はてなキーワード: 管理職とは
https://twitter.com/Hiroshi99857672/status/1459431881527545860
このツイートについて。
アメリカでMBA取っておきながら、アファーマティブアクションに対する理解がその程度なのか…何のためにアメリカに留学したのか。
アメリカの大学入試は、コネ社会と非常に親和性の高いシステムになっている。日本でいうところのAO入試が、全体の入試の枠の一部ではなく、すべての枠で対象となっていると考えると想像しやすい。AO入試自体アメリカの入試制度の輸入なので。
アメリカの入試制度では、SATまたはACTと呼ばれる、日本でいうところの共通テスト(旧共通一次、センター試験)が存在する。ただし、SAT/ACTは共通テストより簡単。数学に至っては日本の高校受験レベルで、しかも電卓持ち込み可能なのでまじでアメリカの教育水準が心配になるのだが、飛び級制度があるので問題ないらしい。
しかもこの試験、日本のように年一度ではなく、年に何回も受けられる。年に何回も試験を受けられるとどうなるかというと、年に何回も試験を受けられる経済的基盤がある家庭が有利になる。
有名大学に応募するような連中はSATやACTで満点を取っていることが前提。とすると、どうやって合否をつけるかというと、
・小論文
・学校の推薦状
・面談
などが判断材料になる。トップ大学が国立大学な日本と異なり、アメリカのトップ大学は全部私立なのでよりこの傾向が強い。単に試験の成績が良いだけでは足りず、スポーツや課外活動などで優秀な成績を上げていることが重要になる。そして、それらスポーツや、学校では教えてくれない課外活動に十分な時間を割けるのは、当然ながら裕福でコネのある家庭に限られる。
■就職
アメリカでは、日本と違って、新卒だろうが中途だろうが即戦力を求める傾向が強い。でも新卒が即戦力になるわけないじゃん。ではどうするかというと、新卒はインターンで戦力を付けてから、そこで認められればそのまま就職する。しかし恐ろしいことにこのインターンは多くの場合、無給である。裕福な家庭であればインターン中の生活費を出してくれるだろうが、貧しければバイトしながらインターンという二重苦に悩まされることになる。また、日本以上に学歴重視の傾向があり、特定の学位を持っていないと応募時点ではじかれるとかざらである。さらにいうとジョブ型雇用なのでうんぬん…長くなりそうなので書かないが、要は日本と比べて貧富の差が就職により大きく影響を与える社会となっている。
この問題を、性別や人種の観点から是正しようというのがアファーマティブアクション。アメリカの人種比率に比べて、男性や白人が多くの要職を握っているのはおかしいから是正しろ、という仕組み。学校の生徒の比率は黒人は何割、白人は何割、アジア人は何割、女性は何割、という風にあらかじめ枠を作っておくことで、学校に男性や白人しかいないというような問題を強引に解決する。もちろん学校だけではなく企業にも採用されていて、管理職が男性や白人しかいない、というようなことを是正するようになっている。
アファーマティブアクションにもいろいろな批判はある。例えば、アジア人の方が平均的な学業成績が上なのに、アファーマティブアクションによりアジア人枠が少ないから大学に落ちた、というようなむしろ結果として白人優遇になっている問題もある。男性や白人に対する逆差別だ、というのもその通り。また、フランスのように、人種にかかわる統計を取ることすら禁止し、人種問題は存在せず、肌の色にかかわらず全員がフランス国民だ、というような真逆のやり方も存在するが、このやりかたは明らかに失敗しているのでここでは取り上げない。
"過剰なアファーマティブアクションのせいで、成果とはかけ離れた登用や昇進だらけ"
アファーマティブアクションの考え方を全く理解していないと言わざるを得ない。
