はてなキーワード: 焦燥感とは
「青春」と言って真っ先に思い浮かぶのは、幼さ故の無根拠な全能感と大人に近づく中で未だ何者でもない焦燥感が入り混じった感情が、時の流れで脚色されたそれはそれはエモーショナルな情念。
だから「青春作品」でパッと思いつくのは『桐島〜』とか『ピンポン』とか。ナイーブだけど人生の中核を成す大切な悩みと真摯に向き合えるモラトリアムを描いた作品が好きすぎる。『スタンド・バイ・ミー』みたいな逃避のロードムービーも最高だね。
でも映画なり音楽なり、ポップカルチャーを見渡すと、(勝手なイメージが多分に含まれる気はするけど)「青春」と来れば爽やかな恋愛をしただとか、逆にできずに暗黒だったけどそれなりに楽しかったとか、それなりの楽しさすらなかったとか、とにかく恋愛を軸に二元的に語られるような気がする。恋愛こそが自分の思う「青春」を感じられる最たるなものなのかもしれないけど。
後ろ暗い青春のバイブルとして銀杏なんかはよく挙げられると思う。これも非モテ、恋愛がテーマ。まあ彼らも童貞ソングだけではないけど。暗くもエモーショナルな青春を愛するオタクくんならゴイステ/銀杏は通っておかないといけないような気がしたけど、なんだかあまり刺さらなかった。
同じくオタクくんなら愛すべき感のあるナンバガのOMOIDE IN MY HEADを今日初めて聴いてみた。歌詞が全く聴き取れんから調べてじっくり読んだら、何故だがどうしようもなく自分の思う「青春」を感じた。夜中にこっそり家を出て目的もなくフラフラ歩き回ってた個人的な経験が歌詞の断片的な要素と結びついたのかもしれない。それが当時抱いてたそのままの感情を掘り起こして、無性に心が掻き立てられたんじゃないかと思う。
まず大きな違いとして、BECKは声に天性のものがある以外はイマイチ冴えない普通の少年が主人公で、ぼざろはギターはめっちゃ上手いネットのヒーローだけどメンヘラの巨乳美人が主人公。
そもそもの違いとしてBECKのコユキは産まれてついての天才だけど、ぼざろのぼっちは努力の天才ってタイプ。
あとコユキはバンドやらなきゃ本当に平凡な人生を送れたけど、ぼっちの場合は社会不安障害とか起こして本当にニートになってた可能性がある。
持ってる焦燥感の方向が「普通であることに対しての不安」と「普通でないことに対しての不安」っていう全く真逆のものになっていて、主人公の物語に大きな違いがある。
あとぼざろは基本的にブラックよりなコメディで、BECKはもうちょい爽やかな青春モノがベース。
ぼざろに恋愛要素はないけどBECKでは主人公の導線として重要な要素になってる。
キャラの性別以外にも全体を通してかなりの違いがあって、強いて共通点を挙げるなら「物語開始時にバンドをやってなかった主人公が、バンドマンとしての素質を開花させていく」って所ぐらい。
そういう点ではストーリースタート時点で既に主人公がバンドマンである作品よりかは近いんだろうけど……でもやっぱ「似てる作品」として挙げるのは無理だと思うなあ。
身体を張って攻撃的な弱者に接する時間も余裕もないが助けたい人へ
知恵袋で「性的虐待」「性虐待」で検索して性的虐待を受けて悩んでいる子を見つける
↓
児相や支援団体、相談機関、同じような体験をした人達の体験談などの情報をまとめたサイトをまとめ、「助けを求めてください!加害者許せない!」などと自分の言葉を綴り、貼る
(知恵袋はURLを5つまでしか貼れないので注意。2回に分けて回答した場合はこの限りではない)
↓
他の性的虐待に悩んでる子にもコピペして回答。悩みの内容によって、多少こちらも内容を変える
これだけ
自分はツイッターでも同じことをやるし、知恵袋以外の相談サイトでもやった事があった。その子の住んでる都道府県の警察に情報提供した事もある(実際対処してもらえたりする)
「レイプ」「性暴力」「痴漢」とかで検索して同じようなの(ワンストップセンターの情報や痴漢対策、捕まえ方の情報などを貼る)をしたりもする。
例
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13268860383?fr=ios_other
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13272691598?fr=ios_other
