はてなキーワード: KIndleとは
定期的に電子書籍と紙の本どっちがいいみたいな話題が出てくる。
まずスペースの問題だ。これはまっさきにだれもが思い浮かぶところだろう。実際、自分はマンガやらラノベで2万近いとこまで行って、これはもう人間の生活として限界だと思って、あるとき全部処分した。内田善美の本とか、もう二度と電書で入手できないこと確定みたいなもん以外、すべて。そしたら、信じられないことにモノがものすごく少なくなりました。びっくりしました。要するに俺の持ち物のほとんどは本かCDでした。あとエロゲの箱。
で、万を超える物量感を体験している人間としては、もう二度とあの状態にはなりたくない。もちろん歩いてると本屋とかは見てしまうわけで、そうするとふらふらと入ってしまう。紙の本ってそれ単体が「モノ」であり、モノとして訴求する力を持っている。ゆえに買いそうになってしまう。1冊くらいまあいいか。そこが地獄の入口だ。禁煙なんかと一緒である。
これだけの本を読んでいるということは、とうぜん活字中毒的ななにかである。出先で本を切らしたときになんでもいいから活字がないと死ぬと思って本を買った経験は一度や二度ではない。ある程度の期間の旅行ともなれば、10冊くらいは本を持っていくしかなかった。ついでにいうと音楽も切らすわけにはいかないので、かつてはカセットテープを10本とか20本持ち歩いていた。いまやこれがスマホひとつである。もうアラフィフなので思う存分老人仕草をすることにするが、いい時代になったもんだ。もっとも、これおっさんにけっこう多いと思うんだけど、ガジェットを単機能で持ちたがる癖があって、電書はKindle端末だし、音楽は、サブスク用のスマホを別に持って歩いてたりするんだが、まあそれでも本を10冊持ち歩くよりははるかにましだ。最低でも未読の本を5冊くらいは持ち歩いてないと落ち着かない。「この小さな端末のなかに文庫が100冊!」という安心感はなにものにもかえがたい。
さらに老眼の進行である。俺はドがつく近眼であり、かつ老眼もだいぶ速やかにご訪問くださりやがったので、裸眼で見えるスイートスポットが異常に狭い。日常生活で使えて手元も見える遠近両用とか頭痛するし、肉体的に文庫の活字を読むのがきついのである。その点、電子書籍なら安心だ。小1の教科書よりもでかい活字で表示できる。ディスプレーを見続けることによる目の疲れもKindle端末ならそれほど問題にならない。
俺にとって本は消耗品である。スナック菓子を食うみたいに活字を食う。あるいはトイレットペーパーみたいなものだ。この手の人間にとって所有権がどうこうとか、貸し借りが云々とか、子供が親の背中を見てとか、そういうのはいっさい問題にならない。読めればいい。本屋の営業時間を気にすることもない。なんならうんこしてる最中でも続きが買える。すばらしい。せめてそこはうんこ終わるまで待てないのか。
もちろん電書にもデメリットはある。
ブコメで頻出だった閲覧性、参照性の問題。これは絶対に紙に軍配が上がる。紙の本の「確かこのへん」でなんとなく探り当てるような探しかたって、シークバーではまず同じことができない。ただこれは単なるUIの問題である気もする。閲覧性でいうと、本棚よりも特定の本にアクセスするのが難しいというのもある。もちろん検索で対応できないこともないのだが「確かあれ、あの、なんだっけ、海辺でボーイミーツガールで……あれだ、あのエモいやつを読みたいんだ。20年前に読んだきり本棚のどこかに放り込んだあれを」みたいなときに、電書の3000冊とかのなかから探すのはかなり骨が折れる。Kindle端末本体ではどうにもならないし、いざパソコンの前に座って購入履歴を、と思ってもあれなんか妙に目が滑りません? やっぱりこういうとき「モノ」が厳然として存在している、というのは非常に強い。実際、紙の本で持ってたときに「確かあのへんに置いた」で見つからなかったことってあまりなかったと思う。