・現代のアメリカ社会では、男性や白人による"成果とはかけ離れた登用や昇進だらけ"となっている。
・無能な人間が男性である、白人であるというだけで要職についてしまっている。
・家庭環境の問題によって、女性や非白人は金やコネというゲタを履かせてもらえないことで、人気の大学、人気の職業につくチャンスを損ねている。
・ほっといても現状は変わらないので、強引に枠を作って社会是正しよう。
という考えなので、むしろアファーマティブアクションにより、不当に評価されなかった人たちが評価されるようになり、成果に沿った登用や昇進が行われるようになった、と考えるのが正しい。
もちろん"過剰なアファーマティブアクションのせいで、成果とはかけ離れた登用や昇進だらけ"になる可能性はある。しかし、ツイートしてる方の職業である弁護士業界において、アメリカでは男性や白人が比較的多いのは歴然たる事実であり、従ってアファーマティブアクションが過剰どころか全く足りていない業界筆頭であるので、現状認識がガバガバすぎるのではないかと言わざるを得ない。正直言って、友達のアメリカ人をダシに、適当にアファーマティブアクションを雑に非難したいだけに見える。
仕事を抜け出してバイトをしに行ったり、仕事中管理職が居ないのを良い事に俺に仕事を押し付けてサボってばかりの人間だ。
他にも様々な不正はあったが管理職が人を少ない事を理由に黙認し取り合わなかった。
却って俺の方が煙たがられた。
年長な事をいい事にやたら偉そうな態度を振る舞っていて、当初は先輩だからとソーデスネースゴイデスネーとヘコヘコしていた。まあそんな職場は去る事になった。
そいつが募金をした理由も分からないし何回もやったかどうかも分からない。
恵まれない人に少額でも支援する事は良い事だろうが、そいつは俺には大した技術も教えてくれなかった。
そんな能力も無かったのかも知れないが。
募金するから良い人とかそんな事は低次元の話でクズ野郎はクズ野郎だ。
アフリカの人が〜とか南極の氷が溶ける〜とかそんな遠い事よりも、
目の前の困った人を助けてくれる方が立派だなと思う。
「悪気のないおじさんたち」という記事を読んで居心地の悪さを感じた。https://www.gentosha.jp/article/19706/
自分は1978年生まれの43歳なのだが、おじさんになるのだろうか。
年代的には上の世代が分厚く、かつ、2000年以降の日本経済の退潮やらリーマンショックなどなどの不況の影響で、下の世代の採用がかなり絞られたこともあり、会社では長らく若手の位置付けだった。私自身は大学院に行ってからの入社ということもあって、通常の新卒組より入社が遅れたこともあり、30を超えても「お遣い」を頼まれるようなポジションで、人並みの扱いを受けるようになったのはここ数年といったところである。
男女雇用機会均等法前提の採用であったし、入社一年目からセクハラパワハラ研修のようなものを受けている世代であり(これは企業によっても違うはずではあるが)、いままで上司が2回女性であったことがあるし、自身の管理職登用の段階では「女性の比率を向上させる」という人事の方針が出されたりもしている。
実際当時の管理職も「知ってて見て見ぬふり」をしていた訳で、不登校を経て学校へ戻る選択をした
我が子には「自分は親として学校というシステムはあまり信用していない。学校に行くも行かぬも好きにしてよい」と改めて本音を伝えた。
このコロナ禍でさらに増加してしまった若年層の自殺率にもかかわらず色々後回しにされている既存のシステムの裏では、まさに教育にまで食い込まんとする新自由主義という名のオバケが背後に迫ってきていたと思ってたけどこれからどうなのかが少し読めなくなってしまった。
何れにしても、子どもたちが夢中になるメタバースなゲームにそのヒントは隠されていると思っている。からの「ムーンショット」なのだろうか。やがて行き着く先に待ち受けるデジタル社会主義。こんな妄想が妄想で終わる可能性は何パーセントだろう?
