はてなキーワード: 観光地とは
一つ下の後輩のことが好きになってしまったらしい。
後輩とは入社直後の歓迎会で少し話して以来、しばらくは顔と名前だけ知っているという状況が続いていたが、最近になって近い席に移動したことに伴って事務的なやりとりを行うことが多くなった。
最初のうちは「雰囲気良いし仕事できるしいい子だなあ」と思うくらいだったが、しばらく関わっていくうちになんだか気になり始めてきて、最近になって自分はあの子のことが好きなんだなと自覚してしまった。
自覚してしまってからは大変で、日中仕事中も家に帰ってからも後輩のことばかり考えている。
しかし、今まで高校大学とほぼ男子校のような環境で育ってきた自分にとって、まず女の子とお友達になることがすでに難関である。学生時代も好きになった女の子がいたことはいたが、好きになる→告白するといういくつもの段階をすっ飛ばした行動しかできず全て玉砕した。
社会人になり、周りから「まずは友達から始めるもの」と言われてやっと恋愛には段階があるというのはわかったが、そのやり方がわからない。最初は一緒に遊びにいくことから始めるらしいが、
「今度の休み、一緒に〇〇行かない?」とかどういう文脈で発する話題なの!?!?!?
こんなパッとしない男から誘われても「うわっ…」ってなるだけだよね!?!?
もう何もわからない。
現在、大学生時代に青春をアニメやゲームやその他様々な趣味に捧げたことを激しく後悔している。
今日まで出張でとある有名な観光地に行ってて、「この素晴らしい景色を見たことで湧き起こる感動を後輩と共有できたらどんなに素晴らしいことか」とか考えていたけど、帰宅後急に我にかえって虚しい気持ちになったので、気を落ち着かせるためにこの文章を書いている。
できれば何か行動を起こして業務のみの関係からお友達同士になりたいが、一体どうすればいいんだ。
どんなレベルを目指しているかで全然違うと思う。海外旅行で何とか無事に行って帰って来られればいいのか、それともビジネスとかでこみ入った内容まで話せないといけないのか。
海外旅行だったらとにかく中学レベルの英語を思い出せばいい。特に非英語圏の有名観光地だとお互いブロークンイングリッシュで案外何とかなる。ヨーロッパ圏の観光施設とか土産物屋なんか特に親切。心配だったらガイドブックに書いてあるような定番のやり取りを覚えて行けば良いと思う。
ビジネス英会話だったらお金を払って勉強した方がいいと思うけど、始める前にビビり過ぎだと思う。正確かどうかよりも通じるかどうかが大事。旅行会社の添乗員でも結構カタカナ英語みたいなしゃべり方してるよ。
和歌山の特異性の根源は色々ある。
今もなお市のシンボルとしてそびえる和歌山城、また県庁脇の交差点には史実では徳川幕府を立て直し、ドラマでも「暴れん坊将軍」として名高い吉宗公の銅像とともかく徳川御三家のプライドを、特にその周辺住民の意識に深く刻みこんでいる。
高野山。
言わずと知れた日本仏教の聖地。空海が平安時代に開いたその地は世界遺産にも登録され、より一層存在価値を増し観光地としても世界的に注目されている。参拝者数日本一の寺院、成田山新勝寺も高野山真言宗の一流派、根来寺(和歌山県岩出市)の下部組織に過ぎない。
熊野古道。
神武天皇にも由来する日本サッカー協会のシンボル八咫烏、落差日本一の那智の滝などの熊野三山が平安時代からの信仰対象として貴族や朝廷でも人気があり、その参詣道としての熊野古道が世界遺産になったことで、県で最も経済的価値の無かった山間部でも経済効果を生み出している。
かつては同社の主力工場でもあったため、和歌山市には企業城下町の文化が今なお根付いている。ノーリツ鋼機や島精機をはじめとする様々な企業の発展もその恩恵に預かったと言っても過言では無い。
野球。
現在の県立桐蔭高校の前身和歌山中学が今で言う甲子園の選手権に第一回大会から出場し第7回8回の大会で優勝した。それで野球文化が広がり住金野球部の活躍からかつての箕島高校や現在の智弁和歌山などが活躍すると同時にそれら以外の学校からも今なお多くのプロ選手が輩出され続いている。
トルコとの友好。
明治時代、トルコのエルトゥールル号難破を潮岬周辺住民が救助活動したことにより日本との友好関係は現在も深く繋がっている。
生誕地。
がんばれ前畑の前畑秀子。
生誕地。
華岡青洲。
豪商。生誕地。
パンダ。
梅。
醤油。
発祥の地。
hyde生誕地。
コブクロ。
志磨遼平生誕地。
小林稔侍。
生誕地。
玉置成実生誕地。
このように、和歌山県は自慢ポイントが県内各地にあり、多岐に渡るため特異な県民性があると思う。本州最南端で山間部に囲まれ大阪や奈良からも隔離された地理的要因もあるのだろう。
そういった点では指摘された「独立国」というのもあながち的外れではないし逆に個性として主張すれば発展する要因になるかも知れない。
特に理由はない。嫌いというと言いすぎかもしれないが、いいイメージがほぼ無い。
関西にあるもののほとんどは東京にあるし、無いものも東京に来る。来ないものはわざわざ行こうと思うほど魅力を感じるものがない。
逆に東京にあって関西圏に無いものはとっさに思いつくだけでもかなりあると思う。わざわざ「これ関西にあるかな?」とか調べたことないから知らないけど。
そもそも眼中にないのだ。(こんなものを書いている時点で眼中にないわけがないが。)
なぜ彼らは「まあうちら第二の東京みたいなもんなんで(笑)」みたいな顔をしてるのだろうか。恥ずかしくないのか?お前らは首都じゃないぞ。
田舎者とは言わないが、東京に並ぼうとするのは無理があるだろう。
あくまで勝手なイメージだが、一位に東京があって二位に京都と大阪をまとめた"関西の内でも都会"の都市が入ってくる気がしている。東京は東京として戦っているのに、あちらは大阪京都を束ねて関西という概念で土俵に立っている。雑魚w
なのにことあるごとに張り合ってくる。いや鬱陶しい~~~~~どうでもいい~~~~~~うるせぇ~~~~~~!そんなに好きなら出てくるな。
関西圏の人間、「小さいころ東京行くの夢だった」「東京はじめて来るってなったときめちゃくちゃワクワクした」「来てみるとそこまで変わらないのに謎の期待がある」みたいな話しません?私の周りだけか?逆に東京の人間で関西行くの夢!って人見たことない。行く必要ないし。お好み焼き?タコ焼き?おばんざい?あー東京で食べれる食べれる。本場?大して変わんないじゃん。店によるでしょ。
観光地としてはすごく素敵だと思いますよ、京都。遊びに行くのは好きだしよく行く。
でも人間ていうか都市というか、関西ってものにどうしても交換を持てない。
大阪→うるさいガサツ汚い無神経過干渉。あと治安悪い。昭和か?みたいなノリを本人たちが好き好んでやってるのが私は嫌。私は。本人たちがいいならいいと思うけど。寒。
京都→性格悪い皮肉屋。みんながみんなそうじゃないですって?あーハイ出た出た。大阪よりは好き。無駄にプライド高いとことか嫌いだけどね。所詮東京に移ってこれなかった残りなのにね。
奈良→鹿。何?なんか可もなく不可もないというか、関西圏で一番いい人たちそう。イメージが無いからかも。
兵庫→影薄くない?なにがある?なんか神戸のこと勝手に横浜みたいなもんだと思ってる。出身県?私横浜です~。いやお前それ神奈川県やぞwww横浜県は無いですwww
三重→出雲。奈良と同じくらいいい人たちが多そう。イメージが無い…。
滋賀→琵琶湖。あとなに?私が嫌いなのは京都と大阪と神戸出身の人間だけなのかもしれない。巻き込んでごめんね奈良と三重と滋賀…
和歌山→和歌山てめーはダメだ。ミカンしかない独立共和国和歌山。時の流れがずれてる。仕事のメールくらいちゃんと返せ。時差でもあんのか?本社でやるって決まってんだからお前らが「こっちはこっちでやるんで☆ミ」って言ったって駄目なんだよそうしたいなら上説得して来いカス
和歌山はもう完全に私怨。イメージ無いよ…何あそこ…和歌山の人間トップも下もクソなんだけど…こっちに変にライバル意識あんのか全然いうこと聞かないし…