あとマンガな……。老眼に電書のマンガまじきつい。パソコンのディスプレーで見る以外の手がない。マンガのながら読みっていうか、部屋でぼけーっと寝転がってるときにそのへんのマンガを手に取ってなんとなく読む、という行動は激減した。10インチくらいのタブレットで解消できる問題ではあるけど、これ以上ハード増やしてどうすんだ的な感じもある。
電源切れとかは経験がない。そもそもモバイルバッテリーを持ち歩いてるし。あと端末の故障に備えて新品の予備は常に一台キープしてある。
俺が思う電書の最大のデメリットは「すべての読書行動を電書のみに絞り込むことができない」ということだ。これはほんとでかい。いちばん多いパターンが、新書なんか読んでて参考資料とか引用先で出てきたおもしろそうな本を買おうと思うと電書化されてなかった、というやつだ。またそういうのに限ってやたらおもしろそうだったりする。アマゾンで調べてる場合だと、1クリックでそのおもしろそうな本が(紙でなら)買えてしまうので、なおのこと心が揺らぐ。
これは読書に限らず調べものなんかもそうなのだが、一定のレベルよりも深堀りしようとすると、最後は紙の書籍に頼るしかない、という場面が頻出する。たとえば東ローマ帝国について調べていて、まあざっとした歴史の流れだとか、政治体制だとか、要するに概要を掴むくらいならネットでの調べもので充分だし、電書でも通史のたぐいはいくつも出ている。しかしもし、東ローマ帝国の庶民の食生活について知りたくなったら、電書ではどうにもならない。そこは学術書の領域で、論文探してヒットすりゃいいけど、こういうニッチな研究ってたとえば1960年くらいに書かれた本がいまだに最新の研究だったりすることもよくあって、こうなるとお手上げだ。紙の本しか選択肢がない。
これに限らず、マイナーな作者の小説だとか、古いタレント本だとか、古い時刻表だとか、とにかく紙の書籍は資産が膨大であり、とうてい電書ではカバーできない。そして今後もおそらくは電書化はされない。要するに紙の本から完全に足を洗いたくても洗えない、というのが電書一本槍にしたときに最大の障壁となる。
ま、図書館行けって話なんすけどね。なんでまあ、現状は「購入はほぼ電書、足りない分は図書館で」というかたちになっている。
あと最後に、電書のデメリットとして日常的に多く使ってる人は感じてると思うんですけど、無駄に買いすぎますね……。講談社学術文庫とかよく50%ポイント還元やってますけど、ああいうときやばい。
ついでですけど、アンリミは「なんでもいいからラノベ読めればいい」みたいな人間にとっては、けっこうよい状況になってるので、おすすめです。ただし1巻だけ対象でそれがおもしろかった場合は地獄みる。向こうも商売だから、まあ考えるわな。
フォルダ分けとかもできないし、漫画もまとまるようになったけど特装版とかだとまとまらないし
サポートにまとまってないのを報告しても、毎回アプリの入れ直しを提案されるし
マジでクソ
数年に一度は自分に襲い来る長野まゆみ作品ブームにはまっている最中のため、あまり商業BLを読めていない今日この頃。残り少ないお小遣いも、長野先生の新刊(非BL)を買うために温存中。
ちなみに、長野まゆみ先生の書くものの多くには男×男の恋愛要素があるのだが、「非BL」作品扱いなのは何故なのかというと、BLレーベル以外から出版されており、商業BLの定義にあてはまるようなBLではないからというだけ。商業BLには面倒臭いルールがあるのだ。例えば、基本的にハッピーエンドとか、攻めの浮気厳禁とか、無駄に女を登場させてはいけないとか。
