はてなキーワード: 迫害とは
えー、クリスマスイブとかいうキモくて金のないおっさんが最も苦しむであろう日なので、言っときます
よく聞け、「でもキモくて金のないおっさんなら〜なんですねわかります」としか定型文書かないヒガミKKOよ
そうですね、「年齢」、「資金」、「顔」です
顔が良ければ許される、金があれば許される、若ければ許される、ならば3つ揃った「イケメンで金のある若者」は人権の塊にして最もこの世で許された存在
この3つの要素があれば、優先度合いは何事においても高くなり、多少の不法や傲慢も許されるのである
顔がいいから許した、金を積まれたので許した、若くてこれからだから許したってね
対して?キモい、金がない、そしておっさん……だめだめです、優先順位最下位、いや?もうそもそも「対象外」です
キモくて金がない上に中年以降ので女にモテない、少しの不法ですぐ逮捕、それどころか冤罪かけられても助けてもらえず塀の中
顔がダメ、金もない、歳もいってる存在が許されると思われます?権利があると思います?優先されると思います?冗談はそのキモくて金のなさそうな顔だけにしてください
イケメン、金持ち、若者、そしてイケメン金持ち若者は助けてもらえて喜ばれて救われて許されてちやほやされますが、好かれる要素ゼロのキモくて金のないおっさんは何も許されず迫害され嫌われるのが当たり前
血を流して倒れてても誰も見向きもしません、AEDすらしてくれません、それどころか踏みにじられてトドメ刺されることを推奨されます
わかります?あなたが金を持っている、優れたルックスを持つ、若い、これらのいずれかを持ってるだけでも、人権があったんですよ?
キモくて、金が無くて、おっさん、こんな三重苦抱えた欠陥品なんて、ねぇ?
ですので金輪際ここに書かないでください、「でもキモくて金のないおっさんなら〜〜なんですよねわかります」、と
そうですよ、救いません、許しません、迫害します、差別します、リンチします、苦しめます、追い打ち仕掛けます、いないもの扱いします
なんか、ゲイプライドとか言ってる人たちって結局恋人(パートナーって言うべき?)いるじゃん
パートナーと仲良くするにあたって社会的な偏見とか制度的な差別があるから立ち上がるぞ!って感じに見える
ぜんっぜんモテないし友達もいねえし、当然恋バナなんかをする機会もない俺みたいな人間がゲイだった場合、なんか疎外感というか迫害されてる感をおぼえることってあんのかな
俺は異性愛者だけどアクション映画の恋愛要素なんかはクソウゼーと思うし、ラブシーンが出てきたら飛ばす
別に性嫌悪ってわけでもなく、フツーにドシドシシコってはいるし、恋愛漫画なんかも読むには読む
・気持ち悪がられる→何もカミングアウトしてないのに気持ち悪がられる人間がいるらしい……
「ぎゆしの」というワードを出した眞鍋かをりのプチ炎上を見ていたら、こんな引用ツイートがあった。
「これだけ推しカプを創作している人を迫害して反省してないの、不思議」
なぜ好きなものをつぶやいただけの彼女がここまで言われないといけないのか、わからなかった。
そもそも、見られたらまずいものなのに人目に付く形で公開していた自分たちのことを棚に上げる気持ちがわからない。
ピクシブは隠れてなどいない。
ぎゆしのが鬼滅の刃の原作でそもそも付き合ってもいないのになぜ流行るのかはわからないが、それは今関係ないので無視する。
オタク特有の暗黙のルールを知らなかっただけの彼女がボコボコにされる意味がわからない。
大体見られたくて公開していたのに見られてることがわかって何故怒るのか。
田舎で100人程度の学年だったが、喫煙率は2割程度、原付所有率は1割程度とヤンチャしている人間の割合は少なかった。
シンナー常習や補導歴のある人間は片手で足りる程度だったように思う。
まぁ、団地住まいを筆頭に教育投資をロクに受けず育った児童が多い小学校出身者が半数以上を占めるとそうもなる。
という自分も同じく団地住まい出身者であったが、なんとか染まらず過ごせた。
中学に上がってから出会った別の小学校からの子ども達は格の違う人間が揃っていた。
医者の息子、市議の孫、両親とも教師の一人っ子、と田舎の上流家庭の子息であり、総じて小学校の頃から塾に通い、学外の硬式野球にも通い、文武両道を地で行く集団であった。