和歌山の私怨だけで書いたわけじゃないけど和歌山への私怨メインみたいになった。メインは大阪と京都がデカい顔してるのが気に食わんけどなんなの?という話。
人目を気にせず撮ってる人多いよ。個室じゃない飲食店、人でごった返した観光地にいる
まあ人様に迷惑かけてるわけじゃないし、いいんじゃない。痛バ普通に使ってる人と同じ感覚なんでしょ。他人の目が気にならないだけ
twitterによく「推しのぬいと記念写真!」みたいな写真が上がってるのを最近頻繁に見かける。
身近にそうやってぬいぐるみを持ち歩いて写真を撮る人がいなかったので、ああいうのを見るたびに「もちろん人目がないとこでやってるんだろうな」と思ってた。
数日前までは。
この週末、地方から上京した数年来のオタク友達とおよそ一年振りに同人イベントとアフターを一緒した。
待ち合わせ場所は駅。予定より早めの集合だったので、軽くお茶していくかって流れに。
友人→自分の順に注文し、先に席についていた友人の元に向かうと友人はバッグから持参した推しキャラのぬいぐるみをおもむろに取り出し写真を撮っていた。
席の間隔が狭い店内、隣のテーブルを利用していたOL風のお姉さんが明らかにぎょっとした顔で友人を見る。
私も正直かなりぎょっとした。子供ならまだしも、アラフォー女性が公共の場で明らかにアニメグッズである造形のぬいぐるみを取り出すとは思わなかった。
なにしてんの!?って内心パニックになりつつ席に着くと、友人は更に推しカプの攻キャラのぬいぐるみも取り出し、先に取り出してた受キャラのぬいぐるみと寄り添わせて写真を撮り始めた。
その後も友人は移動中の電車でも、アフターのカフェや居酒屋でも、ところ構わず、周りに一般の、所謂オタクじゃない人達がたくさんいる状況でもお構いなしにぬいぐるみを取り出しては撮影会をしていた。
気付いてよ、隣の席の人ドン引きしてる顔でこっち見てるよ。
ていうか店員さんも「え……」って顔したよ。
何度も注意しようと思ったけど、どう注意したらいいかわからなかった。
どういう言い方したらいいのかも分からなかった。
一年振りに会えるからすごく楽しみにもしてたんだけど、別れ際思ったのは「もう次はないかな…」だった。
なんかすごく疲れたし、悲しい一日だった。
冒頭にも書いたtwitterに上がってる写真を撮ってる人たちも、もしかしたら友人と同じように人目気にせず写真撮ってるのかな。
新しいポケモンの化石ポケモンが話題になっていて、ずばりギリシャ神話のキマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数の動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。
そいつ「ドラゴン」とか「龍」とかいう呼び名でよばれているんですけど。
個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承のリュウを意識しています。西洋伝承との比較の話題のときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。
ちょっと前にNHKの特集でドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。
テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話でドラゴンって話題に出すときには、地理学を勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というものを話題にすることができるってのは面白いなと思います。
古生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜の化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜の化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。
番組ではルーマニアで有名な翼竜の化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアはドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知の身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情を考慮するならば自ら悪魔の敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付くルーマニアで、空を飛ぶ恐竜の化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事の記述とかあるならそれは想像が捗るので素敵な話だと思います。
比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。
まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴンは想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間は想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。
それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンのイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまいます。そんな絵でした。
ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書の記述すら読み書きの技術を持つ教会の神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして「悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字や言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想の風景を自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンのイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまいますよね。
ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかったことであるように思います。
恐竜の化石にしたって、伝説に語られるファブニールやヒドラそのものにしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんから。そもそも恐竜の化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスはコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜の末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います。
最後に歴史学、人類学、宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人からの受け売りの知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。
まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います。
ドラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴンは悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います。恐竜は人間を食べそうだから怖い、ドラゴンは人間を食べるから怖い、悪魔は地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴンは悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカンの神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回しが日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になります。ぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓に提供し続けている親からすれば、それを子供に台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家庭不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金の単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキルと言語センスを必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教が国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークでティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔、地獄で罪人を責め苛む悪魔がドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴンを悪魔に与えることでみんなが神の御言葉をもっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人が悪魔とドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴンが英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間の勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説は宗教に組み込まれた結果、聖ジョージのドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代や場所があったということです。
この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教も例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型例であるように思いますね。何故地獄が燃えているかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます。日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災に脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人の名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやすい都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます。対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教の地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史を話題にするなら、ロンドンのテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事の被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKのドラゴン特集の受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄のイメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます。火事から助かったとしても家も財産も食べ物も燃えてしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者を瀬戸際で発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいうイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります。火攻めとか言われる戦法で、この場合は侵略者と火事が同時にやってきます。侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢が死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災の惨事の記憶が、架空の風景である地獄のイメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから「悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?
その上で更に別の解釈を交えます。地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石や宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴンが地獄に住まう悪魔のペットであることと、ドラゴンのイメージを形成するのにひと役買ったらしい恐竜の化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山の噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山が噴火しているともなれば人間の生存圏はもっと狭くて、地球は人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間がマグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエの舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山の噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学や考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂をテーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉…温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56
子供の給食用マスクを買いにドラッグストアに行き「子供用のガーゼマスクはどこでしょうか?」と聞くと、店員さんが使い捨てマスクコーナーに案内してくれた。
「ガーゼマスクはありませんか?」と聞くと、「ガーゼ?」と首を傾げた。
店員さんが中国の人だと解ったので「布のマスクはありませんか?」と聞くと「マスクはここだけです」と言い残して去っていった。
日本人の店員はどこかにいないか見てみたが、どうも全員中国人店員のようだった。
観光地で観光客受けしそうなベタに日本的な商品も大量に並び、きっと客も観光客の方が多いこのドラッグストアでは、中国語ペラペラで日本語も使える中国人店員の方がずっと使えるのだろう。
他のドラッグストアに行き、子供用のガーゼマスクはどこか聞くとおばあさん薬剤師が案内してくれ「今は風邪やインフルが怖いですものねぇ」とにこやかに接客してくれ、片言じゃない日本語に何か安心した。