世界は人の住まう「現世」と人ならざる者の住まう「常世」に別れている。主人公の天野は、常世から来た者たちが利用する人里離れた旅寓(旅館)で働いている。
ある日、常世の王・ツクヨミが旅寓に骨休めにやって来た。傍若無人なツクヨミに天野は振り回されるが、ツクヨミにかつて自ら命を断った友人の面影を感じ、気になってしまうのだった。
これはある特定の層にピンポイントでぶっ刺さるやつなのだろうと思うが、生憎私自身はこういう系を好きこのんで漁って読む方ではないので、せいぜいハジ先生の『坊主と蜘蛛』を読んだくらい。BL外の作品ではたとえば『千と千尋の神隠し』とか『しゃばけ』とか『蟲師』とか『夏目友人帳』とか『モノノ怪』とか『家守綺譚』とかそこら辺が好きな人向けなんじゃないか。あ、私の好きな『左近の桜シリーズ』(長野まゆみ)もこういう系だな、そういえば。
特定の層にピンポイントでぶっ刺さる系なので、『極夜』のレビューを某BLレビューサイトで見るとけっこう良さげなのだが、泣いたとか感動したは言い過ぎなのではないかと、私は思う。そこまですごくはない。まあまあ良い話だとは思うけど。
事前調査なし・試し読みなしで買って読んだら、表紙めくって出てきたカラーイラストが『鴆――ジェン――』のフェイ将軍とツァイホンの絵だったので、私は買う本を間違えたのか? と一瞬慌てた。調べたら、この『極夜』というタイトルの単行本、文善やよひ先生が『鴆』の大ヒットで人気作家になったために、絶版になっていた過去作品を『極夜』と改題して復活させたものだった。表題作の他に『鴆』の番外編も同人誌から再掲。なるほど、今の文善先生はかなり手練なプロ作家という印象だが、『極夜』は確かに若いなって印象だ。『鴆』はpixivコミックで2話まで無料で読める模様。
文善先生の大ファンの人で過去作品全部コンプしたい人向け。文善作品にちょっと興味があるくらいなら、回り道せずに『鴆』シリーズか『蟻の帝国』を読むといいのでは。
エロシーンがしめやかでいいな。私はあまりこれ見よがしな感じのエロシーンは好まないので。それと、ベタとスクリーントーンが少ない為にエロシーンの白抜きが煩く見えなくていい。
しかし、シンプルめな画風でもごっそりと白抜きのかかるのって。以前、某お気に入り作家さんのBL作品がシーモアで無料になっていたので読んでみたところ、修正レベルがシーモアだったのでKindleでは輝く白さに消されるべき所が薄ぼんやり見えていたのだが、薄ぼんやり越しにもそこがかなり生々しい描かれ様なので驚いてしまった。な……BL作家さんって、キャラの顔はめっちゃ漫画でもおちんだけはこんなにリアルに描くもんなのか……なんでここまでおちん描写に執心してるのかわからない……と、電子書籍派Kindle使いな私は愕然とした。そんな所どうでもいいと言い切ってしまうのも何か違う気もすると思いつつ、正直どうでもいいよなあ、どうせ消される所なんだし……と思わずにはいられない。
16ページしかない掌編なので、あらすじは省く。掌編アンソロジー『掌編歳時記 秋冬』に収録された作品。サラリーマンのほんのりオフィスラブ。現代の現代的な話だから、幻想なし。エロもなし。しかし非BLなので安定のインモラル上等ぶり。
普通に現代ものなのでビビった。登場人物がちゃんと今時のサラリーマンだなんてすごい! 漢字の字形にやたら拘るところはいつもの長野先生だけれども。
