたなかったので、拒絶した。

今思えば、じゃんけんに参加した時点でそれを拒否することは筋の通らない話だと思う。

でも僕は、うまくいかない人間関係や、思春期慢性的不安から来るイライラといった身勝手理由自分正当化し、

拒絶の言葉を放ってしまった。

「お前、もういいわ」

僕の身勝手さに愛想を尽かしたAはそう言って、自分の唾液をビーカーの中に吐いた。

その日Aと口を利くことはなかった。

今回は100%自分が悪いという自覚はあったが、またしても謝ることはできなかった。

もやもやしたものを心のうちに秘めながら、僕は下校した。

この日のうちに謝ることができていれば…と今でも思う。

次の日から、僕の学校生活は一変した。

僕の身勝手さに他のクラスメイトも愛想を尽かしたのか、

クラスメイト全員から無視されるようになった。

たった一日の間に、急激に変わってしまったクラスに僕はただただとまどい、呆けるしかなかった。

とりあえず、寝たフリをしたり、意味もなく学校内を徘徊したりして、やり過ごした。

Bとの喧嘩はともかく、Aへの一言には後悔しかなく、謝りたいと思ってはいたが、

まりの劇的な変化に、僕は怯えてしまい、逃げることしかできなかった。

けれど、事態はどんどん悪化した。

最初無視だけだったが、やがていじめを受けるようになった。

筆記用具を壊されたり。

僕の机だけ掃除のあとイスが降ろされていなかったり。

体育の授業で卓球があったが、どこにも入れてもらえず、50分間壁に向かって打ち続けたり。

別の男子グループからプロレス技みたいなのを掛けられたり。

酷いあだ名で呼ばれたり。

AやBから無視されたり、何かされたりするのは仕方がないと思っていたが、

学年全体がほぼ敵のような状態になってしまい、

怖くて怖くて仕方が無くて、僕は前述のように逃げることしかできなかった。

気が付いたときには自分一人ではどうにもできない状態に外部も自分内面も変わってしまった。

僕は自分意志ではないが、親の言うことを聞いて勉強はそこそこやっていたので、

勉強を頑張って他の同級生がいないような高校に行けば、やり直せると思っていた。

からどんなに辛くても勉強は続けて、中学同級生が数人しかいない学校に入った。

けれど、原因を作ったのは自分はいえ、誰も助けてくれなかった、もしくは攻撃してきた

大多数の他人への不信感から、僕は人と積極的に関わる意欲を失っていた。

僕は高校時代、話したことが無い人には一度たりとて、自分からは話しかけなかった。

高校1年のときは、みんな友達がいないので、話しかけられたし、それをきっかけにして、

話す人ができた。

けれど、進級するに従い人間関係が固まってくると、そういう消極的姿勢では

友達の少ない僕はどんどん浮いた存在になった。3年生の時には、クラス友達が一人もいなかった。

卒業式とき卒業文集白紙のページは白紙のままで、

僕は下級生と一緒に、卒業生の誰よりも早く帰宅した。

3年間高校に通ったが、何の思い出もできなかった。

大学では学部ではぼっちだったが、入ったサークルには少しだけ馴染めた。

どこか自分と似たような、これまでの学生生活に馴染めなかった人が集まるようなサークル

だった。

そこで人の優しさに触れたり、人と何か協力して物事に取り組んだり、飲みにいったり。

やっている活動自体はあまり楽しくなかったが、そこにいる人たちは好きだった。

けれど3年になって、サークルを引っ張る立場になると、僕はそのプレッシャーに負けた。

自分がさして楽しくないことを、後輩に教えるのが苦痛だった。

また心無いことを言う人間が、年下とはいえきっと僕より濃い人生を送ってきた後輩に何か教えるなんておこがましい

とも思っていた。自分のつまらない劣等感コンプレックスを克服できなかった。

一応最後までやり遂げたが、かたちだけだったと思う。

直接接した後輩とは最後まで打ち解けることができなかった。

高校よりは自分の中に何かが残った大学生活だったが、悔いは残った。

すっかりコミュ障となった僕は就活では苦労したが、生存本能の為せる業かどうにか自分に嘘をついて

1社だけ内定をもらって事務仕事をしている。

けれどコミュケーションが取れない、愛想はない、仕事もできないで肩身は狭い。

仕事楽しいと思ったこともない。

他人のことは怖くて、外にいるだけで疲れる。

自分のことが愛せず、当然他人のことも愛せない。

友達もいない。

彼女もいない。

少し好きなことはあるが、趣味と呼べるものもない。

今僕は24だが、このままいくと何にも楽しみを見いだせず、

会社では疎まれ、やがてはクビになり、プライベートはずっと一人で、

死んだ顔のまま、年だけを重ねたおぞましい中身空っぽオヤジになって

誰に気付かれることもなく死んでいくのが容易に想像できる。

聲の形」という漫画を読んだとき、まさに自分のことだと思った。

石田自分のしたことに向きあって人の痛みを知る、立派な青年となって、