自分は性被害系が多いけど「いじめ」「虐待」「毒親」とかで検索してそういうことをする人もいていいと思う
それでベストアンサーをもらったり、少女が保護されたり加害者が捕まって裁判に進むことを伝えられ、感謝された事も何度かある
(感謝されるのは、彼女達は「まだ」余裕があるからかもしれないし、本来支援に届く前に潰されそうな性格だからかもしれない)
例
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11272795406?fr=ios_other
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10271018170?fr=ios_other
断っておくが、コピペだからと言って心を込めていないわけじゃない。また、被害者を見つけてラッキーとか思ってるわけではない
心から、全ての性加害がなくなり被害者が救われる事を祈っている
また「誰でもできる」と書いたが、精神的には疲れる。
報われない事もある。助けを求めたけど保護されなかった子などが児相不信や大人不信になっていて拒絶されたり、「あんな親でも好きだから」「受験があるから」「自分さえ我慢すれば」などと拒否されたり、キレられたり、無反応だったりすることも多い。
また、回答が一足遅れて、深刻な被害に遭ってるのに碌でもない回答を早々にBAにしてしまう人もいる
そのせいもあって、知恵袋などを漁っていない間は「今こうしてる間にも…」という焦燥感に駆られる時もあるから休まらない
あと、知恵袋で意外と多いのが、兄妹間の性的虐待が発覚して悩む親の質問
年末が近づくとクリスマスや忘年会、正月などイベントも多かったりして、誰かと話せば「はやいねもう今年終わるんだね」みたいな会話が増え、
ネットを見れば「今年買ってよかったもの」「今年読んだ本ベスト10」とかそういう記事が増える。
否が応でも年末を感じるそういう空気の中で俺は、毎年なにかやり残したような、焦るような気持ちになるのでちょっと憂鬱な季節だ。
あと、その焦燥感は単純に一年通しての個人的な反省とか後悔となんだけど、それだけじゃなくてなんか勝手に区切られてるような気持ち悪さがある。
「今年こんなことあったね」とかみんなで今年を懐かしく振り返ったりする時間も苦手だ。
なんでこんなに苦手なのか分からないけどもういいよ今年はもう終わるんだから来年のことでも考えようよって思ってしまう。
けどなんか、一年という括りで年末にやたらまとめようとする流れがどうにも苦手だ。
時間の流れ方だって人それぞれでいいじゃないか、ある人にとっては3年がちょうどいい区切りの期間かもしれないし、半年区切りのほうが気持ちいい人もいるかもしれない。
俺はできることなら「今年も終わるねえ」なんてしみじみしたくないのだ。「あーそういえば1月だね」くらいの感じのほうがいい。
時間はずっとずっとシームレスに流れていく感じで、その中で各々勝手に区切りをつけたりまとめたりする世界のほうがいい。
ちなみにお祭り事が嫌いなわけじゃない。むしろミーハーだし好きな方だ。みんなで流行ってるものでなんか盛り上がったりとかも好きだし。
ちなみに年末年始といえば家族で集まるみたいなのもあるけど、家の場合は仲悪いわけではないが一家離散状態で親戚とも疎遠なのでその手の集まりは全くないのだ。
まあお前が世間を無視すればいいだけと言われたらその通りなんだけど、人付き合いも含めるとなかなかそうもいかない。
唯一年末の憂鬱感を回避できたのは仕事で年末進行がクソみたいな事になった時、あの時は年末年始など存在しないかのように気がつけば年越ししていたが、それはさすがにもう嫌だ。
いっそ年末年始は外国とか行って非日常感に包まれまくれば感じ方はだいぶ変わるのかな。残念ながらそこまでの金はないんだけど。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%82%89%E3%81%AF%E3%81%9F
やらはたとは、日本社会における性的観念のひとつ。「童貞や処女でいてもいい年齢」の表現で、「やらずにハタチ」(性行為の経験が一度もないまま二十歳になった)の略である。