という訳でこれからは「AI社会のよき奴隷たれ」で間違いない気がしてる。昨今のギフテッドブームも忍び寄るAI管理社会において、人類が生き残るために現れてきた現象と言ってもいいだろう。時代の節目を生きていく子どもたちが不憫ではあるが希望であることには間違いないが。
5歳刻みの独り言を語りたくなったので。
童貞とか自虐してても、ヤりたいなー的なのはなくなってきた。貯まるものは貯まるけど、穴っぽこが肉である必要を感じないのであんま困ってない。覚醒剤やってみたいよね位には遠い話で、酸っぱくも甘くもない。ここをうまく捌けたのはえらい。シコって寝る。グッドだ。
お仕事は相変わらず普通。必要なことを必要なだけやっている。能力が控えめなノルマ要員の女性管理職と仕事するのは辛い。ノルマはわかるけどもう少し手心を加えてほしい。優秀な人はいるからたまたまその人が辛い説はある。n=3くらいだから偏見はかんべんして。
担当レベルだと、特に若い子は男女ともに優秀で助かる。若い子ほんと優秀。すごい。
起きるのが早くなった。というか、いつ寝ても4時間後くらいに目が覚めるようになった。いっちょ前に朝方眠くなるので不便ではあるが、まぁなんとでもなる。
運動能力としての体力は元々ないから衰えも感じない。ないものは減らない。ただし、徹夜だけは本当に無理になった
一人でダラダラしたり飲み歩くのが最高に楽しくなった。旅行も、ネットも、居酒屋も、なんでもとてもいい。一人でいる時間をそのまま楽しめている。
この年になって友達が残ってるのは意外だった。ありがたいことね。
これからはほどほど中堅社員のダブルインカムが一番満足度高い生き方になる。
ジョブ型トレンドの中で一般社員に給与を払う原資は持ち家買って身動き取れないマネージャーに泣いてもらいましょ。ってなってくるわ。
仕事が暇すぎる。
年齢としては中堅ではあるが管理職ではない。
去年異動になった。
異動先の部署がとても忙しいと聞いてきたので戦々恐々としていたのだが、蓋を開けてみたら、謎の手作業(こっちのエクセルをこっちのエクセルにコピペみたいな)が時間を食ってるだけだった。
VBAに特別詳しくわけでもない俺でも、テキストを見ながら自動化とかしたら、仕事が一瞬で終わるようになってしまった。
一瞬は言い過ぎか?1日8時間の作業が2時間以内になった感じ?
時間ができても、他の人が仕事をくれないので(仕事を属人化している。クソである。)、暇を持て余して虚空を見つめたり、こっそり資格の勉強している。
仕事したいのに。やる気あるのに。
高い時給で虚空を見つめていていいのだろうか。
なんで産休や育休取得したら評価や評判落ちるんだよ。どんな古の会社なんだよw
「男の所得を上げるのではなく、結婚した女性の所得を上げるじゃ何でダメなんですか?」というのも馬鹿な質問だな。
一部属性を無闇に優遇しすぎると、社会が分断されておかしくなっていくんだよ。気づけよ。
婦人科系の手術をしたこともあるし、年齢的に子供を産む旬はとうに過ぎている。
就職氷河期世代でもあり、企業から振り落とされないように必死で仕事をしていたため、機会は2回ほどあったが結婚には至らなかった。今となっては結婚しなくてよかったかもって思ってる。
子供も嫌いとまでは行かないが、育児の想像もできなかったし、心底欲しいと思ったこともなかったので、他人の結婚・妊娠・出産・育児には興味がない。
会社は200人未満、設立から40年近く経過した中小企業である。男性が8割を占めるので、女性はかなり少ない。
望んでなかったのだが、昨今の流行りのせいか、社内で初めての女性管理職になって数年経つ(今は数人の女性管理職がいる)。
現在、部下5人中2人は時短、1人は近いうちに産休・育休に入る。
正直ベースで書くけど、めちゃくちゃ辛い。
保育園の問題が無事クリアになって1人が復帰(時短)できたと思ったら、入れ替わりでもう1人が産休・育休に入るので、自分の負担は軽減するどころか増大する予定。