成人式同窓会を「可能性」と言える男になった。

対して僕は自分に向きあえなかった石田だ。

成人式トラウマしか捉えられず欠席した、逃げるしか能のない男になった。

年を重ねれば重ねるほど、可能性は失われていく気がする。

気の持ち様次第で、年を取ってから自分を変えられる人もいるかもしれないが、

そのハードルはどんどん高くなっていく気がする。

どんどん上がるハードルを目の当たりにして、これから先僕はどんな人生を歩もうか。

僕には明るい未来なんて見えないが、心臓は鼓動を止めない。

自分で止める勇気もない。

どんなことになろうとも、天寿を全うする。

その事実からだけは、僕でも逃げられそうもない。

2017-02-16

親の車を捨てる話

条件がぐちゃぐちゃしているのでユースケースを一つ作る。

「Aは親であるBと遠くはなれて住んでいる。様子を見に行くのも飛行機を使うため、気軽に帰省する訳には行かない。Bは高齢のためここ数年、急激に運転がおぼつかなくなってきた。軽い認知症が始まっている。車を降りることを薦めても『心配しなくていい』を繰り返すだけで、話を聞かない。後期高齢者保険の話をしても嫌な顔をするだけ。ヘルパーを入れることも拒む。説得を続けると『疲れた』といって引っ込む。高齢者運転事故の話が話題になっており、心配だ」

多分日本中に掃いて捨てるほどあるユースケース。本当に掃いて捨てたら大阪の海が悲しい色に染まるどころか広大な埋立地ができるだろう。

さて、BはAの言うことをまったく聞かない。一方でBの運転能力は日増しに低下している。ここで何ができるか。現実的選択肢は以下のとおり。

  • 殴り飛ばして無理やり言うことを聞かせる
  • Aが今の仕事を放り出してBの近所に引っ越す
  • Bが衰弱してAに抵抗できなくなるまで待つ

最初選択肢はAが逮捕される。2番目の選択肢を取る人は一定数いる。その後再就職できずに低所得層に転落する悲劇が量産されているが、報道はめったにされない。最後選択肢現実解として選択する人は多いだろう。

最後選択肢を選んだ場合で、かつBが誰もひき殺さなかった場合現実に起きるのは次のような事態になる。

「Bは認知症が進行し、徘徊を始めるようになった」

Bは脳機能の衰えにより、自分の車がどうなったかを正常に判断できなくなる。車を捨てるのはこのときしかない。しかしながら、同時にBは徘徊等をはじめており、この時点で付きっきりの監視必要になる。

Bはヘルパーを拒んでいたため、遠隔地からAがBの世話を頼める人はいない。「徘徊しているお父さんを保護しました」という警察から電話に、予定をすべてキャンセルし、会社に頭を下げて(割安航空券を使わずに)あわてて帰省することになる。

長期休暇は取れない。ここでどうやって車を捨てればよいか

実は車を捨てるという言葉には、二つの意味がある。

普段意識していないが、会話で「廃車」というときには上の二つの意味を両方含んでいる。

この二つを短時間にできるだろうか。

スクラップ処分はできる。近所に業者がいるならば、自走していって車検証と自分身分証を見せるだけで廃棄してくれる。所有者の同意書、委任状などは不要業者確認することを推奨)。

問題は法的な廃車のほうだ。

法的な廃車はAの居住地でもできる。必要ものは:

この二つがあればいい。さてここで問題。Aの言うことをまったく聞かなかったBは、Aに登録印の保管場所を教えてくれるだろうか。

教えてくれているなら幸い。とにもかくにもすぐに廃車処理すべきだ。(来年納税までに捨てればいい)などというのは間違いだ。なにしろ

登録印は自治体の外に引っ越すと無効になる』

Bが自活能力を失ったからAの元に引き取る。あるいはAの居住地の近所の施設に入れる場合、当然住民票を移動することになる。

教えてくれなかった場合印鑑を再登録する必要がある。

ところが、印鑑登録の再登録には本人自筆委任状必要となる。委任状を書けるくらいなら運転心配などあるわけないっつーの。そもそも、委任状を書ける状態ではBはAに同意しない。

この点に関して、役所は一切助けてくれない。結局、この状態になると選択肢は二つ。

偽造が発覚した場合、たぶん書類送検される。裁判で争うのも一興だろう。ツイッター炎上させてメディアを巻き込む。うまくするとゴーストライター適当感動ポルノ本を書いてくれる。印税で買ったワインを飲みながら、すでに知的な話をできなくなったBの耳元に「あんたのおかげで大もうけできたよ」とささやくと、テレビドラマ的で素敵だと思う。

重量税を払わない方法もある。払わないと警察が来るので「この人が脱税しました」と、Bを突き出すのだ。嘘ではない。安全運転納税は所有者であるBの義務だ。うまくするとBはお上が面倒を見てくれる(ないない)。

成年後見人は一番まともな方法だ。成年後見人になれば、Bの代わりに印鑑登録し、廃車することができる。が、認定されるまで数ヶ月かかるという、お役所仕事なので年明けにスクラップにしたなどという場合はあきらめるしかない。