20歳までに童貞喪失や処女喪失をしなければならない理由付けとしては、増田豊が説いたホルモン説(ホルモン分泌が最も盛んなのは17歳から18歳の思春期で、20代に入ると分泌量は少しずつ減少し、ちょっとしたきっかけで不能に陥る危険があるとするもの)をもとにするもの[3]、社会的慣例として大学入学や成人式と同じ通過儀礼として勧めるもの[4]、柴田出の性体験をすることによって人間的に成長するというもの、童貞や処女をコンプレックスとみなすもの[5] などがあった。いずれも根拠は薄弱で、結論ありき的な理由付けであったが、こうした煽動に多くの人が焦燥感を募らせたり、諦めの境地に陥ったりした[6]。
30も半ばに差し掛かるサラリーマンである。既婚、子持ち。新卒で入った会社で働き続け、年収は800万ほど。まぁそんなに悪くもない人生だ。
でもさ、SNSとか開くとそこには成功があふれているんだよね。
仕事でこんな実績あげました!自分の会社が上場しました!みたいなさ。
YouTubeとかインスタとかみても成功者がドヤ顔で自分の話をしているわけじゃん。こんな高級なモノ買える私スゴイでしょ?的なテンションでさ。
自分もそれ相応に頑張ってはきたつもりだけど、そういったSNSの成功談をみてしまうとああ大したことやって来てないんだなとか思ってしまう。
当然、いい部分だけ切り取ったものだしそういう面ばかり目にしてしまっているというのはわかるのだけれども、改めて自分は今まで何を成し遂げてきたんだろうなんて気持ちになってくるね。
年をとるとこういった成功者への焦燥感みたいなものがなくなっていくものだと思っていたけれども、いまのところ変わらず感じ続けてしまっている。
趣味とかもさ、圧倒的に自分よりうまいプロたちがいてTwitterとかYouTube経由で身近にそのうまさを見られる環境になってしまい、そういうのを見ると昔ほど楽しめなくなってしまっている。
こんな気持ちとどうやって折り合いをつけていったらいいんだろうね。
2歳の子供が寝ない。寝かせようとする気配だけで泣き叫ぶ。
いまは午前3時で、出来ることはもう全部やりつくして諦めて遊ばせている。
パートナーも私も日中は眠くてフラフラで、エナドリとか飲みながら仕事をしている。
退勤したらお迎えにいき、帰宅後は子供と遊んだり家事をしたり、自分の趣味を片手間にやりながら、
趣味の時間取ってるじゃんと思うかもしれないけど、これはもはやメンタルへのお守りである。
何のために生きてるのか分からないのでもう死んだ方がマシだとかそういう方向にすぐ向かってしまって良いことがないので。
自分の機嫌を少しでも良くするためにも、絶対に何か自分の好きなことを片手間にでも行うことにしている。
そうやって過ごしながら、
パートナーと二人で交代で寝かしつけてみたりしようとして、日付も変わりそうになって、
「明日も仕事なのに」と焦燥感が襲ってきて、「こんなに心身ともに辛いのにどうして」と怒りが湧いてきて、
最後のほうはもう投げやりになっている。今がそう。
あ~あ。
こんな日々もいつか終わって、懐かしく感じられるようになるらしい。
でも今この瞬間誰かに助けてほしい。
こんなふうになると予想しきれなかった自分が悪いのかなあと思ってしまう。
たまたまかもしれないけど、周りに子供を産んでる人が自分以外に一人もいなくて、
そりゃここまで自分の人生が破壊されるなら誰も子供なんか産まないよね。
だって子供なんかいなくても楽しいこといっぱいあるもんな。私もそうです。育児なんかより楽しいこといっぱいある。
こういうこと言うと、勝手に産んだくせにとか、子供がかわいそうとか言われんのかなあ。
なんか、子供を持っただけで自分の中の「有象無象の人が言ってきそうなこと」の人格に否定されてばっかだなあ。
パートナーにどうしても子供が欲しいって提案されて、そういう人生も良いなと思ってしまったんだよな。
産んだ私に感謝して、頑張って面倒みてくれるパートナーには悪いけど、産まなきゃよかったなと思う。
疲れた。
眠い。
産んでなかったら、いまごろはあったかいふとんの中だったろうにな。
時間は有限なので考えなきゃいけない
幸福になれる度と安心できる度とコスト等考えると、やはり結婚が一番いいような気がしている
(これは一度も結婚してないと、一生焦燥感や劣等感、罪悪感などぼんやりと存在し続けることを加味してる)
私のやりたいことは基本的に体さえもってくれれば年齢的なタイムリミットはないが
ある程度自由にやらせてくれて子育ても半分やってくれて浮気の心配のない人が良い(いるのか?)