今で言う三塁ベース生まれの人間であっても、私立中学の選択肢がほぼ存在しないのは田舎の常である。
「彼らのようになりたい」自分は奮起できた。
同じ塾には通えなかった(入塾テストに落ちた)が親に懇願し別の塾に通い、学力を伸ばすことができた。
彼らから”(そこそこ勉強が)できるやつ”と認められた時は自尊心が大いに満たされた。
しかし同じ土俵に立つ勇気も学力も最後まで持てなかったため、進学先は誰も見向きをしない県外の高専という選択肢を取り、疎遠になってしまったが。
一方、ヤンチャな人間は暴力を示すことでしか自身の優位性を誇示できない。
これまでもそうだったし、相手が少人数であったり貧弱な体格をしていれば、そうなっていただろう。
しかし相手は集団であり、社会的地位ある親を持ち、加えて学力・体力ともに秀でていた。
これでは迫害もイジメも起こらず、ただお互いに関わらないという選択肢が取られ、どちら側の人間も学外での活動に精進し、学内ではトラブルのない平和な学年でった。
さて、彼らが同学年でなかったら自分はどうなっていただろうかと思うと、身の毛がよだつ気分になる。
学内では秀でた人間に擦り寄ることで、ヤンチャな人間からは徹底的に距離を取ったおかげで暴力にさらされることもなかった。
つまるところ、運が良かっただけである。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201208155032
このブクマでいろいろ盛り上がってるけどさ。どうしても気になることあるから教えて。
ヤンキーや不良、問題児と称されるような、粗野粗暴かつ学力・知的レベルが低く、文化的にも低俗で成熟していない人達や、それらがそのまま大人になったような人達、たくさんいると思うんだけど
あなたはそのような人達と同じ日本人、同じ人間、同じ地球に住む生き物として等しい価値ですか?彼らの事を蔑み、見下したりせず、同格の存在であると認めることができますか?
それとも、知力学力の低い人間と自分のような高尚な人間が等価値であるはずないと思いますか?
もしくは、あちらから迫害を受けている立場であるが故、こちらが被害者であるので彼らの存在を認めることができないと感じていますか?
その場合、それを理由として彼らがこの世の中に不要な存在である・いないほうが良いものである・存在することが害悪であり、根絶すべき対象であると感じていますか?
お答えくださると幸いです
小島慶子のことは嫌いではなかった。むしろ好きな部類に入る方の有名人なのだが、このエントリ(https://fujinkoron.jp/articles/-/2959)はホント胸糞だ。
正しそうな、何一つ彼女の論理に破綻がなさそうに見えるのに、読後感が半端なく胸糞なのだ。その証拠に、何が胸糞なのか整理するのに3時間も彼女の言い草が脳内を反復し、ゲロを吐くのを我慢しながら考え、時間を浪費してしまった。
その整理してみたけれど、きっとまだ整理しきれていない胸糞の原因は以下の通りだと思う。きっとこれから、もっとその原因が浮かんでくるとは思うが、いま書き出さないと脳が爆発、というより腐りそうだ。
匿名だから敢えて断っておく必要もないだろうが、決して売春や風俗を肯定する気はないし、女性の方が歴史上自由から迫害されて、総じて不幸せな環境にあったことも認めるし、自分自身もその加害者であったことがあることも認める。しかし、しかし、だ。あまりにも気持ち悪い理由は:
(1)夫が風俗で遊んでいたことに対して、すごくインテリ的な立場で非難している点。
前述したように、男性が風俗で遊ぶ際、女性性をモノ化して消費している側面はある。そのことに嫌悪感を感じる人も少なくないだろう。風俗やポルノが一般に忌避されているのは、人間味が損なわれて、消費の対象のように感じられるからであろう。しかし世の中には男性が男性を、女性が男性を、女性が女性を物質化して消費するような需要も少なくない。物質化された側が被害者意識を持つことは直感的で、痛みを感じることは、個人的に理解できる。しかも小島が感じた痛みはそんなインテリ的な、形而上の概念が原因であるはずがない。自分を物質化しないと生活ができないような同性に配偶者を一時的に寝取られた悔しさや、嫉妬、さらには低俗なサービスに欲望の解消を頼ってしまうような弱いオスを選んでしまった自分に対する憐憫や敗北感があるのではないか。もっと言えば、自分が腹を痛めて産んだ子供の父親がさほど強くなかったことや、腹を痛めた子供の育児中に欲望を一人解消していたことに対する妬みや、自分よりも低収入な夫がそんな贅沢な遊びをしていたことに対する嫉みも入り混じっていることを小島は自覚していない。