こんな短い文章でボーイズがラブしているのすごい。文章は簡潔だけど、短いなかに情報量が多く、なのに情緒と風景描写が死んでいないとは。熟練のプロ作家恐るべし。と、これを読んだ時にちょうど小説投稿サイト・フジョッシーで開催されていた掌編コンテストに応募すべく四苦八苦していた私は、震え上がり畏れ平伏叩頭したのだった。プロすごい。
ところでBLとも長野先生とも関係ないけど、『掌編歳時記 秋冬』のトップバッターが先週亡くなった西村賢太先生。訃報を知ったあとに読むとほろりとしてしまう、切ない掌編だった。
猫のチマキは飼い主のマダム・ロコとはぐれてしまい、まだ赤ちゃん同然の弟・ノリマキを連れての放浪生活ののち、小巻おかあさんの家に流れ着いた。小巻おかあさんの家・宝来家は大所帯。おかあさんの息子でありまかない担当のカガミさんの他、おかあさんの亡夫の前妻・マダム日奈子、日奈子の娘の暦さん、暦さんの兄・樹の娘のだんご姫、だんご姫の叔父の桜川くん、そしてジャン・ポールが住んでいる。
そんな複雑な家庭でクセのある人々と共に暮らすチマキは、小巻おかあさんのエッセイ『コマコマ記』を真似て『チマチマ記』を書くことにした。これはチマキが宝来家にたどり着いてから約一年間の記録。
だいぶ極まった感じのロハス生活を描いた作品だが、長野まゆみ先生らしく背景には桜川くん×カガミさんのほんのり(悪魔的な)BLがある。
長野先生がこんなにふんわりした感じの森ガール(死語)が喜びそうな文章を書くなんて意外な気がする。しかも「にゃん語」とか「萌え」とかいう単語が長野作品に登場するとは、その事自体が萌え萌えしい。
だが、文体はふんわりしているのに、ことあるごとに美味しい食べ物はカロリーが高くしかも健康に悪いという現実をビシバシ突き付けてくる。なんなの長野先生サドなの? そんなに言わなくてもいいじゃないカロリーのことなんて! 普段は現実離れした作風なのになんでそこだけリアルでシビアなのか謎。極力カロリーと塩分を抑えてしかも美味しい料理を作ろうとなった時にまずは極上の食材を調達してきてそれを干す、という異様な難易度の高さ。救いなどなかった! しょうがない、貧乏人はポテチ食ってデブるしか……。
昔、向田邦子か誰かの随筆で、戦中にこっそり隠れて読んでいた婦人雑誌に「シュウクレエムのいただき方」という記事が載っていて腹を空かせながら読んだが、結びに「淑女はシュウクレエムなど食べてはいけません」と書かれていてがっかりした、とかいう内容のがあったと思うのだが、きっとその時の向田邦子か誰かの気分が『チマチマ記』のお料理場面を読んだ時の私の気分に近いんじゃないかなと思う。
難易度高過ぎロハス暮らし描写に勝手に心折られてしまったが、桜川くん←カガミさんのBLは良さげに納まったっぽいのでいいや。
続きはkindleで半額になったら買うかも
よかったのでこんなところで布教してみる
約4万円。
紙のような視認性の表示媒体。
バックライトで照らされているわけではないので目が疲れにくい。
フロントライトをつけていない暗闇では発光しないので真っ暗になる。
Androidであるということは、hontoやU-NEXT、DMMはもちろんLINE漫画やピッコマ、ジャンプ+などなど各種アプリが目に優しい形で閲覧できるということ。
ただ、動画やゲームの描画に向いていないのでAndroidタブレットとして酷使したい人には不向きなので注意が必要。
目に優しく、KindleやKobo以外の電子書籍を読みたい!という人には刺さる。
また、ワコムの電池不要スタイラスペンがついているので電子書籍を読みながらメモしたり、単純に電子ノートとしても活躍する。
物理音量調節キーが欲しいから、という理由でカバーを買おうか検討してたりしない?