結婚に求めるのは帰る場所という安心感が欲しい 私は女なので珍しいかもしれないけど求めるのはそういうところ 別にご飯とかは作ってくれなくてもいいけどそういう場所があればうれしい
浮気さえしないという信頼があれば基本何しててもいいけど、私自身もあまり干渉はされたくない
数時間前から妙に気持ちがザワザワする。不安感に襲われている。自分の頭がおかしくなりそうな感覚があってとにかく怖いし吐き気がするし息苦しいしとにかく不快感が半端ない。
①ここ数週間睡眠時間をきちんと取れていなかったこと。連休期間は特に夜更かしが多かったこと。
②ここのところ食べるのが面倒で1日1食や2食で済ませていたが、3連休に実家に帰って3食食べることでいつもより過剰なカロリーを摂取したこと。
③疲れているのにFPSゲームを長時間プレイし、しかも負け続けてすんごいストレスを感じたこと。
④ここ数日空腹時にロキソニンを飲むことが数回あり胃に負担をかけたこと。
⑤仕事のストレスが半端なくて毎日イライラしていること。一応心療内科にかかって抗うつ薬1/4とイラつきに効く漢方を飲んでいるが、それでもストレスは消えないこと。明日から仕事が始まること。
ざっとこんな感じ。文章にすると情けなさというか自業自得な部分が目に見えてきついな。
とにかく息苦しくて体が熱くて焦燥感と不安感があって頭がおかしくなりそうな感覚がして自分が怖い。もうこのまま狂人になっちゃうんじゃないかって感じがする。てか既に狂っててもう戻れないんじゃないかって怖くもなる。
とにかく気持ちを落ち着けたいと思って、机の上にあった塩分入りのラムネを舐めていたら少しマシになった。専門的なことはわからないけど、低血糖ってやつかなって思った。
でも明日のために寝ないとって思って目を瞑るとまた気分が悪くなって吐き気がしてきてトイレに行って吐いた。すると胃の不快感は消えて少し生きやすくなった。
ただ精神的な不快感はまだ消えない。昔頓服で貰っていたソラナックスがあれば飲んだら楽になったかな。今手元にないから意味ないけど。
今すぐ救急車を呼んで医者に鎮静剤か何かを打ってもらってぐっすり寝たい。そんなことできないから想像で打ってもらうしかないけど。でもぐっすり寝たらこの不快感も消えてくれるような気がする。
明日も仕事なのにこんな時間まで起きてるのがやばい。でも調子悪くて寝れない。どうやったらこの精神的不快感が消えてくれるのか。マジできつい。
文章が支離滅裂すぎて自分でも引いてる。でも部屋で1人この不快感に耐えてるとおかしくなりそうだからネットの海に自分の今の状態を載せる。
「結婚と出産を切り離そう」「海外では婚外子が多い」「日本は婚外子が少なすぎる」という理屈でもって
「結婚をオワコンにすれば少子化が解消する」との主張が後を絶たないが
それって今の『結婚』と一体何が違うの…?全く同じでは…?