かくのごとく、親の車を捨てるとは面倒な事である

当然だが、ここに延々と書いた面倒な話とは別に「老いの準備を一切しなかった親を引き取る」という大変な事態が同時に発生する。

子供が憎い、子供を少しでも苦しめたい。そう思っている方には『心配しなくていい。俺は大丈夫だ』と言い続けることをお勧めする。効果は絶大である

http://anond.hatelabo.jp/20170216113248

はいはい、今のオタクイナゴから動物園に行くオタクはすぐ消えるし、大洗観光するオタクも消えたし、鷲宮神社初詣に行くオタクもいないんだろ。

おまえの言うとおりなら夜な夜な徘徊するポケモンGOプレイヤーもいなくなってるだろうよ。何も心配せず動物園に行けよ。

オタクアニメの影響で動物園殺到することがそんなにいいことかな

人気が加熱し、人が集まるというだけでそれは諸々の問題をはらむわけで、それを考えると手放しで喜べるものでもないな。もっとも収支がマイナスになることはないだろうから、そこは心配していないが。

今のオタクイナゴから人気が持続するとも思えないが、残る者は残るだろう。それはそれでいいか。本当は持続することこそ大事なんだがなあ。

今週末ちょうど動物園に行こうと思っていたが、その動物園Twitterで出回ってるサーバルキャットのいる動物園リストに載っていて、ちょっとゲンナリしている。

ポケモンGO問題なんかもあったが、あれは今どうなったんだろうか。今も不忍池とかには夜な夜なうつむいてスマホをいじりながら徘徊する集団がいるんだろうか。

2017-02-09

教育困難校で学んでた

とは言っても、2000年代の初め頃、高校生だったのでもうずいぶん経つが、僕が通った高校教育困難校だった。

雪が積もれば授業中でも外に出て行って遊ぶヤツもいたし、校門をとおりながらタバコに火を付けるヤツもいた。

真相不明だが、どこからか盗んできたというポータブルDVDプレイヤーAVを見てるヤツもいた。

勉強について行けなくて辞めたり、警察のお世話になって辞めたり、まあいろんなヤツがいた。

教師陣にもやる気のない者は多く、そういう教師の授業では何を言っているか解らない授業が続く中、黒板を見もせずに寝たり、漫画を読んだり、雑談したり、パチンコ攻略雑誌を読みふけったりしていた。

外見はワザといかつく見せるのが流行り、ヒゲを生やしたり、髪型をキメたり。

あと半数以上は筋トレをしていた。とにかく強そうに見えることが大事だった。

長期休暇後の宿題は、真面目にやってくる1割以下の優等生から借りて写すか、提出しないかの二つが主流だった。

テスト間中は午後が休みなので皆で飯をくったり、カラオケ行ったりと街に繰り出すのにちょうど良かった。

ちなみに、隣町にあった工業高校の怖い噂が時々流れていて、駅のホーム喧嘩してコンクリートブロック相手の頭を割ったとかなんとか、制服を見たら緊張していた。

ちなみに、五年くらい前にその工業高校を出た男と飲み屋で知り合って話したら、向こうも同じくらい僕らの高校に警戒していたって話しになってお互いに大笑いした。

僕は、まあ比較的に真面目は方だったけど、それでも飲酒不純異性交遊、深夜徘徊くらいは時々していた。

そして、今思う事なんだけど、やっぱり楽しかった。

たまに写真を見返して昔に浸ったりもする。

あの頃、どうしようもない僕たちを見捨てないでくれた大人達には感謝している。

おかげで今はどうにか働いて家庭を持って、うまくやれている。

辞めた連中と、そもそも高校進学しなかった連中の多くが犯罪者生活保護受給者になってしまっている事を考えれば僕だってそうなってもおかしくはなかったのだ。

教育困難校教員の語りも読んだが、まったく感謝の念しか涌かない。

今の僕が当時の僕と出会ったらすぐに見放す自信がある。

それを何年も頑張っていると言うのが尊敬に値する。

膨大な労力と徒労感に苛まれながら、三年間で出来上がるのは良くて標準のちょっと下。悪ければチンピラモドキという現実

報われないと思うかも知れないが、それに携わる人がいなくなれば、この世にはもっと貧困蔓延るようになる。

その仕事を続けるように引き留めはしないが、なんの意義もないとは思って欲しくない。

2017-02-07

上昇志向のある性格に疲れてきた

上昇志向って聞こえは良いけど、どこまでいっても満足しないという意味ではどこかぶっ壊れた人間だと思う

例えばいくら飯を食べても満足しない病的な肥満体みたいなもんだ

 

仕事は今では3つ掛け持ちしている(まだ足りないという気持ちがある)

休日は消えていき、1つ1つが達成しづらくなってくる

人間には限界があるのに、私の目標はどこまでも届かない位置にある

 

私の年収は毎年割りとすごいペースで増えているのだが

気づけばいつの間にか目標ラインが上がっている

必ず届かない位置に設定されていて、もちろん達成できないのでいつでも憂鬱

 

効率を目指さなければいけないのはわかっている

でも効率を上げる一方で、スピードや精度も上げていかなければならない

そんな強迫観念地味た思考から脱却できない

 