(2)インテリ的な非難をするのに値しない、低レベルの自意識。
配偶者は自分のDNAを後世に残すための精子提供者という一面を持つ。自覚できるかどうかは置いておいて、DNAレベルの判断を私たちは動物的に行っている。だから、理由なく異性を意識したり、性的魅力を感じたりする。そこには「異性を物質化」しているかどうかの理屈の入り込む余地はない。異性を異性化しているだけだ。女性が出産後、配偶者への愛情が低下するのも育児にエネルギーを手向けられるように進化の過程でできた適応だ。その適応の結果、DNAを未来に繋ぐために選んだ配偶者は、モノ以下になる。しかも夫の方が収入が低いとなれば、夫は生は、ほぼ用なし状態だったはずだ。自分は男をモノ化しておきながら、棚に上げ非難するのは完全に最も小島が非難している「自分に向き合っていない」ことにならないのか?自分に向き合っていない小島が自分に向き合えず結婚生活の継続だけを求める夫を非難できるのだろうか。小島は、収入こそ妥協したかもしれないが、健康的で異性として魅力的な顔立ちや体つき、一緒に子育てのできそうな精神的な安定に魅力を感じて配偶者を決めたはずだ。これこそがDNAとしての異性選択ではないのか、自分に問いてみるべきだろう。
(3)息子たちの性教育が終わったと断言できる浅はかさ。
性教育という概念はまだ新しい。しかも、その歴史を見ていくと、内容も時代とともに変わっている。つまり、「性」についての答えはまだ出ていないと考えるのが普通だろう。出産後の夫の不誠実さを悲しく感じることと、それと性教育との関係性はあまりにも薄い。生殖の仕組みについては、科学的な見解があるが、同性愛の問題も含めて性衝動や性的な魅力、恋愛感情についての科学的な理解はまだまだ一般的な正解はない。きっと小島が言っている「性教育」は「現代における社会的に容認できる性行動教育」だ。同じ科目が50年前に存在していたとすると、まったく内容は異なるし、それこそ男女間で大きく異なる。50年後も大きく違っていることだろうと予想する。こんな母親に育てられた息子たちが不憫でしょうがない。性は、表出化する行動であるだけでなく、人類がここまで繁栄、繁殖してきた原動力であり、私たちが幸せやエクスタシーを感じる手に取って誰もが感じることのできる能力なのに。初恋の気持ちや、愛する人を求めてしまう情動、そんな相手に振り向いてもらえなかったり、離れた時の悲しみは理屈ではなく、他ならぬ人間が持つ感情である。何度も言うが、小島が感じた悲しみや絶望を非難しているのではない。気の毒に感じる。小島に原因があったと言っているのでもない。
(4)今も夫に続けられる公開処刑。
現在別居状態にあり、風俗も禁じられているとすると、夫は極度の禁欲生活にあるに違いない。夫も極度の絶望状態にあることは想像に難くない。息子たちに過去のみっともない姿をバラされて、世間にも暴露され、それでも専業主夫を続けるのはもはや生存戦略でしかないだろう。私はキリスト教徒ではないが、罪をもって生まれてきた人間が幸福を目指して生きるには、欲望や邪念、煩悩をある程度昇華していくしかない。それを一人胸の内に閉じ込めたまま、矮小化された欲望だけが吊るしあげられた状態で生きていくのはかなり辛いだろう。小島には欲望は存在しないのだろうか?有名になりたい、モテたい、社会に貢献したい、子供が欲しい、お金が欲しい、自由な時間が欲しい。そんな欲望を本人は十分に発揮しているにも関わらず、あまりにもおぞましく強権的な攻撃ではないだろうか。それを恥ずかしげもなくモラハラになるかもしれない、などと言って経済的な支援だけを行っている気になっているとしたら、それこそ風俗で満たされるような支配欲を自分の夫で果たしたことになると言える。偉大な権力を持っていることに無自覚な罪だとすればバカでしかないし、知っていて快感に浸っているとしたら、一応ファンもいるのでやめてほしい。