それはBluetoothリモコン(1000円以内くらいで売ってるやつ)なんかでも代用できるぞ
結構重くなるけど…
現役で慶応に入って、体育会に所属していた彼(おまけに男前)は
「なんかよくわかんないけど、エッチな小説だよ。」とのことだった。
翌週、その本を買い、その後30年程の間に、何度か買い直して
今はKindleの中に入っている。合計10回くらいは読んだと思う。
“誰かを幸福にすることなどできない、他人にしてやれることなんか何もない、
他人をわかってあげるのも無理だ、他人に自分をわかって貰うのも無理だ、
他人を支配するのも不可能だし、支配されることもできない、他人に対して
できることはキラキラと輝いている自分を見せてやることだけなのだ”
“キラキラと輝いていなければ、その人は死人だ。キラキラと輝くか、輝かないか、
その二つしかない。そして、もし何か他人に対してできることがあるとすれば、
キラキラしている自分を見せてやることだけだ。キラキラする自分を示し続ける自信
ある程度本を読んできたと思うけど、自分の行動原則みたいなものに最も影響を
50歳で既婚者の私には彼女(40代前半、既婚者、デートしだして1年3ヶ月)
がいるけど、私が彼女にしてあげられることなんて何もない。彼女はお金には
困ってはいないし、気持ちいいセックスだって私以外に提供できる人はたくさんいる。
私が彼女に何をしてあげられるかっていうことじゃなく、私が楽しく生きている私で
あり続けて、そして、そんな私と一緒にいることが、彼女に楽しさみたいなものを
感じさせるってことなんだろう。
28歳くらいまで、商売がまあまあうまくいっていて、3~5人くらいの女性と定期的
にデートし続ける生活を続けていた。(当時独身)、まあ女性からしてみればクズ死ね
っていう人間だったと思うけど、それはまあガンになって死にかけたので罰も少しは
あたっているし、今後も小さな十字架は背負って生きていくので許して欲しい。
それで商売がうまくいかなくなったときは、自信をなくしてしまって、おまけに病気
(別の病気、ガンは5年後)にもなったりして、けっこうしんどかった
そうしたら、仲良くしていた女性達もみんな私から離れていった。
商売がうまくいっているといっても、金持ちとかそんなレベルではなく、おいしいご飯
を女性達と食べたりすることができるくらいのレベルだったので(車も持ってなかった)
金の切れ目がってことではなかったんだろうなと思う。(回数を減らせば同じデートはできた)
楽しそうにしていない、不安を抱えている私と一緒にいることは女性にとって
楽しくないことで、それがゆえに私から離れていったんだろうなとだいぶ後で思った。
2020年の10月に今の彼女と初めてデートして、そこから1年ちょっとは商売の調子もいい。
基本、私は陽気な人ではあるんだけど、仕事が調子よくて、さらに陽気な人になって
いただろうと思う。そして、それもあって、彼女とこの1年3ヶ月程関係性が継続できて
いたのかもしれないなあって思う。セックスでどれだけ彼女を気持ちよくさせたとか
楽しそうに生きている私がいて、そして私は彼女のことが大好きであるっていう事実
がそこにあればいい。彼女に好かれたいとは思って、グチグチ悩んだりもするし、
そのために、彼女が読んでる本をかたっぱしに買ってみたり、ジムいったり、ランニング
したり、たまにはプレゼント買ってみたりもする、もちろんそれはマイナスではないだろう
けど、リスクだけある関係においては、あんまり大きなことではないんだろう。
幸い、大きめの仕事が決まりそうなので、今年1年くらいはキラキラしていられそう。
今年1年、彼女と仲良くやれたらいいなあ。
KindleでBL作品のいくつかが期間限定価格になっていたので、いつもより多く買えてラッキー。しかも私の推し雑誌『Canna』のコミックスにちょうど安いのがあったので、二重にラッキー。
というわけで、先日買った『紅い椿と悪い虫』『坊主と蜘蛛』(https://anond.hatelabo.jp/20211228105004)につづいてまたCannaコミックスである。
廃品回収屋『ハレノヒ』の店主・晴仁(はるひと)は壊れたものでも何でも回収し、器用に直してしまう。だが、そんな彼にも直せないものがあった。一つは思い出の「時計のような何か」、もう一つは相棒の桜次郎(おうじろう)の心だという。