大学生か、社会人3年目くらいまではこれでいいと思っていた

しろ素晴らしい性格だと思っていた

一旦走り抜けて、どこでもいいから高みまでいけば逆に余裕が出ると思っていた

でも最近はこの意味不明な考え方をどうにかしないと破滅すると感じている

どこまで行っても満足感はないし、どこまで行っても「到達しなかった」という気持ちしかならない

例え何かで世界1位になっても足りないと思うに違いない(もちろんなれない)

 

最近は疲れ切って全停止する日がポツポツ出てきた

鬱にはならないと思っているが、単に心身疲れたんだろう(鬱の経験はあるがその兆候はない、ギリギリセーブしている)

スタミナがゼロになって、強制的思考ゼロになる

勉強する余裕もなければ、小説を読んだりゲームをするような気力もない

はてブニコ動徘徊する日々

 

そんなとき

けものフレンズ出会ったのだ

2017-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20170203210126

ちょっとはみ出た、つづき

入院が決まった直後に、入院時に必要ものを買い込みレンタカーで母の元に向かった。

徘徊が多く、連絡手段も無い為、朝、荷物だらけの新居に迎えに行っても空振りになってしま可能性があったからだ。

荷物だらけのアパートに一晩泊まって見張るつもり位でいた。

破たんした呪い言葉を一晩聞き続ける程度だったら何とかなるだろうと踏んで寝袋を持って家を出た。

アパートにいた母を、最後の晩餐さならが母を食事に連れ出し、禊を済ませるが如く、深夜営業温泉に連れて行った。

これまで母の病気が進行してから、弟を含め3人で食事をすることは何度かあったが、

私が成人してから母と二人で食事をしたり、温泉に行ったりしたのは初めての事だったと思う。

しかし、あのアパートで母と二人きりで一晩を過ごすのはやはり心理的に無理だった。

そこで、仕事徹夜を強いられる彼女がいる自宅に、彼女に無理を言って連れて行く事にした。

自宅に母を招いたのも初めてだし、彼女に合わせるのも初めての事だった。

彼女も親に対してトラウマを抱えており、軽くパニックにさせてしまったのは本当に申し訳ないと思っている。

しかし、この母親に対して、親孝行らしい親孝行を始めてしたのかもしれない。

母は何度も夜中に起きて二人の息子が襲われる、警察に助けを呼ばないと、言った事を不安になってしゃべっていた、

うとうとすることもあるが、眠りかけた際は幻聴として聞こえる言葉をそのまま声に出してしゃべっていた様だ。

母にとってみれば、もう25年間、四六時中不安な時を過ごしているのだ。

翌日、車で病院に向かう途中、母は、私が子どもの頃、家族ドライブに行って以来車に乗れて楽しいと語った。

富士山山間から見えてとても綺麗だった。

医師に診断してもらいその場で医療保護入院が決まった。

家族同意があれば、本人の意思に関わらず強制的入院可能制度だ。

その際、思わず、ここまでとても長かったです。と医師に話した。医師も私の苦労を察してくれたようだ。

診断時、私から事情を話す際に、精神科へ行っても結果的治療が受けられない件を話したくだりで、

やっぱりそうか、といったニュアンスだろうか、ため息を漏らしていた。

法律上定まった手順であろう医師保護入院説明をを本人に読み上げる際も、

聞きはするが当人になにが起こるのか 理解していない様子だった。

閉鎖病棟に送る際、持ち込み禁止となる物が母の身に付けたものからいくつも出てきた。

不安からか何枚も重ね着した一張羅ポケットや、鍵だらけのウエストポーチからは、

刃物であるハサミや安全ピン、 南京錠などの金属、ワイヤー錠等のひも状のものが、

わんさと出てきた。しかし、 体を傷つける可能性のあるこれらのもの閉鎖病棟内には一切持ち込めないそうだ。

手続きを済ませ、病院に母を預け、弟や彼女に報告をし、帰路に向かう際は、

涙も出なかったし、ざまあみろ、といった感情にもならなかった。

これでひと段落ついたんだな。という感慨はあったが、正直、いまだに母への気持ちは整理がつかないし、

私が多分死ぬまでこのもやもやした気持ちに整理はつかないのかもしれない。

ともかく、これで弟にかかる負担も減るし、母の不安もいずれは多少なりとも解消されるかもしれない。

本人がいつか病識を持つようになって、まともに話せる日がくれば、また母に対して憎しみの感情が沸くかもしれないし。

そんな日は来ないかもしれないが、ともかくこれで一区切りついた事になる。

繰り返しになるが、「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という

声もあるだろうが、自分気持ちを整理する意味でもこれまでの経緯を書いた。

自分を棚に上げてなにか説教じみた一言を添えて終わりたい気持ちを抑えてこれでこの長文は終わります

ここまで読んでくれた人がいたらありがとう

追記:少しだけ文章校正しました。多くの読んでくれた方、改めてありがとうございます

乱筆乱文、誤字脱字、事実誤認、諸々失礼。

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追記

たくさんのコメントいただき感謝に耐えません。

とても参考になる知見も多くいただきました。

これで終わりではないので、是非、今後に生かしたいと思います

この話は私の人生のある側面の、ある時間だけをバッサリ切り取ったもので、

別の面では幸せであり、大半の時間は、苦労はありますが、それなりに恵まれ生活を送っています

悲劇性や誘因性の強い文章になりましたが、自分自身を奮い立たせるために自己演出した部分も多分に含まれていますし、

それなりに珍しい経験をしたので「保育園落ちた日本死ね」位の話題にならないかなー、と。

助平根性で書いた面もあった事は表明しておきます

ただ事実と異なる事柄は書いていないつもりですが、母の性格を受け継いだせいか感情基準での記憶をする傾向があり

事実認識に多少の誤りがあるやもしれない事を明記しておきます

特に地元総合病院精神科医師が話してくれた、治療可能性や、相談内容、他の施設の紹介といった、

具体的な情報のくだりは、今思うと当時の余裕のない状況で色々思い違いをしていたり、

その時点で必要情報だけを記憶に留めようとした傾向があるので、もしかしたらきちんとした説明を受けていたのかもしれません。

心理面での負担や苦労をねぎらってくださるコメントも多くいただきましたが、

母の事で本当に辛いと感じていたのは母の病気発症するよりも前の方がはるかに多く、

病気が進行してからは、母の事であまり辛いと感じたことはなく、やっかい毎が面倒だ。

調べ物が面倒だ、なかなかうまい方法が見つからないで面倒だ、事務処理が面倒だ、

と、いったような仕事での面倒毎に近い感覚だったかもしれません。

もやっとした問題に対して、検索するには言葉あいまいで、答えも方法論も様々過ぎるし制度もたくさんあるしで、

的確な道順や回答を出せる所にいつまでも辿り着けず、情報迷子になった側面は多分にあります

普段Googleさんをそれなりに使いこなし問題解決の為のITリテラシーはそれなりに自信がありますが、

実は 『ケースワーカー』さんという言葉存在はかなり最近になってから人づてに知りました。

それまでは地元総合病院電話した際や行った等、もしかしたらそれに気づかず『受付の人』という認識相談をしたこともあったかもしれません。

本文には書きませんでしたが、昨年末あたりから精神科のある病院への電話問い合わせの窓口や、福祉センター精神保健福祉担当で、

ケースワーカーさんと相談したい』とわざわざ言ってから色々相談する様になって、

ここには書かなかった世帯分離の手続き等に対しての答えにも、光が見え始め徐々に事態好転してきた次第です。

ケースワーカー』さんはここ数年認知され始めたマジックワードで『当番弁護士を呼んでください』

という言葉を知っているか否か、みたいなものかもしれませんね。

もし、私と似たような境遇でどうしてよいかからない場合は、役所病院等へ電話をかけ、

まず『ケースワーカーさんと私の〇〇の問題について相談したい』と言うのが良いのかもしれません。

最後に、本文で書かなかったエピソードを一つ

地元総合病院精神科の待合室で、母と初めての診断を待つ際の事。

待合室の傍に、精神科病棟への通路があり、おそらく統合失調症の方が、看護師に連れ添われ、

意味不明な話しをしながら歩いて行くのを見て言った母の一言が最高でした。

