2022-01-06

村上龍の「テニスボーイの憂鬱」を読み返して、不倫相手との関係性について考えた

村上龍テニスボーイの憂鬱Kindleで読み返した。

18歳の夏、高校時代の友人の家でこの本の存在を知った。

現役で慶応に入って、体育会所属していた彼(おまけに男前)は

なんだかキラキラしてまぶしく思えた。私は浪人生だった。

「なんかよくわかんないけど、エッチ小説だよ。」とのことだった。

翌週、その本を買い、その後30年程の間に、何度か買い直して

今はKindleの中に入っている。合計10回くらいは読んだと思う。

“誰かを幸福にすることなどできない、他人にしてやれることなんか何もない、

 他人をわかってあげるのも無理だ、他人自分をわかって貰うのも無理だ、

 他人支配するのも不可能だし、支配されることもできない、他人に対して

 できることはキラキラと輝いている自分を見せてやることだけなのだ

キラキラと輝いていなければ、その人は死人だ。キラキラと輝くか、輝かないか

 その二つしかない。そして、もし何か他人に対してできることがあるとすれば、

 キラキラしている自分を見せてやることだけだ。キラキラする自分を示し続ける自信

 がない時、それは一つの関係が終わる時を意味する。”

ある程度本を読んできたと思うけど、自分の行動原則みたいなものに最も影響を

与えたのはこの小説のこんな言葉だったと思う。

50歳で既婚者の私には彼女40代前半、既婚者、デートしだして1年3ヶ月)

がいるけど、私が彼女にしてあげられることなんて何もない。彼女お金には

困ってはいないし、気持ちいいセックスだって私以外に提供できる人はたくさんいる。

私が彼女に何をしてあげられるかっていうことじゃなく、私が楽しく生きている私で

あり続けて、そして、そんな私と一緒にいることが、彼女に楽しさみたいなもの

感じさせるってことなんだろう。

28歳くらいまで、商売がまあまあうまくいっていて、3~5人くらいの女性と定期的

デートし続ける生活を続けていた。(当時独身)、まあ女性からしてみればクズ死ね

っていう人間だったと思うけど、それはまあガンになって死にかけたので罰も少しは

あたっているし、今後も小さな十字架は背負って生きていくので許して欲しい。

それで商売がうまくいかなくなったときは、自信をなくしてしまって、おまけに病気

(別の病気、ガンは5年後)にもなったりして、けっこうしんどかった

そうしたら、仲良くしていた女性達もみんな私から離れていった。

商売がうまくいっているといっても、金持ちとかそんなレベルではなく、おいしいご飯

女性達と食べたりすることができるくらいのレベルだったので(車も持ってなかった)

金の切れ目がってことではなかったんだろうなと思う。(回数を減らせば同じデートはできた)

楽しそうにしていない、不安を抱えている私と一緒にいることは女性にとって

楽しくないことで、それがゆえに私から離れていったんだろうなとだいぶ後で思った。

2020年10月に今の彼女と初めてデートして、そこから1年ちょっと商売調子もいい。

基本、私は陽気な人ではあるんだけど、仕事調子よくて、さらに陽気な人になって

いただろうと思う。そして、それもあって、彼女とこの1年3ヶ月程関係性が継続できて

いたのかもしれないなあって思う。セックスでどれだけ彼女気持ちよくさせたとか

そんなことはあまり関係ないんだろう。

楽しそうに生きている私がいて、そして私は彼女のことが大好きであるっていう事実

がそこにあればいい。彼女に好かれたいとは思って、グチグチ悩んだりもするし、

そのために、彼女が読んでる本をかたっぱしに買ってみたり、ジムいったり、ランニング

したり、たまにはプレゼント買ってみたりもする、もちろんそれはマイナスではないだろう

けど、リスクだけある関係においては、あんまり大きなことではないんだろう。

幸い、大きめの仕事が決まりそうなので、今年1年くらいはキラキラしていられそう。

今年1年、彼女と仲良くやれたらいいなあ。

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