「この負担をまた、1年以上やる羽目になるのか…むしろ時短が1人増えてるからもっと負担増えるなあ」って既に青色吐息である。
ご存知の通り「働き方改革」が流行っているので、非管理職の労働時間に対する締め付けが厳しい。そのため、管理職が多くの仕事を肩代わりする羽目になる。
自分も、ここ1年くらいは非管理職の2倍の労働時間と業務内容で死にそうになっている。
それ自体は喜ばしいが、「組織の体制」を考えた時に、ずーんと負担が出てくるわけです。
産休・育休を理由に異動させることは認められないので、当然、席を空けておかなければならない。
自分がいる会社は、社長の意向で非正規雇用は原則NGのため、産休・育休期間だけの補充ができない。
そうなると、稼働している社員たちで分担をして、産休・育休中の社員の仕事をこなすことになる。
「誰かが仕事を肩代わりする」というのは、全くうまくない制度だけど現状はどうしようもない。
感情的なものは別として、産休・育休明けや時短の社員の査定を不当に扱ったことはない。
うちの会社は男性の育休実績もあるし、家庭の事情で残業できない期間があった男性社員もいるが、評価や評判が落ちたことはない。
「今日は子供のお迎え当番なので、早めに帰りまーす!」と宣言しておけば、打ち合わせ時間の設定を配慮するなど、周囲は様々動く。
そもそも、「私用で早く帰りまーす!」でも同じ動きになるので、心理的障壁は低い会社なのだと思う。
そのためか、給与に直接関わる査定は、働きによって評価されるものであって、その人の持つ属性(年齢・性別・未既婚・子供有無)は関係ないという考え方が主流になりつつある。
会社の規定では、性別関係なく、昇給・昇格の査定期間に休職(産休・育休含む)している場合、復帰1年目は昇給・昇格はない。
また、賞与は直前6ヶ月間の査定をもとに行われるので、査定期間に復帰していなければ賞与も支給されない。
時短を望む場合は1日6時間からの就業が可能だが、短縮された時間分が給与から引かれる。
だから、複数回休職を繰り返すと、一時的に昇給がストップするので給与が低くなる。
この対応を不当と考えるならば、自分が休業している間、他の社員が業務を遂行して会社組織を維持しているという点を考えていない。
就業中と休業中では、どちらが維持に寄与しているのか?ということを考えると、査定期間に不在になっている社員に対して、昇給や昇格を行うわけにはいかない。それは公正な対応とは言えないからだ。
一部属性に対して過度な優遇ををしてしまっては会社組織として失格だし、組織の維持は非常に難しいだろう。
自分の部下にも給与が低めの人がいるのだが、仕事を進める点では、休職がなかった部下たちよりも優秀。
ただ、以前の部署の性質上、複数回の産休と育休、時短がマイナスに働いて、昇給額が非常に低く抑えられていた(この部署が不当に低く抑えていたわけではなく、給与の原資には限りがあることや、他社員との業務バランス等を加味すると仕方ないところではある)。
私の部下になってからは、復帰2年目に返上していた役職に復帰させ、毎年会社の規定ギリギリまで昇給させて、働きと給与のバランスを取り戻そうとしている。
女性が上昇婚を望むことに関して批判が多いけど、出産育児を考えた時に「自分より稼いでいる人」を選ぶのは至極当然だと思う。
健康的に妊娠期間を経て、健康的に出産・復帰ができ、子供も五体満足で産まれ育つのは当たり前だと思っている人がいるが、そんな平和な事例だけじゃない。
最悪、出産を機に健康を損なったり、子供になんらかの医療的ケアが必要になった場合、職場に復帰できずに退職という可能性も出てくる。
家庭内年収が800万だとしても、夫婦が同等の年収だった場合は一気に400万円まで落ちる。
住環境にもよるが、育児スタートと同時に年収半減もスタートでは、「それでも大丈夫!」と言える人はほとんどいないのではないだろうか。