『かわいそうにねー、頭がおかしいのねー』

今では母の相談をする際に、緊張を和らげる意味で使う鉄板ネタになっています

統合失調症の母をついに入院させた話

先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。

発症から入院までおよそ四半世紀程かかった。

ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。

そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族同意により強制的入院を行った。

「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、

自分気持ちを整理する意味でもこれまでの経緯を書く。

母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。

興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。

日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、

時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。

母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。

父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、

「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。

たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。

夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、

母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。

そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃

別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、

「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。

しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、

母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。

専業主婦だった母は別居後、販売員仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。

そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。

余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。

ある日、私の学校開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?

という話になり、離婚調停最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。

再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め

自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。

中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に

なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。

対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。

私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。

しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。

母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。

仕事上での人間関係トラブルの話は祖母しょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。

その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、

次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。

しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、

しばらくは家族親族の誰もが病気可能であることを疑う事はなかった。

就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、

近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからいか一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが

自分性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家生活費を払う事をしなくなった。

近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。

母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。

しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり

まり会話をすることもなかった。

しかし、あれは確実に症状が進行し言動おかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。

私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、

落ち着いて説得することができず感情的しか対応できなかった。

その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。

弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。

おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障体育大学中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、

アルバイトをしながら、母の生活費もまかなっていた。

兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。

そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、

弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。

彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。

その頃私は都内仕事好調彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。

その後も自営業再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると

上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。

幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由さらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。

しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。

この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。

何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。

普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。

しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、

支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人しかなかった。

徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。

ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は

しょっちゅうだった様だ。たぶん地域警察官の中でもやっかい有名人であったと思う。

その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。

仕事はい私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。

ラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。

母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。

彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。

そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。

これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、

本人に自分病気だという意識病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。

そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」

という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。

入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。

私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活可能しかし治療を拒む状態だと、

いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間お金が無いとどうにもならない状態だった。

そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。

いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。

また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。

そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。

はらはらしながらの受診だったが、精神科医統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。

母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、

回復はほとんど見込めない旨。どこも満床ベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。

入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。

今ならわかるが、この医師からケースワーカー存在を紹介されることもなく、国立や県立病院可能性を教えてもらう事もなかった。

自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。

それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。

薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。

僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。

飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、

毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。

同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。

取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費対象であること。

医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担対象者であること。

そして手続きが煩雑という事を事前情報として聞いていたこと。

これらの判断から通院ができない母には不要であった。

今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。

という免罪符程度のものしか無い。という結論になった。

また、通院と同時に市役所への相談介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、

ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。

まず、加齢により体の不調があることも理由介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患介護認定の判定要素に

大きく加味されることが無く、介護度2となった。

ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。

母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。

そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。

そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、

実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)

そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。

結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。

そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。

過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、

今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。

どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女人生で登場した嫌な奴をののしったり、

幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。

以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察通報したり、私たちに電話をし、

一方的にしゃべり続けたりする大事必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。

近隣のトラブルはついにアパート不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパート契約更新一方的拒否され、退去を迫られた。

ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を

入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。

要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。

親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。

さら警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。

これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである

しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。

トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ

この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間

長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、

家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。

長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。

母が病気になってから知り合った人間名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。

この支援センターセンター長さんには感謝しきれない思いだ。

センター長さんの案で母を健康診断に連れ出す事ができた。

そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科受診させることもできた。

しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、

かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、

入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。

でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイ提案してくれた。

何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。

まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。

けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。

怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。

老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。

しかホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。

また、本人の意思尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。

また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。

ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能

正直にいうと少しだけ真剣完全犯罪を考えた事もある。

しか殺人容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。

こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、

母のきょうだいである叔母に当面の入院費を工面してもらった。

その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から

県立の精神病院存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。

アパート引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産アパートの引き渡しを済ませた。

殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。

翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。

事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。

状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。

そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。

電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日入院キャンセルになった関係で、

母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。

正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。

最初に誰かが県立の精神病院存在制度費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、

こんな苦労はしなかった。私自身、最初問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性

間違っている事に気付けなかった、しかし、役所介護福祉医療警察、の現場であった人も親類も、

これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。

正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、

自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。

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あと少しだけ以下に続きます

http://anond.hatelabo.jp/20170203210406

2017-02-02

感謝状って何なんだろうか

徘徊女性を中2女子保護した話でふと思った。

実行したことは凄い。立派だと思う。

女性もお礼をしたというし、一人暮らしらしいけど家族がいるなら感謝してるだろう。

だけど警察感謝状を送るってどういう立場なんだろうか。

何かの犯罪について、捕まえたとか、情報提供をしたとかなら理解できる。

今回のケースは警察のためにやったわけじゃないだろうし、

上から目線の公があなたを称えてあげますよって驕りじゃないのだろうか。

ググってみると

企業企業のケースも

委託から委託先の販売代理店へなど強い立場から感謝状が多い気がする。

得意顧客に向けて「たくさん発注してくれて、ありがとう」なんて感謝状送れないよなあ。

なんか変な文化だなあ。

2017-01-24

WIZ小説が好き。

ようするに迷宮をひたすら潜る話が好きなんです。

と、いうわけでまだ読んでいないそんな本が知りたいのです。

ちなみに、ぱっと思い出せる既読タイトルを。

クリスクロス

現代的に言うならVR版の『ウィザードリィ的な』ゲームに興じる主人公達を描いた話し。

主人公盗賊忍者クラスチェンジする。

ちなみに、システム的に盗賊は弱いが、中身の意思が強いので、作中では異様なタフさを見せつける。

ひと夏の経験値ファイナルセーラークエスト

現代なんだけど、地下にダンジョンがある東京舞台

地下の深くに学校があって、当然魔物徘徊しているし、トラップ存在する。

自然、通学する為には悪意あるダンジョンを通らなければならない女子高生の話。

街の住民である担任忍者、友人は気闘者、剣士などだが、主人公引っ越してきた為、普通女子高生である

アラビアの夜の種族

正確には『ダンジョンに潜る冒険者の話』を聞く王様の話。

現実では国亡の危機が近づきつつある一方で、夜ごと語り部は物語を紡ぐ。

現実主人公王様に仕える奴隷

物語の中の主人公剣士という二重構造

BASTARD!!―暗黒の破壊神ニンジャマスター ガラ外伝

有名漫画ノベライズ

マンガの方はWIZ的な、というかTRPG的な世界を飛び出して彼岸に走り去ったので、WIZ的成分は小説版の方で。

ちなみに、実はニンジャマスターガラは主役ではなく、表紙の女の子剣士種族獣人)の方が主役である

ガラはあくまオブザーバー的な立ち位置堅守している(強すぎるから)。


あれ、意外に少ない。

なんかいっぱい読んだ気がしてるのにな。

WIZノベライズは当然抑えているンだけど、実は迷宮シーンより登攀シーンの方が好きなのは秘密だ。

他にあったら教えてください。未読なら多分きちんと読むんで。

2017-01-22

父の癇癪

私の父は数年前、アルツハイマー認知症を経て肺炎で亡くなった。

父は、昔の人によくありがちな典型的癇癪持ちタイプで、気に入らない事があると突然癇癪を起こすのが常だった。

好きなプロ野球チームが、父のお気に召さないプレーなどを示すと「なにやっとんじゃぁっ!!」と晩酌ビール瓶片手にしょっちゅう切れていたし、そのビール瓶を叩き割ってしまって自分で後片付けしていた背中が私の少年時代記憶に焼きついている。