日本の少子化ってとにかくまず何よりも男女が『出会わない(出会えない)』事にあると思うんだよね
ナンパは禁止、職場や趣味の場に恋愛を求めるのは禁止、結婚相談所は料金が高くシステムも複雑怪奇……では、男女の出会いの生まれようもない
婚外子っていうけれど、まず大前提として男女が出会ってセックスしなければその婚外子が産まれようもない訳で
そもそも出会う段階にすら行く事が難しい日本でそれは無理でしょ
だから結婚制度をなくしたところで今はかろうじてある結婚への焦燥感すらなくなって
「婚外子を増やして少子化解消」を訴える人達って、人間を家畜みたいに思って男女を一つのところに入れておいたら自然と繁殖すると思ってない?
「結婚」って何なんだろう。人生の墓場だ とかよく聞くけど、独身だからなおさらその意味が分からない。
最近、起床即faceboookを開いたら、紺色のタキシードの男性と白いドレスの女性を、これまたスーツの男性やらおしゃれ着の女性が
囲んでいる写真が目に飛び込んできた。寝起きだったので視界がぼやけていたが、目を凝らしてみたらそれは大学時代の友人の結婚式の写真だった。
ついにか・・・・・・。と思った。本来なら、そういう感想を第一声で出すべきではないのかもしれない。
いや、よろこばしいことではあると思う。友人にはこれからも幸せで居てほしい。だけど、この気持ちは何なんだろう。
一晩よく眠れず、自分の気持ちに問いかけてみた。それは嫉妬だった。
俺は今、猛烈に結婚=幸せの象徴 だと思っている。多くの人間共も、結婚は幸せの一つのカタチだと思っているだろう。
それが、今自分の手元には無い。自分はこのまま、友人たち既婚者様のように、「誰かにとって、異性の1番」に成れないんじゃないかという不安に陥った。
法的に特定の異性とセックスする許可を得た状態=既婚 だと思うと、強烈な焦燥感にかられて昼間も仕事に手がつかなくなりそうだった。
そこで、今日の昼休みから早速マッチングアプリを始めた。(通算3度目)
いろんな女の子の写真を選別している中で、見覚えのある女性の写真があった。
それは去年の12月に自殺した同僚の女の子だった。彼女もまた、結婚を人生の目標の一つに掲げている人間の一人だったようだ。
きっと彼女には思い描いていた人生があったのだ。恋愛をして、結婚をして、旦那さんと、そしていつか産まれてくる可愛いわが子のために生きる人生。
どうして、26歳という若さでそれを諦めてしまったのだろう。親御さんが職場に遺品を取りにいらしたとき仰っていたように
「いろいろあったのだろう」と思う。 それにしても、早すぎる。俺より4つも若い。
だけど、生きていく中で感じる苦しみや悲しみは、人生が長いからってその分耐えなければならないわけではないとも思う。
アプリに今も表示されている、葬儀の時の遺影と同じ写真。それを見て、本当に、気づいてあげられなくてごめん、と思った。
もっと声をかけてあげればよかった、密かに可愛いなぁと思ってたし、ちょっと誘ってみればよかった。机の席も斜め向かいだったし。
だけど自分は奥手すぎて、俺が中途入社して彼女が亡くなるまでの約1年間に交わした言葉は4,5回くらいだったと思う。
高卒でライン作業の工場で働き、学生気分が抜けず当時はあまりにも心が未熟だった。
新入社員の時に食堂でパートのおばさんに話した内容がその日のうちに課内に広まった経験から、
食堂でご飯を食べることが怖くなり、購買で買ったおにぎりをロッカールームの隅で食べ昼休みが終わるのを待つ日々。
後に入社してきた子達が優秀な一方、私は作業効率も悪く、よく上司やパートのおばさんに怒られたり嫌味を言われたりしていた。
「何年働いてるんやお前」「まだ終わっとらんのか」「ほんま役立たずやなお前は」