リスクヘッジを考えるのであれば、自分が職を失っても、当分は正常な家庭生活を営める年収を持つ相手を選ぼうと考えるのではないか。
また、男性が女性にそれなりの年収を求める場合も、「自分が病気などで働けなくなった時」「リストラされた時」を仮定しているのではないかと思われる。
そういう気持ちの動きを責めるなら、自分は下方結婚してます!という人だけ石を投げなさいw
「男性」「女性」「既婚者」「子供あり」という属性で語るから色々おかしくなる。
シンプルに全体の給与水準を上げることが、問題改善の第一歩だと思う。
属性関係なく、同じ仕事・同じ能力であれば同等の年収にすれば良い話なのだ。
もちろん、働きに対して給与が支払われるので、労働時間など規定に満たない場合は、適切にその分を引く必要がある。
全体を上げると言うと「もらっている人は、それ以上にもらえるのか!」と批判する人も出てくるけど、低いところばかりにフォーカスしてもダメで、「生活が苦しい層は安心して生活できる金額に引き上げる」「余裕のある人にはさらに余裕を持ってもらい、経済を回すべくお金をたくさん使ってもらう」という両輪が必要。
要はグラフ上の低収入の金額を「貧困」から「安心して生活できる」金額に変化させればよい。
自分は幸運なことに、性差で給与を低く抑えられた経験がない(おそらく業種的に性差が薄い)。
数回転職したが、卒業以降に空白期間もなければ、休職した経験もないので、同世代の男性平均年収以上はもらっている。
ただ、ここ20年以上、給与水準も変わっていないため、自分が新卒の時の初任給と変わらなかったりすると、なにやら絶望的な気分になることもある。
低い方に合わせていては、いつまでたっても貧困から抜け出せない。ただ、貧困を生産し続けるだけだ。
それに、現在は少子化社会なんですよ。労働者を確保するのも大変。
この文章を書いていた時に「非正規雇用」という部分で思い出したことがある。
うちの会社は原則正社員雇用。理由は社長が「正社員がいいの!解雇も絶対したくない!」という持論の持ち主だからw
ただ、仕事が落ちそうな危機的状況が起こった場合は、最後の手段として「派遣」を視野に入れる場合がある。
自分の部署でも過去にあって、派遣会社に「このスキルを持つ経験者を派遣してほしい」と依頼したところ、まったく棒にも箸にもかからない人材の紹介があった。
ちょうど新入社員が配属された時期で、正直「時間がかかっても、新人をがんばって教育したほうがマシ」な人材だった。
結局、平均かそれよりもちょっと上の金額を提示しても経験者の紹介がなかったため、社内のリソースに無理やり調整をかけて、いろいろな犠牲のもとで仕事を納めた。
その時思ったのが「自分が若い頃の派遣と違うなあ」という感想。
今から25年近く前の話になるけど、いわゆる「派遣社員」っていうのは、その道のプロフェッショナルで、能力の高い人が高給与で雇用されるものというイメージだった。
それが派遣法が改正されるに従って、「新卒」「未経験」みたいな人たちが参入してきて、本来の「派遣社員」とは異質なものになってしまった気がしている。
企業の立場では「採用の時間も教育する時間もないが、スキルを持つ人材が今必要だ」と思って依頼するので、「未経験なので、就業したら教育してほしい」という人材を派遣されても困る。
教育が必要なポテンシャル人材は自社採用するし、「今すぐ使える人材」が必要だから派遣会社に依頼しているのに。
そういう人材しか派遣しないから、単価が下がっていくし、派遣社員自体も低給与で貧困に転落してくのも必然だよなあと思った。
ただ、他方で、会社の仕事というのは昔と違って、いわゆる雑用的な仕事がほぼなくなっている。
昔は資料のコピーとか細々な仕事を渡すことができた。今はペーパーレスなので、相手にデータを送れば仕事は完了だ。
業務に対する適切な報酬を…とはいえ、昨今の業務に追いつけない人材はどうするのか?