仕事は、一人親方看板製作業で、小中学生の頃よく一緒に手伝いに連れて行かれたけど、現場に一緒に入っている他の会社作業員にブチ切れて怒鳴り散らす事も珍しくない人だった。

私はそんな父が別に嫌いだということはなかった。プラモデル作りや釣り音楽レコード鑑賞などそこそこ趣味を持っていた人で、私は釣りには興味は示さなかったが、プラモデルは好きでよく一緒に作ったものだ。父は職人肌のところがあり、プラモデルはとても上手だったし、音楽趣味も古い世代に多い演歌だけじゃなくて、ジャズニューミュージックなどのレコード豊富にあって、その影響で私の音楽趣味も醸成されたようなところがある。

ただ、夕食時は親父がテレビ見ながらいつ癇癪を起こすかわからないので、私や他の兄弟も大急ぎで食べ終えて子供部屋に逃げる日課。

そんな父に寄り添っていた母も大変だった。そんな風に子供が逃げるように食卓からいなくなってしまう事にまで腹を立てた父は母に怒鳴り散らして、「お願いだからもう少しお父さんと会話して」と母から何度も頼まれたりもした。

だけど、私を含め子供中高生大学生と成長するにつれ自分たちプライベート時間が長くなってくると、自宅が仕事場だったから、家の中には父と母しかいない時間が長くなり、ストレスを溜めた母がアルコール中毒になってしまったこともある。

父は母なしでは生活できない人だった。

夜遅く帰宅した私に「お母さんの様子がおかしい」と深刻な表情で訴えてきて、すぐに寝室にいた母の様子を見に行くと、泣き腫らして目も顔も真っ赤にした母が布団の上で一升瓶を抱きかかえて横たわり、「もうイヤだ。死にたい死にたい!」と消え入りそうな声でずーっと呟き、身体を異常なほど震わせていた。

どう考えても、すぐに病院に連れて行かないといけない状態なのに、父にはそれすらも分からなかったのである

それからしばらくは、私たち兄弟は出来るだけ自宅には早く帰って父母と一緒に過ごすようにしたので、母の状態回復の方向に向かったけども、当時は精神科受診する事すらも忌避される時代だったから分からなかったけど、母は多分かなり重度の鬱病のような状態に陥っていたのだと思われる。

その後、子供社会に出て自立し、一人暮らしを始めたりしてからも親には随分悩まされたけど、父が60を超えるくらいになると糖尿病や高血圧悪化して廃業する事になった。ちなみに子供は誰も家業を継いでいない。

そして、父は念願だった美術勉強を始めるなど、廃業して何年かは穏やかな生活が続いた。私も結婚して孫を見せる事も出来た。

だけどそれも長くは続かず、父のアルツハイマーが発覚して、発覚時には医師から発見が遅れたのであと1~2年でおそらく誰が誰だかも分からなくなる」と告げられ、その日のうちに孫の名前が言えなくなっていたのにみんなが気付いた。

徘徊は酷かった。あれは経験者じゃないと分からないと思うが、ほんとに突然いなくなるのだ。そうとしか言いようがない。例えば五分前に御飯食べてた筈なのに、周りにいた人がほんのちょっとテレビに気取られただけでいなくなっているのだ。そして、辺りを探し回ってすぐに見つかればいいものの、結局一晩見つからないこともしばしばで、しょっちゅう警察のお世話になった。

一度、GPS機器をお試しで身体に装着させようとしたけど、「こんなもんいらん!」と嫌がってしまって無理だった。

ただ、廃業してからずっと癇癪だけはなかった。いつのからか、「お母さんには散々迷惑かけたから優しくする事に決めたんだ」としょっちゅう言うようになり、その言葉のとおり癇癪を起こすことは、少なくとも私の知る限りなかったし、一緒にいた母にも聞いた事がない。

そんな父だったのに、亡くなる年に一度だけ癇癪を起こした。

それはお正月二日の日、実家にみんなが集まっていた和室で、おせち料理を囲んで団欒していた時、母が何かを台所まで取りに行こうとして立ち上がったときにふらっとよろけたその時だった。

「こらっ!そこどけ!」

和室が一瞬にして静まり返り緊張が走った。

多分、足を悪くしていた母に対する父の気遣いだと思うけど、にしてもしばらく聞いた事のなかった癇癪。

母のちょうど隣にいたのは私の息子だったが、それまで笑っていたその息子の顔が引きつっていた。

それから、二ヵ月半ほどして、肺炎を患った父は病院で亡くなった。

昨年くらいから、母も同様にアルツハイマー認知症と分かり、今は施設にいるのだが、この前私が訪れた時、母はこう言った。

「お父さんすぐ怒るから一緒にいてあげてね」

父が死んでも涙一つ流さなかった私だったが、何故か涙が溢れて止まらなくなった。

2017-01-11

沖縄本島ってどんなところ?