専業主婦やハイクラス主婦をターゲット読者とする婦人画報は、ある意味女性性を売り物にして、収入の高い男性と豊かな生活を送るための情報を提供してきた。そんな中、夫の不貞や遊びで苦しんできた女性も少なくないはずだ。不倫に関する記事も読まれやすいだろう。不安を煽るビジネスはメディア業界の常套手段である。しかし小島のこの記事は不安ではなく、怒りを煽っている。つまり炎上商法だ。小島のライフスタイルをカッコよく憧れの対象と見せつつ、「女性の物質化」という尤もらしいが、誰も幸せにならない概念を売り込んでくる。小島の家庭事情を少しずつ切り売りして、そのネタとして夫の風俗通いがオチというのはあまりにも貧相な結末としか言いようがない。
女子アナとして知名度を持てるほど、メスとして魅力があるのが小島だ。メスが魅力的に映るには生殖能力も必要だが、優れたDNAを育み育てるための知性が必要だ。それらを存分に自覚し発揮し、その影響力を利用したスマートな生き方を体現しているのが小島慶子だと思っていた。昨日までは。
小島はスマートだと思っていただけにこの文章にはがっかりした。スマートであれば、どこかで自分の無知や認識の浅はかさを知って、愛する人を失う悲しみを乗り越えてほしい。人間が何に喜びを感じ、何に絶望を感じるかを知れば、きっと幸せになれる。
いじりと称するものがイジメだというのは最近言われることで、いじり芸はただのイジメだというのも認知されつつある。
が、同時に「いじられるのが好き」という人もいて、これが本心からそうなのか、そういう「物わかりのいい人」を演じていたほうがグループの中で長期的にはいいポジションでサバイブできるから、方便で行っているだけなのかは外から見てわからない。
結局いじりを積極的にしている人が「愛があるいじりはイジメではない」的なフワッとした免罪符的お決まりの文句を語って「今の世はいきづらいねえ」的に回収されてしまう。
これはとてもわかりづらい。
しかし、良好な関係を構築するのに「いじり」がゲートウェイになる人もいて、双方の関係性がそもそも良好であるいう第一関門をクリアし、相手がこれ系に耐性があるという第二関門をも超え、いじる方も本当に相手の触れて欲しくない点を触らないという大三関門をクリアした上で、そこにさらに見えない境界線が引かれているようだ。
そう、境界線だ、境界線がどこに引かれているかが問題なのではないか。
「いじる側」、「いじられる側」、「観客」だ。
このどこの間に境界を引いて「内と外」とするか。
大前提の前3関門をクリアした上で、「いじる側」「いじられる側」を内に置き、「観客」を境界線の外に置く。
この場合、「いじる側」「いじられる側」は共犯関係で、「観客」はモブに過ぎない。
もっと極端に、「観客」を置いてきぼりにして「いじる側」「いじられる側」が双方だけを見ている擬似SM空間を作ってしまうパターンも考えられる。
この場合は「境界線という視点」の上で「いじり」の条件を満たしていると考えられるのではないだろうか。
対して「いじる側」「観客」を内に置き、「いじられる側」を境界線の外に置く。
これが「境界線という視点」の上での「イジメ」にあたるのではないだろうか。
テレビ芸人の「いじり芸」と称するものは「いじる側」「いじられる側」も圧倒的に観客の境界線の内側にいる共犯関係だから「いじり」なのであって、学校や職場で真似事に行われる「いじり芸」が単なる「いじめ」なのは、「いじる側」が自分のポジションの為や観客に人気を得たいが為だけに「いじられる側」を境界線の外に置き「差別エンターテイメント」に堕してしまうが故であると思われる。
ちなみにこれは「いじられるのが嫌いじゃない」という人に対する考察であって、1対1で延々とパワハラを繰り返すような異常者の異常空間についての話ではない。
たとえば 日本人のむらに
外国人がひとり
受け入れて
子供を作って
このこどもがコミュ障
100人の村だとしてよめ1人 99人がコミュニケーション障害の村に 子供を作ってしまったのではなく
1人のほうが障害者?