自分も経験があるが、上司が努力して指導・指示をしても、仕事が身につかない層は一定数いる。
だからと言って、そういう人たちを貧困層に落とすのは社会として問題だと感じてもいる。
ただ、民間企業がそれらすべてを拾い上げるのは無理な話だよね。
はてな民1「安心して女性が働ける社会になれば下方婚問題は解決する」
はてな民2「私の夫は自分より200万くらい低収入だけどこういう女性もちゃんといるのをわかってほしい」
はてな民4「女性が安心して管理職を目指せる社会を目指そう!」
ガルちゃん民1「自分で稼げる選択肢があったところで社会進出なんてしたくない、管理職になりたい女なんて存在するの?」
ガルちゃん民2「マッチングアプリでそこそこの男捕まえて社会退出できたら勝ち組」
ガルちゃん民3「自分より稼げない男なんてありえない、仕事続けなきゃいけないなら結婚の意味ないじゃん」
ガルちゃん民4「週2のパート以上の仕事なんてやってられるか!」
どっちが正しいってことでもないんだろうけど、一般女性の本音でいうと扶養されたい本能丸出しのガルちゃん側やろうなって思うとああいう手のニュースってなんか冷めた目で見ちゃうわ。
Windows と Mac では、どうにか Windows が地位を保ててるじゃない?
企業向けの業務機器の側面はあるものの、個人のあいだでも、Windows でもいいとなるのは、ハードウェアの美しさ、利便性を主張できる余地があるからだと思う。
CPUやGPUの価格とパフォーマンスのバラエティさからくる多様性、色や質感、キーボードの配置、タッチ、USBポートの位置、その他のポートの使い勝手等々。
自動車が、欧州車だらけにならず日本車が受け入れられているのも同じ理由だと考えてる。
スマホの世界では、ハードウェアの使い方が何かを読む、見ることに主要な用途が限定されて、写真を撮り、文字を入力し、ゲームのボタンをタッチすることは、アプリの魅力によって不便さを乗り越える心理的障壁を超えさせられている。
スマホには、ハードウェアが主張できる場所は、画面とカメラと大きさ程度の部分しかなく、あとはソフトウェアそのものに利用上の主要な部分がある。
iPhone はソフトウェアとハードウェアの一貫性が貫かれていて、ソフトウェアの美しさ、利便性の主張が最初からうまくまとまっている。
最近のAndroidはずいぶんマシだと思うが、Android 4 だとか 5だとかそれ以前最初は酷かったうえにハードウェアの主張は本質的に弱い機器なので、最初に iPhone に慣らされてしまうとそこから変更することが難しい。
操作を通じて直接得られる感覚的なものとソフトウェア(アプリ)に自分がアクションをしてそこから返ってくる応答を受け止める心理的精神的な部分とがPCなどよりもずっと凝縮されていて心や脳に近いように感じる。
これは、ソフトウェアが心や脳、精神に着る衣服のような性質があるからではないかと考えてる。
衣服は実用性を考えれば、手足の穴が開いていて大事なところが隠れて寒くなければ(暑くなければ)どんなものでもいいが、実際には、個人の好みのデザインがその選択の主要な部分を占める。
衣服を、個人は一度好みが固まると自分に似合う、社会に出るときの自分の一部と思い込むため、同じブランドや似たデザインの衣服を選択し続ける性質がある。
ソフトウェアは、心や脳を外部化し延長のような性質があるように思えるので、よりパーソナルなスマホにおいて、一度それに慣らされたソフトウェアを変更することは好みの衣服を脱ぎ捨てて自分に似合いそうもない衣服を着るような感覚があるように思う。
使っている人は使いやすいと言うだけで自分に似合うとは言わないかもしれないが、そこには自分に合う使い方ができる(=自分に似合う)感覚を持っている。
それがダサさの根源のようにも思う。
パソコンはハードウェアの主張がスマホよりできてるので、心や脳の延長なんかではなく自分ではない何かという意識をしっかりと持てるが、スマホになるとハードウェアはほとんど違いがなく、ソフトウェアによる自分の心や脳に直接影響を与える部分が大きくなっている。
すべての人にそう影響しているとは考えていないが、どのメーカーのテレビも自動車も違いを意識しないハードウェアや技術の差を理解しにくい人にとって、違いはソフトウェアが主要なものでしかも心や脳の衣服のような役割があるように感じる。