現場の皆は私を見下して私より自分達のほうがマトモだ、と思っているんだろう。
と考え、常に見られている気がして帽子を目深に被り
話すと滑舌が悪いし不快に思われているかもしれない。そう思いだし、退職する年には会話の際にどもるようになっていた。
そしてあの日
現場で働いている時に上司の「A(下の社員の子)でもこの作業出来るのに」と、ため息交じりに言われた一言
それを聞いた時、じわじわと出る涙が止まらなくなり、仕事にならなくなってしまい交代し
事務所に戻され、今日はお前帰れ。と言われ早退することになった。
翌日も仕事なのに、社員なのに、一人帰されて情けない。なんて無様。
目が覚めなければいいのにと薬を飲み、翌日無断欠勤をしてしまい
人事の人が様子を見に来て、薬で体がろくに動かせなくなってる私をタクシーで病院まで連れて行った。
点滴を受けながらぼーっとただただ空虚な気持ちで横たわっていると
連絡を受けた家族がやってきて私を回収し、一度実家に帰ることになった。
そして数日後に荷物をまとめ、夜逃げするかのような速さで退職をした。なんて常識知らずで無責任なんだ。
これが5年間働けた時の記録。
それから年月が過ぎ、どもりがマシになったので
家族に光熱費を払ってもらいながら己の貯金を切り崩して生きている。
年相応どころか田舎の小学生のようなあまりにもラフすぎる格好。
お洒落な服装がわからず、化粧も出来ず、友人もおらず、話し相手はTwitterで知り合った人々。
また陰口を言われるかもしれない。また怒鳴られるかもしれない。その気持ちが不意によぎる。
涙腺が弱すぎるせいで少し強く言われただけで勝手に涙が出てしまうので
泣いてもなんもならんぞ。泣けばいいと思ってんの?と言われた記憶が涙が出る度に蘇る。
貯金が尽きる時を怯えながら私は今日もただただ、求人情報を眺めている。
もう少し、もう少し早く行動を起こしていればよかったのに
まずは、どもりが緩和されたのこと、精神的な負荷が減ったのだと思い、何よりです。
また、twitterで知り合った方たちと話し合うことができていることも、いいな、と感じます。
私も涙腺が弱い方です。どこかのタイミングで諦めました。
諦めて、開き直って、
「泣くまで追い詰められた人間をさらに追いこもうとするあなたは、客観的に見て恥ずかしくありませんか。それが子供のころのあなたがあこがれた大人の姿ですか」
そのとき、言われた相手は「うるせえ」としか言えなくなりました。
その姿が滑稽で、笑えて、以後の妙な自信につながりました。
そうすると、これまで私を詰めていた言葉も、相手も、全てがばからしくなって、楽になりました。
それはさておき、仕事なんて、したり、しなかったりのサイクルでいいと思います。
仕事ができない(できなかった)のではなく、仕事が合わなかっただけ。
おしゃれや化粧なんて、いつでも追いつけます。
私はあなたの「底辺ニートの意味のない日記」という、この文章に心を動かされ、
それは、あなたの文章に、あるいは、あなたそのものに、何かしらの魅力を感じたからかもしれません。
その魅力に気づく方は、大勢いることでしょう。
よければ、いつか続きを読みたいと思っています。
たった今、数日に渡る肛門の異物感から解放されとても晴れ晴れとした気持ちなのだが、汚い話を知り合いにするのは少々気が引けるのでこの場にこっそりと残しておこうと思う。
※ここから先は汚い表現が増えるため、食事中の方や下品な表現が苦手な方は読むのを控えて欲しい。
私は昔から胃腸が弱く腹を下しやすい為、普段は月の半分以上が軟便であり、二十数年の間便秘とは無縁の生活を送っていた。