障害者か?
ではとれないと障害者か?
療法ではなく なぜ 数が少ないほうがコミュニケーション障害の元凶なのですか?
99人が英語で 1人が日本語だと コミュニケーション障害だとおもいますが 日本語は悪ですか?
こういう状況のとき ぼくは まず 自分が精神病院にいきました。
そして 若干おかしいところがあるかもしれないが うたがいであり 原則 コミュニケーションに問題はない かるく
という方向でした
あなたはどうすか? 短い通院で 完膚なきまでに完璧に徹底的に 問題なしでしたか?3回ぐらいの通院で 完璧にですか?
大事なこと 長期経過観察
Aってだめ?Bってだめ? どちらもお医者の先生の 問題なし つまり 両方大丈夫という問題がまちがっているパターン
ただしくは 問題があるもの AまたはB ABとかき問題がない場合はなし とかくこと
という設問がただしいので
あえていうなら出題者がコミュニケーション障害 だが よくある 引っ掛け問題なのでむしろあるほう なので 結果論 問題なし → 自分自身も 検査に入れて 問題なしという必要性クリア > よりベターな回答はこうだが、出題のためにあえてこうかいたと 一言書いておきました
少し前のプリキュア総選挙がまさにメスを入れたわけだが、確実にシリーズ間に面白さの差はある。
大半の子供は通り過ぎるだけで、一部のオタクが延々と見続けているのに何故か優劣になると「子供番組だし」「子供が楽しめれば良い」とか言って避ける。でも実際は子供のほうが残酷でつまんなかったら途中でも平気で見なくなる。
ガンダムだって仮面ライダーだってウルトラマンだって個人の好みはさておき何となくファン全体としてのシリーズ間優劣はある。プリキュアだってハッキリしたって良いじゃないか。
なんとなくだが、ハピネスチャージプリキュア以降、Goプリあたりから「みんな同じで良い」みたいな空気が強まった気がする。それくらいハピプリは色々やらかしたと自分は思っている。その後はポリアンナの如く『よかった探し』してどんな作品でも最終的には面白かったと納得させている空気がある。Goプリ以降で本当に画期的・面白かったのはHugプリだけではないか。それ以外は大人が見てもイマイチな作品ばかりだ。
もちろん自分のようにふたりはプリキュアSSが一番好きな人間が迫害されるレベルは良くないが、『よかった探し』して口籠るくらいなら「初代のリメイクかよ!」とか馬鹿にされるくらいが丁度いい。
オタクと全く関係ない話をオタク迫害の理由につなげるネトフェミさんまじ論理とか超越してオタクヘイトに命かけてるな。
https://b.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20201120#bookmark-4694441126315225730
弱いからおとなしくしてるだけで自分で自分を律するって訓練がほとんどできてへんねん"おたくカルチャーについての「力不足ゆえに無害なだけだった」を思い出した→/https://github.com/omo/t9n/blob/master/why_nerd_culture_must_die.md
そういう人はもう宗教家が救うしかない。救おうとした弱者から手をはたかれて迫害されて殺されても、むしろ神に従って生きたことに喜びに感じるタイプの宗教家に。
そもそもあらゆる宗教において狂信的な態度は有害なんだよね。ただ、「それは別にイスラム教に限らないよね」という話で。
例えばキリスト教の狂信者が銃乱射事件を起こしたこともあるし、今でもキリスト教教義を理由に同性愛を迫害する人は少なくない。仏教(の大元であるヒンドゥー教)にしてもインドあたりじゃ今でも狂信者が支配的(カースト制とか)。日本の神道だって、今や有害でしかない教義を律儀に守っている側面もある。