最後

2017-01-10

日中ネット徘徊して自分意見に合うことだけ取り入れて世の中の真実が見えた気になる

2016-12-31

嫌いなやつがいると冷泉明彦の名前を出せばいい、と思ってるやつが一匹徘徊してるようだな

2016-12-20

スマホでの暇潰しの具体的な内容

ニュース検索すると、結構な上位に、

サムネイルニュースタイトルが赤とかのゴチック体でででかく書いてあるYouTube動画があることがある。

見る気がしないので臆測だが、おそらくそういうたぐいの動画は、動画にする意味があって動画にしたのではなかろう。

漫然とYouTubeを見てる人からクリックを頂きたいだけだろう。

それで本題はこれからなのだが、

自分電車に乗っている間、かなりスマホ触りっぱなし見っぱなしである

スマホで具体的に何をしているかというと、主には、人の日記ブログを見たり、はてブの上の方に来ているページを読んだり、気になっている単語をググって調べてみたりしている。あるいは買ったものや買おうとしているものレビューアマゾンやなんかでチェックしたりもしている。

それでふと気づいたのだが、

普通の人はもしかして、(曲がりなりにも、なものを含む)文章よりも動画映像がメインの暇潰しをしているのか?

そういう人が多いかYouTubeにどうでもいいような拾ってきたようなニュース転載する行為が横行するのか?

暇潰しのために読む価値のあるテキストを漁って徘徊してるのは、

電池の目減りとパケ死を恐れる自分のような古いケチや、

出先でスマホ映像に見入ることにナゾの抵抗感があるナゾ人間が主流なのか?

2016-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20161215123844

>でも「自分入力するのヤダヤダ私が欲しい結果をエスパーしてくれないとヤダヤダ」とか言ってるお子様にはお似合いじゃねえの。

え?

それがGoogleが目指す先なんじゃなかったの?

究極のユーザビリティってユーザ個々にとって最適な情報結果を同じキーワードでも出してくれることだろ

それやらなかったら何のために情報ひっこぬいてんだよ(※広告のためです)

それ自体は今の時点でもある程度やってるけど、その精度がエスパーどころか痴呆老人レベルなわけなんだが

その痴呆エン人の徘徊がもたらしたのがウェルク問題であり未だ放置されてるパクリサイト問題だろ

誰がどうみても不特定多数に対して情報価値の低いパクリサイトビッグワード検索上位に挙げているのは

ヤダヤダレベル問題じゃないんだけど

巨人ビッグワード食うたびに糞尿垂れ流しまくってたらため息ついて言葉を失います

検索下手である圧倒的多数利用者が糞を食ってるんですよ

世の中俺やお前みたいに最適な詳細検索設定できるマニアなやつなんて世界人口全体の数%程度しかいねから

やってることは全くかっこよくなくて大量のクソの中から使えそうなやつを金塊のように探ってるに過ぎない

使いにくい道具を使わされて、その糞の掬い方を知ってるというだけで

クソまみれの顔と体で得意げな顔をしてドヤ顔して悦に浸って骨の髄までクソ教育された優等生がお前(これでヒョロガリノッポ眼鏡ならビジュアルばっちり)

もはや検索エンジン意味を成してない 鼻が曲がる

ユーザー全体の質とそれに対する影響力の大きさを考えろ

事実問題になってるけどそれについても眼をそらしてお前らが悪い設定が悪いとか言い出すの?

もはや思考停止領域に両足突っ込んでるんだが

ゲームバグ残してユーザーが発生したらお前の遊び方が悪い!ってクリエイターいたら口がふさがらんだろ

パクリサイトバグよりも酷いわ

もう5年越しに放置してる問題

5年間もバグ放置してるゲームとか普通クソゲーとしてしか認識されんが

残念ながらこの世界には出来の悪いインベーダーゲームしかなかったな

みんなインベーダーゲームの謎(SEO対策)を解いて小銭稼いで

それに対して愚痴りながら嫌々パンダってるのがGoogle

アップした後にお決まりのように「ユーザーにとって価値あるコンテンツ評価する」動画ブランディングを忘れない

SEO業者・悪VS正義Googleという信者聖書に記された二元論作ってまた自分のやりたいことやるためにアルファベットに引っ込む

そしてまた始まるバグ探し

それらが出すクソに巻き込まれ情報弱者ユーザーコンテンツ

この関係性をもう何年も繰り返してる

検索エンジンはただの集金ボックス

2016-11-24

団地徘徊する精神科医にご注意

迂闊な行動を見られるとブログに書かれるぞ

2016-11-22

地中海料理居酒屋さんで一人酒する女!

マツコ・デラックスの夜の巷を徘徊する

っていう番組を見た。

地中海料理居酒屋さんで

一人酒する女!

気になった。

割と太目な感じしたけど

どうなんでしょう?

shikomi ? maybe

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