きっかけは何なのか分からない。猛暑が続き水分不足になっていたのか、将又、二週間ほど前に患ったコロナウイルスの後遺症(味覚障害)が治ってきた反動でドカ食いをしてしまったのが悪かったのか。
前兆は八月十二日、金曜だった。
夕飯を食べ終え、いつものルーティンとしてトイレに向かった。冒頭にも記載したが私は軟便気味なので、トイレで排便する時は出たものがどのような形状をしているのか確認するようにしている。一般的なバナナのような形状の便であれば安心するし、固形を保っていない便のときは「お腹調子悪いんだね……可哀想に……」のような気持ちになる。健康的な形状の便がもりもり出るとなんだか嬉しい気持ちになり、便が流れていくのを名残惜しみながら見送るなどしていた。
そして、その日は珍しく硬い便、所謂「コロコロうんち」が出た。それを私は「あっ珍しいな、ナンカ小動物のウンコみたいでカワヨ」などと思い、それがこれから待ち受ける地獄の前兆とは気にも留めて無かったのだ。
翌日、八月十三日。一度も排便をしなかった。それを不思議に思うこともなく、Xデーは訪れた。
昨日、八月十四日、日曜、夜。便座に座り、尻に力を入れる。肛門から出ようとする便がいつもと違う異物感を持っていた。
いつもなら少し力を入れるだけで肛門からむにっと出てくる大便。例えるなら絞り袋から生クリームが出てくるような、そんな感覚なのだが、今日は違う。この肛門は大便ではなく石を出そうとしているのではないか、そうとしか思えない異物感。明らかに出口で巨大な固形物が詰まっている。
「大物だ!」
私はそう思い、ありったけの力をこめて息む。そしてこれが異常なのだと理解する。肛門の出口からほんの少し顔を出したきり、便は動かなくなったのだ。
どうする、ヤバくね? 一旦戻すか?
そんな慌てた気持ちで肛門に力を込めて、出口付近にいる大便を収納しようとした。しかし、便は全く動かなかったのだ。パニックになった私はトイレットペーパーを何重にも巻いた手でそっと肛門に触れてみた。すると、やはりほんの少し便が顔を出しており、肛門付近が盛り上がっているような、そこにデカい便がいる事を感じることができた。
これは、マジでヤバい。そう思った。このままでは出ない、どうしたらいいのだろう。焦燥感に駆られた私は便を軽く押してみた。思っていたより硬くはなかった。石のような硬さだと思っていた便は、土粘土程度の硬さだったのだ。
確かにこれは肛門のパワーではどうすることもできないかもしれない。だけどこの手なら……!
今一度トイレットペーパーで厳重に手を保護し、肛門の周りを優しくマッサージして便を出口に誘導するようにしてみる。試しに息んでみると、出口から少し便が出てきたではないか。
これだった、これが正解だった。解を得た私は時間をかけて粘土ウンコを肛門の出口に誘導し、ついに一本分を出し切ることに成功したのだった。
しかし、便はもう一本分あった。
私は絶望した。一本出し切った先に、無くならない便意ともう一つ確かにある異物感。そしてラスボスなるそいつは先程の便よりもはるかに硬度が違った。同じ方法で出すことができなかった。何より、私の肛門は限界だった。先程の戦いでの負傷が大きく少し力を入れるだけで激痛が走る。もう駄目だ。
いつの間にかかいていた脂汗を拭い、肛門をウォシュレットで洗浄した後、トイレットペーパーで汚れを拭き取り、異物感を抱えたままトイレを後にする。
まるで肛門にクソデカい栓をされているような、そんな感覚がずっとある。しかしもうこれは今の自分たちではどうすることもできなかった。これ以上は無理だ。だってここまで一時間以上経過していたのだから。
間もなく日付も変わる、そんな時間に私はネットを駆使して一つの可能性と出会う。