それは一般的な話であって、○○教に特有の話ではないんだよね。
「尊重する」ことと「全肯定する」ことは違っていて、「尊重する以上は全肯定しなければならない」わけでもないし、「全肯定してはいけないのだから、尊重する必要はない」わけでもない。それは両立しなければいけない。もちろんそれは非常に難しいことなんだけどね。世界は難解だから仕方ない。
地域で一番の進学校(といっても、全国的には”自称進学校”レベルで旧帝大早慶合わせて10人くらい)。
旧帝大早慶レベルに行った人で、その後、エリート的な仕事に就いた人は、ほぼ全員高校時代陰キャ。
逆にスクールカースト上位だった人は、ほぼ全員エリート職には就かなかった。みんな地元に帰って公務員や教師、地元企業のサラリーマンをしている。
田舎の学校で、スクールカースト上位になるような人たちにはヤンキーぽさがある。
しかし、そのヤンキーぽさはエリート社会では受け入れられない。
一流大学は育ちの良い人あるいはアスペばっかりなので、ヤンキーぽい人は浮いてしまう。
就活でも一流企業を受けると、面接官に育ち悪いなと思われて落とされてしまう。
だから、地元に帰るしかない。地元だとそういうヤンキーぽさは肯定的に評価されるからだ。
高校時代陰キャで、大学デビューしたような元ガリ勉がエリート企業に入ったり、大学准教授になったりしている。
エリート社会になじめる素質のあるような人間は、田舎では迫害されるのだ。
高校時代、スポーツも勉強も出来て、クラスの中心にいる、そんな将来有望な人たちの将来は実は暗かった。
当然犯罪にすべきだ!という人の主張は
・強盗が刃物をちらつかせて金を奪っていったときに「抵抗したんですか?ないなら合意ですよね」と言われるのはおかしいのと同じ
・暴行や脅迫行為がなくとも、「拒否したら何をされるか分からない」という恐怖で従っているだけ
これらは理解できるし、ここに反対する人はそういないのでは、と思っている。
一方で反対or慎重派の主張は
・同意を取ったと第三者にどう証明するのか、後で同意していないと言われたら犯罪者になる
・仮に同意書を書いたり録音しても、脅されて同意したと言われたらアウト
に尽きる。
すべき派の多くは女性だと思う。
そしてナチュラルに、自分は一方的な被害者で、加害者になることはない、と思っているんだろう。
でも相手が「その場では良いと言ったけど本当はしたくなかった」
「断ったら何されるか分からないと思って言えなかった」
と言い出す可能性は男女共にある。そうなったときに怖くはないのかな。
すべき派は、「ちゃんと聞けよ、意思疎通しろよ!」って言うんだけど
でも「その場では良いって言ったけど怖かったから」が成立してしまうんでしょう?
もちろん、本当に恐怖で従わされた場合は罰されて欲しいと思うけど…。
B子から積極的にA君に話しかけて仲良くなり、ついにA君から告白!
ハッピーエンドかと思いきや…途端にB子はA君への興味を失った。好かれたら終わり、なタイプだった。
いきなり「A君がストーカーで怖い…」と周囲の複数の男子に相談し始め、B子を守る!と親衛隊のような男子が群がった。
A君はストーカーとして迫害を受け学校に来なくなり、B子は親衛隊の中の一人と付き合い始める。
その後も、彼氏がストーカーなの、と男子に相談→相談相手と付き合う、を繰り返す典型的な相談女をやっていた。
こういう女性が多いか少ないかは分からないけど(学校に1人,2人はいるんじゃなかろうか)、
自由自在に泣けるし、自分の中でも記憶が書き換わっているんじゃないかと思うくらい真実にしてしまっていた。
性犯罪に縁遠い地味非モテ男性ほどこういう女性への恐怖心は大きいだろうし、慎重になるのは当然だと思う。