一方、晴仁から直せないと言われた桜次郎当人はといえば、晴仁に対する想いを抱えて悶々としていた。
そんなある日、店に一通のメールが届く。廃品回収の依頼。回収して欲しい品は「粗大ゴミ一個」とだけ。約束の日時に回収に赴いた晴仁と桜次郎。依頼者が持ってきた「粗大ゴミ」を目にした時、二人の脳裏には数年前の思い出がよぎるのだった。
すごく絵が綺麗! 表紙の美しさは見かけ倒しではなく、中身もとっても美麗な絵柄だった。登場人物だけではなく、背景の隅々まで上手いのだ。特に印象的なのは空の表現。真夏の深い青空をベタからの濃いグラデーションで表現しているのはすごいと思った。
ストーリーの方はというと、強引め。カップルありき・結果ありき・名台詞言わせたいだけ、という傾向が強い。ので、いやいやいや、そんなんで丸く収まるわけないだろ、と苦笑してしまうような場面がいくつかあった。
特に、桜次郎の父親が登場する回。あんな強烈なことを平然とやっちゃう父親が、ちょっと叱られただけで改心するわけないだろう。
そんな突っ込み処もあるけど、まあ、BL作品なので、男と男がイチャイチャしてる場面が描いてあればあとはどうでもいいのかもしれない。
地味に気になったんだけど、桜次郎が頭を下げるところ、なんかすごくONE PIECEっぽい。あれだ、サンジさんが海上レストランを出る時のような……。
ところで、先日、上田アキ先生の『恋に満ちたら』を買おうと思ったけどやっぱり止めたということを増田に書いた。その時にレビューに「ゴムを着ける時にパチンと音がするのがえっち」と書かれていたことが気になってしょうがなかったことも書いたんだけど、気になり過ぎて、真面目にコンドームの正しい着け方をググってしまった。やっぱり、ゴムはパチンと鳴らして着けるものではないんでないかな……と思った。
そういやお給料が入ったんだった。BL買うぞぉ! と意気込んでKindleを開き、最近話題の『恋が満ちたら』を検索したところ、成年向け指定となっており、年齢確認されたので、スンッってなった。某BLレビューサイトでは面白いと評判で沢山の「神」評価がなされていたが、なんだ、エロしか見所のない系なのだろうか。
ちなみに、Kindleは元からR18指定で売られた作品でも、輝く白さの白抜きに修正してくださるので、濡場が空白だらけで何が起きているのかわからない! てなりがち。なので、真面目にエロ本を買いたい人は紙の本を買うべきだ。
『恋が満ちたら』のレビューをいくつか読んだら、「ゴムをするときパチンって鳴るのがエロい」と書いてあった。ゴムをするときパチンって鳴るのがエロい? いや、ゴムをするときってパチンと鳴るものなのか? あれって根本まで丁寧にくるくる上げるもんじゃないの? それとも髪を結ぶためのゴムのこと言ってる? 謎は深まるばかりだが、エロしか売りがないかもしれない漫画(しかも結構高い。定価で1000円。電子版は既に値引きされてるけど)に手を出す勇気は湧かなかった。それに私は(髪を結ぶほうでない)ゴムをするときは正座して穴開けないように慎重に装着するタイプの攻めのほうが好きだし。
で、じゃあ他に何買おうかなー。『ララ婚』は正直もうどうでもいい。『よこ犬』は気になるけど全5巻で完結までの道程が長いし……と、思いつつ物色していたら、ちょうど前から気になっていた作品が二冊、期間限定サービス料金だった! わーいわーい! ポチッた。
陰気な高校生 貝柄(かいがら)は、美しいものが好き。独自の美学に従い、美しいものを愛でたいと思っていた。
ある日、貝柄のクラスに転校生がやってきた。転校生の名は白椿(しろつばき)。とても美しい少年だった。白椿の美貌を気に入った貝柄は、彼を自分の色に染めて最高の芸術作品に仕上げようと画策する。
商業BL作品のうち、闇系の中でも最もヘヴィで救いのない話、ということで評判の本作。なんだけど、思ったよりも重くなかった。
ストーリーに救いがないというのは確かにそう。異常で過激なイジメ(というか、完全に犯罪レベルの暴行や脅迫)シーンがあり、最終的には人死にまで出るバッドエンドな訳だし。
しかし、貝柄のキャラクターが飄々とし過ぎていたり、全体的に絵に迫力がまるで無かったりするために、重苦しい感じがしなかった。