これを使えばワンチャンあるのではなかろうか、というかもうこいつで駄目だったら病院行くしかないだろうし、肛門に特大鉱石ウンコを抱えているという状況を医者に説明するのは流石に嫌だし、浣腸でなんとか出すしかなかった。
そんなこんなで本日、八月十五日。私は朝一番に薬局に向かい、浣腸を手に入れた。因みに肛門に感じる異物感が気になって一睡も出来ていない。
レッドブルと浣腸を共にレジに出された時、店員さんの顔が一瞬引き攣ったような気がしたけれど、自意識過剰なだけだと思いたい。正直かなり恥ずかしかったので何も思われてないと嬉しい。
尚、本来イチジク浣腸を購入する予定だったのだが、何故か二個入りのものが売り切れており、大量に入っているものしか置いてなかったため、他メーカーの浣腸を購入した。
期待を胸にトイレに駆け込み、パッケージを開けてみる。三十グラムの浣腸は想像よりも多く、「これ全部ケツに注ぐんか……?」と一瞬日和ってしまったが、それよりもこの肛門の異物感を何とかしないといけないという気持ちが大きかったので、気合で肛門にノズルを挿し、液体を注入した。しかし浣腸バージン故、上手く出来なかったか液体がダバダバ零れていく。しかし触れた感じノズルはしっかり奥まで入っているし、確かに液体が注入されている感じも肛門越しに感じる。これ以上零れたら駄目だと力をこめて全ての液体を注ぎ、浣腸を引き抜く。ノズルが便で汚れていて少しだけ引いた。
説明書には二分から五分待ってから出すものを出せと記載されていたので、液体を零さないよう力を込めながらしばらく待ってみる。すると、自分には馴染みのある下痢の時に感じる痛みが襲ってきた。メチャクチャヤバい下痢の時の痛みのそれだった。
出したい、今すぐ出したい。激痛便意に襲われながらも私はこれなら絶対出るだろうと期待に胸を膨らませた。
そしておおよそ四分が経過した。腹痛も限界を迎えつつあり、そろそろ良いだろうと力を込めた。
絶望と共に怒りが湧いてくる。結局出ないならこの腹痛は何だったのか、なんなら浣腸液を全部出し切ったっぽいのにまだ痛い。こんなに辛い思いをしたのに結局自力で出すか恥を捨てて病院に行くしかないのか。
沸々と湧いてくる怒りに任せて息んでみると、便がほんの少しだけ動くような感じがあった。このまま強行突破できるかもしれないと思った私は肛門が切れることを覚悟して息み続けた。ウミガメの出産もきっとこんな辛さなのだろう。
息み続けること数回、ついに鉱石のように硬い特大ウンコが肛門からするりと誕生し、私は肛門の激痛もお構いなしに立ち上がり、その姿を確認した。
きっとこれは今まで見たこともないくらい特大のウンコだろうと想像していたそれは、なんと複数の便が集まって一つの塊となっていた。ウンコ界のスイミー、或いはベーコンエピ。「そりゃ出口で詰まるわな」と納得と共にほんの少し感動すら与えてくれる特大ウンコ。肛門はこれだけ巨大なウンコも出せるのか……これは人間の神秘だった。
間違いなく人生で出した便の中で一番大きいビッグ・ベンが流されていく姿を見送り、トイレットペーパーで尻を拭いた。トイレットペーパーが赤く染まっていた。
特大の便を排便するための代償は大きかったのだ。
あれからもう一度トイレに行ったが、やはり肛門から出血しているらしく、後ほど切れ痔のケアについて調べてみるつもりだ。
最終的に便を出すことに成功したのは浣腸パワーなのか、それとも自力でなんとかしたのか分からないが、とにかく長い戦いに終止符を打つことができて一先ず安堵している。
ただこの激硬ウンコと便秘の原因がわからず仕舞なので、今後の排便で症状が再発しないか不安なところだ。
しばらくは水分を沢山取り、食物繊維とヨーグルトを摂取して様子を見ようと思うが、なにかおすすめの腸内ケア方法があれば教えてほしい。