日本の Android シェアが低いのは、良くも悪くも日本がハードウェア立国であることだからだろう。
Windows の開発元のマイクロソフトはハードウェアをサポートすることに必死だったので、ほとんどすべてのハードウェアをサポートしたしそのためのチームもあったので日本のメーカーはマイクロソフトに文句だけ言えばソフトウェアが動いた。
だが、Android の開発元のグーグルは違った。グーグルはメーカーにソフトウェアの開発力、少なくともソフトウェアがどうやって動くのかを理解することを求めた。
それができた日本のメーカーはいない。Android を Windows のように簡単に高品質で動かせるメーカーはいなかった。
メーカーの経営者の技術理解不足であり、転換期の認識不足であり、投資判断の大きなミスだろう。
その認識不足はいまも続いていて、経営者や管理職は、ハードウェアにこだわり続けて、ソフトウェア開発のベンダーやチームに文句を言えばソフトウェアが動くと勘違いが続いている。
同時期にサムスンは、トップの号令のもとスマホの開発体制を構築してソフトウェアの開発強化をしたので、まともなソフトウェアの技術者がいるし、中国のスマホメーカーも同様だろう。
もともとハードウェアメーカーが乏しい欧州では、Android がうまく普及しているが、日本ほどではないにしてもアメリカでは iPhoneのシェアが大きい。
その視点では、日本の iPhone のシェアは、ハードウェアメーカーの挫折と敗北で、日本のハードウェアメーカーが現在のように各社さまざまに方針転換している主要な原因になっている。
東芝、日立、パナソニック、シャープ、NECなどそれぞれに家電を縮小し別の道に進もうとしている。
ソニーは辛うじて残っているようにみえるが売上のほとんどは家電ではない事業から得ていてそれを持っていたから残っただけでソフトウェアができないハードウェアメーカーだろう。程度の差はあるとしても。
給料が上がらないのは、ソフトウェアとハードウェアの組み合わせがモノの価値を下げていく性質があり、
今年に買えるスマホは昨年より安い(より高い性能が同じ価格になっている)ために、より高性能、高付加価値な開発をしなければならないがこの20年はその役割が次第にソフトウェア開発によるところになっている。
当然ながら、日本のメーカーは価値の高いソフトウェア開発ができないので、給料を上げるための売上を増やし利益を増やすことができなくなっているためだろう。この産業の給料が増えなければ、そのほかの産業の給料がつられて上がることはない。
これから、日本のハードウェアメーカーは壊滅していくか新しい道を見つけられるかになるだろう。
トヨタはそれを横目で見ていて、タイヤのついたスマホといわれる電気自動車のために、いまソフトウェアに必死に投資しているがうまくいくのかはわからない。
今後スマホが外部の利便性を求められることが増えていくと変化することもあるかもしれない。
店舗でのスマホ決済のようなペイメントは、ソフトウェアを使うというよりハードウェアを使う場面なので、その瞬間に心や脳の衣服から離れてハードウェアの美しさや利便性が目立つようになる。
スマホを主にカメラとして使う人にも異なる基準がある。今現在、iPhone はカメラのスタンダードになろうとしているが、今のところソフトウェアが切り離されているように見えるのでそれができるかはわからない。
一部の趣味のためのように思えるので、カメラにこだわるほど Android に有利になるようにさえ感じる。
今のところはほとんどの人にとっては、スマホはネットワークにつながってさえいればいい機器なので、ソフトウェアがすべてで、衣類のように心を満たすハードウェアとの統一性と自分に似合う気持ちだろう。
近くの同業がとあるトラブルで突然潰れて、そこから既卒を2名採用して俺は不要になった。
無能扱いされて店主から呼び出され、「給与下げる」って言われたから辞めた。
この店主が、そもそも当たりがきつい厳しい感じならまぁわからんでもないんだけど、いかにもいい人な感じを出しているのがサイコパスすきて恐怖。こいつのことだけはいまだに恨んでいる。
そんな俺でも会社で管理職になっているし、もうすぐ辞めて独立するし、増田同様合わなければ辞めて自分がハマる職場を探すしかないよね。
無能扱いされる職場にいても成長はないし、増田の書いている通り職場側も困っていることが多いので、お互いのために辞めるのが一番いい。