単純、漫画が下手? という気もしなくもない。凄惨な暴力シーンというのは、思い切ってる感じはあれども、ベタっちゃベタなんだよなあ。商業BLではあまり描かれないのかもしれないが。昔のドラマの、黒田勇樹が出てたやつ……そうだ、『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』だ。あと、アニメだと『無限のリヴァイアス』でイクミの彼女がレイプされる話とか。しかし、『紅い椿と悪い虫』の場合は、展開が酷いっていうだけで、読んでも別に怖くもなければ腹も立たない。ただ似たような先行作品を思い浮かべて、「あれの方が悲惨だったな……」と思うだけだ。
白椿が初登場シーンで氷室冴子の少女小説ばりの気高さを発揮したわりに、すぐに芯がへにゃりとしてしまったのも微妙。恋に溺れてしまったにしても、なんだかなー。
旅の僧侶 宗玄(そうげん)は、蜘蛛の妖怪に取り憑かれている。人の子と間違えてうっかり助けてしまったのが運の尽きで、以来二年半ばかり蜘蛛にまとわりつかれているのだ。
だが、この蜘蛛、見た目によらず床上手で、宗玄は蜘蛛をそばに置いておくのも満更ではない。ただ、蜘蛛は異常なまでの腎張りで、しかも大の女嫌いときていた。女好きでしかもモテる宗玄に近寄る女を片っ端から追い払ってしまうのが、難点なのだった。
ストーリーとか別にどうでもよくなるほど蜘蛛が可愛かった!! 蜘蛛が可愛かった!! で、どういう話なのかというとまあ坊主がお払いとかしながら旅をするのに蜘蛛がくっついていくというだけの話で、そこに坊主の出生の謎が絡んだり時の経過がバグっていたりとかして……、なんか色々ある(適当)。ヤマなしオチなし意味なしというか、ずっとヤマ? といった感じの、とにかく坊主と蜘蛛のイチャイチャを楽しめと。これだけBがLする事に極フリしていると、意味とかどうでもよくなるよな! そういう漫画。スピンオフの『王子と蛸』と番外編と設定もついていて、なかなかの欲張りセット。
とにかく蜘蛛が可愛くて……ハジ先生のいう「多腕男子萌え」という類いの萌え(しかもTwitterで検索すると案外同好の士がいるらしいという謎)は正直それのどこに萌え要素があるのかわからないままだけど……可愛いからゆるす。
あまりにも蜘蛛が可愛いので、途中で脱皮して青年らしくなってしまったのにはショックを受けてしまったのだが、そこからまた徐々に可愛い系に戻っていったので安堵した。
はぁ、蜘蛛かわいい……。ハジ先生のすごいキャラデザ力を拝見するにつけ、アニメやゲームの制作会社は、是非ともハジ先生をキャラクターデザイナーとしてスカウトすべきだと思う。
……って。冒頭で『恋に満ちたら』にかなり警戒した挙げ句に買うのをよした私は一体なんだったんだ。ストーリー重視勢と見せかけて、実はけっこう画が良ければあとはどうでもいいみたいなとこあるじゃないか。結局のところ、前情報で攻めがゴムをつける時パチンと鳴らすタイプだと知らなければ、買って読んで「あー面白かったー♪」と感想を書いたのでは?
『アカギ』が10巻までKindle Unlimitedの対象になっていたので読んでみた。
『カイジ』と同じ作者の作品、主人公のアカギがすごく強い、宿敵ワシズとの対戦がなかなか終わらないらしい、
そもそも麻雀のルールを知らないので、麻雀試合の役がどうこうといったところは読み飛ばして、
で、終わらないと言われていたワシズ戦が7巻から始まるのだが、これが本当に終わらない。
それまでは1巻ごとにあるていど小規模な対戦の結末、それらがある程度まとまって2~3巻ごとに物語としての区切りがあったのだが、
その後、続きの数巻分のKindleの無料サンプル部分だけを読んでみたのだが、どの巻でもまだワシズとの戦いを行っているようだった。
Wikipediaを見ると『アカギ』の36巻が最終巻で、ワシズとの決着は35巻目でついたらしい。
同じWikipediaの中の記述では「決着に20年近くを費やした。」と。
『ONE PIECE』に例えるとアーロンパーク編を空島編までの尺を費やしてやるようなもの。
(東の海編【1巻 - 12巻】の内アーロンパーク編(8巻 - 11巻)、アラバスタ編【12巻 - 23巻】、空島編【24巻 - 32巻】)
あまりにも作品のペースがアンバランスだから、そりゃあファンも離れるだろう。
蛇足だけど、「宿敵ワシズ」と思っていたが10巻まで読んだ範囲ではアカギとワシズって何か因縁があるわけでもないなと拍子抜け
(11~35巻の中で書かれてるのかもしれないが)。